計画経済=命令

計画経済とは(実際には計画など出来ないので)命令経済に過ぎなかったとソ連経済に関して誰かがが(日下公人だったかな?)書いていました。
(私の意見は、どこかで読んだ意見の受け売りをミックスした意見が多い筈ですが、どこで読んだのか憶えていなくて自分の意見のように書いていることが多いのです。)
今回の東電による計画停電実施の結果を見れば分るように、如何に緻密な計画をしても末端の各種産業あるいは病人その他の需要までの都合まで考えきれないので経済活動が大混乱になってしまい、自主節電に頼るしかなくなったのを見れば分ります。
自主的に個々人が自分の必要度に応じて節電する方が無駄がないことが今度の計画停電実施で分り、政府の計画とは、計画と言う名の命令・・強制は出来ても実際に末端までの合理的な計画することは、不可能なことが証明されました。
医療も自分の従来の患者だけなら精密なデータに基づいて巡回計画が立てようと思えばある程度可能ですが、平時でもそういうきめ細かいことをやっている病院はなく、客が自分の必要に応じて来るのを待っていただけですから、平時でももともと全員往診のスケジュールは建てようがない仕組みです。
ましてや、どこにどのような患者がいるかも分らない緊急状態でヤミクモに今日はどこの体育館、次はどこの体育館と言う程度の計画往診では、効率的な医療をするための計画のうちに入りません。
緊急避難でごった返している体育館巡りでは、医療機関の方が患者に合わせて計画的に巡回するのは不可能ですから、従来のかかりつけかどうかに関係なく「今日は内科医今日は耳鼻科医と一定間隔で特定の医師が巡回して患者の都合(人によっては1週間に一度で良い人も3〜4日に一度必要な人も色々いますが・・)を無視して応急的措置をして行くのがやっとになります。
単に医師の一日の行動予定が決まったと言う程度のことを計画往診と言っているのでしょう。
食料雑貨も同じで我が家は生協と別の企業の配達を利用していますが、コチラの注文に合わせて配達するから個々人の必要なものが行き渡るのであって、客の必要性が分らない状態での一律配給では、マトモな食事にならないのは同じです。
この画一的配給でさえ、ボランテイア等に頼っているのですが、関連の地元業者もまとまって予め用意した避難用地に一緒に避難出来るように準備していれば、別荘用地に建てた家から自分で好きなものを買い物に出かけたり、避難用地に一緒に避難した診療所や美容院などに通えば良いのでこうしたことが不要になります。
言わば地元の人たちが地元向け需要に応じて供給していた仕事(本来地元で十分間に合っていた作業・・地元の年齢構成需要に応じた医薬・介護その他事業が発達している筈です)をバラバラにした避難のために地元商店主やそこの従業員が仕事を失い、ボランティアが代わりに配給して歩いているのです。(結果的にボランティアに仕事を奪われている状態です)
仮設住居の入居辞退者には失業しているので、仮設住宅に入って配給がなくなると生活出来ない人も多くいるようですが、上記のように地元需要向け事業体が 100%一緒に移転すれば、その従事者(経営者も被雇用者も)は失業しないで済みます。
被害者と言っても交通事故の被害者と違って放射能の危険性に驚いて逃げただけで日常生活は自分で出来る元気な人が殆どですが、(放射能漏れによって病気や怪我をした人はまだいません)現在の避難方式は生活手段をずたずたにしてしまうから、失業・廃業したり生活出来なくなっている人が多く、このために食料などを配給する人その他よけいな行政経費がかかっています。
これらは、避難先に関する準備不足・・政治の貧困が、よけいな税負担を発生させ、他方で避難中の人を無駄に苦しめているものであって人災以外の何ものでもありません。
何時までに仮設住宅何戸を造るなどを総理の公約のごとくマスコミが流していますが、こんなことはその他の施設とセットで巨額資金をもらっていた各自治体が予め用意しておくべきことで、中央政府は、この過不足をヒアリングして場合によっては自治体間の調整をしその応援をしてやること・・バックアップ程度で良い筈です。

まとまった避難の効用1

 

