組織(集団)の存在理由1

円高になった場合、見込みのあるかどうか分らない生産性向上努力に資金を投じるよりは海外生産比率を上げる方が結果が分かりよいので、外国人株主はその決断をすることに傾きます。
ところが、国民を守らねば・食わせねばならないという命題から我が国の企業は始まっていますので、利益確保ののために安易に海外移転をする企業はありません。
安易に海外移転するとその時点で国民の支持を失うし、同胞意識で成り立っている我が国の宗教的指弾を受ける気配です。
わが国の国民はキリスト教か何教かと聞かれると、無宗教と答える人が多いのですが、実は仏教でもキリスト教でもどちらでも良いと言うだけで、その上位にある「日本教」に骨の髄まで染まっている民族とも言うべきです。
これに反する宗教は、何教であろうと存続できません。
税金が安い等経済的利益優先で本拠地をシンガポールに移した村上ファンドは、その時点で国民の支持を失ったようです。
日本の企業は経営者の利益を出すためのみにあるのではなく、構成員・部落共同体・いまでは従業員を食わせることが第一の使命ですから、本来アングロサクソン・ユダヤ商法流の株式会社・・利益さえ出せればどこで商売しても良いし、儲けるためには従業員を減らせるだけ減らせば良い・・企業利益の最大化を図るために海外に出てしまっても良い・・自国民従業員の数をゼロにしてしまい国民が食えなくなっても構わないと言うシステム向きではありません。
更に言えば、構成員を養えさえすれば良いならば、構成員ごと環境の有利な国外移動しても良いことになりますが、我が国の場合、郷土愛と一体化しているところもあって、そうは簡単ではありません。
出エジプト記のユダヤ・キリスト教やイスラムあるいはフン族・ゲルマン民族の大移動は基本的に考えられない・・我が国の集団意識は、郷土愛意識と一体不離の関係にあるように思われます。
原発に汚染されてもしょっ中大津波が来るとしても、その地を離れたくない意識が強いのも特異と言えるでしょうか?
どこの国民でも一度住み着けばそこが良いので簡単に移動しないのが普通ですが、我が国の場合、稲作農業で、水田を何世代にもわたって作り上げて来た歴史が長いので他民族よりもその意識が強いだけかも知れません。
利益だけに着目する社会・・に戻します。
交通事故等の損害賠償事件をやっていて思うのですが、(得べかりし利益の賠償だから)加害者の方は事業で得るべき利益だけ賠償すれば良いという考えで主張して来ますし、裁判所や法律家もそのような考えが基本です。
しかし経営者としては、収支トントンでも自分が働いていることによって多くの従業員を養っていると思ってますので、経営者が事故で休んで従業員が路頭に迷ったのをどうしてくれるという意識です。
経営者が事故にあって8ヶ月休んでも、事故前の利益が月10万円しかなかったのなら10万円×8だけ賠償すれば良いだろうと言われると頭にきてしまいます。
利益追求を目的とする株式会社組織が本来で、それ以外は間違っているというのではなく、利益追求型の組織ばかりではなく、日本的な組織構成員を食わせるための団体組織があっても良いのですから、この日本モデルを世界に発進して行くべきかもしません。
利益追求型ではないと言うと非利益・公益型・・ボランテイアという対比ではなく、(これが欧米流組織論です)第三の道・・我が国のように組織構成員の生活を守るための組織もあっても良いでしょう。
世界的に見ても企業の外に国や自治体はそうした目的で存在しているのですから、別に目新しい概念ではありません。
学生時代に読んだ本にゲゼルシャフトとゲマインシャフトの対比があったのですが、今は英米あるいはユダヤ流儀のゲゼルシャフトの思潮が幅を利かせ過ぎです。
ゲマインシャフトの意識を復権してこれを私企業にも及ぼしたらどうかというだけです。
企業は金儲けに邁進していれば良くて、時々社会貢献・寄付をすれば良いのではなく、企業自体に構成員に対する責任があるという意識の復権が要請されます。

