資金枯渇22とAIIB2

もしも中国自身の資金枯渇による危機が迫っていたので、これを隠して新興国のための国際機関だと銘打ってAIIB構想を打ち上げていた・・・日本等の資金豊富な国の資金を取り込んで自国内投資継続のために流用しようと計画していた場合には、言わば、投資勧誘詐欺の国際版っぽくなります。
本部を北京において諸外国の理事は常駐しない・・開発案件の決定は本部の総裁が専決処分または持ち回り決議で行なう?
北京政府の思うままに資金運用する仕組みにこだわったまま発足させました。
4〜5月ころにの多かった日本マスコミの意見は疑念があるならば参加して内部から改革意見を出して行けば良いと言う中国応援の意見でしたが、設立段階で参加をお願いしなければならない弱いときにさえ、相手の意見を1%も聞かない・聞けない(政権が弱いから逆にどんな意見も聞き入れる余裕が無い)中国が、実権を握ってから改革意見を聞くようになることを期待して先ず資金を出すべきだと言うのは矛盾しています。
日本マスコミや文化人は国内では透明性を主張するのに、対中国や韓国になると巨額の資金・税金をつぎ込めと主張する基準が何故こんなに甘いのか二重基準の激しさに驚きます。
AIIBの運営は上記のとおり不透明きわまりないものですが、これら制度設計に対する諸外国の懸念にも全く応えようともしないまま発足させてしまいました。
透明な組織・・合議体運営にするのでは、外国資金を思うままに使いたい中国にとって敢えて新設する意味がなくなるのは当然ですから、国際批判を無視したまま何の修正もしない見切り発車は、中国の露骨な態度表明と理解するしかないでしょう。
「いやなら参加するな、工事発注しないぞ!」「工事発注も(中国式賄賂やコネ次第で)好きなようにする憎まれたら後が怖いぞ!」と言う脅しで乗り切ろうとしているように見えます。
中国政府のご機嫌を損ねないように今から何も言わないで参加するかどうかで「その忠誠度を見るぞ!」と言う専制君主的態度表明です。
そうなると資金力のある国・・日米はそんな機関に金だけ出すようなことはしません。
この脅しにまんまと引っかかったのが事大主義・・中国に隷従して来た歴史の長い韓国政府です。
見切り発車した者の、ホンのちょっとの設立資金を出して工事参加のおこぼれをその何倍も得たい国ばかりが参加して設立して開発機関が動き出しても資金的に成り立ちません。
工事受注の何倍も資金を出せる日米の参加が不可欠なので、日本の参加表明を待つために参加閉め切りを伸ばしたりしてきましたが、日本が求める制度設計修正には頑として応じられません・・民主的運営に修正したら何のために中国主導で国際機関を作るか分らないと言うことでしょう。
そこに中国の設立目的の本音が透けて見えます。
この関心があるので、AIIB参加を熱心に主張する日本マスコミ報道が激しくなったことに関連して4〜5月ころから、中国の資金不足をテーマに書いて来ました。
その間にいろんなことが挟まってしまい、その間に私の心配していたとおり株の暴落になったので中国の資金不足が明らかになって来るとAIIBに参加しないとバスに乗り遅れると、日本人の不安を煽るマスコミ報道も今ではさすがに勢いがなくなりました。
AIIBI参加への煽り宣伝が下火になったとは言え、中国の資金不足→将来性をどう見るかの基礎理解としてその内実を知っておくことは重要ですので、もう少し見て行きます。
粗鉱製品・石化製品など作り過ぎた資材・製品のはけ口の外に鉄道や港湾工事その他のインフラ工事設備も作り過ぎたので・・出血輸出先を次々と探すしかないのが中国の現実です。
・・際限なく拡散して来たものの、国内では限界が来たし、資金的にも限界が来たので、・これを世界大に広げるつもり・・先送りするつもりでしょうが、対象をより大きく広げてもいつかは限界が来る・・世の中に際限のないことはありません。
過大投資の中止を先送りすれば、先送りした分に比例して過大投資した関連業界が増えて行き、破裂した場合の影響が幅広く大きくなって行くしかありません。
