廃藩になった藩の発行済藩札を政府で責任を持つと言っても、現在の民事再生法による再生計画同様に殆どが棒引きされ、残った僅かの債務を長期年賦で払うようなものでしたので、各大名家に貸し込んでいた幕末の豪商だけではなく・・各藩地元の裕福な人たちは殆ど全部破綻(リーマンショックで持ち株が紙くずになったようなものです)してしまい、新興の三菱などと入れ替わってしまうので、一種の社会革命を引き起こしたことになります。
鴻池や三井家など江戸時代から生き残って現在に連なる事業家も結構いますが、その時代その時代に合わせて儲けていけるフローの事業所得能力のある事業主は生き残れて、過去の蓄積だけを頼りに生きて行く・・新たな時代に適合出来ない事業主は没落して行ったことになります。
これは敗戦後の超インフレで、新円発行による既存有価証券等保有者の権利をほぼ全面的に奪ったのと同じやり方・旧資産家の没落・・能力と乖離している現状変更・・入れ替え戦を容易にしたことになります。
薩長土肥など有力藩の場合デフォルト状態ではなかった・・その領内の豪商はそのまま返済を受けられたのに対し,財政的に行き詰まっていたその他の藩では,デフォルト率・・市場価値が低かったでしょうし,まして朝敵側の領民は殆どがデフォルト状態の藩に貸したり藩札を保有していたのですから,殆どが無一文になってしまった可能性があります。
たとえば戊辰戦争で官軍が攻めてくると言う時に,領内の資産家は返してくれるかどうかの基準ではなく、ともかく求められれば資金供出に応じたでしょう。
明治になって,元朝敵だと言うことで不利だっただけではなく,戦火で家を焼かれ経済的にも困った人が一杯出たときに、領内等しくみんな貧しくなってしまっていて,困った人を世話を出来る裕福な人がいなくなってしまったのです。
デフレは既得権(高齢者は自分の過去の能力・大名など先祖の能力に頼って生活する人=現在の能力以上の生活が出来る)人に有利で、インフレは現役・・現在の適応能力のある人に有利に働くものであることは昔も今も変わりません。
我が国高度成長期のインフレは持てるものに有利に働いたのは、土地価格の高騰による諸物価のインフレだったから、土地所有者・・概ね先祖伝来のものでしたから社会適合能力以前の既得権益層に有利に働いた例外です。
ちなみに大名家発行済の藩札・・正式には当時藩とは言ってなかったので、私発行札と言うべきでしょうが、適当な熟語がないのでここでは便宜藩札と書いていますが、兌換を表面上約束していたようですが、徳川家発行の貨幣と違い金銀の裏付けを実際上持っていなかったので・・小切手や一種の社債みたいなものだったと言えます。
(特定商品引換券的な藩札もあったようです)
今で言えば破産や会社更生法適用申請の場合経営権がなくなりますが、民事再生法による申請の場合旧経営陣は経営を続行出来ますが、大名による版籍奉還はこれの明治版を狙っていたのです。
これに対して、大和朝廷成立時に服属した各地豪族は自分の領地経営に困っていた訳ではなく、中央での大勢が決まってしまったので仕方なしの服属・・豊臣政権成立後の徳川氏その他の戦国大名や関ヶ原後仕方なしに徳川氏に服属した大名と同じでしたから、内容実質が違っていたので中央集権化の貫徹が難しかった違いとなります。
いわゆる徳政令の代わりに、今の民事再生手続きみたいに何十分の一しか支払わないことにすれば、その代わりに経営者責任をとって貰うことになるのは当然です。
大手銀行や日本航空(今後は東京電力もその仲間入りでしょうが,)その他公的資金の注入を受けたり債券カットしてもらう以上は、経営者が責任を取って退陣するのが(法律の有無にかかわらず)普通です。
大名は版籍奉還をして(債務整理の責任を逃れて)も直ぐ知藩事に任命されたのでやれやれと思っていたら、廃藩置県と同時に07/19/05「藩の消滅(廃藩置県2)」で紹介したように突如無能呼ばわり「・・然ルニ数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ・・・」とされて一斉にクビになってしまいます。
「万国ト対峙セント欲セハ宜ク名実相副ヒ政令一ニ帰セシムヘシ」・・・「政令多岐ノ憂無ラシメントス」と言うのは各地別に自主的な法令が施行されているのではなく全国統一の政令による・・すなわち中央集権国家化への方針の宣言です。
廃藩置県の詔書をもう一度紹介しておきましょう。
詔書
朕惟フニ更始ノ時ニ際シ内以テ億兆ヲ保安シ外以テ万国ト対峙セント欲セハ宜ク名実相副ヒ政令一ニ帰セシムヘシ朕さきニ諸藩版籍奉還ノ議ヲ聴納シ新ニ知藩事ヲ命シ各其職ヲ奉セシム然ルニ数百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其実挙ラサル者アリ何ヲ以テ億兆ヲ保安シ万国ト対峙スルヲ得ンヤ朕深ク之ヲ慨ス仍テ今更ニ藩ヲ廃シ県ト為ス是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ有名無実ノ弊ヲ除キ政令多岐ノ憂無ラシメントス汝群臣其レ朕カ意ヲ体セヨ
七月十四日(明治4年太政官布告 第353)
続けて次の太政官布告で07/20/05「藩の消滅(廃藩置県4)」で紹介した通り、大名だけクビになって家老(大参事)以下はそのまま働くことになります。
明治4年7月14日 (太陽暦1871年8月29日)明治4年太政官布告 第354
今般藩ヲ廃シ県ヲ被置候ニ付テハ追テ 御沙汰候迄大参事以下是迄通事務取扱可致事
版籍奉還(明治2年6月17日・太陽暦:1869年7月25日)に応じた大名にとっては、僅か2年後の廃藩置県(明治4年7月14日(1871年8月29日)と同時に失職するとは、思いもよらない青天の霹靂だったようです。
久光が騙されたと怒ったことはよく知られています・・。
九州場所で魁皇が勝つと花火をあげる地元ファンがいるのは有名ですが、ヤケでも花火を上げる事例が明治初年にはあったこととなります。