男の鈍感力1と女性の不満

 

金の切れ目が縁の切れ目・・・妻の日常的不満の原因を書いているうちに、女性の経済力不足→ジェンダーに話題が飛んでしまいましたが、11月16日の女性の不満に戻ります。
ある夫の浮気事件について妻から依頼された事件での経験では、私は諸般の事情を考慮して離婚まで行かないで当面別居することで一応の解決をしようと努力していたのですが、(その先うまく行くかいないかは当事者の努力次第として)夫の方は浮気をしたことだけが自分の過ちであると軽く考えている節が濃厚で、日頃から蓄積している妻の不満を気にしていない様子でした。
別居に至る交渉の端々に「奥さんは自分の財産(親の遺産)を夫に自由にされている(わずかのお金を使ったのさえ、「これは何に使ったのだ」と厳しく問いつめられる)のが不満のようだ」とにおわせていたのに、夫の方は自分が管理してやっているからこそ維持出来ているのだと言うこれまた逆の自慢・・自分が浮気さえなければ立場が圧倒的に上位だとする前提の意見が繰り返し出てくる始末です。
大前提として「自分がやってやらねば妻は何も出来ない・・」と言う傲慢な態度(妻を無能力視する傾向・妻を低く見る傾向・男尊女卑の思想)があって、それに対して妻が不満を抱いていることにまるで気づかない様子でした。
最初「浮気が発覚した以上は謝った方が良いよ」といくら説明しても、(自分の過ちにはあっさり謝った方が良いと言うのが私の基本的スタンスでしたが・・)絶対に謝らないと言うので「何故か?」と聞いたところ、「これまでの自分の人生・生き方が否定される」ような意味不明のことを言います。
坂本龍馬の緩やかな立ち姿を例にして「達人と言うものは、自在・・カチカチに頑張っている人のことではないんだ」と言ってみても、感じないようで第一回会談が終わったのです。
何回か交渉していて次第に分って来たのですが、自分が妻よりも格段に偉いんだと言う立場を誇示していて、(日頃から馬鹿にしている)女に頭を下げるなんて出来るか?・・これをやったら自分の立場・家庭内の権威がなくなると言う思想のようでした。
そうは言っても「浮気した以上謝るしかないでしょう」と言っても、証拠があるのかと言うラチのあかない抵抗をして来ます。
「証拠を突きつけられてから謝るよりも早い方が良いよ」と言っても聞きません。
こんなことで長引いているうちに、逆に奥さんの方は、夫の見下した態度が一番不愉快のもとらしく、何とか夫にギュッと言わせたくて仕方がない印象が分って来ました。
夫は夫でここで謝ると妻を見下して来た立場がなくなると言う危機感があったので、証拠がない限り謝れないと言う開き直りになったのでしょうし、お互いに本当の争いは、家庭内主導権争いにあったようなことが途中で分って来ました。

ジェンダー解消

 
 

最近では、双方ともに相手に頼らないで生活出来るようになって来たので、子を産まない限り何のために男女一緒になる必要があるのか疑問になる・・(疑問に思っているのは私だけかも知れませんが・・・結果として)独身率が上昇する時代に突入し始めたのです。
男女関係に限らずすべての分野で表面的には打算ばかりで行動する人はいませんが、長期的トレンドとしては功利的利害得失に反した流れは定着しない筈です。
高学歴層女性ほど婚姻・出産率が低いのは、(専門家になると仕事が忙しすぎるなど現象的なことはいろいろありますし、これについてもワークシェアリング等でこれまで書いて来ましたが)功利的下地を考えれば当然の結果が表面化して来たとみることが可能です。
ジェンダーは男女関係が危機的状態になると女性に不利だとすれば、例外現象に対する備えや危機回避・受け皿を補充する方向に行くべきであって、ジェンダー自体を全否定するのは古代から種族存続のために築いて来た人類の智恵を否定することになる危険があると考えます。
女性の自立のためにはジェンダー否定が簡単な方向ですが、その代わりせっかく女性が営々と築いて来たオスの取り込み機能がなくなって行きます。
原始時代には身につけるものは文化どころか裸に近い状態でしたから、食べられれば良い程度だったでしょうが、その水準で満足ですから発情期以外には原則として(例外的協力関係はありますが日常的には)雌雄別に自足出来ていたのです。
繰り返しになりますが、超古代には普段から雌雄一緒にいる状態ではなく発情期に種付けのために遭遇する仕組みだったのですが、女性が子育てのためオスを子育て事業に引き入れるために色々工夫して来た結果ジェンダーが成立したと言うのが私の持論です。
その結果家庭の味を覚えてしまったオスは文化・細やかなサービスの味を覚えてしまい、自立するのは侘しいものと思い込んでいるのが現状です。
最近までのオスはメスに取り込まれて自立出来なくされてしまい、女性のいる家庭に縛り付けられるようになっていたに過ぎないとすれば、男女同方向の能力を持つことが奨励される状態が進行すれば、言わば雌雄別の自給自足社会に戻ります。
高度な文化・文明に相応するサービスすらオスが自足出来るようになれば、双方発情期以外には相手を必要としない超古代の関係に戻るしかなくなります。
ただし、超古代と違うところは、今は精子の凍結保存も出来るし試験管ベビーさえ出来る時代ですから、種族維持継続のためには優秀なオスの精子を多種多様に品揃えすれば足りるようになっているので、雌雄別行動に戻っても人類としては困らない時代が来ているのかも知れませんので、そういう基本思想が底流にあるのであれば、ジェンダー否定も合理的な方向性と言えるでしょう。
子育ては、社会全体で見る方向に向かっていて父親の協力割合が減って行き母親一人の責任ではなくなりつつあるのもそのインフラです。
種付けだけならば、04/15/10「間引き1と男女比」前後やSeptember 8, 2010 「オスの存在意義1」で書いたように今度はオスの方がいらない社会が来てオスが困ると言うか、オス一匹にメス10000匹の割合で足りるので、男はライオンのように持てて良いとなるかと言うことです。

