構造変化と格差30(苦しいときこそ結束を!)

新興国からの輸入増大で国内生産業が苦境に陥り、ひいては労働環境が悪くなり続けることに対する不満が積もり積もっていますので、政治家であれ誰かに不満をぶっつけたい気持ちがわからないでもありませんが、政治家はその責任逃れにそのスケープゴートとして新自由主義経済学・ひいては現実対応政治を推進した小泉元政権の責任にしたがっているだけではないでしょうか。
こうした風潮に呼応してストレスを発散の目標・標的を次々と定めて順次攻撃する政治家が現れました。
これが橋下大坂市長です。
グローバル化による地盤沈下の最も激しい大阪経済圏・・それだけにストレスも全国で一番強いと思われますが、橋下氏はスケープゴートを選び出す標的政治を続けていますが、このような政治で大阪の地盤沈下の進行を止められると言うのでしょうか?
大阪を本拠とする松下電気・改めパナソニックの凋落が著しいですが、パナソニックが立ち直るには社内の戦犯探しではなく、前向きのイノヴェーション能力発揮にかかっているのです。
橋下氏の政治手法では次々と標的の掘り出しに努めることになるのでしょうから、次の標的にされると大変なことになるので国民は疑心暗鬼になり萎縮するばかりではないでしょうか?
彼の政治手法は国民のストレスに反応してスケープゴートを探すものに過ぎず、第二次世界大戦の原因になったナチスやファッショ同様のやり方では危険であることについてFebruary 2, 2012「大阪の地盤沈下3とスケープゴート探しの危険性1」以下で連載しましたが、予想どおりり大阪市をどうするというビジョンすらないまま国政に対する大風呂敷だけ広げる方向に進んでいます。
ストレス発散のためのスケープゴート探しばかりでは、却って萎縮してしまい日本の元気を取り戻すことは不可能です。
こんなことでストレス発散していると我が国の強みである国民の信頼関係・絆を破壊してしまい、長期的には大きなマイナスですから、国民には煽動に踊らない冷静な反応が求められます。
ジリ貧のときには政治的不満のはけ口が欲しくなり指導力の欠如を言い立てて内部分裂を繰り返すことが多いのは歴史を見れば、滅亡した国の共通項です。
この不満分子の存在に外国がつけ込む隙を与え外国の介入を許し、ひいては弱小国が亡国の道を歩むことが多いのは、どこの国の歴史でも同じです。
弱小国では強い国に狙われるとどうにもならない閉塞感から内部分裂が始ります。
強国はその一方に肩入れすることによって軍を入れる口実を得て、侵略・その後の支配に成功するのが普通です。
歴史を見ると一致団結が必要な困難なときに限って、責任追及論が起きて内部分裂を誘発し、ひいては外部の介入を受けることになって滅亡するのが滅亡民族の殆どの行動パターンです。
困難なときには誰がやってもうまく行かないのですから、責任者を選んだ以上はその任期中は見守る度量が必要です。
度量のない国民・民族は一旦下り坂になると挽回するどころか、内部争いばかりに精出して却って何も有効な手が打てなくなり一方で虎視眈々と狙っている外国の侵略を招き寄せて滅亡を加速してしまいます。
近いところでは清朝末期の内部混乱がこれですし、他方明治維新は逸早く国論を統一して一致団結出来た成功例です。
我が国の場合、古代における白村江の敗戦でも敗戦責任論よりは、先ずは一致団結しての国防に邁進した結果この時点で強烈な民族意識が完成しましたし、(多分世界最古ではないでしょうか?それまで列島全体の統一した仲間意識は緩かったと思われます)蒙古襲来時でも戦っているときには国論の分裂はありませんでした。
(分裂・・鎌倉政権の崩壊はその後でした)
第二次世界大戦では、歴史始まって以来の大敗戦でしたが、戦争責任を追及したのは占領軍であり、日本国民は「ヒデー目にあった・・」という人はいても、仲間内の責任追及に精出さないでともかく復興一筋でやって来ました。
アメリカとしては火付け役として軍事裁判をしてやったので、後は日本人同士でいがみ合えば良いと思っていたでしょうが・・・。
日本人はいがみ合うどころか、アメリカに対して「アメリカの方こそ非戦闘員の日本人一般市民を何十万人と殺しながら、一方的なひどい裁判をされた」と恨んでいる人の方が多いのですから、今になるとアメリカは失敗したと思っているでしょう。
日本人はみんな同胞・・家族意識で生きている点を知らなかったのでしょう。
アメリカ主導の極東軍事裁判で処刑された人は、日本人にとっては家族同様の同胞が(言いがかりで)処刑された悲しみになります。
日本では、今でもインドに対する親愛感が強いのは、インド人判事がその裁判で正論を吐いてくれたし、苦しいときに象を送ってくれたりした恩義に感じる人が多いからです。
アメリカ(いじめっ子)の意向に便乗して日本叩きに精出している国は、その逆になっていることに気がつかないのしょう。

