原発コスト19(付保険4)

関係者は本気で全面賠償する気がなかったでしょうが、「事故による損害を全部賠償したのでは採算がとれないので賠償しきれません」と正面切って業界が主張すると原発の方が安く発電出来るとする推進派の基本的立場が崩れてしまいます。
そこで、原発賠償法には無制限に総損害を賠償すると書くしかなかったのでしょうが、政府も業界も本気ではなかったのでもしも事故があった場合の事故処理手順の研究もしないし、(電源喪失時の手動の手順さえなかったのです)事故が起きたときの避難訓練や避難方法・範囲、更には食品その他放射性物質の基準についても何の計画も準備していませんでした。
その場合に生じる損害の研究を全くせずに来たし、リスクの指摘にまじめに対応して来ずに採算性範囲内で「割り切り」でやって来たことからすれば、本音では全面賠償する気持がなかったことが分ります。
本来法で全面賠償すると決めている以上は、政府が業者に本気で賠償させる気持ちだったとするのが一貫するのですが、それならば供託金を1200億円限度ではなくその数十倍の引当金を要求したり一時金で用意出来ないならば、交通事故賠償保険のように無制限賠償保険制度を創設しその加入を奨励しておくべきだったことになります。
保険金額が天井知らずでは保険会社はリスクが大きすぎるので保険に応じないだろうということになりますが、無制限にすれば却って保険会社は損害リスクを大きめに査定して再保険を含めてペイする(高額な)保険料を設定していかないと、イザとなれば自分が倒産するリスクがあるのでシビアーに見積もることが期待されます。
その綱引きの結果・・・世界企業を含めた多数の保険会社間の競争・再保険もあるでしょう・・高額保険料でも加入するか・・逆から言えば東電の提示する低額保険料では入札に応じる保険会社がないということで仕方なしに保険料を高くても加入するしかない・・国債引き受け同様に市場原理で保険料が決まって行くべきものです。
利害の相反する参加者の均衡点で価格を決めて行く・・これが市場原理ですが、裏で政治資金をもらっている政治家となれ合いで均衡点を決めて行く政治決着とは違って合理的です。
逆から言えば、損害が天文学的なものになるリスクがあるので保険でカバーしきれない・・保険料が高くなり過ぎて商売にならないとする主張があるとすれば、その主張は原発事故の損害をマトモに払うのでは採算が取れないことを予定していた・・自己証明しているようなものです。
にもかかわらず充分な保険をかけるようにしなかったのは、(1200億円以内と法律で決めてしまったのは)ハナから、まともに損害賠償する気持ちがなかったから・・マトモな議論をしていると原発が成り立たないという前提があったと言えます。
原発関連学者・・関連経済学者・公認会計士も含めての共通項は、「分らないから危険だ」と言うのではなく、検討するとコストがかかり過ぎて原発そのものが成り立たないから、「分らないから考えるだけ無駄だ」「津波の危険性あるいはその他の原因による冷却装置の損壊・電源喪失・パイプ破損など考えない」ことにしましょうという共通項・・無責任体質で括れるでしょうか?

原発コスト18(安全基準2)

