在宅介護と家庭内滞留者

有料老人ホームが増えているとは言っても今でも大筋は、自宅で訪問介護を受けあるいは通所してデイサービスを受け、ときにはショートステイするなどして家族のサービスに頼っているのが普通です。
配偶者をなくしてしまった年老いた親にとっては、子供や孫と一緒に楽しむことを最大の喜びにしている人が多いでしょうから、あちこ次世代と一緒に動き回れるのはいいことです。
富裕層の高齢者は次第に家族サービス期待から離れて行くでしょうが、それでも出来ることなら家族にそれほど負担をかけない限度で少しでも長く住み慣れた自宅にとどまりたいのは当然です。
まして居宅のバリアーフリー化の進展や介護器具の発達でかなりの部分が家族の労力負担なし・・軽減化して済ませられるようになりつつあります。
経済的に恵まれない階層程自宅介護・家族サービスに頼る比重を高くするしかないでしょうから、この分野・・在宅介護の改善・客観化が進む筈です。
我々世代が80〜90代になる頃では老人の意識が大分変わると思いますが、どこまで行っても低所得層では家族サービス+公的サービスに頼らざるを得ないでしょう。
フリーターに限らず正規社員として社会に出ている場合でも、今後は所得水準が下がって行くと自分で家を建てるのが難しくなるので、親の家に寄生する人が増える筈ですが、それだけではなく、これからは社会的能力が半人前以下と言うか引きこもりや発達障害などで社会に全く出たことがなく家にいたままで5〜60台になってしまい、その親が80〜90台で要介護者になる事態の到来が予想されます。
彼等は一般的に言ってその分介護能力・・思いやりその他の許容能力(キャパシテイー)も半人前以下の可能性が高いですから、密室の自宅介護に委ねると老親に対する虐待が頻発しかねません。
かと言って親の方も半人前以下・・自分で生活能力のない息子や娘を置き去りにして、(お金があっても自分だけ)有料老人ホームに入居する・・逃げてしまうことも中々出来ないでしょう。
子供が可哀想・心配で家に居残っていて、その子に虐待されるのを待つのも変な・・釈然としない感じです。
虐待とは特に悪意で行う印象の言葉ですが、実際には世話をする能力が欠けている場合におきやすいのです。
引きこもり等の家庭内滞留者は、自分の身の回りでさえ十分に出来ないのですから、ちょっとした事でパニックになり直ぐに許容量を超えてしまいかねません。
(曲がりなりにも社会生活出来ている筈の)一応結婚出来た夫婦でさえ、自分の子供の世話をするにさえ、すぐ切れてしまって虐待する事例が後を絶ちませんが、これらの個別原因を見れば保護者のキャパシテイー・・器が小さすぎるのが原因のように思えます。
結局は子育てに関する児童虐待防止同様に、高齢者に対しても社会で一定水準の面倒を見る・・社会化の充実によって、貧富や家族の介護能力(親孝行の意思程度)に拘らない客観的サービスの底上げをして行くしかないように思われます。
また、社会の適度な関与によって密室での虐待が防げるだけではなく、死亡を伏せたままの年金詐取その他の不正も防げます。
あるいはこれら半病人を家庭で見られるのは親がしっかりしている間だけの事ですから、逆に親が面倒を見てもらうようになるのは無理があるので、親に介護が必要になった時点で、これら半病人を引き受ける(親子分離する)施設あるいは彼らに対する介護制度の整備が望まれます。

所得低下と在宅介護

 

