韓国はどこへ行く?3(親中・北政策の蹉跌2)

前パク大統領の親米〜親中〜米陣営復帰〜弾劾への流れを見ておきましょう。
パク大統領は、出自と大統領になる前の行動から、親日親米思考体質プラス軍を背景にした対北朝鮮強硬思考が基本体質とみられており、当初日本でも同氏の大統領当選を関係改善につながる期待で受け止めていたものです。
パク氏は当初未来志向の動きだったように見えますが、米国頼りでは6カ国協議が停滞したままで北のエスカレートする挑発を止められないことから、北に強大な影響力を持つと見られた中国の力に頼ることに変更したものとみられます。
北が核兵器を持てば、米軍駐留が続いても米軍が核兵器による米本土攻撃の脅迫を受けると韓国を守ってくれなくなる・・「北から韓国を守る・核兵器開発中断させるには中国の圧力に頼るしかない」という大義の選択だったと思われます。
韓国の方が経済力もあるし、北と親密にするより韓国と親密にした方がメリットが大きいというセールスポイントも利用したでしょう・・北のパトロンを奪取しようという魂胆に見えましたが・・。もちろん韓国の方も米国に義理立てするよりは対米貿易より対中貿易額の方が大きくなっているという韓国のメリットもあり、一見ウインウインの関係とも言えました。
ただし、中国の方は自国技術力アップ中で、すぐにも韓国企業に追いつき競合するのが目に見えていたので、中期的に見て韓国企業優遇どころか、排斥相手にしたい関係でしたので米国陣営から寝返る・来るのは拒まないが・・という程度だった点で思惑が違いました。
中国としては、招待したら来た程度で何の義理も感じないし約束もしないとい程度の客扱いだったようです。
一方的にのめり込み盲目的恋愛のように中国にすり寄ってしまった韓国は、西側諸国からの反発覚悟のかなりの犠牲を払って中国の抗日式典に参加し、日米がボイコットしている中国の世界支配の基本構想である一帯一路構想の基盤となるAIIBにも参加し、トップ間のホットライン設置するなど最大限の誠意を示しました。
慰安婦騒動激化もその誠意の一態様と見るべきでしょう。
ちなみに当時国際的な慰安婦運動は韓国名義でやっていましたが、例えば米国の慰安婦像設置運動を見ると韓国人社会が実際には動いておらず背後で操っているのは、中国の資金と中国人脈によるロビー活動によるのでないか?という噂が一般的でした。
慰安婦像設置は住民投票によるのではなく、持ち周りの市長?市議会?がいきなり設置を決めたような経緯です。
民主社会という美名を信じて日系人が如何にビラ配りなどの運動しても公園の一部施設を選挙で決めるものではない・日本でも公園の備品・ベンチを置くかなど)のですから、ロビー活動で負けるとどうなるものではありません。
中国は改革開放直後から将来的にはGDPや軍事力で日本を追い越すことがわかっていても、最後は文化度の競争ですから、長期戦略として日本文化評価をじわじわ貶めて行く長期戦略があるものと思われます。
韓国政府の中国傾斜が始まると中国の要請によるのか勝手に忖度したのか?朴政権が日清戦争以降縁が切れていた中国陣営帰参の引き出物にしたのか不明ですが、自ら慰安婦問題をあおり告げ口外交をするようになったので、これは本当に韓国政府肝いりで行なっているというお墨付きを世界に与えたような関係になったように見えます。
翌16年1月に起きた北朝鮮の核実験に対する抑制依頼のためにせっかく設けたホットラインで習近平に直接電話しようとしても中国はその電話にすら出ないで何もしてくれなかったので、国内的に反米親中政策がなんだったのかの(親米派による)批判噴出に見舞われたと思われます。
国際環境の変化・慰安婦騒動に関して韓国支持国がなくなって来たことによって(パク大統領の外交は中国へは一方的擦り寄りにすぎず実は何も得たものがなかったのです)親米派勢力の不満(アメリカの巻き返しもあって)を背景に日韓合意となります。
日韓「不可逆的」合意に関するウイキペデイアの記事からです。