ジェンダー5

 

何事も完璧化し、いろんなことにその考えを及ぼし過ぎると例外に属する分野で不都合な部分が目立ってくるものです。
身分制の場合、養子・猶子制度等でこの不都合をカバーして来ましたが、ジェンダーの場合、女性は男勝りとかの言葉で(褒めているのか女性としてはマイナス評価か不明ですが)カバーするしかありません。
女性的な男子は、今では草食系と言って逆に時流に乗っていますが、これまでは単に柔弱・軟弱とマイナス評価されるだけでした。
ジェンダーが強化されて来た結果、女子は稼ぐことに責任がなくて楽な反面、(今でも社会能力の劣る女性は結婚に逃げてしまう傾向があります)男に逃げられると生きて行けないので(その分男は簡単に逃げられない道徳が成立しましたが・・男の自制心次第です)忍従の日々を送らねばならない(・・ひいては男尊女卑思想が確立しました)のは行き過ぎとして、ジェンダー批判が起きて来たのです。
夫婦がうまく言っている場合には、お互いに自分の至らない(ジェンダー以前にやはり男女の特質の差があることが多いでしょう)点を反省して相手に対する尊敬と弱点を慈しみあって幸せなカップルとなれるとても幸せな制度ですから、それ自体悪い制度はありません。
私などは元々いろんな分野に無能ですが、ジェンダーの御陰で、「男だから仕方がない・・・」と許されて来て得したことが多いように思えます。
その分、何でも器用にこなしてくれる女性は有り難いと心底から感謝し尊敬しているので、比較的男女関係はスムースです。
しかし、うまく行く夫婦ばかりではありませんのでその場合にもこの法則が固く適用されている社会ですと、お互いに自由になれず却って不都合なルールになります。
男は、離婚直後少し不自由でもその内に相手を見つければ良い(経済力さえあれば家政婦も頼めるしどうにかなる)のですが、女性の方は不自由どころか実家がしっかりしない限り死活問題ですから、結果的に大概のことは我慢するしかなくなります。
この役割分担・ジェンダーは女性に損な分業だとして女性の社会進出が盛んになり、更には男性も家庭内の仕事を分担すべきだとする風潮になって来ました。
女性が外で働く以上は男性にも分担してもらわないと時間的に無理があるので当然の結果ですが、この結果女性は経済的に自立出来る人が増え、男性は女性がいなければ何も出来ない状態から、家事能力や女性専売特許だった文化的能力も徐々について来たので、子を生み育てる一点を除いては結婚するメリットが双方で縮小して来たことは確かでしょう。