危険があろうとなかろうと生まれ故郷に残る人、残らない人を約10年かけてふるい分けし、50年計画で進めれば、90万坪の用地買収の終了した1964年から見れば今年の事故までには当時の中高年齢者はほぼ100%死亡している筈ですから、(高齢だから知らない土地に行くのがいやと言う人・・当時40歳でも今は100歳です)長期的に見ればそれほど大きな用地取得は要らなかったことになります。
立地決定から運転開始までの約10年間には、極論すれば土木工事等をしているだけですから、放射能漏れに関しては何の危険もないので、10年内で出て行く人は順次出て行く計画にしただけでも(当初10歳の子供でも運転開始時には20歳・・20年計画にすれば当初零歳児でも20歳ですから、高卒ないし成人する都度遠くに就職して出て行けば(無理に移転しなくとも)人口の大部分がいなくなっていた筈です。
お金を受け取らないで事故発生時まで危険な町に残った住民・・これこそ口先だけではなく、ふるさとを本当に離れられない人たち・ホンマものですし、しかも上記の通り(仮に30年目に事故があっても)ごく少数の高齢者が残るだけですから、自治体職員も順次縮小して行くことになります。
事前計画を進めていれば、今頃は原発立地4町は消滅・・安楽死していたので、被害者ゼロだったし自治体自体がなくなっていたのではないでしょうか?
仮に理屈通り行かないで多くの人が残っていたとしても、まとまって避難すれば・・例えば大規模病院の移転が出来ない場合でも、予定通りに避難していれば避難予定先付近に存在する中核病院の協力を得られるし、(協力協定を結んでおくなど準備が出来ます)まとまった避難の場合には元々避難勧告範囲にあった小規模医院や中核病院の医師や看護士・レントゲン技師等関連職種の人も一緒に避難している筈ですから、避難先でも人的には不足がない筈です。
医療施設も設備が緊急時に不足しているだけで一定期間で検査機械や医療器具・手術設備も整えられるでしょうから、その間の期間は避難先付近の中核病院の場所・・中庭などを借りられれば良いのです。(この程度は事前に根回ししておけることです)
まとまって移動することによって、病院の例でも分るように関係者の失業も少なくて済みます。
それまでの生活手段を分断してしまう現在行われている避難方式では、そこに住むと買い物1つ出来なくて配給を待っているとか、本来自力で通院できる人までどこへ行って良いかが分らなくてボランテイア医師の巡回待ちになっているなど、健全な生活能力のある人の生活力を奪ってしまいます。
みんなが生活保護や入院患者みたいに配給や往診に頼り、かと言って上げ膳据え膳で好きなものを食べられるのではなく、おにぎりしか食べられず、たまに汁物があれば良い方です。
医療の方も自分の患者だけ医師が回るのではなく、1つの体育館にいる人みんなに対する一律診療となると個人の嗜好に関係なくおにぎりを配るのと似た結果になります。
(データも機械もなく初見の人ばかりぐるぐる回っているのでは、医師としての能力が発揮し難く、貴重な人材資源を無駄に消費していることになります)
生活機能を分断した避難所生活では、元気な人まで何時までも自立に向かい難く、この間劣悪な食料配給が必要で、却って公的資金・行政経費が何十倍もかかっています。
同じ量の食料でも自分で好きなものを(あるいは必要に応じてサプリメントを買ったり野菜、果物など自分で考えて)買い物して食事を造れば簡単ですが、何から何まで公的機関が用意して配給するとすれば、不自由な割に莫大な人員やシステムが必要です。
それでもやれるのは画一的なおにぎりやカップ麺中心でしかないのでは、何ヶ月もこれでは貰う方も参ってしまいます。
仮設住宅を造っても生活必需品の商売人がそろわないのでは、入居してもまともな生活が出来ないので、せっかく抽選で当たっても仮設住宅に引っ越さないままで体育館でいた方が毎日配給してくれるので生きていけると言う人が出ています。
大量複雑な生活必需品を公平に且つ個人的必要性の違いに応じて配給するのでは、気の遠くなるような複雑な作業が必要になりますが、こんなことは不可能なので一律におにぎりを配ったり果物と言えばリンゴを一律に配るなどしかできません。

