格差是正32と税収1

我が国はプラザ合意以降の迂回輸出によって急激なグロ−バル化・低価格品の流入に直面しているので、汎用品職場が急激に減少しひいては労働環境が悪化しています。
緊急臨時の痛みの緩和策としての所得再分配が必須でしたし、これからも中国などとの賃金格差がなくなるまでこの進行がやむことがないのでずうっと必要でしょう。
緊急対策である以上、税を取らないまま先ず借金でも何でもして保障から始めるのは悪いことではありません。
昨年の大震災の場合でも、税収や費用負担は後の問題として先ずは緊急に援助隊の派遣・物資・資金を投入するのは当然です。
千葉市からも大量の応援部隊が派遣されましたが、そのときにタマタマ市の要人と会う機会があって費用がどうなってるのか聞いたら、「それは当然国の方で後で面倒見てくれる筈です」という答えでした。
大震災に対するような緊急支出は緊急事態が終わった後に税を上げて回収する・あるいは何らかの方法で資金手当てして補填するのが本来です。
ところが、バブル崩壊後緊急事態が続いているという理由で(国債発行による借金で賄って)資金を投入するばかりで増税しないで来たために、財政赤字が累積してしまったのです。
以前書きましたが、景気波動による不景気に対する補助金ならば、景気循環で直ぐに好景気が来ますが、・・構造的下降局面に対する激変緩和措置としての補助金の場合、何年経っても生産が上向くことはなく更に下降しているので第2次〜第3次の下支えが必要となるばかりでどこまで行っても、税を引き上げるタイミングがありません。
過疎進行地では、公共工事や補助金を何年続けてもこれがなくなれば直ぐに息切れするのと同じで、汎用品製造現場が構造的縮小過程にある以上は(5年経っても6年経ってもその間に更に悪化しているだけで)どこまで行っても増税どころではありません。
こうして財政出動繰り返しの結果、ギリシャ危機発生で我が国も赤字解消が焦眉の急と言われていたところで、更に昨年は大震災にあったのでまたまた財政出動が先になってしまいました。
バブル崩壊後20年以上も緊急事態の連続を理由に、税を取らずに補助・・財政支出を増やし続けていたのでは財政赤字が累積するのは仕方がないことです。
そこで取れるところから取るしかないので、国債発行残高増加と諸外国に比べた高率法人税率の基礎になっているのですが、法人いじめばかりでは金の卵を生む鶏を殺してしまうようなもので、所得再分配の原資がなくなります。
法人ばかりに負担させるのではなく国民等しく公共コスト・税を負担すべきだとすれば消費税ほど合理的・公平な負担制度はありません。
March 3, 2012「デフレと不人気政治」でも書きましたが、補助金増加分の増税の必要だけではなく、デフレ経済が続くと同じ税率では税収が減ってしまうのでその関係の調整としての増税も必要です。
消費税が合理的・公平なことについては09/05/07「小うるさい国民性4(会費負担と発言権1)」その他のコラムで以前書きました。
消費税増税も無理ならば、社会保障に回すべき税負担を国民がしたくないという意思表示ですから、所得再配分政策に反対だとも言えますから見直して行くしかないのでしょうか。
自分のお金は出したくない・・「税は負担したくないが可哀想だからか何とかしてやれ」「・・自分が出すのはイヤだが法人から取れば良いだろう」「資金がないなら借金してでも可哀想だから出してやれ」という主張がここ20年あまりの風潮です。

格差是正31(給与補助金1)

