GDP指標の意味2

今の国家や企業運営に置き換えれば、アナリストや統計学者が採用するサンプル対象数字だけを追う経営・・試験問題だけ特化して勉強して好成績を取っている秀才みたいです。
過去問集が市場に出回っていますが、これはそっくり同じ問題が得るという意味ではなく、その問題で求めている論点・思考回路を理解しましょうという意味である程度合理的ですが、そっくり同じ問題を5年も10年も出題すれば、意味不明なまま丸暗記してきた受験生が好成績になり、本来の実力を測れません。
例えば日経平均採用銘柄(ダウも上海総合も皆同じ)中心に買いを入れる、あるいは売り浴びせる偏った運用などがあるとその指標が信用できないのに似ています。
私の子供の頃には、品質を見るために米俵(当時は藁を編んだものでしたので先を尖らせた篠竹を簡単に刺し込めました)のに細い篠竹を差し込んでコメを抜き取って検査する方法がありましたが、これは出荷した大量の米俵のどの部分に検査官がいきなり差し込むか不明なので、結果的に均一化が図られる仕組みでした。
国土防衛が重要なのは領内の住民の生活が、夷狄に荒らされないこと・・いわば強盗から守るこことが目的であって、侵略軍=強盗との戦いに勝って侵攻軍を追い返せば住民を守ったことで英雄ですが、侵略してこない相手に攻撃して勝った場合・どんな戦争でも戦争に勝てば英雄という意味ではなかったはずです。
いつの間にか支配者の自己満足のための戦争でも戦争に勝てば英雄となってしまったように思われます。
こういう政治や企業運営では国民や社員その他ステークホルダーが困ります。
一家の稼ぎ柱のお父さんが猛烈に働くのはありがたいけれども、4〜50歳で倒れてしまうのでは家族が困るでしょう。
アレクサンダーや漢の武帝、ナポレオン等の遠征に次ぐ遠征成功は彼らの名声には寄与したでしょうが、戦役に駆り出される人民にとっては負担が増える(租庸調等人民負担の中でも兵役の義務は最悪でしょう)ばかりで「いい加減にしてよ!」というところで何の意味もなかったでしょう。
アレクサンダー大王は終わりの頃には武将から反対されてインドから引き返したとなっています。
アレキサンダー大王に関するウイキペデイアの記事から一部引用です。

紀元前356年にペラで生まれ、20歳で父であるピリッポス2世の王位を継承した。その治世の多くをアジアや北アフリカにおける類を見ない戦役(東方遠征)に費やし、30歳までにギリシャからインド北西にまたがる大帝国を建設した。戦いでは敗れたことがなく、歴史上において最も成功した軍事指揮官であると広く考えられている。
・・紀元前326年、「世界の果て」に到達するべくインドに侵攻し、ヒュダスペス河畔の戦いでパウラヴァ族に勝利する。しかし、多くの部下の要求により結局引き返すこととなった。
紀元前323年、アラビアへの侵攻を始めとする新たな遠征を果たせないまま、首都にする計画だったバビロンで熱病にかかり32歳で死んだ。その死後、彼の帝国は内戦(ディアドコイ戦争)のよって分裂し、マケドニア人の後継者(ディアドコイ)によって分割支配されることとなった。

その結果中東地域にギリシャ文化が広まった功績・・・ナポレオンの大侵略戦争によりフランス革命の成果が欧州に広まった功績があるとしても、それによってマケドニアの地元民やフランス国民にとって何かメリットがあったのか不明です。
フランスもナポレオンも当初亜h防衛線sのであたtでしょうが次第に防衛の枠を踏み越えて支配欲獲得の動物的欲望に転化していったので、国力を消耗し尽くした結果、次の時代・19世紀英仏の世界規模の覇権争いに負けてしまった・特に北米にせっかく進出していたフランス植民地をほぼ失った原因になったように思われます。
戦国時代のように国内の乱れを統一するのは、戦乱で困っている国民には朗報・・戦乱で逃げまわらなくとも安心して学問や製造販売に打ち込めるなど朗報ですが、外国との戦いでは、負けて異民族支配され略奪されるのは困るというマイナスを防ぐ程度で十分であって、自分から遠征に参加して略奪者の仲間になりたい国民は滅多にいません。
十字軍遠征は、戦利品目的のファンドが組まれたとすら言われますが、そういうことを楽しみにして遠征団に自発的応募する人は、一般国民ではなくもともと生きている意味がない自暴自棄的無頼集団がいっぱい居たというべきでしょう。
まともな生活をしている人が、自分の生命をかけてまで出かけていって掠奪暴行したい人がいるでしょうか?
