韓国移民熱と経済外指標1

在日に対する徴兵可能性について念のためにネット検索してみました。
http://www.office246.com/kika/column/kika-110525.htm

在日韓国人の徴兵義務について
最近インターネットを見ていると、「2012年から法律が変わって、在日韓国人の徴兵制度が義務化されるらしい」とか、「強制徴兵の召集に従わなければ財産を没収されるなどの厳しい罰則があるらしい」とか色々噂になっていますね。
例えば、ほとんどが日本生まれ・日本育ちの、言語も文化も思想も日本人寄りの人が多い在日の「特別永住者」を韓国軍に入隊させている映像を想像してみて、かなり違和感があるのは私だけでしょうか?
韓国国内で徴兵制度を逃れようとする人が多いようで、その対応策での法改正と言われています。
以下、簡単にまとめてみました。

【原則】
韓国の成人男性(18~35歳)は、兵役の義務が課せられます。

【例外】
次の条件を満たす人は、兵役を免除されます。
① 韓国以外の国で生まれた人
② 韓国国内で生まれたが、6歳~18歳まで国外で成長した人
(韓国での修学は3年以内なら許される)
③ 本人が18歳になるまで、家族全員が永住権を取得している人

上記の通りですので、日本生まれ・日本育ちの特別永住者の方は通常ですと徴兵に怯える必要はないというのが当事務所の見解です。

上記にいう当事務所とは私の事務所という意味ではなく、上記引用元の意見です念のため
韓国政府は、韓国から徴兵逃れのために海外移住する自国民が増えてきたので、少なくとも徴兵義務未履行のママの国外移住・・食い逃げを許さないための法整備をしただけ・・もちろん徴兵回避目的移住を阻止する名目による青年期の海外移住や留学抑制目的も隠れた意図があり得るでしょう。
逆からいえば、幼児期から母親同行による英語圏留学熱は徴兵回避目的が含まれている可能性があります。
https://eigohiroba.jp/t/19

「雁パパ」留学費用を送金するため、ひとり韓国に残って働く父親たち
韓国では、1989年の海外旅行解禁後に留学ブームが訪れました。もともと留学は上流階級がするものとの意識が強かったようですが、2000年頃以降は中産階級にまでその波が広がり、早期留学者数も劇的に増加しました。
2002年にはその数が1万人を越え、ピーク時の2006年には3万人近くまでに膨れ上がりました。
その際、幼い子供にひとりで海外生活を送らせることを心配した母親が子供の留学先に付き添い、父親が単身で韓国に残るケースが多く発生しました。
子供の教育のため、単身生活に耐えながら必死に働いて子供の留学費用(と現地での妻子の生活費)を稼ぎ、留学先に送金する父親たち。
雁は韓国において生涯伴侶の象徴であり、遠い距離を旅して雛たちの餌を求めてくることから、そういった父親たちは「雁パパ」と呼ばれるようになりました。

公式経済データが悪くなっていないのに国外脱出願望がどんどん強くなっているのが不思議ですから、韓国の海外移住希望者増加背景には、経済要因だけではわからない・・中長期的には北の支配下に入る恐怖があるのでその前に逃げてしまいたいという気持ちも一部あるでしょうか?
もちろん世論調査でそう言う質問項目がないし、進んで自分から言えないので推し量るしかないことですが・・・。
似たような話に海外移住先希望ランキングがありますが、日本移住希望はありません。
よほど嫌われているとみて安堵している嫌韓派日本人が多いようですが、実際に日本企業への就職希望が多いことや訪日観光客の多さと矛盾します。
これについて在日専門家の意見によれば、無記名とはいえ、日本に対する憧れや移住希望があるなど、おくびにも出せない・うっかり表明すると親日清算・積弊清算政策実行中の現在、有名人であればメデイアで袋叩きにあうなどの国内雰囲気?があるようです。
このように本音を出せない窮屈な特殊事情を理解する必要がありそうです。
日本で考えている以上に現地では北の工作員の浸透が激しくなってきた危機感から一刻も早目に国外に逃げておこうとする人が増えているのでしょうか?
工作員が怖いとはいえないので公式統計には出ませんので、この種の意見は「ユダヤの陰謀論」同様に揣摩臆測の扱いされるのは仕方のないことです。
意味不明の「ヘル朝鮮」などと移住の理由を表現しているようですが、公式データが正しければ本来経済状態も着実に上がっているのに、国外脱出願望が何故多いのか理解不能です。
韓国の徴兵事情・入営すると自殺等が絶えないと言われる徹底的パワハラ天国で、母親の心配が最高潮という実態もあり、なんとか兵役回避したい需要が高い点を無視できません。
https://matome.naver.jp/odai/2146298451469953701には想像を絶するひどいいじめの数々が紹介されています。
https://matome.naver.jp/odai/2146298451469953701
更新日: 2019年05月30日

