高度化対応の限界1

2012年2月末から3月初めにかけて高度化限界のテーマで書きましたように、製品高度化と言っても結局は単価の問題に帰します。
5月25日紹介したパナソニックの太陽光発電の例のように競争相手よりも0、何%歩留まりが良いと言うだけでは、相手国よりも何倍も高い人件費や公租公課負担では競争になりません。
現在社会では競争が熾烈で、どんなに優れた企業でも競争相手よりも何倍も歩留まりの良い製品を作れるようなことはあり得ませんので、結局はインフラを含めた総合コストが勝負になってきます。
研究開発は少人数で出来ますが、その結果を製品化する現場は大量人員を要しますので、もっとも多く係わる階層の人件費の格差が大きいとやって行けません。
結果的に生産現場労働者の賃金格差は、理論上数%を超えることは殆どあり得ない・・これを放置していればドンドン海外競争に負けて行くしかないことになって行きます。
仮に日本とマレーシアの賃金が数%の格差・・ほぼ同じならば、インフラなどの整備が進んでいる日本の方が工場立地に有利ですが、5〜10倍も賃金差があるとインフラ整備に多少資金がかかってもマレーシアに行った方が良いとなってしまうのでしょう。
こんなことを繰り返しているうちにマレーシアの方がインフラも充実して来るので、(後から作った方が最新式になり先進国のは旧式の設備になります)20年後に同じ賃金になっても2〜30年前の旧式の日本のインフラよりもマレーシアで立地した方が安上がりという時代が来るかも知れません。
ところで、希少原料である希土類でさえも、(中国でしか取れない希土類でも)中国が尖閣諸島問題で日本に圧力をかけるつもりでイキナリ輸出制限したことによって、価格が暴騰してしまいました。
その結果日本では僅か1年で代替商品の工夫が進み、(他方諸外国でも生産が始まり・・)今では中国が自ら貴重な輸出資源の価値を毀損してしまった印象です。
中国にしてみれば「どうだ!」と威張ったつもりだったかも知れませんが、世界中に対して「中国に頼ると怖い・・」と印象づけてしまったマイナスに気がつかないのが中国です。
代替性のなさそうな芸術・絵画や・演技力でもギャラや商品の価格差は品質の差に比例するのがやっとで、その比率以上に高く要求すると客は2番手3番手に流れてしまいます。
演劇を見に行くとき、トップスターの舞台と2番手の舞台が(どちらも時間の都合が良い)場合、チケット価格差が1〜2割差ならどちらに行こうかとなりますが、10  倍も価格差があると二の足踏むのが普通でしょう。
食べ物もウマいものになれば、価格の問題ではないとは言っても、煎じ詰めれば価格次第であって法外な値段になれば別の料理店に行ってしまいます。
2月末に高度化の限界として連載しましたが、現在社会では、(新自由主義経済か否かにかかわらず・・)すべての分野で世界的な価格競争に収斂して行かざるを得ませんので、如何に技術を高度化してもそれによる賃金や公租公課の負担格差が長期的に容認されるのは微々たるものに過ぎません。
と言うことは、我が国の国際比較での10倍単位の高賃金を早期に是正しない限り、国内産業の空洞化は早まる一方になります。
今回シャープが台湾企業の鴻海に資本参加を求めるようになりましたが、技術力が劣っているからそうなったのではなく技術は高度ですが、採算ベースに合わなくなってシャープが参ってしまい、その技術欲しさに低コストで生産出来る鴻海が手を出した構図です。
シャープの例は、空洞化・・労働者の失業どころか海外企業に身売り・・経営陣や本社高級社員の多くまでが入れ変わらねばならなくなり始めた話です。

アングロ・アメリカンルール2(和魂洋才)