職場が減れば需給の結果労働者の立場が弱くなるのは、新自由主義(ネオリベラリズム)かどうかではなく、昔からの経済の原理そのものです。
フリードマンの新自由主義、ケインズ主義、古典派経済学、◯◯経済学かの論理の違いによるものではないでしょう。
どの経済理論でも、すべての分野で需給が緩めば価格が下がる・・立場が弱くなるし、鉱物資源でも人材でも稀少化すれば価格が上がり地位・待遇が上がる原理は変わりません。
と言うよりか経済学者はこうした原理を公理のような前提として自分の理論の正しさを論じているのです。
西洋で女性の地位が向上し人権意識が高まったのもペストの大流行によって人口が激減したことに端を発しています。
アメリカでは建国当初から女性不足と人間不足社会でしたから移民受入れに積極的でしたし、裏返せば人手不足で機械化に熱心で人権意識や女性の社会進出に熱心だった基礎でもあったのです。
中国の人権問題をアメリカが問題にしていますが、いくらでも湧いて来るかのような多すぎる人口問題を抱える中国では人が貴重ではないので、人権を説いても意味がなかったことが数百年後に分ることでしょう。
賃金の国際格差問題に戻ります。
解放直後の中国では最初は近代的な工場で働く習慣がないなど労働の質や技術差が大きかったので当時で言えば20倍前後の賃金格差は妥当だったでしょうが、・・・日本人が現地指導した結果、野菜その他良いものを作らねばないという意識も育つし、一定期間経過でどこの国でも生産用機械さえ同じならば日本国内並みの生産性に上がって行きます。
中国の改革開放後既に約30年も経過していて似た機械で生産すれば生産性が殆ど変わらなくなっている以上は、日本人の賃金も裸の自由(市場)競争に曝されれば、中国等の人件費とほぼ同じ賃金水準になって行くべきでしょう。
(これが人類平等の基本原理の発露です)
ところが中国の解放後約30年経過してなお日本人労働者と約10倍の賃金差を維持しているのですが、今では日本人と中国人との能力差が10倍もない(同じ工業製品でも少しは日本よりは精度が悪いかも知れませんが、10倍も製品に値段差を付ける品質差がない筈です。)のにこの格差が残っているのは市場経済・人類平等の原理から見れば異常です。
未だにこんな大きな賃金差がまかり通っているのは、日本国内での所得再分配政策・補助金の結果によることになります。
国際相場よりも無茶高い米や麦が補助金・高関税の結果まだ生産出来ているのと同じ原理です。
補助金の出所ですが、海外進出企業の国内工場で働く人は、その企業の海外収益回収による再分配で成り立って(内部的に完結)いますが、海外進出していない企業の高賃金は税による再分配によらない限り成り立ちません。

構造変化と緩和策1(ストレスとその対処)

バブル崩壊以降の我が国の苦境は、汎用品製造に関しては、低賃金国とのコスト競争に無理があることによるのですから、汎用品製造向け人材は徐々に低賃金国の水準に生活水準を合わせて行くしかないことにあります。
最近、今後4〜5年もすれば中国の人件費の上昇によって、日本国内生産の方がカントリーリスクを加味すると安くなると言う願望的意見が出始めています。
こうした願望が繰り返されること自体、人件費格差が我が国経済低迷の最大の原因であること・・結局は先進国の賃金が下落し新興国の水準が上昇して結果として生活水準の平準化の完成しかないことを物語っています。
そうとすれば、新興国の賃金上昇と日本国内の賃金水準のジリ貧・長期的下降が続くのは不可避です。
この現象はこれまで豊かな生活をして来た先進国国民にとっては大きなストレスであることは疑いのない事実ですが、このストレスの吐け口として特定政治家・政党の責任にしたり、今の若者がだらしないと言って世代問題や教育の所為にしても解決しませんし、特定のスケープゴート探しで解決出来るものではありません。
現下の閉塞感の根本は、グローバル化の進行・・構造問題・・結局は生活水準低下の見込みを国民が体感していることにあり、誰に文句言っても仕方がない・行き場のない不満・・これをストレスというのでしょうが、政治家や誰かの責任にしても意味がありません。
この苦境を乗り切るには国民みんな一人一人の智恵の結集しかないのですから、国難に「明るく」対処して行くしかないでしょう。
ただし、急激な国際平準化進行による痛み・・職場縮小の速度を落とし、失業の増加、生活保護の増加を緩和する必要があるのは確かですから、これをどのように実現するかが重要ですから政治家の役割がなくなったのではありません。
ただ・・・・誰がやっても後ろ向きの政策が中心ですので、国民にストレスが溜まるのは仕方がないでしょう。
破竹の勢いで進むときの大将は楽ですが、損害を少なくしながらの撤退作戦は難しいのです。
急激な失業や賃金下落に対する緩和策としては海外展開によって儲けを多くして国内に送金する穴埋めも1方法でしょうが、海外収益の送金に頼るのは日本の過疎地で言えば出稼ぎによる送金・仕送り頼みと同じですから先の展望がありません。
前向きの施策としては、正月以来東レなど高度化の成功例を紹介してきましたが、こうした成功事例を少しでも大きくして行く努力が政治であり経済人のつとめです。
こうした成功事例が少しくらいあっても、高度化対応出来る人材は限られていて大量生産職場縮小の穴埋め・・この種人材は大量にいます・・には追いつかない・・精々賃下げ圧力を少し押しとどめる程度に過ぎないのが実情です。
すなわち、努力がうまく行っても急激な落ち込みを緩和するくらいが関の山ですから、徐々に平均的人材の職場が減って行くのは防ぎようがない・・・国民は痛みを我慢するしかなくストレスを感じるのは仕方がないことです。
これが不満だからと言って政治家のクビのすげ替え・内部分裂・・何でも反対ばかりしていては、却って落ち着いて対処出来ず国力が低下するばかりです。
ここ数年千葉県弁護士会の総会では執行部提案が次々と否決される時代が続いています。
会の基本方針が何も決まらない状態・・ともかく反対が多いのですが、私はこれをストレス発散時代が来たのではないかと理解しています。

構造変化と格差30(苦しいときこそ結束を!)

