予防と事後対応制度の限界

訴訟実務家は訴訟で実績を上げて本当に社会的意義があればその結果・・19世紀型理念の破綻をどうすべきかの問題提起・・社会が考えることではないでしょうか?
サイバーテロやサウジへの無人機攻撃による国防のあり方など、攻める方法は日進月歩ですから19世型自衛概念論争・・敵国が巡航ミサイルやロケットを我が国に向けて発車しても領海侵入あるまでは何の自衛もできないのでは意味がなくなっていることは周知の通りです。
個人間の正当防衛で言えば、殺してやるなどと怒声をあげて刀を抜いて駆け寄ってきたら、走り寄ってくる相手を抜き打ちざまに相手の足を払ったら(駆け寄った方からまだ直接斬りかかられていないので)正当防衛にならないのかということでしょう。
よほど実力差のある関係でない限り斬りかかってきてからの応戦ではその間1秒あるかないかですので)先に斬りかかった方が勝つのが普通(このため相撲では同時の立会いが基本ルールです・全てのスポーツはホイッスル等による同時開始を前提にしています)ですから、素手の相撲の場合立ち上がった段階→刀槍による戦いの場合で言えば鞘を払った段階を起点にすべきでしょう。
戦闘機の場合照準を合わせるレーダー照射まで進めば瞬時に発射可能・0、何秒でも先に発車した方が勝つ精巧な戦い・誘導弾で相手機を追尾する機能があるので、射手の腕や戦闘機操縦能力の技術差による違いが大幅に下がっていて、空振り率の高い時代と違ウノで滅多にない時代にはいっていますので、相手が発射するのを待ってられません。
実際に誘導弾を発射するまで待たないで応戦すべきが標準になっていると言われます。
これが韓国機による昨年頃に発生した日本機に対するレーダー照射事件でした。
9月26日日経新聞朝刊1面には、フェイスブックの創業者「ザッカーバーグ氏に聞く」という表題で、今後は「問題が起きてから対処ではもう通じず」という副題があって、問題が起きてからでは一旦失った信頼回復が困難・・損害が巨大になるために事前の対策が必要という意見が出ています。
弁護士業務関連でも弱者救済対応としては被害相談がくるのを待っているのではなく、〇〇110番という電話相談を弁護士会が開設する積極対応が目立ってきました。
9月9日未明の千葉県を中心とする台風被害では広域停電の結果、メールはもとより電話も通じなかったことから現地(市町村自体が被害把握に手間取り)からの被害情報の収集を待っていた県の対応では後手にまわり過ぎた批判や反省の意見が頻りです。
電子機器の発達以来、リアルタイムの対応に慣れてきたこともあって何周亜kんという長期停電には何をしているの?という驚きが非難の原動力でしょうか?
いずれにせよ、「ことが起きるのを待って対処する態度がはおかしい」という風潮が一般化して来たことは確かでしょう。
ここで話題の方向性がズレますが、被害者からの救援依頼を待つのではなくプッシュ型災害対応がこの数年前から言われてはいるものの、今回の東電や政府対応を非難するのはムード的風潮に便乗した行きすぎでしょう。
どこにどういう被害が発生しているか不明の状態でまず食料を送って良いのか?復旧要因も倒壊原因によって職種・準備する機械などが違いますので、どういう援助が必要か不明のまま出動すべきと言われても政府も困るでしょう。
停電と言えば、送電システムのどこかに問題が生じて電力のプロが故障箇所・理由を見つけて応急処置すればいいという従来型回復を想定していたところ、時間経過でわかったことは、房総半島のあちこちで電柱が大量倒壊していて倒壊原因が多様な原因による結果、復旧作業が多様化したために期間がかかった原因であることがわかってきました。
電柱自体が強風で倒れた程度までは、電柱設置取り替え業者の本来業務に近い(住宅で言えば、建築業者と解体撤去業とは違いますが一応近縁業種です)ので想定内作業だったでしょうが、山林の大きな樹木が倒れかかっているので樹木の伐採が必要な場合、東電が日常的発注している業界外の発注作業になります。
電気技師や電柱建て替え業者でなく林業関係者の出番・樹木が太い場合手作業的電動ノコギリではなくチェンソーなど本格的道具が必要ですし、一定の長さに切断した樹木をクレーン等で撤去する作業車も必要です。
その上電柱の倒壊回復には現場へ辿り着くべき山道が土砂崩れなどで不通になっていたなど、東電単体の作業領域を大幅に超えていたことで自衛隊出動の必要性となったのですが、大量の電柱倒壊が多様な原因によるのでどういう原因によるかなどの状況把握なしには、どの専門業者がどこへ出動すべきかも決められません。
こういう場合プッシュ型災害出動という掛け声ばかりで、メデイアが政府=県知事の対応が緩いと政府批判しても始まりません。
今回の台風対策は初めてか2回目か知りませんが、ともかく走れるだけ走って、これ以上は危険となったら「その時点で運行打ち切り」というデタラメ的?パターンが原則でしたが、首都圏の電車等を台風来襲予測時間前から全面運休して翌朝始発から運休し8時頃から再開き予定という画期的対応をしていました。この結果出勤時の大混乱を避けられたし、企業等も午前中の勤務を中止して午後からの勤務に変えていたと思われます。
千葉県弁護士会からは午後一時からの開館とネット通知がありました。
災害は毎回同じ種類によるとは限らないので、どんな災害にも耐え得る基本体力として、まずできることからやるとすれば、各自が一定の基礎的災害耐久力をつけることが先決ではないでしょうか。
数日〜10日分以上の水や食料貯蔵(日々食べるものであれば買いだめして古い順に消費する))は、各自がその気になればだれでもすぐ備蓄可能なことです。
電気備蓄・・各家庭での自家発電装置は高価な上に維持管理に無理があるので当面不可能でしょうが、一般家庭でも車のバッテリーのような蓄電設備を備えるための開発を促進すべきではないでしょうか?
家電製品については製造段階で停電があっても一定時間は運転持続できるような製品を業界で開発していく努力も必要です。
その機能のある家電設備の方が売れ行きが良いでしょうから、業界に過大な負担を強いるものではないでしょう。
当初10分〜20分程度の製品しか開発できなくとも徐々に3時間〜5〜24時間〜2日〜5日間へと伸びていくように思われます。