政治と経済1(権力政治と新自由主義4)

政治と経済に関しては米将軍と言われた吉宗の例、あるいは計画・強制経済であったソ連の破産状態を見るまでもなく、政治は経済に対して万能どころか振り回されて来たのが実情です。
振り回されないでいられた解放前の中国や北朝鮮の場合は、権力で押さえ込んで経済活動を麻痺させて来たことによるのであって、その分経済・・ひいては生活水準が停滞したままでした。
中国での解放前には、大躍進政策の赫々たる成果の発表の裏で何千万人にも及ぶ餓死者が発生していたことを想起すれば、経済活動を政治権力で抑圧した場合の効果は今の北朝鮮同様であったことが分ります。
いわゆる東洋的専制君主制である中国や朝鮮では、国民の苦しみなどよりも君主の絶対権力の強制が先ず第一の関心ですから、その系譜を引く中共や北朝鮮で権力意思が貫徹出来ていたのは当然でしょう。
市場経済化した筈の韓国やシンガポールでも権力が経済政策を市場経済化を進めると決めればどんな反対があっても粉砕して突き進める点はこうした歴史経緯から理解可能です。
韓国と北朝鮮との違いは、「市場経済化」で行くと権力が決めている点が違うだけで(決定過程が民主主義的であるかは別として決めてしまえば)権力政治である点は同じです。
ソ連の場合も共産主義革命を経たとは言ってもピョートル大帝以来、もっと遡ればイワン雷帝以来の専制的君主制・・西洋の絶対君主制とは違います・・で来た歴史が、経済の自然の流れを無視した強権政治を可能にしたと思われます。
生活水準の向上を図るには、経済の動きに政治が合わせて行くしかない・・・振り回される立場ですが、政治は金融調節や補助金、あるいは規制によって一定期間強制出来る関係があるので、相互作用関係にあると言うべきでしょう。
グローバル化自体は、貿易赤字の続くアメリカによる日本の貿易黒字に対する通商法などの乱発で保護主義を強めた結果、(日本は中国がやるようにWTOに訴えるなどしてアメリカには抵抗出来ないので・・なんたって敗戦国のままです)日本が韓国、台湾・・東南アジア等を迂回輸出先にしたことに始まります。
ちなみに韓国・台湾等の急激な経済成長は、アメリカ主導による日本に対する急激な円高要求・・プラザ合意以降のことです。
そのころはまだ自動化が進んでいなかったので日本企業が東南アジア等で現地人の訓練に(・・規則正しい労働にさえ馴れていないことも問題でした)苦労する姿がしょっ中報道されてました。
上記のように大変化は政治によってもたらされることがあるので、その意味では政治の影響力は大きいのですが、経済の個別内容自体に関して政治の決定が影響を与えるのは却って危険です。
迂回輸出が始まった結果、韓国、台湾・東南アジア諸国は雁行的発展・・工業製品輸出国になり、更には中国の改革開放政策により、それぞれが日本の競争相手になって来たのであって、(ブーメラン効果は早くから危惧されて来たことです・・)自由主義経済学者の意見によるものではありません。
中国や新興国の桁違いに安い人件費を基礎にして、世界中から新興国へ工場進出が殺到して最初は食料品・衣類等軽工業から始まりその後は車、半導体等先端技術に及んできました。
今では世界最先端を走るアップルの製品の大半が中国で生産されている時代です。
各種大量生産品目が雪崩のように逆輸入されるようになって、世界中の先進国では国内生産業が淘汰されるようになったのは、新自由主義経済学の結果ではありません。
これまで書いているように、海外生産移行拡大→大量の逆輸入が生じた結果国内大量生産業が順次淘汰されて行く過程で、大量生産に携わって来た中間層以下・工場労働者の職域が縮小されて行ったのは必然の結果でした。

グローバル化と格差25(新自由主義2)