上記の通り外国との戦争で勝って国王の統治範囲が広がっても、一般人にはほとんどメリットがありません。
例えば、同じ生活水準の国同士で言えば、商人にとっては合体による市場規模の利益があるようですが、これは今でいう関税障壁がなくなるということになります。
負けた国の商人も勝った方の国でも相互商売(スーパーやコンビニ展開)できるので、本当のメリットは関税障壁のない状態の自由競争・・FTA締結したのとほとんど変わりません。
旧相手国が合体した結果相手国に進出して商売に勝てるかは、商人間(バックの製造業・製品レベル)競争で勝つ自信がない限り自国のテリトリーが広がるメリットはありません。
民力の差がないのに軍事力だけ磨いて勝っても、市場一体化後商工業レベルの競争で勝てない限りかえって自国産業が損をします。
アメリカトランプ氏の言動は、米国が国際競争に負け始めたのでグローバル化・経済一体化は損だと気付いて従来標榜していた自由貿易を制限したくなったのを素直(日米繊維交渉に始まり米国はもともとそういう国でした)に言いだしたものです。

沽券・メンツにこだわる文化5(韓国起源説)

韓国は通貨危機再来を恐れて、日本に必死になってスワップ協定を頼みながら、国内では「日本が困っているから助けてやった」と説明していたらしいですから、日本は朴政権による慰安婦攻撃以来、表面で日本攻撃しながら裏でこっそり頼んでくるずるいやりかたに応じない姿勢に変わりました。
麻生副総理・財務大臣は再三「韓国が協定して欲しいならば検討する」という態度を明らかにした結果、韓国政府が日本を助けるためにスワップ協定をしてやったと国民に威張っていた手前、今更公式に日本に「お願い」できずに困っている状態です。
世界最大純債権国日本が何の必要があって韓国に相保証を求める必要があるのか・・世界中の人が聞けば呆れるような論理で自己満足して来たのが韓国政府であり民族レベルです。
何かある都度北朝鮮や解放前の中国では、何でも日米が悪いという紋切り型の声明で米国や日本批判していて、「箸にも棒にもかからない」どうにもならない相手と思われてきましたが、慰安婦騒動以来の韓国の動きをみると韓国も同じであることがわかってきました。
韓国とは何回国家間で合意しても・・国民感情が・・という結果になる原因は、一つには本来の被害者無視・・慰安婦 や徴用工の問題も日韓条約で解決したのに、国民に説明・分配せずに日本から得た資金を政府の懐に入れてしまったことが基本的原因です。
韓国・朝鮮人は歴史が始まって以来、実際と天地逆転の政治行動をする・・明々白々なことでも嘘を言い張ってシラを切り通す・「恥を知らない」民族かな?と想う人が世界中で増えてきたようです。
この後で紹介するように「何でも韓国起源説」が世界に流布するようになって、世界中の人が日本の苦労を理解するようになっています。
反日無罪という中国熟語がありますが、反日目的で国民に荒唐無稽な嘘ばかり教えてきた結果、国民全般に「いくら嘘を言っても良い」という信念は植え付けられてしまったツケが漸く世界1周で?回ってきたのです。
今年5月頃に就任した文大統領は、日韓慰安婦合意を無効化するとは言えないまでも、「国民感情が・・」と「政府合意と国民は別」という二枚舌を使おうとしているのはその1変形です。
外来文化を受け入れて消化できるほどの独自文化がない民族では、外来文化そのものを丸ごと受け入れて自国文化のように思い込むしかない・・自国独自文化をモテない悲哀というべきでしょう。
日本では外来文化流入が細っても平安文化に始まって安土桃山〜江戸時代も独自文化の花を咲かせましたが、そもそも世界中と交際をやめてその間に独自文化や技術を発展させられるような民族がいくつあるでしょうか?