損害賠償費、事故処理費用や廃炉費用を加えてコストが明らかにしても、結果的に火力発電と同じくらいのコストで仮に収まるとした場合、国民の不安心理からすれば、「同じ程度のコストだったら火力・水力発電にしてよ!」という国民が圧倒的多数でしょう。
仮に原子力発電のコストが半値でもどうかな?という国民が多いのではないでしょうか?
月平均1万円前後の電気代が2倍の2万円になっても、月々1万円のためにこんな危険と隣り合わせに生きて行く必要がないという人が多いでしょう。
元々1万円くらいは、ちょっと良い思いをするためにちょっと高めの洋服を買ったりアクセサリーや嗜好品に使っている人が多い時代です。
あるいは健康維持のために中国産ではない割高な国産農産物や健康食品・化粧品などを買ったりしている人が多いのですが、その追加出費額は月間1万円どころではありません。
あるいはちょっとした付き合いで、気持ちよく過ごすために冠婚葬祭や懇親会費として1万円程度のお金を包んだり出費することはいくらもあるでしょう。
放射能汚染地域で1万円出せば放射能汚染がなくなる魔法の設備が仮にあった場合、そんな便利なものがあれば1万円出してでも安心して暮らしたい人が多いのではないでしょうか?
事故直後放射能汚染された水を恐れてペットボトルを買う人が急増した事実がありますが、ペットボトルだけ月に数千円よけい出費しても空から降って来る放射性物質その他による被曝を避けられないのですが、飲み水にだけでもそれだけのよけいな出費を厭わない人が多い事実を重視すべきです。
とは言え、個人生活は別として、産業界が海外に比べてあまりに高い電力料金で流行って行けないという問題があるので、悩ましいことです。
どんなに国債競争上不利でも損害リスクをないものとした架空のコスト計算では意味がないので、繰り返し書いているようにもしも事故があった場合の損害コストを加算したコストでなければ意味がありませんから、ここはやはり損害を加味したらきっちりしたコスト計算を示して欲しいものです。
原子力事業に関する何重のチェック体制があろうとも、そのチェック目的が危険回避目的ではなく、事業をやって行ける範囲で国民の不安に応えて行けば良いという逆転の発想であったことが、今回の大事故に繋がったものと思われます。
9月16日にヤフーニュースに掲載された各地の原発訴訟を担当した元裁判官10人のコメント・印象が報道されていましたが、一旦原発を停めるとなると大変なコストがかかる・・国全体で原発を推進しようとしているときにそんなこして良いのか・と言う心理的圧力がかかってしまう・・結果的に格好がつく程度の証拠調べをして先ず認めてしまう心理状況が全体として流れている感じです。
(読み方・読後感は正確ではないかも知れませんので皆さん独自にお読み下さい)
この後で原子力安全・保安委員会班目委員長の浜岡原発訴訟での証言を紹介しますが、一々対応していると事業をやってられないと言う「割り切りが重要だ」という視点で安全度を判定していたことが分っています。
安全かどうかではなくコスト的にやれるかどうかを基準に保安院はチェックして来たことを自ら如実に証言しています。
こうした運用の結果、原発は火力より安いと言われても、火力より安くあげられる範囲で安全審査をして来た結果であれば、同義反復でしかありません。
各地の原発訴訟での裁判所の判断基準もやれる範囲でしか原告の主張を認めない・・どこもかしこも循環論法ですから安全審査も基準も意味がなかったのです。

原発コスト17(問答無用3)

