最近はやっている第三者委員会と言うのは、厳しい追及逃れの時間稼ぎと自己の選任した第三者委員が悪いようにはしないだろうと言う期待があるように見えます。
「第三者委員会で検証して頂きますので、・・」といって記者会見での追及逃れです。
木村社長は何も言わないまま、検証期間中に自発的退任してしまいました。
朝日の取り消し発表が遅れた・・内部意思決定過程中心に検証したようになっているのが不思議ですが、もしかしたら・・どうせやめるつもりだから「自分の責任に集中させてくれ」と以心伝心で頼んであったかのようです。
原発吉田調書と慰安婦報道に共通している・・国民が知りたがっている「裏付けがはっきりしない段階で何故大々的報道したのか」については、まるでヤミの中にしたままで終わりです。
事実を淡々と認定すれば後は国民が考えれば良いことであって、刑事事件と違って故意や悪意まで認定する必要がない・・と言うことでしょう。
数日前のマクドナルドの異物混入騒ぎで、社長が記者会見に出ないのは何故だと言う主張がマスコミに出ていますが、((圧倒的にこう言う風潮です)誰が事実説明しても同じですが、「社長が出るべき」だと言うマスコミ要求は「社一丸の姿勢が見えない」と言うのが表向きの理由でしょう。
しかし、記者会見の模様をみていると本音は「何故こうなったのだ」と聞いても仕方がないことを延々と追及して社長に「申し訳ございません」と何回も謝罪させる・・吊るし上げている状況を視聴者に見せたいと言う非合理な欲求迎合が大部分を占めているように思われます。
社長が出ても自分から「日本国民を貶めたいと思ってやらせました」と言う訳がないのですから、結果的に庶民の鬱憤晴らしを煽っている・・吊るし上げ文化・・公開処刑のような感じで、言わばマスコミによる原始社会帰りの風潮を煽って来ただけかも知れません。
マスコミに言わせれば庶民の鬱憤拡散のためにやっているのであって、マスコミの責任ではない・・国民レベルが低いだけだと言うのでしょうか?
マスコミは、庶民大衆を相手にしているので、庶民向けに煽るだけ煽ってしまう傾向があるので、その沈静化のためには逆に大掛かりな吊るし上げ劇が必要になっていると言うことでしょう。
このような吊るし上げ劇を率先して煽って厳しい追及をして来た方法の確立こそ朝日の功績?でしたが、自分のことになると第三者委員会に逃げてしまって社長が直接謝ることもしないのが卑怯だと言われています。
こんなことを大々的にり返すのは、社会のありようとして恥ずかしいことですから、「武士の情け」で「そこまでは問いつめない」と言うのが本来の日本社会のありようです。
国民は第三者委員会の目くらましにうまく騙されたからではなく、国民レベルの矜持としてこれを受入れるのが正しい道です。
小保方氏のスタップ細胞再現検証作業でも、誰がES細胞を混入させたかの証拠までは分らないと言うだけで、小保方氏による故意混入までは認定していません。
(検証委員会の目的は犯人探しではなく、繰り返し実験しても再現出来ないとが分れば良いだけですから・・)
日弁連の政治活動に関する高裁判例や名誉毀損判例等で年末に紹介したとおり、規制しなければならない程の「違法ではない」と言うだけであって、好ましいと認定した訳ではありませんが、勝った方は裁判でお墨付きを得たかのように振る舞います。
朝日新聞の第三者委員会は国内対立を煽る目的ではない・・朝日が資料がはっきりしない中で特定政治日程にぶっつけた目的は何か?ついては、そこまで踏み込まないことになるのは依頼した段階で結果が分かっていたことになります。
国際的影響は分らないと言う見解があって、分らないから影響がなかったと言う朝日新聞の受け止め方です。
そもそも「国際的影響を証拠を持って論じよ」とならば一々朝日新聞を引用した記事は少ないのが当たり前ですから、そんな証拠はちょっとしかないのは当然です。
太平洋のど真ん中に落ちたダイヤの指輪を1年間かけて探しても見つからないから、落ちていないと結論付けるような調査です。
引用記事が何本しかないから影響はほとんどなかったと言う委員会見解は、子供騙しの結論を導くためになれ合いでやったような代物と評価されても仕方がないでしょう。