マスメデイアの政治支配(暴言の構造)2

ところで、政治家発言が何故暴言として政治問題になって来たかの構造ですが、昨日紹介した論文によれば、以下のとおりマスメデイアの仲介・拡散によることが明らかにされています。
以下上記論文の抜粋です。
「.暴言とは何か
本稿では,テロリズム研究の知見を分析のフレームワークとして応用することを試みる。」
「何がテロリズムにあたるのか,それを決めるのは犯人ではなくて,受け手側の感覚である」[宮坂2002: 30]という興味深い指摘がある
「攻撃の対象は「テロリスト」の真の目的ではなく,むしろそれは「テロリスト」の「メッセージ発信機」にすぎない。メッセージをどのように解釈するかという点で,事件を報道などで知る受け手側の感覚が重要となってくる。」
「テロリズム」と同様に,ある発言が「暴言」か否かを決定するのは,発言者本人ではない。その発言の受け手,さらにはマスメディアなどを通じて発言内容を知った市民の感覚によって左右される」
「政治家の暴言も同様である。政治家のある発言をメディアが問題視し取り上げることがなければ,その発言の存在それ自体が知られることはないため,その内容がどんなものであろうと「暴言」として社会問題化することはない。」
「ここから,暴言とメディアの関連性が指摘できるが,本稿の分析の範囲外である。いずれにせよ,メディアで取り上げられたある発言が,野党政治家あるいは市民そして本稿の場合だと中国政府に問題視されたときに,当該発言は暴言となり,政治外交問題となる。」
煩雑になるので昨日省略しましたが、80年代以降の暴論例示ではメデイアが騒ぎ、何日か後に中国政府が遠回しに不快感を示すと言う繰り返しが紹介されています。
まさに中韓相手に日本メデイアが(メデイアの気に入らない)政治家発言を大々的に取り上げることによって、中韓発言を引き出してはこれを引用して更に中韓が不快感を示している・・こんな暴言を許していいのかと騒ぐ→中韓両国に対して日本の政治下がでこんな暴言を吐いて開き直っているが中韓政府が黙っていていいのかとけしかける・・中韓政府が仕方なしに更に突っ込んだ不快感声明を出すと言う螺旋状の拡大プロセスの結果中韓の対日批判が厳しくエスカレートして行った流れが見えます。
一方で日本の方では、「教科書の内容まで、一々ケチを付けて来るとは何事か!」と言う不満が鬱積して来ますから、お互いのために良い関係にはなりません。
実は、靖国参拝もこの頃からうるさくなって来たのであって、それまで誰も文句を言っていなかったのです。
3月6日現在のウイキペデイアからの記事の引用です。
「戦争被害を受けた中国や韓国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に批判反発している(諸外国の反応の詳細については後述の#日本国外の見解を参照)。もっとも、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの6年4月間、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が首相就任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根首相が参拝するまでは、非難はされていなかった。1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日の朝日新聞が『靖国問題』を報道すると、一週間後の8月14日、中国共産党政府が史上初めて公式に靖国神社の参拝への非難を表明した[要出典]。一方で、戦没者を慰霊追悼・顕彰するため、外国の要人も訪れている[要出典]」」
上記を見れば、元々問題になっていなかったことを敢えてマスメデイアのある意図によって、政治問題化したことによって日中韓にくさびを打ち込んだことが明らかです。
多くの日本人は朝日、毎日新聞が中韓贔屓だと思い込んでいる人が多いと思いますが、マスメデイアが何故イキナリ80年代半ば以降になると日中韓の不仲を煽るようになって来たか・・これをやることによって、どこの誰が利益を得るのか?何のためにお互いにとって不幸な関係構築に励むようになったかと言う冷静な分析が必要です。
日の出の勢いの日本の経済力を封じ込めるために始まった世界体制・・プラザ合意以降の対日包囲網の一環だったのではないかと言うのが、さしあたりの印象です。
話題を政治とマスメデイアの関係に戻します。
ネットの発達した第二次安倍政権が始まるまでは、マスコミに叩かれると政治生命がなくなるので、マスコミが政治の動向をうかがって報道するのではなく、政治記者の仕事は、政治家がマスコミ傾向無視の政治を目指しているか、そのような意向を漏らすかの監視役みたいになっていました。
昨年にも、作家百田尚樹氏が自民党内勉強会での発言がマスコミに報道されて大騒ぎになっている時代です。
https://matome.naver.jp/odai/2138403790714522501
「安倍晋三首相の側近ら、自民党若手議員約40人が25日、党本部で憲法改正を推進する勉強会を開いた際、講師として招いた作家の百田尚樹氏が、「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」と発言していたことが、分かった。「あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」とも主張したという。」 出典「沖縄の新聞つぶさないと」 百田尚樹氏が暴言 – 社会 : 日刊スポーツ
ギャグで言った言葉を切り取られた(>_<) しかも部屋の外から盗み聞き! 卑劣! nikkansports.com/m/general/news…
それにしても、報道陣は冒頭の2分だけで退室したのに、ドアのガラスに耳をつけて聞き耳してるのは笑った。しかし、正規の取材じゃなくて盗み聞きを記事にするのは、ルール違反だし、卑劣だろう! nikkansports.com/m/general/news…
作家が発言してもこの有様です。
怖くなった政治家がマスコミの動向をうかがって発言する逆転した時代が続いていることが分ります。
この結果メデイアを支配する人物が国政を左右するような時代になっていました.