ほとんどの民族では交流による文化技術導入しかない筈ですが、要は1を聞いて10を理解する民族か、1から10まで手取り足取りして教えて貰わないと何もできない民族かの違いです。
ソ連や中国は鉄や竹のカーテンを引いている間に全く遅れてしまい自力発展性のない民族レベルを証明して世界に恥を搔きました
この間李氏朝鮮や今中国のように 内外に向かって栄光を主張していたので結果的に虚栄の社会でした。
その他の国ではどうでしょうか?
西欧では、イギリスは海賊で覇を唱えただけで文化らしい物がないとしても、産業革命を自力で起こした点で偉大です。
ドイツはイタリアに通っているうちにクラシック音楽を創始しましたし、化学や各種機械技術分野では先駆者的不動の地位があるように思われますが・・フランスは何か独自に起こした文化があるのでしょうか?
近代思想の創始者デカルト・パスカル・モンテスキューなどの思想家でしょうか?
もしかすると中世文化の基礎になる修道院文化の名残り・花が開いたのかも知れません。
人間個人で見てもいつも誰かと間断なく交流していないといられない人と10日でも20日でも黙って自宅に落ち着いていられる人と比べて「どちらが人物か?」という基準がありますが・・。
揺るがない自分を持っている人は、精神が安定しているように見えます。
韓国では孔子に始まって色々な中国や日本起源のものを何でも自国起源だと言い募る不思議さの基礎・・独自文化を持ったことがない哀れさが原因です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC
「韓国起源説とは、韓国の個人・団体などが、他国の文化などの起源・伝播を朝鮮半島に求める、根拠不十分で非合理な言説群の俗称。韓国起源論ともいう。学者や文化人が個人的に主張する説から、公的団体が正式に主張する説まで多岐にわたり、一時的にマスメディアで流布される場合から、継続的に国際的な広報活動が行われる場合まで様々である。特に、日本文化や中国文化が対象とされる場合が多い。」
「韓民族優越主義的な視点で主張される点では広く共通しており、特に日本文化に対する起源説の主張では、小中華思想と公教育に基づいた強い対日蔑視の視点で主張される事が多く、様々な日本文化が剽窃され韓国文化として外国に宣伝されている[1]。 他の国ではあまり見られないこの現象について、「韓国人の劣等感が原因」との韓国の大学教授の指摘もある[2]。また「韓国は古代より小さな属国だったため自信がない。そして歴史・資源・世界的な地位などあらゆるものが不足するなかで手段を選ぶことなく自分の物であることを主張するようになった」と分析した中国メディアもある」
「朝鮮日報・東亜日報・中央日報のような大手マスコミや、学者や有名作家が韓国起源説を堂々と主張・報道したり、韓国起源説に基づいて映画が作られたりする。世界に向けては、2002年アジア競技大会組織委員会や大韓剣道協会のような公式国際団体が韓国起源説を主張したり、Japan Expoや韓国政府が後援する Korean Connection のような国際的なイベントで、韓国起源説に基づいた対外文化広報が行われたり、移民した在外韓国人が現地で積極的に韓国起源説を広めたりする[7]。これらを鵜呑みにしたネット記事・投稿が氾濫し既成事実化が進み、ついには韓国の教科書に記載されるようになる。さらに、事実無根の起源説が別の起源説の根拠になるなど[8]、仮説や希望的観測に基づいた虚構が「歴史的事実」として流布されている[1]。」
「世界で有名になるとその文化に対する韓国起源説が主張され始める場合が多い。例えば韓国では侍や日本刀や桜は「野蛮な日帝の象徴」として長らく忌み嫌われていたが、侍や毎年春にタイダルベイスンで開かれる全米桜祭りのソメイヨシノがアメリカで人気を博していると認識すると、大規模に韓国起源説を主張し始めた」
慰安婦報道のように虚偽報道が繰り替えされると相互に引用されて行くので、あたかも事実のように成長して行く方法です。
嘘つきの総本山みたいな民族が、どうして出来上がったのでしょうか?