為替変動と企業努力2

為替が上がれば為替の下がった国での生産を増やす・・・単純明快な企業合理的行動に走らずに民族意識に基づいてある地域での生産に飽くまでこだわるのが、我が国の企業行動です。
このためには、円が1割上がれば生産性を1割上げねばならない・・生産性を引き上げて輸出減を防いでいると、黒字が減らないので円がさらに上がっていきます。
企業努力の結果奏功して輸出減を防ぐ繰り返しでしたから、円が恒常的に上がるトレンドで来たのですが、こうした企業精神・努力の場合、絶え間ない円高=外圧が生産性向上努力を強制する状態です。
これは大変なストレスになりますが、この外圧による不断の努力を怠らなかった結果、我が国は戦後絶え間なく生産性向上が進み、生活水準が切り上がって来たのです。
日本企業の場合は、我が社意識・・幕藩体制以来・・実は一所懸命の語源通りもっと前の土に根ざした武士勃興以来と言えるでしょうが・・の郷土意識の残滓が強力です。
半端なことでは地元を捨てて簡単に外に出ようとはしませんし、海外に出るにしても国内既存工場の存続を前提とした増産分としては始めるのが普通です。
石にしがみついても・・の意識で最後の最後まで頑張る傾向があって、その分円高トレンドに負けないように生産性向上に資するメリットがあります。
オラが企業の強力な意識が、(安易に海外に逃げようとはしないで・・)際限のない熾烈なコスト削減努力が、省エネ技術や新たな製品・・コスト上有利な新部品を生み出す原動力にもなっていたのです・・。
海外株主比率・・あるいは国債保有比率・社債保有比率が上がって来るとそうはいかないでしょうから、我が国のためには外国人保有比率を上げない方がいいでしょう。
(民族意識に基づく非合理なしがみつき努力は薄まり、人件費の安いところで造れば良いに決まってるのに、何を無理して国内にしがみつくのか・・となり勝ちです)
経営者が外国人であるゴーン氏に変わっている日産では、数年前に特定車種だけですが日本国内向けの生産まで全量タイへ生産移管してしまったことは(マーチ効果と言われています)ショックとなって国民の記憶に新しいところです。
日産の外国人株主構成(ルノー1社で44、33%)も重要ですが、経営トップが外国人となっていることが、その決断を導いた大きな要因でしょう。
企業の損得だけで行動すれば前回書いた通り、為替相場の最適生産地を選んで生産量の調節をして行けば良いので、円高は企業が悲鳴を上げるべき問題ではなく、企業の生産地変更について行けない国民が悲鳴を上げるべき問題です。
アメリカの場合、例えばGMで見ても分りますが、最適地生産という合理主義ですから、(国内生産を死守するということはなく)昨年の世界販売台数のトップシェアーを奪回したと言っても、海外生産がその多くを占めていてアメリカ国内での生産が大幅に増えた訳ではなさそうです。
外国人投資家の売り越を心配するマスコミ論調が多いのですが、私は外国人比率が減ること自体は結果的に歓迎すべきことだと思っていることをJan 14, 2012「海外投資家比率(国民の利益)2」までのコラムで書きました。
外国人投資家に人気がないのは相応の原因があると考えて、反省すべき材料にはなりますので外国人が一定比率を保有しているとその傾向が理解できるメリットがありますが、一定量を超えてしまうと、その意向で運営しなければならないのでは、同胞意識で運営していきたい日本企業にとって困ったことになります。
仮に日産がマーチに限らず全生産を外国に移管したことによって生き残ったり利益を出している時代が来ても、国内雇用がゼロになって(勿論今はそこまで進んでいませんが・・分りよい極端に進んだ場合で議論すればの話です)しかも株主の大半が外国人投資家になった場合、日本人にとってめでたく、有り難いことでしょうか?

