国民総意2と神威

古代ではモーゼ・・神の啓示・・我が国では神威?宇佐八幡の御神託などの受信能力のある人・結局は意味不明ですが、卑近な例で言えば企業経営での投資・撤退決断等々集団トップに求められる決断力でしょうか。
宇佐八幡の御神託についてはJan 16, 2020 「神は民族利益を超越したか?」でも少し触れました。
政治家で言えば、国内や世界情勢の空気を読む能力であり、読みが狂うとリスクを取る立場ですが、いつもギリギリ決断の積み重ねです。
各種評論家、学者はその道のプロのように見えますが、「無数の与件が一定としたら」こうなる・こうすべき論にすぎません。
厳格なルールで行われるスポーツでさえも選手の体調、気温風向き等による誤差が生じますし、政治経済などの社会現象では何万あるか不明・無限大要素の組みわせですから、与件一定などあり得ないので、高名な評論家・学者等が経営や政治家になって成功した事例は皆無に近いでしょう。
「政治の世界は一寸先は闇」というように、数分後の大地震や今回の中国武漢発のコロナウイルス騒動による大リスクなどは合理的分析では予測不能です。
安倍総理の中東歴訪直前に米国によるイランの司令官殺害とこれに激昂するイランがどう動くかの緊迫した情勢下で、安全保証専門家が総理に示した選択肢が数種類あって(これが官僚システムの原則らしいですが)総理がその中で最も順位の低い予定通りの歴訪を選んだということでしたが、結果的にイランによる米軍基地へのミサイル攻撃が限定的だったことで報復合戦のエスカレートにならず歴訪決断が良かったことになります。
このような限界状況下では、プロの高度判断に頼るしかないことが今でもいっぱいあります。
政治の世界では世界中の情報が手元に揃っていない中での(後講釈は誰でもできると言われる所以です)緊急判断が求められることが多いので、直感力.神の啓示の受信能力のレベルによります。
サッカー・ラグビーなどで瞬時動物的勘による的確なパスや移動、戦闘現場での司令官や救急担当医師等の専門家判断の場合鍛え抜いた訓練の結果でしょうが、政治家の場合鍛え抜いた直感と神の啓示受診能力双方が必要な感じです。
菅直人氏には市民運動をしてきたせいか?で緊急時の胆力というか現場指揮経験がない・・実務能力欠如が目立ちました。
方向性がズレましたので東北大震災による原発事故に関する国民総意に戻しますと、当時の日本は敗戦時同様の国難に遭遇して悪くいえば民族挙げての総ヒステリー状態下で国民挙げて国家民族のいく末に誰もが想いを致す特殊環境下にあったので「民族意思が形成された」状況であったというべきでしょう。
国民全員に憑依した原発に関する国民総意は、「もともと危険なものである」「この危険なものが、通常状態では飼い慣らせる・危険除去施設設置は可能であっても、突発的自然現象については中短期的将来の科学技術の発達によっては予測不能である→100%安全確保できない」というものでした。
ただし、「いつ自然の猛威が襲い掛かるか不明であるので、すぐやめると電力不足で社会生活が成り立たない現実を踏まえ、代替発電産業の成長するまで最大限危険予測を鋭敏にしながらも代替電力が成長するまで「恐る恐る運転継続する」という国民総意があったことになります。
例えば、東北大震災級津波がいつどこに来るか不明ですが、だからと言って日本中の海岸ベリの生活を全員一斉に明日から放棄するわけにはいきません。
東北の大津波に被災地で明日もう一度津波が来ないという確信がなくとも警戒しながら海岸ベリで堤防その他の復旧作業を続けています。
要するに「危険が否定できないからすぐやめる」という選択肢を国民総意が取らなかったのです。
こういう考えは原発に限らず、もともと法律学で「許された危険」という基礎理論の応用です。
卑近な例でいえば、車の場合、交通戦争と言われ最盛期には年間1万人以上に事故死者が出ていましたし、今でも自動車による死亡事故を皆無にすることはできないが、社会的に有用な道具であることを理由に製造販売使用が許されています。
料理も食中毒の危険が否定できないからと、フグやキノコに限らず何もかも禁止していれば多種多様な日本の食文化が生まれなかったでしょう。
飛行機も墜落しない保障がありませんが、今よりもっと危険性の高かった初期から許容されて技術開発の結果次第に安全性が高まってきたものです。
原発というか放射能漏れによる死者が一人も出ていないのに比べれば、車の被害の方がその何万倍も大きくしかも(死者だけでなく傷害・物損事故の方が死亡事故の何十倍もあるほか排ガス公害など)現在も日々発生しています。
原発に限って、危険の可能性があるという程度で停止命令を出すことは国民総意に反していないかの違和感です。
伊方原発で稼働停止命令が出たとの報道ですが、この国民総意を無視して司法が「危険性がない」証明を求めたとすれば危険を除去できない前提の国民合意・・与野党合意を無視した判断となります。
できるだけ慎重審査するという政府の決めたルールを守っていないという判断でしょうか?
決定文自体がまだネットに出ていないので正確な決定理由が不明ですが一応引用しておきます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200117/k10012249231000.html