正規非正規にかかわらず、今後の日本人労働者の所得水準はじりじりと中国韓国並みに下がって行くしかないので、(中国韓国の水準がじりじりと上がり日本人の賃金はじりじりと下がって均衡点を一時通り越すまで行くしかないとすれば、)現在の親世代並みの家を自分の働きだけで新たに手当て出来なくなる人が多くなる・・簡単に言えば日本人全体が今よりも貧しくなる筈です。
所得水準がどんどん下がって行くとした場合、親の家を相続しても、農耕社会の農地のように遺産自体で食べていく材料にはならないまでも、少なくとも都会地の親の遺産=親の家を手に入れられば住む家を確保出来る・・毎月の家賃や住宅ローン負担がなくなるメリットがあるので、その程度でもかなりのメリットがあるので再び親の遺産が気になる世代に戻るような気がします。
フロー所得が減ってくると、この面でも静的な遺産の比重が大きい社会にならざるを得なくなってきます。
次世代では都市住民2世3世が中心の時代ですから、生活圏が同じなので親の遺産・主として家をそのまま利用出来るメリットがあり、この意味でも都市内にある親世代の自宅の持つ意味が高くなっています。
アルバイター・フリーターの息子や娘が簡単に家を出て行かない・・いつまでも同居を続ける時代とは、取りも直さず家賃負担のないメリット・・親の財産=遺産が重視されている世代になって来たと言うことです。
高度成長期真っただ中で育った時代には何が何でも、一日も早く親から独立することに本能的欲望のある時代でしたが、それは経済的に可能な時代でもあったからです。
グローバル化によって次世代所得が減少する一方になってくると、(中国等と所得水準が同等になるまで下がるしかないでしょう)親世代以上に稼げる見込みの人は少なくなり、いつまでも寄生している次世代の比率が上がって来るのは仕方がないことです。
親も自宅を処分するには寄生・同居している子供を追い出さねばならないとなれば、自宅処分して有料老人ホームに入居するのをためらうでしょうから、その方面からも高齢者介護は再び家庭内介護に逆戻りするしかないかも知れません。
超高齢者の生死不明のまま年金受給が問題になっていましたが、同居して老親の年金を当てにしている世代がいることも確かです。
勿論ここで書いているのは全体のトレンドを書いているだけで,今でも何千万円の入居一時金を払って有料老人ホームに入っている人はある程度の富裕層・・自宅を処分しなくとも余裕資金で入れる程度の富裕層が中心で、自宅を売り払ってまで入居する人はまだ少数派でしょう。
都会で数十坪程度の土地に木造家屋を建てて住んでいる一般の場合、そこに同居している普通の勤め人では、やはり親の遺産は魅力的に映ることが多いのでしょう。
最近、博物館や美術館・公園・名所旧跡などで、車いすに乗った80代前後の高齢者を5〜60代前後の息子夫婦らしい人が、こまめに世話をしている姿を見かけます。

グローバル化と在宅介護

有料老人ホームでも病気をすれば病院へ入院させられるのですから、自宅にいる場合との違いは見回りをマメにしてくれる安心感と入院すべき病気かちょっとした体調不良かその判断や応援の程度の違いでしかありません。
介護の専門家が見てくれるので素人の家族よりは手際がいいのと病気の兆候に関しても経験を積んでいるので察知能力が高く便利な面がありますが、訪問治療の発達や在宅介護あるいは、独居老人の見守りその他の総合在宅支援が徐々に充実整備されて行くと、有料老人ホームの個室にいるのと同じ程度のサービスが自宅にいたままで保障されるようになります。
見回りも1日一回ではなく高齢者の不自由度に応じて多数回の見回りをするなど、自宅介護関連サービスの充実が進むと有料老人ホームに入るメリットが減少しますから、現在の高額入居一時金の必要な有料老人ホームはこれらが充実される間の暫定的システムと言えます。
個人の住宅で自分でトイレにも一人で行けないような人が独居している(あるいはほぼ毎日顔を出せる子供等が近くにいない)場合、訪問介護は万全でも金銭管理や自宅の修繕等セキュリテイに心配が生じます。
その点では、資産家にとっては家の修繕など気にしなくて良いし、セキュリテイがしっかりし、しかも車椅子での移動がしやすい・介助付きで入り易い風呂トイレなどの設備が充実した高齢者向けマンション・有料老人ホームが流行るかもしれません。
こういう点・資産管理が気になるとすれば、今後はこうした分野の管理がしっかりしている有料老人ホームだけではなく、(賃貸を含めた)高齢者専用マンション・老人向け各種サービス付きの中間系のマンション・アパートが発達し主流になって行くべきでしょう。
現在の後見制度は、後見人になる人の人格を審査して個人・自然人が後見管理する仕組みですが、今後は個人の人格を基準にせずに一定基準に合致した(保証金を供託する等して)法人(老人ホーム等)が客観的組織・多数人でのチームとして高齢者の資産管理をして行く方が合理的な気がします。
そうして、これに対する監査制度ともしもの場合の賠償保障制度(業界で保険加入等)を充実して行けばいいのです。
ところで、我々の次の世代以降(30代半ば以降)では、グローバル経済化の進展で将来的には中国や韓国と賃金格差が縮小して行くしかないのですが、正規社員の賃下げをしにくい社会構造ですから、この過渡期には正規社員を極限まで縮小し・新規採用を絞っていくしかないので、結果的に失業者・・ひいては被正規従業員が増えざるを得ません。