韓国北朝鮮の研究をすれば、どうすれば恥も外聞もなく嘘を白々しく言い通せるようにな人間が育って行くかの研究になるでしょうが、ヘイト助長とする言う理由でタブー視されている結果、多分公表されることはなさそうです。
李氏朝鮮・支配層が長い間、遅れた文化水準を隠蔽するために外面と内面を使い分ける政治・・まさに嘘そのものです・・をしてきた結果、民族全般で虚偽主張に慣れてしまったのではないでしょうか?

沽券・メンツにこだわる文化(韓国の戦後貧窮)4

昨日紹介したhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shazai/4shou.html
の引用の続きです
「韓国のように資源のない国で、国を興すには貿易に頼るしかないはずである。しかし李承晩は独立前最大の貿易国であった日本との国交回復を拒否し、物乞いと強請に徹したのである。
今では信じ難いことだが、昭和三六年朴大統領が政権を取ったとき、韓国は北朝鮮やフィリピンより貧しかったのである。一人当たり国民所得の推移を下に示す。(単位 ドル)
 韓国は日本の搾取を非難するが、搾取した日本が去った後、所得格差は縮まる所か、逆に拡大したのである。勿論朝鮮戦争で国土が荒廃したことが大きいが、これとて朝鮮人同士の勢力争いが原因である。国内でも李承晩は派閥抗争に明け暮れ、ライバルを次々暗殺することに熱心であり、国民のことは全く考えなかったように思える。アメリカが統治能力なしと考え、国連統治を目指したが、その心配通りとなった。

昭和年   33    40     45     50     55
日本   320   760    1920   4450   9020
韓国   121   120     250    580   1450
北朝鮮  190   330     450
フィリピン  198   150     210     380   710
韓国の発展は昭和四〇年以降である。従って韓国の発展は明らかに彼ら自身の懸命な努力の成果である。昭和四〇年は韓国がベトナム戦争に参戦した年である。そして日韓基本条約を締結した年である。ベトナム特需により韓国経済は急激に進展した。しかし何故その時、フィリピン経済は韓国経済のように伸びなかったのであろうか。フィリピンはかってのアメリカの植民地であり、ベトナムには韓国より近い。フィリピンはベトナム特需の受注にはより有利な状況にあった。しかし韓国はこのチャンスを生かし、フィリピンは活かせなかった。この理由は韓国とフィリピンの潜在能力の差(工業の発展、インフラ整備の度合い、教育の欠陥等)である。
と同時に日本とアメリカの植民地政策の差である。」
オランダのインドネシア支配によって、飢饉発生の繰り返しによる人口激減が知られていますし、欧米による食糧援助という名の市場支配がアフリカ諸国部族の現地循環的生産システムを破壊してしまったことも知られています。
日本の朝鮮支配のゆるやかさは日本統治時代に入って朝鮮民族の人口が急膨張した結果から見てみ明らかですが、欧米植民地支配下では人口減少の一途だった点でも支配の実態・内実の差が明らかです。
欧米がアジ〜アフリカ〜中南米を何百年も支配している間に現地人は貧窮化する一方で同時に文化レベルが下がる一方だったのに対して、日本支配下ではすぐに現地人向けの学校を作ったりして民度向上策に務めて来ました。
戦後でも、日本が関わった韓国台湾アジア中国等では、例外なく短期間に目覚ましい発展を遂げています。
韓国は、天皇の表記が気にいらなかったのか?戦後頑固に日韓国交を拒否してきましたが、貧窮からはいあがれずに頼みのアメリカも昨日紹介した解説にあるように「これ以上面倒見きれない」となって、止む無く「日王」の主張を取り下げての国交回復ですから韓国民にとっては、「仕方なし条約」である点では、江華島事件後の修好条約と同じです。
その結果、屈辱外交の恨みが千年残っていることになります。
日本では、「日本の巨額経済技術援助で成長できたのに今になって不満を言うとは・・今になって次々といちゃもんをつけるとは・・」と憤っていますが、立場が変われば言い分が違います。
