不自由展論争→憲法学は学問か?(地域エゴ競争2)

トランプ旋風以来、〇〇ファーストが大流行りですが、沖縄でも静岡でも首長は、中央に楯突くパフォーマンスの方が票を得やすいムードです。
中央と楯突く必要のない静岡のような気風温暖な地域で、しかも川勝氏はリニアー関連の審議会委員か何かを務めていた政府寄りの人物らしいですが、知事になると豹変・・合理的理由不明な妨害行動に走り始めました。
(我田引水・公共工事が減ると)地元首長にとっては中央直結よりは、なにかと対立点を探して対決する方が、票になる時代が来ているようです。
しかし中央・・日本全体の利益を人質にしたゴリ押しがすぎると、国全体から浮き上がり、目先政府は何もできないとしても結果的に地域経済にマイナス影響がないかの視点も必要です。
沖縄の基地反対運動は先の大戦でひどい目に遭っているのに、また沖縄だけ日本列島全体の犠牲になるのか!の論建てで左翼と組んで一見うまくやっているようですが、これも行き過ぎると国民の鼻について来る時期が来るでしょう。
個人の人間関係同様で困った時に相手の足元を見た強欲な主張をすると、長期的信用を傷つけるというのが日本的価値観です。
戦国時代でいえば、地元盟主の危急存亡の時に一も二もなく応援に駆けつけるのではなく(協力を惜しみ)自分を高値で売り込むような小豪族は信用されないというのが日本の伝統的価値観です。
日本人はすぐに白黒をはっきりせる民族ではないので、これをキッカケにどう動くか数十年の経過を見るしかないのでしょう。
数十年後に大村知事や津田監督が日本全体で高評価を受けるかどうかでしょう。
大村知事のとんがったパフォーマンス戦略が、従来あやふやにきた芸術系に対する公的補助がどうあるべきかの全国的問題提起になった意義は認めるべきでしょう。
(自信がありませんが)民族国家が続く限り芸術の中でも民族伝統芸術の保護と現代アートの保護とは次元が違っても良いのでないか?と思いますが、それにしても補助金の程度問題・・国民総意・政治判断によるべきでしょう。
大阪府の文楽に対する補助金問題が憲法訴訟になっていないように、将来東博等国立博物館等で、国内芸術家優先がおかしいとか、西洋美術館や東洋美術館等への予算配分比変更問題が起きたとしても、表現の自由侵害の憲法問題ではありません。
東大等の国公立大が中国の軍事技術、ハイテク技術発展のための研究協力するのに国費補助すべきかも政治で決めるべき分野であって、憲法・・学問自由の問題ではないでしょう。
こう言う補助金交付規制論が起きると、学問の自由侵害の憲法違反だと言うのでしょうか?
平和論〜国防問題でいつも問題になりますが、無防備で良いかどうかではなく、憲法9条がある限り再軍備は憲法違反だから軍備必要性の議論自体許さないかのような主張・・「悪法でも法は守るべし?」論が圧倒的です。
「憲法とか近代法精神を守れ」などのスローガンで終始して、具体論を避けるのが、文化人や学者の基本姿勢です。
芸術文化保護予算はどうあるべきの議論で「表現の自由に介入するな」という憲法論に終始して議論をさせないのが憲法学者の仕事のような振る舞いです。
どのように日本を守るかではなく、「憲法がある以上仕方ないでしょう」というならば、・・憲法改正の必要性はどうなのか?となりますが、こういう論者の100%と言っても過言でないですが、憲法改正議論すら拒否するのが普通です。
曰く「安倍政権の改憲を許さない」論ですが、憲法というのは長期に国民の守るべき規範ですので、平均数年で交代する・・国会発議に必要な与党議員数確保したのは、前回衆議院選挙であり、まだ約3年で辞任表明です・・政権好き嫌いと憲法条文をどうするかの議論は関係ないことです。
https://www.jcp.or.jp/web_info/9no.html