伊方原発3号機 運転認めない仮処分決定 広島高裁
2020年1月17日 18時02分

・・広島高等裁判所は、地震や火山の噴火によって住民の生命や身体に具体的な危険があるとして、運転を認めない仮処分の決定を出しました。・・

伊方原発の敷地の近くに地震を引き起こす活断層がある可能性を否定できないとしたうえで「原発までの距離は2キロ以内と認められるが、四国電力は十分な調査をせず、原子力規制委員会が問題ないと判断した過程には誤りや欠落があったと言わざるをえない」と指摘しました。

また火山の噴火に対する安全性については、熊本県の阿蘇山で噴火が起きた場合の火山灰などの影響が過小評価されているという判断を示しました。

米国の高家賃3(継続しない社会)

社会のあらゆる分野で更新(継続)原則社会にするか自動終了社会にするかは、社会の在り方の根本を規定するものですからこのような基本法が成立するかどうか自体が、庶民を大事にする社会か否かのバロメーターです。
日本では地代や家賃を地主や大家の都合で簡単にあげられない制度・・昨日紹介したように更新原則制度(終身雇用の定着もこの原理によります)が大正時代から始まって定着していますが、住宅価格が上がれば家賃もあがる→ストレートにホームレスが増える結果から見ると米国には(個別対応法があるとしても、それでは政策が後手に回ります)こうした基本的制度がないのでしょうか?
ネット企業ではアマゾンなどネット企業の横暴さについて、ある日いきなり出店条件改定を突きつけられたという悪評が目立ってきました。
日本のゾゾタウンの場合、アパレル等大手が多いので逆に出店中止の動きが出ている例が報じられていますが、報道に出ない中小の出店者は契約解消するといきなり販路を失うので一方的改定通告の言いなりのようです。
契約自由に対する「規制さえなければ何をしても良い」という「悪しき自由主義」・・「法家の思想・法万能主義」は性悪説に始まっていることを15日に書きましたが、この基本思想が米国社会を蝕んでいるのでしょうか?
(一般に「せいぜん、せいあく説」と習いますが、日本語で表現すれば「しょうよし」と「しょうわる」ですからピンとくるでしょう)
欧米で発達した近代立憲主義政体・3権分立制度は権力はいつも悪いことをするという性悪説的思想を骨格とした猜疑心を前提にしています。
今では三権の抑制均衡にとどまらず、公正取引委員会その他第三者的機関がどんどん増えているし、企業も監査役の充実にとどまらず外部委員や社外取締役制度の拡大(ゴーン氏の事件でより一層勢いを得ています)・近年流行のオンブズマン制度などはこれを権力同士の抑制均衡に任せずに多角的監視の必要性を拡大する動きと言えます。
西欧近代社会では人間は基本的に性悪(しょうわる)の人が多いから「しょうわる説」で国家や組織運営するし国民も皆納得しているのでしょう。
現在野党はこの動きを手放しで「良し」とする気風に便乗して古代法家の思想の純粋適用的国会活動をしているように見えます。
統計「不正」主張問題では(その後何が出るか不明ですが)今まで出ている情報では「やっていることが善意で結果が良くても職分を超えて仕事をすれば処罰すべき」との考えでルールに反してさえすれば、批判することを職業にしているのが現在野党のように見えます。
社会に警察や監察部門が必要なようにこういう部門に目を光らせる政治家も一定数必要ですが、これが政治全部の役割と思って国会議事がそれ中心にするのは社会のあり方として不健全です。
企業の総会で言えば経営計画の審議そっちのけで、経営陣に不正がないか・・しかも不正の有無ではなく「疑いの有無」ばかりに終始していて肝心の経営計画の議論をさせないような運営ではないでしょうか?
政治家の仕事が不正の「疑い」主張ばかりで良いと考えている人は、そこ(不正)に関心があるのではなく社会の少数者になっている僻みがあって、歪んだ視点ばかり増幅させる・・「自己内部に性悪(しょうわる)な部分を多く見たい心理の反映」ような印象を受ける人が多いでしょう。
事件処理で、「このことからなぜそういう主張に導けるの?」と驚くほど、相手の行動を捻じ曲げて解釈して憤っている人の感知能力の高さにど驚くことがありますが、「自分の場合こういうことをするのはこういう悪意を前提にしている」という自信があって主張しているとすれば「主張者の心の闇がすけて見える」ことになります。
日本では「法」があろうがなかろうが「やって良いことと悪いこと」の区別は庶民末端までみな知っていますが、上記のように「心の奥に性悪(しょうわる)気質が渦巻いている例外的な人も一定数います。
財布を落とした場合の届け出率は根拠不明ですが以下のように出ています。
xconsulting.jp/gyanburu/son/saifu.html

