現在の香港人の殆どはイギリス領香港になってから移住してきた人たちの子孫です。
中国に関係ない遠隔地のシンガポールにイギリス領になってから移り住んだ人たちと同じ境遇です。
シンガポールがいきなり中国に占領されてあるいは割譲されて中国支配下に入るのと同じような関係と見れば香港人が本土との一体化に嫌悪感を抱いている気持ちはわかる気がします。
元は同じ地域出身であっても、違った成長を遂げて違った価値観を持つようになった一団の人々が出来上がっているのですから、外部の力関係で元の団体と合併しろと言われても無理があるでしょう。
西欧で言えば元は同じ人種的ルーツが同じ?でも、長い間に民族ができ上がって別の国に分かれてきたように今の中国人民と、ベトナム人、シンガポール人は元は中国大陸から流れてきた人が多くても今更中国と合体したいと思う民族はほとんどないでしょう。
香港が中国本土と切り離されて、まだ200年経ちませんが、その間に価値観で言えば一方は共産主義から独裁主義=不自由主義で他方は自由市場主義の権化みたいに変貌してまさに180度逆方向を向いてきました。
価値観において水と油のような関係になっている香港の中国一体化は、香港住民の祖国復帰の願望によったものではなく住民意思と無関係に決められたものです。
例えば、リトアニアがドイツ支配下にあったとした場合、ソ連とドイツの取引によって今後はソ連領になったと言われたようなものといえば言い過ぎでしょうが、英国領と中国領のどちらがいいかについて住民意思を無視したまま決められた点に大きな問題があるようです。
先進地域の高度な生活に慣れた香港人やシンガポール人が、後進国中国人民と同じ待遇を強制されるのは喜ぶどころか嫌でしょう。
戦時中空襲等の危険から避けるために東京の子供が田舎に疎開して地元の子供と同じ生活をするのが大変だったことが知られていますが、命がけなので仕方なかったのですが、(受け入れる方も大変だったでしょうが)これです。
進んだ都会で田舎の子供を預かると田舎の子供は大変な思いをしても、進んだ都会の生活・都市文化を身につける進歩の喜びがありますが、豊かな生活から数十年以上遅れた非衛生な生活習慣を強いられる方はたまりません。
目に見えないものですが、自由の雰囲気あるなしも重要指標です。
農村の嫁不足が一時期大きな話題になったことがありますが、その一因として田舎の生活は窮屈だというものがありました。
窮屈とは何かですが、田舎の人はうるさすぎる・・着ているもの一つでもあんな格好してとかケチをつける?これがイヤだというのですが、結局は不自由ということでしょう。
11月末頃に環境等の数値を含めた社会価値の向上力でいうと中国の過去のGDP上昇率は、何分の1になり日本上昇率は何倍かに変わったと紹介されていましたが、その中に自由な表現のできる国かどうかの指標はなかったでしょうが、生活豊かさ指数であれば大きく影響がある項目でしょう。
同じ生活水準ならば、表現自由度が高い方が、気持ちが良いものです。
1000万円の年収入が800万円に減る程度で済むなら人に使われるより独立したいのが人情と言われる所以です。
リストラ→M&Aによる企業や営業譲渡契約では雇用維持を決めるのが普通ですが、労働条件というものは経営環境に応じた変更は避けられません。
老舗企業がジリ貧で買収される場合は概ねぬるま湯的好条件職場が多く、買収する方はハングリー精神で脇目も振らずに猛烈型で頑張ってきた企業が多いと、契約で雇用維持を決めても買収された方の従業員にとっては労働環境が厳しすぎるので歯が抜けるように出て行く傾向があります。
香港のように地域丸ごと・施政権譲渡の場合、50年間経過措置があるとしても香港と大陸の生活・文化・自由度等々の格差が縮まらない限り、完全統合した場合かなり厳しい結果にならざるを得ないでしょう。
ここで11月17日「都市国家2」の続き・都市国家と周辺地域住民関係に戻ります。
都市国家そのものではないですが、ドイツと西欧内の経済的関係では、香港と中国本土、シンガポールとマレー半島の関係に似ています。
ドイツは欧州内で日本の東京や大阪、名古屋のような地位を占めているのに他国(日本で言えば地方)へ所得再分配しないママ・・経済的な矛盾放置がEUの弱体化(不満)につながっていることをEU関連コラムで書いてきました。
西洋社会は古代都市国家形式の地中海・ギリシャ・ローマの歴史をモデルとしているので、都市を囲繞する城壁外の土着民との一体感がない支配被支配の対立構造が基本です。
(イギリスの場合ノルマンコンクエラーを歴史で習うので多くの人が知っていますが、西欧全体が支配者と現地人とは民族が違う社会です)
ドイツと南欧諸国とは都市国家と周辺住民関係そのものではないですが、異民族対応・異民族の面倒まで見る必要があるか?という意識の点で類似です。
地中海で発達した都市国家(正確には国家とは言えないでしょうが、利害共同体の単位のことをここでは書いています)では土着民は城壁内の市民とは明確に区別されている野蛮人・未開人扱いでした。
現地土着民は城内・市場取引を取り仕切るボス=中国では「王」発行鑑札を持っているいわゆる出入り許可のある者だけが出入できる仕組みでした。
市民とは「市場取引参加資格のあるもの」というのが語源だと思いますが、日本と違い異民族地域に商人が進出した当初は、船から降りない船上取引だったようです。
(車での行商がほぼ決まった日時に特定場所を巡回するようなもの)
そのうち、現地小屋掛に似た拠点が固定されるようになると襲撃を避けるための柵と城戸(木戸)が発達します。
臨時駐屯所が、年中所在する常設になると単なる砦から市場取引に参加する商人の日常生活に必要な食事準備や衣類等々の世話する者や、倉庫等々の関連人員が住み着くようになりその時代に必要な自給自足的生活を賄うに必要な程度の人口集落になります。
こうなると本格的な城壁が必要となり城門ができてきます。
この段階に至れば、いわゆる都市国家の原型でしょう。