韓国にすれば悔しいけれども仕方なしに援助を受けたのだ・やっと一人前になったから言いたいことを言わせてもらうと言う立場なのでしょう。
敗戦でもう「終わってしまった」はずの日本にまた援助を受けてようやく成長できたと認めたくない気持ちです。
話し合ってわかる民度ではない・・かと言って、諸般の事情から仕方なしの和解をするようになっても心から納得出来ていないので、内心では恨みは連綿と一千年続くというのが朝鮮民族ののわがままな主張です。
こういう民族と何回「不可逆的和解」をしても意味がありません。
仕方ないから何でもいう事を聞いてやっていると(自分が圧倒的優勢な立場にたったと誤解して?)際限ない要求が出てくるので無理があります。
あまり執拗に言いがかりをつけてくるヤクザに「いい加減しろ」と警察を呼ぶのと似た状態です。
中国も日本から受けた経済プラス技術援助を国民にはひた隠しにしている理由が韓国同様ですから、日本の論理による恩知らずという単純批判では解決できません。
韓国は日本の経済・技術援助で実力以上の地位・・今では先進国クラブに入っていますが、成長したものの内実が伴わない・・一人前に振る舞うには背伸びし過ぎのストレスに押し潰されそうになっている印象です。
とはいえ、今の便利な生活も捨てがたいし・・という矛盾した心境でストレスに苛まれている・・会社務めの個人で言えば、療養休暇に入っていてもおかしくない状態です。
セウオール号事件での騒動や反朴運動も度を越した盛り上がり振り・24日紹介した文大統領の性急な施策を見れば、韓国では民主主義といえば、むちゃくちゃな要求を通すことが民主主義と思い違いしている様子です。
慰安婦騒動を大きくした張本人パク大統領に好感情を持っていない日本人が大多数と思いますが、彼女が自己の政治的立場を守るために始めたこととはいえ、「千年の恨み」と言うように近代社会化に心が対応できない国民感情を無視できないからはじめたことでしょう。
李明博〜パク前大統領が国民のストレス発散のために対日要求拡大を始めたのに、それがうまくいかないで逆に慰安婦合意(韓国民は千年でも日韓合意をしたくないのです)になってしまったフラストストレーションが大きく鬱積していたのは当然です。
1965年の日韓国交回復?は、その結果高度成長できたので釣り合いが取れていましたが、1昨年の慰安婦合意は韓国にとってわずか10億円でしかなく、メリットがありませんでした。
この鬱積の結果些細な不満でも爆発的になる下地があって朴前大統領を追い詰める原動力になったのですが、それにしても同大統領追い落とし感情の激しさ・・苟も自分達で一旦選んでおきながら、こんなに 悪しざまに扱う非道さに驚いている日本人の方が多いでしょう。
中国では戦争に勝つと負けた武将をいかにして辱めるかに精出してきた仁義のかけらもない国であると繰り返し書いてきましたが、韓国では今もその心情がすぐに息を吹き返すようです。
哀れな民族です。

沽券・メンツにこだわる文化(韓国の戦後貧窮)3

日本人学者にも「天皇と言うべきではなく日王」とお呼びすべきだという意見があるのかも知れませんが、これは憲法で決まっていることであるから、学問の自由の問題ではないでしょう。
憲法で「天皇」の」呼称が決まっている以上国家組織の一部である文科省が、どんな学説があろうと「日王」と言う学説を採用して教科書指導するのは憲法違反です。
ですから、「そういう主張があるから・・」という言い訳自体がおかしなことになります。
日王説が仮にあるとしても、天皇の呼称がどうあるべきと言う憲法改正論であって国家機関である文科省が、「日王の 呼称が正しいとする教育行政」をする余地がないのですから、そういう主張と天皇の呼称を天秤にかけること自体が許されません。
朝鮮民族にとっては、「日王」の蔑称こそは、どんなことがあっても取り下げられないということでしょうし、古代から日本には立派な人がいたと言う聖徳太子の存在は許せないことになっているようです。
何事でも穏便に話せばわかる相手ばかりではありません・・この話はどこまでいってもだから円満解決は無理でしょう。
どこまでいっても話し合い解決のつかないことがあるからこそ、最後は警察を呼び、裁判で決着し強制執行する制度がどこの国でもあるのです。