訴訟と日本文化批判9(スマートだったGPS訴訟)

GPS判例のときだったか?でちょっと書きましたが、逃走犯人が昔のように空き地を突っ切って逃げたならそのまま追いかければいいのですが、住宅街敷地を突っ切って反対側の路地に出て逃げた場合、追跡中の警官が他人の住宅敷地に侵入できないので、ぐるっと迂回して裏側の路地に行き着くしかないような滑稽な事態になります。
この最たる事例が車社会化の変容です。
例えば15〜20年前に担当した事件では、一晩のうちに夕方はまだ帰宅しない共働き夫婦のいる新興住宅街・・千葉県佐原〜茨城県内で何件か空き巣をして(犯人の説明では日暮れどきに新興住宅街を回って電気のついていない家を狙えばいいので物色する手間がいらないということらしいです・・その後深夜に長野県で、ガソリンスタンドのドアーを破って侵入盗をした事件を担当したことがあります。
今は見張りといってもその家の前で見張っているのではなく、見通しの良いところ(分譲住宅は道路整備されているので割と遠くからその路地に入る車や人を発見できるのと携帯やメールで連絡できるので安全地帯に車を止めて見張っているようです)実行犯は侵入するとまず裏口のドアを開けて、連絡があると一旦裏口から出てこの家の住人が帰ってきたのか窺うようです。
通行人がその家を通り過ぎると侵入し直して金目のものを探して遁走するのを繰り返し、6時半前後になると勤め人が帰ってくるリスクが高くなるので空き巣侵入を切り上げて、今度は夜遅く閉店後の商店を狙うために長野県まで移動して店舗荒らしをしていた事件です。
近隣住宅街で繰り返すと足がつきやすいので、毎回数十キロ離れた住宅街を狙って広域移動する犯罪集団の場合、警察が千葉県や茨城県の被害住宅街付近(自転車圏程度)の素行不良者など聞き込みしているようではとても間に合いません。
佐原署管轄だったか?地元警察だけでの捜査能力を超えています。
GPS事件も窃盗集団の移動把握のために警察が窃盗集団と目星をつけた車にGPSを装着してその運行記録をもとに検挙した事件で捜査の違法性が問題になった事件だった記憶です。
車による長距離移動が一般化すると、犯罪も広域化するので地元素行不良者に目星つける方法や、江戸時代のように尾行や追跡は不可能になっているのですが、GPSがあれば過去どころかリアルタイムで移動経路が一目で判明します。
どこで一定時間停止していたかなど犯行場所との関連づけもおおよその推定可能ですので、連続空き巣犯など犯罪集団の特定絞り込みに有益ですし、一定の場所で停車している場合現行犯逮捕準備としては効力を発揮します。
GPS事件はGPSを無断で取りつけたことが問題になったのですが、あらかじめ捜査目的を説明して取り付け承諾を得るなどは不可能な分野です。
離婚事件等での浮気調査などにGPS利用が一般的に行われているのですが、法理論説明は別として、結果から見ると私益追求のためには問題がなく、(私人間行為なのでそれ自体を問題にする事例に発展しないだけ?のことですが)公益実現の最たる分野である犯罪捜査に使ってはいけないジレンマです。
