March 19, 2012「税収2と国債1」以来見て来たように、共同体維持費用は税に限らないことが分ります。
政府の資金源としては同じでも、国民個々人の自由な選択に委ねる点では国債の方がより民主的ですから、増税よりはベターです。
(寄付の方がなお個人尊重になる点については、10/26/03「教育改革22・・・・・寄付と所得税法2(税制の直接民主主義6)」前後で連載したことがあります)
国債だろうと増税だろうと持続可能性としては国際収支黒字の範囲内では無制限で良いとしても、増税や国債発行残高の増加=民間資金の吸い上げは、民間の自由な金融機能をその分だけ阻害しますので、その辺の目配りが必要です。
国債で言えば民間金利よりも高金利にして資金を吸い上げるのは禁じ手と言うべきでしょう。
この点、現在では銀行定期金利よりも約10倍も高金利ですから、民間との競争で勝っているとは言えません。
民間よりも金利等の条件が悪くても買い手が集まる場合には、民間の運用能力の欠如の証明と言えますが、今のところ政府の信用プラス民間の約10倍の金利とすればここで議論すべきは、政府資金源を国債発行によるか増税によるかの選択肢の議論ではなく、官が市場から税または高利で資金を吸い上げることの是非であるべきです。
国債大量発行の問題は、(国際収支黒字の範囲内である限り)投融資先の選別能力として民間の智恵と政府の智恵とどちらが優れているか(税で吸い上げる場合も同じです)の政治判断に帰することになります。
小泉改革は郵貯=財投資金や国債購入資金として官が運用するのをやめて、資金運用を民間に委ねるべきだと言うものでしたが、これまでの実験結果をみると民間に資金がだぶついていて使い道が分らない・・有効利用し切れていない結果が出て来たとも言えます。
金融業界は大蔵省(今の財務省と金融庁)の鼻息をうかがう人材ばかりが出世して来た歴史があって、人材的に問題があることについては、10/21/08「銀行の存在意義11」銀行の信用創造機能低下のテーマで連載して来ました。
小泉改革は郵貯=財投資金や国債購入資金として官が運用するのをやめて、資金運用を民間に委ねるべきだと言うものでしたが、これまでの実験結果をみると民間に資金がだぶついていて使い道が分らない・・有効利用し切れていない結果が出て来たとも言えます。
金融業界は大蔵省(今の財務省と金融庁)の鼻息をうかがう人材ばかりが出世して来た歴史があって、人材的に問題があることについては、10/21/08「銀行の存在意義11」銀行の信用創造機能低下のテーマで連載して来ました。
ただし、自民党政権下で何十年も大蔵省の鼻息をうかがうことばかりで自由に発想する訓練を受けられなかったのですから、小泉改革以来僅かの期間だけで金融界にその能力がないと断定するのは性急すぎる感じがします。
ホンの1〜2年前に官が出資したばかりのエルピーダメモリが倒産してしまうなど、今のところ官の出資による成功例を知りません。
民が駄目だからと言って官の方が投資選択能力が優れているとはとても思えません。
民間の投資・資金運用能力が低いのは、これまで官の指導に頼っていて自主的運用経験が少ないに過ぎず、同じ日本人ですから官だけ突出して能力が高いとはとても思えません。
どうせ同じ教育制度で教育訓練を受けたものなら卒業後何十年も民で能力を磨いた方が、資金運用に関してはいい結果が出る筈です。
日本経済は長年の貿易黒字継続によって、国内では資金不足状態ではないので、(国内運用するには投資家の能力の問題ではなく)無理に貸し込もうとするとバブルになったり無駄な投資になり勝ちです。
国内投資に拘ることこそ、その妥当性を問題にすべきです。