国家的事業と自治体の拒否権3(外国人参政権1)

与那国島の例を見ると、レーダー基地1つ作るのにも地元住民同意が要るのに驚く人がいるでしょう・・私は少なくとも驚きました。
October 11, 2016「米軍の立証責任(不逞鮮人がいたのか?)2」前後で占領軍による検閲を通じたマスコミ・教育界の支配の浸透について書き始めてその後マスコミや教育界の左翼文化人の成長を書いているところで、話題が横に逸れていますが、その到達点の1つと言うか外国人の住民投票を主張する勢力が増えて来たことが分ります。
中央政府が何を決めてもそれを国内のどこかで実施するためには、(1昨日の新潟県知事選挙の結果原発再稼働について、原発再稼働について知事同意を得るのが困難になったと言う報道です)地元自治体の同意が必要になって来たことと、これと平行して自治体参政権や自治体職員への外国人に対する門戸解放運動の進展は、占領軍の残したことではなく米軍の意向に率先反応・迎合して、大義無視→ドンドン個人主義思想・地域エゴ拡張に精出す人を増やして来た成果の到達点と言えるでしょう。
国防問題を決めるのに、地域にいくらお金が落ちるかが争点になっているというのですから嘆かわしい低レベル化が進んでいます。
共同体意識に基づいて国防問題を議論すべきとすれば、共同体構成員でない外国人がこの議決に何故参加すべきなのかよく分かりません。
外国人にも自治体選挙権を与えるべきと言うのが、共産党や公明党や民主党の主張だったと思いますが・・。
10月15日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wikiからの引用です。
外国人参政権
民主党・公明党・日本共産党など各党は、上記「傍論」を根拠の1つとして、外国人地方参政権付与法案を提出している。ただし、その対象者は、「傍論」が想定していた範囲(特別永住者のみ)を拡大し、一般永住者にまで参政権を付与することを想定している。民主党賛成派議連の2008年提言では、一般永住者にまで参政権付与対象を拡大する理由として「(両者)いずれも、我が国において地域社会の一員として、日本人と同様に生活を営んでおり、その点において本質的な差異はない」と住民権(市民権)を模範にした」
上記の民主党などの主張に呼応する自治体があって、自治体によっては外国人にいろんな関与権を認めるようになっていますが、昨日紹介したとおり与那国島では正に自衛隊基地設置の可否を決める国家的重要テーマの決定まで定住外国人の投票権を認めていることが分ります。
日常生活に密着した決定・どこに信号機をつけるかゴミステーションがどこに必要かなどの日常テーマでは外国人も日本人にも差をつける必要はないと言う主張には合理性があります。
ところが国防や列島全体の産業構造配置・・国レベルで決めるべき重要問題の実施段階で地元自治体が最終決定権..事実上の拒否権を持っている我が国では、こう言う権限のない諸外国の例を持って来て外国人でも居住している以上参政権を認めるべきと言う論理、説明は実態の虚偽説明、無理があります。
本当の日常的決定・例えば自治会役員やPTA役員のなり手がなくて困っている現状からみても、外国人参政権付与運動の本音は日常的決定参加にない・・国策その他重要事項決定への住民参加に関心があっての事と推測されます。
外国人参政権付与を主張しているグループや政党の実際の運動を見ても、国政レベルでは少数の支持しか得られない野党の主張を実現するために・・例えば自衛隊違憲論や成田空港反対論→現地反対運動の激化・・国政レベルでは全く支持されていない少数意見を自治体レベルの運動として実現しようとしているかのように見えます。
成田空港開設を例にすると空港設置段階で現地に入り込んで一坪地主と言う濫用的権利者を創設して反対運動を展開していましたが、こう言うことが許されると国政で決めるべき航空政策を地域限定の敗者復活戦が出来ることになります。
既存空港で見れば、各地で騒音被害による飛行差し止め訴訟が行なわれているのも、国政レベルで決めた(日本の発展のために空港が必要と言う政策決定・・空港など不要・・国際社会の航空機時代到来に遅れてしまえば良い?と言う意見が国政決定の場で負けた)ことを司法の場に移し替えて敗者復活戦をしている構図です。
こう言う争いばかりして国の政策実現妨害が続いたことによって、成田空港の拡張一つとってもものすごい時間がかかる結果、日本が国際ハブ空港競争に遅れをとった原因であり、もしかして彼らが日本戦後復興や発展妨害意図で運動しているとすれば、その成果が出ていることになります。