為替変動と企業努力1

2011年夏以降の超円高によって、さすがのトヨタ自動車も国内に踏みとどまれるか微妙になってきましたが、今後は世界シェアー何割を抑えられるような高々度技術を持つ分野の業種だけが、日本に生き残れるのであって、汎用品で少しくらい技術が高くっても国内で生き残るのは難しい時代です。
部品の競争力が世界一と言っても、そこの製品を使えば例えば他所よりも1割くらい安く造れる・不良率が低い・1割耐久性が高い・・その結果1割くらい高くても売れるような場合、円が1割以上高くなるとやって行けません。
ですから、高度部品で世界でトップシェアーを握っているとしても、際限のない円高耐性をもっている訳ではありません。
これに対して、たとえば味の好みに関しては好みにさえ合えば、円が上がってもウマければ1割や2割高くしても買う傾向があります。
紀文の各種製品や桃屋のつゆ、西京漬等、この種の物に関しては「ここの味」と言う特定の味覚の顧客を造れば、少しくらい高くとも(逆から言えばよほど生活に困らなければ少しくらい安くともまずい物を我慢して食べないでしょう)1割や2割上がっても関係がないでしょう。
ゲームソフト、エンターテイメント類などもこの部類に属します。
何回も紹介していますが、2007年には1ドル120円平均でしたが最近約1ヶ月間では76〜77円です。
上記のとおり、コストパフォーマンスが良くて、値段・コスト競争で勝っているだけでは、(勝てば貿易黒字→円高になる仕組みです)コスト競争力のある分以上に円が上がればおしまいですから、コスト競争での生き残りを目指すには、国内の同業他社・他業種の輸出競争力平均以上の競争力がない限り脱落して行きます。
(円相場は理論的には(資本・所得移転を除けば・・)輸入輸出全体の加重平均・結果としての貿易黒字)で決まることを1月9日のコラムで書きました。
ある時期の円高に耐えられても、その次の円高には耐えられないとその時点で脱落ですから、儲けなければ脱落するし、儲ければ円高に追われて際限のないコスト削減競争を続けるしか企業は国内生産を維持出来ない時代です。
企業の方は、全世界に平均的に工場を分散させていれば、円が2割上がって従来より生産性を2割アップしなければ日本国内製品が国際競争出来ないとすれば、2割下がって競争上有利になった国での生産を拡大し、日本国内の工場生産を廃止・縮小すれば済みます。
国民の方はホンの少ししか工場の海外展開について行けないので、殆どが失業してしまいます。
世界展開している企業にとっては為替相場の変動に対応するには、各国での生産比率の変更で足りるし・・展開不足の企業も為替の下がった国での展開を加速すれば良いのです。
為替変動による貿易収支均衡論は、世界くまなく工場網を張り巡らしている企業にとっては、相場変動に対応してそれぞれの国の生産量を調節すれば良いので、結果的に国ごとの貿易不均衡は是正されて行く仕組みです。
この場合、円高に負けないようにする生産性向上努力は不要と言うよりは、そんな努力をするといつまでたっても貿易不均衡は是正されないでしょうから、円高対応努力は為替による均衡理論では本来予定されていないことになります。
この場合、自己節制として不断の努力をしないと同業他社に負けることになるだけで、為替変動による外圧は世界企業には本来予定されていません。

高度化社会と雇傭吸収力2

知財ではなくブランド戦略も同じで、フランスのエルメスその他ブランド品はイタリアやアジアの工場で造らせていたので、国内産業空洞化防止にはなりませんでした。
ブランド戦略は品質の高度化ではなく、有名品であることのお墨付きでしかないので、どこで造っても構わなかったのでしょう。
日本にブランドが浸透して一般化した20年くらい前からは、逆に日本の縫製が一番ものが良かったので、どこで造ったかが消費者にとっては重要になっていました。
ここ10数年前から同じトヨタ自動車でもどこの国で製造したかが一定の選別要素になって来ているようです。
とは言え、車の場合大量生産品の宿命でその差は微々たるものであって、日本が新興国の10倍以上の人件費で造るほどの価格差にはなりません。
イタリアは、今でこそ経済危機のサナカですが、最近のイタリアブーム(食事・デザインものでも)は、長年の歴史とフランスブランド品の下請け工場に甘んじて頑張って来た歴史、ひいてはフェラーリに象徴されるように、日本同様になお自国職人技術にこだわって来たところが、長期的には(自国の高度技術が少ない)英仏よりは強みだと思われます。
イタリアは1つの国と言えるかどうかの議論が元々ありますが、技術職人の雇用にこだわっていたイタリアでは大量雇用に向かなかったので、アメリカ・フォードに始まる大量生産・大量雇用時代(イタリアを除いた先進国はこれに組み入れられて来たのですが・・)にはパッとしなかったと思われます。
手仕事・技術力にこだわる雇用形態では、大量の労働力を吸収出来ませんので北部だけで1つの国にするのがやっとであって、技術蓄積のない南部やシシリー島等を抱える・・面倒を見るには力不足・・無理が来ているのではないでしょうか?
EUがついて来られないギリシャを切り離すかが問題になっているように、イタリアも南部を切り離して別の国とし、北イタリアだけならば、充分黒字国となって町の掃除もきれいに出来るでしょう。
ドイツだって東ドイツの吸収後は大変でしたし、韓国が北朝鮮が崩壊して合併することになるのを内心怖がってるのは、同じ考え方が基礎にあるからです。
企業でも赤字企業を救済するために合併したい企業はないでしょうが、国であっても同じことなのに国になると何故か非合理な選択・・領土の拡張(後進地域を抱えれば損ですが・・)にこだわる人が多くなります。
欧州の中でドイツだけが未だに元気なのは、国を(東西共に)挙げて技術・職人技にこだわる点が日本と似ているからでしょう。
第二次世界大戦時の枢軸国・日独伊が、今も立国の基礎が共通しているのは不思議な巡り合わせです。