ましてパク前大統領自身が民族を代表して「千年でも・・」円満解決は受け入れないと断言してしまう民族です。
こういう民族と礼儀に乗っ取って話し合っても解決になりません・・相手自体が平和裡の話し合いでは「千年」譲ることが出来ないという立場を予め表明しているのですから・・。
相手の代表を蛮族の酋長よばわりして礼儀に反しないかを合理的に考える能力がないのです。
幼児や馬鹿が大人に向かってバカと言っても笑って受ければいいことですが・・。
相手にしないで放置しているとこの後で紹介する韓国起源説のように慰安婦その他デマ情報がいつの間にか世界の常識になってしまいます。
ところで、明治維新当初の国書中の「天皇」「勅令」等の文字が李氏朝鮮政府の気に障っての受領拒否になっていたのですが、これが江華島事件の後に朝鮮側がその非を認めて謝罪した上で日朝修好条約締結になったのですが、日本敗戦後再び天皇を国内では「日王」と言うようになったようですが、内外使い分けの矛盾・・大使公使の信任状授受をどうしているのでしょうか?
日本国憲法
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。
憲法では全権委任状大使公使信任状に天皇の認証が要求されています。
天皇の御名御璽のある信任状を韓国では明治維新当時と同様に「おもて向き」受領拒否しているのでしょうか?
江戸時代当初の通信使に対する日本側返書を 間に入った宗氏が改ざんした国書改ざん事件同様に・・と韓国政府の誰かが「日王」に改ざんして国内記録化しているのでしょうか?
維新当時天皇の文字のある国書の受領拒否していたように、日本敗戦に乗じて天皇の文字を消さない限り国書を受けとれないと言い張っていたのでしょうか?
敗戦後とは言え、韓国も事実上アメリカ保護下で独立した以上、アメリカの意向を無視できません。
アメリカの意向は現憲法にあらわれています。
日本国憲法の米語訳は以下のとおりで、第一条以下「エンペラー」なっていてキングとはなっていません。
CHAPTER I
THE EMPEROR
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the People, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
Article 2. The Imperial Throne shall be dynastic and succeeded to in accordance with the Imperial House Law passed by the Diet.
韓国が戦勝国一員としての地位を要求してダレスに拒否されたように韓国の要求はすべてアメリカ次第でした。
天皇の呼称を国王にしろと言う変更要求が韓国からあったとしてもアメリカが受付けなかったものと思われます。
こうした色々な不満の結果、戦後1965年の日韓条約にいたるまで、韓国は断固日韓国交を拒んでいました。
貧窮のどん底の韓国に対して、これ以上援助を続けられなくなったアメリカの後押しでやむなく日韓交渉に入ったために、日本の高度成長に対して貧窮のどん底にあった韓国は、天皇の呼称を日王に変えない限り条約締結できないとは言えなかったのでしょう。
戦後韓国経済の状態は以下のとおりで、生活費のすべてをアメリカに頼る状態で自力による生活能力のない・・国を挙げての生活保護受給者のような状態が続いていました。
以下はちょっと長いので2回に分けて引用しますが、日本支配が終わった時の自力能力・日韓条約時の韓国の民度・欧米の援助・植民地支配の特徴がよく現れていて面白い分析です。http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shazai/4shou.html
・・頼みの農業も日本、満州から大量の人が引き揚げてきたこと、肥料工場が北にしか無かったことから肥料不足になり、食料品まで不足した。日本統治時代は日本に農産物を売り、そのお金で、消費材を買っていたのが、その農産物すら不足する事態となったのである。更には北朝鮮からの送電を絶たれ、韓国の国民の命を守ったのは、一にも二にもアメリカの援助であった。