いわゆるネト右翼によれば「反日野党」と言う定義ですが、私にはそれが正しいかどうか真偽不明ですが、外国人の参政権が認められる地域がドンドン広がる・・参政権の認められる外国人の範囲も徐々に広がり、決定参加事項が広がって行くと中韓から意図的送り込みが行われるようになるリスクが高まります。
意図的に送り込まれている外国人の場合、日本発展のために決めるあらゆる政府施策に反対=野党支持層に回る読みがあるから外国人の参政権実現に熱心になっていると言う見方もま成り立ちます。
国家プロジェクトに対して住民参加権を与える議決があちこちの自治体で増えて行く・・結果的に国政の少数者が国政で認められない意見に基づいて現場施行段階で国政実行を阻止出来る仕組み構築を長期間掛けて構築して来たことになります。
国政段階では1票の格差違憲論を展開して、国政決定の権威失墜を狙いながら、足下では・・過疎地・・絶対的少数派が国政実施を阻止する権利を着々と植え付けてきたのが戦後政治です。
1票の格差があって、全国の得票率の少ない方が政権を取る逆転現象があれば・・その疑いがあるならば事前に問題視すべき違憲状態ですが、4〜5百人もいる代議士の内、2〜3の選挙区の人口が比較的少ないだけでは、(その選挙区人口が増えればその選挙区の当落が逆転する保障もないし、仮に数名入れ替わるとしても・・あるいはその選挙区代表が一人減っても)与野党の代議士数が僅差でない限りトータル政権正統性に何の関連性もありませんから、ソモソモ違憲状態を言う判決自体が野党系の主張に偏り過ぎているし、マスコミも大騒ぎし過ぎています。
この後で選挙前に住民移動する戦略が普通に行なわれていることを書いて行きますが、これを実行しているのが野党中心であるコトと、全国的選挙結果にそれほど影響がないためにマスコミは全くこの弊害を報じていません。
1票の格差問題は、結果に大きな影響がない・・もしかしたら結果に全く影響しないのに何故これだけをマスコミが選挙の都度毎回大げさに騒いでいるのか?
他方で国政段階で決めたことを実行段階で小さな自治体が覆せる・・あるいは成田の一坪地主運動のように何十年も遅滞させられる国家の基本に関する不都合を何故報道しないのかの疑問です。
1票の格差論の大宣伝は、国政選挙は正統性がないが、(外国人参政家付与を主張しながら)自治体選挙の方には正統性があるかのようなイメージ操作が疑われます。

国家的事業と自治体の拒否権(国家意思形成システム破壊)2

警察や災害対応制度ばかりではなく、原発や軍事基地設置・首都圏水源地など国家的大事業・関心のある事柄についてその是非を地元自治体が最終決定して行く・・占領軍が残して行った基本的制度設計・・地元の同意がないと何も出来ない仕組みの是非を議論して行く必要がありそうです。
近年の中国軍の激しい挑発・進出に備えた与那国島への自衛隊駐留の可否を15年に住民投票で決めていましたので、これを例題として考えて行きましょう。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/22/yonaguni-referendum_n_6729828.htmlからの引用です。
「国境の島」として知られる日本最西端の与那国島で、自衛隊配備の是非を問う住民投票が2月22日に実施され、即日開票の結果、賛成が過半数を占めた。47NEWSなどが報じた。
住民投票で問われたのは、陸上自衛隊の沿岸監視部隊約150人と沿岸監視レーダーの配備の是非。防衛省は南西諸島の防衛強化の一環として2015年度中の配備を目指していた。与那国島は中国・台湾が領有権を主張している尖閣諸島から約150キロ、台湾から約110キロの位置にあるため、監視部隊を通じて航空機や船舶の動きを把握する狙いがある。
■賛成派と反対派で島を二分する争いに
与那国島への自衛隊誘致は、2008年に町議会が決議をしてから約6年半が経過したが、島内は誘致賛成と反対で二分されてきた。町長選や町議選のたびに賛成、反対両派が激突した。
2013年に行われた前回町長選では、賛成派の外間守吉町長が3選を果たした。ただし、票差は47票に過ぎず、反対派の勢いは衰えなかった。
時事ドットコムによると、同島の全域を占める沖縄県与那国町の人口は約1500人で、有権者は永住外国人も含む中学生以上の1276人。投票率は85.74%だった。朝日新聞デジタルによると、開票結果は賛成632票、反対445票、無効17票だった。」
国家防衛の基地を設置することについて、最果て・国境付近の自治体が拒否権を持つことが合理的でしょうか?