交付金の分配

6月17日に書いたように国民全部から貰った資金・交付金を一人一人にきちんと配ってくれたら、何時あるか分らないことのために一時避難や二重生活に備えた生活を延々と繰り返すよりは、恒久的に仕事ができるように仙台や東京などにその資金を持って出て行ってしまいたい人がかなりいたでしょう。
一人当たり1000万円の場合、赤ちゃんまで含めた3人家族で3000万円貰えますし、親子3世代で一緒に移転すれば、かなりまとまったお金になります。
仮に原発立地の4町の住民だけを前提にすれば、これが当初人口が今(約4万人)の3分の2=約25000〜26000人であれば、一人当たり1000万円配っても2500〜2600億円に過ぎないので、この程度の資金は前もって配っておいて自分で好きな別荘地でも(首都圏の郊外マンションでも)購入しておいてもらっても良かったのです。
(一人とは赤ちゃんや超高齢者を含めてですから、3世代で転居となれば大変な金額です)
残りのお金で役場その他の機能移転・バックアップを考えたり、避難行動の応援や連絡調整などに使っても資金は有り余っていたでしょう。
お金だけでは故郷を捨てられないと言う心情論が出てくるでしょうが、故郷を捨てられない人はお金をもらうのをやめて自治体で用意した避難用地に別荘を建てるか、危機が来るまで座して待つのも勝手ですが、最後まで残っていた人が避難するにしてもみんなで予め用意した場所に一緒に移転すれば今のようにいきなり体育館に避難して雑魚寝をするよりはマシです。
本当に共同体維持に熱意を持っている人は一緒に移転する・・別荘地に自分用の避難用建物を建てるでしょうし、そんな何時あるか分らない危険におびえながら二重生活するくらいなら、まとまったお金をもらってムラから出て行ってしまった(無関係なところで仕事を探して)方がマシだと言う人は別のところに行ってしまうでしょう。
ともかく本人の好きに任せれば良いことです。
ムラの人はお金なんか欲しくない筈だ・今の生活を守りたいだけだと訴える人が幅を利かして来た感じですが、それを本気で思っているならば、交付金をもらって原発立地に賛成したり交付金欲しさに原発誘致決議などしなければいいでしょう。
危険・・具体化すれば逃げるしかないこととの引き換えに、予め交付金をほしがるのは、ふる里の維持よりはお金の方が良いと言う意味・意思表示ではないのでしょうか?
ムラのみんなあるいは大多数が共同体維持希望者であるとする主張に自信があれば、・・お金を配って見ても、ほんのちょっとした落ちこぼれが出るだけで心配が要りません。
実際にはお金を配ればムラ社会を出て行ってしまう人が多いことを本音では知っていて、分配に反対していることになります。
夫婦別姓論・・選択制に反対する論者は、選択制にすると別姓選択が多くなる・・そういう国民の方が多くいることを自白しているようなものであると、04/16/05「夫婦別姓28(完・・・夫婦別氏の選択性)多様な婚姻制度6」で書いたことがありますが、住民への分配も同じで、本当にお金よりも共同体維持を望む人が多いと言う自信があるならば、配るからどうしますかと提案してみたら良いいのです。
配ってみて住民がどう言う行動をとるかは住民の意思に任せるべきであって、政治家が勝手に住民の意思は「お金より共同体維持であると決めつけるのは僭越です。
お金を住民に配るのには反対にも拘らず、巨額交付金を欲しいと動いていた人たちは、そのお金を何に使いたくて危険な原発誘致運動をしていたのでしょうか?
住民個人にはびた一文使わせないが、自治体と言う団体で使いたくて、(イザと言うときのために資金を管理していなかったようですからら・・・)交付金獲得にしのぎを削って来たことになります。
結局は危険を被る住民をダシにして貰った交付金を、政治家が自由(結果的に・・主に土木建築工事に使い切っているのですが・・・)に使おうとする魂胆だったのでしょうか?
他人がとやかく言うのではなく、お金を配って当事者がどちらを選ぶか任せれば住民の本心が明らかとなります。
事前にお金を配ってもらって町を出る人とお金をもらわないで町に残る人が決まれば、高齢者等どうしても土地を離れたくないなどで、危険な町に残った人の分だけ避難用地を用意すれば良いので取得用地の規模も事前に確定出来ます。

