ここでちょっと戸籍簿の焼失と復元作業に横入りしておきます。
最近でもときには「空襲による焼失により、当該戸籍は存在しません」と言う事例に出くわすことがあります。
被相続人に関する戦中戦後の戸籍はきちんとしているのに、(現在相続が多いのは大正から昭和始め頃に生まれた人が中心です)その前の明治大正頃の(被相続人の親またはその親の)古い戸籍だけが復元されていないことがあります。
敗戦直後に戸籍簿を回復する作業は政府が主体的に回復して行く作業ではなく、生きている人が婚姻したり、子を産んで出生届、死亡届を出したりする時に必要になり、生きている人の都合で役場に行って見ると自分の戸籍簿が燃えてしまって存在しないことが分ります。
そこで、当時まで(空襲で焼け死んだばかりの人も含めて)戸籍上生きている人については、焼け残った米穀通帳や学校関係の文書などを持ち寄って先ず自分の氏名など明らかにし、その人が自分の兄弟や親の氏名生年月日などを届けて記録して行く方法のようでした。
客観文書がいくつもあればそれに越したことがないのですが、客観文書にも誤記があるので1つ2つしかない場合や、数十年前に亡くなっている父や母・場合によっては祖父母や伯父叔母など死亡者の生年月日や氏名については、(その妻子など)関係者連署などで正確性を証明して復元してもらう方式から始まったようです。
不動産登記の関係は、政府のイニシアチブで地番順に復元して行けます・・その番地に行けば、実際その土地があるし、住んでいる人や耕している人がいるのでそれなりの手がかりがあります。
それに地権者は権利証を大事に保管していたものですから、その提出を求めれば直ぐに復元出来たでしょう。
戸籍の場合、地番順に編成していない・・・戸主や筆頭者人別に編成しているので、10番地の次の11番地を誰が本籍にしているかを逆から検索して行くことができません。
そもそも本籍と住所とは別ですから、その番地に人が住んでいるとは限らないないのです。
そのうえ10番地に誰かの本籍があってもその隣の11番地も誰かの本籍になっているとは限りません。
その点土地は順番に番号を振ったものですから、欠番(合筆によって発生しますがそれは例外ですし、その所有者がその経過文書・分筆合筆の権利証も大事に持っています)がないので順にチェックして行けば復元出来ます。
戸籍簿の場合、政府の方から復元する方法がないものですから、当時生きている人が何らかの必要があって届けて来た順に先ず復元作業が始まったものと思われます。
ところで、現在では均分相続のために被相続人(死亡者)が生まれたとき(正確には生殖能力を持ったとき以降)の連続した戸籍がないと被相続人の子供全員が何人いるのか誰と誰なのかが特定出来ません。
父母の戸籍だけではなく、父または母が戸主になったとき以前に属していた戸籍・・すなわち父の父(前戸主)の戸籍謄本が必須です。
今で言えば、婚姻により新戸籍を作るのですが、この新戸籍編成前の戸籍がないとその人が初婚かどうか(再婚前に子供をもうけているか・婚外子がいたのか)も分らないと言えば理解が簡単でしょう。
ところが、戦後間もなくのころにはまだ家督相続制でしたので、相続編が改正されて施行された昭和23年1月1日前(その前日)までは、親が死亡して相続が開始しても親のすべての子供を捜す必要性がありませんでした。
(子供が何人いても長男が単独相続出来たので、自分が長男であることさえ証明出来れば良かったので、自分の親や兄弟の氏名生年月日や何時結婚したかなど書き出して現役の戸籍簿さえ復元すれば足り・・閉鎖した戸籍復元までは不要でした)
こうした事情もあって、今では親が結婚する前の生まれたときからの戸籍・・当時では親が戸主になる前の前戸主の戸籍謄本が必要ですが、昭和22年暮れまでは、その必要性がなかったので、昭和22年頃までに戸主が亡くなって閉鎖されていた戸籍簿が復元されないままになっていることが今になって出て来るのです。
では、この間の死亡事例の場合だけ明治大正の戸籍がなくなっただけかと言うとそうでもありません。
昭和23年1月1日以降に相続が開始すると均分相続のために被相続人の親の戸籍まで復元する必要が出てきましたが、この場合も原則として不動産の相続登記が必要な場合だけ戸籍謄本が必要になっただけでした。