日銀の国債引き受けとインフレ論1

倒産しても再起する例が増えて来ると、倒産すると困るのは実は債権者の方であって、倒産する方は却って筋肉質になって元気になれるメリットの方が大きい感じです。
今回のギリシャ危機でも損をしたのは債権者であるフランスやドイツの方であって、ギリシャではありません。
ギリシャは元々借金だらけで信用がなかったのですから、今回の危機で特に信用をなくしたのではありません。
彼らは従来通りの生活をしていれば良いのであって、何も困っていない筈です。
破産されると困るのは債権者・・サラ金等であることは我々弁護士世界では常識ですし、(私の場合昭和50年代半ばから破産を推奨して来たことを、05/03/02「破産 8(破産とサラ金の合理化)」以下のコラムで紹介したことがあります)業者にとっても破産されると損するので、貸す際には信用調査に慎重になります。
債務者にとっては破綻自体全く恐れる必要がありませんが、債権者が困るので「破産は大変なことだ」という宣伝・・道徳意識の涵養に必死になっています。
破綻した人というのは豊かな人にとっては最低の烙印ですが、生活保護すれすれの人にとっては現状以上に生活水準の低下がないどころか借金支払に汲々としなくて済むのでメリットの方が大きいのです。
金融資産が膨張し金融収益に頼っている組織では、相手の破綻によるリスクをマトモに抱え込みます。
1000年前後も繁栄していたベネチア共和国の衰亡は、金融資本に頼り過ぎ、他方でスペインの王様が何回も破産したりして、あちこちから踏み倒され続けてしまったことにあります。
世界1の純債権国になっている日本として心すべきことです。
破産した方は涼しい顔でいられるので、我々弁護士は債務者に破産を勧めるのが普通になっていますが、国同士でも同じことです。
このように本来債務者は破綻しても全く困らないの(困るのは債権者だけ)ですが、これに加えて政府の場合、そもそも破綻があり得るのかという問題があります。
政府の場合、元利がいくら膨らんでも破綻を選ばないで、政府・日銀は本気になれば輪転機の印刷能力のある限り紙幣大量発行が可能ですので、支払不能になることは理論的にあり得ません。
その場合インフレを心配する論者・・あるいは日本の紙幣の信用がなくなると心配する論者が多いのですが、私は後に書くように日本を除く世界インフレは起きるとしても(例えば中国などで物価が10倍になれば製造原価が上がって日本の国際競争力が回復します)日本国内インフレは起きないと思っています。
また紙幣の信用は、あるがままで良いのであって100倍印刷すれば100分の1に価値が下がるのは当然であってそれで何も損はないでしょう。
3月25日の最後に書いたように、日銀が無制限引き受けをすれば、借換債の買い手がなくなる心配・・デフォルトになることは論理的にあり得ません。

財政法
(昭和二十二年三月三十一日法律第三十四号)
第五条  すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