泣いて馬謖を斬ると言い、医療で言えば、より重要な身体部位を活かすために身体の一部を切除したりきつい薬を飲んで胃腸が一時弱っても構わない・・全体のために一部に負荷をかける・・一部に犠牲を強いるのが生命体・組織維持の原則です。
その部位を全体の犠牲にするのが可哀相と言って放置していると全体が壊死したり、脳梗塞の場合で言えば出血していないところから切って脳の止血手術をするのはおかしいと行って拒否しているとドンドン出血してしまうし、その他の傷病でも一部に負荷をかけるのが嫌がって、出血止めのために包帯で縛ることさえ許さなければ、病原菌・毒素が全体に回ってしまったりして全体が死んでしまいます。
国防のための軍事基地は論理的に国境付近・・過疎地・・身体で言えば身体の端にあるのが古代から原則です。
険しい山地や絶海の孤島には当然人口が少ないのですが、僅かの人口が真っ先に攻撃されるからイヤだと言えるとすれば、もっと国境から下がった人口50万の地域も基地を置いて攻撃されるリスク・・1億のための犠牲はイヤだと言える理屈ですから、順次これを認めていると国防は成り立ちません。
基地設置に関して自治体が決める権利のある国は、およそ主権国家=自国の安全を自国で守る国においてはあり得ない選択と思われます。
自治体が自衛隊基地の設置や自衛隊の出動の可否、水源地のダム設置など国家維持に枢要なことを全部最終的に決める仕組みは、国家存続に必須のことを国家自体が自分で決められないことになります。
連合国や連合軍ならば要請がければ応援する必要がないのですが、1つの国である限り国境の町の要請がなくともそこで守らないと国全体が守れない場合や損害が拡大してしまう場合があります。
その街が防衛の要衝であるかどうかは中央政府の判断事項であって国境の町が自分で決めるものではありません。
どこで国を守るべきかの判断すら出来ない政府は・・政府としての機能を果たしていない・・国家統一出来ていないのと同じです。
ありとあらゆる組織や団体で自分の団体の行動を自己決定出来ない仕組みであるとしたら、「団体」とは言えないでしょう。
自治体が国防その他国家の重要事項に事実上拒否権があるのでは、独立国・主権国家のあり方としては本来不合理ですから、・・占領軍は、占領後武装解除の延長として非武装憲法を強制した外に日本国の統治気候そのものを機能出来ないようにしてしまう目的があったかのようです。
仮に将来今後軍備を持てるように日本が法改正しても、簡単に軍事基地を各地に設置し難いし、出動すら出来ない仕組みを作っておいたことが分ります。
警察制度や災害対策の外、占領軍の置き土産は統一国家としての運営を困難にするための制度設計でした。
中央政府が決めても実施するべき地域には必ず自治体があるので、実施するべき土地の自治体の同意がないと政策が何も実行出来ない・・連合国のような関係になっています。
例えば国立研究所・博物館・音楽ホール設立を決めても、地元での建設工事や開発行為には知事や市長の許認可がいります。
こう言う施設は歓迎するばかりで問題がありませんが、政治的意見の対立する分野では国政選挙で決まったことを小さな村や町の多数決でひっくり返せる仕組みです。
政府意思が貫徹出来ない制度設計(テロや敵国への空爆等は敵国の各種行為が予定どおり進まなくすることが目的ですから同じ効果を狙っています)が完成したのは、共同体利益を無視し、大義より、個人(地元)利益の飽くなき主張・小義を重視するように人格改造を目指していた効果が出て来た結果と思われます。
報道によると基地誘致によるメリットが当初想定より少ないと言うことで、賛否が拮抗して来たと言う報道がありました・・。
原発誘致も同じで地元に資金がいくら引っ張れるかその後の雇用がどうなるかが実質争点になって久しい・・何事も個人利益・地域エゴ思想が根付いてます。

国家的関心事と自治体の拒否権(国家意思形成システム破壊)1

ソモソモ、独立国家で治安維持に国家的責任を持つべき・・国家警察・実動部隊を持たない国が日本以外にあるのでしょうか?
