植民地独立と保護貿易(反作用としての貿易自由化)

いくら締め付けても暴発してアメリカを攻める能力のないイランや北朝鮮と違って、ロシアには暴発能力があるのでイキナリ全面禁輸(金融取引禁止)ではなく、様子を見ながら徐々に拡大して行くことになっているのは、日本との戦争になってしまった教育効果と言えます。
このように核報復能力がないとバカにされるので、イランも北朝鮮も核保有国になろうとして必死になります。
ABCD包囲網による対日禁輸のときには思いがけなく戦争になってしまったのではなく、如何に日本を戦争に引きずり込むかの悪辣な目的で行なったものですから、成功事例だったと言えるでしょう。
今回のロシア制裁は核武装国同士ですから、ロシアを本格戦争に引きずり込めばやり過ぎ・失敗だったと評価されます。
結局ロシアが反撃しない程度の許容範囲しか制裁出来ないのが明らかですから、オバマのアヤフヤな態度そのものを表しています。
チェンバレンの対ナチス宥和政策を批判するのが定説ですが、背景の国力差が大きくないと宥和的政策に頼らざるを得ない・瀬戸際外交に対してずるずると押されてしまうのは仕方のないことです。
近所関係でも図々しい人相手に一々喧嘩していられないので、譲ってしまうのと似ています。
この限界ラインがどこに来るかを尖閣諸島を占領した場合に比較して、中国は注視していることになります。
4月8日書いたように、戦争の惨禍を繰り返さないようにする物理的抑止力は平和主義でもなければ正義感でもない・・単純な核武装による報復能力・力の均衡にあります。
上記のようにアメリカは対日禁輸によって戦争に仕向けた点を実際には何の反省もしていない・・むしろ成功体験を持っているのですから、戦後の自由貿易強化論は以下のようなうがった見方が可能です。
日本の欧米によるアジア人を隷属させる植民地支配に対する大抵抗(大東亜共栄圏思想の推進・・第二次世界大戦)の結果、欧米はアジア等の植民地を全て失いました。
旧植民地国は独立すると同時に、どこの独立国でも自国産業育成のために関税を設け自国への外資導入を規制しました。
シンガポールや香港は自国産業がない商業中継地でしたから、自由貿易基地となりましたがそれは例外です。
独立国になると、欧米先進国は植民地時代のように旧自国植民地への関税等障壁や国内産業補助金による差別なしに無制限に自国商品を押し込めなくなりました。
この代償措置として、戦後関税をなくしたり低率化した自由貿易の必要性や資本自由化の大合唱を始めたに過ぎないと言えます。
韓国の事例で言えば欧米の手先であるIMFの勧告に従って、アジア通貨危機の処理として韓国は資本自由化を受入れて今や大手企業や銀行の殆どが外資の保有するところになっています。
その結果、戦前の欧米植民地支配同様に欧米資本の自由な乗り入れ可能な国となりました。
資本自由化=欧米資本による企業支配ですから欧米と自由に商品が行き来した方が良いに決まっていますので関税も自由化する期待が高まります。
その結果民族固有の利害を無視した関税低率か・・諸外国とのFTAをドンドン結び世界一のFTA網を誇っています。
これを成功と言うべきかは別問題であって、国内大手企業の殆どが欧米の子会社であるとから、欧米の希望に添うようにやって来たというだけであって、これを羨んだり異とするには当たりません。
戦前の東南アジアが植民地支配されていた結果、関税税主権を失っていたのと同様の結果を自ら求めてそのとおりになっただけです。
FTA大推進は欧米資本の言うがままに国内不満を蹴飛ばして(その都度猛反対の農民等を蹴散らして(その都度国会乱闘騒ぎをしてきましたがものともしません)デモを鎮圧して強行採決してきました。
その結果、今では旧植民地国同様に、対欧米では関税等の輸入障壁が殆どなくなっています。
自分から進んで植民地になったようなものです。
地方で独立自尊で苦しく細々とやっているよりは、大手企業傘下に入った方がマシという企業家や戦国小名の選択同様で必ずしもバカにして良い訳ではありませんが・・・。