・・おそらく多くの方が財布が戻ってきたと答えるでしょう。なぜなら、日本において財布が戻ってくる確率と言うのは、私たちが想像している以上に高いのです。その確率は63%になり、世界的に見てもかなり高い確率なのです

高いといっても63%ですが・・。
ただし、落とした財布が100%落とし主の想定した時間場所で拾われるとは、限らないので37%の人が懐に入れているとは限りません。
(いつどこで無くしたかをはっきり知っている人はそんなにいません・・自宅内で探し物が思いがけない場所から出てくることが多い・・生活道路を歩いていると手袋の半分とかマフラーなど不思議なものが落ちていますが、落とした人はコートを着た時にマフラーを忘れたか、コートと一緒に手持ち移動のビル内で落としたか・/手袋の場合切符を買うときに落としたか?などとと思うのでしょうが、実は思いがけないところに落ちているのです・・電車移動の場合10分違えば乗った駅前広場と降りた駅前では全く別の場所で落としたことになり違った警察に行きます・・・財布の中に身分特定事項があれば検索可能でしょうが、特定事項が少ないとちょっと場所が違うだけで遠く離れた別の警察署に行くことになりそうです)
全国で落とし主の表れない数字を引き算しないと届けても戻らなかった人の数字だけでは正確な比率が出ません。
道徳律レベルにもどりますと「個々人の良心」に頼る率が比較的低いのでこと細かに契約で縛り法規制に頼るしかないのが米国社会なのでしょうか?
日本だって大正時代に借地法が出来、昭和で借家法が全国施行になったのは「えげつない商法」が少しでも出てくると放置できなくなったことによります。
日本の場合明治民法(現行法)で契約自由の原則その他西洋法制度を取り入れましたが、少しでも法制度悪用の動き・・日本的価値観で見ると「心得違いの動きがホンの少しでも出てくると大騒ぎになり、放置できなくなったことによります。
こういう場合にもイラン等の過激な主張・・欧米式近代法制度自体を根本から否定するのではなく、国民共同の価値観が欧米的法形式・流儀を利用して確認される点が、日本とイラン等と違いますし、膨大なホームレスが生まれてもさしたる国内議論にならず放置されているように見える米国との違いです。
香港、シンガポールなどIMF式自由を謳歌している地域(資産家移住奨励)で家賃急騰が目立つのは、・高額家賃を払える人がいる限りいくら上がっても良い・(払えない底辺労働者はマレーシアに出ていき、そこから通えばいい?)外部からの移住者が多く共同体意識が元々ないのが原因かも知れません。
ホームレス対策は、共同体意識によらない皮相的人権擁護論では、発生原因を見ない傾向・・(貧困者向け公営住宅が足りないのは結果でしょう)対症療法にとどまり限界があるように見えます。

更新・継続原則社会1(日本)

