国際収支と財政赤字2

(昨日)7月22日に書いた結果分ることは、政府支出を税収で賄うか国債で賄う(財政赤字)かによって国際収支が赤字になったり黒字になったりする関係にない・・税と国債の収入源の違いは内部分配問題に過ぎないということです。
「財政赤字が累積すれば大変なことになる」かのようなムード的マスコミ報道は論点のすり替えであって危険な世論誘導です。
(その結果殆どの国民は「このままではギリシャみたいなことになるので増税は仕方がないか・・」と思うようになっています。)
財政赤字と国際収支赤字とは全く別物ですが、ギリシャや南欧諸国危機では財政赤字と国際収支赤字がたまたま一致しているだけのことで、我が国には当てはまりません。
日が照っているときに火事があった場合、火災の原因が日照によると報道したら笑いものではないでしょか?
南欧危機は我が国とは全く違う局面なのに外形が似ていることだけを理由にマスコミは増税路線に協力するために危機感を煽っていることになります。
実際に南欧と我が国は似た問題ではないどころか逆の関係であることは、ギリシャ南欧危機局面で我が国の円が連れ安にならずに逆に急騰していることから見ても、世界中の大多数が私の意見と同じであることが結果として証明されています。
国際収支に関係のない内部問題として政府の資金源を税に求めるのが良いか、どちらが優れているかについては、お金の使い道のない人がいるならば、彼らに任意に拠出してもらい政府が預かって(国債や郵貯など)有効利用した方が合理的で景気対策にもなることを/2012/04/29/ 「税と国債の違い2」まで書いてきました。
個々人は使い道が分らないので銀行・保険・投資信託等に預けるのですが、銀行や機関投資家(年金運用も含む)が国債利回り以上の有利な運用を仕切れないときに、余剰分を国債引き受けに逃避することになっています。
要するに国債以上に有利な運用先がない場合・・余った資金の逃げ場になっています。
税の場合、国家や公共団体で使うよりも、もっと有効利用出来る人や企業からまで強制的に資金を吸い上げてしまうので、民間活力を殺いでしまうリスクがあります。
国債を資金源にする場合、国債金利以上に有効利用出来れば国債を買わなければ良いし、その金利まで稼げなければ国債を買えば良いという国民の自由判断・・能力相応の選択によります。
(以下はみんな一律の能力を前提とする意見ではなくばらつきがあるものの、結果的に、100の発行に対して80しか引き受け手が出ないとか逆に120の引き受け手が出るという全体の傾向を書いています)
今では日本国債金利は1%以下に沈んでいますがそれでも引き受け手が多いのは、民間にはそれ以上の利回りで運用する能力がない人が多いことを証明しています。
逆に金利を数%に上げても買い手があまりつかないような国・あるいはそのような事態が起きた場合には、国民が自分で有効利用出来るから、国債購入に多くは向かわないのです。
政府が国債では買い手がつかない、人気がないことを理由に税を徴収する場合、自分で有効利用出来る国民が多いのにその資金を国が無理に取り上げて政府が使ってやると言うことですから、自由主義経済国家の経済原理に反しています。
あるいは資金が余っているのに国民の多くが外債を買って国債を買わない・不人気の場合、政府の信用がない・・政府が国民から資金を集めて国民に代わって支出することを国民が望んでいないことを市場が明らかにしていることになります。
将来的に国際収支が赤字になるのを心配するのは当然ですが、それは財政赤字の額の大小によるのではなく生活水準をどこにおくかによって、国際収支が赤字になったり黒字になったりする関係です。
経常収支黒字を維持するにはどうすれば良いかですが、それは家計同様に収入(国際収支均衡)の範囲内で生活することが肝要と言うに尽きます。
たとえば道路を石張りにするもしないも、国際収支黒字の範囲で石材を輸入していれば経済危機が来ませんが、貿易赤字を無視してまで石を輸入して贅沢な舗装していると、道路補修資金を税でとろうと国債で賄おうと国際収支が赤字になる点は同じです。
今後仮に国際収支の赤字構造が定着すれば、火力発電用の原油や天然ガス輸入が増えたから赤字は仕方がないと気楽に言っていられなくなります。
緊急停電の危機克服のためではなく、(供給力があっても)国際収支上の観点から電力使用節約(原油等の効率利用)がその内至上命題になって来る筈です。
(増税した資金で電力料金の半分を仮に補助しても、原油等輸入量が変わらない限り、国際収支赤字要因はなくなりませんから、補助金の資金源が増税か国債によるかの関係ではないことは誰でも分るでしょう)

国際収支と財政赤字1(国債の外国人保有比率2)