【ジングルベル】韓国軍いじめの実態が想像を絶する!!こりゃ兵役行く奴は地獄だわww

には想像を絶するひどいいじめの数々が紹介されていますが表題のみで引用省略します。
真偽不明としてもこのような情報に接する親は何とかして息子の兵役回避を図たくなるのは人情です。
その一環としての「雁パパ」現象でもあるでしょう。
韓国の自殺や国外移住熱の高さの原因については、このような諸事情を総合しないで安易に断定するのは危険です。

中朝・修正装置なしの体制5(脱北者)

今では、小金がなくとも、先進国へ行く片道のお金さえあれば、若者であれば現場労働など3K職場を嫌わなければ、いくらでも外国人向けの職のある時代ですから、出国後の生活不安は昔ほどではありません。
移動コストが安くなった現在国民を大事にしない政府になると、政権に結びついて利権のある人以外の裕福な、有能な国民から順に逃げていくし最下層労働者も少しでも労賃の良い国に逃げていきます。
こうしてみると取り立てた能力のない事務系中間層(国内でも転職能力の最も低いグループです)が逃げ遅れる印象です。
明治以降、(戦後高度成長期も同じですが)地主層子弟が、(太宰など)東京の大学に学び、一方で小脳自作農の次三男や貧農層から工場労働者や商店の小僧として農村を出て都会人になっていったのと似ています。
今や世界中で出国の自由があるのが原則ですが、これを制限する国は国民のための政治をする気持ちがないかあるいは、大事にする気持ちはあるがうまくいっていない自覚がある国だけでしょう。
将軍様の統治権世襲維持が第一で内政が酷すぎる自覚のある北朝鮮では人民に逃げられる危機感が強いので、国外脱出を厳しく制限している結果、いわゆる脱北者が生まれるのです。
規制のない国外脱出でも流れ着いた先での生活手段確保の予定・展望のないリスクの高い行為ですが、脱北者の場合見つかれば銃撃される危険を冒して国境の川を泳いで渡るなどするのですから、さらにリスクの高い行為です。
脱出成功してもその先での生活補償がありません。
女性の場合ほとんどが売春婦になるしか生き残れない実態のようです。
北朝鮮の国外脱出の現状です。
女性の人身売買の実態は悲惨ですが、引用しませんのでご自分で読んでください。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-46914958

脱北するも人身売買で性労働に、女性2人が助け出されるまで
2019年01月30日
ウォン・スミン、BBC韓国語編集長
・・北朝鮮では、政府の許可なく国を離れることは違法だ。それでも、大勢が命を賭けて脱北しようとする。
南側の韓国には安全な避難施設があるが、国境地帯は厳重な軍備が敷かれ、あちこちに地雷が埋まっている。韓国へ直接逃げるのはほぼ不可能だ。
そのため、多くの脱北者は中国国境を目指して北へ向かう。
しかし中国では脱北者は「違法移民」と見なされ、当局に見つかれば送還される。ひとたび送還されれば、脱北者は「祖国への反逆」の罪で拷問され、投獄される。
1990年代の「苦難の行軍」と呼ばれた飢きんの間に、多くの国民が脱北した。この飢きんでは少なくとも100万人が犠牲となった。
しかし2011年に金正恩(キム・ジョンウン)氏が最高指導者に就いて以降、脱北者の数は年々減り、当時の半分以下となった。
国境警備の強化に加え、ブローカーたちが値段を釣り上げたことが、減少の原因だという。
本日現在の脱北者に関するウイキペデイアによると以下の通りです。
中国東北部に潜伏する脱北者は、30万人〜40万人と見積もられている。2009年の中国への脱北者は2万5千人〜3万人。4割は中国にとどまるが、6割はベトナムやモンゴルなどの第三国に渡り、うち女性の大半は売春婦になる。人身売買に関する2009年の米国務省報告書によると、脱北者の8割が人身売買の犠牲になり、大半が売春させられたり中国人の妻となる。妻が不要になった夫が別の男性に転売する事例も起きている。脱北を商売にする仲介業者は少なくとも150人ほど存在しており、ほとんどが朝鮮族とされる
中国政府は脱北者を難民(保護を義務づけられる)とは認定せず、不法入国者としている。本来は国連の難民条約33条には、「難民を迫害の待つ国に送還してはならない」という規定があるが、中国は「中朝間に難民問題は存在しない」、「経済難から国境を越えたごく少数の朝鮮の不法越境者がいる」という立場である。これは長年の友好国である北朝鮮との関係も考慮した措置である。
中国警察に摘発された脱北者は北朝鮮へ強制送還されている。北朝鮮では許可のない出国は厳しく禁じられており、強制送還された人々は死刑を含む厳しい処罰を課せられる。拷問など非人道的行為が数多く伝えられており、脱北者を強制送還する中国政府に対して国際社会から厳しい非難が寄せられているが、中国政府は脱北者に対する姿勢を改めていない。難民と認定して脱北者が急増すると中国東北部に混乱が生じかねないことと、北朝鮮の体制を揺るがしかねないためである。

中国が脱北者送還に協力しているのは中国も近い将来国外移住禁止強化(米ソ冷戦時代の東側諸国では国外移住禁止が原則でしたから、ソ連とは独自路線主張の中国の場合(制度的には北朝鮮同様であるが開放政策以降、出国許可の運用を緩くしているだけかもしれません)に転じた時のために「お互い協力し合いましょう」という実績作りが本音でしょうか。
韓国の場合も、兵役義務を果たしていないものには、国籍離脱の自由を認めない法律があると(真偽不明ですが)聞きます。
子供の頃から日本にいる在日は当然徴兵されていないので、結果的に国籍離脱をできない・・子供の頃から日本にいる在日に、ある日韓国から徴兵招集命令が来ると韓国へ行って兵役に服さねばならないという説明です。
これでは韓国が日本攻撃要員として在日を仕立てると、日本国内の在日がある日突如韓国兵として、日本攻撃・テロを始めるのか?
在日は危なくて仕方ないというイメージ主張がされていました。
要はそんなに日本が嫌いなら出て行ってくれという主張の一環です。
国籍離脱の自由が憲法に明記されている日本でも、合理的範囲の離脱条件を付することは憲法上可能でしょう。
いろんな組織脱退の場合、会費未納その他の義務を果たしてからの脱退を認めるのと同じで「国民の重要な義務である兵役の義務を果たしてからにしろ」という条件づけは不合理とは言えないでしょう。
組織秩序違反行為で懲罰対象になっている最中に任意脱退や退職申し出があってもその審理期間中の脱退や辞職を認めないのが一般的です。
このように国籍離脱に条件があること自体は先進国でもありうることでしょう。

中朝・修正装置なしの体制4(国外脱出の自由)

中朝での専制体制が続くようになると、困りきった国民が逃げ出せるかのテーマで6月15日以来書き始めていましたので、香港騒動はその関連意見になります。
南シナ海での埋め立てに対する国際司法裁判所の判断が出ても「紙切れに過ぎない」と公式発言するなど国際信義・正義など無視すれば良い・・行動基準は裸の武力のみという中国・朝鮮の歴史論理が国外に半分開かれた香港でも通用するかの実験です。
列強による侵略を受けていた自分が弱かった時点では養晦韜光戦術で「武力・権力さえあれば何をしても良い」という基本原理・中華の栄華の本質を隠していましたが、自分が世界最強国に近づいた時点で、我慢しきれずについに本性を表し始めたということではないでしょうか?
上記論理・武力・権力さえあればどんな残虐なこと、近隣国侵略をしても良い論理に従えば、他国との約束も守る必要はない・香港返還時の約束・・一国二制度を骨抜きにし、中共政府による香港支配強化をするのは中国の勝手になります。
ただし返還時の約束を破られても英国は報復能力がありませんが、交通機関の発達した現在中国の論理を貫徹・成功すれば、香港脱出する香港住民(資本流出)が増えたでしょうし、自由貿易都市としての香港の信用ががた落ちになっていたでしょう。
中国や香港住民のためには、香港行政府と中共政府が恥をかかずに条例制定強行成功した場合と、国際世論に負けて棚上げ・撤回した場合、どちらが国民・住民にとってよかったかの教訓です。
漢承秦制の原則とは、自由な言論による社会の発展など眼中になく政権さえ維持できればいいという権力維持の思想であって、国家人民の将来には関係がないという思想でしょう。
国家運営に反対する人・・うるさい人物は、自費で国外脱出してくれた方が国外追放したり国内監禁する手間が省けるので都合が良いという選択(開き直り)になりがちです。
去る者は追わずと言えば、懐の広い政治とも言えますが、長年月に亘って世界中に膨大な数の華僑が散らばっている事実を見れば、如何に苛酷な政治がまかり通っていたかが明らかです。
今になれば豊かな順に海外旅行し留学しますが、政府の補助金よる計画的移民政策の場合は別として、まともに働いていてもそれほど蓄えのできない時代に庶民が命がけで見知らぬ異郷に流れていくのは、よほどの政治圧迫や困窮があった場合に限られます。
中国歴代王朝の崩壊は、農民が食えなくなって家を後にして流民化・どうせ明日には一家飢え死にしかないという最後の最後に命もいらないという段階で起きたものですが、広大な砂漠や険阻な山を越えあるいは、ボートピープルになる国外逃亡の多くは、途中で命を落とすリスクが高かった・それほど切羽詰まっていた点は同じです。
北朝鮮脱出者かどうかか不明ですが、時折新潟〜佐渡近辺にボロ漁船に多くの死者の乗った船が漂着するのは今でも命がけでも逃げた方が良いということでしょう。
北朝鮮を除けば、現在では庶民でも気楽に海外旅行できる時代ですから、歴代中国王朝崩壊時ほど一家あげて流亡の民になる・・命がけになるほど困窮しなくとも、ちょっとした不満程度でも小金さえあれば国外移住が簡単です。
このように見ていくと旧ソ連や北朝鮮のように出国の自由のない国って、国民の為の政治ではなく、権力者の為の政治をしている・・自国民に対してひどい政治をしている自覚があることになるのかな?
商人や商品の信用は国家が決めるのではなく市場が決める時代ですが、国家の良し悪しも労働流動性と居住移転の自由の保障があれば、個々人が自己判断で決められるようになります。
現在すでにハイレベル職種では各国人材の取り合いですから、高級人材が国や企業を選べる時代です。
世界企業も早くから活動しやすい国や地域を選ぶようになっています。
イギリスのダイソンだったかがシンガポールに本社を移すとだいぶ前のニュースに出ていましたが、本社を移すのはまだ少ないものの企業の工場や店舗・研究所等は早くから本国だけでなく適地に移転したり立地しています。
最下層労働の場合、自国で最下層で働くよりよそ者になって不便でも、先進国へ行けば10〜数倍以上の給与になるので先進国の3K職場に向けて出稼ぎ移民が増えます。
これが外国人労働者増加の社会問題の根源です。
西欧にアフリカや中東から移民が押し寄せてこの数年大問題になっていますが、先進国ではいわゆる3K職場では求職者が減る一方で求人難に困り、外国人労働者を引き入れてその穴埋めに使ってきました。
西欧では必要な量だけ入ってくるなら(非正規雇用なの不景気が来れば簡単に解雇でできるし)都合の良い仕組みでしたが、必要以上入ってくるどころか押し寄せてくると「過ぎたるは及ばざるが如し」で「招かれざる客」に変化しました。
西欧とアフリカ諸国とは貧富の格差が激しいので、極端な話、元々裸足で歩き回っていて粗末な草葺の家に住んでいた人を想像するのは時代遅れかも知れませんが、先進国の待遇の良い?収容所に長期間留め置かれてもその程度の劣悪環境をものともしない貧困者の群れが大量に押し掛けるようになるとお手上げです。
(例えば私の知っている品川の入管収容施設は入管法違反事件で検挙された人たちの審査期間中の収容施設で難民の臨時収容施設とは違いますが、冷暖房完備の近代ビルですし、臨時でも先進国作る以上は保険衛生基準も一定以上でしょうし、ブリキ屋根の掘っ立て小屋・汲み取り便所にはならないでしょう)
日本では同胞意識が強いので3k職場の合理化・女性でも働きやすい環境整備や機械化に励み、できるだけ外国人労働者利用を避けてきましたが、西欧では安上がりという経済合理性だけで安易大量に引き入れた咎めが出てきました。
ちなみにドイツの外国人(2、3世を含めた)人口比は以下の通り約23%です

ドイツで増大する移民と経済への影響

2017年11月28日
住友商事グローバルリサーチ 経済部伊佐 紫
ドイツは欧州一の移民大国
ドイツの人口は長らく死亡数が出生数を上回る自然減にあるが、移民の流入に伴う社会増が自然減を上回り人口減少を食い止めている(図表1)。ドイツ連邦統計局の人口統計(2016)によると、現在、ドイツに居住する外国人は約896万人で全人口8,243万人の約11%を占め、ドイツの外国人比率は他の欧州主要国と比較して最も高い。英仏では旧植民地から多くの移民が流入しているのに対し、ドイツでは高度経済成長期の労働力として1950年代からトルコ、イタリア、ポルトガルなどから流入した。当時これらの人々は一時的な滞在を前提としていたが、その後ドイツに家族を呼び寄せ定住し、ドイツで生まれ育った2世、3世が増え続けた。現在、こうした移民の背景を持つドイツ人を合わせると全人口の約23%に達している(図表2)。
ドイツの生産年齢人口の約3割は移民
移民の年齢別人口統計(2016)をみると、15歳以上65歳未満の生産年齢人口の割合は移民全体の約65%を占める(図表4)。また、ドイツ人全体の平均年齢は46.2歳であるのに対し、移民の平均年齢は35.4歳と若い世代が多い。さらに、ドイツ全体の生産年齢人口に占める移民の割合は約24%に上る(図表5)。

移民の年収別人口統計(2016)では、ドイツにおける平均年収は月額2,620ユーロ(工業・サービス・建設部門の賃金/2014, Eurostat)であるのに対し、移民の年収は月額500ユーロ以下、同500~900ユーロ、同900~1300ユーロの範囲に多く、ドイツにおける平均年収よりも低くなっている(図表7)。

中朝・修正装置なしの体制3(北方民族の脅威)

山岳民族は守りには強いですが平原地帯に進出して直線長距離距離の大移動能力が低いのが普通です。
いかに中国地域王朝の支配力が落ちて最悪内乱状態にあっても一応大兵力を擁しているので、周辺山岳系少数民族はその一部勢力の応援する程度のことはあっても険阻な山地を越えて広大な中国地域に攻め込むに足る大兵力を移動し、その後長期支配権維持するのは不可能でした。
ベトナムは対米ベトナム戦争後中国による膺懲と称する侵略攻撃を受けて、見事に撃退・勝利していますが、逆に中国に攻め込む力まではありません。
この点は東側の沿海地域の外側も同じです。
唯一一定の規模を持つ日本がありましたが、せいぜい没交渉程度で、世界大帝国を形成したモンゴルでさえ海を渡っての大軍団による遠征が無理だった・・逆からいえば日本からの侵略軍は、帆船利用の豊臣秀吉の時代にはまだ無理・近代動力の出現までは無理だったのです。
西の方は大規模な砂漠によって隔てられているので、この砂漠の彼方に中国を凌ぐ大国(例えばササン朝ペルシャなど)が仮に誕生しても、広大な砂漠を越えて中国の大地を一挙に占領できるほどの大軍移動するのは不可能でした。
北方だけ自然の要害がない上に平原状態のために長距離移動向けの騎馬戦力中心で、一時的に攻め込み広範囲に蹂躙するには適性のあるな民族でした。
これを防ぐために万里の長城という人工物に頼りましたが、これでは守りきれずしょっちゅう北方民族に蹂躙され支配され・王昭君に限らずいつの時代にも美女を送ってご機嫌を取り結ぶなどいつもビクビクしていた関係でした。
モンゴルは西洋まで出かけていったので西の方のイメージですが、元は中国北方民族です。
北方民族は武力の精悍さで侵略してくるだけで、文化レベルや政治巧拙の比較で中原地域人民の支持を受けて支配権力を奪取したものではありません。
中国では異民族支配が繰り替えされましたが、次々とやってくる征服王朝は結局北方種族ですから、文化政治レベルででもは中国地域のレベルに及びません。
彼らは野蛮人扱いされないように、中国古来の支配体制・漢承秦制の原則を漢民族同様に・イヤ、異民族であり少数派である弱みから、漢民族以上に真面目に守って来ました。
中国の王朝で善政を布いたのは原則異民族王朝であり、漢民族時代には人民がいつも酷い目にあっています。
周辺部に成立した李氏朝鮮も異民族王朝の精神で必死に専制体制を真似してきましたが、日本が古代からの独自政治体制を維持し独自文化を発展させていたので朝鮮民族としては負け惜しみ的に?日本を野蛮人としてばかにしていた原因の一つです。
要するに中国人にとって怖いのは少数でも中原の地に侵攻できる武力を持つ勢力・・古くは匈奴・モンゴル→金や清朝、新しくはソ連〜ロシアの剥き出しの武力行使に対する恐怖があっても、正義や文化レベルなどの価値観競争が問題になったことがないのです。
現在アメリカでも中国を文化で圧倒できても、広大な中国地域と巨大人口を擁する中国を直接占領支配する目的の戦争を起こすなどは到底考えられない状態です。
このように中国は文化力で負けても武力さえ保持してれば、どんなヘマな政治をしようと心配がないという体制である点は今も同じです。
唯一例外時代は19世紀中葉からの西欧列強による香港割譲に始まる虫食い的侵略開始だったでしょう。
虫食い的領土侵蝕・・割譲(香港マカオ)上海青島等の租借地〜北方からロシアによる満州進出が始まると一挙全土占領をするには人口その他巨大すぎて外国が手を出せないという安全弁がなくなったことになります。
虎やであれライオン人間であれ、ちょっと小さいものとの喧嘩には勝てますが、もっと小さい細菌には体の大きさや腕力の強さでは戦えません。
これに危機感を抱いたのが昨日紹介した康有為らの変法自強運動→戊戌の変法でした。
武力侵攻以外は怖いもの無しの点は、朝鮮族も同じ価値観でやってきました。
この価値基準によれば怖いのは隣接する中国歴代王朝のみであったのが、19世紀末に至って、清朝に加えて北辺から国境に迫ったロシア帝国でしたし、(当時海を隔てた日本が強国になっていることを理解できなかったでしょう)ソ連崩壊後ロシアへの恐怖はだいぶ背景に退き、中共政権の武力侵攻と米国だけ怖いのであって人民が飢える程度では政権維持に問題がない社会です。
北朝鮮政権では、人民が飢えようが世界最貧国になろうが、武力侵攻さえ防げれば政権安泰ですから、核兵器開発〜保持さえ成功すれば全方位(中国やロシアからも自由)で安全ですから最優先事項になっているのです。
北はすでに経済制裁を受けているので、当面アメリカによる直接の武力侵攻さえ防げればあとは何の心配もない立場です。
核兵器の(実効的運用能力)保持に成功すれば、米国の直接攻撃はできなくなるのでそれまでの時間稼ぎが当面の戦略でしょう。
中国の場合、すでに核兵器の運用能力もあるので米国の武力侵攻がない点で従来(2000年来の)価値基準では米国が何を喚こうと無視していても安泰です。
この絶対安全の地位を北朝鮮も確保しようと必死になっているのでしょう。
ただし、中国の場合には改革開放後国民が豊かさを経験してしまったし国際経済活動に組み込まれてしまったので、国際経済活動から締め出されることに対する耐性が北朝鮮よりも弱くなっています。
今回の香港騒動では米国が香港に対する貿易上の特別待遇廃止を匂わせると、中国が慌てて妥協に動き始めるしかなくなったのとの違いです。
中国国民にとっては米国という強大な相手がいるので、権力の行き過ぎに対する外圧による修正の余地が出てきたのが国民にとっては全く新規なありがたいことです。
この約1週間の香港の騒乱は、国際社会の圧力がなければ中国政府とその意を受けた香港政府が強権突破予定だったでしょうが、騒ぎが大きくなったので流石に一旦棚上げにするしかなくなりました。
パリで燃え盛った黄色いベスト運動やろうそく集会は政権が時期を選んで仕掛けたものではないですが、ここ1週間ほど国際ニュースになっている香港の条例制定騒動は、政権が時期を選んで仕掛けたものですから、中国歴史によるとはいえ政府の国際動向無視の姿勢・オンチぶりには驚くばかりです。
国際動向に対する音痴ぶりは歴代どんな悪政・失政が続こうとも国内的には政権を倒す方法がなかった・外圧など気にした経験がない上に絶対に攻撃されない魔法の兵器・・核兵器を持つ国になったので、外から攻撃を受ける心配が無くなりました。
北方民族・匈奴やモンゴル金〜清〜ソ連などにビクビクしていた時代よりも今の方が安泰です・変な自信を取りもどしたことになります。

中朝・修正装置なしの体制2(漢承秦制の原則)

昨日法家の思想を紹介しましたが、中国古代に統一国家ができるまでは、多国間競争があったので統治能力や文化の高さを競う必要があったので百家争鳴・・いわゆる諸子百家の個性豊かな思想家が活躍したのですが、統一国家になると多様な意見が全面的に(焚書坑儒)禁止されて、専制君主の命令が正しいかどうかの基準によらず皇帝の命令どおりに職務を果たしたかどうかを基準にする・正しいかどうかの議論を許さない社会になりました。
以来、彼の地では中国王朝政治の基本原則として漢承秦制の原則が言われて清朝崩壊まで来たようです。
漢承秦制の原則については04/10/05「不平等条約改正に対する日本政府と清朝の違い(漢承秦制の思想と社会の停滞)」以下で何回か紹介しました。
上記で引用した中国人の論文では異民族支配化に入った時も異民族は中元の地の政治文化を尊重して政治体制は漢承秦制の原則により同じ制度枠組みでやってきたことと、19世紀以降の欧米の新文化が入ってもこの強固な枠組みを変えずに小手先の技術導入で済まそうとしたので、遅れて欧米文化に接したにもかからず国家体制まで変えた日本に清朝は遅れをとってしまったという論文です。
ここで論者が言わんとしていることは、中国は小手先の技術導入だけではなく秦朝以来の国家枠組み(基本思想そのもの)も変える必要があると言いたいようでした。
上記論文は2005年の「自由と正義」に掲載されていたものですから、当時は改革開放が進み国民が豊かになれば、国家体制も人権を尊重し自由化に向かうだろうという楽観的欧米意見の援護論文だったとも言えます。
その後習近平政権になって中華の栄光の復活・・2000年来の漢承秦制の原則・・欧米技術は専制支配支配の道具に使えば良いという思想に戻った(先祖帰り)ようです。
公務員の肩書き(〇〇弁室〇〇だったか?)で書いていたあの中国人学者の運命がどうなったか・・日本に来てしまったかな?気になるところです。
清朝末期に欧米に対抗するために体制変革を目指した変法自強運動を起こし西太后に潰された康有為の超小型版でしょうか?
康有為の漢詩があった記憶ですのでネット検索して見ました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/fusang09.htm