出血事業拡大繰り返しの咎めがその内に出そうだ・・出る筈と書いて来たのが5月ころの連載でしたが、国内ではこれ以上転嫁するべき産業がない・・そこで昨年暮れころからは、「庶民の懐まで(庶民に株投機を勧めるようになった人民日報報道を紹介しましたが)当てにし始めたと思われていました。
この動きに「庶民の懐まで当てにし始めたらおしまいだろう」と恐れをなした国際資本が逃げ始めた・・中国としては資金不足が現実化して、なりふり構っていられなくなって来たのが、昨年秋からの中国経済と想定されます。

中国過大投資調整11(資金枯渇10)

マスコミに出るエコノミストは、いつも立派な政府発表の成長率を前提に株が大幅に下がった・・「悪いと言っても予定どおりに6、何%成長だったから大丈夫」と言うような意見ばかりですが・・、各種消費や指標業種別でみれば下がり始めているのを誤摩化せなくなっています。
例えば、8月10日日経朝刊4pには、「中国の資源爆食終わる」のテーマで遂に個別データが大きく紹介されました。
政府のGDP発表と個別統計が大きく違うことを、大手新聞も書かざるを得なくなったようです。
これまで中国政府統計に基づく意見を書いて来たエコノミストは、マスコミにはしごを外された思いでしょう?
2015年1〜6月の産業別統計が出ていますが、前年同期比発電量+0・5、石炭生産量ー5、8、粗鋼生産料ー1、3などの状況下でGDPだけ7%弱プラスっておかし過ぎるでしょう。
(昨年の統計を忘れましたが、昨年もこの程度の減少だったように思いますから・かなりの期間マイナス成長が続いている筈です)
この産業別統計自体も政府発表ですから一定比率の上乗せがある前提で見ておく必要がありますから、本当はもっと酷い結果になっていることが明らかです。
一時アメリカのシェールガス革命が原油相場下落の原因と言われていましたが、それでは、鉄鉱石その他の鉱物系資源価格下落の説明がつかないことらから、需要減の原因=中国の資源輸入大幅減少して来たことが原因と言う説明に変わってきました。
シェールガスが安く出来るようになったと言っても日本ではまだ輸入すら始まっていない状態ですから、数年先の増産計画程度のことで今そんなに値下がりするのか不思議でしたが、増産による下落ではなく中国の需要減退による下落ならば・・当たり前の原理です。
原油大幅安は本来国際的にその他製造コスト減でより生産活動が活発になる原理なのに、(8月11日に日経朝刊にも原油安の恩恵で石化製品が安くなったので国内生産好調と出ていますしアメリカでも原油安でクルマの販売好調のニュース頻りです・・ひいては鉄鋼製品等多種多様なな部品増産→資源高騰)その他資源の大幅下落の意味が分かりませんでした。
下司の勘ぐりをすれば、マスコミや評論家が中国に頼まれて中国の輸入減少を取り上げず、にシェールガス革命による相馬下落と虚偽大宣伝をしていたのが限界に来たと見ることも可能です。
中国の成長神話はかなり前から無理があったことが、国際経済面から、資源価格下落によって暴露され始めたと言うことでしょう。
昨日紹介した輸出入合計の大幅減少が1国の経済現象をアバウトに表していると見るべきでしょうが、輸出入統計自体、相手国の対中貿易数字と大幅に合わないことが何年前もから指摘されていますので、中国の場合何かも水増し国家です。
末端消費の主要産業のクルマは外資参入比率が高いので、業界発表の数字は大きくは誤摩化せない(業界会幹部は共産党派遣ですから政府意向に従って少しは水増し発表する)ことからある程度信用性があると前から書いてきましたが、クルマ販売はここ数ヶ月前年割れが続いている状態ですから、その前提になる資材輸入・資源輸入減少は当然予測されていましたが、政府統計だけ何故6〜7%成長なのかあまりにも滑稽過ぎて無理があります。
今後の中国は、クルマやスマホの売れ行き減少に明らかなように消費地としても急激な成長期待が薄れ始めています。
この後に書いて行きますが、中韓両国は庶民への所得分配率が極めて低い・・不景気が来ると内需拡大よりは低下する一方ですから、内需の発達見通しを先進国モデルで考えても意味がありません。