行政文書の事前避難

空襲による焼失の場合、100km離れたところにバックアアップしておいても、その翌日にはそこも爆撃を受けることがあり得るので(広島の帰りに長崎に原爆を落としたように)離れていれば良いとは言えませんが、自然災害の場合は距離が決め手であることは間違いがないでしょう。
しかも空襲の場合、じゅうたん爆撃に遭ったとは言っても、書類関係は端っこが焦げるくらいで意外に全体まで燃えないものです。
それに被災者はその土地に居残る率が高いので、いろんな人の持っている書類の持ち寄りによって復元がかなり出来ます。
行政文書は役所にあるだけではなく、6月27日に戸籍簿の復元で書いたように(中には戸籍謄本を取り寄せて自分で持っていた人もいますし)複数以上の関係者が持っていることが多いこともあります。
設計図書で言えば、工事関係者がそれぞれ自分に関係する部門の設計図を持っていますので、それを持ち寄れば何とかなります。
学籍簿で言えば、空襲が終わった後で生徒が三々五々学校に戻ってくれば、全員の名簿の復元は簡単です。
今回の津波や放射能被害による避難では、根こそぎ流されてしまう外に原発避難の場合も、ムラや町中誰一人いなくなる避難ですから、みんな散りジリに避難すると、関係者の連絡を取るのさえ不自由な状態になっています。
原発避難地域では、未だにあるいはこの先どの程度の期間経過すれば被害把握が出来るのかさえ予測不明なくらい、被害実態が調査出来ない状態になったままです。
前もって何の準備もなかったので、(戸籍事務は法務局に速やかに送るようになっていますが、それ以外の本来日々活用すべき市町村作成公文書はすべて)行政文書の消失・水浸し等による・復元にこれから頭を悩ませることになる筈です。
建物や構築物等の物損被害額は直ぐに計算出来ますが、行政文書消失による被害は目に見えた損害額にはなりませんが、じわじわと効いて来て、事務作業が滞ることになるのでその経済損失は甚大なものになる筈です。
各個人が取るもの取りあえず緊急避難して身の回り品が何もなくて困っているのと同様に、みんなのお世話をするべき自治体自身も避難に際しての事前準備がなかったので、膨大な行政文書・・住民登録データに始まる分野ごとに必要なデータを海の藻くずにしてしまったりして持ち出せないままになっています。
(死亡者数や被害実態の把握・避難住民の詳細把握が進まないのも、各種データ根こそぎ消失の結果でしょう)
危険手当としての交付金をもらうときから、避難準備の議論が日頃から進んでいれば、データの避難・バックアップをどうするかにも当然検討が進んでいたでしょう。
これは住み慣れた地元を離れられないと言う生身の人間・・心情相手とは違い、合理的に検討し、お金さえ出せば直ぐに実行出来た分野です。
(山間僻地への資料移送保管の費用は、9000億の巨額交付金との比較からすれば費用のうちに入らないわずかな額です。)
美術品や生き物と違って、紙記録は積み上げておいてもそれ程痛まないし、市町村の情報記録は5年間の保存期間が殆どで、永久保存の不要なものが大半ですから、大した保管コストがかかりません。
永久あるいは長期保存文書・紙記録の場合、20年や30年放置しておいて少しは痛んでも(津波に流されてしまうよりはマシです)イザとなれば何とか使えるでしょう。
現在生きている・・・毎日のように動いている情報が失われると、今後2〜3年の仕事が困難になるリスク・損害が大きいのですから、保管技術の面は(私にはよく分らないのですが・・)とにかく移転しておくメリットは大きかった筈です。