安倍改憲ノー!新署名広く

「草の根」の力で必ず阻止  総がかり行動実行委員会共同代表
(「しんぶん赤旗」2020.2.6)

上記のようなビラが溢れていました。
ところで、安倍総理辞任表明後、安倍政権を毛嫌いしている朝日新聞の世論調査でも以下の通りの結果が出ています。
https://www.asahi.com/articles/ASN937F3RN92UZPS005.html

安倍政権を「評価する」が71% 朝日新聞世論調査
会員記事 自民党総裁選2020
2020年9月3日 22時30分

自民党政権毛嫌いの朝日新聞の調査でさえも71%も支持されている安倍政権だから改憲反対という主張は、支離滅裂としか言いようのない主張ではないでしょうか。
「ごく少数支持政権の改憲発議なら賛成する」とでも言うのでしょうか?
民主主義を守れ!と言うリベラル政党各派の看板が泣きませんか??
こういう議論方式が大手メデイアや憲法学会や弁護士会で主流?(声が大きい)になっているのは、おかしいのではないでしょうか?
彼らにとって憲法って何のためにあるか?
まともな議論拒否、「なんでも反対の護符」になっているように見えます。
日本の憲法学界や思想家人権グループは、我々素人から見ればオカルト集団のようで科学としての学問に基づく主張をしていると言えるのでしょうか?
真面目に学問として研究している人もいるのでしょうが、政治運動と区別のつかないような声明を出す学者が多いので、外野から見ると全部そのように見えるだけかもしれませんが・・。
集団で声明を出す学者もその道ではまともな論文を書いて認められている研究者なのでしょうが、政治運動になると素人も驚くような無理筋の主張が多くなるようです。
政治学者と政治運動のプロとは違うように、憲法学者も憲法の運用がどうあるべきかの政治論は素人に近いのですから、専門外のことに専門家の肩書きで口を出すのが間違いと言えるでしょうか?
個人意見開陳は自由ですが、専門家集団の威力を用いるのがおかしいというだけです。
今回のコロナウイルス騒動でも分かるように専門家の知見必要ですが、それを応用するの政治家の役割です。

あいちトリエンナーレ不自由展騒動の得失2(地域エゴ競争1)