アメリカや中国・韓国その他世界中が、大きな声で叫び続ければ勝ちみたいな価値観で生きているので、我が国だけが黙って我慢して「諸外国の公正と信義」を信じて生きて行くのは大変辛いものですが、日本人は普遍の正義(神のさばき)を信じて生きて行くしかありません。
レベルの低い人と一緒になって言い合いするのって日本の価値観から言えば自分のレベルを下げるだけです。
とは言え罵りあい程度なら黙って耐えていれば良いのですが、侵略されるとなれば別ですから、明治以降必死に軍備増強に努めていたのですが、敗戦を機会に本来の日本の価値観に戻るから(侵略戦争であったと非難するならば・・)諸国民も道義に基づいた行動をして欲しいという(皮肉)です。
憲法に「公正と信義」を書いたのは、敗戦時の特異な精神状況化で一時の興奮で書いたものではなく、明治まで持っていた我が国固有の価値観をこのときこそ闡明した(獰猛な欧米諸国も道議に従って欲しいと皮肉った)ものと言うべきでしょう。
幸い戦後現在までアメリカの庇護下にあったので日本は欧米の獰猛な侵略から逃れるための軍備が不要になりました。
「窮鳥懐に入らば猟師もこれを射たず」の実践でアメリカの懐に入ってしまったのです。
その代わりアメリカの許容する範囲であれば韓国も中国もやりたい放題やれますから、李承晩ラインを勝手に引いて竹島を占領したり、近年始まった尖閣諸島問題は中国の発展に応じてアメリカ離れを始めた日本に対する威嚇として裏でアメリカが糸を引いて日中韓の離間策を講じていると見るべきでしょう。
湾岸戦争もフセイン大統領がクエート進行をアメリカに内々打診したらアメリカは問題にしないような信号を出したのでフセインが侵攻を始めたものでしたが、やってみるとイキナリこれを口実にアメリカの攻撃を受けてしまったものでした。
今の世界ではどこの国でも何かするときにはアメリカ政界に根回ししてどの程度まで許容されるか打診してから始めるのが普通です。
例えば我が国のドル売り介入程度の行為でさえ秘密・その国の専権とは言え、アメリカから積極的な協力・賛意は得られないまでもどの程度まで許容されるかなど何の打診もなしでやれるものではありません。
いろんな国際行為にはいわゆる根回しが必要ですが、軍事行動となればアメリカを中心とする世界主要国の対応を内々打診してから行動するのが必須です。
まして、アメリカの事実上の統治下にあった朝鮮戦争中・直後の韓国が李承晩ラインを設定し竹島占領の実力行使をするのに、アメリカの意向を無視してやれる訳がありません。
日韓間の恒久的反感醸成に効力があると見たアメリカが内々ゴーサイン(どころか教唆)を出していたのは間違いがないでしょう。
尖閣諸島問題、南沙諸島問題もアメリカの反応に対する打診抜きで中国が実力行使に踏み切っているとは到底思えません。
この種の世界政治でははっきり意見を言わないのが普通ですが、「それは中国の問題で我が国は関係ありません・・」程度の「お勧めメニュー」を提示していたので中国は強気に出たら、国際的な総スカンを食って困っているところでしょう。
湾岸戦争のフセイン大統領同様に中国を陥れるアメリカの策略に中国が簡単にのってしまったのです。
明治維新以降、植民地にされないように、英米・〜米英の獰猛な価値観に仕方なしに参加して来たが、憲法前文は「諸国民の公正と信義」を信頼して本来の日本固有の価値観に戻ると宣言したものです。
以下、憲法前文からの引用です。

憲法前文(昭和21・11・3・公布 昭和22・5・3・施行)

「・・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

・・・われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

上記のように「誓」ったものの、国際政治は黙って耐えていればとおるような甘いものではありません。
韓国や中国に言いたい放題言われて辛いことは辛い(李承晩ラインや竹島占領なども黙ってきました)ですが、日本が何も主張せずに黙々と国際貢献して来た戦後60年以上の実績、個々の国民の誠実な人柄が、今や世界中でじわじわと信用されるようになっているのも事実です。
(アフガンでもイラクでもイランでも日本の信用は絶大ですよ・・)アフガンゲリラ事件が起きて日本人が被害にあったときにわざわざゲリラ側が日本人を巻き込んだことを詫びる声明を出していましたがそうした信用があります。
まさに憲法の理念が現実化・・大きな声で主張したり暴力に訴える方が恥ずかしいという我が国の作法が世界の紳士淑女の間では浸透しつつあるように見えます。
話がそれましたが、世界制覇している米英流経済活動に参加するしかないとしても、ひどことはひどいことですから、韓国のように、骨の髄までその気になる必要はありません。
我が国は付き合いで参加するとしてもそれは飽くまで方便であるべきで、和魂精神・同胞意識に裏打ちされた緩和策が必要です。
中途半端な市場経済化であっても妥協策である以上、国民にとっては当然不満でしょうし、企業から見ても国際水準にズバリ合わせれない点が不満でしょうが、妥協策とはそう言うものです。
妥協がイヤだとして労働側の主張が強まり生産性以上の高賃金で高止まりしていると、3月3日「デフレと不人気政治」に書いたように、企業には海外移転の逃げ道があるので産業空洞化=大量失業で日本経済は大変なことになります。
3月3日の日経新聞朝刊では、(この辺りの基本文章はこの頃に書いてあったことになります)パナソニックが太陽光発電の変換率を世界最高の24%にするメドを付けたと大きく報じられていましたが、その生産工場はマレーシアに設置するとのさりげない記事になっていました。
パナソニックの巨額赤字転落には日本中でショックを受けたばかりですが、仮に新製品で巻き返して利益面で復活しても国内工場が縮小・廃止して海外生産中心・・逆輸入になれば、国内空洞化・・労働需要の減少は止まりません。
1ヶ月ほど前の記事では本田も九州工場で作っている2輪車を全量海外に移管し国内に逆輸入する計画が発表されていました。