2015年(平成27年)12月28日に大韓民国(通称:韓国)ソウルの外交部で行われた日本の岸田文雄外務大臣と韓国の尹炳世外交部長官による外相会談後の共同記者発表で[1]、両外相は「日韓間の慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と表明[2]。韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出し、両国が協力していくことを確認した

その後も北朝鮮による核実験やロケット発射の連続に対して何もしてくれない無視を決め込む中国への不満が高まる中で自国を守るためには米国に頼る軍備増強しかないという16年7月のサード配備決定でした。
https://business.nikkei.com/atcl/report/15/226331/071900059

「中国陣営入り」寸前で踏みとどまった韓国
THAAD配備巡り米中代理戦争
鈴置 高史  2016年7月21日
7月8日、在韓米軍へのTHAAD配備が正式に決まりました。
配備拒否派が世論を盛り上げて朴槿恵(パク・クンヘ)大統領を動かそうとした。慌てた賛成派が巻き返し、大統領の裁可を取り付け急きょ発表に持ち込んだのです。

「配備」の正式な発表を受け、中央日報は解説記事の見出しを

「苦悩の末に……朴槿恵政権、韓米同盟を選んだ」(7月9日、韓国語版)
日本語版もほぼ同様で「配備拒否か賛成かは、米国との同盟を拒否するか続けるかの選択だった」

との前提です。
これが多くの韓国人の実感でしょう。
中共政府の抗日戦勝利集会に参加して支配下に入ったはずの韓国の裏切り(と言えるかな?)に中国は(権威を示すために)怒り、土地提供したロッテに対する中国の報復、現代自動車への嫌がらせ等々(もともと自国企業と競合する進出企業潰しの口実)が今だに続いています。
この間オバマの日韓仲裁などを経て16年10月28日のろうそく集会後の日韓軍事情報保護協定(GSOMIA)(11月23日)に進んだのですが、これがさらに反米親中派を刺激しました。
この時点でのろうそく集会はスキャンダル批判だったので朴政権は甘く見たのでしょうか。

韓国はどこへ行く?2(親中・北政策の蹉跌1)

清朝からの独立を認められた下関講和条約翌年の1896年2月に、高宗はロシア公館へ(亡命?)こもります。
露館播遷に関するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/の記述です。
露館播遷

高宗がロシア公使館で政務を執り行った結果、ロシアは年表に示す利権を獲得し、他の欧米列強も同等の利権を獲得することになった。 また、これは国としての自主性を放棄するのに等しい行為であり、後に日露戦争時に中立を宣言したが日露両国から無視されるような結果となった。

上記の結果世界的に独立国を名乗る能力がない・国家として認められていない状態になっていた・・世界中のに対し自主性を放棄しても良いが、ともかく日本と対等になるのだけは嫌だったらしいのです。
戦後は朝鮮戦争の結果助けてくれたアメリカに従属したままでこれが嫌でたまらなかったでしょうが、頼りたくて仕方のない中国がようやく力をつけてきたし対中貿易の方が対米貿易より大きくなったので、「頃や良し!」とばかりに、正面から日本に喧嘩を売り千年以上許せないと啖呵を切ってしまったと思われます。
https://www.j-cast.com/2013/03/04168068.html?p=all

朴大統領「被害者の立場、千年不変」と主張 韓国に「いつまで謝罪し続ければいいんだ」の声
2013/3/ 4 18:50
演説は2013年3月1日、1919年に起こった「三・一独立運動」を記念する式典の中で行われた。朴大統領は、
「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない」

と大げさな演説をした上で反日運動に邁進していたので、日本では「陰口おばさん」と揶揄されるようになっていました。
以下は陰口外交に関するウイキペデイアの記事です。

告げ口外交(つげぐちがいこう)とは、2013年に韓国大統領の朴槿恵(パク・クネ)が行った、日韓の歴史問題に関する外交政策で、日韓以外の第三国に日本の悪口を言い触らして回ることに対して日本の各メディアによって用いられる俗語である。「言いつけ外交」[1]、「おばさん外交」[2]とも呼ばれる。