長年の歴史的慣習で私益実現のためには許されない行為でも、お上がやるときは民間向けのがんじがらめの規則などお構いなしに超法規的にできるかのような無意識的思い込みがまだ強いのが現状でしょう。
この象徴的法諺は、国王の無答責という言葉でしょうか?
国王は、何をしてもも刑事責任を問われないという制度で、現在も王制国では、法律上そう運用されていると思います。
我が国でも天皇は無答責と言われ内閣が天皇の行為について責任を負う仕組みです。
こういう意識からすれば、私益実現の為の違法行為は相手さえ事件化しなければ有耶無耶→違法行為責任を滅多に問われないのに、公権力行使の時だけ違法とされりのはおかしいという印象を持つのでしょう。
民主社会になって、警官になれば好きにしょっぴけるのではなく裁判官発行の令状を示してから出ないと逮捕や家宅捜索できないように、私人には許されない行為が公権力の行使としては許されるものの、その行使には厳しい条件がつくようになっています。
GPSや防犯カメラ等の設置には、新しい分野なのでこの種の条件整備が進んでいない・法定権限が整備されていない・・法不備の問題です。
公権力行使のためには一般人が許されない行為ができる場合が多いのは、予め一定の場合に限り許容されることが法定されているからです。
パトカーが赤色灯をつけてサイレンを鳴らして追跡する時には信号やスピード規制等を守らなくとも良いことになっているように、法制化を工夫すれば良いことでしょう。
とは言え、犯罪容疑にかかわらず誰彼なく個人の車にGPS装置を無断で取り付けて良いという法律ができるとは思えませんし、やるとすればGPS装置装着車しか運行してはならないと義務付けるしかないのでしょうか?
文字通り中国の監視社会の一部実現ですが、これも記録保存義務までは何とかなっても事故事件発生前にどういう根拠で「見せろ」と言えるかですし、「リアルタイムで見せろ」となればなおさら無理そうです。
警察が事件後全容解明のために記録の押収をして調査するのはできるでしょうが(飛行機事故ではボイスレコーダーの解明が普通です)このグループが連続亜skいうあっhライ糸井だけで検挙できる証拠がないから追尾して現行犯逮捕の必要があるということはこれから犯行しそうだから、リアルタイムで監視させてくれということですからまだ罪科のない人そこまで監視して良いのか?となります。
ただ、善良な一般人をやみくもにGPSで追尾監視しようというのではなく、今後も実行しそうなグループとして合理的根拠を得て始めるものとすれば、その程度の要件を満たしているか否かの審査機関(裁判所)を設けて一定期間に限っての監視を許可するのも一方法でしょうが、電波傍受と違い取り付け行為許可の法技術は難しいと思われます。
前提制度として車製造基準としてGPS装着を義務付ける制度設計を先行させて、裁判所が一定の要件合致する場合にのみ一定範囲で傍受を許可するのも1方法でしょうか?
訴訟態度のあり方に戻りますと、仮にGPS捜査自体を禁止すべき!とメデイアで大々的政治主張し耳目を集めていた場合に比べれば、上記弁護士が余計な主張をしなかった・法律上の問題提起に徹したのは賢明・スマートだったという限度での評価です。