アングロ・アメリカンルール1

ソ連も崩壊し今やアメリカンルールの時代ですから、アメリカが主導する市場経済・金融秩序に組み込まれて行くしかありません。
全面的にどっぷり浸かることではなく、かと言って頭から反対することではなく、表面上取り込み柔軟対応しながらも日本民族の良いところを残して行くことが我が国のとるべき基本方針で明治以来ずっとやってきました。
明治維新の頃には、英米流の弱肉強食の世界政治の時代でしたが、こんなことは道義に反すると主張しても侵略されてしまうのでは叶わないので、開国に応じて富国強兵政策に転じるしかありませんでした。
(アヘン戦争と言う道義に反した戦争を仕掛けられて香港を割譲させられた例を知って、日本の志士を奮い起こさせたことは誰でも知っていることでしょう)
この理を友邦である朝鮮に説いても言うことを聞かず、ロシアの被保護国化して行くばかりなのでついに日韓併合になったのですが、この理は中国に対しても同じで留学生を受入れて熱心に教育して欧米対抗の人材養成に努めて来たのです。
ですから日本統治下の台湾や朝鮮満州では、日本の資金によって基礎教育を熱心に施してきました。
欧米植民地での現地人愚昧化政策とは180度違っていたのです。
これらの教育を受けた人材・遺産が戦後旧日本統治地域でハイレベルの人材を輩出しているのは疑いのない事実と言えます。
英米から米英へ世界の主導権が代わっても、異民族間・あるいは国民間の不信感を助長して対立させてはウマイ汁を吸うアングロ・アメリカン流世界政治の流れは今のところ変わっていません。
(これにウマウマと乗せられて韓国や中国では日本批判が盛んですが、その情報は殆どアメリカ発の印象です)
日中韓が仲良くならないように、鳩山政権が中国寄りになると直ぐにアメリカの示唆を受けて中国は尖閣諸島への強硬策を展開したので、日本人の対中国民感情が決定的に悪くなりました。
(尖閣諸島の個人所有地買い上げを石原都知事が提案すると瞬く間に巨額の寄付金が集まっていることからも推測出来ます)
裏で適当にアメリカが陰で中韓をけしかけているのが明らかですが、こんな単純な「離間の策」に乗ってしまう両国のレベルが低すぎるのを嘆いても仕方ないので、日本も適宜毅然と対応して行くしかないのも現実です。
しかしレベルの低い民族(マア言えばガキレベル)と同等の喧嘩をしていると日本人までレベルが低くなってしまいます。
ある程度鷹揚に構えているのが一頭抜きん出た人物のすることでしょう。
日本は戦後の高度成長期においても欧米の横暴に対してアジア諸国のレベルアップで対抗したいという思いでずっと来ました。
この結果アジア諸国は独立を果たし、(日本軍の進撃は現地人に対する欧米には絶対叶わないという人種意識で凝り固まっていた現地人に対して「自分たちもやれる」という自信を植え付けるのにどれだけ大きな役割を果たしたかは疑いのない歴史事実です)更に工業化への離陸も果たせました。
(その分、植民地を失うことになった原動力の日本に対する欧米の恨みは大きいことを忘れてはなりません)
日本人の農業・水利その他の現地指導は私心のない誠実な仕事が多くて現地からとても感謝されていますが、その分欧米にとっては脅威になっているのでことあるごとに日本を陥れるための風説流布の対象になり易いのは仕方のないことです。
中韓は東南アジアとは違い、日本の技術強協力の結果レベルアップすると、感謝や一致協力よりは、日本に対する対抗心が強いことを利用したアメリカの分断策・・離間の策にのって、背後のアメリカのお墨付きもあって、いわれのない日本非難に明け暮れているのは残念なことです。
20世紀に入ってからも英国主導からアメリカ主導に変わっただけでアメリカのやりたい放題でしたが、アングロ・アメリカンあるいはユダや資本主導のえげつない国際経済・政治の潮流が今回のギリシャ危機を引き起こしてるという認識が広がれば、これを機縁に変わって行くことになるかも知れません。
フランス新政権の新たな実験がどうなるかですが、市場経済万能あるいは金融資本万能・共同体の価値を無視する(共同体や国はどうなっても自分さえ儲ければ良い式の風潮)従来の傾向に修正がかかる方向に行くのではないでしょうか?
この辺は感想を海外収益還流の永続性に関して5月16日に「海外収益の還流持続性5(ギリシャ・フランスの選択)」に書きましたが、大きな思想変化の始まりになるかも知れません。
日本民族の価値観が世界の主流になる日まで我が国はその時々の世界思潮に日本の本質を捨てないまま(和魂洋才で)表面上合わせて行くしかありません。
経済問題でもアングロ・アメリカの主導するルール・・グローバル化・・市場経済化に今のところ合わせて行くしかないので、完全にこれを無視した政策など出来ません。
スポーツ関係でも日本選手が独走し始めると直ぐにルールを変えることが多かったのですが、経済界でもいつもアメリカの都合によってルールが変わります。
自分が無茶苦茶にクジラを捕っていて不要になると今度はイキナリ残虐なことだと日本を標的に禁止にするなど言わば自分勝手も良いとこですが、日本はそれでも黙って調査捕鯨として細々と日本文化を守っています。
日本が明治以来アジアをまとめて欧米に対抗しようとしているのが分っているので、欧米は陰に陽に草の根で人気の高い日本叩きに必死でやって来たのがここ200年間の歴史でした。
喧嘩や論争のルールでもそうですが、我が国の場合、神が見守っていて酷いことをすれば必ず天罰がある・・それまで負けた方が一々言い訳しないことが美徳です。
日本ではいろいろ言い訳・・他人の悪口を言う方が負けの社会です。
第二次世界大戦もイラクのフセインのようにアメリカに仕掛けられて罠にはまった格好ですし、極東軍事裁判も一方的でひどいものですが、これは歴史という神が裁いてくれると信じて多くの国民は黙っています。
無神論と言われるわが国民が崇高な神の裁きを信じているので、滅多なことは出来ないと考える人が多いのに対して、キリスト教国と表向き主張するアメリカの方が現世主義で勝負に勝ちさえすればやりたいだけやれば良いみたいな国民性です。
(極論すれば・・捕まらなければ悪いことをしても良いような国民が多いから犯罪が多いのでしょう)