上記のとおり現行法でも国会議決があれば日銀の国債引き受けは可能で、現在既に満期の来た国債に限って引き受けが合法化されています。
2011年度予算では30兆円までらしいですが、必要があって決議さえすれば無制限に額を増やせます。
もしも借換債の入札が不調になって満期国債の償還が不能の見込みとなれば、その時点で、国会議決を求めれば議会の方で、「デフォルトすれば良い」じゃないかと放置することはあり得ません。
何らかのモッタイを付けるかも入れませんが、「今回に限り」とか言いながら引き受けを認めるしかないでしょう。
と言う訳で今は30兆円限度らしいですが、そのときの必要に応じて国会がいくらでも枠を引き上げて行けるのでデフォルトになることは論理的にあり得ません。
あるとすればデフォルトした方が得だと分って、サラ金債務者が自己破産するように積極的に行うときだけでしょう。
実務的には「8割カットに応じなければ破産するぞ・・」とこちらから脅して、カットに応じないときに実行することになるのでしょうか?
財政法の国会議決の条件の詳細が不明ですが・・議決ごとに何らかの付帯条件がつくのが本来でしょうが、実際には予算書総則に数字がちょっと書いている程度らしく国会では殆ど議論らしい議論がなく毎年すり抜けてるようです。
この後で書いて行くように、日銀・・中央銀行の物価の番人としての役割は疾うに終わっていて、こんなことにこだわるのは時代遅れの学者だけとすれば、そもそも日銀・・中央銀行制度は不要・・国債を引き受け過ぎて、大赤字になってつぶれても良いかも知れませんが・・・。
・・現状では一人としてこういう意見を言う学者がいないので、全員時代遅れかも知れません・・原子力ムラの学者同様・・大勢に逆らえない学者ばかりなのでしょうか?
財政法で原則として日銀の国債買い受けを禁じているのは、兌換紙幣(金本位制)から不換紙幣にした見返りみたいな制度・・・連動すれば政府が好きなだけ紙幣発行権があるのと同じになりますから、ハイパーインフレにのめり込むリスク回避のためでした。
この辺のいきさつについては、01/16/07「不換紙幣と中央銀行の独立性2」前後で連載しました。
中央銀行制度が出来た当時は必要な制度・思想でしたが、金あまり・・供給過剰の現在日本では不要な制度になっています。

国債残高が増え続けると?

国債発行による資金徴収は、古代での稲モミの貸し出しに代えて、今では紙幣発行してこれを国民に使わせてやる・・それの何割かを回収している関係と見れば良いでしょうか?
税でとるのも借金・国債でとるのも結果は同じと言う意見をここまで書いてきましたが、税なら最後まで返さなくとも良いのに対して、国債の場合利息付きで返さなければならないのが大きな違いと言えますが、実態はどうでしょうか?
実際にはどこの国でも国債や社債は借換債の発行の繰り返しで凌いで行くのが普通なので国が続いている限りいつまでたっても元利を返す必要がありません。
企業の社債発行については、借り換えで繰り返して行くつもりで満期が来てもそっくり返す予定の企業など1社もないと言っても過言でないことを、02/23/07「キャピタルゲインの時代5(修正作用2)社債発行1」で書いたことがあります。
社債でない銀行からの借金でも期限ごとに書き換えて行く(期中利息だけ前払いして)前提であるから、書き換え(法的には新規貸し出し)に応じてくれないと困るので、業者はいつもびくびくしていることも書きました。
このやり方が際限なく続くのは売上増・・規模の拡大が続いている経済の場合です。
元利合計として膨らむ一方ですので、規模拡大が続かない限り最後は払えなくなるのではないかと心配する人が多くいます。
国内資金循環効果としては国債も税収も同じことだとしても、返済能力の心配のある点が大違いですから、この心配について書いて行きます。
企業でも上記のとおり際限ない社債発行の繰り返しを前提に運営されていますが、トヨタその他の大手企業で返済不能に関する心配を聞いたことがないのは、我が国では企業規模が右肩上がりあるいはインフレによる債務の実質目減り前提に運営されてきたからです。
国債の場合も従来のように年々物価上昇が続く時代には、問題がありませんでした。
バブル崩壊以降続くデフレを何とかしてインフレに転換したい・・目標が必要と・・と言う政府企業・マスコミの大合唱の根本がココにあります。
例えば1割のインフレがあれば借金が1割減額されたことになるので、借金だらけの企業や家計・あるいは政府は大もうけです。
無理な借金やローンを組む人が多かったのは、インフレ・・給与その他の名目収入が上がれば返済が容易になる前提でした。
バブル崩壊以降この思惑が逆回転してデフレ傾向・・逆に物価が下落し続けているので、債務の多かった人や企業・・ひいては政府も参っています。
そこで政府も国債残高が累増して行く一方なので、みんなが心配するようになりました。
今回は国債残高が増える一方になってしまったらどうなるかの検討です。
既に5〜10%くらい消費税を上げても返し切れないほど増えてしまっていると見るのが妥当です。
政府と地方自治体あわせて1200兆程度の負債があるのですが、この1%の金利でも年間12兆円も必要ですし、金利が3〜4%前後になれば、現在の税収全額になってしまいます。
現在でも税収の3分の1も払えないのは明らかですから、現在既に利払いさえ税収の範囲で出来ない・・元金を減らして行くのは無理があるところまで来ています。
ところで負債を払えなくなれば、企業の場合は倒産・・整理ですが、政府の場合も倒産でしょうか?
従来企業倒産の場合原則解体処理して何も残らない・・消滅が原則でしたが、最近は会社更生法だけではなく再生法による処理が発達して来たので、倒産したからと言って何一つ残らないのではなく、古くは国鉄→清算事業団化・・近年ではGMや日本航空のように債務を切り捨てて却って身軽になれるので再起する例が増えてきました。