普通の労働者がホームレスになるようないびつな社会になりつつある原因を法制度の違いで見ておきます。
例えば契約更新を原則としない社会では、2〜3年契約の場合、2〜3年ごとに契約が自動終了しますので、大家にとっては次にもう一度貸すかどうかは大家の気持ち次第・・一方的関係になります。
前の契約が月額5万円であったか10万であったかに関係なく、契約終了後の新規募集価格を「月額13万」とすれば、元借家人かどうかに関係なくそれに申し込まない限り借りられません→契約期間終了すれば契約がない以上(ラーメンを食べ終われば店を出るように)家を出て行くしかありません。
法形式上は新規契約なのでどういう新規提案しようと「契約自由の原則」という論理構造のようですが、この辺は毎回行く店を変えても良いパン屋やラーメン屋が商品値上げ自由なのと本質が違っています。
パン屋やラーメン屋が1ヶ月後200円値上げすると書いてあれば、次から別の店に行くか?など顧客の自由選択ですが、住居や商店の場合「そんなに上がるなら契約したくない」という選択はよほどのことがないと(例えば1000円上がるのが嫌で引越しできるか?)できませんので、大家のいいなりになる傾向が強まります。
この違いに着目して日本では、大正時代から労働契約や賃貸借等の継続性を前提とする分野(講学上「継続的契約関係」と言います)では契約期間が終了しても(正当事由は滅多に認められない・労働分野では解雇権乱用の法理が確立しているので)原則として更新しなければならない制度設計になっていることを13日に紹介しました。
(元請け下請け関係は一見毎回個別の契約のようでありながら継続取引を前提としている関係でよほどのことがないと発注を打ち切れない商道徳関係に縛られます)
契約期間の定めがあっても更新(従前の契約条件がそのまま継承される)することが原則ですから、契約期間終了日が来ても自動的に契約が終了しません。
借家人が同意しなければ、更新しない理由として正当事由があるかどうかを裁判して争う必要があります。
正当事由とは何かですが、その例示として法律に「自己使用の必要性等の外・・」ですから、商業的借家や借地にこういう必要性などあり得ないので訴訟する人が皆無に近くなっています。

借地借家法(平成三年法律第九十号)
(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)
第二十八条 建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。
以前紹介しましたが平成の新法では自己使用等の他に「財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、」決められるようになった分流動化に資するようになっています。
「財産上の給付」申し出とは平たく言えば立退料の提案次第ということです。
参考までに大正10年からの借地法記載の正当事由の記載を紹介しておきます。
第4条
借地権消滅ノ場合ニ於テ借地権者カ契約ノ更新ヲ請求シタルトキハ建物アル場合ニ限リ前契約ト同一ノ条件ヲ以テ更ニ借地権ヲ設定シタルモノト看做ス 但シ土地所有者カ自ラ土地ヲ使用スルコトヲ必要トスル場合其ノ他正当ノ事由アル場合ニ於テ遅滞ナク異議ヲ述ヘタルトキハ此ノ限ニ在ラス
平成の大改革といってもこの程度の微温的改正でしたが大騒ぎになったものです。

この旧借地法や借家法は平成新法制定前の契約は旧法適用ですので、私も昨年から旧法適用事件で訴訟中です。
ただし判例理論が今の平成の法律とほぼ同じでしたので・いろんな法改正は判例実務の後追いが原則です・・不都合はありません。
14日に法家の思想紹介で書きましたが、日本はいつも法令改正前に実務が先行していく社会です。
社会の変化に法令が合わなくなる・・不都合が発見され、それを判例で修正していく流れで、その判例が世間の支持をうけて定着して行くとそれを新法令に変えていくという流れです。
象牙の塔にこもる研究者が社会の流れを先験的に見通して10年先の社会を前提にした法律案を提案するなど不可能なことですから、法はいつも実務変化の後追い作業になるのは当然です。
また現実に変化の芽も出ていないうちから10年先を見通した法案を提案しても国会での議決は不可能でしょう。
「今起きている変化の芽からこれが大きな潮流になりそうだからこの方向の規制をしたり緩める」というのを否定するのではなく、この変化が先に起きるのは実務界であり既存法令で不都合があるときに法規制の範囲をめぐる係争が増えてくるので半例が先行指標になるという意味です。
借地借家で言えば、時代の変化に合わせることも社会的にある程度(自己使用目的でなくとも都心のビル街で古い瓦屋屋根の家を温存しているのは社会的マイナスです)必要なので立退料支払いでの法の穴を埋めてきた実務慣行(知恵)があったのを法で明記し認証したことなります。
元に戻りますと、日本では期間満了=新契約ではなく・・「前契約ト同一ノ条件ヲ以テ更ニ借地権ヲ設定シタルモノト看做ス」・・ 契約が同一内容のまま継続ですから、家賃を高くするには家賃や地代賃上げ・契約変更の場面になることが重要です。
「契約は守られるべし」というのがローマ法以来の原理ですから、相手が応じない限り裁判所の変更可否の判断手続きが必須です。
(労働法では賃上げ〜賃下げ交渉)
13日に借地借家法で書いたように意見が合わないと契約関係を維持したままの法的争いに移行します。
訴訟手続き等で鑑定等を経て結果的に大家の値上げ要求が正しかったとしても負けた方は差額に利息をつけて払えば良いだけですから、それほどのリスクはありません。
大家の方は、鑑定費用や弁護士費用等を負担するので、日本の場合1〜2万円程度の値上げ目的では裁判で勝っても費用倒れです。
しかも裁判所はいくら土地が急激(個別取引事例ではなく統計的に)年間1割といえばかなりのインフレですが)に上がっていてもそのままの引き上げを認めない運用が定着しているので、この種の争いをする大家や地主がいない・・何十年も同じ家賃のままというのが普通になります。
イギリスのエンクロージャムーブメントで小作人がいとも簡単に追い出されてしまうのを奇異に思うのが日本人です。