占領軍は日本の「武力」部分を徹底破壊し尽くす目的であったことが分ります。
日本は独立後もアメリカのご機嫌を損なうことが出来ず、自治体警察の基本を変えられないまま現在に至っているのです。
占領軍による警察の組織力破壊ばかりはなく、福島原発事故対応に際して、消防出動が各都道府県知事または自治体首長の権限(石原都知事が何か不満を言っていたことが報道されていましたが国家的大災害に際して、国家・政府が直截出動命令を出せない仕組みになっている状態が報道されていましたが、国家規模の大事件に対しておかしいと思った人が多いのではないでしょうか?
これまでも大災害・・神戸大地震のときだったか自衛隊の応援要請が遅れた知事がいて問題視されたことがあるように思いますが、・・国家的大災害でも知事の意見次第と言うのは、国家のあり方としておかしくないでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/阪神・淡路大震災
「自衛隊については、地震発生数分後には行動を始めたものの、阪急伊丹駅へ近傍派遣(災害派遣)を行った第36普通科連隊を除き、神戸市中心部への災害派遣は直ちにはなされなかった。第36普通科連隊は、「近傍派遣」(自衛隊法第八十三条三項)によって出動しているが、他の部隊は知事の要請(自衛隊法第八十三条一項)の待機状態になっていた。」
「こうした状況把握の混乱の中、派遣要請は、地震発生から4時間後に自衛隊との電話が偶然繋がった野口一行・兵庫県消防交通安全課課長補佐(当時)の機転で行われ、知事へは事後承諾となった」
タマタマ中間管理職の機転で出動出来たと言う偶然によっているようです。
災害対策基本法
(昭和三十六年十一月十五日法律第二百二十三号)
(国の責務)
第三条  国は、前条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのつとり、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護する使命を有することに鑑み、組織及び機能の全てを挙げて防災に関し万全の措置を講ずる責務を有する。
2  国は、前項の責務を遂行するため、災害予防、災害応急対策及び災害復旧の基本となるべき計画を作成し、及び法令に基づきこれを実施するとともに、地方公共団体、指定公共機関、指定地方公共機関等が処理する防災に関する事務又は業務の実施の推進とその総合調整を行ない、及び災害に係る経費負担の適正化を図らなければならない。
3  指定行政機関及び指定地方行政機関は、その所掌事務を遂行するにあたつては、第一項に規定する国の責務が十分に果たされることとなるように、相互に協力しなければならない。
4  指定行政機関の長及び指定地方行政機関の長は、この法律の規定による都道府県及び市町村の地域防災計画の作成及び実施が円滑に行なわれるように、その所掌事務について当該都道府県又は市町村に対し、勧告し、指導し、助言し、その他適切な措置をとらなければならない。

上記を見れば分るように警察庁法同様に政府は企画立案する程度でイザと言うときに統括して指揮命令出来る権能を書いていません。
指揮命令権がない前提で政府からの勧告や助言、自治体間の「協力」を強調しているだけです。
「協力」と言うことは自治体の首長次第で協力しない権利が留保されていることになります。
アメリカではハリケーン・カトリーナの大災害に際しての連邦政府の対応の不手際があって議論が続いているようですが、以下の論文を読むと、アメリカでは連邦政府成立独立戦争の歴史経緯があって、州軍・民兵と言うモノがあって、第一次的に州の軍隊が出動する前提があったところ、ハリケーンカトリーナでは、州単位では対応し切れない大規模災害になったことによるものらしいです。
http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/3-1/3-1-4.pdf
海幹校戦略研究2013年5月(3-1)
48米国における軍隊の国内出動
―「カトリーナ」が残したもの
―井上 高志
本文省略(自警団?に始まる軍の歴史を説き起こしていて内容がありますので、関心のある方は直接お読み下さい)
日本の場合県単位の軍が元々ないし、アメリカの各州とは比較にならないほど地方自治体の規模が小さいのですから、県知事の要請(自治体軍で手に負えないときだけ?と言う前提がありません)が出てから出動する仕組み自体が不合理です。
要請がなくとも大災害があれば救援は一刻を争うのですから自動的に災害救援部隊は救援出動出来る・・職権発動形式にすべきです。
消防署やパトカーは被害者の救援以来がなくとも出動しています・・被害者・・被害が県単位の大規模になったときだけ、県知事の救援依頼手続を要求するのは矛盾です。
(大規模災害のときは被害甚大で却って急ぎますし、遠くから来てもらうには時間がかかります)