介護の社会化2

親族関係の希薄化とは別に、今でも長期的人間関係が重視され、最先端の自動車生産その他取引でも長期的取引関係・・いわゆる系列が重視されているのはよく知られている通りです。
親族身内の紐帯が緩んでなくなりつつある分・他人間の緩やかな連帯・・高齢者のグループホーム等が求められる時代に入っているのかも知れません。
労働環境でも終身雇用が重視され、若者は果たしている仕事の割に薄給でも将来その見返りに高齢化した時に自分の労働以上に給与をもらえることを楽しみにしているのです。
農耕社会・・世襲制社会の終わったこれからは、高齢者問題を親族間の義理や親孝行の道徳や長幼の序による尊敬に頼るのは無理ですから、高齢者介護は子育て同様の(従来の報恩だけではなく)弱者保護の分野と割り切り、一方で担当するものはビジネスとして(社会全体からコスト負担してもらい)淡々とこなして行くべき社会になるべきではないでしょうか。
介護の社会化について何回も書いていますがこれをテーマとしたのは、03/19/02「介護の社会化について」以来のようですので、これがその2となります。
病院の看護婦さんが患者を尊敬しているから患者に優しく手際がいいのではなく、看護婦さんや介護士の職業訓練・職業意識がそうさせているのです。
どうせなら看護士や介護士の性質は思いやり・共感力が豊かな方がいいに決まっていますが、看護や介護に必要な基礎的能力は職業教育・訓練によるものであって、子が親を尊敬し面倒を見るべきと言う道徳教育に基づいて義務感でやっているよりは合理的です。
青壮年期に社会のために働いてくれた恩返しを社会全体ですることが必要とする道徳を守るのは必要ですが、それと過去の親を敬えと言う封建道徳とは別物です。
最近は親も子を当てに出来ないし子も親を見切れないと言う意見・傾向の一致によって有料老人ホームに逃げる動きがあるとしても、これはここ数十年単位の動きに過ぎず今後数十年もすると、入居一時金の高額な有料老人ホーム形式は縮小に向かう可能性があります。
有料老人ホームの「売り」セールスポイントは、イザとなったときに面倒見てくれる・・ことに帰するのですから、逆から見れば結局は在宅介護のサービス制度が十分でないことを前提とするものです。
老化に伴う生活能力縮小は避けられないものですが、仮に80%に下がったら世話になるか70〜60%に下がったら世話になるかと言う数値的基準で見れば、訪問介護関連が発達すればまだまだその数値がもっと下がっても工夫によっては、わずか1割でも自分で出来る限り在宅のままで自活能力を維持出来る筈です。

長期的関係(系列・終身雇用)

対価関係と言っても法的な権利義務のある対価関係ではなく道徳にとどまるので、忘恩の徒とののしられても法的に何らかの義務を負うことはありません。
道徳的非難にとどまると言うことは、この非難を受けると「あの人のためには無償の援助をしても意味がない」と言う仲間はずれにされる恐れが生じるだけです。
葬儀に駆けつけることが今でも最重要視されている・・どんな仕事でもキャンセルが許される理由になっているのは、遠い過去に受けた恩を無償で返す(死んだ人にもう一回世話になることはあり得ませんから・・)意味が最も強調される効果的な場面であるからでしょう。 
こういうことに義理堅いことを周囲に印象づけることで、(この人は恩に感じる人なのだ・・・)と周囲も安心して何かと面倒を見てくれる期待に繋がります。 
閉鎖された社会では、忘恩の徒と言われるとその社会全体から困った時に誰も助けてくれないリスクが生じるのですが、流動性の高い社会では、そんなことを気にしなくて良いのでドライな関係・・即時的あるいは(住宅ローンのように)長期でもともかく法的責任のある対価関係が重視されて行きます。
以前ある鉄道会社にいくら恩をかけたことがあっても、電車に乗る時には切符を買わねば乗れませんし、その他の業界でも同じです。
羽振りの良い時に年間何千万円もデパートで買っていた上客でも、商売に行き詰まりお金がなくなれば洋服一枚買えません。
その逆にお金に困ればサラ金があるし、生活保護も医療行為も用意されている時代では、何かの時に困るから・・・と言うファジーな付き合いが減少します。
昭和の大恐慌の時に実家がほとんど役に立たなかったことで、大方の信頼を失い敗戦時の大混乱でも同じでした。
それでも親戚付き合いの郷愁が残っていたのですが、カード・貨幣経済化の進展で、そもそも親しい人がいくらいても、いざとなれば大して役立たないことも分って来たのです。
それどころか、私が弁護士になった頃には、息子や甥・従業員の刑事事件で親や叔父あるいは経営者が頼みに来たものですが、今では交通事故等経営者が面倒見るところか逆に経営者にに知られるとクビになると言う時代ですし、親戚にも自分のマイナスを知られたくない・・困ればサラ金に借りた方がましと言う時代です。
弁護士依頼も親や親戚に頼むよりは、お金がないと言って扶助で安く上げる方向へとなって行きます。
今では夫婦でさえ、自分の借金は相方に内緒で・・・夫に言わずに破産する人もいます。
(と言うことは、夫は妻の借金整理について一銭も負担しないのです)
我が国では昭和大恐慌以降じりじりと親戚関係維持の効能は低下し続け、今では法事等での顔合わせが中心で何のための親族共同体が維持されているのか意味不明・・・ひん死の状態で・・これが結婚率の低下にも繋がっていると思われます。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。