メデイアはきちんとした調査を!

以上見てきたように日経新聞報道による最高益と手元資比率の関係は、どの対象を調べた数字か不明なので合理的比較をできないようになっています。
11月25日の記事では、最初の方に「日本経済新聞社の調査では企業の17年度設備投資額は前年度比13、6%増と4年ぶりに2桁になる見通しだ」というだけで、この調査がだいぶ後に書いてある「積み上がったのが手元資金だ。直近で過去最高の117兆円と00年に比べて8割増えた。」という手元資金の数字根拠にもかぶるのかすらはっきりしません。
仮にかぶるとしてもどこの業界発表の数字を集計したのですらなく自社で独自?「調査」したというのですが、そもそも何を調査したのかすら書いていません。
日本企業全部または上場企業だけか、従業員何百人以上の企業または資本金何十億以上全部調査したのか、回答率何%か回答しない企業をどのように推定したかという方法などすべて闇の中です。
私の意見では、手元資金の大まかな第一次基準は月商規模によるべきで、投資計画中で資金蓄積中などは個別事情によるというものですが、第一次的妥当性を見るために月商と比較しようとしても、日経新聞社調査によるというだけで調査対象を書いていないので比較対象すべき企業群が不明です。
「直近で積み上がった手元資金は117兆円だ。」の手元資金が上場企業全部ならば、上場業全部の月商合計が必要ですし、日本企業全部ならば、日本企業全部の月商が必要です。
あるいは業界別の聞き取りによるというのならば、業界平均の月商が必要でしょうし資本金何億円以上の企業集計かもしれません。
数字根拠を出さない報道の仕方は、その数字が正しいかどうかのチェック不能にするばかりか、その数字を前提としたその先の議論の材料にもできない点で、第三者参加による合理的議論の積み上げに寄与しない不毛な報道の仕方であるように思われます。
そもそも第三者との合理的議論の高まりを期待していない・・議論に自信がない報道だからデータ出所をださないのでしょうか?
思想表現の自由は、思想市場で合理的議論対象にできてこそ必要で有用なものです。
ムードを煽るだけの言論に有用性があるのでしょうか?
個々人にとっては、合理的な調査をする時間も能力もないので「何かおかしい」というだけでも表現の自由が必要ですが、マスメデイアが根拠を合理的に示さずにムードだけけ煽るのは危険です。
ところで、仮に日本企業が必要以上の手元資金を保有しているとしても、メデイアはこの主張を繰り返すことによって何を実現したいのか連載意図が不明です。
その主張によって日本経済をどのようにすべきだという目的があるのでしょうか?
メデイアが何の政治経済効果を求めて「企業が儲けを溜め込んでいて投資に振り向けない」と批判するシリーズを組むのでしょうか?
韓国では内部留保課税実行で雇用促進を狙ったものの配当が増えるだけで終わっていることを11月19日に紹介しましたが、韓国と日本とでは経済活動の実情が違っています。
韓国では大卒や若者の就職率が低く、失業率の高さが危機的状況にあることが知られていますが、日本では求人が求職を超えていて人手不足のため受注に対応し切れない・・事業規模縮を縮小するしかないほど・たとえば宅配大手のヤマトでは配達回数を減らすために指定時間枠を減らすしか無くなっているのがその象徴で、就職難で困っている韓国とは実態が違っています。
http://www.kuronekoyamato.co.jp/ytc/info/info_170317.html