兵力は「悪」と言う非武装論同様の前提思想があって、依頼がない限り助けてはいけないという逆立ちした思想に縛られているからです。
EUやイギリス(連合王国)、アメリカ(合衆国と翻訳されていますが、国家形態としてはUNITED STATE . 連合・連邦国家です)ドイツも連邦制ですし、欧米系の国は、連邦・連合国が多いのです。
一定の主権国の連合体では、元々別の国が連合・連邦になっただけですから、隣の国の軍や警察が勝手に入って来るのは困るので救援要請の手順を要する歴史があるのは分ります。
EUの場合も同じでしょう。
我が国の場合列島全体が古代から同胞意識であり、現在の県単位は明治初期に中央政府の都合で決めた括りでしかありませんから、県単位で対立するための軍隊や警察を持ったこともないし、・・それぞれの民族意識や敵対意識がありません。
大災害が起きたら、隣の県の警察だろうと消防だろうとどちらでも良いから、速く助けに来て欲しいものです。
このため消防組織に関しては市町村の枠を越えた助け合い・・広域消防組合が出来て協力に留まらず(協力要請→承諾→出動ではなく)自動的な関係=出動指令体制の一本化が進んでいますが、これでも同一県内だけです。
県境を越えると飽くまで協力要請がないと何故行けないのか?
欧米流の自治・ステート概念に学者が毒され過ぎていると思われます。
欧米のステートと都道府県は全く成り立ちが違うのです。
国家とはどういうものか?
欧米の概念を翻訳してその制度をそのママ、国情・歴史の違う我が国に導入するのではなく、実質・成り立ちに遡って考え直すべき時期が来ているでしょう。

地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)

昨日与那国島の例を紹介しました。
自治制の弊害を最大限悪用しているように見えますが、この悪用のために今でもいわゆるプロ市民(もしかして日本人だけではないのか?)が沖縄に住民票を移して基地反対運動に励んでいると言われています。
憲法の勉強をしていると地方自治の重要性の記述が多いのですが、どの論文にも民主制の基礎と言うばかりで何故重要かの具体的説明がありません。
日本が将来国力回復しても一枚岩で行動出来ないための妨害装置としての遺産・・アメリカの重要な置き土産だから非武装主義同様に論理的議論を許さない・・宗教のようにあがめるしかないと言うことでしょうか?
全国に波及する基準は全国統一の方が良い・自治体ごとに自主性がある・・基準が違う必要がないばかりか自治体ごとに基準が違うのでは有害です。
TPPの基本は加盟国では1つのルールにしましょうと言う精神の国際版です。
全国統一基準必要な分野で地方自主性があると却って混乱します。
電化製品やクルマの部品が地方ごとに違う基準では、全国的サプライチェーンでの製造が出来ません。
客観的な物品規格統一だけではなく、人間交流や物流の発展によって、国内では価値観均一化も進んでいます。
私の高校時代には、あちこち一人で旅行すると地域ごとに違う家の形や風景の違いを見るのが楽しみでしたが、今ではどこへ行っても似たような家の建て方ばかり・着ているものも職業生活も食べ物(千葉で九州の野菜など普通に食べているように)まで皆同じです。
ホテルも全国似たようななサービスがあり事前予測可能・もしもホテルごとに歯ブラシやタオル持参などの必要性が違うと準備するのに困ります。
こう言う時代になると自治体行政は身近な(全国共通基準が望ましいが経済力に応じた)サービスをやれば良いのであって,国家戦略的分野について特定地域だけが特別な権利を持つ理由がありません。
ヤマ1つ越えると何もかも言葉まで違う・・いろんな生活習慣の違う時代に出来上がった自治体ごとの基準の違い・・・「これを尊重しましょう」と言う価値観を今でも強調するのは何百年も使っていない死法をイキナリ持ち出して処罰するようなものです。
アメリカは今、沖縄基地反対運動に困っていますが、元はと言えば将来日本が国力回復したときに統一国家としての行動が出来ないように、妨害するために無茶な自治制度を作っておいたことが自分に跳ね返ってきたのです。
中国の反米・反基地闘争に利用されて基地利用に困っているのは、アメリカが遺産として残した平和憲法に縛られて日本に軍事協力させる足かせになっているのと同じ構図です。
大きな河川や海岸は本来国家管理が原則ですが、埋め立て等の現状変更には、地元漁民等の利害があるので、これに精通している自治体の許認可にかからしめている程度のことであって、(道路交通法規は全戸国一律ですが、追い越し禁止や徐行区域などの設定はカーブその他の状況を良く知っている地方に任せた方が良いと言うだけのことです)その決定基準自体が国家基準と違って良いと言うものではありません。
現憲法家では、何かちょっとした国家的政策を実現しようとするとほぼ100%地元同意が必要ですが、こんな無茶な制度を持っている「統一国家」があるでしょうか?