高度化社会と雇傭吸収力1

知財やブランドと違い、高級部品輸出は最終製品の組み立て産業よりは雇用吸収力が少ないけれども、ある程度の職人とその関連産業を養える・・一定の雇用吸収力がある点がアメリカの知財やフランス等欧州諸国のブランド化による生き残り戦略よりも有利です。
20年ほど前に金沢に家族で旅行したときに、近くの丘に登ってから下り道にあった博物館or工芸館だったかで3〜4時間かけてビデオを見たことがあります。
余り時間をかけているうちに、途中でお腹がすいて来たので出て来たのですが、そこで、鍍金金箔等の工芸品製作の流れを見ていると、多くの関連職種があって成り立っているのに感銘を受けました。
知財等はそれを育てる産業・・大学等を必要としますが、完成した後の知財そのものが雇用吸収力がある訳ではありません。
伝統工芸や調理士も一流になるまでの修練が必要ですが、その弟子入り・門下生をその町で受け入れることをもって(名人が内弟子として受入れるのはホンの数人しかないとしても)産業と言えないこともありません。
大学都市と言う呼称がありますが、それは、国内の別の場所から学生を呼び込むことによって観光やコンベンション産業のように成り立っていることになります。
留学生を国外から呼び込めば、国家的産業になります。
オーストリア等への音楽家の留学は、同国にとって貴重な産業の一種となっていることでしょう。
アメリカは英語圏を広げることによって、英語を身につけるために多くの国からどうってことのない田舎の大学でも留学生を多く受入れています。
観光客はそのときに訪問地で食事したり宿泊費を消費するだけですから、私の意見では公共インフラ維持費を負担しないのでトータルとしてマイナスですが、留学生は滞在期間が長い上に自分の宿泊費と食事だけではなく衣類その他すべての生活費の支出をする外、高額な学費まで支払ってくれるので大きな利益が出ます。
これはアメリカに対する理解を深める文化政策であると同時に一種の産業政策でしょう。
留学生受入れには上記のようなメリットもありますが、我が国のように、アフリカや中国等後進国からの留学生を受入れるために奨学金を交付して(あるいは日本でのアルバイトで自活させるのでは、日本人の雇用を奪っているだけですから、)受入れているのでは蛸足配当でしかなく、雇用の受け皿としての産業にはなっていません。
ただし、例えば500人の留学生のために大学教員の雇用が一定数・・例えば10人確保されるので、留学生500人が底辺労働500人分を奪っても、ペイするという見方もあるでしょう。
日本の文化力に引かれて自費で留学して来るなら別ですが、日本政府の留学補助金を使っていると、結果的に補助金を使った高級労務向けの失業対策事業になってしまいます。
観光事業も同じで、観光向けに広大な駐車場や道路拡幅工事をしたり立派な欄干を造ったり公共工事に巨額の税を投入して外国から呼び込んでいると外国人に補助金を払って来てもらっているようなもので、実質赤字になります。
話を知財・高級部材や伝統工芸品製作による雇用吸収力に戻しましょう。
これらを育てるためのコストの方が、知財等で儲ける額よりも大きいとなれば、本来的な意味の産業とは言えません。
バイオリニストを養成した費用で、その人が仮に一流奏者になったとしてもその人の演奏収入だけでは元を取れないでしょう。
このように元を取れない職種であるからこそ、芸術系はペイしなくとも資金をつぎ込める豊かな・余裕のある社会でないと育たないとも言えます。
結局・雇用吸収力として重要なのは、育てるのに金がかかる産業ではなく、裾野産業があるかどうかでしょう。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。