国債2と税の歴史7

国債発行残高の危険水準のテーマに入る前にもう少し税の歴史を振り返っておきます。
我が国の税の歴史を辿ってみると、02/13/06「利息3(出挙2)高利金貸しと税金の起源2」の前後で紹介しましたが、わが国では稲モミの貸し出しによる出挙から政府資金徴収が始まったように、古代には稲モミの利子徴収と税が未分化でした。
我が国では権力者には元々税を取るという意識がなかったし、国民も税というものを納めなければならない意識が育っていなかったように見えます。
その後イキナリ律令制が導入されて税観念(租庸調)が導入されたものの、国民性に合わないこともあって01/09/06「律令制の崩壊1(豪族のしたたかさ)」で紹介したように直ぐに消滅してしまい、明治維新・・版籍奉還まで約1000年間絶えて徴税していなかったことになります。
明治維新まで大名小名の取っていた税らしい物は、(5公5民・4公6民などの割合がありましたが・・)地代と区別のつかないものでした。
08/12/09「所有権保障の政治的意義2」や、08/10/09「大名の没落と西洋貴族1(所有権の絶対性1)」以下で、ココシャネルの映画を見た後の感想等でわが国の重層的な所有権観念の紹介をしましたが、明治民法制定までは、大名や武士の領主権は土地所有権と区別がつかない意識でした。
(ただし、徳川期の鉢植え・転勤大名になると意識が大分変わって来ていましたので大名でもいろいろです)
農民の方も大名小名・・その前の荘園領主・・から土地を借りて使わせてもらっている印象でしたから、地代相当の年貢を納めるのは納得し易かったでしょうが、商人の場合土地も使わないのに政府維持費がいるから負担しろと言われてもピンと来なかったと思われます。
こうした意識から言えば、農民以外から税を取る方法・・大義名分がないので、明治維新まではどうして良いか分らないままで来た感じです。
僅かに室町中期以降戦乱が続いたので商人が安全に市(いち)を立てられる対価として所場代をその土地の領主に納める仕組み・意識が発達しましたが、(国内治安が乱れたからこそ自然発生した原理・・中国古代に王が生まれたと同じ原理です・・)楽市楽座制によって所場代を取るのは非合法なヤクザ組織くらいの意識になって、納税意識が根こそぎなくなってしまいました。
「安全はただ」と言う意識の再定着です。
この点明治初期から始めた租税の金納性の実施・・地租改正作業は、日本人の租税納付意識を変革する革命的大事業でした。
地租改正作業は明治維新による社会の貨幣経済化変革の基礎をなすものとして、2009年秋ころから大量に連載していますので・・もしかしたらその途中で今のテーマに脇道は言ったままかも知れません・・関心のある方は地租改正で(新しくブログ形式になる前のコラムを)サーチして下さい。
この結果固定資産税その他各種の税を取ることが可能になったのです。
この点中国や西洋では、元々商業国家から始まっているので、ヤクザの胴元同様に王様は市場秩序維持機能と引き換えの所場代を取ること・取られることに馴れています。
証券取引所を維持するためにあるいは競馬場の経費を賄うために一定の参加料を払うことには誰も違和感がないのは今でも同じです。
宗教(キリスト教など)までこれに合わせて「10分の1税」などと言って応援していたのです。
今でも事業している人には馴染みが多いと思いますが、我々弁護士報酬を受けるときには、年間総収入にかかわらず先ず10%の源泉徴収を要求されていることに繋がっています。