訴訟外文化批判8(GPS事件との対比)

日本では、自分の意見を主張表現する権利がある代わり、自分の主張による影響を受けるのも引き受けるべきでしょう。
私の職業的価値観で言えば、金銭請求の民事請求は淡々とその根拠を訴訟で主張するだけで良かったのに、特定企業や背後の日本文化攻撃まですれば、攻撃された企業・批判された者の中で、(もしも感情的表現等があったりすれば)批判は批判として受けれ入れたとしても「感情的部分が許せない」となる人も一定数残ります。
ノーベル賞受賞の機会に修復を求めた動機は不明ですが、彼が日本国籍を意図的を捨てたか喪失したかは別として喪失している場合を仮定してみます。
日本国籍を再取得したい場合・あるいは気持ちよく「郷土に錦を飾りたい」場合(日本文化全面否定したことによって傷ついている人の代表?の)「日亜化学との関係修復した方が良いのではないか?」と親しい人からアドバイスされているのかもしれません。
仮りに国籍再取得したい場合を考えると、外国人の国籍取得は一定の要件をクリアーした時に許可できるだけであって法律要件クリアー=自動的許可ではありません。
許可は政治裁量によるので、国民感情として反対が多いと簡単ではありません。
今の韓国に対して、ついにもうダメだという段階になってしまったのと似ています。
韓国国民は日本の怒りの深さに焦っているようですが、(日米から離反して、北朝鮮と中国につく戦略の文政権にとってはその方が好都合でしょうが・・)詫びを入れるどころか開きなおって日本非難を拡大する一方ですので、いよいよ相手にされなくなるでしょう。
中村教授は日亜化学にあっさり袖にされて「さあどうする?」というところです。
パワーゲーム的に勝てそうな時だけの修復提案では心に傷を受けた方は受けられない・修復は無理でしょう。
日本を良くするための日本現状批判は必要ですが、そこに悪意・敵意がこもっていると国民大衆が受け取る・・感じ取ると反日メデイアの烙印が押されてしまいます。
20日にも紹介していますが、朝日の報道姿勢がいつも問題になるのは日本社会を良くするための批判か、日本を解放?したい国の代弁か不明・・疑心を持つ国民が増えてしまったからです。
中村氏は発明報酬が低すぎると思えば低すぎるかどうかの立証・・司法・合理的論争に徹すればよかったでしょう。
メデイアに誘導質問されても日本文化全般批判方向の取材には(私は研究一筋でそう言うことはわかりませんと)ガードを固くすべきだったと思われます。
自分から進んで場外乱闘行為のような言動に出たのは、当初から寄与度が大きいとする主張に根拠がないことを理解していたからでしょうか?
日本企業文化ひいては民族のあり方批判に対して、いわゆる「反日」メデイアが大喜びで飛びついてフィーバーしたのでしょう。
本当に反日目メデイアかどうか不明ですが、反日メデイアと言われるようなメデイアは慰安婦騒動以来国民の信頼を失っているように見えますので、これらの寵児になった人はその分国民感情的(メデイアに紹介されないいわゆるサイレントマジョリテイ)に反感を持たれていたことになります。
メデイア露出は個人の露出癖による発露ではなく、国民支持を得る目的だったとすれば反日的フィーバーを煽るのは合理的ではありません。
20日引用したように、1審判決後和解成立までの間に東京地裁判決批判が一般化されていたらしく、和解成立後になお朝日新聞の高橋真理子氏が司法批判的意見を書いているだけで、報道界全般に支持者が広がらなかったようです。
これまで見てきたように発明にこぎつけること自体に多くの協力が必要な他に、商品化成功までには多くの関与者の協力や各関係者の成功の積み重ねによることも常識になっていたようです。
訴訟提起して半分の貢献度主張をするには相応の業界調査をした結果であるべきでしょうが、業界の実態調査すると期待する高額報酬にならないので「日本の業界慣習が腐っている」という宣伝戦略を展開したのかもしれません。
事件そのものを知りませんが、私の職業的感で言うとわあg国の相場が低すぎると言う場合、米国での報酬基準がどうであって、芽が出た段階でいくらくらいでファンドが買い付けているか・市場評価がどうなっているなど主張すべきであったでしょう。
発明〜創業関連業界や発明や特許を買うファンド相場などの値付けの国際標準を見ても常識に反する寄与度の主張・・結果的に非常識主張になってしまったように外形上見えることからすると、どういういう事前調査をして訴え提起したのか疑問です。
メデイア戦ア採用によって中村氏は特定メデイアの寵児になった結果、その裏側で「声なき大衆」の力を無視する結果になったようですが、その反動が出てきたのがネット社会化の進展です。
ノーベル賞受賞時にはネット社化の効能で、マスメデイアが秘匿する情報・・「国籍を捨てているのに日本人受賞なの!」という批判が飛び出してきた・・こういう声なき声の逆襲があるとは想定外だったでしょう。
ノーベル賞受賞で、もう一度メデイア界の寵児になれたのでポイントを得た!反撃チャンスとみたつもり?勝者気分での修復提案だったとすれば逆効果だったようです。
最近の事件で言えば、若手弁護士がGPS捜査に挑戦して金星を上げましたが、前もってメデイア戦略など一切していなかったように思います。
※ GPS捜査あるいは先端技術駆使の捜査を禁止すべきという政治論として私が評価しているのではなく、既存法令での運用には問題が多い・・法制定技術が科学技術発展に追いついていない問題点を浮き彫りにした功績をここでは書いています。
犯罪を犯す方は「あらかじめ法令で決めた方法以外の犯罪を犯してはならない」という法令がないので最新技術を駆使して、新規犯罪を犯してもそれを処罰する法令が未整備の場合、犯罪とはならないのと同様に逃走手段もいろいろで刑事訴訟法が出来た頃の犯行や逃走手段とは大幅に変わっています。
捜査する方は19世紀型思考で、私権侵害的行為は法令でがんじがらめに決めた方法でしか捜査できません。