ドイツあるいは西洋諸国の進出に期待しても(まして既に過去になりつつある国ですし)彼らは、元々差別化が好きで、現地指導する気持ちなど基本的に希薄ですので、内需よりは輸出産業を育てたい政府期待には副いそうもありません。
反日を続ける限り、結果的に日本の技術移転が遅れ、中国の経済発展が10〜20年単位で遅れるようになるように思われます。
この辺の原理は韓国経済においても同じです。
「韓国は反日で中国と連携していたのに中国にはしごを外されたから焦っている」とマスコミが表現していますが、そんな表面的メンツの問題ではなく、反日騒動の結果日本からの技術導入が停滞・縮小し始めていたのですが、数年経ってみると新技術流入が途絶えてしまうと、自力で革新技術がないことから、経済的にもたなくなってきたことによって、韓国経済界が焦っていることが主たる原因です。

中国過大投資調整10(資金枯渇9)

中国の影響力拡大に関連した心配・杞憂と新しい社会の始まりの可能性を書いてきましたが、本当に中国の影響力が拡大する一方なのか、この辺で打ち止めになるかの関心・・ここから、中国「過大投資調整のテーマに戻ります。
2015/06/02「中国過大投資の調整9(資金枯渇3)」の続きであり、2015/06/12「資金枯渇8(出血輸出とその原資2)」の続きにもなります。
出血輸出による国際秩序撹乱の大迷惑のテーマから話題がそれていました。
今になると中国は資金不足の穴埋めと技術移転による競争力回復を求めるために反日暴動やその後の日本外しの行為を忘れたフリして?日本企業誘致に必死です。
日本人は我慢強い分、一旦抱いた警戒心は容易に緩みませんので、政治家やマスコミをいくら籠絡しても日本人個々人は簡単に許せません・・。
(5月27日まで書いて来たようにマスコミの中国傾斜・応援ぶりは半端ではありませんでしたが・・一方的中国寄り記事は反感を買う始末でストレートな中国進出誘導はなくなってきました。)
日経新聞による連日の中国進出誘導運動が限界に来たらしく、5月31日朝刊には中国傾斜の著しい伊藤忠商事社長の弁明?記事が掲載されるようになりました。
中国は反日暴動を仕掛けたことによって、日本の主たる投資先から外されてしまって内心焦っているようです。
反日暴動は経済原理から言って無理がありました。
先進国は賃金コストが安いので新興国に進出しているだけですから、世界中いくらでも中国以下の低賃金国・・代替進出先があります。
後進国が先進国をボイコットした場合、代わりに先端技術を提供出来る国はホンの僅かしかありません。
個人で言えば、工場労働者が一人や二人やめても企業はいくらでも代替工員確保出来ます。
日本に逃げられた代わりにドイツがやってくれるとばかりに、今や中国はドイツや西欧諸国抱き込みに必死です。
仮に日本と同等程度の技術提供を受けたとしても、日本から先端技術の導入をした東南アジアで競争相手が増えた分、中国にとっては大損害です。
しかも、西洋諸国は儲かるかも?と思って進出しているだけであって、日本のようにアジア同胞を離陸させたいとする善意がある訳ではありません。
言わば最終消費地として需要がある限度で現地進出しているだけで生産輸出基地としては見ていません。
上記伊藤忠商事社長の弁明?も同社は財閥系と違い重厚長大産業に縁がないので、今後の消費需要を(末端商品仲介ビジネスなど)取り込みたいと言うだけで先進技術移転の予定はあまりありません。
中国のクルマ生産能力が現地需要の二倍にもなって来たことを紹介しましたが、4月だったかのスマホの売りげが減少に転じたと報じられています。
クルマも6月ころに二ヶ月連続売上減と報じられていますが、(6、7月も急減中です・・8月9日に日経朝刊では、日産が7月販売台数が前年同月比13、7%減で1台240万円も値引き販売すると出ています。)需要の2倍の生産能力と言うのですから、この先自動車業界はどうするつもりでしょうか。