アメリカによる歴史ねつ造3と言論の自由1

アメリカも中国や韓国と同様に相手が弱ければ黒を白と強制するような国であり、(むしろ背後で主導して来た国です)ひいては歴史に関しても、ご都合主義の国であったことが占領政策に反する文書廃棄指令の事実が明るみに出て来たり、米軍政に都合の悪い記事は全部検閲で(墨塗りのひどさは語りぐさになっていますが・・・)報道出来なかったことから明らかです。
・・本日現在でさえ、マスコミは米軍の存在意義を否定する議論すら(占領継続のためにのみ駐留しているという意見が正しいかどうかではなく、これに関するオープンな論争すら出来ない状態は民主主義国として異常です)許されない状態からも明らかです。
明治憲法では「臣民の義務に反しない範囲で思想表現の自由が認められていたに過ぎない」と習いますが、戦後はアメリカの主張に反しない範囲しか言論の自由がない状態が今でも続いていることになります。
民主党党首だった小沢氏が政権獲得直前に「日本防衛のためだけならば、第7艦隊だけで充分だ、駐留の必要性はない」と主張した途端に約一ヶ月後くらいに秘書が逮捕されて結局総理になる直前で失脚してしまいました。
報道・思想抑圧をしながら、米軍自身による戦時中の非人道殺戮行為や自己の占領中の犯罪行為を隠し続けて来たアメリカが、現に奴隷のように抑圧している日本に対して基本的人権の重要さ・民主主義・思想表現の自由や道徳を教えてやるなどと漫画みたいなことを主張していたことがわかります。
とは言え、中国朝鮮の反日教育同様で学校教育の洗脳効果は偉大で、私などはアメリカの意を受けた戦後教育真っ盛りのときに教育を受けて育ったので、アメリカを理想的な国だと信じて育ちました。
私は戦後地方に疎開して育ったので身近に米兵や朝鮮人を見る機会が少なく、報道統制下では米兵の事件に直接かかわらない限り、米兵の悪事を知る機会がなかったことによります。
アメリカを美化するような歴史教育の一例として、黒人差別問題を取り上げておきましょう。
高校までの歴史では南北戦争があたかも奴隷解放戦争であったかのようにその部分だけ強調して習い、如何にもその後黒人差別がなくなったかのように(なくなったとは教えられませんが奴隷解放だけ取り上げて強調すれば誤解するのが普通です)印象づけられていましたが、実態はまるで違っていました。
アメリカでは、黒人差別をなくす方向に政治を進めたケネディ大統領が凶弾に倒れ、これを引き継いだジョンソン大統領の元で1964年7月になって公民権法が漸く制定されたに過ぎません。
(それまでは事実上の差別が残っていたのではなく、法的に選挙権もなかったのです!)
法律が出来てもそのとおり差別がなくなる訳ではなく、非暴力で差別撤廃運動を展開していたキング牧師が暗殺されて大騒ぎになっていたのは1968年4月でした。
(とっくに戦後が終わっていた昭和43年になっても、アメリカではまだ人種差別で殺し合いをして騒然としていたのです!)
こんな恥ずべき人権侵害国が、世界中に人権の重要さを教えてやると言って指導者面していたのですから、文字どおり茶番としか言いようがありません。
戦争になればもっと民族憎悪が高まるのが普通ですから、戦時中に戦争相手の日本に対する人種差別意識・・民族抹殺意識が如何に強かったかが分ろうというものです。
南北戦争の本質は経済戦争であり、南部諸州を北側が支配下に置くことによる半独立国の連合であったUSAの骨格変更の統一戦争だったのですが、(日本古代の壬申の乱に匹敵する戦争)日本では如何にも奴隷解放戦争であった「かのように」(と正面から主張して習うのではないのですが)誤解するような文脈で習います。
アメリカの基準ではリンカーンのゲチスバーグの演説が自慢だから、この名演説を丸暗記させたり奴隷解放を強調していたのでしょうが、縄文の昔から動物でさえ家族以上に可愛がる日本人からすればおかしなものでした。
日本人としては、この学習で最近まで人を家畜のように扱う奴隷制度のあった国・・・・怖い国と戦争したものだという印象で習うのですが、実際には黒人が奴隷でなくなったというだけで差別がなくなっていなかった点については全く教えられていませんでした。
我が国は名目上独立したものの戦後約70年近くも経過しているのに、未だに米軍基地の存在理由についてオープンな議論すら出来ないのと同じです。

構造変化と格差39(新自由主義9)