やりたいことをやれる国のデモ

現在民主国家においては、地方選挙を含め数ヶ月ごとに大きな選挙が行われ民意が速やかに反映されるので為政者は次の選挙で負けないようにその動向を注視し民意を吸収するのに必死です。
選挙の結果初めて政治に民意が反映されるのではなく、選挙で負けないようにその前から民意動向に合わせて政治家は動くし政策決定していく時代になっています。
まして、今ではデモが民意を代表するものではくなって久しいのです。
日経平均の指標銘柄になるとその株中心に買い上げる戦略同様、見え透いた行動が続いている・・ベタの支持率が低い野党が、民意を問う選挙の負けを希釈化するためのデモ動員が増えると、デモ等の民意代表性が低下してきたように思われます。
うろ覚えの記憶では「国会大包囲全国100万人作戦?」と称して連日国会周辺デモ作戦が展開して「民意無視するな」という大合唱/メデイア大規模報道がおこなわれていました。

http://sogakari.com/?p=633

2015/8/2 2016/5/27 集会, 8・30

戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動

2015/8/2 2016/5/27 集会, 8・30
安倍政権の憲法破壊・生活破壊・人権破壊を許さない!
一人ひとりが尊重される、平和な社会をつくろう!
・・・7.26国会包囲行動には約2万5000人、7.28日比谷大集会には約1万5000人もの市民が参加しています。新聞各社の調査でも安倍政権の支持率が激減しています。
・・・国会周辺を10万人以上の戦争法案絶対反対!の怒りの声で埋め尽くそう!