配達時間帯の指定枠の変更(平成29年6月中)
(1)「12時から14時」の時間帯指定を廃止します。
(2)「20時から21時」の時間帯指定を廃止し、「19時から21時」の時間帯指定を新設します。

今朝の日経新聞朝刊2ページには大きな見出しで「外食無休もう限界」という記事が出ています。
無休前提の外食業界も人手不足に勝てないので(交代勤務要員の手当てがつかない)徐々に深夜終日営業を切り上げていましたが、ついに無休営業をやめて休業日を設けるところが出てきたということです。
他方韓国では大変な雇用状況が以下の通り報道されています。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-12329294824.html

2017-11-21 05:00:00
韓国、「身勝手」日本と同盟組まぬが「大学生就職」宜しく!?
韓国の就職状況は惨憺たるものだ。『中央日報』(11月2日付)は、その実態を次のように報じた。
「11月1日、韓国経済研究院によると、日本の8月求人倍数は1.52で、2015年1月(1.15)に比べて0.37ポイント上がった。就職希望者100人が就職できる雇用が152という意味で、52の雇用は労働者を求めても得られない状況だ。韓国は同期間の求人倍数が0.68から0.62にむしろ後退した。就職希望者100人が62の雇用をめぐって競争しているという意味だ。日本や米国はここ2年間、雇用環境が急速に改善されている一方、韓国の雇用事情は依然として停滞しているためと分析される。日本はアベノミクスのおかげで恩恵を受けている。
・・・・
1)「韓国外交部の趙顯(チョ・ヒョン)第2次官が11月13日、東京で日本政財界の要人と会い、韓日関係改善に対する韓国政府側の意志を伝えた。韓国外交部は『趙次官は日本経済団体および政府関係者の面談時、韓日関係改善に向けた韓国政府の意志を伝えた』と明らかにした。また『韓国人材の日本企業就職増大の必要性を強調した』とし、『日本側もその必要性に共感し、今後、双方の緊密な協議を通じて、日本企業が希望する韓国人材に対する情報提供、韓国学生の日本留学の増大および現地就職支援など協力方案をより具体化していくことで一致した』と伝えた」
このパラグラフを読むと、外務次官の訪日目的は就職依頼である。その前段に、日韓関係改善とあるが、主題は就職依頼だ。
・・・・
(2)「韓国人材の日本企業就職増大のための具体案として、趙次官は韓日大学間の相互単位認定制度の拡大を通じて、韓国の大学3年生が日本の大学4年生の課程履修後に現地で卒業および就職する案を積極的に推進することにした。また、日本の法務省や厚生労働省ともこの方案を進めていくための協力方案を協議していくことにしたと外交部は伝えた」

韓国学生の日本での就職促進で、具体案も持参していた。早手回しである。韓国の大学3年生が、日本の大学4年生に編入して卒業させ、日本で就職するという案である。数年前から韓国の就職難によって、日本の大学へ留学するケースが増えていた。日本語もその間に上達するメリットがあるというのだ。ただ、4年生からの日本留学案は、いかにも「羊頭狗肉」の感じだ。日本の大学を卒業するから日本人並みに扱って、就職させてくれというに等しい話である。」

この結果韓国は反日感情を一方で煽りながら同時に外交当局が韓国若者の就職を日本公式にお願いして来ている身勝手さを上記で書いています。
今の日本では、仕事(受注しても)が(人手不足で)間に合わないので投資を先送りしてほしい(オリンピック後に先送りしているプロジェエクト)分野がいっぱいあります。
一時の好景気よりも、長く続いた方が国民にとってもよいでしょう。
人手不足で各種プロジェクトを先送りする必要に迫られている我が国で、内部留保や手元資金過大をイメージアップし投資不足を強調する必要性がわかりません。
論理的でないのを知っているからこそ、非合理なイメージ報道しかないのかな?と思えますが・・。
韓国では国内投資不足を背景に内部留保課税を実行したものの一時的に配当が増えただけで雇用創出に結びつかなかったことを11月19日に紹介しましたが、日本では同じ問題・・失業で若者が溢れているどころか、逆に人で不足で事業縮小ているところが出ている始末です。
日経新聞の連載は日本の実情を地道に観察した結果の問題点指摘ではなく、韓国の緊急テーマを無批判に日本にそのまま持ち込んでいるのではないかの疑問があります。
アメリカで格差社会反対がブームになると日本中のメデイアがこれを煽っていましたが、日本社会に関係が薄いのですぐにしぼみましたが・・、主体性がなさ過ぎるように見えます。
朝日新聞のの慰安婦報道もそうでしたが、客観事実調査能力がないのではないでしょうか?