この辺まで6月初めころに書いてあった基礎原稿ですが、8月8日日経夕刊1pによれば、中国貿易量(輸出入の合計数値)がここ半年で大幅に落ち込んでいる状態が報じられています。
すなわち7月は前年同月比8、2%マイナスで、1〜7月の合計平均は輸出が前年同期比0、7%減に対して輸入が何と14、6%減となっています。
1見黒字で目出たいようですが、簡単に言うと輸入・企業で言えば、新たな仕入れ・生産が出来ず在庫処理に追われいる・・出血輸出が続いていると言うことでしょう。
こんなに輸入が減って逆に出血輸出で回りに迷惑をかけることが続けば、周辺資源国等に対する経済影響力・・恫喝が効き難くなります。
南沙諸島での軍事威嚇に対してフィリッピンがバナナの輸入禁止が怖くてこれと言った国際批判出来なかったことを想起しても良いでしょう。
貿易黒字を自慢する人が多いでしょうが、政治の現実は逆で、ある国に対する貿易赤字でこそ大きな顔が出来るのです。
日中貿易は日本が大幅赤字ですから、貿易が止まれば困るのは中国の方です・・しかも日本は普及品を中国から買っているだけですから、いつでも(東南アジア諸国など)他の国に切り替え可能です。
中国は日本から、高度部品輸入しないと普及品も作れません。
この辺は個人も同様で、借金であろうとなかろうとしょっ中食事に来て買い物してくれる客は良い客です。
ただ近いうちに借金での買い物が続かないと分れば良い顔をしてくれなくなります。

ヘイトスピーチ禁止論10(表現態様?)

道義の中で法で強制すべきものだけが「法」になっているのが普通の理解ですが、その理解で言えば、法に昇格していなくとも正しいことは正しいのだから大きな声で言っても良さそうなものです。
「暴力団は怖いね」とか「あの集団怖いので近づかないようにしましょう」と言うのが何故いけないかです。
ゴミ捨て禁止の法がなくとも、ゴミを道路に捨てているのを見たら注意するのが悪いことではないでしょう。
ましてしょっ中道路にゴミを捨てたり、痰を吐きながら歩く人見たら、そんな人と付き合いたくないでしょう。
「あんな人とは付きあいたくないね!」と大きな声で言えない場合としては、道義と言われている中には社会の価値観が急激に変わった結果、もはや道義として通用していないものが旧弊として残っている場合が考えられます。
既に現在の価値観で認められなくなった旧弊にこだわる人が、これを道義と称しているだけで、(まだそんなこと言ってるの?と思っても)誰も正面から反対していないだけの場合もあるでしょう。
旧弊な意見が大きな声で言えないのは、ソモソモ世論の支持を受けていないからであって、法で禁止しなくとも自然に消えて行きます。
人権重視のアメリカなどでヘイトスピーチに対する法的規制がないのは、意見の正邪は言論市場で決めて行くべきだと言う意識が強いからです。
あるいは、相手が怖そうだとか相手に嫌われたくないから黙っているとかの理由で、相手が悪いことをしていても注意出来ないこともありますので、こう言う場合は積極的に言論発表を援助すべきです。
権力批判も同根ですが、今は「えせ同和」に始まって、弱者を名乗れば強者に転じる・・権力批判に名を借りた悪乗り・濫用が増え過ぎた点が問題になっています。
親がパチンコに通ったりファミレスなどで外食しているのに、子供の給食費や旅行積立金などを学校に納付しないので、・・請求すると子供が可哀相だ・・納付しなくとも旅行参加させろなどと主張する意見です。
国際的に言えば、従来価値観から言えば、ギリシャ危機=困窮している国民への同情がもっと集まっても良いのですが、(ドイツやIMF的緊縮策の処方箋には懐疑的な点では私も同感ですが・・それとは別に)同情が広がり難いのは、こうした弱者?の開き直りの広がり・横行にうんざりしている人が世界的に増えているからです。
法で禁止し、道徳的に抑制する必要がある場合とは、批判論には道義があって世論支持があるものの、世論支持を背景に批判活動が行き過ぎた結果、特定民族・集団の受ける不利益が一定限度を超えて迫害されるような事態に至っている場合ではないでしょうか?