25000人の表現自体過大・空撮等を見ると歩道を埋めただけでそんなにいるわけがないという否定論がネットで出ていましたが、二万五千人が仮に集まったとしても、首都圏人口比でどういう比率になるの?という時代です。
案の定、直後の衆院選では旧民主党系は惨敗でした。
29年秋の総選挙に関するhttp://www.asahi.com/senkyo/senkyo2017/から引用です。

与党 その他 野党
自民
公明
無(与)
無(野)
無(他)
諸派
こころ
社民
共産
立憲
維新
希望
小選挙区
218
8
1
21
0
0
1
1
18
3
18
比例区
66
21
0
0
1
11
37
8
32
284
29
1
21
0
0
0
2
12
55
11
50
公示前
284
34
11
27
0
0
0
2
21
15
14
57
  • 定数10減。公示前勢力は解散後の党派異動を含む(欠員3、民進の不出馬7人は除く)
  • 当選者には無所属からの追加公認を含む(自民3人、立憲1人)。無所属は与党系、野党系、その他に分類

圧勝した前回(15年)選挙より減るのが普通と言われていた自民党が、(定員10名減)の選挙でしたが)前回同数当選したので圧勝でした。
根拠なく彼らは世論を僭称していたのです。
選挙後もhttps://www.asahi.com/articles/DA3S13754177.htmlの通り国会周辺デモをしています。

改憲に「NO」 国会前でデモ
主催者発表で1万8千人が参加。野党の国会議員や憲法学者らとともに「改憲反対」「絶対止めよう」などと訴えた。

国会周辺に一般国民があまりいないし、国会周辺デモに本当に国民に対するアッピール効果があるのかな?と疑問でしたが、メデイア報道拡散を期待しているのでしょう。
(与党議員は支持者の動向には影響がありますが、反対勢力のデモがいくらあっても影響を受けないでしょうから、野党議員への応援・声援のつもりでしょうか?)
どことは言えませんが、多くのメデイアは左翼系デモを優先的に報じ、右翼系デモはほとんど報道しない黙殺傾向があるようですから、この広告効果を狙っているのでしょうか?
最近一般人に対するアッピール目的のネット系デモは、繁華街や駅前等の現場重視傾向が強いですが、場所選びにも左翼系デモは権威主義的体質が出ています。
中国や香港その他自由な言論が許されない・立候補者の資格が香港政府の推薦による社会では選挙制度を民主化しろ!運動に価値がありますが、自由に選挙運動できるし日頃から反政府傾向の意見露出度の強いメデイア傾向がある日本で、終わったばかりの選挙結果を否定する運動が何故必要なのか意味不明に思っている国民が大多数ではないでしょうか。
このコラムでは「近代法の法理」に反するなどの政治運動形態を批判してきましたが、今は近代ではなく「現在」ですので現在社会に応じた土俵で競争してほしいものです。
現在にマッチした政治スタイルや現在思想について行けない人たちが旧式の思考やデモ活動・運動の場にこだわっているのでしょうか?
彼らは中ソ(現在ロシア)の影響を受けて中ロの実践している政治形態を至上の価値観であると尊敬しているとすれば、彼らの国では言論の自由がないので、いまでもデモ行進が有力な意思表示手段になっている点ではその通りだから、中露の社会にいるつもりで生きているのでしょうか?ではないでしょうか?
ただ中露での反政府運動は命がけですが、日本ではリスクがないどころか、逆に運動家と認知されて左翼系集団(学会やメデイア界では主流です)内およびメデイア界の寵児になれるので居心地が良い・・安全地帯にいる点が大違いであり、受け取る方に対するインパクトが違います。

発光ダイオード特許事件8(日本文化批判はどうなる?6)