円高差益還元3

政府は自分の赤字を抑えるために企業の保険等の企業負担率を上げる(実質増税)一方ですから、企業は人件費負担率アップと増税のダブルパンチを受ける状態で約20年やってきました。
これでは、国内に残った企業の利益率低下が必然ですので、(配当期待の)日本の株式市場が低迷するのは仕方のないことです。
ちなみに平成5〜6年ころには1ドル160円前後していたのが、今では80円を割っている(18日のニューヨーク外為市場では79円01円でした)・・ドル表示での実質給与は2倍になっています。
グローバル化に合わせて実質賃金を引き下げなければ国際競争に適応して行けないのですが、これでは逆張りも良いところです。
同じことは政府収支にも言えますので、デフレになると名目政府歳入も縮小し、バランスが悪くなるので保険その他法人負担率の引き上げに躍起です。
しかし、給付削減努力をせずに企業負担ばかり上げて行くと、企業経営者に愛国心があっても限度を超えれば中国人並みに「対策」するしかないでしょう。
政府に強権に基づく「上に政策あれば下に対策あり」というのが中国の処世術ですが、我が国もこうした不公正・アンバランスな政策累積の結果、輸入差益を受ける企業・消費者と輸出差損を受ける企業に分かれると、損をすると思う企業が海外に逃げるしかなくなっていることになります。
(冗談ですが・・)政府も企業並みに租税回避地・・タックスヘイブンに移転できれば、財政赤字問題がなくなります。
政府の財政赤字問題・累積1000兆円に及ぶ国債発行残高は、デフレ下での従来基準での支出維持の累積によるものですが、産業界にもこのくらいの負担を押し付けて来た結果・・企業も実は1000兆円の負担増加分を必死に企業努力で消化して来たと言えるかも知れません。
企業は政府のように無責任に赤字を累積し、転嫁出来ませんので、海外展開してその儲けを国内還流することによって何とか損失(為替差損)の穴埋めで凌いで来たことになります。
トヨタで言えば、日産や本田のように海外生産比率を上げて行けばもっと利益率が上がる筈ですが、これをじっと我慢して国内工場を維持して高賃金を負担して来たことによる累積損失額は膨大です。
ホンダ、日産だって(その他各種業界も)トヨタほどではないにしても国内に踏みとどまるための努力をしているので、これら国内総企業の負担(利益の食いつぶし)を足せば、政府赤字以上の負担をして来たことになるように思われます。
我が国・先進国の場合、為替相場に賃金水準その他支給を連動させたとしても、それで終わりではなく、さらにグローバル化以降の世界賃金平準化に合わせる努力をしなければ国際競争に遅れを取ってしまいます。
グローバル化・低賃金国との競争がとどめようのない経済の流れであることについて、日本一国が反対しても阻止することは不可能ですから、ある程度適応するしかないのも現実です。
これに対する解決策が非正規雇用の拡大(・・下方硬直性のある賃金相場が市場連動性になるメリット)ですが、これがあまりにも急激すぎると国民意識がついて行けず、国民が不幸になります。
我が国の場合、世界最大の蓄積があるので焦ることなく時間をかけてやってるうちに、他方で一定の技術高度化対応・適応が進むメリットもあります。
ちなみに昨日の日経夕刊によれば昨年我が国の対外純資産が更に増えて過去最高になっているとのことです。
余りドラスチックにグローバル化=国内賃下げ・あるいは解雇・失業と言う早い進行ですと国内で国民が高度化適応努力するヒマさえありません。
ついて行けないで失業してしまった労働者はやる気をなくしてしまい、民族の消長にもかかわりかねません。