ある家族の一員が多くの村人を殺した場合、その家族が謝るべきと言う気持ちは現在も通用している正しい道義だとしても、吊るし上げて断罪までするのは「行き過ぎ」と言う程度が現在の常識でしょうか。
「村・国から出て行け」と出て行かざるを得ないように家の前で毎日騒ぐのは行き過ぎの一種と思われます。
大事件があった(例えば◯◯国出身の留学生がアメリカで銃乱射事件を起こした)ときに、その国の元首が遺憾の意を表明したり陳謝(またはこれに類する発言をし、お見舞いを申し上げるなど)するのが普通ですから、今でも(自分の息子が殺人行為をしても自分が犯人ではないから)「俺は関係がない」と言えないのが、現在も世界中で普遍的価値観であるといえるのではないでしょうか?
何か事件・事故があった場合、集団的・・民族的陳謝やお見舞いが必要なのが現在でも正しい道義であるとするならば、謝らない人を名誉毀損にならない程度プラス行き過ぎにならない程度で非難するのは、「言論の自由の範囲でやっているだけだ」と言う理屈になるでしょう。
せいぜい許されるのは、「誠意を持って謝って欲しいよ!」と言う程度であって、謝らないからと言って、名誉毀損行為が許されないだけではなく、結果的に民族迫害にならないように自粛すること・・当然のことながら暴力行為に至ることは犯罪として許されません。
結局のところヘイトスピーチ論は、ある集団に道徳違反があった場合に相応の批判は許されるが、相手が悪いからと言って名誉毀損・侮辱・迫害になるほどの過剰表現はいけない(聞くに耐えないような下品・露骨な表現するな)とか、暴力が行けないと言う常識の問題に帰するように思われます。
名誉毀損や侮辱行為は、それぞれ刑事罰や民事損害賠償の対象になります。
その程度の抑止力で充分であって、これに該当しない程度の批判・表現行為まで(将来迫害になる危険があるからと前もって表現を)規制するのは、特定勢力をバックにした組織による言論弾圧リスクの方が高くなります。
百田氏のマスコミ批判が袋だたきにあっていますが、個人の意見表明が何故行けないか?逆にマスコミの言論弾圧事件と言うべきでしょう。
アメリカ共和党の大統領候補に立候補しているのトランプ氏が、不法移民取り締まり強化を訴えて物議をかもしていますが、その程度は・・言論で勝負すべきことです。
不法移民問題をどうするかは政治の重要争点ですから、これを論点にする事自体を批判するのは一種の言論弾圧とも言えますから・・。
常識を法で強制するのは、無理があります。
過激派のデモ行進は自然に消えて行ったように、常識の範囲を超える過激な言論は、社会の支持を受けられずに淘汰されて行くでしょうから、それに任せるべきです。

近代法理の変容10・破綻1(日本固有の法理2)

学校内の事故も同様で、損害賠償→責任追及されると教員も萎縮する一方で、マトモな教育が出来ません・・。
西洋式の意思責任主義・故意過失原理から解放して、校内の事故には(先生の故意過失の有無に関係なく)運営している学校が責任を持つ制度にすれば良いのではないでしょうか?
