前回みたようにフローの収入だけでなく、過去の蓄積を合わせて総合判断しなければ国民の実際の経済力を知ることが出来ませんし、適切な政策判断が出来ません。
世上高齢者=弱者とする既定観念が支配的ですが、フロー収入だけでみればそのとおりですが、日本のように長期にわたる成長期を経て来た国では、好調期の蓄積が高齢者に偏っている実態を直視しない考え方です。
フロー収入の少ない安定成長期では世襲財産の価値が大きくなりますが、江戸時代で言えばその代わり隠居制度があったので、次世代は家督を継ぎさえすれば安心でした。
家督を継げるまでは部屋住みで不安定だったのは今の若者と同じです。
ギリシャローマの昔から、このために男性は中高年(それまでは貴族の子弟は軍役・兵營生活・今でもイギリスの皇族男子は軍務についています・・ですから修道院に入ったのと結果は同じでした)になってやっと結婚出来たので、未亡人が若いツバメと恋をする物語が多いのです。
(欧米ではオナシス・ジャクリーヌ夫人の結婚やグリーンスパン元議長のように7〜80代で若い女性と結婚する例が今でも多いのはこの歴史があるからです。)
ただし江戸時代では、日本独特の知恵があって、親は隠居しなくとも子供をお城(よく知られている所では身分の高い武士ではお小姓として始まります)や役所に出仕させて仕事を手伝わせる仕組みがあったことを02/20/04「与力 2(ワークシェアリング)」のコラム以下で与力・同心の例で紹介しました。
農家・商家・職人や芸人でも息子が家督を継がなくとも農業や家業の手伝いをして充分な戦力でしたし、年齢が来れば結婚する仕組みでした。
隠居した高齢者には(隠居分を取りのけておけるほどの資産家以外では)収入源がなくなり家督を継いだ次世代の出方次第で食うや食わずになったことをSeptember 27, 2010「高齢者介護と外注1」以下で、隠居した老人の生活は悲惨・・(姥捨ての基礎)であったことを書きました。
また、September 13, 2010「能力社会の遺産価値」以下でフロー収入中心の高成長時代には遺産価値が減少して行くことを書き、逆に成長の停まった静的社会では遺産価値が高まって行くことをMay 10, 2012「労働収入の減少4(遺産の重要性1)」前後で連載しました。
いまでは家督相続・生前の隠居制度がないので、高齢者が自宅その他の資産を死ぬまで保持したままで、次世代は親が死ぬまで(生前贈与以外に)何も受け継げません。
戦後は高度成長の連続だったのでそれで何も問題が起きませんでしたが、低成長時代になると蓄積資産の活用が出来るかどうかで大きな差が出る時代です。
このために生前贈与を促進するための税制(直系卑属への自宅取得のために贈与の特例)が時限立法で出来たあと期限が来る都度延長されている状態です。
景気対策立法として始まったので時限立法になっていますが、何回も延長していることから分るように、低成長時代の世代間所得移転のための制度としてみれば半恒久的立法であるべきです。
(ただし、相続時精算課税制度は相続税法中に書かれているので恒久法になっています)
話がずれてしまいましたので元に戻します。
ところで、国内総生産の増加率や絶対量を国力を表すものと誤解している人が多いと思いますが、中国など住宅やインフラの未整備な国は、どろんこ道に砂利を敷いたり掘っ立て小屋を壊して普通の住居を造るだけでもこれが国内総生産にカウントされるので、必然的に年々上昇して行きます。
中国では新幹線事故に限らず、作ったばかりの橋が壊れてしまう、建てたばかりのビルが傾くなどの例が繰り返し報道されていますが、失敗して2回同じものを作れば国内生産が2倍になる仕組みです。
成熟国では、住居その他のインフラが充実しているので、こうした新設需要が少ないので、結果的に国内総生産の比較方式では成長が低調になるのは当然です。
立派な屋敷に住んでいて演劇を100回見た人よりも、最低生活をしながらでもその年に最低の安普請でも自宅を新築した方が国内生産額が増えます。
東北大震災で仮設住宅を一杯建てたり瓦礫処理しているだけでそれらがすべて国内総生産にカウントされるのですから、国内総生産額を基準に国力を比較している風潮は国力の一面しかみていないことが分るでしょう。
国債が増えれば次世代に借金を残すという議論は、国債保有者のプラス資産も次世代に残る側面を捨象しているのと同様で、復興需要で仙台の飲み屋が潤う裏側で家や家族を失い悲しんでいる人がその何倍もいるのです。
自宅の新築などは大分前に卒業して小さな盆栽を楽しみ、演劇や音楽を楽しんでいる人が多い社会では国内総生産が低くなりますが、まだ砂利道を造ったり新たに鉄道を敷設している状態の国とどちらが実際に豊かな生活かは明らかです。