マニフェストと実行力

自民党その他の野党もこれと言った政策提言能力もなく双方ともに手詰まりになっている・・このグローバル時代に利害調整に力点を置く八方美人的政党は存在価値がないことは明らかです。
与野党共に手詰まりをごまかすために小沢問題で時間稼ぎ・・政治の停滞を正当化しようとしているのです。
自民党その他の野党も自由貿易協定や法人税の減税や年金解決が必要なことは分っているが、それをやるにはどこか増税しなくてはならない、あるいは農民票やその他どこかを切り捨てる勇気がなくて、先延ばししたい点では利害が共通しているのです。
民主党政権の停滞問題は、自民党のまねをして利害調整型で政治をしようとするところにある以上は、果敢にこうしたしがらみを切り捨てて行くしかないのですから、このためには党内一致団結して事に当たるべきです。
信長が京都を支配した時に有職故実に通じた光秀や細川を担当者にせずに下賎の出自でそうしたことに無頓着に振る舞うことが可能な秀吉を京都奉行に任命し、信長の意を受けた秀吉が慣例無視でどんどんことを進めた(他方で人なつっこさ等の個性を武器に人間的には嫌われ難い性格をうまく利用した)ので、海千山千の公卿を捩じ伏せて信長のもくろむ新たな秩序を作り出して行けたのです。
戦後長く続いた東西冷戦の構図が崩れ、グローバル経済化に切り替わった以上は、新たな政治の仕組み・・調整型から牽引・・リーダシップ型にして日本も従来型の秩序意識から切り替えねば世界の潮流について行けません。
今後と言うよりは、大分前のバブル崩壊後は内部調整能力よりは国をどこへ引っ張って行くか取捨選択型のリーダーとしての政治家が必要となっていたので、そうした政治をするためにこそ選挙に於いてはマニフェストが必要になったのです。
何を取捨選択するかをマニフェストで明示し、これを基礎に国民が政権を選んだ以上は、マニフェストを実現するリーダーの政策に反対の主張を遠慮すべきですし、政権担当者も、もう一度地元住民や利権集団との対話集会を開いて改めて耳を傾けるのでは(ヤンバダムの例)何のために選挙したのか分りません。
勿論マニフェストも絶対ではなく、やって見てうまく行かなければ軌道修正もありですが(この時期アメリカとことを構えるのは無理でしょうから潔く修正すべきです)、新しいことをやる前から反対派の意見を聞いてばかりでは何も進みません。
このように考えて行くと、激動の時代(農業社会から商業社会への転換)に突入した以上は、機敏な政策発動・・必然的に捨てるべき分野は果敢に捨てるしかない)が必要ですからリーダーが指導力を発揮しやすい大統領制の方が政治体制としては向いているのではないでしょうか。

グローバル社会とリーダーシップ

民主党がせっかく政権を獲得した以上は、従来と違った斬新な企画を打ち出してくれるかと期待していたのですが、既得権益の利害調整に手間取って何も出来ないで立ち往生しているのが現状です。
この体たらくを見ると、民主党は駄目・・無能だと落胆している向きが多いと思いますが、これはせっかく政権交代したのに、従来通り利害調整型で運営しているから(国民の多くが利害調整を期待しているままだから)何もできないで右往左往しているばかりになっているのです。
利害調整型で政治を続けるのを期待するなら、自民党の十八番・・得意な方法ですから、あえて民主党に変わる必要がなかったのです。
この立ち往生を打開する方法が見つからずに与野党一致して小沢氏をスケープゴートにしようとしているようですが、現在の民主党政権の立ち往生は小沢問題と何の関係もありません。
何の関係もないと言うのは言い過ぎとしても、国民の期待の多くは、海外競争に遅れを取りつつあるわが国の体制を立て直してほしいと言うことでしょう。
これがうまく行かないので企業流出が続き若者の就職機会が減少して困っているのですから、小沢氏の政治資金報告の虚偽記載を明らかにしても国民の多くが困っている問題の解決には何の関係もないどころか、党内抗争にうつつを抜かしている弊害の方が大きいと思います。
政治の手詰まりから目をそらすために党内抗争をやっているとしたら、政権政党として怠慢そのものです。
そもそも今の政治の停滞は小沢氏が邪魔をしているから起きているのではなく、指導力の欠如によるに過ぎないからです。
自民党が小沢問題を追及するのは民主党の最大勢力を追求して民主党執行部がこれに乗ってくれば民主党内がガタガタになることを狙っているに過ぎず、民主党の政策に協調するためではありません。
大阪城の外堀と埋めるような作戦です。
取捨選択型が必要とすれば、主要テーマについて与党がある分野を切り捨てようとすれば切り捨てられる方が野党に応援を頼む・・与野党の意見対立が必須ですので、与野党一致していて政治が停滞する筈がないのです。
小沢氏を切り捨てようとすることに与野党が一致していると言うことは、政策の違いで彼を切り捨てるのではなく、党内抗争や個人的恨み等の低次元で切り捨てたいと言うだけの動きでしかないことになります。

