敗戦の混乱・米軍の民族分断の煽りに乗じて日本軍が如何にひどかったかを批判すれば、米軍政下で重宝され、講和後は米軍の置き土産で運営されているメデイアで賞賛される状態が続いていました。
これに便乗し作品発表する進歩的文化人・一般受けする評論家・・それ以外にメデイアに露出する余地がありません・・が多かったようです。
米国の影響力がハゲてきてしかも寡占市場であった言論発表の場がネットに崩されてくると、軍部が如何に酷かったか、あるいは民族内対立を煽る文書発表でメデイアに重宝されてきた進歩的文化人?がようやく批判されるようになってきましたが・・。
占領軍にいち早く媚を売った国民は一部でもいたのは事実であって、全国民が占領軍による内部対立を煽る政策に反感を示していたという意味ではありません。
戦後直後の食糧難の時に「チンはたらふく食ってるぞ!なんじ臣民飢えて死ね」という心ないプラカードを押し立てて皇居前広場に押しかけて歴史に名を残した人もいます。
これが民族の代表意見だったというのでしょうか?
27日現在のウイキペデイアによる記事です。
プラカード事件(プラカードじけん)は、1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデー(米よこせメーデー、正式には「飯米獲得人民大会」)の際、参加者の一人である日本共産党員の田中精機工業[2]社員・松島松太郎が掲げた
「ヒロヒト 詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(表面)、「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」(裏面)
のプラカードが不敬罪に問われた事件[3]。
プラカード事件のような調子にのる不心得者(不心得者かどうかは歴史が証明するでしょう。
少なくとも上記松島松太郎の子孫が名言を吐いた一族の誉れとして自慢の親または祖父として名乗り出ているのでしょうか?
これだけ有名なキャッチコピーを自慢して誰も名乗り出ないとすれば、身内としても親または祖父の行為を自慢できるとは思っていないからではないでしょうか?
慰安婦騒動の起爆剤になった・・・メデイアにより慰安婦扇動に調子を合わせた吉田調書著者の長男が、亡くなった父に代わって贖罪行為に努めている姿が普通のイメージでしょう。
最近でいえば、「保育所落ちた日本死ね」の標語を16年流行語大賞?に選ぶ心理とつながっているように思えます。
選考者の説明では、政治を動かす言葉のインパクトがあったと言う釈明らしいですが、これによって政治が動くようになったのではなく、政治の方はすでに動いていたのですから言い訳に過ぎません。
https://www.komazaki.net/activity/2016/02/004774/によると以下の通りです。
じゃあ、政府は何もしていないのか?
【実は保育所数は劇的に増えてるけど、待機児童は減ってない】
ということもあって、平成25年度あたりからグンと保育の拡大量が伸びました。
しかし、認可保育所に申し込む人が増えたこともあり、待機児童は減らせず、むしろ若干増えている、という状況なのです。
安倍政権になったのは2012(平成24)年暮れからですから、その後急激に保育所を増やしている状況が見えます。
平成25年から急角度で増えていることを見れば、16(平成28)年の「日本死ね」のインパクトによる世論喚起効果プラス山尾志桜里議員発言で政府が重い腰を上げてようやく動き出した関係ではありません。
被災があって仮設住宅着工したが、まだ完成しない・・あと10日〜20日かかるのを待てない、あるいは次々と増設しないと間に合わない状態に待ち切れない人々が駄々をこねるのにコトかいて!必死に頑張っている工事職人に八つ当たりしているようなものです。
八つ当たりしたからといって現場工事が進むものではありません。
しかも政府が保育所数増加必要性を認めても、住宅街や便利なところに作る必要性や保育士手当(定員)の必要があるから、いきなりできない・・用地買収などの手順・時間がかかる作業です。
「日本死ね」というな発想になる自分について、本当に国民支持を受けている自信があるならば、なぜ「この意見を書いたのは自分です」名乗り出て自分が流行語大賞を受賞しないのでしょうか?
初めから国民のゴク一部からしか支持されない発想・思考形態と自覚しているからではないでしょうか?
こういう発想を信奉する国民も一定数いますが、戦後日本人大方がそうではなかったと私は思っています。
流行語大賞になったことが示すように「日本死ね」に対してメデイアはこぞって高評価しているようですが、メデイアと世論は違います・・歴史が審判を下すでしょう。