芦田修正の関係で戦後の憲法学者の憲法論の推移と国民意思との乖離の歴史を見ておきましょう。
http://gohoo.org/16020701/によると詳細引用を控えますが、16年現在憲法学者の約7割が、自衛隊は憲法違反とアンケートにこたえているようです。
「憲法学者の7割が自衛隊違憲」は水増し? 東京新聞の引用は不正確
楊井 人文, 2016年2月7日
東京新聞2016年2月14日付朝刊1面 朝日は昨年7月、憲法学者アンケートの結果、122人の回答者のうち104人が集団的自衛権の行使を容認する安保法案を「憲法違反」と回答したと報じた。その中で自衛隊の合憲性につlいても質問していたが、回答結果を紙面で伝えず、デジタル版にのみ簡潔に載せていた。日本報道検証機構が指摘した後、詳細な回答結果がデジタル版に開示された。その結果を分析すると「自衛隊を合憲と実名で回答した憲法学者19人のうち、安保法案を明確に違憲と答えたのは8人だった」ことも明らかになった(既報トピックス=朝日新聞 憲法学者アンケートの結果の一部を紙面に載せず)
今日の本来のテーマは、自衛隊の存在自体を違憲と考える学者がどの程度かを知りたくて引用したのですが、上記検証記事を見ると集団自衛権の違憲論の調査の前提調査であったことがわかります。
横道に逸れますが、メデイアの調査の仕方に疑問が起きたので、ついでに書いていきます。
上記によると朝日新聞は、もともと自衛隊を違憲と考える人を中心に集団自衛権の合憲性を聞いたら7割の人が違憲と答えたと言う事になります。
国民の約8割が自衛隊の存在を支持している現状(政党別に言えば、共産党を除く全政党が合憲と認めています)からすれば、国民の多くは自衛隊自体の違憲か合憲論については現実無視の憲法学者に今更意見を聞く必要性を感じていません。
現実を知る能力は(世間知らず?)の学者より一般国民の方が詳しくその判断が正しいことを前提に民意重視・選挙制度が出来上がっていますし、だからこそ、メデイアは世論調査をしょっちゅう実施しているのです。
将来どうなるかは不安ですから、現状の自衛隊の合憲を前提にした上で今後集団自衛権になるとどう言う危険があるのかについて専門家の意見を知りたい人が8割以上いることになります。
自衛隊が必要なものである・・合憲で良いと考える人にとっては、もともと自衛隊を違憲だと言う学者に集団自衛権は違憲ですか?と改めて聞く意味はありません。
上記データによれば、自衛隊の合憲論学者で集団自衛権を違憲と回答した人が、19名中8名しかいないという事ですから、メデイアによる7割もの憲法学者が違憲と言っていると言う宣伝報道の内実は、もともと違憲論者中心に聞いていたと言う衝撃的事実がわかりました・・まあ皆が迷うくらいですから真面目に考えた回答とすれば穏当な票割れでしょう。
現状の自衛隊が合憲という人でも、集団自衛権になると違憲かどうか・・そこまでは賛成しないかどうかの判断基準は、どう言う場合に集団自衛権を行使するかの細かな発動条件によるので、素人には分かりにくい・この面で専門家に聞きたい気持ちがあります。
政治家や法律家は憲法違反かどうかの抽象的な主張ではなく、こういう規定だとこういうことができるから、これしか出来ないから憲法違反だという具体的な危険の有無程度を主張すべきです。
簡単にいえば、むやみやたらにどこでも政府が勝手に出かけて行って戦争する権限を付与するのは困るが、日本の防衛にやむをないとき・・共同作戦中やその準備過程(兵器弾薬の補給を米軍にお願いしている場合などに補給運搬中米軍が攻撃されたら警護し応援するのはやむを得ないだろうというのが大方の許容範囲でしょう。
物事は具体的条件設定や状況によるのですから、具体的条件設定をどのように表現してアンケートを取ったかによっても答えが違ってきます。