その勢いに乗って西側諸国一致してボイコットしていた中国の抗日戦争勝利記念式典に唯一の西側諸国首脳として出席し、習近平からロシアプーチンに次ぐ序列3位(冊封体制下では朝貢使節がどういう序列で出席できるかは最重要事項でした)?のもてなしを受けて、対日敵対意識のみならず今後は、米国の意向など問題にしない態度を露骨に示しました。
https://www.bbc.com/japanese/34136088

中国で大規模軍事パレード、抗日戦争70周年記念
2015年09月3日
出席した外国首脳、欠席した首脳
来賓の中には、ロシアのプーチン大統領、韓国の朴槿恵大統領、国連の潘基文事務総長などが肩を並べる。しかし潘氏の出席は批判を呼び、米・英・豪・日の政府首脳は欠席している。
「日中関係が難しい状態にあり、アジア太平洋地域の軍事的緊張が悪化している中で、国家指導者の中には、中国の国家主義的な反日大会に参加することへのためらいがある」とニール氏は話す。

この頃の韓国国民感情は19世紀末以来欧米の顔色を窺うしかなかった朝鮮族が、今後ようやく中国の保護下で安心して生きていける(しかも冷たい利害で結びつくロシアを除けば実質序列1位の地位獲得で、歴史上初の栄誉です)と、国内が盛りがっていた・・昂揚感が高まっていたと思われます。
この歓喜の頂点において、あれほど日本批判をしていた朴政権は慰安婦問題に関して日韓合意に踏みきりました。
負け戦発表の潮時をはかるために中国べったりで国民歓喜・・支持率の上がったところでの収束を図ったのかもしれませんが、これが裏目に出ました。
(国内的にはアメリかの不当圧力でやむなく・・という弁明でしょう)
(国内的にはアメリかの不当圧力でやむなく・・という弁明でしょう)
実質はいかに告げ口外交して歩いても国際社会では韓国の主張する慰安婦問題が受け入れられなくなったことにより曖昧解決でごまかすしかなくなったことが主たる原因でしょう。
(逆に日本では「せっかく韓国を追い込んだのにここで曖昧合意だと明白な決着をつけるまでやらないと禍根を残す」という批判が渦巻いていたことは周知のとおりですが、何やかやと言ってもトップの決めたことには最後は従う度量が国民にあります)
パク大統領がどういう言い訳をしようとも内政失敗に対する国内不満をそらすため近隣国にいちゃもんをつけて独裁者が侵略戦争に踏み切って無残に負けて帰ってきたような体たらくでした。
今の文政権が国内無策の隠蔽のために反日拡大と北朝鮮との和解成立に政治生命を賭けきたのですが、米朝決裂によって無残に失敗したのもこの繰り返しです。
そもそもアメリカを見限って旧宗主国への寝返り、その帰参がかなったという国際宣伝のために中国が上記式典を盛大に行った(そもそも中韓関係誇示のためにいきなり開いたものです)のに、その直後にアメリカの圧力で止む無く日韓合意せざるを得なかったというストーリー自体が矛盾ですから、表面だって言ってないでしょうが・・。
上記思い切った行動にアメリカが本気で怒って、相応の脅しが入ったのかも?
日韓合意だけではなく続けて宗主国様への裏切りと評価される中国の最も嫌がる米国のサード配備を受け入れたことにより中国の怒りを買って、ロッテに始まり各種分野で露骨な嫌ガラセを受けるようになってしまい、史上最大の栄誉どころではなくなりました。
ろうそく集会エネルギーの源泉は、国民感情を裏切った朴政権に対する怒りが基本であり、パク大統領の特定人物に対する厚遇に対する不満はそのきっかけ・あるいは表向きの主張に過ぎなかったと私は理解しています・・・。
以下中国抗日戦勝利式典(15年9月)日韓合意(15年12月)〜サード配備決定(16年7月)〜ろうそく集会(16年10月28日)〜日韓軍事情報保護協定(GSOMIA)(16年11月23日)の時系列で明日以降見て1きます。