調整型から指導者へ

話を家庭内の扶養義務者の発生要因に戻します。
2010-12-7「貨幣経済化と扶養義務1」の続きです。
原始農耕社会でも集団生活である以上戸主・家長類似の権力構造が形成されたとしても、最初の頃はその役割の多くは各人の成果分配・調整の役割・コーディネーターでしかなかったでしょう。
我が国では、千年単位で各種組織や団体の長にふさわしい資質としては、衆より抜きん出た能力よりは(これは前回書いた強烈な平等意識の結果「出る杭は打たれ」逆に嫌われます)利害調整型能力が重視されて来たのは、この歴史が長かったことによるのです。
バブル崩壊以降政治の要点は、内部分配よりは国をどこへ向けて行くかの能力・・・内部利害調整型から団体を引っ張って行くリーダ-シップ・・信長のような能力が求められるようになっています。
実際経済界ではその頃から総合的に扱うのではなく、戦略的視点での資源の集中・廃棄のリストラが盛んになっています。
漫然と何もかも扱っているのでは、国際競争に伍して行けなくなったからです。
リストラと言うと人員整理ばかり連想するようになっていますが、元はロシアのペレストロイカの英訳で、これを和製英語にしたもので、本来の英訳としては事業活動の選択・・見直し策のことです。
このように産業界はバブル崩壊以降リストラ策が盛んですが、政治の方は国民意識の変化が遅いのでさっぱり進みません。
従来通り利害調整型ばかりが政党の幹部・党首に上がってくるし、せっかく政権が変わっても国民の方が従来通り利害調整を求めるので、新政権が右往左往してしまうのです。
沖縄の普天間基地移設問題がその典型ですが、ダムであれ、高速道路であれ両方の意見を聞いていれば何も決められなくなるのはたり前です。
自由貿易協定も両方の意見を聞いていると前に進めない・・利害調整型では、現状維持になるばかりで変化の激しい世界経済化の始まった時代にやって行けません。
以前から都市計画でも、旧市街の活性化と新都心・新市街地の成功の二兎を追い求める政策・・足し算ばかりが多く、これでは無理だと批判して来ましたが、国単位でも何を切り捨ててどの分野に注力して行くかの選択が必要なことは同じです。
政治が必要とされている集中と選択が出来ないで右往左往している・・・これを一般にバラマキと言うのですが、・・・ことに対する閉塞感・不満が、沸点に達したことが、調整型に徹して来た自民党政権崩壊への原動力だった筈です。