原発は怖いがだからと言って感情的に全面的にやめるとまでは言えない・・・フグは食いたし命は惜しし・・と同じ心境です。
全面禁止か資格のある調理師の調理によるフグを食べるのかと似ていて、どのくらい高くなるのかの程度問題を先ず知りたい・その上でどうするかを考えたいのが、普通の国民の心理でしょう。
この関心は正当なものだと思いますが、これには正面から応えないまま、事故直後に(頼みもしないのに・・)東京電力の試算で、原発をやめると1家庭平均で月1000円上がるという発表が逸早く(こういうことには素早いのもおかしな会社です)ありました。
その前提になる元の原発コストは事故処理コスト等を計上していないときのコストですから、これと比較するかのような土俵設定をする事自体、論理法則違反です。
こんな論理法則・ルール違反の子供騙しのテーマ設定は・・当面の値上がりに庶民は間違って反応するだろう式の発想によるものでしょうが、国民をバカにしているし論点をすり替えようとする意図がアリアリです。
まして、投資済みの原発施設の投資回収をしないまま・中断してここで新たに火力発電所の新設をして行けば、二重の設備で半分しか稼働しないので、コストが従来よりも上がるのは、あたり前です。
(これでは原発の方が安いか火力の方が安いかの比較にはなりません)
原発から火力に切り替えるのではなく出来上がって数年の火力発電所の事故があって、新たに火力発電所を新設する場合だって、減価償却しない内に廃棄するコスト負担や事故処理と並行して新設火力となれば、料金を上げないとやって行けないのは同じです。
伝統的支配勢力は、稼働期間約40年しかないとすれば、後1年でも2年でも多く稼働させて1年分でも2年分でもよけい回収したいということで頑張りたい気持ちもあるでしょう。
しかしこんな議論をして廃炉を引き延ばしている間にも何時次の大地震がないとも限らないのですから、一日も早く廃炉準備をして行くべきでしょう。
同一業種でA企業は火災保険や交通事故保険料を火災事故による避難訓練などをコストに加えていて、B企業は避難訓練もせずに火災保険・事故賠償保険にも加入していない・・事故が起きたら倒産処理する無責任形式とすれば、何の備えもないB社の方が事故がない限りコストが安いのは当たり前であってコスト比較になりません。
今後これら費用をコストに加えるとどうなるかの議論がいま必要なのに、これに答えることなく先ず値上げから入って行こうとするのは、国民に対する威嚇戦法でしかありません。
マトモなコスト計算を公開しないまま、問答無用式に値上がりした結果だけを示して「こんなに高くなるんだぞ!」と脅して行く現在の方式は、如何に原発のときの方が安かったかの印象だけを刷り込んで行く作戦のように見えます。

原発のコスト16(問答無用2)

日本人は愛国心・公徳心が強いので、日本経済がどうなっても良いと思ってる人は滅多になく、コストが本当はどうなるのかを知りたがっているのですが、伝統的支配勢力はコスト計算を公開したオープンな議論をしないまま、「早く再開しないと電気料金が上がって国際競争力がなくなる」と意味不明の主張が充満しているのは不思議です。
本当にコストアップ社会になって大変だと自信を持って言えるなら、気前良く各種データを公開し・・あるいはいろんな人に資金を出してデータ収集させたりして、コストに関する活発な議論をさせれば良い筈です。
元々今回の事故前から、我が国の電力料金が諸外国よりも高いと言われていますが、そこからメスを入れて行く必要があるでしょう。
以前からバカ高いのに、これ以上値上がりすると企業が海外に逃げざるを得ないという論理ですが、その前提として何故我が国はそんなに他国よりも高いのかの議論が必要です。
常識的に考えて我が国は、人口密集地が多いので送電距離も短くて済み、本来有利な筈ですが・・・。
現在のマスコミ論調を見ていると、コスト関連のデータを公開しないまま時間が経過して値上げだけして行けば、結果としてみんな困るから原発再開の方へ傾くだろう式のやり方です。
イキナリ計画停電で脅かしたのを手始めに、原発反対しているとこんな目に遭うぞとばかりにパンチを食らわしてきましたが、あまりにも見え透いていたので、却って東電が怨嗟の的になってこのやり方は直ぐに引っ込めました。
批判が強すぎてその後は節電に切り替えましたが、東電の供給源の1つである福島第一原発が停まっているので電力不足になったという構図で計画停電の後は節電要請でした。
これでうまく行きかけてところで、福島原発の停止に関係のない東北電力の方が先に(豪雨の影響で)電力不足になって東電から大規模な電力融通が行われる結果になりました。
実は発電能力は余っていることは業界内では常識だったの(でしょう)で、「足りないとキャンペインしている最中なので融通する訳に行かない」とも言い切れなかったのでしょう。
この結果、東電の電力不足のキャンペインは何だったのかまるで根拠不明となっていますが、これに関してマスコミでは何の説明もなくうやむやです。
原発停止で供給電力が足りなくなるというキャンペインで東北電力や中部電力から、融通を受ける計画が出ていた筈の東京電力が、最大ピーク時である筈の真夏に逆に大規模に東北電力に融通出来たのですから、「何のために(需要ピーク時でもない)事故直後に計画停電したの?」「話が違うんじゃない?」「な〜んだ余ってたの?」と言う素朴な疑問が起きているのですが、これらに対して、マスコミは全く応えようとも検証しようともしないままです。
また、コスト・データを開示しないままでも、今直ぐに火力発電に切り替えるとコストが上がるので、従来の電気料金の引き上げは不可避でしょうから、その事実・・先ず値上げをして国民を威嚇しようとしているとも見えます。
この戦法は、悪質なすり替えです。
いま火力に切り替えるとさしあたり従来よりもコストが上がることは当然ですが、だからと言って原発よりも火力発電コストが高いことの証明にはなりません。
今までの原発による電気料金は、損害賠償や事故処理コスト・廃炉費用をコスト計算に加えていなかったのですから、安かったのは当たり前です。
今後これらのコストを加えて行った場合の原発コストと火力発電のコストを比べるべきだ・・その結果どちらがどれだけ安いのかを知りたい国民の関心に応えず、先ず値上げから入って行こうとする現下の動きは、国民の正当な疑問・関心から意図的に目をそらそうとするものです。

