GHQは強力な検閲により、記録さえ残さなければ良いと考えたでしょうが、我が国は記録魔の社会のように思われていますが、実は古くから「稗田の阿礼」の故事に知られるように文書がなければ口誦・伝承して行く社会ですから実際にあった歴史を消せません。
村々のお祭りその他文書化し難いいろんな行事がずっと伝承継承されて来たのは、口誦で伝承して行く特質があるからです。
今朝の日経新聞最終面に尾張漫才の伝承に努力している人の記事が出ています。
記録魔というよりは政治・経済事件に限らず災害その他発生した事実を子々孫々の教訓に残して置きたいという民族精神の強い国です。
アメリカや中韓では、歴史は権力者が作るもの・・噓でも権力が一定期間強制すればそれが歴史になると思い込んでいるから、戦争に至る米国に都合の悪い書籍類(名目は反民主主義思想根絶と言うのでしょうが・・)を一斉に廃棄処分を命じたいわゆる現代の「焚書坑儒」を恥ずかしいと言う意識もなく堂々と実施したことが知られています。
歴史は権力の都合で書くものではなく事実を基本として理解するものと考えている日本人としては、米中韓が勝手に作り上げた歴史教育を前提にして韓国が「歴史を重視せよ」と言い張っているのを聞くと「冗談言うなよ!」と滑稽に感じるのはこの違いがあるからです。
わが国では大戦乱があっても古文書等を避難させて後世に残す努力をするのでいろんな古文書美術品等が残っているのに対して、中国では王朝崩壊の都度前時代全面否定が原則であるために前王朝の文物がほとんど廃棄されて残っていない原因です。
日本マスコミ・文化人の主張はいつも日本政府の戦略性が弱いと言う批判・・中国の政治は戦略に裏付けられていて素晴らしいと賞讃して来た原因は、日本のマスコミ文化人がアメリカや中国流の目先主張・・見え透いた戦略が正しいと思い込んでいるからです。
長いスパーンで考えるわが国では目先の見え透いた「戦略的主張」など恥ずかしくて出来ません・・実際見え透いたことをすれば数十年後には取り返しのつかない損害として戻って来ます。
中韓や米国の考えでは、権力者が捏造すればそれが正しい歴史だと言う思想の延長でアメリカの大スキな「歴史修正主義者」と言うレッテル張りが生まれて来ます。
「歴史は史実ではなく権力者が都合よく作る宣伝である」前提であれば、これが史実と違っていないか?と疑問を呈すること自体が、権力に刃向かうものとして許されないとコトですから、歴史修正主義者のレッテル貼り=反権力者のレッテル貼り・・言論弾圧の役割を果たすようになっています。
言わば権力のよって立つ正統性批判を許さない仕組みです。
表現の自由を標榜しながら裏では自国に不利な言論を検閲し、・・日本独立後検閲が出来なくなってもアメリカのでっち上げた歴史批判を試みると歴史修正主義者として・・タブー視して批判表現自体を許さない仕組み・・西欧ではナチス再評価する意見自体が刑事罰の対象になっていると言われています・・これが欧米の言う自由な言論の正体です。
「平和憲法を守れ」「軍国主義復活・・戦争法案反対」「近代法の精神に反する」などのレッテル張りで全て議論や思考停止させる運動が大好きなグループは、アメリカ支配にどっぷり使っているコトを示しています。
事実を重視する伝統的価値観が乏しく・強い立場になれば、あるいは強いものに迎合して事実を曲げることに違和感の少ない人や、共同体利益・大義よりも個人・小義優先傾向の強かった人が、戦後アメリカによる個人の我欲・小義主張の奨励に水を得た魚のようにいわゆる文化人として幅を利かして来たように見えます。
利己主義で廻りの迷惑を考えない人・・アウトローにとって安定した社会・時期には活躍の場があまりなかったのですが、このような0、0何%に属する人が、大災害時に元気になって略奪に走るのに似ています。
声を上げられなかった大義重視型・伝統的価値観が戦後70年も経て復活し、その反撃が始まると自己中心型、小義重視型文化人?が表舞台から漸く淘汰され始めたように見えます。
不逞鮮人がいたのかどうかに戻りますと、占領軍による厳しい検閲の結果「不逞鮮人」の違法行為記録を残せませんでしたので、本当にあったのかなかったのかも記録上は藪の中ですが、その代わり日本では言い伝えが強力な発信源として伝承されて行きます。
以下伝承によりますが、占領直後は、朝鮮人から、警察官が袋だたきに遭う事件が頻発していたと言われますが、大量発生するには朝鮮人優遇の思惑が伝わったことの外に警察力を無力化して朝鮮人の跳梁跋扈を意図的あるいは結果的に煽った?ことが影響したように見えます。
検閲は、禁止だけではなく一定方向への誘導作用があることを昨日書きましたが、検挙禁止・警察力弱体化は暴発の誘導効果があります。
市町村単位の警察にすると・・隣の町に警察署があって一応の連携協力があるとしても法的関係がないままです。
こんな小さな単位で予算化して警察を組織していると、ムラや町に一人の巡査がいれば良い方・・強盗強姦をする朝鮮人を検挙すると徒党を組んで押し掛けては巡査を袋だたきにする事例が頻発・・誘発するようになります。
警察力が弱くともニッポン民族は滅多に犯罪を犯しませんが、大災害発生時にアメリカなどで略奪が起きるのと同じ原理が共同体意識の弱いグル−プに働きます。
これを可能にしたのは、占領軍による暗黙の後押しと警察組織破壊によって暴れ放題出来るようにした制度的保障・・後押しによる面が大きいでしょう。
警察から拳銃等を取り上げて武器の所持を禁じたことも含めて占領軍は占領政策円滑化の目的で?警察組織的弱体化を計ったのです。
10月10日に紹介したように首相官邸でさえ、占領軍の応援がないとデモ隊から守れないほどの警察力の弱体化が図られていました。
個別違法行為についてはネット上で元山口組長の自伝か回想録か?で彼の武勇伝として?朝鮮人の無法行為の数々が語られていますが真偽が分りません。
描写が生々し過ぎるので引用を控えますが、今のように日韓関係が険悪化していない時期・・(日韓条約・1965年直後の頃で日本から巨額援助金が支払われ、円満な時期でした)の文書ですし、田岡氏自身戦後の混乱が収まった後には在日を積極的に配下に組み入れ・融和に転じていたことが知られている・・その結果今は幹部の殆どが在日になっていますから,この自伝を書いた頃はむしろ組員の多くを占めるようになっていた在日に対する気配りもあったでしょうから、逆に抑制的に書いたと見るのが妥当です。
まだ戦後の記憶が生々しいときのもの・・現実に被害を受けた同時代人が多く生きているときですから、最低この程度は書かないと収まらなかった可能性があります。
田岡一雄に関するウイキペデイアによります。
「戦後の混乱で警察力が弱体化し治安の悪い神戸の町と闇市を三国人から守るために自警団を組み頭角を現し、登の死後長らく空位であった三代目組長へ推す声が高まった[注釈 3]。
1946年(昭和21年)10月、組の長老たちの推薦により、山口組三代目組長を襲名した。
自伝(昭和49年発行の初版)によると、神戸水上署の一日署長をした経験を持つ[注釈
自伝を発行した昭和49年と言えば、戦後まだ24年しか経過していない・・敗戦直後青壮年期(2〜30歳代)の人が殆ど健在の時代ですから、同時代人が一杯いるときに全くなかった事件をでっち上げて書いたとは思えません。