税の歴史6(商業税3)

安心・安全社会でありながら商人から税を取ろうとすると特許料的・・・特別なコネで独占権を買うような袖の下・不正なお金が動くような意識・理解が強くなります。
我が国には商人からお金をとるのは賄賂に近い・・不正と結びついた伝統的意識があるので、商人からお金をとる仕組みを切り捨てた楽市楽座制は画期的な制度として今でも賞賛されているのです。
他方田沼意次のように商業を活性化して、そこから金をとって財政資金にしようとすると賄賂政治として非難囂々となります。
本来「商人からも税を取るべき」という側面から見れば、楽市楽座制は徴税方法の萌芽を摘み取ってしまった政策だったとマイナス評価すべき面があります。
(こんなとんでもない意見を書いているのは私くらいでしょうが・・・素人のコラムは気楽です。)
徳川政権は、日宋貿易や日明貿易あるいは倭冦を通じて貿易は儲かると言う歴史認識が成立していた貿易からでさえ、関税を取っていたかどうかさえ分らないくらい・・金儲けには及び腰でした。
幕府に儲ける意識があればもっと貿易が活発化していたでしょうが、これを制限する方向・・鎖国に向かったのですから、・・・・・手数料をとっても実費程度でしかなかったのではないでしょうか。
何故か政府公的機関が金儲けに精出すのは、はしたないこととする風潮がこの頃に成立してしまったようです。
(だから日野富子の行状を如何にもサモシイように言いふらすのでしょう)
ソニーのトランジスタだったかを欧州で売り込んだ池田総理を、エコノミックアニマルとバカにし、総理ではなく商人のようだとバカにしたマスコミが多かったものです。
楽市楽座制以降商人からの徴税する意識がなくなったので、(国民は上記のとおりの我が国特有の安全な歴史から税を払う気がないので無理です・・)已むなく幕府が時おり豪商から召し上げて来た冥加金などの一時金に頼るしかありませんでした。
各大名家ではそんなことも出来ないので国債みたいな機能の藩札の発行・豪商からの借金などのいろんな名目の回収方法・・今の国債が発達したことになります。
鎌倉時代末期に発動された徳政令は、ご家人が借金に頼った結果でした。
政権側・領主・御家人が借金出来るということは、(当時は外国から借りることはなかったので)今の日本経済同様に領民の個人金融資産は豊富なのに、政権側で取る方法がなかったことの現れだったと言えるでしょう。
徳川時代の徳川家や諸大名や旗本ご家人も同じで豪商や町人からの借財で首が回らない状態でしたが、徴税方法がなかったに過ぎません。
明治の廃藩置県・・・版籍奉還政策は、当時の巨額債務切り捨て策でした。
最近で言えばGMが法的整理で過去に約束した年金債務等を切り捨てて立ち直ったのと同じやり方です。
各大名家では「これで借金の重圧から逃れられる」とホッとしていたので版籍奉還がスムースに行ったことについては、07/20/05「藩の消滅3(版籍奉還と知藩事)」で、大名は知事となり、収入の1割が保障されたことを紹介し、(オーナーからサラリーマンになったので藩の借金の責任を負いません)さらに08/15/09「武士の失業4と華族制の創設」のコラムで働かない無役武士を切り捨てるなどの大リストラに成功したことを紹介しました。
このやり方を真似たのが国鉄の清算事業団化で、新しいJRは働きの悪い従業員(労組員中心?)を切り捨てて(再雇用せずに)、借金のない新事業になったので身軽になれたのです。
この廃藩置県の結果、幕末動乱期に大名家の出費を支えた豪商からの借財が全部踏み倒されたので、(新しく出来た県は当然のことながら借金支払責任はありません)多くが没落し、明治以降新興の三菱などに入れ替わってしまいました。
徳政令に限らず政治に関係するといつもこうしたリスクがあるので「大名貸し」を絶対にしないという家訓を定めている商人もいましたが、幕末動乱期に、義に感じて「男気」から出してしまった商人が多くいたようです。