この象徴的人物が、読売新聞のドンと言われた政界マスコミ界の大物?渡辺恒雄氏の存在でしょう。
政治動向がマスメデイアの脚色次第になって来るので、マスメデイアが誘導する方向へ政治が動く時代が戦後ずうっと続いて来ました。
マスメデイアが政治の方向性を左右出来ると言う増長・・慢心の結果が出て来たのが事実の脚色どころか事実ゼロのことを捏造する・・珊瑚礁落書きなどのヤラセ報道でしょう。
その境目に起きたのが慰安婦報道だったと言えます。
珊瑚礁のヤラセ事件と慰安婦報道の過熱がぐうぜん?時期的にほぼ平行していますのでこの頃のマスコミ関係者は何でも自分の誘導したい方向へ何でも出来ると思い込んでいた時代だったのではないでしょうか?
珊瑚礁落書き事件は平成元年のことです。
http://jikenshi.web.fc2.com/newpage93.htm
「平成元年4月20日、朝日新聞の夕刊一面トップに「観光客・ダイバー達の低モラルぶり」という見出しで、沖縄県・八重山群島西表島の珊瑚に「K・Y」という落書きを発見したと、写真付きで報道した。この取材は、《自然環境破壊に警鐘を鳴らす》という特集で、朝日新聞の記者が、ダイビング中に偶然発見したとされた。
記事は、「80年代の日本人の記念碑になるに違いない100年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心。一体K・Yって誰だ」という内容だった。
-思わぬ展開(捏造)-
ところが、この記事に関して異議有りを訴えたのは、地元のダイバー達だった。沖縄のダイバー達は、地理的にも人為的にも、珊瑚は傷つくことは有りえない(ダイバー達は、こよなく自然を愛し海が好きだ。このような卑劣な行為をする訳が無い)と立ち上がった。
ダイバー達は、何度も現場の海に潜り、問題の珊瑚を調査したり、朝日新聞に落書きを発見した経緯や聞き込み調査を開始した。やがて、ダイバー達の執拗な調査結果、現場へ行くには、素人のダイバーには地理的に無理で、プロの地元ダイバーのガイドが必要であることが判明した。そこでダイバー達は、朝日新聞社に真意を問いただした。
その結果、5月16日に広報担当の青山取締役(当時)は、既にあったKYの文字を、写真で明確になるよう「なぞった」だけとし、しかしながら行き過ぎた取材であったと釈明する。
この回答に納得しないダイバー達は、更に調査を実施。
結果、K・Yの落書きは「スクープ欲しさの捏造であることが判明した」。朝日新聞社は、記者自らK・Yの落書きを行っていたことを認め、謝罪するに至ったのであった。この記者は、自然破壊に繋がる取材をしていたが目ぼしいものが無く、記者の持っていたカメラのストロボの柄で、珊瑚に落書きしていたことが判明したのである。
新聞報道は常に正しいという概念に警鐘を鳴らす事件でもあった。」
慰安婦報道の時系列は朝日新聞第三者委員会の検証報告が正確ですが、検索で簡単に出た記事を便宜上紹介しておきます。
年月日は多分そんなに違わないだろうと言う程度の引用です。
http://www.sankei.com/affairs/news/140913/afr1409130007-n1.html2014.9.13 09:26更新【朝日慰安婦誤報】「宮沢謝罪外交」と共鳴
(1/3ページ)【朝日慰安婦検証】
 虚報を垂れ流して日本と日本人を国際社会で貶(おとし)めた朝日とともに見逃せないのは、自民党の宮沢喜一内閣による事なかれの“謝罪外交”の存在だ。朝日の報道ぶりと宮沢政権の対応をみると、両者が不思議なほど緊密に連動していた実態が浮かび上がる。記事取り消しとなった朝日の慰安婦報道の背景には、国内外で悪化する政治状況への便乗もあったようだ。
 宮沢内閣が発足したのは平成3年11月だ。翌4年1月11日、朝日は朝刊1面トップで、「慰安所の軍関与を示す資料」が見つかったと報じ、そのわずか2日後に加藤紘一官房長官が記者会見で、十分な調べもしないまま軍の関与を認めて正式に謝罪した。朝日報道の影響を受けていたと勘ぐられても仕方あるまい。」