ところで法律は抽象的にならざるを得ない・・「切迫した状態」刑法でいえば正当防衛が許される場合の表現に「急迫不正の侵害」と要件がありますが、具体的にどう言う場合に該当するかまで法律には書ききれません。
腕力のある人が正当防衛に名を借りて弱い相手に暴行を加えることになり兼ねないから、正当防衛の条文は違憲だという人はいません。
事案によっては千差万別の無限大とも言える多様な事象に対してプロの裁判官が事案ごとに認定していき、正当防衛に当たるかどうかが決まる仕組みで、腕力のある人が正当防衛と主張さえすれば通る訳ではありません。
前もって法令に「こう言う場合」と限定するのは不可能でいくら文言を連ねても、具体的にどう言う場合に正当防衛になるかは、具体的事件に合わせて裁判で決めていくしかないのが実務です。
抽象的だと政府が何をするか不明だから、信用できないと言い出したら代議制民主主義・・そもそも法制度が成り立ちません・・政府や国会、司法機関のチェックに委ねてそのあとでルール違反があれば政治責任や刑事、民事責任を問うのが民主主義社会です。
実際に警職法や破防、凶器準備集合罪など制定時に人権侵害の危険を野党・人権団体が毎度主張してきましたが、何十年もの経験で実際に過剰運用行為で問題がおきたと聞いたことはありません(司法の場で是正されるので過剰運用ができない仕組みです)。
実務運用を政府や警察、自衛隊その他に委ねない・・やる前から危険がある=違憲だというのでは、すべての法律制度が成り立ちません。
上記の通り破防法等は制定時に不当弾圧に政治利用されるとの批判が有りましたが、実際の運用でそういう問題が起きていないし自衛隊を持てば侵略国家になると大騒ぎでしたがそんな事になっていません。
近代の最初・人権擁護意識高揚期には、裁判でも恣意的事実認定を恐れて証拠法定主義が流行りましたが、一定証拠さえあれば有罪、その証拠がなければ無罪という固定主義は実態に合わないので、すぐに廃止されて現在では自由心証主義になっていることを以前紹介しました。
企業トップであれ政府であれ、結局その任に当たる人をある程度信用するしかない・事後の国会承認等外部チェックを厳しくしていくという常識に落ち着いているのです。
そして今では8割の国民が自衛隊の存在を支持し信用している(と言うことは自衛隊や警察は武力を持っていても違法なことをしないと信用)し、自衛隊違憲・・存在を認めない→信用しないと言う政党は共産党だけになっています。
自衛権行使が現状合憲と思っている大方の国民にとって、その先「どこまで」権限を広げるのが許容範囲かこそが議論のテーマですし世論調査すべき対象です。
集団自衛権という意味不明の概念で違憲かどうかを聞くのではなく、具体的条文を紹介してこの書き方で自国防衛の範囲を超えているかどうかの調査をすべきです。
ある法文言ではABCDの解釈が可能とした場合に、ABCは合憲の範囲内でDの解釈をすれば違憲とした場合、その法律が違憲になるのでしょうか?
もしも本当にD行為が違憲であるならば、その法律の解釈としてはABCの解釈しか許されない・D行為はその法による行為とは言えない・・違法の評価を受けることなるので違憲の法律になる余地がありません。
法そのものが違憲になるのは、その法によって違憲の行為しかできないとき・・ABCDどのような解釈をしても違憲行為しかないときだけですから、ABCならば良いが乱用してDをされるおそれがあるという主張自体がおかしな主張と思われます。
だからこそ戦後次々と「軍靴の音が聞こえてくる」と騒いでいたこと全てが杞憂に終わったのです。
警官に拳銃を持たせると適法使用もあるが個人怨恨で違法使用されたら困るというのと同じで、公務員が違法行為をすることまで心配していたら全ての法律が成り立ちません。
違憲論を合理的に言うならば、この法律があると権限乱用してこういう違憲行為が「できる」という主張でなく、違憲行為「しかできない」とまで言う必要があります。