話を2012/02/18「構造変化と格差23(新自由主義1)」の続き、グローバル化・国際平準化対応策→国内格差問題に戻します。
グローバル化(低賃金国の攻勢)に対応するには際限ない産業高度化しかないのですが、(対応に成功するとまた円高になりますが、この点はおくとしての話です)これが成功して仮に汎用品製造部門が縮小して行き、高度部品製造工程だけが企業に残った場合には、企業内に従来通りの給与水準で残れる人材は中間層以上の能力のある・高度技術対応人材に限られます。
国民個人も企業同様に国内に留まる限り中間層・・汎用性のある人向けの職場が減って行く以上は、元中間層は最底辺労働者としての収入を得るか失業者として高度技術者の稼いだ高収入のおこぼれを貰うしかないのは、仕方がないことです。
これを潔しとしないならば、企業のように海外脱出して低賃金国へ移住して行った先でその土地の相場の賃金で働くしかないでしょう。
生活水準低下拒否の先取りをして来たのが、(旧空間で格下げされて惨めな生活をするくらいならば知らない世界の路上生活の方がましと言う)昔からある蒸発者でしょうか?
とは言え、多くの人は生活レベルを下げるためにわざわざ行動するのは、イヤなものです。
サラ金等への支払に困っている人の相談(弁護士に相談にくるほど困っている人)でさえも、給与や収入が下がったのに合わせて安いアパートへ引っ越すのは、なかなか決断出来ない人が多いのが現実です。
高額ローンの高級マンションに居座ったままで、ローン支払用の政府補助金額が少ないと文句言っているイメ−ジになりつつあるのが現在社会でしょうか。
国内に留まって自分より稼ぎのいい人のおこぼれを貰おうとする以上は、稼ぎの多い人と彼からおこぼれを貰う人とは一定以上の格差が生じるのは当然のことであり、非難するべきことではありません。
乞食への施し・・最貧困国への援助でも何でもそうですが、「援助」というものは余程格差があってこそ行うもので、同じ会社員でも数千円や数万円の給与差程度では、援助までしないでしょう。
社会保障・・あるいは権利と名を変えても持てるものから持たざるものへの援助の本質は変わりませんから、他人の働き・援助に頼る以上は援助者と非援助者との間に一定の格差が生じるのは仕方のないことです。
より良く稼ぐ人に一定のインセンチィブを与えるために格差は必要なものですから、結局は実際の格差が合理的な許容範囲かどうかの問題です。
比喩的数字で言えば、5〜10点刻みに能力相応の小刻みな仕事があれば格差もわずかですし、誰も気にしないでしょう。
中間的仕事がなくなって60〜70点以下はみんな10〜20点(非正規雇用)の人と同じ仕事しか出来ない社会では、最低でも上記点数差だけの収入格差が生じます。
20点の仕事しか出来なくなった人はその水準の収入で良いとするならば、80点以上の人は自分の能力通り80点以上の能力に対応する収入で間に合いますので,格差はその数字差だけにで収まります。

構造変化と格差24(インフレの効果1)

低賃金国で生産出来る産業・業種のままで(高度化しないで)企業が国内に留まることは不可能ですから、(国内で倒産または海外脱出にせよ)その分国内雇用が減少して高失業社会に突入するのは仕方のないことです。
(農漁業だけが例外的に厚い保護を受けて来ました)
汎用技術のままで国内産業空洞化を防ぎ、失業率上昇を防ぐには後進国に負けない低賃金の実現しかないでしょうが、自信満々の中国でさえ、今でもまだ我が国の約10分の一の賃金に過ぎませんから、イキナリこれに合わせて賃下げすることが不可能に近いことは明らかです。
そのうえ、現役労働者の賃下げが簡単に出来ない仕組みを温存する以上は、さしあたり新規参入者を絞り、かれら(中途採用が例外で新卒中心の就職市場ですから原則として就職戦線に参加する中心は若者です)の労働条件を下げるしかありません。
この結果若者の就職難・非正規雇用が増加して、他方で賃金水準が高止まりしている既得権益者・中高年労働者との格差が開く結果になります。
比喩的に言えば、日本全体でイキナリ中国に対抗するために10分の一に賃下げ出来ないまでも1〜2割程度でも賃下げをして急激な国際競争力低下に対応しようとする場合、一律に1〜2割賃下げすれば公平ですが、日本では賃金の下方硬直性に手を付けない前提で処理してきたので一部にしわ寄せが行き格差拡大した面があります。
すなわち全く賃下げのないまま残存する者(既得権者)とその他に分けて、その他にしわ寄せが行く仕組みが、グローバル化以降の我が国の処方箋でした。
その他に対してはリストラにより失業者にし、新卒採用を減らして未就職者を増やし他方で一部非正規雇用化をすることによって、日本全体の人件費率を下げようとして来た場合、一律1〜2割引き下げに比べ社外に出された者や新規参入者の賃金下落率はもっと大きくなるのは当然です。
このような不公平・賃金下方硬直性を死守しようとしているのは、まさに格差拡大を大きな声で主張している労働側勢力ですから、矛盾した関係です。
ここで賃金の下方硬直性に関連した限度でインフレとデフレのもたらす効果について書いておきましょう。
新興国に対抗するために公平に同率生活水準引き下げを図ろうとした場合、例えば10%物価上昇すれば、国民等しく10%生活水準が下がり・・ひいては購買力平価で言えば実質賃金が10%同率で下がったことになるので、あえて賃下げやリストラをする必要がなくてスムースです。
この逆に10%のデフレの場合、等しく10%生活水準が上昇し、ひいては等しく賃金水準が10%上がってしまうので、海外からの低賃金圧力に対して逆効果になってしまいます。
デフレが続くと上記のようにリストラ・解雇等神経を逆撫でするような経済行動や政治が必要になりますが、無理なことは無理なのでうまく行かず、日本経済は苦しくなり、政治も混乱します。
身体で言えば、飲み込む(インフレ)のは簡単ですが、吐き出すの(デフレ化でのリストラや賃下げ)が苦しいのと同じ状態が続いています。