円高差益還元2

現在でも年金給付に関しては物価変化に合わせて支給額を上下出来るスライド制になっているのですが、政府が大衆迎合的に、長年(約20年に及ぶ)のデフレ分に合わせた給付引き下げを停止したままにしていて、この分も年金赤字増加の原因になっています。
デフレになって名目支払負担金拠出額が減れば支給も同率で減らすしかないのが当たり前ですが、(例えば物価が半額になり給与も半額になれば生活保護費や年金、子供手当なども半額にしないとバランスが崩れます)支給額だけそのままにしていると収支アンバランスになるのは当然です。
我が国の場合、既存労働者の人件費が下がらないので彼らに関しては年金や保険等負担額は変わらないとしても、その代わり新規採用を抑制する結果正規雇用者が減り続け、非正規雇用広がって行くと、総体としての総人件費が下がる・・国民負担額が減って行くのは当然です。
年金赤字問題は天引き給与者・支払者の減少に基本的構造問題があって、少子化の問題(これは主として将来の問題です)だけではないとSeptember 29, 2010「高齢者早期引退と若者正規雇用(1)」・・最近も収入源が労賃よりは資本収益比率が上がっているテーマ「海外収益還流持続性1(労働収入の減少1)」で5月5日に
書いたことがあります。
非正規雇用者に保険加入強制して年金・保険料等を徴収するようにしたいのが政府の方向性ですが、そうなっても、彼らの収入が低いので、大したことにならない・・結局年金や保険等の収入は、日本総全体の人件費・支払額にかかっています。
グローバル化以降中国等の低賃金国との競争上、正規雇用者の賃金は下げる必要があるもののこれが出来ないので、新規雇用を抑えて非正規化することによって総体の平均賃金の低下を目論んで来たのですから、日本総体の賃金総額はバブル期に比べてかなり下がってることは明らかです。
(減った分は資本収益・・これは年金や保険の原資になりません・・で補っていることを書いてきました)
それなのに各種給付(年金に限らず医療保険その他も同じです)だけはそのときの基準のままでは、収支の計算が合わなくなるのは当然です。
すべからく為替連動性にすれば、為替変動に対して中立・収支のバランスが取れて公平です。
輸出品を為替変動前のドル価格で売っていると、円高になれば、その分円の手取りが減りますので給与水準がそのままになっている企業が苦しくなるのですが、保険や政府収支もデフレで名目収入が減れば、保険・年金支払者も減るし納税者も減ります。
この逆をやりたがっているのがインフレ待望論で、物価が2倍になっても給与や年金等支給額借金(政府債務)返済額がそのままなら支払う方が得すると言う前提です。
言わば、円安・インフレ待望論も為替相場に給与その他の支給額を連動させない不公正な仕組みを前提にした議論です。
為替相場によって差益のある方と差損のある方がありますが、為替が上がったり下がったりの繰り返し・・5分5分なら公平ですが、我が国の場合、ずっと円高傾向ですから、一方的に企業や組織(政府など)の下方硬直性のある支払側が不利で従業員や需給者が得する関係が何十年も続いてるのですから、結果不公正に違いないでしょう。
円安・即ち国力低下を期待(為替相場は経済力で決まるので期待すれば円安になるものではありません)するよりは、為替変動に対する中立制度の構築努力こそ現実的ではないでしょうか。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。