韓国はどこへ行く?1(ろうそく集会)

ちなみに、朴前大統領弾劾に大きな役割を果たしたろうそく集会の原動力について、日本メデイアは特定人優遇に国民が怒った結果(財閥支配→超格差社会への爆発)と説明していますが、その程度のことであれだけのエネルギーが起きるはずがないと思います。
本当の国民不満・エネルギーの源は反日機運の到達点として、せっかく米国離れできそうという期待が裏切られたことでないかという私の揣摩憶測ですが、韓国民はそこまで露骨に主張できないし日本マスコミもそこまで踏み込んだ憶測記事すら書けないのではないでしょうか?
朝鮮族・韓国人としては慣れ親しんだ中国の冊封体制下で隷属することによってどんな酷い仕打ちを受けようとも何の不満もない・・せいぜいお慈悲を願う程度の気持ちで心の整理がつくように見えます。
韓国政府のサード配備決定に対する中国による酷い仕打ちにも一切不満が出ない・国内的にもメデイアが全く問題視していないようにみえます。
報復する中国側の報復措置を見ると相手が対等な独立国としての配慮・遠慮がなく、国内少数民族自治に対する弾圧を緩くしてやっている程度のイメージを受けます。
これが(江戸時代から根拠なく?)格下扱いしていた日本との関係では対等関係でも嫌・・まして下風に立つのは我慢ならないし、夷狄である欧米の下風に立つのも落ち着きが悪い関係のようです。
この辺の意識の違いが明治維新当時、日朝共同で欧米に対抗しようという日本の勧誘を「共同」対等の前提が気に入らない・・天皇の称号に対するケチをつけるようになった始まりです。
日本の近代化勧誘を断る理由として、李氏朝鮮は清朝の隷属下にあると自ら主張し「日本などの意見を聞いてられない」という挙に出ました。
これが征韓論・日朝関係犬猿の仲のようになり初めの始まりですが、以来朝鮮政府は徐々に日本に押されるようになると日本に対して清朝支配下にあることを誇示?するためと諸外国に対する自衛のためにか?に清朝軍閥駐留を請うたのか?清朝軍閥が駐留するようになりました。
時の経過で日本社会の方が進んでいるのを認めるしか無くなると、高宗の妻閔妃を軸とする開化政策を行いますが、反動の権化?大院君がクーデターを起こしたので、これを理由に属領保護を名目に清朝軍が進駐して高宗の実父大院君を天津に拉致します。
この辺の動きは、ウイキペデイアによると以下の通りです

壬午軍乱(じんごぐんらん) または 壬午事変(じんごじへん)は、1882年(明治15年)7月23日(旧暦では光緒8年=高宗19年6月9日)、興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の首府漢城(現在のソウル)で起こった閔氏政権および日本に対する大規模な朝鮮人兵士の反乱。
・・・朝鮮国王高宗の王妃閔妃を中心とする閔氏政権は、開国後、日本の支援のもと開化政策を進めたが、財政出費がかさんで旧軍兵士への俸給が滞ったことが反乱のきっかけとなった。すなわち、閔氏政権は近代的軍隊として「別技軍」を新設し、日本人教官を招致して教練を開始したが、これに反発をつのらせた旧式軍隊が俸給の遅配・不正支給もあって暴動を起こし、それに民衆も加わって閔氏一族の屋敷や官庁、日本公使館を襲撃し、朝鮮政府高官、日本人軍事顧問、日本公使館員らを殺害したものである[1]。朝鮮王宮にも乱入したが、閔妃は王宮を脱出した[1]。反乱軍は閔氏政権を倒し、興宣大院君を担ぎ出して大院君政権が再び復活した。
反乱軍鎮圧に成功した清は、漢城府に清国兵を配置し、大院君を拉致して中国の天津に連行、その外交的優位のもとで朝鮮に圧力をかけ、閔氏政権を復活させた[1]
・・・朝鮮に袁世凱を派遣、袁が事実上の朝鮮国王代理として実権を掌握した[1]。こののち袁世凱は、3,000名の清国軍をひきつづき漢城に駐留させた[1]。この乱により、朝鮮は清国に対していっそう従属の度を強める一方、朝鮮における親日勢力は大きく後退した。

