june 6, 2018,「慰安婦=性奴隷論の説明責任1(言葉のすり替え1)」以降018/06/09/「慰安婦=性奴隷論の説明責任4(独仏の売春制度)」まで連載していましたが、その後横にそれていましたのでその続きです。
言葉の意味を自分の都合に合わせて変えるのって「嘘つき」に近い・・今流行り言葉でいえばフェイクというのではないでしょうか?
文学的レトリックと法の適用とは違います。
戸塚弁護士のインタビュー記事は、法的厳密な事実認定によるのではなく「文学的表現すれば・・」という程度であったことを表しています。
それならば法律学者や弁護士の肩書きで公式運動する以上は、文学的比喩的表現と限定主張すべきだったことになります。
(私も弁護士の肩書きがありますが、このコラムは繰り返し書いているように「仕事を離れた仕事の合間というか自宅に帰ってからホンの短時間ニュース等を見ているだけで丹念に読まずに直感的印象で把握している面があるので誤読もあり得るし・・独自の事実調査したものではない・「思いつき意見に過ぎない」というお断りを折りに触れて書いています。)
その意味では慰安婦騒動の起爆剤になった吉田調書の著者は、もともと法律学者でも弁護士でもないのですから、原則としてフィクションを書いたに過ぎない立場がある点で戸塚弁護士よりも責任が軽いことになります。
戸塚弁護士は弁護士の「業務」として慰安婦問題に取り組んできた成果の発表ですから、その道エキスパートとして慰安婦を定義づけるには、相応の責任があるでしょう。
吉田調書に関しては、メデイアが(裏づけ取材していれば基礎データがない・その場でフィクションに過ぎませんよ!という回答ないし印象理解を得られたはずなのにそれをあえて?省いて)飛びつきたくて?飛びついたに過ぎなかった点で軽率または故意に近いとして朝日新聞の行動は、もしも事実と違った場合には、全面的責任を引き受ける覚悟があったと言うべきでしょう。
これまで引用してきたインタビューでの戸塚弁護士の弁明?はこの時点では事実根拠を上げられず、ムード的当てはめをしたことを認めるかのような表現です。
大学の教員兼弁護士資格で研究成果のごとく発表して世界を誤解させ、国際的に日本批判を展開してきた法律家が、後で根拠を聞かれて?フィクションだったかのような弁明をするのは吉田氏よりも酷くないでしょうか。
フィクションとは明言していませんが、ネットで見る限り以下の要約抜粋しか出てこないので正確には言えませんが、(私のコラムは論文ではなく思いつきコラムなので彼の過去の発言を逐一チェックする暇はありません)印象的理解では、メデイア特有の思わぶりな誘導質問しかせずに(本来「どういう事実調査をして何がわかったのか?」という当然聴くべき質問をしない点は、吉田調書事件での朝日新聞が裏付けをあえて取らなかった対応と同じです)
再々引用ですが、以下のやりとりをもう一度みてください。
岩上「自由もなく、意に反して、強要されて、だまされて連れてこられた人達がいる。それらをトータルで見ると、望まぬことを強要される奴隷状態に置かれた人という定義になるのでしょう」
戸塚氏「奴隷は『所有物』。だから、『所有者』が『所有物』に対して人権を認めていないということ。そういう関係について、他の言い回しがちょっと考えられないので『性奴隷』という言葉を使いました」
「・・・こられた人達がいる」という前提をおく誘導的質問ですが、それをどうやって調べたのか、その比率が何%かの前提もない・・1%でもいたら全員性奴隷になるのか?
そもそも「・・・だまされて連れてこられた人達がいる」前提質問自体、実態調査によったのかそれとも時代小説のイメージで質問しているのかすらわかりません。
岩上氏が憶測的な前提を確定事実のごとく誘導的質問して、それに対してまともに答えられない戸塚氏はいきなり「所有物」観念を持ち出して答えています。
明日書きますが、仮に本意ではなく騙されて連れてこられた人が100%としても、その後その女性が奴隷下に置かれていたかは全く別次元の問題です。
人道上奴隷と定義できるかどうかは連れてこられた慰安婦の実態にかかることですが、この肝心の事実・・実態に言及なくいきなり「所有物」(ですから)「性奴隷」と言うしかなかったという結論が来ています。
慰安婦がもしも所有物扱いされていれば辞書的には奴隷でしょうが、ここのテーマは国語の解説ではなく、慰安婦が売買対象=所有物扱いされていたか否かの事実の有無ですが、それには肯定も否定もしない・答えられないで・国語の意味に逃げ込んでいます。
これは6月6日に紹介した韓国でのインタビューで、明らかになっている通り(いくらお国のためとは言っても)売春したい人がいるわけがない」という思い込みが、岩上氏には知られていたからでしょう。
岩上氏インタビュー引用の続きです。
「・・・強要されて、だまされて連れてこられた人達がいる」という前置き質問に対して、戸塚氏はその内容に入らずにいきなり「所有物」と定義づけした問答ですが、肝腎の「どのような事実があるから慰安婦が所有物と言える」かの説明が一切ありません。
「今日はこういうイベントがあるからおいで」と「騙されて行ってみたらそれほど面白くなかった」という場合、騙された人が奴隷になるでしょうか?
ご馳走してやるというのでついて行ったらラーメンだった場合、騙されたと言っても、奴隷になるわけではありません。
財産犯罪にも泥棒から強盗、恐喝、詐欺横領等いろいろ分かれていますが、騙されてもその結果によって効果はいろいろです。
騙された結果財産上の損害の場合詐欺罪ですが、「子供が泣いてるよ!と嘘を言って持ち場を離れさせたり、仲間が商品説明を求めている隙に別の商品等を持ち去れば詐欺ではなく窃盗です。
「騙された」と言ってもその次の行為や結果によって、言葉の定義が色々に変わることは、戸塚弁護士は法律家として常識のはずです。
騙されて行った先で「監禁されるなど逃げられない状態で反人道的行為を強制されて初めて奴隷的境遇」になるのです。
慰安婦の自由はどうであったかなど肝腎な点について何も検討せずに(騙されて連れてこられた慰安婦が何%いるかも検証していない様子ですが、)仮に「騙された」としても、騙された人間がいきなり誰かの「所有物」になるという超短絡的結論ですが、こういうムチャな論理思考自体単なるミスとは到底思えません。
弁護士でありどこかの大学教授も兼任しているという人物が、国際政治の場で日本政府追及の重要論拠として何年も使ってきた意見ですから「思いつき意見でよく調べていませんでした、ミスです」では済まないでしょう。
「ミスではあり得ない」とすれば、特定政治勢力に利するために「無理なこじつけ」をしたと疑いが濃厚になります。
こういう大胆(=短絡)発言・政治能力?を評価して大学教授にした大学も相当なものです。