自国が侵略されて国民が虐殺されても抵抗する権利・・自営する権利もない憲法って、国民主権原理からして無効じゃないかと書いてきましたが、現行の地方自治制度・・地方の同意がないと国家が出来ないシステム自体が、国家権力そのものの否定・・日本を1つの統一体として認めない意味での国家権力の否定です。
昨日与那国島の住民同意の例や裁判例を紹介しましたが、国境に所在する軍事基地が戦闘の危険が迫ると撤去を求められる・・存在してはいけないかのような裁判所の判断が普通に出て来るのをみれば、国家のあり方に対する思考までも狂ってしまっているとしか良いようがありません。
統一体・・クルマで言えば、バンパーがあって本体の安全性を高めますが、ぶつかる危険を引き受けるばかりでは不公平だ、そんな部品をなくせと言うのは矛盾です。
国境地域だけが防衛負担するのはイヤだとい出して、国境から100kmまで守備隊下げておくと、その防御地点が最初の被攻撃地点になるのでその周辺が不満を言い、200k地点に下げると今度は200k地点が最初に攻撃されるのは不公平と言い出します。
これを繰り返して行くと最後は首都で最初に引き受けろとなりますが、そうなると首都住民外の国民を見捨てるしかなくなります。
辺境の地が国家全体のために防衛を引き受ける義務がないと言えるのだったら、国家防衛は成り立ちません。
アメリカが占領支配下の日本民族に対して自前の軍隊保持を禁じただけではなく、国家意思よりも地方の意思・・決定が結果的に優先するシステムを憲法に組み込んだのはは、仮に将来再軍備したとしても国家防衛のための基地を政府が思うように作れないシステムを残して行ったことが分ります。
国土内に国家意思の貫徹出来ない場所を憲法で設置した結果、日本列島を都道府県数だけの小国に分解することを米軍が強制したことになります。
まして我が国は異民族が連合して作った国家ではありません。
連邦性国家でも(ロシアやアメリカで)国家防衛のための軍事基地の設置に地元市町村の同意が要るとは考えられません。
護憲論者は現実無視・空理空論の集まりと言われるのは、独立国家としてありえない制度を議論抜きにして憲法を守れと後生大事にするところにあります。
国家意思が貫徹出来ない制度は統一国家として自己矛盾ですから、戦後日本は法的には分裂状態に置かれて来たことになります。
自治体の無茶な主張を引き出そうとする勢力は、この法的分裂状態を強化し保持しようとする勢力です。
法制度論は別としても、上記のとおり地域独自性がなくなって行く一方なのにこれを強調するのは無理がある実態を無視出来ないからか、翁長知事はこの無理(全国利害のテーマを地元の同意にかからしめる主張)を通すために「沖縄の人は日本の先住民族?少数民族なのに民族自決権が侵害されている」と言う趣旨の翁長知事の国連やアメリカでの演説になって来るのでしょう。
日本全体の支持を受けるための政治活動をするのが本来国内政治家の仕事ですが、海外発信に努力するのは、いわゆる文化人同様に国内支持の足りない分を国連などの介入・・例の国連報告書や対日勧告を取り付けるための行動でしょうか?
翁長氏が国連で演説してもアメリカ軍基地妨害目的が見え見えですので慰安婦問題のようにアメリカが応援する筈がないですから、翁長知事としては、中国の支持だけでもうけた方が良いと言う立場に切り替えたのでしょうか?
日本から沖縄切り離しを狙っている・・と言うよりは尖閣を譲らないと沖縄まで狙うぞ!と言う脅しでしょう・・・中国のあと押しを期待しているのでしょうか?