新興国からの輸入増大で国内生産業が苦境に陥り、ひいては労働環境が悪くなり続けることに対する不満が積もり積もっていますので、政治家であれ誰かに不満をぶっつけたい気持ちがわからないでもありませんが、政治家はその責任逃れにそのスケープゴートとして新自由主義経済学・ひいては現実対応政治を推進した小泉元政権の責任にしたがっているだけではないでしょうか。
こうした風潮に呼応してストレスを発散の目標・標的を次々と定めて順次攻撃する政治家が現れました。
これが橋下大坂市長です。
グローバル化による地盤沈下の最も激しい大阪経済圏・・それだけにストレスも全国で一番強いと思われますが、橋下氏はスケープゴートを選び出す標的政治を続けていますが、このような政治で大阪の地盤沈下の進行を止められると言うのでしょうか?
大阪を本拠とする松下電気・改めパナソニックの凋落が著しいですが、パナソニックが立ち直るには社内の戦犯探しではなく、前向きのイノヴェーション能力発揮にかかっているのです。
橋下氏の政治手法では次々と標的の掘り出しに努めることになるのでしょうから、次の標的にされると大変なことになるので国民は疑心暗鬼になり萎縮するばかりではないでしょうか?
彼の政治手法は国民のストレスに反応してスケープゴートを探すものに過ぎず、第二次世界大戦の原因になったナチスやファッショ同様のやり方では危険であることについてFebruary 2, 2012「大阪の地盤沈下3とスケープゴート探しの危険性1」以下で連載しましたが、予想どおりり大阪市をどうするというビジョンすらないまま国政に対する大風呂敷だけ広げる方向に進んでいます。
ストレス発散のためのスケープゴート探しばかりでは、却って萎縮してしまい日本の元気を取り戻すことは不可能です。
こんなことでストレス発散していると我が国の強みである国民の信頼関係・絆を破壊してしまい、長期的には大きなマイナスですから、国民には煽動に踊らない冷静な反応が求められます。
ジリ貧のときには政治的不満のはけ口が欲しくなり指導力の欠如を言い立てて内部分裂を繰り返すことが多いのは歴史を見れば、滅亡した国の共通項です。
この不満分子の存在に外国がつけ込む隙を与え外国の介入を許し、ひいては弱小国が亡国の道を歩むことが多いのは、どこの国の歴史でも同じです。
弱小国では強い国に狙われるとどうにもならない閉塞感から内部分裂が始ります。
強国はその一方に肩入れすることによって軍を入れる口実を得て、侵略・その後の支配に成功するのが普通です。
歴史を見ると一致団結が必要な困難なときに限って、責任追及論が起きて内部分裂を誘発し、ひいては外部の介入を受けることになって滅亡するのが滅亡民族の殆どの行動パターンです。
困難なときには誰がやってもうまく行かないのですから、責任者を選んだ以上はその任期中は見守る度量が必要です。
度量のない国民・民族は一旦下り坂になると挽回するどころか、内部争いばかりに精出して却って何も有効な手が打てなくなり一方で虎視眈々と狙っている外国の侵略を招き寄せて滅亡を加速してしまいます。
近いところでは清朝末期の内部混乱がこれですし、他方明治維新は逸早く国論を統一して一致団結出来た成功例です。
我が国の場合、古代における白村江の敗戦でも敗戦責任論よりは、先ずは一致団結しての国防に邁進した結果この時点で強烈な民族意識が完成しましたし、(多分世界最古ではないでしょうか?それまで列島全体の統一した仲間意識は緩かったと思われます)蒙古襲来時でも戦っているときには国論の分裂はありませんでした。
(分裂・・鎌倉政権の崩壊はその後でした)
第二次世界大戦では、歴史始まって以来の大敗戦でしたが、戦争責任を追及したのは占領軍であり、日本国民は「ヒデー目にあった・・」という人はいても、仲間内の責任追及に精出さないでともかく復興一筋でやって来ました。
アメリカとしては火付け役として軍事裁判をしてやったので、後は日本人同士でいがみ合えば良いと思っていたでしょうが・・・。
日本人はいがみ合うどころか、アメリカに対して「アメリカの方こそ非戦闘員の日本人一般市民を何十万人と殺しながら、一方的なひどい裁判をされた」と恨んでいる人の方が多いのですから、今になるとアメリカは失敗したと思っているでしょう。
日本人はみんな同胞・・家族意識で生きている点を知らなかったのでしょう。
アメリカ主導の極東軍事裁判で処刑された人は、日本人にとっては家族同様の同胞が(言いがかりで)処刑された悲しみになります。
日本では、今でもインドに対する親愛感が強いのは、インド人判事がその裁判で正論を吐いてくれたし、苦しいときに象を送ってくれたりした恩義に感じる人が多いからです。
アメリカ(いじめっ子)の意向に便乗して日本叩きに精出している国は、その逆になっていることに気がつかないのしょう。