米国大統領や中国国家主席の肖像写真を燃やして踏みつけるパフォーマンスに対して政府公共団体が禁止すべきか否かは憲法の問題ですが、補助金を出すか否かはその行為の芸術性の有無が基準ではなく、国際関係等考慮して行うべき政策決定というべきです。
地方自治体もその展示行動が友好都市や国際関係上とどういう結果になるか、地元交通妨害になる程度などの具体的判断すべきで、芸術活動か否かを持ち込む余地がないでしょう。
グランデール市その他の自治体が慰安婦像を公立公園に設置許可するかどうかは政治判断ですので、自治体の法的手続きに違法があるなら別ですが、適法に判断された以上自治権の範囲ですので、日本人グループが司法に訴えたのは手法の間違いです。
個人が自宅にどういう銅像を設置するのが自由なのと同じです。
ただ、銅像設置や自分の親の写真を踏みつけられる映像やパフォーマンスを芸術として補助する自治体や個人に対して不満を持つ人や相手方自治体や国がどういう報復をするかも被害感情を持つ個人や国等の政治判断です。
グランデール市は日本との関係悪化しても良いという政治判断で慰安婦像設置を決めた以上は、大阪市がグランデール市との姉妹都市関係を絶ったのは合理的行動でした。
日本大使館前の慰安婦像設置が相応の報復覚悟の政治行為ですので、日本も相応の報復すべきかも政治判断です。
そもそも芸術や政治活動であれば何をするのも自由なのではなく、名誉毀損すれば処罰を受けるし、通行妨害すればその規制を受けるのは政治活動や表現の自由・憲法論とは関係がありません。
市議会議員が、同一選挙区でしのぎを削る政敵のポスターを日頃挨拶を交わしている近所の家に掲示していれば、興ざめになるのが普通です。
また、政治主張の芸術活動をすれば反対勢力の不興を買うのを覚悟の行動であるべきでしょう。
「芸術を名乗りさえすれば何をしようと勝手だ!」と言わんかのような津田監督側の主張を国民多くが支持したのでしょうか?
不自由展からまだ約1年なので不自由展の騒動が今後の日本の芸術に対する政府公共団体関与にどのような影響が生じるか、旗振り役になった津田氏がどういう立場になるか不明ですが・・。
大村知事と河村市長の確執ではどちらに軍配があがるでしょうか?
政治家は選挙次第ですが、一方は市長選で他方は県知事選で政治次元と選挙時期の違いがあるので選挙テーマもズレる上に、共に自民党推薦?知事、市長ですので、任期満了選挙になると不自由展に対する民意がストレートに出ない選挙になりそうです。
不自由展をテーマにした大村知事に対するリコール運動があるので、リコールによる選挙であれば、テーマが絞られ愛知県民の不自由展挙行に対する賛否がはっきりする良いチャンスのようですが、その場合でも保守系支持層が対立候補の革新系候補に投票するわけに行かず自民党系知事を保守系が推すしかない選挙になって争点と選挙の結果が分かり難くなります。
自民系の知事が超革新的?主張を後押して巨額予算で応援した場合、自民党内保守系では許せないと強く思う人が、かえって、革新系知事候補に投票したくない人が多いでしょうから、選挙は複雑です。
大村氏に変わる保守系候補の準備に十分な時間がないことから、信任投票的リコール選挙はかえって大村氏に有利でしょう。
不自由展をテーマにするまでは大村知事の名前も知らなかったので、今日初めてウイキペデイアで経歴を見ると意外に複雑な行動をとる持ち主で、今回の「とんがった企画期待」発言はその延長上にあることがわかりました。
もともと農水官僚〜自民党橋本派に属した経歴程度しか知らないので保守系そのものかと思うと、橋本派ないに属しながら、対抗馬の小泉氏を応援したり、小泉政権では功労者として優遇されたようですが、小泉政権後の保守混乱時(民主党政権時?)には、愛知県連を敵に回して(当然革新系の応援を受けたのでしょう)突如立候補して県連からの訴えで自民党から除名処分を受けるなど保守系の枠を飛び出したトンガリ系行動力のある人のようです。
結果的に左右両翼の支持をて圧倒得手支持力を誇る独自勢力圏を築いているので、そのうち自民党との相乗り候補になって現在に至るようです。
(安倍総理辞任劇以前からメデイアの行う場外人気・・「総理になって欲しい人の国民人気度ではいつも石破氏ほぼ毎回がトップでしたが、肌感覚とこんなにずれた発表程メデイアの信用を落としている発表が少ないのではないでしょうか?
メデイアの基本主張・「永田町の感覚が国民感覚といかにずれているか!」という洗脳をしたいようですが、いろんな世論調査の偏り以上に、国民感覚と違った自民党内異端派を「よいしょ」する記事ばかりでは、国民感覚とずれていのは大手メデイアではないのか?と思う人の方が多いでしょう。
内閣や党支持率の場合、直後の総選挙結果とあまり違う結果が続いているので、メデイアの世論調査をどうせフェイクだろうと思う人が増えてきましたが、総裁選の場合、永田町の感覚が国民とずれていると言い張ってれば論証する方法がないのをいいことに電波独占している方が言い張っていつも終わりです。
中韓勢力得意の日本人は良いが、安倍政権だけが悪いという主張方法と同じです。
革新系は自民党との真っ向勝負では勝てないので、自民党内の異端的トンガリ系を囃しメデイアとの連携で国民人気を演出する傾向がありますので、大村氏はこれに便乗してウイングを左に広げるのに成功していて、県知事として圧倒的支持率を誇るようです。
不自由展実行はこの傾向をさらに強めたということでしょう。
トルコやイラン等々の地域大国も日本の自治体も同じですが、世界全体あるいは国全体のための政治など気にしないどころか、地域や自治体内の地位確立には全体に反する尖った主張をして地元の喝采を浴びる政治手法が成功する傾向があります。
愛知県(尾張徳川家)は徳川宗家後継争いで吉宗に負けた時から、反中央意識の強い気風が育ち現在に至っていることを総合すると(本当は尾張徳川家の個人的怨念でしかなく民族的被害を受けていないのですが、これを地元政治家は煽る材料しているのでしょうか?)大村知事の尖ったパフォーマンスを喝采する地域素地があるとも言えるでしょう。
愛知県知事としての支持層を広げるには、日本全体で総スカンを食うか否かではなく反中央姿勢をアップし(自民党本部から除名処分を受けるなど)地元支持を広げる戦略が成功しているように見えます。
彼は日本ー愛知の会代表のようです。

利害調整不全8(地域エゴ野放し3)

美濃部都政は民意重視というお題目によって杉並ゴミ戦争を煽っただけで杉並区と江東区の利害調整・解決できず信用をなくしました。
民主党政権奪取時の説明(公約?)ではいわゆる「埋蔵金を取り崩せば資金対応できる」という漫画のような触れ込みでしたが、政権党になってみると埋蔵金がなくて、実現不能な公約であったことがバレました。
やむなく事業仕分けに進んだのですが、周到な識見・準備なくパフォーマンス重視で性急に行ったために耳目を集めたものの結果的に散々の結果だった印象です。
エゴに基づく反対運動が保護されれば両立し得ない他方の国民代表の合意で決まった国の政策実現が遠のく・・保育所やゴミ処理の必要な人がその便宜を受けられなくなります。
そうなると・・各人が自宅内で子供を育てるしかないし、自宅内ゴミ処理が義務化されることになるのでしょうか?
共同体破壊思想です。
いわゆるリベラル派の人たちは抽象的にいえば人権擁護・具体的には保育所増設その他個別権利実現に熱心ですが、一方であちこちの反対運動応援にも熱心です。
双方の利害調整の方向性がないままバラバラに八方美人的公約を並べているから、一定レベル以上の国民支持を得られません。
ボルトン氏の暴露本?では韓国の文大統領は統合失調症の人だと書いていて韓国では大騒ぎですが、いわゆる世界のリベラル派の言動に大方当てハマりそうです。
日本では、杉並ゴミ戦争で有名になりましたが、民意重視という原則論だけではどうにもならない・・民意重視とはいろんな意見を求めて、出てきた相反する利害調整に努力し一つの方向性を出す・・成果をあげるという意味です。
この処理がもたついたことにより美濃部都政は利害調整能力不足を露呈し以来革新系都知事候補は信用を失い現在に至っています。
都議会でも国会議員でも旧社共系あるいは立憲民主系の数は微々たるものです。
https://www.gikai.metro.tokyo.jp/outline/factional.html
各会派等の構成(令和2年3月9日現在)

日本共産党東京都議会議員団 18(うち女性13)人
都議会立憲民主党・民主クラブ 5人
現員 123(うち女性36)人

上記によれば約1割の議席しかありませんが、6日投開票の都知事選結果も似たようなものです。
https://www.asahi.com/senkyo/tochijisen/2020/kaihyo/によれば、保守系(現職)小池百合子氏59、7%、立憲、共産等の旧革新系野党推薦?の宇都宮健児氏13、76%となっています。(その他大勢の立候補者がいますので合計100になりません)
いわゆるニンビーは本来無理筋の論理・全般的整合性がない・・公共の利益と調和しない・・両立し得ない主張です。
NIMBYという専門用語があるようですが、ウイキペデイアによれば以下の通りです。