外国に行ってその国の国王の実父さえ遠慮会釈なく拉致して行っても中国がやることならば朝鮮人はなんらの民族的不満も言えない関係です。
現在香港では、中国政府批判をしていた書店主などが忽然と姿を消して、のちに中国国内で拘束されていたことが分かることがありますが、北朝鮮といい、こういうことをなんとも思わない国柄なのでしょう。
壬午軍乱を契機に清朝軍閥の常駐化し、一方で日本公使館が被害を受けたことで自国民保護のために日本軍駐留が始まり、半独立国化していくようになった事件です。
江戸時代に清朝の冊封下にあっても清朝軍が駐留するような直接的支配がなかったのに、西欧に押しまくられた清朝が弱体化した以後に逆に挑戦支配が強まったのは、朝鮮民族が国難を解決するのに自力でやらず外国勢力に頼る気持ちが強すぎたからではないでしょうか?
外国をうまく利用しているつもりで結果的に民族自立を失うようになって行ったように思われます。
今の北朝鮮は瀬戸際政策で自分に注意を引きつけては、外国を利用して騒ぎを大きくしているように見えるのはこのDNAによるのではないでしょうか?
こうして日清両国は朝鮮での影響力争いに入ったのが、日清戦争の遠因であり直接の係争点もあったので、日清戦争の講和条約冒頭に朝鮮の独立承認(清朝が属国として口を出す権利を封じる内容が最重要解決テーマとして明記されたものです。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%9D%A1%E7%B4%84

通称: 日清講和条約、下関条約、馬関条約
調印: 1895年(明治28年)4月17日
大日本國皇帝陛下及大淸國皇帝陛下ハ兩國及其ノ臣民ニ平和ノ幸福ヲ囘復シ且將來紛議ノ端ヲ除クコトヲ欲シ媾和條約ヲ訂結スル爲メニ大日本國皇帝陛下ハ内閣總理大臣從二位勳一等伯爵伊藤博文外務大臣從二位勳一等子爵陸奧宗光ヲ大淸國皇帝陛下ハ太子太傅文華殿大學士北洋大臣直隸總督一等肅毅伯李鴻章二品頂戴前出使大臣李經方ヲ各其ノ全權大臣ニ任命セリ因テ各全權大臣ハ互ニ其ノ委任状ヲ示シ其ノ良好妥當ナルヲ認メ以テ左ノ諸條款ヲ協議決定セリ
第一條
淸國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ淸國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ

普通の国ならば朝鮮民族独立のために日本が戦ってくれて独立承認されたのをありがたがるはずですが、朝鮮は保護者を失って迷惑と言わんばかりに直ぐにロシアに頼りました。

サムスン頼りで良いか?5(サムスンの技術力)

以下は、サムスン研究論文一部引用です。
https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Periodicals/Ajia/pdf/2006_03/01.pdf