ジェンダー4

女性には何故経済力がなくなったかですが、これまで書いているように、長期に及ぶ子育てのためにオスを引き込んでいる・・その結果ジェンダーとしてメスは子育てに専念出来る性となり・・その分本来の実力以上に経済力がないようになったのですから、ジェンダー自体女性が男性を家庭に引きつけるために生み出した智恵であって別に異とするに足りません。
ジェンダーについては、05/03/10「ジェンダーの成立1」05/05/10「ジェンダーの成立3」まで書きましたので、今回はその続きNo.4なります。
ジェンダーが確立してくる過程で、子供がいなくとも女性と言うだけで経済・社会的弱者で良いとなってしまったので、子供の有無にかかわらず女性が一人で生きて行く経済力がない(制度的に経済力を持ち難い)社会になってしまっていたのが、問題=行き過ぎです。
女性であっても、子を産みたくない人や生めない人がいるのですから、子を産まない女性向きやカップルが壊れた場合の用意が必要だったと言えます。
大卒と言うだけで高卒より能力がなくとも高給で待遇されるのは不合理であると同じように、(あるいは人種差別その他すべて一定の格付けで決まってしまう社会は不合理を内包しています)その不合理分だけ、大卒あるいは特定人種、家柄相応の能力のない人は得しているのです。
子を産む性を強調して、子を生まなくとも女性であると言うだけで経済力・社会性が不要と言う楽な状態を作り出して来たのは女性自身だったと思われます。
この特別扱いを強制・強化して来た結果、特別な保護がある以上子を産まないで保護を受けるのは狡い→子を産まないのは一人前ではないとする思潮が強くなって、女性に子を産まねばならないような強迫観念が発達し、子供を産まない自由がなくなったと思われます。
ジェンダーは男女どちらが主導したのかは別として、(私は女性の発案により次第に強化されて来たと思っています)女性の社会能力を減じた分、女性の立場を守るために女性は家事や文化力を磨き(独占し)男性の家庭内能力を減じる方向に作用し、(男が台所に入ることすらタブーになるほど)男は男で家庭に女性がいないと何も出来ないように(男は外で稼ぐほかは無能力化)されていました。
ジェンダー制は、完全化しすぎると双方ともに男だけ女だけでは円滑な生活が出来ないように(言うならば男女個体では不完全化を強調)してしまい、それぞれが相手がいなくては成り立たないようにした制度だったのです。
私は子供の頃に「人と言う字は一人では生きて行けない・・支えあって出来ていることを表している」とまことしやかに教えられて育ったものです。
漢字の本来の成り立ちをみると、人の立った姿を描いた象形文字・・単に二本足で立つ動物と言う意味に過ぎず、助け合うような意味はありません。
「人はパンのみにて生きるにあらず」(女性文化力の必須性の強調)とかアダムとイブの話も同じ範疇でしょうが、ジェンダーの成立後に、「男女は一対でこそ一人前」とする思想が成立して行った後の解説だったのでしょう。
千年単位のジェンダー思想刷り込みによって、子を産まない高齢者でもカップルが必要とする本能に近いものが今でも残っているのです。

金の切れ目が縁の切れ目?1

 

ところで、「金の切れ目が縁の切れ目」と昔からいいますが、これは離婚の切っ掛けになるだけの意味で、普段から夫婦関係がうまく言っていればそんな結果にはなりません。
縁の切れ目になる場合、女性の方はこの機会に普段からの恨みつらみ(いろんなことで・・一方的に尽くさねばならないことも含め不当だと思いながらも我慢してきた事柄)が吹き出しているのですが、男の方はそこに気付かずにいるようです。
この俗諺の由来を考えると、女性の多くは経済的自立が出来なかったので,昔から女性は生きて行くために結婚しなければならない関係でしたので「嫁の貰い手がない」と言うのが若い女性に対する最大の脅し文句になっていたくらいでした。
好きで一緒になった後に気が合わなくなった場合でも、別れると生きて行けない・・今では生きて行けるにしても母子家庭は一般的に生活苦ですのでこの結果からみても夫婦仲が悪くなっても仕方なしに男と一緒にいることが多い実態をもあらわしています。
とは言え、お金を意識して我慢するのは(女の)沽券にかかわる(お金のためにだけ一緒にいるのでは売春婦とどこが違うか?)ので、普段は意識の表面には出ないように努力しているのですが、夫がまともに生活費を入れられなくなると俄然離婚騒動が持ち上がるのはこうした・・生活維持のために我慢して結婚している現実・・永久就職が多いせいです。
夫の経済破綻があるとマトモに生活費も入れられないのに、何を威張っているのだと言う不満が噴き出します。
男の方は日頃からの習慣ですので特に威張っているつもりがないでしょうが、(女性は夫が不当に威張っていると思いながら何十年も我慢してきたのですが・・・)それが身に付いてしまっていて気がつかない分だけ根が深くて救いようがない感じになります。
いわゆる「善人尚もて往生す」の原理で、善人すなわち自分の非に気づかないのが一番始末が悪いのです。
08/24/07「取消の効力1(民法226)善意・第三者の保護1」のコラムで(法律用語で「善」とは知らない意味に使うことを紹介しましたが、これは仏教用語と同じです。
5〜6年前に扱った中年男性が鬱病になって働けなくなった事例(自己破産・・自宅ローン払えないために売却)では、自宅売却後ホンの僅かな期間で妻は我慢が出来なくなったのか帰らなくなりました。
これ・・金の切れ目が縁の切れ目になることが多いのも女性側からの現実ですが、妻の方では「お金のために一緒になっているのではない」と自分に言い聞かせながら普段から我慢している人がそれだけ多いことが原因です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。