政治と経済1(権力政治と新自由主義4)

政治と経済に関しては米将軍と言われた吉宗の例、あるいは計画・強制経済であったソ連の破産状態を見るまでもなく、政治は経済に対して万能どころか振り回されて来たのが実情です。
振り回されないでいられた解放前の中国や北朝鮮の場合は、権力で押さえ込んで経済活動を麻痺させて来たことによるのであって、その分経済・・ひいては生活水準が停滞したままでした。
中国での解放前には、大躍進政策の赫々たる成果の発表の裏で何千万人にも及ぶ餓死者が発生していたことを想起すれば、経済活動を政治権力で抑圧した場合の効果は今の北朝鮮同様であったことが分ります。
いわゆる東洋的専制君主制である中国や朝鮮では、国民の苦しみなどよりも君主の絶対権力の強制が先ず第一の関心ですから、その系譜を引く中共や北朝鮮で権力意思が貫徹出来ていたのは当然でしょう。
市場経済化した筈の韓国やシンガポールでも権力が経済政策を市場経済化を進めると決めればどんな反対があっても粉砕して突き進める点はこうした歴史経緯から理解可能です。
韓国と北朝鮮との違いは、「市場経済化」で行くと権力が決めている点が違うだけで(決定過程が民主主義的であるかは別として決めてしまえば)権力政治である点は同じです。
ソ連の場合も共産主義革命を経たとは言ってもピョートル大帝以来、もっと遡ればイワン雷帝以来の専制的君主制・・西洋の絶対君主制とは違います・・で来た歴史が、経済の自然の流れを無視した強権政治を可能にしたと思われます。
生活水準の向上を図るには、経済の動きに政治が合わせて行くしかない・・・振り回される立場ですが、政治は金融調節や補助金、あるいは規制によって一定期間強制出来る関係があるので、相互作用関係にあると言うべきでしょう。
グローバル化自体は、貿易赤字の続くアメリカによる日本の貿易黒字に対する通商法などの乱発で保護主義を強めた結果、(日本は中国がやるようにWTOに訴えるなどしてアメリカには抵抗出来ないので・・なんたって敗戦国のままです)日本が韓国、台湾・・東南アジア等を迂回輸出先にしたことに始まります。
ちなみに韓国・台湾等の急激な経済成長は、アメリカ主導による日本に対する急激な円高要求・・プラザ合意以降のことです。
そのころはまだ自動化が進んでいなかったので日本企業が東南アジア等で現地人の訓練に(・・規則正しい労働にさえ馴れていないことも問題でした)苦労する姿がしょっ中報道されてました。
上記のように大変化は政治によってもたらされることがあるので、その意味では政治の影響力は大きいのですが、経済の個別内容自体に関して政治の決定が影響を与えるのは却って危険です。
迂回輸出が始まった結果、韓国、台湾・東南アジア諸国は雁行的発展・・工業製品輸出国になり、更には中国の改革開放政策により、それぞれが日本の競争相手になって来たのであって、(ブーメラン効果は早くから危惧されて来たことです・・)自由主義経済学者の意見によるものではありません。
中国や新興国の桁違いに安い人件費を基礎にして、世界中から新興国へ工場進出が殺到して最初は食料品・衣類等軽工業から始まりその後は車、半導体等先端技術に及んできました。
今では世界最先端を走るアップルの製品の大半が中国で生産されている時代です。
各種大量生産品目が雪崩のように逆輸入されるようになって、世界中の先進国では国内生産業が淘汰されるようになったのは、新自由主義経済学の結果ではありません。
これまで書いているように、海外生産移行拡大→大量の逆輸入が生じた結果国内大量生産業が順次淘汰されて行く過程で、大量生産に携わって来た中間層以下・工場労働者の職域が縮小されて行ったのは必然の結果でした。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC