コメコンは域内分業の強制組織でしたが、これは体良くロシア支配の固定化を図るものでした。
ソ連支配圏内の域内分業とは自由主義諸国間で一般的なサプライチェーンの統制版ですが、ソ連解体→コメコン解体=ソ連による権力統制がなくなると、本来の競争力に基づくサプライチェーンと違う弱み・・ロシアから割高品を買わされていた国や地域は、国際相場で他国から買うようになり、国際相場より割安でロシアへの供給を強制されていた国や地域は販路を国際市場に求めるようになります。ソ連崩壊後ロシア共和国の旨みが消えて、ロシア共和国が急激なマイナス成長に落ち込んだ原因(私の個人意見)です。ソ連解体後のマイナス成長の結果についてはあちこちに記事が出ていますが、一例を挙げれば以下の通りです。https://www.jica.go.jp/jica-ri/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jbic/report/review/pdf/28_07.pdf
第1章 はじめに
ロシア連邦:体制移行の現状と今後の課題*1国際審査部第2班能勢 学小田島 健
1991年12月のソ連解体以降、ロシアを取り巻く政治・経済環境は劇的に変化している。崩壊直後、急進的な経済改革が実施された結果、旧ソ連諸国と比べても大きく生産が落ち込み、ハイパーインフレーションや財政収支、経常収支の悪化に見舞われてマクロ経済は大きく不安定化した(図表1、2)。また1998年にはアジア通貨危機の余波を受けた結果、それまでのクローリングペッグ制が維持できなくなり、対ドルのルーブル為替レートが大幅に切り下げられ、短期国債の事実上のデフォルトが生じた(図表3)。この結果、1997年にプラス成長となった経済も再びマイナス成長に陥り、物価・為替の安定性も喪失された。
・・・豊富な天然資源を有する同国は、1999年以降油価上昇等の対外環境改善の恩恵を受けて目覚しい成長を遂げている。実質GDP成長率は4~10%と高成長で推移し、所得水準は崩壊直前の水準まで回復した(図表4)。
上記図表4を見るとソ連解体後中東欧諸国のGDPが一直線に近く上昇しているのに対してロシアの方は、2000年代に原油相場高騰によるまでマイナス成長でした。
ソ連邦解体直後の上記結果を見れば、約100もあるといわれる多数被支配民族を共産主義名下に一体市場化に成功したロシア民族がいかにうまい汁を吸っていたかが分かります。
現在用語でいえばグローバル論を展開した元祖レーニン主導でロシア革命が成功してソ連邦が成立したのですが、ロシア革命〜ソ連成立後のコミンフォルムとかコミンテルン・世界同時革命論等々一貫して今風にいえばグローバル化論の悪しき原型でした。 仮にソ連邦内で自由競争が行われているグローバル化であれば、中東欧やバルト三国の優秀な企業は鉄のカーテンで仕切ったソ連邦内を独占市場として席巻できたのでしょうが、強制割当制下では遅れた方に合わせられる不都合があったでしょう。
大手企業で不採算部門の損失穴埋めに成長部門が再投資資金を食われてしまい外部専業競合企業より不利になるのに似ています。 中国もこの段階に入ってきた・・・沿海部の収益を内陸部に回すしかない・規模の不利益に直面しています。