韓国半導体産業の技術発展――三星電子の要素技術開発の事例を通じて――吉 岡 英 美
・・・三星電子は,DRAMの次世代製品開発(注2)の側面でも,16M(メガ=100万)世代で先行する日本企業に追いつき,1992年に開発に成功した64M世代以降,開発を先導する立場に立つようになった。
・・・微細化の過程では,前世代の技術では対応できない限界にぶつかることが常であり,これをどのように克服するかが開発課題になる。
既存の技術の応用で対応できなければ,新しい技術を創出してそれを装置化することが必要になるが,後述するように,製造装置に体化される新技術のアイデアは基本的には半導体企業(以下,デバイス企業)の側から発せられ,半導体製造装置企業(以下,装置企業)から出されることはない
・・・・韓国において「組立型技術」の高度化と世界市場での急速なキャッチアップが実現し韓国半導体産業の技術発展したのはなぜだろうか。
加工プログラムを製造技術の要と見れば,NC工作機の製造技術の主な担い手はオペレータであるのに対し,半導体ではプロセス・エンジニアが製造技術を担っている・・・製造装置に体化される新技術のアイデアを検討する「技術ニーズの検討」を行うのは,これまでのところ,デバイス企業のプロセス・エンジニアに限られるという点である。
他のデバイス企業が開発に関わった既存の製造装置を導入して,装置企業が推奨するプロセスとレシピを採用し,自前で調達するのがオペレータだけであれば,そのデバイス企業は「組立型技術」しか保有していないといえる。しかし,「プロセス開発」や「レシピ開発」に自社のプロセス・エンジニアが積極的に関与していれば「加工型技術」を保有しているものと捉えることができ,また「技術ニーズの検討」と「原理実験」まで行っているのであれば,そのデバイス企業は新技術を自ら創出する能力を持っていると評価することができるだろう。

とのことで一般に言われている中韓等の新興国による「技術ただ乗り論」(ただし私の勝手な命名で上記論者がそのように言ってるわけではありません)をサムスンのDRM進化に関しては否定しています。
誤解のないようにさらにいうと、上記論文はサムスンのしかも特定DRM技術進化に関しての分析であって、韓国のその他製造業・・造船や製鉄あるいは車等々現在失速中の製造業いっぱんに関しては以下に紹介する服部論文が当たっている可能性があります。
上記論文で前提として紹介されている私の命名するただ乗り論は以下の通り要約されています。

韓国の工業化の構造を技術的側面から捉えようとした服部によれば,韓国において技術の先端化が可能になったのは,機械類の「マイクロエレクトロニクス化や「メカトロニクス」化によって,製品の生産に必要な技術・熟練のかなりの程度が機械設備のプログラムに代替されたため,その製品を生産する企業の側に技術蓄積や熟練形成がそれほど必要とされなくなったことが背景にあるという。すなわち,技術・熟練が蓄積されていなかった韓国企業でも,資金を動員して「ME」化された最新型の機械設備を先進国から輸入することで,当該産業に参入し急成長することができたのである[Hattori 1999;服 部 2001b]服 部は,このような産業発展のパターンを「技術・熟練節約的発展」と名付け,韓国ではその成長の過程で技術・技能的な蓄積がないがしろにされてきたことを指摘している。以上の議論は,後発の韓国企業が生産のための中間財や資本財を韓国国内で調達することができず,そのうえ生産に必要な技術的基盤がなかった状態にもかかわらず,その製品の生産を開始し世界市場で急速なキャッチアップを果たすことができた要因として説得力をもつ。