構造変化と格差23(新自由主義1)

モラルハザードにそれましたが、2012-2-12「 構造変化と格差22(モラルハザード1)」の続き・・格差問題に戻ります。
ここ5〜6年くらい前から、格差社会の広がりは新自由主義経済の結果だという意見が目立つようになりました。
(我が国は格差社会かどうかについてはオキュパイウオールデモに関して書き始めたとおり、疑問を有していますが、それはさておきと言うコラムです)
これは格差が生じたのは負け組の自己責任ではなく、経済政策や政治が悪いという他者転嫁論ではないでしょうか。
環境も無視出来ませんが、他者転嫁論だけでは前向きな解決には結びつきません。
ソ連崩壊直前ころまで流行していた共産主義者による定式的主張・・収入が低いのは搾取される制度の結果であって労働者には責任がない・・疾病も然り、学業成績が悪いのも不良になったのもすべて生育環境が悪い・・政治や社会にすべてを転嫁していた議論の焼き直しに見えます。
刑事事件であれ何であれ、悪い結果はすべて環境に原因があるという教条的議論には飽きるほどつき合ってきました。
環境は、勿論道徳観形成に影響を与えますが、貧しい環境から立派な人が出たり、親が厳しく躾けても不良になる子供は不良になる・・放っておいてくれたからのびのび成長出来たなど結果はいろいろです。
かなりの部分は、環境の影響を受けながらも本人の心がけ・・生まれつきの能力に関係することも無視出来ないでしょう。
人は環境に規定されながらも、主体的に生きて行く存在であると言う戦後流行した実存主義哲学の最盛期に育った私は、今でもそのような人生観で生きています。
私自身戦後の廃墟の中で育った自分に重ね合わせて、主体性を重んじる哲学に相性が良かったこともあります。
実存哲学とマルクス主義・ナチス・ファシストなど全体主義の関係は、03/01/08「西洋近代哲学の発展3(大衆の寄る辺は?1)」で少し書きましたし、刑法理論も似たような主張の団藤刑法学で一貫していることを、12/12/08「社会隔離と医療観察法12 」その他で書いていますので参照して下さい。
これまで連載しているように、グローバル化によって国内生産現場が縮小して単純労働需要・・中間層の職場が減ったことが現在の格差拡大問題の始まりであり、大本です。
格差が生じたとしても経済理論が格差を生み出したのではなく、グローバル化の結果です。
グローバル化の始まりは経済理論によるものではなく、アメリカによる対日輸入規制の強化が日本によるアジアでの生産による迂回輸出を生み出して、東南アジアで雁行的発展が始まった結果です。
グローバル化=国際賃金・生活水準平準化の始まりですが、先進国では賃金の下方硬直性があることから、直ぐに賃下げが出来ないので新規参入の制限→先進国=高賃金国の失業率の上昇から変化が始まります。
企業では、円相場に対応出来るほどの高付加価値生産の出来ない企業が高賃金国に留まる限り、企業としての負け組=倒産または業務縮小になりますが、企業には個人に対するような社会保障制度がないので(補助金行政がこれに該当しますが・・)国内に留まれば倒産・・社会からの退出の憂き目に遭うので、仕方なく新興国へ移動して行くようになっています。

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