中国としては、着々と布石を打っているつもりでしょうが、逆効果のように思えます。

社会保険の赤字10(定義の重要性1)

公的保険赤字は、赤字になると分っている鉄道を政治力で無理に引かせておいて、国鉄に赤字を負担させていたのが間違っていたのと同じことです。
国鉄マンが経営努力しても政治介入分が赤字になるのは理の当然ですから、労働意欲が落ちます・・マスコミはこれを咎めて国鉄マンが如何に働かないか、だらしないかの大合唱でしたが、大もとの原因隠蔽に手を貸していた・・大もとは政治介入による労働意欲減退だったことは民営化した後の働きぶりによって証明されています。
※ダラ漢・無責任労働者がはびこっていたことも事実ですが、大もとが腐っているときに外部から見れば末端の無気力が可視的になるのはどこの組織でも同じです。
幹部が経営責任を持てなくなっていたので、労働組合も組織がどうなっても良いと言う価値観が浸透し、利用者無視のストライキばかりやるようになってしまったのです。
社会保険庁の無能ぶりが民主党+マスコミによって大騒ぎして暴かれ,政権交代になりましたが、赤字をどうやって解決していいか分らない(国民・・主として人権派が大判振る舞い運動しながらお金を出すのをいやがっている矛盾が、集中的に現れていた)憂さ晴らしに、職員をスケープゴートにしてどうなるものではありません。
国鉄であれ、社会保険であれ、経済原理を無視した優遇を要求する以上は例外措置によって生じたコスト・資金は、税で賄うべきですから税で賄った分=保険料で賄えない分を赤字と言っているのですが、赤字の意味が民間(社会常識)と違っています。
民間の経済に関しては赤字と言えば放置すれば倒産の危機に及ぶ大変な事態として知られていますが、民間経済用語を会計システムの違う公的機関に持ち込むのは用語のすり替えでしかありません。
この辺は財務省が財政赤字と繰り返し宣伝しているのと同類のすり替えです。
私が繰り返し書いて来たように、公共団体の場合には例えば収支トントンの団体が、ある年100億円で港湾や学校を作ると、100億円分そっくり赤字になりますが、同時に100億円の資産が増えたことを計算に入れない変則的な会計制度だからそうなっているだけです。
個人で言えば年収1000万円生活費900万円の人・・収支黒字100万円・預貯金・投資金5000万円の人が、(投資金をそのまま運用したままで)4000万借金して、4000万のマンションや大手企業の株式を買った場合,その年だけの金融収支としては、取得したマンションや株式価値などのプラス資産を問題にしないので、年収入1000万−(生活費等支出900万+4000)=3900万の赤字・・年収比3、9倍の赤字です
財政赤字とはこのようにその年度の債務負担だけ見て年収・GDP比何%になったと言うのですが、この概念に何の有用性があるか分りません。
家計であれ、企業であれ、財務の健全性を見るには、蓄積した+資産と金融資産とのバランスで見るべきですが、財務省(あるいはその意を受けたエコノミスト・マスコミは敢えてミスリードしているのか分りません)は、資産部門の増減を全く問題にしていません。
どこの誰も認めないようなこねくり回した独自概念を一般概念と同じであるかのような印象でマスコミに流布して、年収・GDP比何倍だから大変と主張し続けているが何が大変なのか、合理的に理解出来ない・・マサに虚偽説明そのものとプロの世界では評価されているので、国債市場や円相場はびくともしていません。
公的機関が独特の概念(国語?)を作ってマスコミに流布させているだけですから、比喩的に言えば、「役所では晴れた日を雨」と言うことに用語統一した場合、それは内部の隠語・符牒であって外部に一般概念同様に流布させるのは言語の混乱を招いてしまいます。
社会に流通している意味では、明日晴れと予想されるときに、気象庁が内部符牒のママ「明日雨です」と国民に発表すると雨を前提で仕入れたり行動する国民を欺く行為です。
こう言う場合直ぐに結果が出るので、「気象庁は何をしている!」と言う非難轟々でしょうが、経済や政治現象で言葉の定義を勝手に変えて発表すると国民は常識的意味で誤解してしまいますが、虚偽であることがすぐに分らないので、国民を欺き易い・・欺かれている方は長期的に大損害を被ります。
内部独特の符牒概念を一般概念のように使うのを「嘘つき」と言うのではないでしょうか?
同じ「ドル」でも香港ドルやオーストラリアドルや◯◯ドルごとに価値が違いますので、米ドルで交渉してまとまったときに香港ドルを払うつもりだったイキナリと言うのでは詐欺になります。

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