アメリカが軍政期三年間に行った援助総額は四億一千万ドルに達した。又昭和二〇年から朴正煕による五カ年計画が始まる前年の三六年までの援助総額は三一億ドルに達する。年平均二億ドルに及ぶ。それが借款ではなく、無償援助であった。そのアメリカも昭和三五年近くになると国際収支が悪化し、援助が苦しくなった。昭和三二年の三億七千万ドルをピークに昭和三四年には二億二千万ドル昭和三五年には二億五千万ドルに低下し、無償援助から借款への変更を予告されるようになっていたのである。これに比べれば日韓基本条約で日本が供与した一〇年間均等払いでの無償援助三億ドルは期待に外れたものであった。なおこのアメリカからの援助は国家予算の三割から五割強に達した。
当初の援助は四〇%以上がアメリカの余剰農産物であり、通算でも二五%は小麦・トウモロコシ等の農産物であった。これを国民に売り、その売ったお金で軍事費その他諸費用をまかなった。その為農産物の価格は抑えられ、農業は衰微した。通算で四二%が原材料・中間製品であるが、その中には原綿が含まれており、この結果日本時代かなり生産された原綿も激減した。」
以下明日のコラムに続きます

沽券・メンツにこだわる文化(劣等感)2

7月22日に水車を何百年も作れなかった実態を紹介したとおり、社会レベルが数世紀単位で大幅に遅れているのを自覚していたからこそ、自国の現状を必死に隠したくなる心理です。
長年自分国の使いは江戸までゆるゆると往復して日本の実情を観察しているのに、日本側の人間は 釜山の倭館から一歩も出させない厳重な規制をかけていた真の原因と思われます。
あまりにも遅れた社会を見られたくなかったからではないでしょうか。
家の中が散らかっていると見られたくないので、入り口ドアを半開きにして立ちふさがって応対するのと同じ心理です。
ところがいくら内情を隠しても選び抜かれた使節随員が行く先で白昼衆人環視の中で鶏泥棒をして大騒ぎになり馬脚を現している絵が残っていることを22日に紹介しましたが、これを本国では知らないままだったと思われます。
江戸時代には日常的に絵画表現が発達していた(絵画用の関連商品の発達・需要が下地です)珍獣奇獣に関してもあるいは一般的植物図鑑など絵画表現が発達していたし(酒井抱一展などに行くと草花の図鑑.描き方の冊子が出ています)瓦版も多く出ていました。
この事情は以下の国立国会図書館の絵画集に明らかです。
http://www.ndl.go.jp/nature/cha3/
「江戸時代には、清船やオランダ船に乗って、多くの異国の鳥獣が海を渡ってきました。この時代の博物誌には、交易によって舶来した鳥獣のほかに、たまたま日本に迷いこんできた外国の鳥などもいろいろと記録されています。
第3章では、当時の人々の目を驚かせた珍しい鳥獣や魚介類の一部をお目にかけます。
第三章 珍禽奇獣異魚
迷鳥・珍鳥
外国産の鳥類
魚介類
獣類など」
以上に入って行くといろんな絵が見られますのでオススメです。
名古屋にアザラシが現れたと言っては大騒ぎになったなど物見高い・・好奇心の強い民度が出ています。
これを見ると全国各地に事件発生に即応して描写できる相応の絵師がいたことが分かります。
何か事件があると何でも絵画表現できるし、これを求める客がいた社会でした。
中国は改革開放以来、北朝鮮や李氏朝鮮と違い国内混沌をそのまま観光客にさらけ出していますが、グーグルマップなどの映像地図に出ないようにしています。
中華の栄光などといくら威張っていても中国人観光客が行く先々でゴミを散らし行儀が悪いので、お里が知れています。
李氏朝鮮では釜山の倭館で応対して日本人を首都まで行かせなかった自国の現状を知られたくなかった点は、以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E9%A4%A8
「近世倭館
1592年に始まる文禄・慶長の役によって日朝の国交は断絶し、戦争直後対馬藩が送った貿易再開を求める使者が帰ってこないことが多かった。しかし朝鮮人捕虜を送還するなど対馬藩の必死の努力によって、1607年最初の朝鮮通信使が来日し、国交回復が決まった。対馬藩は江戸幕府から朝鮮外交担当を命じられ、釜山に新設された倭館における朝鮮交易の独占権も付与された。1609年に締結された己酉約条によって、朝鮮は対馬藩主らに官職を与え、日本国王使としての特権を認めた。しかし日本使節のソウル上京は一度の例外を除き認められなくなった。また日本人が倭館から外出することも禁じられた。」
倭館からの外出禁止状態は、国書の膠着打開に向けた動き・江華島事件端緒に関するウイキペデイアの解説にも明らかです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%8F%AF%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1872年(明治5年)5月には外務省官吏・相良正樹は、交渉が進展しない事にしびれを切らし、それまで外出を禁じられていた草梁倭館(対馬藩の朝鮮駐在事務所)を出て、東莱府へ出向き、府使との会見を求めた(倭館欄出)。」
日本でも長崎出島に限定してオランダ人の出入りを規制していたとはいえ、江戸表までのオランダ商館長による表敬訪問が慣例化していた・・自由に日本国内状況を見せていたのとは大違いです。
幕末有名なシーボルトは、この江戸参府使節随行員として初参加した機会を利用して途中各地で博物資料を収集出来たのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%98%AD%E9%96%A2%E4%BF%82によると以下の通りです。
「オランダ商館長は、歴代、通商免許に対する礼として江戸に上り、将軍に謁見して貿易の御礼を言上して贈り物を献上している。これを「カピタンの江戸参府」といい、毎年、定例として行うようになったのは1633年(寛永10年)からであり、商館が平戸から長崎に移されて以後も継続された。1790年(寛政2年)以降は4年に1度と改められたが、特派使節の東上は1850年(嘉永3年)まで166回を数えた。江戸の長崎屋、京の海老屋は「阿蘭陀宿」として使節の宿泊にあてられた。」
李氏朝鮮は、外見と内情の大きな落差を隠すために沽券にこだわった結果、明治維新当時日本からの通信使再開の国書を素直に受け取れなかったので、天皇その他の表現の端々にこだわって受領拒否していたのでしょう。
痩せ我慢も限界がきて、江華島事件を契機にしてついにこれまでの非礼を謝罪して日朝修好条規締結になって行くのですが、これは仕方なしに締結したに過ぎない・・その後ずっと天皇ではなく王に過ぎないのに・・という不満があったのでしょう。
同じ冊封国家同士であれば自分の方が格上なのに・・という不満が日本統治時代にずっと続いていたように思われます。
それでも沽券こだわる程の実力がないということで、ガマンしてきたのですが、日本敗戦と同時に重しが取れたので早速「日王」という侮辱的表現に戻り、いまでも事あるごとに「日王が・・」と侮辱的表現に終始しています。
日本でインドネシア等の大統領を「酋長が」と新聞が翻訳しているようなものです。
これを喜んで日本の教科書や(文科省)が採用しているような国会議員の報告がありました。
曰く「教科書で聖徳太子の称号をやめて「厩戸皇子」になっている理由を問いただしたところ、生前このような故障で当たっというので、それは違う・・天皇家ではおくり名で書くのがルールではないか?混ぜ聖徳太子だけ無冠の時名称を教えるのだ?と問いただしたところ、「天皇の呼称だって日王」という主張もあるしと・・と言い訳したとのことでした。
この辺はユーチューブでちょっと聞いただけで記憶がはっきりしませんし、発言している議員の方も文科省の役人との応答を正確に記憶しているか不明ですが、文科省では韓国の主張に敏感反応している(日教組の影響の大きい点は仕方がないでしょう)様子です。
朝鮮民族にとっては、「日王」の蔑称こそは、どんなことがあっても取り下げられないということでしょうし、聖徳太子の存在は許せないことになっているようです。

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