ロシアの脅威5(人民圧迫の反動としての残虐性1)

幕末の危機感として西欧列強の脅威ばかりを我々世代は教育されてあるいはメデイア報道で育ちましたが、幕末日本にとってはロシアが最大の危険な国であり、その抑制勢力として西欧列強との多角的交渉があった・・「同じルールでやってくれ」とロシアに言えるメリットを利用していたと見るのが正しいような気がします。
黒船来航ばかり教えられますが、西欧流儀の作法から見れば新興国のアメリカは(今も同じですが・・)少し乱暴な程度であって、基本的にはルールのギリギリまでやる程度でロシアのように問答無用式の実力行使まではしていません。
西欧諸国とその亜流・少し乱暴な米国とロシアの弱小国に対する交渉流儀の違いは、前者の来航は領土欲にあるのではなく、通商の利益を求めて来た立場である結果、交易開始後の商取引・・人間関係の重要さを前提にしているので無茶はしません。
商取引の場合、相手の好感度を獲得するのが重要・・だからこそどこの国・民族でも、他の職業の人に比べて商人は腰が低く愛想がいいし、その分相手の気持ちを汲むのに長けています。
ロシアの進出・膨張の場合は、支配欲の(金の亡者同様で「足るを知らない」)権化になっていることによるもので、商取引に主たる関心がない点が大きな違いです。
今でもロシアの主たる収入源は原油その他の資源しかないことから見て生活様式や価値観が変っていないと思われますが、資源獲得→まず領土・支配欲が先に来ている点が粗暴な言動に走る原因と見えます。
ロシアの場合、人民に対する過酷な支配・・帝政ロシアでは農民といっても「農奴」という表現で知られるように、世界の農民の中で最も最悪の環境下で隷従させられてきた社会です。
前近代においては人口の大多数が農民の社会ですから、農民の待遇が世界最悪ということは支配層と被支配層の関係・・人民大多数は世界最悪の過酷支配を受けていた社会だったことになります。
ロシアの場合、後進国特有の頭でっかちな運動による結果、まだ新政権を担うべき人材不足・・円滑に話し合い解決し運営する能力がない不幸で、政治関係者間では粛清に次ぐ粛清の恐怖政治をスターリン死亡後の1956年のフルシチョフによるスターリン批判まで続けてきました。
恐怖政治の内容は「穏やかな」表現による演説だったとはいえ、以下の通りです。
ソ連では、1956年2月、ソ連共産党第一書記フルシチョフがソ連共産党第二〇回大会においてスターリン批判の演説を行い、世界を驚かせた。公開の一般演説ではスターリン(53年死去)の名を挙げなかったものの、それまでのソ連共産党の公式見解である戦争不可避論(資本主義陣営との戦争は避けられないとする考え)を批判して、西側との平和共存路線への転換をはかり、また暴力的手段によるのではなく議会制度を通して平和的に社会主義への移行することが可能であることを呼びかけた。これは従来のスターリン体制からの大きな転換を意味していた。ただし、共産党一党支配を否定するものではなかった。
http://www.y-history.net/appendix/wh1602-035.htmlからの引用です。
スターリン批判
 それ自体が画期的な方向転換であったが、さらに大会最終日の2月24日から25日にかけて開かれた非公開の会議で、再び演壇に上がって『秘密報告』と呼ばれる報告を行い、スターリンを名指しで批判した。この秘密報告は、正式にいうと『ソ連共産党第二〇回大会非公開会議における演説』ということになっており、その表題も『個人崇拝とその諸結果について』というごく穏やかな名前になっている。この非公開の会議には、1355名の決議権をもつ代議員と、81名の審議権だけを持つ代表、計1436名が出席した。内外の記者、外国代表は退席を求められた。代議員もノートをとることを禁じられた。しかし、その内容が海外に漏れ、アメリカなどの新聞が報道し、世界に衝撃を与えた。スターリン批判の内容は以下の点であった。
スターリンが1934年の第17回党大会以降、自らに対する個人崇拝を「わがまま勝手に」押し進めた。彼はレーニンの「集団指導」を無視し、党大会や中央委員会を開催しなかった。