NIMBY(ニンビー)とは、英語: “Not In My Back Yard”(我が家の裏には御免)の略語で、「施設の必要性は認めるが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を指す言葉である(「総論賛成・各論反対」)。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」[1]「嫌悪施設」[2]などと呼称される。

総論賛成各論反対・・国や地域に必要な施設であることはわかるが、自宅付近は嫌!という自分勝手な論理ですから全国基盤のある政党の支持は受けられないのが普通です。
県内対立や市内対立の場合、知事や市長が困ります。
困難な斡旋仲裁努力を放棄して弁護士に投げて来る事案が増えてきました。
杉並ゴミ戦争は、結局訴訟に進み裁判所の和解勧告で終わったものです。
この数十年複雑な利害対立を政治の場で解決できなくなってきた、諫早湾の開門閉門の利害対立も政治家はお手上げで司法に丸投げですが、政治家の解決能力低下というより、紛争当事者がほどほどで妥協する能力がないことが基本でしょう。
少し前の日本社会であれば埋め立てをするかしないかの以前段階(いわゆる根回し)で意見調査委が終わったのでしょうが、それぞれの権利意識(というよりエゴ?)が高まってしまって譲り合うべき着地点を見出せなくなったことにあるのでしょう。
杉並ゴミ戦争のようなエゴむき出しで妥協できない社会になってきた弊害でもあるでしょうし、政治家(国民レベル以上の政治家は出ないので)の方も国民の利害調整役どころか自分自身が国政段階の論争の結果、落ち着くべき決着を受け入れる能力がなくなっていて国会決議に潔く従わずに蒸し返しに使うようになったからでしょう。
ポピュリストというか調整能力のないバラマキ型政治家の場合、外敵(トランプ氏のように国内政敵を煽る→分断社会化)に頼る傾向が多いのはこの所為です。
全うな育児対応能力がない母親の常套手段・・乳幼児をあやすのにガラガラで気を引いたり、ぐずる子供に対して「おまわりさんが来る」と脅すのが(戦後なぜこういう対応が流行ったのか不明ですが)一時流行ったのもこの一種でしょう。

利害調整不全7(地域エゴ野放し2)