話題が逸れましたが、後先見ずの感情論にひた走るのは気持ちがいいでしょうが、言い足りない点は後でカバーし易いですが、後先見ずに言いすぎた点の取り消し不可能です。
中村氏にとっては、感情に走りすぎた点が大きな失点(立場によっては逆評価?)
だったでしょう。
ところで
「ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。」
という意味が不明ですが、日亜化学との真の和解ない限り日本社会が受け入れない・他企業も近づけないということでしょうか?
普通の事件ならば、事件に関係ない人には知らないことですが、自分からメデイア利用したのか利用されたのか不明ですが、少なくとも自分の意思で記者発表をした以上は、全国区の話題になってしまったことは確かです。
全国向けに司法批判、日本企業・文化批判・否定的意見を大量露出した以上は、これに不快感を持つ人も増えますので全国的居場所をなくすリスクを負うべきでしょう。
大久保利通が郷土鹿児島で受け入れられていない不遇を紹介しましたが、彼は薩摩藩という狭い枠を超えて統一した民族国家確立に奔走していたのですから、郷土の不満にあまり配慮しなかったのは理解可能です。
中村教授の批判は日本社会をもっと独創的意見を持つ人が優遇される社会にしたいという前向き批判だったのでしょうが、批判されるほうは全否定されるかのような印象を受けたのでしょう。
古来から何か大きなことをなした人は、他の批判しないで自分の生き方を貫いていくのが多くの日本偉人の生き方でした。
この例外は他宗を非難した日蓮聖人だったので弾圧も受けたし、その反動で不受不施派という極端な主義主張も生まれたのでしょうか。
現在日本では共産党だけが、政治資金を受けないし他政党との共同もしない唯我独尊的政党になっています。
現在でも日本ではヒト・他国の生き方を批判しないで自分の信念に従い黙々と刻苦勉励していつか国際社会でハエある地位を得られれば良いという生き方でやってきました。
中村氏は会社の開発打ち切り方針に反してなお一途に青色発光ダイオードの開発可能性を信じて黙々と?一筋に研究を続け、企業も企業方針に反する研究を続ける中村氏の研究を禁止しないどころか研究開発資金・人材をつぎ込んでくれた結果、遂に偉業を成し遂げたもののようです。
以下に紹介する森の生き物観察と違い、産業系研究を続けるには禁止されないだけではなく積極的に巨額資金人材応援がいります。
ようするに日本精神の統合結果がこの大成果を生み出した原動力です。
米国流の短期成果を求める民族性・ちょっとでも成果が出ないと資金が潮の引くように去ってしまう社会(ファンド市場評価で資金集まる社会は逃げ足も速い)と異なり、「長期間粘れる人が粘る」のを暖かく見守る風土・・研究開発部門で言えば、一つのことに取り組んだら一生涯成果がなくとも粘り続ける根性こそが日本民族の強みではないでしょうか?
9月23日の日経新聞朝刊最終ページ(文化28p)には31歳でテレビ局技術者をやめて北海道の森に住み着いてにシマフクロウの生態観測(生息環境作りしている人の手記が出ていましたが、日本にはこういう人が各地にいますし、周囲も成果の有無にかかわらずそれを立派なことだと応援する人が必ずいるのも強みです。
別に元勤務先のテレビ局が応援してくれないと不満を言わないし、政府に対する不満も言わずと自分ができる限りのことをしているだけの生き方です。
私はここ数十年朝起きるとまずは自宅周辺掃き掃除をするのが日課ですが、公共団体や近所の人も掃除すべきだと不満を持ったこともなく、ただ掃いているだけです。
「ひと様の悪口を言うのは浅ましい」という考えで韓国による長年にわたる反日告げ口外交に直接反論しないでいたところ、ありもしない日本軍による慰安婦強制連行論が国際社会に浸透してしまったのには日本人の多くが驚いたばかりです。
中期的には声の大きい方が勝っているように見えても長期的には「正しい方が認められる」というのが日本民族の価値観です。
日本列島では異民族の侵入がなく数百年以上定住社会でしたから50〜100年程度嘘でごまかせても仕方ないというのが大方の考え方です。