社会主義体制達成後も階級闘争は続くという誤った理論から、反対派を「人民の敵」として捕らえ、銃殺するという大量テロル(粛清)を行った。
その手先となったのはベリヤらであった。その下でテロルを実行した人びとはそれが社会主義圏説に必要だと単純化していた。(取調官ロドスの例)
スターリンは軍事的天才ではなかった。ドイツとの戦争ではその侵入を予測できず大きな損害をこうむる原因をつくった。地球儀で作戦会議を開く有様だった。また、軍隊の有能な指揮官に対しても粛清をもって当たった。
民族大虐殺にたいしても責任がある。
スターリンは国内をほとんどあるくことなく、農村の実情を知らなかった。
『スターリン小伝』『全ソ共産党小史』などで自画自賛した。
中国ではまだ毛沢東批判はタブーですが・・。
このおそるべき恐怖政治を世界に及ぼそうとしていたのが、コミンテルンの民族国家よりも世界共産化思想という名目でのソ連による世界支配の野望でした。
国内では、民族同胞親兄弟よりもソ連共産党思想への忠誠を上位に置き、内部にスパイ網を張り巡らせて親兄弟をも密告させて粛清していく・これを国際的に拡大したのコミンテルン思想です。
ソ連に本部を置きその指導のもとに、世界に民族や同胞よりも共産主義というなのソ連政府に忠誠を誓う「細胞」浸透させていく仕組みでゾルゲ事件で知られる日本や米国(ルーズベルト政権)も世界中の支配層や軍部内に汚染がひろがっていきました。
ソ連支配は国民に過酷な分、少数民族にはなお過酷でした・・支配下に入った少数民族に対しては、文字通りの過酷支配・・気にいらない少数民族をそっくりリシベリア送りにするなど過酷悲惨な支配の連続でした。
例えば14年のロシアによるクリミア併合以来関心の高いクリミア半島の住民構成の変化をウィキペデイアで見ると以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「クリミア・タタール人は、2001年の国勢調査ではクリミア自治共和国の12.1%、クリミア半島全域の10.2%を占めるに過ぎないが[32]、クリミア・ハン国が成立した中世後期以降にクリミア半島内でキプチャク系のノガイ族の遊牧民とオグズ系のトルコ民族、南部の山岳地帯や海岸部に住む元キリスト教徒の諸民族の子孫が混交して形成された土着の民族である[33]:74。1944年にヨシフ・スターリンの政策で中央アジアに強制移住させられ、ソ連末期の1980年代末からクリミア半島に帰還し始めた[34]
以上のように原住民・土着民族(100%近いのが本来でしょう)が今では帰還が進んでも10、2%を占めるに過ぎない状態です。
ソ連支配下でシベリアに何かの嫌疑?を理由に民族丸ごと強制移住させられてしまった歴史があって最近帰還が進んでいるというのですがそれもやっと1割しかいません。
帰還できるようになったのは、スターリン批判後徐々に民主化が進んだ結果でしょうが、多分ソ連崩壊後ウクライナ領になって大幅に進んでからのことでしょうから、・・再びロシアに併合されるとこの先どうなるか・・多分ロシア人の人口比が大幅に上がるのか?・・分かりません。
北海道が仮にソ連領になっていた場合、ほとんどの日本人がシベリアに送られてその7〜8割が過酷な強制労働による病死等でなくなっていた可能性が大でしょう・・そして北海道にはロシア人の人口が多数派になっていたかもしれません。
日本のように日露戦争報復意識のない単純併合されただけのバルト3国やカフカスなどでも、ロシア人比率が上がっています。
以下ウィキペデイアによると
ラトビアの例
▼民族構成
ラトビア人が62%。(バルト人)
ロシア人が27%。(東スラブ人)
リトアニアの例
人口の83.1% がリトアニア人である。少数派としてポーランド人(6.0%)、ロシア人(4.8 %)、ベラルーシ人(1.1%)、ウクライナ人(0.6%)などがいる[51]。

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