以上の通りですが、私の誤解に基づいて間違った引用をしている場合もあり得るので、詳しくは上記に入って直接確認ください。
サムスン自身が日米半導体交渉の結果、日本が技術革新意欲を失ったチャンスを生かし日本のベテラン技術者を技術顧問として招聘して手厚い指導を受けて自社技術にしていったのですから、政治の追い風を生かすかどうかは、長期的には企業の実力次第ということです。
日本のネットでは、欧米の反日攻勢に便乗してサムスンや韓国は「うまいことした」だけという一面的見方が主流ですが、上記によれば16メガバイト以降はサムスン独自の研究開発によるようです。
次の工夫ができるようになるまで日本技術者の努力・協力があったことは確かでしょう。
ただしこの成功は一般製造業と違って半導体・DRM産業の特殊性による(NCの例を引いて書いている箇所をちょっと引用しましたのでお読みください)ところがあるという分析ですので、サムスンがその他の半導体製造でもうまく対応できるかは別問題です。
6月1日に紹介したように、今後の半導体需要は非メモリ分野らしいですが、サムスンはこの分野ではほんの4%前後しかシェアーを持っていない・あまり得意ではないことがわかります。
サムスンが他のメモリ分野でも自前開発できる技術を持てるようになるかは、(今度は日本技術者の協力は考えにくいので)韓国人の総合民度によるでしょう。
日米半導体交渉妥結後も米国の脅威になるのは日本しかないという意味で、欧米によるジャパンパッシングは引き続き、いわゆる失われた20年と揶揄されていたのですが、リーマンショック頃から中国の台頭が目覚ましくなったので、米国は今度は対中パッシングの策を練り始めたようです。
昨日書いたようにアメリカはいつも腕力に任せて一方的強迫ばかりですから、日本に限らず世界中で恨みを買っていて敵を作って来たように見えます。
アメリカ式国際政治スタイルの延長で?新たな標的に対するために今度は手のひら返しで日本を大事な同盟国扱いに豹変したので韓国は戸惑っているでしょうが、プラザ合意以降約30年も欧米による日本叩きの潮流に安心して国内反日教育してきた手前、国民向けにどうやって方向転換して良いかわからない状態に見えます。
前朴大統領は前大統領(李明博)の始めた反日運動を継承するしない立場でしたから、就任当初から慰安婦騒動をさらに一歩進めたものの従来の日本政府と違って、安倍政権は安易な謝罪をせずに頑強にこれを拒否して来たので勝手が違ってしまい、しかも米政府の応援がいつの間にか消えてしまったのでやむなく日韓合意に応じました。
これが国民の怒りを買ったらしくあえなく失脚してしまい、このエネルギーを受けて文在寅大統領が政権獲得出来たのですから、彼が政権につくと日韓合意の骨抜きその他何か反日的行為をしないとおさまりのつかない状態+反米鮮明化するしかない状態で政権が始まりました。
文政権がアメリカの思惑無視で慰安婦問題の蒸し返し・徴用工問題の政治問題化とアメリカの意向をはみ出した南北和解に突き進むようになっている基礎状況というべきでしょう。

サムスン頼りで良いか?4

ここで、日本半導体産業が急速に凋落し韓国サムスンが半導体で躍進できた端緒?を少し紹介しておきます。
サムスン電子の大躍進は、それまで世界支配しかけていた日本の半導体生産を米欧バックにした半導体生産の韓国移転強制?による漁夫の利によるものという意見が多く見られます。
https://www.sankei.com/economy/news/130817/ecn1308170010-n1.html

2013.8.17 09:21
日の丸半導体(2)日米協定 圧力が生んだ“管理貿易”
昭和60年代に世界のトップに立った日の丸半導体。DRAMを中心に世界シェアの5割超を握り、日本の半導体産業は絶頂期を迎える。だが、国の根幹を担う半導体産業の凋落(ちょうらく)を、米国は黙ってみていたわけではなかった。米政府は政治の力で圧力をかける手段に出た。
・・・米政府は日本市場の「構造的な閉鎖性」を糾弾。そのうえで301条を盾に、日本側の輸出自主規制と日本市場での外国製半導体受け入れを迫ったのだ。
繊維や鉄鋼、テレビなど、それまでの日米貿易摩擦では、日本が輸出で手心を加えるか、米国からの輸入に配慮するという歴史が繰り返されてきた。だが、今回の半導体交渉で日本政府は、これまでの通商交渉とは米国のいらだちは次元が違うと感じていた。
・・・軍需にも利用される半導体は経済だけではなく、国の安全保障上の問題となる基幹産業として米国が重要視しており、単なる工業製品ではなかったからだった。
軍需にも利用される半導体は経済だけではなく、国の安全保障上の問題となる基幹産業として米国が重要視しており、単なる工業製品ではなかったからだった。
協定締結後も、米国側の圧力は執拗(しつよう)だった。数値目標を「政府による約束」と解釈した米政府は62年には協定不履行を日本側に突きつけ、パソコンやテレビなどに100%の関税を課す対日制裁措置を発動する。
日本側は抵抗しつつも要求をのむしかなく、平成3年に改定された協定では外国製半導体について「日本市場のシェアを20%以上」とすることが明文化された。結果的に日米半導体協定という“不平等条約”は10年間続くことになる。