上記のようにヤラセ・でっち上げ報道が日常化していたメデイア界の慢心が慰安婦報道事件を引き起こした素地ではないかと根拠のない私の印象を書いています。

マスメデイアの政治支配(暴言の構造)1

現在の国会議論は、国会・・選良が議論を尽くしてより良い物に仕上げる気持ちがなく、お互いの一方通行的な主張をマスコミが報道してあるいは生中継してこれを国民が判定するような仕組みにかわっています。
与党が法案を修正するかどうかは、野党との意見擦り合わせの結果納得したからではなく、マスコミ報道による国民の反応を見て決めるようになっています。
しかも国民反応がどうであるかすらも、マスコミ報道によっています。
マスコミの気に入らないに政策実行者のあら探しをシテは、国民が憤っているとする巧妙な報道が繰り返されて来ました。
政治家個人がマスコミの集中砲火を浴びると、次の選挙が危ないのでこれを最も嫌います・・結果的にマスコミが政治の主導権を握っていたのです
反対法案を強行採決・可決すると議論する時間が少なかったと言う型通りの批判がありますが・・実際には、お互いの言い分を数十分程度主張する時間があれば充分みたいになっています。
余った時間でスキャンダル探しや発言のあら探し・昭和50年代には、政治家がマスコミの意向に合わない発言をすると、みせしめ的に「失言」と称して吊るし上げては辞任要求することがはやりました。
実際に多くの骨のある政治家が失職しました・・この結果をみると政治家は自己の政治主張をうっかり言えない・・マスコミの誘導している方向から逸れることが出来ない時代が続いていました。
暴言に関する以下の論文からの部分引用です。
http://www.law.osaka-u.ac.jp/c-forum/box2/dp2010-21fukuda.pdf
2010年12月30日 福田 州平
・・本節では,1980年代以後の日本の政治家の中国に関する暴言をいくつか取り上げて考察する。
1980年代の日本の政治家の中国に対する暴言は,歴史教科書問題に端を発するものだった。
1986年,「日本を守る国民会議」の作成しようとした高校日本史教科書の記述内容が韓国や中国から批判を浴び,文部省は同会議の教科書に四度にわたる修正要求を出す事態となった。
こうした問題が起こった直後に,中国に対する暴言を述べたのが,第3次中曽根内閣の文部大臣,藤尾正行である。藤尾は就任間もない7月25日「東京裁判が客観性を持っているのかどうか。勝ったやつが負けたやつを裁判する権利があるのか,ということがある。世界史が戦争の歴史だとすれば,至るところで裁判をやらなきゃいけないことになる」
「……われわれがやったとされる南京事件と,広島,長崎の原爆と,一体どっちが規模が大きくて,どっちが意図的で,かつより確かな事実としてあるのか。現実の問題として,戦時国際法で審判されるべきはどちらなんだろうか。」
[藤尾1986a]と述べた。この内容は『文藝春秋』の発売前に明らかになり,政府与党内でも問題視されたが,藤尾は発言を撤回することはなかった。・・結局『文藝春秋』発売前に,中曽根が藤尾を罷免する事態に至った。」
1988年4月22日,竹下登内閣の国土庁長官の職にあった奥野誠亮は,記者意見の場で靖国神社参拝問題にかんして,「戦後43年たったのだから,もう占領軍の霊に振り回されることはやめたい」「鄧小平氏が靖国参拝批判発言をしているが,鄧発言をすべて素直に受け止めなければならないのかなあ,と思う。日本は自由な国であり,相手に対し非礼にならない限り,国民としての考えは述べてもいいと思う」[朝日新聞1988年4月25日夕刊]と衆議院土地問題特別委員会で述べた。結局5月13日に発言の責任をとる形で,国土庁長官の職を辞した。