イキナリ中国の賃金に合わせて国民平均を10分の1の生活水準に落とすのは無理ですから、この過渡期の解決策として誰か効率の良い稼ぎをしている人からの再分配・・生活保護や社会保障に頼るしかない状態に陥っているのが現在の日本の姿と言えるでしょう。
雇用形態が非正規化して彼らの平均値が従来の正規雇用時の半分の給与になったとしても、なお中国などの5〜6倍の給与水準ですが、本来は同じような単純労働をしている以上は賃金水準が同じであるべきです。
現在の10倍、将来5〜6倍の差になったとしても、日本人が得ているその差は高額所得者からの分配によっていることになります。
世界規模でグローバル化=賃金平準化が進めば、先進国では逆に格差が広がるパラドックスが起きるのは、先進国では生き残りのために知財や研究・高度技術化・金融資本化に邁進しているから、これに乗り換えられた少数の人や企業だけが従来通りの高所得を維持しているからです。
高成長の始まった新興国の方が格差が大きく且つ再分配システムの不備な国多く、先進国では所得再分配システムが完備していることが多いのですが、先進国では再分配・社会保障に頼ることに我慢出来ない人が多いことが社会問題になっている原因と言えます。
ある時期まで対等であった仲間の一人が成功して抜け出して行くのは、うらやましいものの納得し易いものですが、自分が対等だった仲間から脱落して行くのは辛いものです。
貿易収支黒字と所得収支黒字のバランスの変化をリーマンショック前ころに国際収支表を転載して書いたことがありますが、国際収支表の歴年の変化を見ると貿易=国内生産による稼ぎがなくなりつつある姿が明らかですし、その穴埋めとして所得収支の黒字が中心になりつつあります。
(昨年12月と今年の1月には約30年ぶりの貿易赤字でした・この原稿は年初に書いていたものですが、その後、昨年度1年間通じても貿易赤字になり、現在も毎月の赤字が続いている模様です)
所得収支黒字とは海外投資による収益ですから、所得収支が主な収入源になってくればこれに参加しない(労働者でも個人的には株取引している人が一杯いますが・・)給与所得だけの労働者との経済格差が生じるのは当然です。
高度化が進むに連れて一握りあるいは少数になった高所得者から高率の税を取って、これをバラまいているのがここ10年以上の政治ですが、(稼ぐのが一部・少数になったのでバラマキしか出来なくなったのです)このギャップに我慢が出来ないのが格差反対論者の基礎票でしょう。
格差反対とは言え、高収益の知財や高度技術獲得に邁進しないまま従来通りの大量生産だけを続けていれば、低利益率・低所得・新興国とすべて(インフラを含めて)同じ水準に落として行かない限り(ウオッシュレットなど贅沢だからやめないと行けないかな?)国内産業は壊滅してしまいます。
新自由主義批判論者=格差反対論者の意見によれば、高所得者を生まない・・格差をなくすために知財や高度技術開発をやめるべきことになり、ひいては先進国も中国同様の低賃金に引き下げて行くべきだという主張と同じ結果になります。
(実は国内の生産性アップ努力・高度化をやめても、海外収益取得者との格差はなくせません・・海外収益取得をやめろというのかな?)
「貧しきを憂えず等しからざるを憂う」と言う子供の頃に耳がタコになるほど聞かされた共産主義の図式の復活を期待しているのでしょうか?
本家の中国では、約30年前から鄧小平によって「白猫であれ黒猫であれ、ネズミを捕る猫は良い猫だ」というスローガンになっているのに、我が国では未だに「等しく貧しき」を希望する意見が形を変えて主張されているのは滑稽です。
我が国の格差は実際には国民意識もあって諸外国に比べてそんなに大きくありません。ジニ係数などの欺瞞性についてはOctober 28, 2011「格差社会1(アメリカンドリーム)」その他書きましたし、最近ニュースになっている大阪のお笑い芸人の母親の生活保護受給問題でも明らかなように、所帯分離という便法が多用されている結果に過ぎません。
格差批判で高度技術者の高収入を非難しているよりは、高度技術者を大切にして後続者の続出を期待する方が良いのではないでしょうか?
ただし、中国でもあまりにも格差が広がり過ぎたので、国内治安対策の視点から、高度成長にブレーキをかけざるを得なくなったようで、3月3日の報道では全人代が今年度は8%成長目標に引き下げたようです。
実際には海外でささやかれているように昨年から10%前後のマイナス成長になっていて、そのごまかしがきかなくなったので、実態に少しずつ合わせて行くしかなくなったのかも知れません。