今の対中非難・・25%関税でも世界は大騒ぎですが、対日要求では応じなければ100%関税という無茶な要求・・日米開戦を事実上強制したハルノートの突きつけや終戦時のポツダム宣言を無条件で飲むかどうかの要求とほぼ同じ強引さです。
もっと遡れば、相手に対する強制力のない時点では、気に入らなければ、全面引きもり宣言をしたモンロー主義にも行き着く幼稚な姿勢です。
強引な交渉態度はアメリカの幼稚さによるものでしょうが、幼稚で無邪気なアメリカが力を持つようになると無邪気では済まされません。
世界が振り回されるようになった1929年頃からの大恐慌の対処の未熟さでしょう。
アメリカの対応が際立って悪かったので、今回同様に高関税連発に対して欧州も負けずに報復高関税をかけるエスカレートの繰り返しになったので、結果的にいわゆるブロック経済が生まれました。
世界中がブロック化すると囲い込む植民地を持たない新興の日独伊が不利な立場になったので独伊の場合には既存植民地の壁をこじ開ける→植民地の奪い合いに発展しました。
日本は欧州報復関税をかけることもなく、英米仏の植民地を奪おうとしたのではなく、どこの植民地になっていなかった・・手付かずに残されていた中国での日本の優先権を求めた・いわゆる対支21ヶ条の要求をしたのが始まりで、その後満州国建国へとなったのですが、元はと言えばアメリカの高関税政策によって始まった市場囲い込み競争が原因でした。
独伊のように米国市場を奪いに行ったわけではなかったのですが、米国も中国市場に野心を持っていたのに日本に先を越されたのが許せなかったので、「門戸開放・機会均等」を旗印にして猛烈に日本を敵視するようになっていきました。
自分たちは高関税で障壁を設けながら、日本には機会均等要求とは一方的主張です。
結果的に世界大戦に世界が引きずり込まれるようになったものです。
大恐慌勃発当時最も対処が良くて景気回復に成功していた日本が、最大の敵とされて最大の被害を受けた結果でした。
ここでは日米開戦原因論は主テーマでないのでこの辺で終わりにします。
こうしたDNAを受けているトランプ氏が、高関税の脅しでNAFTAや米韓FTAの一方的破棄の脅しで国際合意の事実上破棄を前提にした再交渉要求を求めたり、イラン核合意の一方的破棄など全て繋がっているものです。
アメリカはもまともな交渉能力がない・からか?モンロー宣言やまとまりかけたTPP一方的離脱か、過去の約束が不利となると強引すぎる要求でイエスかノーかを求めて「強迫」するしかない常習性が見られます。
日米半導体交渉では、結果的に数値目標と価格固定を決められたのですが、これではその後の技術革新による値下げ(半導体価格は一定頻度で4分の1の比率で値下がりするサイクルが知られています)が禁止→競合生産国より日本製だけ高くするしかないー日本からの輸出不能になり、韓国等第三国での生産しかなくなったという記憶(うろ覚えですので誤りがあるかもしれません)です。
この受け皿になって漁夫の利を得たのが韓国であり代表的企業がサムスンであり、車で言えば現代自動車・・日本の三菱自動車がエンジン等基幹部品を供給し技術支援して始まったものです。
ただし、サムスン電子飛躍に関する以下(明日)紹介する研究論文によれば、(上記のように政治の追い風があったとしても)キャッチアップ後のサムスン独自努力による研究開発の成果によるらしいです。
以下の論文によると従来は装置産業の提案力によっていたが、デバイス部門=加工組み立て部門・サムスン側の研究開発に基づく装置産業に対する協力要請に逆転・文字通理、下請け企業としてサムスンの研究成果に合わせた装置製造を要求されてこれに応じる関係になっているようです。
サムスンは下請けに価格競争させるために日欧企業に並行的に注文を出しているともかいています。
今でもサムスンは半導体製造装置を日本から買っているから(組み立てているだけだから)対韓輸出停止すれば良いという意見をたまに見かけますが、これらは表面を見ているだけ・・間違いのようです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。