幕末には黒船来航以降、江戸湾の防備に駆り出されたり・・お台場建設その他の出費が嵩んだだけではなく、(これまで書いているように役務提供は大名の自腹で行うべきものでしたから・・持ち出しが増えます)各藩競争して洋風の軍備増強・新兵器購入に励まざるを得なかった外、京都などでの政治混乱に対応するための情報収集経費、その後の戊辰戦戦争への参加経費など経常収入ではとても賄えないほどの出費が続きました。
長岡藩でもガットリング砲をオランダから購入していますし、長州や薩摩ではもの凄い軍備増強ですから、従来の米の年貢その他の特産品販売による経常的収入だけ(・・元々大名家の財政は火の車でした)ではとても賄えません。
鳥羽伏見の役を制したのは薩長の最新式兵器であり、これを支えたのは、白石家などの領内豪商の存在でした。
会津の松平家は内陸であって豪商が育っていなかったことが、新兵器調達力に差がついてしまったのです。
この辺は長篠の合戦で信長の大量の鉄砲に対して武田家の少数の鉄砲・・火力差が勝敗の明暗を分けたのと同じです。
(世上騎馬軍団が鉄砲に負けたと言いますが、信玄も謙信も勿論新兵器導入に熱心だったのですが、経済力の差で信長ほど大量に買えなかったので、勝頼は騎馬軍団との併用しか出来なかったに過ぎません・・同じことは幕末の各大名家にも言えてそれぞれ財力に応じて新兵器調達に力を注いでいたのです。)
薩長ほどではないまでもどこの各大名家でも新兵器購入努力をしていましたので、これらの経費は危急存亡のときとして臨時に領内豪商(と言っても小さな藩では商人の経済規模が小さいのです)からの借金で賄っていました。
政府にとっては税でとらなくとも借金でとっても預金でとっても同じことです。
息子に生活費を入れさせるか毎月5〜10万ずつ借りたことにしておくかは、言葉の遊びででしかないと以前書きましたが、国内資金で賄っている限り親子の貸し借りと同じです。
息子は親にお金を貸したことになっていても将来親が払ってくれなければ、生活費(国でいえば税金)を入れていたと思うしかないのですが、国民の保有する国債とはそう言うものです。
1400兆円あまりの個人金融資産があって、1000兆円の国債があるということは現在個人金融資産が正味400兆あまりに減っていることになります。
個々人で見れば1400万の定期預金があっても国債がデフォルトすればその内1000万円が紙くずになって400万円しか残らないということです。
400万円残れば良いかと思いますが、この金融資産には生保や年金の積み立て分も含まれているので老後は大変です。
韓国や中国では年金制度が出来てから日が浅いので積み立てが貧弱で直ぐに高齢化社会に突入すると大変だが、日本は長期間経過しているので大丈夫と思っている方が多いと思いますが、実は日本も年金を含めた総預金が実質400万しかないとすれば、とても老後何十年も生きて行けません。
年金財政の赤字問題が喧しいですが、年金とは関係のない別建ての借金で食いつぶしてしまう方が早いかもしれないのです。
企業年金で言えば、新入社員が少なくて赤字になるとこぼしているうちに企業本体が借金だらけになったようなものです。
そこで国内個人金融資産だけが国債の担保になるのか・個人金融資産残高だけを国債発行残高が越えるかどうかだけが危機の基準かが問題です。
09/14/08「国債の無制限引き受けと紙幣発行権2」でも書きましたが、国債は円建てなので誰も買わなくなっても日銀が無制限に引き受ける限りデフォルトはおきません。
結局は日銀による無制限国債引き受けが可能かどうかになります。
(紙幣乱発とインフレや円安等の関係・・中央銀行独立の意味など現在社会の根幹に関わりますので、9/15/08「国債の無制限引き受けとインフレ1」February 22, 2012「為替相場と物価変動2(金融政策の限界2)」前後で少し書きましたが、この点は別に書きます)
通貨発行権のないギリシャとはこの点で本質的な違いがあります。