格差修正38(新自由主義8)

円安に誘導出来て物価が上昇すれば、実質賃金が下がるので政府も経営者も何の努力も要らずすべてが簡単ですが、経常収支黒字を累積しつつ(少しでも貿易赤字になると大騒ぎしています・・)円安になるのを期待するのは論理的に無理があることを繰り返し書いて来たとおりです。
経済の自然の流れに逆らって無理を通して来たのが超低金利による円安誘導でしたが、リーマンショック以降先進国全体でほぼ似たような低金利政策になるとつっかえ棒がなくなったダムみたいなものです。
円キャリー取引で誤摩化して来た溜まりに溜まった円上げ圧力が一気に押し寄せたので、その勢いで均衡点をあっさり乗り越えた相場になってしまい、8〜90円前後ならまだまだやれる産業まで足をすくわれる結果になってしまいました。
自然の流れをねじ曲げるといつかはその無理が出るので、よほどの成算がないと経済の流れを政治でねじ曲げるのは却って危険です。
経済原理に反した政策は臨時短期間の激変緩和策としてならば意味がありますが、長期化すると却ってその反動が大きくなり過ぎます。
この点は臨時的な不況対策としての補助金も同様で補助金が恒常化すると退場すべき企業が何時までも温存されて結局国富の食いつぶしになります。
雇用調整助成金が見直しの方向になってきましたが、生産性の低い業界で助成金がある為に人材を抱え込んだままにすると活力のある必要な分野に人材の移動が行われなくなる弊害が目立って来たからです。
新自由主義非難・・政府の関与強化を求める思想や論者は、出発点であるグローバル化自体・・国際的な賃金の平準化の流れを批判しているならば一貫します。
しかし、この種批判論者の多くは一方では世界的な南北(賃金・生活水準)格差の解消・・人権・人道主義者でもあるのです。
同じものを作っていて生産性が同じならば、世界中の賃金を平準化することは人道的にも正しいことですが、これを日本の賃金・生活水準を下げずに実現するには中国やミャンマーの賃金を日本と同じ高賃金にするしかありません。
高賃金・高生活水準にするには彼らの生産・輸出を増やす・・日本からの輸出を減らす・・失業の拡大または賃金低下しかないので日本の生活水準が下がらざるを得ません。
現状の貿易黒字を日本が維持しながらミャンマー、アフリカ諸国の人件費を上げるには、日本での高度なインフレ・・超円安を期待するしかありませんが黒字のまま円安を期待するのは無い物ねだりです。
新自由主義批判論はグローバル化が悪いと言う意見だと思いますが、アメリカの通商法による理不尽な日本叩きによって、迂回輸出→結果的に新興国の離陸が始まり、グローバル化の流れは押しとどめられない奔流となってしまいました。
欧米諸国は自分たちが植民地支配で甘い汁を吸いながら、日本の植民地支配だけを非難して戦争を仕掛けた結果、戦後世界中で植民地独立運動になってしまったのと同じ轍を踏んでいることになります。
グローバル化進展の結果、世界中で賃金・生活水準平準化が進みつつあるのは、彼ら人権活動家の言う人類愛・・本来の正義に合致しています。
新自由主義批判論者も今更グローバル化の流れを間違いだとは言えないでしょう。
グローバル化進展を認め・世界中の生活水準の平準化を求めておきながら、日本人にだけ国際水準以上の賃金を従来どおり維持させろと言うのは矛盾です。
最貧国では学校の校舎もないのでそこへ援助に行っている・・そこで汗水流して貢献している報道をみたりしますが、こういうことが可能なのは乗り越えられないほどの巨大な経済格差があってこそ成り立つことです。
これらの国の自立を促すには経済力を付けてやることが基本であって、目のくらむような豊かな国の人がおこぼれを持って行って得意になってるの見るのは私には違和感があり、余りよい報道だとは思っていません。
平準化がドンドン進み援助など要らない世界の実現・・上記のような個人プレーで格好付けているよりはずっと正義に近いと思います。
若干の凸凹があってもおおむね平準化した世界が実現すれば、日本の比較高賃金は中国や最貧国などと平準化するために下がって行くしかありません。
後進国・中進国・最貧国の上昇に合わせて生活水準を相対的に引き下げて行くしかないとすれば、「その方策や如何に?」が我が国の主要テーマです。
絶対的水準の引き下げはきつ過ぎるので、考えられる方策としては中国等が年間10%前後引き上げるとしたきに我が国が2〜3%しか上がらないなどの形で差が縮まって行くこと・・ソフトランデイングしかないでしょう。