戊戌八月 國變 紀事

歴歴たり  維新の 夢,
分明たり  百日の 中。
莊嚴  宣室に 對し,
哀痛  桐宮に 起る。
禍水  中夏に 滔(みなぎ)り,
堯臺  聖躬を 悼む。
小臣  東海に 涙して,
帝を 望めば  杜鵑 紅し。

私感註釈

※戊戌八月國變紀事:戊戌変法政変の記事。 *康有為、梁啓超、譚嗣同 、また、張之洞に詩作あり。 ・戊戌:1898年光緒二十四年のこと。ここでは、戊戌の変法を指す。八月國變紀事:戊戌変法が挫折した八月の出来事。戊戌の変法とは、1898年(光緒二十四年)に宣布された変法維新(欧化、近代化の改革運動)の政治運動。その由来は、アヘン戦争後、国威の衰頽が顕在化し、やがて、日清戦争(中国側の呼称:甲午戰爭)後、日本の欧化の優越性を目の当たりにしすることで、自国の後進性の改革の必要性と、西欧列強の対清朝中国蚕食という現実に直面して、危機感を持った先覚者が、政治の改革と軍備の改善を図り、日本の明治維新後の政府と帝政をモデルにした救国改良運動にある。康有為や梁啓超がその中心であった。やがて、1898年(光緒24年)に光緒帝によって宣布された変法維新は、百三日後、西太后慈禧のためにあえなく挫折する。それ故「百日維新」とも称される。なお、この政変の失敗後康有為や梁啓超は日本へ亡命、他の譚嗣同、楊鋭ら6人は処刑された。

この政変をテーマにしたというか、西太后を主役にした猿之助演出のお芝居を20年以上前に見たことがあります。
藤間紫主演の凄みのある西太后に圧倒された記憶・・いまだにその表情が目に浮かびます。
https://weblog.hochi.co.jp/uchino/2009/03/post-684f.html

2009年3月29日 (日)
藤間紫さんの「西太后」
紫さん訃報で思い出すのは舞台「西太后」の初演(95年)です。記者になってまだ数年目の若造でした。
あの時の新橋演舞場の張りつめた空気を忘れることができません。まさに観客が身を乗り出し、固唾をのんで見入るような。完成度の高い舞台だけに流れる、研ぎ澄まされた空間でした。 初演時、紫さんはすでに70歳をこえておられたわけですが、その女傑ぶりは劇場の空間をまさに圧倒し、支配するものでした。

上記によると新橋演舞場で見たようです。
やはり、文字の上で歴史を知るのと舞台で見るのとでは、記憶に刷り込まれる内容・深さが違います。
東京地裁のついで(当時いつもそうしていましたので)に妻と一緒に観劇したものですが、何やかやと言っても今のみやこは東京ですので、気楽に文化の粋に触れられるのはありがたいことです。
話題がそれましたので専制支配体制に戻ります。
普通の国では国内専制権力を持っても、隣国との競争に負けると困るので周囲の反応を気にして矯正せざるを得なかったのですが、秦朝統一後の中国には周囲に競争相手がなく、お隣の関係で矯正されるチャンスがなく現在に至ったのが世界史的に見れば特異な点でしょう。
中国現在の領域を前提にまず南部から考えると、南部方面はヒマラヤや雲南の険阻な山地によって隔てられ、しかも山地の向こうはさらに山地中心の地形であって人口が少ないので、中国地域に成立している王朝がいかにデタラメをしていようとも、その王朝の存立を脅かすような大兵力を要する国ができませんでした。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。