だから、神ならぬ身、何もわからないので自分はこの生き方が良いと思っても周囲に強制しないし、(行基も西行も良寛さんも自分の行き方を貫くだけでしょう)周囲の人もその変わった生き方を黙って見ているだけで嫌がらせもしません。
これが八百万信仰の基礎となる寛容な民族性を形成してきた基本精神と思われます。
こうしてみると、時流に流されず10年でも20年でも根気よくやれる人材豊富なのが日本の強みであり、それで良かったと思うのは私だけはないと思います。
それにしては報酬がすくなすぎるという個人的関心は訴訟限定でよかったのではないでしょうか?
なぜ訴訟外・・場外乱闘的行為をしたのでしょうか?
しかも運動の仕方がメデイアが煽りすぎて過激だったので、却って企業大方・日本人古き価値観に受け入れられなかったのでしょうか?
中村氏は黙って訴訟だけやってればどうだったのでしょうか?
訴訟で勝った内容が公表され、それがじわじわと社会を動かしていく・インパクトは少ないかもしれませんが、社会変悪に対する影響度はメデイアで騒がなとも結果は同じだったように見えるのですが・・.。
メデイアを通じて大騒ぎしたので日本社会に与えたインパクトが大きかった→「捨て石に徹する」気持ちでやったのであれば成功だったのかな・・・。
大方の受容態度は「そこまで言わなくとも良かったのに・・」と言う評価・言い過ぎた責任を取るしかないのでないか?
というのが、コンセンサスではないでしょうか?
江戸時代に直訴や一揆など起こした場合、主張は正しいとして幕府に採用されても、直訴などのルール違反の咎(御政道に楯突いた秩序違反)で処罰される伝統的価値観が現在社会に残っているからでしょうか?
佐倉義民伝や荘内藩転封に関して領民が反対運動を起こしたカゴ訴に対しては江戸町奉行の調べで水野忠邦の不正が背景と断定され、籠訴を企画した佐藤某氏の事件を9月6日に書き初めていましたが途中横道に逸れています。
民主政治社会では「お上に楯突く」のではなく国民こそが主人ですが、個々人が主人ではなく、国民総意が尊重されるのであって個々人の意見がストレートに尊重されることではないということでしょうか?
公務員は国民の公僕である・あるいは消費者は王様という言葉を自分が王様になったかのように誤解する人もいますが、こういう人はクレーマーになりやすいのでしょう。
消費動向に商人は従うしかないのですが、個々の消費者が消費動向を表しているとは限りません。
民意も同様で一人の意見が国民総意を代表することもあればその逆もあります。
そこで集団徒党を組めば目立って「自分一人ではないぞ!と威勢を示せるので集団行動が行われるのですが、命がけの一揆を起こすには、已むに已まれぬ民意が凝縮されていると見るのが普通です。
しかし「俺は王様だ」としょっちゅう威張り散らすようになると物分かりの悪い子供がしょっちゅう駄々を捏ねているのと何が違う?となります。
現在のデモ活動は参加したことで処罰や不利な処遇をされるリスク皆無でしかも特定集団内では「俺は昨日も言ってきたぞ!と自慢できる材料になっています。
いわばあるアイドルの追っかけをしている自慢と変わりません。
政治分野でもデモ参加は安全地帯にいてただ「憂さ晴らし」をいつでも行えるあんちょこな手段になっているでしょう。
現在社会は、じっくり吟味してからの消費では、量が増えないので衝動買いをさせる工夫が溢れていますが、政治主張したい組織では、政治参加の敷居を低くする工夫・如何にあんちょこにでも活動に参加させるの工夫を凝らしてきました。
私が大卒の頃には共産党系民青がの青年層への浸透作戦として、「歌って踊って民青」というフレーズが流行りました。
若者にとっては魅力的フレーズでしたので、いまでも耳に残っています。
こうい状況が続いてでデモの必死さが希釈されて「またやってる」という程度の印象になってきました。
そもそも民主的意見表明手段のない時には、デモや一揆は命がけの抵抗権的意義があったし現在でも中露など専制社会では必要なことでしょう。
赤ちゃんには表現力がないので、お腹がすけば泣いて危急を母に知らせる必要があるのと同じです。
電車など公共空間で大きくなっても駄々をコネ続けると「バカじゃないの!と思われるように、デモや大声を張り上げる行為の価値は必要性との兼ね合いです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。