ここでは学校内事故を参考に書いていますが、介護施設や病院・スイミングクラブ内・工場内その他施設内の事故については、被害者に自招行為責任がない限り、似たような運用で足りると思います。
法理論・哲学的側面では、意思主義=故意・過失責任論をやめて、法技術的には原則と例外の入れ替え・・被害者が自分で危ないことをしたなどの自傷・自招行為・・施設側が自己の無責任を主張立証しない限り、原則として施設が責任を負う仕組みです。
教育方法の技能アップのための原因究明ならば、内部調査して責任を問うたり譴責して行く・・今後の教訓にして行く方が合理的です。
故意過失の有無にかかわらず学校や組織が賠償・保障すれば、事故にあった子供の親は先生の個人責任を問う必要がなくなり、・・裁判するコスト(熱心に指導してくれていた柔道などの先生を訴えなくても済むし精神面でも)負担がなくなります。
個人責任を問うのは、特に酷い対応をした場合の例外的制度にすれば、既に民事賠償が終わっているので、被害者に関係のない今後の再発防止などの研究や内部秩序維持・・再発防止目的の刑事責任や昇進・格下げや懲戒等の違った側面の問題になります。
現状の民事賠償責任制度では、無理な過失認定仕組みですので過失があると言われた方が納得し難い・・裁判に期待される合理的説得をする機能を裁判が果たしていないで、弁護士に頼っている状態です。
裁判所は個人の選任・監督責任と言いながら、本来の尺度は、古来からのどこまで組織(親)が責任を持つべきかの価値基準で判断しているように見えますが、これを口に出して言えない矛盾です。
このために本人訴訟では、なかなか納得しない被告相手に裁判所から、弁護士に相談してくれと言う勧誘が行なわれている様子です。
しょっ中裁判所から弁護士を頼んだら勝てるようなことを言われた・・だから先生さえやってくれれば勝つに決まっていると言う主張して相談に来る人がいますが、「逆でしょう」と言う事例が殆どです。
裁判所がその人に対して負ける理由を噛み砕いて説明出来ないからその役割を弁護士に振って来る感じの相談が多いのです。
振られた弁護士としては、この主張では負けるしかないと言う理由を苦労して説明するしかなくて、何故負けるかの説明です・・その人の信念・・価値観と噛み合わない説明ですから、大変な苦労をさせられています。
西欧由来の近代法は意思責任のフィクションに頼っているので、そのフィクションどおりに理解すると(秀才型の人に多いのですが・・)却って「俺にどう言う過失があるのだ」理解不能になるる人が出て来ます。
同居して親が監督している場合、どういう風に親が努力していても結果的に監督不十分の責任を取らされるのに、「この子は外に出して大丈夫かな?」と心配のある子供を都会に就職させたり学生寮等に入れている場合、何かがあっても「国許の親が却って監督する余地がない」と言う理由で、何の責任も負わない結果になります。
4〜5年前に私の受任していた大学寮内の暴力事件で、(私は加害者側でしたが)「親には監督責任がない」ことを前提に、親の日本的責任として事実上親が金を出して和解しました。
前近代的かどうかは別として成人した息子であっても、同居している息子が隣の家のガラスを割ったり、怪我をさせたりすれば、成人しているから親に責任がないと開き直る人はいない・・親が謝って弁償するのが普通でしょう。
アパートの独身居住者に何かあれば、親に連絡して(遺体など)引き取ってもらうのが普通です。
親の過失責任などを問題にしていません。
謝りに行って相手から、「親御さんは大変すね」とねぎらってもらえればお互い円満ですが、「あなたの監督が悪いんだ」と居丈高に言われれば、謝る気持ちが薄まってしまう人が多いでしょう。
監督の仕方が良くても悪くとも、(親に過失がなくとも)息子が不祥事を繰り返していると近所の人にとっては迷惑で不安なことは同じですから、無言の圧力があって、障害を持った息子を抱える一家は、その土地にいられなくなってどこかへ引っ越して行くしかなくなります。
親の過失の有無が問題ではなく、傷害や放火行為者の故意・過失にこだわらない・・病気だから故意も過失もないと言って無罪=放置→事実上親まかせにしていた心神喪失者等医療観察法のような隔離する法制度成立前の不備・運用の問題です。
(ただしこの法律は殺人・放火・傷害等一定の重要事件を起こした後の制度ですから、予防・・奇声を発していて不安だと言う段階では全く役立ちません。)

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