戸籍簿の焼失と復元2

5〜6年前から本人確認がうるさくなるまでは、相続でも手続きがやかましかったのは不動産相続登記だけで、相続が開始してもそれ以外の資産の場合、親の親まで戸籍謄本等が要求されていませんでした。
最近では共働き夫婦の増加でマンション購入時に夫婦共有にすることが多いですが、20年くらい前までは殆どすべてが夫名義での購入が普通でした。
(この世代は今のところ離婚事件で法の世界に登場するくらいで相続開始ははまだまだ先です)
相続分は配偶者が2分の1であり、相続税も相続財産が如何に巨額でも半分まで非課税扱いになっていますし、生前贈与でも、婚姻後20年超の場合、居住用資産に限って2000万円までの無税扱いもあります。
これらはすべて、夫名義不動産が中心である実態・・妻名義不動産が皆無に近いことを前提にした法制度です。
車で最近まではも夫名義で購入するのが普通でしたので、女性が亡くなっても、これと言った資産がないので相続手続き・・名義変更手続きなどは滅多に必要がない時代が続きました。
本人確認がうるさくなるまでは夫名義の預金を妻が自由に出し入れしていましたし、その逆もある外に一定の高齢者になると、同居の親族・息子らが管理しているのが普通でしたから、死亡後も(死亡したと言わない限り)預貯金解約には戸籍謄本など用意しなくとも自由に解約出来ました。
預貯金もつい5〜6年前から本人確認が必要になったので、(カード利用による払い戻しは今でも事実上出来ますが・・・)死亡後の解約は出来なくなりました。
最近の相続開始の中心年齢帯は大正期から昭和初期の人ですが、その世代では女性名義の不動産が滅多になかったので女性が夫より先に死亡した場合、多くの場合死亡届を出すだけで足りて、それ以上に親の親の何十年も前に閉鎖されてしまった戸籍謄本まで必要としていませんでした。
たとえば、夫死亡時に相続手続きを先延ばししていてもその後に妻がなくなると、夫の親の戸籍謄本から必要になります。
夫の親の本籍が何回も転籍している場合、転籍前の戸籍まで必要なことが多いのですが、いくつか前の戸籍がなくなったままになっていることが多いようです。
農家と言うとみんな農地(不動産)を持っていると思う方が多いでしょうが、戦前には地主小作関係が多く自作農が原則になったのは自作農創設特別措置法による農地買収と小作人への売り渡し以降のことです。
ご存知のように自作農創設措置法による買収と小作人への売り渡しは、昭和20年代後半までかかっていましたが、売り渡しを受ける小作人の方は均分相続になったことと相続税の関係があって、(5〜10年で死にそうな)高齢者名では売り渡しを受けずに跡取りの長男が成人していれば長男名義で売り渡しを受けるのが普通でした。
小作地の売り渡しを受ける頃に50代になっていた人がその後に死亡しても、既に長男名義にしてあったので相続すべき不動産がないのでその後3〜40年間は農家の相続問題はそれほど多くは起きなかったのです。
そして都市住民は(いまになると不思議に思うでしょうが・・)一般的には借家や借地住まいが普通の時代でしたので、持ち家政策・住宅ローン制度が浸透するまで、都会地では相続が開始しても特段の手続きを必要としていませんでした。
明治村にある夏目漱石の家も借家だった筈です・・森鴎外が借り、漱石も借りた借家がいまも東京に残っているようです。
江戸時代には、大名や旗本屋敷さえ将軍家からの借り物でした・・このために吉良上野介が屋敷替えさせられたことをDecember 2, 2010「婚姻費用分担と財産分与2」で紹介したことがあります。
農家などでは相続で兄弟ともめたくないので親が死亡しても、長男が従来どおり親の家に住み先祖伝来の農地を耕してる分には相続登記してもしなくとも同じですから、登記しないで放置している例も多く見られました。
勿論2〜3世代借家暮らしの場合、(5〜6年前まで本人確認がうるさくなかったので)相続手続きなどまるで無縁の家系がたくさんありました。
上記の通りいろんな分野で親の親の戸籍まで調査する必要性がないまま長期間経過した家系(県住や都営住宅市営住宅に住む人は勿論関係がありません)があちこちに出来ていたのです。
最近、本人確認がうるさくなって来たので僅か100万円の預金を下ろすのさえ、親世代からの戸籍謄本が必要になってきました。
たとえば10年前に明治40年生まれの母親がなくなると、母が(例えば昭和5年婚姻とすれば)婚姻により父親の戸籍に入る前の戸籍・・母の父親ないし・その属していた戸主の戸籍謄本が必要になります。
母の出た家の戸籍簿が戦災でなくなっていても、その戸籍に残っていた誰かがその直後頃に自分と親子兄弟の戸籍簿復元の外に既に閉鎖されていた親が戸主であった閉鎖戸籍を復元していれば良いのですが、母の兄弟が自分の戸籍だけ復元していて当時死亡していた閉鎖していた親の戸籍まで復元していないと今になるとどうにもなりません。
あるいは母が一人娘であって父母共にたとえば昭和15年頃までに死亡して戸籍が閉鎖されていた場合、母が自分の家族の戸籍復元までは済ませても死亡している父母の戸籍の復元まで必要がないので思いつかなかった場合もあります。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。