1990年代羽田孜内閣の法務大臣である永野茂門は,1994年5月3日までに・・・さらには南京大虐殺について「私はでっち上げだと思う」とし,その理由として「直後に私は南京に行っている」
・・「不適切であり,これを撤回したい」と陳謝したものの,南京事件の犠牲者について「数が分からないので本当に大虐殺といえるかどうか疑念に思っている」と疑問を呈した」
1994年8月12日,村山富市内閣の環境庁長官の桜井新は,閣議後の記者会見で,「……日本も侵略戦争をしようと思って戦ったのではなかったと思っている。…..全体のことについてはある程度わびる必要があるけれどもしかし,日本だけが悪いという考え方で取り組むべきではないと思う」14日,桜井は首相官邸を訪れて発言を謝罪し,村山首相に辞表を提出した[朝日新聞1994年8月15日夕刊]。
1995年8月8日,村山は内閣改造を行い,自民党の島村宜伸が文部大臣に就任た。就任直後の9日の記者会見で,島村は,「……相も変わらず昔を蒸し返して,それをいちいち謝罪していくというやり方は,果たしていかがなものかとは思いますね。去年,マレーシアでもシンガポールでも中国でも言われましたよ。いつまで過去をわびるかと。大事なことは先行きのお互いの姿勢じゃないかと。結果は謝罪外交と言われることがなかった。よかったと思ってますよ。」
11日に「就任時の説明は誤解を生じたので撤回する」との談話を発表した
1996年は,従軍慰安婦に関する暴言があいついだ。」
慰安婦関連は以下省略
以上のとおり、日本政治家発言に対する中国の対応が小うるさくなって来て、次第に窮屈になって行く状況が見られる一方で、日本政治家の方でも何でも中韓の言うとおりしなければならないのか不満が蓄積され始めていることが分ります。
ところで何故中韓がうるさくなって行ったかですが、これは日本マスコミが一定方向へ誘導して行ったからではないかの関心で書いています。
と言うのは中韓が黙っていたのに、日本マスコミが騒ぐので中韓政府としては黙っていられないが他国のことなので遠慮ガチ発言をしていたところ、ドンドン日本マスコミが煽るので中韓政府としては内政上放置出来なくなり、次第にエスカレートして行くしかなくなって行く流れが見られます。
慰安婦騒動も韓国マスコミは、当初半信半疑で相手にしていなかったのが、日本で報道が激しくなったので韓国でも報道で取り上げられるようになった経緯が知られています。
慰安婦虚偽報道で大損害を受けたのは、最初おっかなびっくりだったのに、つい「行ける!」と乗ってしまった結果、引くに引けなくなってしまった韓国ではないか?と書いたことがあるように記憶しています。
韓国の慰安婦騒動も中国の南京事件も自国のことですから「でっち上げ」とよく分っていたのに、噓でも儲かると乗っかってしまった・・道徳心のなさが引くに引けなくなってしまったのです。
この損害が・慰安婦像と南京記念館が撤去されるまで文字どおり数百年単位で残って行くことが明らかです。
日本人がアメリカなどへ旅行して設置されている慰安婦像を見るたびに嫌韓感情を抱くのは明らかです。
中韓はこれがある限り、日本人の嫌中韓感情がいや増すことを期待していることになります。
ロシアの政権が北方領土などいらないと思っても、今更返すわけに行かない・・この結果日本と平和条約を結べないで困っているのと同じ構図です。
今後数百年間、日本に嫌われ続ける方が得だと思っているのでしょうか・・?
仮に日本が今後中小国化して行くとしても、敵を作って特な国はありません。
戦後アメリカのようの突出した強国であればあるほど世界中に支配を及ぼしたい・・友好国が欲しいのが普通です。
まして今後中韓の方が停滞する方向性が確かになりつつあります。
日本はこの先数百年、ことあるごとにこれらを取り上げては、(領事館前の慰安婦像だけではありません・・)◯◯協力を頼まれても簡単に応じられない材料に使って行けることになります。

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