税の歴史5(商業税2)

市場の秩序維持役を王・・権力者の始まりとして来た歴史のある中国では、「安全を買うにはお金がかかるのは当然」の意識が生まれます。
我が国の国民は何故か昔から安全は元々保障されているので、人民を守るために町を囲う城壁の習慣もないし安心は空気と水のように無料の意識が強いのです。
北京の紫禁城を見ると城門の分厚さ・・土のかたまりでトンネルに入るような分厚さに驚かされますが、日本の城や塀は約束の世界・結界に過ぎない薄っぺらな板塀などとは違う異民族相手のすごさに圧倒されます。
我が国でも唐の真似をして奈良の都に羅城門形式を輸入しますが、木造の門とその両端にちょっと塀を造っただけでした。
大徳寺や東福寺などの山門も同じで、実際にはお飾りにおいてあるだけで実際の通行はその脇を迂回して出入りする仕組みです。
日本では戦闘集団が自分を守るために城を築き兵を養っているのですから、その維持費を城下町の町人に負担させるのは理屈が合いません。
日本の都市は中国や西洋のように・市民・商人を砦の中にかくまう仕組みではなく、敵襲が城下に迫ると戦闘集団は城下の商人を守るために戦うのではなく、自分たちが安全な城に退避して篭城してしまうのが普通です。
日本軍人は明治以降お国のために、自分の母や姉妹を守るために出征したと言われますが、何千年のDNAが上記のとおりですからイザとなったとき・・満州にソ連軍が侵入を開始したときには、先ずは軍の温存を優先して・・守るべき満蒙開拓団を置き去りにして撤収(逃走)してしまったのです。
関東軍が民間人を守らないで置き去りして逃げたことをもって非難ゴウゴウ・・武士道に反する・軍人の風上におけない・・帝国陸軍は腐っていたなどの意見が普通ですが、(司馬遼太郎だったかが書いてあったと思いますが・・)日本の武士の歴史は自分達が戦うだけであって民を守った経験がないのですから仕方がありません。
国民を守るための軍隊というのは明治以降に国民皆兵・・百姓まで徴兵する大義名分のために言い出したメッキみたいなのですから、イザとなれば先祖帰りするのは仕方がないでしょう。
日本ではそもそも武士と武士が戦うものであって、背後の民まで殺したりしないことがルールでした。
武士同士でも大将の首を取るだけであって勝ち負けの結果は家臣には及ばなかったのです。
楠木正成が打ち取られても正成の一族はそのまま残るのでその子の正行の代になるとまた旗揚げしますし、あれだけ激しい気性で知られる信長に刃向かった近江の浅井長政でさえ、これが滅びるとその旧臣達はみんな秀吉の家臣団に入って石田三成を筆頭に活躍出来ます。
戦国時代と言っても、民は戦争に参加しない限りおにぎりを持って丘の上で合戦を見物していた程度ですから、安全な社会でした。
戦国時代でも商人は(貴重な商品を持っているのに)護衛なしの身1つで全国を旅していたことは、いろんな戦国時代の物語を見ても分るでしょう。
義経の物語では行商人金売り吉次が有名ですが、軍団を組んで奥州の金を運搬していた訳ではありません。
日本で商人を護衛しなければならなくなったのは護送船団方式という熟語があるように明治維新以降海外進出・・危険な異民族の世界を旅するようになってからの話です。
我が国では古代から明治まで商人が行商して歩くのに、あるいは商品輸送に一々護衛の武士団を擁してはいません。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。