地元処理の論理が正しいとして、柏市内で解決することになった場合、市内のどこか一箇所を特定すると「市全体のゴミをなぜこの地域だけで処分するのか?」と反対運動の名分になります。
市内全域(例えば市内地域が五箇所に分かれている場合、五箇所に一箇所づつ)公平負担としても、その集落地域内でも、地域内のここだけ(自宅の隣で)なぜ引き受けるか?となれば、際限ない争いが続きます。
こういう反対論理が正当化されると火葬場も墓地も葬儀場も医療施設も皆自宅内処理し家庭ごみも皆自宅内処理すべきとなりそうです。
昭和40年代の杉並ゴミ戦争が有名ですが、都が埼玉千葉県にゴミ処理を頼らない点は立派ですが、都内処理の地区間不公平問題が勃発しました。
東京23区は、江東区等の東京湾埋め立てに頼っていたのが限界になってきたので各区内での焼却が必要になったのに、杉並区住民が区内焼却場設置に反対したのが発端だったように記憶しています。
この問題では江東区が態度硬化して杉並区のゴミ受け入れ拒否するという騒動に発展し、この解決までの間、杉並区内あちこちに臨時のゴミ集積所設置案ができたのですが、今度は臨時ゴミ集積所設置自体に近隣住民の反対が出るなど、エゴ連鎖の結果、最後は強制収用決定となり、それにも抵抗して訴訟になり裁判所の勧告に従い杉並のエゴが不発に終わった記憶です。
詳しくは東京ゴミ戦争のテーマでウイキペデイアに出ていますので参照してください。
住民意思最大限尊重姿勢の(社共支持?推薦の)美濃部都政でこのような矛盾が生じたのは、偶然ではなかったでしょう。
草の根の意見重視といっても噴出する両立しない利害をいつかは調整しないと為政者としての役割を果たせません。
保育所不足が女性の社会参加推進少子化対策等で重要テーマになっている現在・・しょっちゅう待機児童数の発表されるほど関心の高い状態ですが、数年前に住宅街での保育所設置反対運動が起きていて新設困難になっているニュースがありました。
保育所も学校も近いのはありがたいが、自宅の隣は困ると反対する・・少しの負担も引き受けない人が増えてきました。
反対派エゴ・・道路掃除当番非協力程度で無視できるなら害が少ないのですが、これが保護されるべき権利→制度上効果=反対がエゴに基づくものであっても反対がある限り公共施設が設置できない結果を認めるようになると、エゴ主張を権利として保護するのと似た効果が生じます。
共同社会→何らかの自己負担が前提ですが、税や会費負担あるいは週1回の道路や公園掃除当番など直接的負担を超えて「送り迎えの車が増えるので反対」という程度の自己負担も嫌と(と思うのは自由ですが、公的運動までするように)なれば、自己負担拒否感の強さに驚くばかりです。
「舌も出ししたくない」ような非協力を競う社会・・エゴに基づく拒否権の承認をするのか?
バラマキ政治はこの行き着いた究極の政治スタイルというべきでしょう。
最低賃金倍増、所得税減税や障害者保護や生活保護費倍増、保育料高校大学学費無料、高齢者入場料無料等々のバラマキ型主張は、その一つ一つが誰の権利を阻害するか直接効果が不明なので対立相手を直接作らないのがミソです。
無責任な甘い公約の言いたい放題ですが、増税しない限りその資金負担分=どこかに振り向けていた資金がその分減らすしかない筈です。
この支出を減らしてその資金で教育費を無償化すべきという主張、または同額の増税をすべきという主張が責任ある態度でしょう。
私が弁護士になった頃の共産党の主張は、戦闘機一機で何々が作れるという主張でした。
無責任主張は相手にされない時代だったようです。

利害調整不全6→(地域エゴ野放し1)