原発のコスト15(問答無用1)

伝統的勢力・再開派は言論を封じてはいないというのでしょうが、これに関するマトモな学者の研究発表がないことや、マトモな議論がないまま結論を押し付けようとしていること自体が言論弾圧状態と言うべきです。
現在はカントやヘーゲル・ニーチェの時代のように書斎で思索すれば意見を書けるのではなく、データ収集その他巨額のコストがかるので自費での研究は不可能な時代ですから、研究費がどこかから出ない限り誰もマトモな研究発表が出来ない仕組みです。
ウェブに出てる情報をかき集めた意見・・私のこのコラムもそうですが、ムードの域を出ないので専門家の意見とまでは行きません。
言わば原書を読まないで、その翻訳文を読んだだけで研究発表しているような感じですから、プロの意見としては恥ずかしくって発表出来ないでしょう。
資本家からその方面への研究費が出ないこと自体で、気になっているが誰も研究をすることが出来ない・・一種の言論圧迫状態になっていて、伝統的支配勢力に都合の良い意見やデータしかマスコミに出て来ない状態になっています。
我が国では刑事処罰こそされませんが、・・思想表現の事実上の自由がなく政府のプロパガンダしか出て来ない可哀想な中国人民の思想状況と似ています。
現在の学問の自由・思想信条の自由と言ってもその程度のことに過ぎないことは、August 16, 2011「学問の自由と社会の利益」のコラムで書きました。
多くの国民は、原発の方が損害賠償やきちんとした安全対策をすれば総コストが高いのではないかと思っているのに、これにマトモに応えずに、問答無用式に運転停止中の原発再開反対者を非国民・小児病扱いする今のマスコミはどうかしています。
言論の自由があるとは言うものの、(山本太郎とか言う俳優がちょっとでも原発再開反対論をマスコミで口にすると直ぐ所属事務所から出されてテレビドラマからおろされたということですし)マトモな議論がマスコミに出て来られない現状は思想統制のある独裁国家と殆ど変わらないでしょう。
戦前の軍国主義化の流れを何故阻止出来なかったかと言うと、悪名高い治安維持法による直接弾圧によるばかりではなく、むしろ特高に睨まれている「危険人物を何故雇うんだ」という圧力に耐えかねて、どこの企業でも大学でも自主規制して行って、政府批判する人が職を奪われ黙ってしまわざるを得なくなって行ったことが大きな原因でした。
言論の自由は、刑罰による制裁がないだけでは不十分であって、支配勢力の意見に反する人でも要職に就ける・・あるいは辞職しなくても良い社会でこそ保障されるのです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。