明治維新と上級武士層の没落

明治維新はフランス市民(ブルジョア)革命と違って支持階層から言えば、下級武士・無資産層による社会革命の一種であったと言えますので、この結果四民平等意識の徹底(・・・今でも世界中で日本ほど平等意識の強い国がないのはこの歴史に由来するのです)に役立ったと言えます。
他方から言えば明治維新は経済原理による革命ではなく、民族意識の覚醒・・政治的理由・・黒船到来とアヘン戦争に端を発した植民地化の恐怖への対処が中心だったと言えます。
西洋のブルジョアージーによる市民革命とは違い、明治維新では大名や上級武士層が没落して中抜きが進んでしまい、1君万民制度(天皇家を除く四民平等)になってしまったのは、現象的には下級武士によって維新が遂行されたことによるのですが、これだけではなく、大名や上級武士層は夷狄から国を守る戦力としては無力であったことが明らかとなり、他方で新しい社会構造に必要な人材でもなかったことによるのです。
無駄飯食いのリストラ策が廃刀令であり、(兵力維持には武士は無用となり、士官学校の創設と国民皆兵策)行政組織としては廃藩置県・・大名の知藩事からの放逐・・中途退職割り増し金に該当するのが金碌公債の交付でした。
中には、維新後に金碌公債を元手に西洋貴族のまねをしていわゆる士族の商法をやった人(元大名)も少しはいたものの、その多くは失敗に終わり、基本的には産業・商業資本家に転化出来ませんでした。
彼らはその後どうなったかですが、一部優秀な武人は士官学校に進出した人もいたでしょうし、知的に優秀な人は高級官僚(榎本武揚など)になったり知的階層への転出母体あるいは、地方公務員層として生き残れた人が少しだけいたと言うことでしょうか?
明治維新後の近代工業国家への脱皮成功は、既に産業資本家が育っていたからではなく、岩崎弥太郎のように時代の機運に乗じて勃興した(国家助成と合体した)新興事業家と江戸時代から育んでいた知的レベルの高さ・手工業技術の下地があって成功したことによるものです。
日本の明治維新以降及び戦後の経済大国化成功の秘訣は、共に江戸時代以降の知的レベルや・技術の蓄積によるものであって、それ以上のことはないとも言えますので、知的レベル・技術力の維持こそ我が国の基礎であることは、これからも同じでしょう。
ただし、技術力だけで生きて行けるか(個人で言えばエージェンシーの必要性)は別問題ですので、この点はこの次以降リーダーシップに関して書きます。

相続税と貴族制

   

わが国では、日露戦争を契機に戦費調達名目に(近代税制としては)世界で最初に相続税が創設されたことを11/20/03「相続税法 10(相続税の歴史1)」のコラムで紹介しましたが、以来我が国では平等意識の強調によって拡大の一途ですが、これに対して欧米では日本のまねをして、臨時的に戦費調達で創設をしても、取りやめたりしていて廃止しないまでも税率が低く(4〜5%前後が多いか?)日本のように(3代でゼロになると言われるほど)過酷ではありません。
特に英米系(英米の外に香港、シンガポール、オーストラリアなど)では相続税がないか、あっても廃止の議論が盛んです。
この結果、今でも西洋の古城が、個人所有で残っています。
我が国では一定以上の資産家になると財団法人(美術館など)にしない限り、維持出来ません。
この違いは、明治維新がブルジョア(資産家による)革命ではなく(経済的に恵まれていない)下級士族による一種の社会革命だったことに由来するのです。
フランス革命時の貴族の置かれた立場を今の日本で考えれば、世界各国との自由貿易協定に進んで行ってくれないと困る産業界と困らない産業界(農業の中でも2種類に別れています)があって、(12月4日のニュースでは、韓国とアメリカのFTA協定成立が大きく報道されていました)我慢しきれない業界の支持を受けた政党が革命を起こそうかと言うことです。
(私は、日本の将来のために第二の開国の必要性・・そのくらいの時代が来ていると思いますが・・・)
反小沢かどうかが政治の中心テーマになっている昨今の我が国の政治はどうかしています・・政治家は何をするかをテーマにすべきです。
これに対して、日本の大名・武士層は明治維新=革命前夜には藩ごとの特産品開発に熱心でしたが、自分が主体となって事業家としてやるものではなく現在の市役所等と同様に、飽くまで役人の立場で産業を奨励するものでしかなかったので、どこの大名も産業資本家でも商業資本家でもなかったのです。
長州の毛利家が産業資本家に転化していたので維新に熱心だった訳ではなく、幕府に対する敵愾心が中心的エネルギーだったに過ぎません。
明治維新・一種の革命の原動力は、産業資本家ではなく下級武士層だったのですから、当然のことながら経済的自由を求めるエネルギーがその基礎になかったことが明らかです。
(そのスポンサーは長州の白石氏のような豪商がいましたが彼は産業構造転換必須性からスポンサーになったのではなく、単に長州藩あるいは高杉晋作のために協力したに過ぎなかったでしょうから、明治維新後次世代へ繋いで行く産業的功績を残せませんでした。)

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。