民主主義社会・・自由な言論が際限ない対立を前提にするのではなく冷静な議論を経て結論が決まると挙国一致(企業で言えば企業)の方針が決まり、反対した方(一つの政策決定が自己利害に反する集団も決まればそれに従う)も実行に協力する社会を前提にしています。
経済活動場面・自由主義経済の場合→(見えざる神の手)市場による淘汰が行われ選ばれた企業が成長し、勝ち残った製品サービスが社会に行き渡る仕組みです。
商品の場合には市場規模が大きい場合順位1番から50〜100番までの多様な商品サービス並存可能ですし、多様なサービスが並存している方が消費者には便利です。
だから都会に人が集まるのです。
国家社会のルールや政策決定の場合、社会秩序そのものの決定ですので、商品のように並存可能というわけにはいかない・・・道路交通法でいえば、AB両地点のいずれに信号機設置すべきかどうかの議論でA地点だけと決まった場合、B地点派がA地点の信号設置に反対したんだからと信号無視して良いとなれば社会が混乱します。
制限速度や一方通行、駐車違反場所でも同じで、反対派だった人も決まった以上はそのルールを守るべきですので、集団別ルールが並存するのは不可能です。
民主主義とは統治の原理・統治ルール決定手続きに関するルールであり、自由な言論活動は一定期間内に一つの結論に収斂するための言論の自由です。
一定手続きで決まったこと(法)には反対派も従うことを予定していることになります。一旦決まったことを実行してみる不都合があるなどの修正変更の必要があるので、多数意見が決まったのちにも、少数意見者も「やはりこの方法の方が良い」と言い続ける言論の自由は残りますが、多数で決まったルールに従わない自由はありません。
すなわち民主主義とは意見・利害調整による意見一致を前提にした決定手続きをいうのであって、利害調整・意見一致できないで意見対立のまま終わることを予定していません。
民主主義であろうと、絶対主義であろうと自由主義であろうと一党独裁であろうとすべて社会は生命体同様の統一秩序を求めています。
一つの体で左足は横へ動く右足は前に動くというバラバラ行動は許されません。
幼児や小中学生レベルの場合、完全な自治運営が困難なように、言いたい意見を話し合いの結果合理的に収斂させる能力があってこそ自由な意見交換が成立します。
意見を言うなら議論の結果によっては相手の主張に従う度量が必要です。
年齢基準は年齢に応じてその比率が上がるだけであって、(小学3年生で5年生の能力ある子も2年生の能力しかない子もいます)大人になっても対話能力が育っていない人が一定率いるのですが、(私もそうかな?)そういう人は、自分の能力限界をわきまえて集会参加しても黙って聞いている・論争を聞いて最後にどちらが良いかの挙手をするだけで済ませば世の中が決まって行きます。
旧社会党の場合、議論にならない反対のための反対論(法案に関係ないキャンダル追求先行要求など)を繰り広げ、質疑打ち切りすると委員長不信任案や議長不信任案等を繰り出して最後は牛歩戦術や根拠ない不信任決議案提出で数時間でも採決を遅らせることで議決自体の妨害を図っていたので国民支持が離れました。
このような政治活動は技術革新の早い現在社会で、日本の国際適応を一国でも遅れさせる目的にしかならない・反日国家の意を受けた行動でないか?の疑念を抱かせるようになりました。
こういう疑念が一般化して来て・・革新的系政党支持率が低下一方になったのちは、地方自治体レベルでの抵抗戦術を始めたようです。
国政の場合2〜5%の支持率では何もできないのですが、地域特化し地域固有の問題が起きればその問題が続く限り、その地域限定で抵抗政党が圧倒的支持を得られるようになります。
数%支持でも特定問題・・例えば、放射性物質の特定市町村内廃棄貯蔵地問題が起きれば、その問題に限って過半の支持を得ることが可能です。
福島原発事故の結果、千葉県内で風向きの関係か?柏市中心に放射性物質の降下が多かった・・これの県内処理として原因企業である東電の広大な敷地がある千葉市内の臨海工業地帯・・広大な埋立地立地なので旧市街とかなり距離が開いている・近くに一般住宅街もない・・千葉市に白羽の矢がたったらしいのです。
これまで書いてきましたが、そもそも微量の放射能があった場合、どういう被害があるかの科学的意見を見たことがないのですが、宗教心のようにメデイアが恐怖心を煽り続けてきた結果だと思っていますが・・。
普段与党支持者でもこの問題に限っては、まず反対するしかないという宗教信念みたいな動きが起きます・・自治会等での議論を聴いていると風評被害がおきたらどうするんだ!式の反対で地元結束するようです。
原発問題もそうですが、「不可知な論争に持ち込んだ方が勝ち」というか、反対論者は対話にならないこの方式に頼ることが多いのです。
「〇〇があったらどうする」式の議論では、神ならぬ身、誰も「そんなことはあり得ない」と断言仕切れ無いので黙るしかない・・合理的対話が成り立ちません。
県内どこかで引き受けねばならないとなれば、被害の一番少なそうな場所に決めるしかないのですが、東京電力敷地が広大でしかも周辺と車で移動するほどの距離がある・・それ以上の適地がない・・しかし地元エゴに付き合わないと仕方ないので責任政党の与党系は「知事にかけあって努力する」というだけで腰が引けているので迫力がない・・不利です。
集会での議論を聞いていると「柏市のゴミを千葉市がなぜ引き受けねばならないか?」という一見尤もらしい議論で落ち着いて参加者が自己満足していたようです。
ちょっと考えれば無理筋の論理ですが、誰でも良識というか、良心があるので自分を誤魔化す目先の浅い論理が必要なのでしょう。

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