構造変化と格差33(新自由主義7)

インフレ待望論者は、基本的には円安待望論と重なっているのですが、貿易赤字待望論は一人もいないのですから、円キャリー取引のようなイレギュラーな事態を予定しない限りマトモな主張とは言えません。
経常収支黒字の積み上げ→円高→実質賃金率引き上げになる関係ですが、黒字が続くということはその円相場でも黒字を稼げる企業の方が多いことになります。
(特に日本の場合、資源輸入による円安要因が働くので加工品の競争力に下駄を履かせてもらっている関係です・・2011年には原発事故による原油等の大量輸入で貿易赤字・円高が修正されましたが、製造業の競争力がその分上乗せになる関係です)
黒字による円高で悲鳴を上げる企業は、国内平均生産性に達していない企業のこととなります。
(この辺の意見はかなり前に連載しました)
生産性の高い企業が一定水準の円相場でもなお輸出を続けると貿易黒字が続きます。
その結果更に円高になりますので、これについて行けない・生産生の低い順に国内人件費の実質アップを回避するためには海外移転して国内高賃金雇用を避けるしかありません。
生産性の低い企業が海外工場移転した分、国内雇用の需要が減る→その結果国内労働市場では需給が緩み労働者の経済的立場が弱くなるのは当然の帰結であり、これはまさに経済原理・正義の実現と言うべきです。
労働者は自分の生産性を上げない限り(中国等の10倍の人件費を貰う以上は10倍の生産性が必要です)円高の恩恵だけ受けて痛みの部分を受入れないとしても、時間の経過でその修正が来るのは当然・正義です。
ところが人件費に関してはストレートに円相場の上下率に合わせた賃下げが出来ないので、その代わり経営者としては労働者を減らして行くしかありません。
既存労働者の解雇は容易ではないので、新規採用をその分抑制する・・あるいは新規工場を国内に設けずに海外に設ければ、現役労働者を解雇しなくとも新規労働需要が減少して行きます。
大手企業・・例えばスーパーやコンビニを見れば分るように大量店舗閉鎖と新規出店の組み合わせで活力を維持しているのですが、新規出店分を海外にシフトして行けば自然に国内店舗・従業員が減少して行きます。
大手生産企業も新規設備投資とライン廃止の繰り返しですが、新設分を海外にシフトして行くことで新規雇用を絞っています。
新規雇用に関してはこうして需要が減る一方ですから、現下の社会問題は、既得権となっている高賃金労働者の保護が新規参入者にしわ寄せして行くことになっていることとなります。
(この外に定年延長による新規雇用の縮小問題は別に書きました)
既得権保護・・これをそのままにすれば新規参入者が狭き門で争うことになります。
・・減ったパイを少数者が独り占めよりはワークシェアリングとして、短時間労働者の増加・・大勢で分担する方が労働者同士にとっても合理的ですし、短時間労働者は需給を反映し易いので企業にとっても便利なので新規雇用分から少しずつでも非正規雇用に切り替えるしかなくなって行きました。
この結果正規雇用が減って行く・・中間層の縮小となりました。
海外移転が急激ですと急激な雇用減少が生じますが、非正規雇用の増大はこれを食い止めるための中間的選択肢(・・一種のワークシェアー・・あるいは給与シェアーと言えます)の発達とも言うべきです。
解雇権の規制を厳しくして既存労働者の保護がきつくする(定年延長論もこの仲間です)ばかりで、他方で非正規雇用を禁圧あるいは白眼視・・何かと不利益扱いすると、却ってこれによって国内に踏み留まれる企業まで出て行かざるを得なくなるリスクがあります。
非正規雇用→一種のワークシェアーは、急激なグローバル化による賃下げ競争の緩和策になっていることを無視する議論は無責任です。
かと言って非正規雇用自体が良い訳ではない・・若者の未熟練労働力化を放置しているわけにはいかないので工夫が要ります。

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