1家の経済で言えば、家族内の貸し借りだけにしてよそから借りてまで(一家の総収入以上の)豊かな生活をしないようにするために、外国人による国債引き受けが必要になった時点で緊縮経済に切り替える仕組みにすれば健全です。
政治的に見ても外国人の出資を受けなければ、外国人の意向に左右されなくなるメリットがあります。
外国人投資家に国債を引き受けさせない・・あるいは一定保有率以上になったら国債発行を出来ない制度設計にすれば国内資金で賄える限度しか政府支出が出来なくなりますし、国内資金の限度で賄っている限り国債残高がいくら膨らんでも対外経済上(デフォルト)の心配は全く要りません。
国債発行残高問題の論点は、財政赤字になるか、その額が大きいかどうかではなく、当初引き受けだけではなく転売後も含めて外国人保有比率をどうすべきかこそを議論すべき事柄です。
ただし、国際政治上我が国だけ外国人保有禁止を出来るかの配慮は別に要りますし、国民が買った後の転売・名義貸しを考えると法的禁止まで進むのは無理があります。
そこで実質的外国人保有比率を何%まで認めるかの政策判断・・何%を超えたら、新規国債発行を禁止するガイドライン・トリガー制度が必要となります。
無制限に外国人比率を上げて政府が安閑としてることになれば、そのような制度設計こそが危機管理として問題ですから、これをマスコミが報道すべきことです。
これまで約40年くらい連続して国際収支黒字でしたが財政赤字が累積している現状に明らかでなように国際収支が大幅黒字でも、税を取らずに国債で賄えば財政赤字ですし、税で国費を全額賄っても国際収支の範囲を超えて国内で消費すれば国際収支は赤字になります。
国全体の収入以上の生活を政府が保障しているとその差額資金が税収によるものであれ国債であれ結果的に国際収支が赤字累積になります。
何回も書いていますが、一家の総収入の範囲内の生活かどうかが重要であって、一家の総収入(40万円)以上の(50万円の)生活をするために自分の収入30万円に加えて息子から20万円を生活費として借りたことにしている場合に、強制的に(税として)20万円取るように変えても、一家の総収入が赤字であることは変わらず、いつかは家計が破綻してしまいます。
この逆に総収入の範囲内であれば、息子からの借金名目の数字が如何に膨らんでも健全性が変わりません。
「負債を次世代に残すのか」という報道も多いですが、親が死ねば相続人である息子の貸金が相殺によって、ゼロになるので何の問題もありません。
国家経済も同様で、赤字国債が如何に巨額になろうとも、その債権者も自国国民に限定していれば次世代はその債券を相続しますので、差し引き零以上の遺産を受け継ぐことになります。
この辺の原理については7月15日の「マスコミによる世論誘導の害2(不毛な財政赤字論1)」前後のコラムで紹介しました。
国民が債券相続出来るかどうかの意味でも、外国人が債権者の多くを占めているとその前提が崩れますので、外国人保有比率をどうするかを考えないでノホホンと発行を続けるシステムであると問題が大きくなります。
外国人保有比率の限度に関する内部ルール策定こそが喫緊の課題であり、これの議論をしないで財政赤字額の大きさだけを議論しても意味がありません。

国債空売り2(国債発行限度)

外人投資家の売り攻勢の場合、結果的に外人が保有していた国債を円紙幣に変えるだけのことでしかなく、この場合円をドルに換えるでしょうから(日本の国際収支赤字継続→資金不足の場合しかこう言う事態にならないので)結果的に円が下がる循環となります。
外人投資家による国債売り浴びせがあってもその効果は円下落に行き着く・・円の投機売りとほぼ同じ効果に帰します。
国債の投機売りが発生するときには円相場の大幅下落が予想されるときしかないことですから、投機筋にとっては国債で投機売買するよりは為替の投機売買を仕掛ける方が簡単でしょう。
このようにみて行くと以前から書いているところですが、国際収支の黒字を継続している限りいつも資金余剰ですから円安に振れる心配がない・・ひいては国債の暴落・投機売り圧力もあり得ないことが分ります。
ところで、国債の売り浴びせは満期前に限定されますから、期中の債券相場が下落すれば、下がり切るのを待って外資に投資していた日本人が(こういうときには円がジリジリとあるいは急激に下げているので、外資に投資していた人はドル高などでそれだけでも大もうけしています)外債を売って相場の下がった日本国債を買い受ければ満期に高利回りで回収出来るので大もうけ出来ます。
実際には、日本人でももっと下がると思って簡単に買いを入れてくれない弊害がありますが・・。
この原理を利用するために日本人が日本国債ばかり買わないで外資にも振り向けておくべきだ・・そうすれば危機対応資金・安全弁にもなるという意見を02/25/09「国債引き受け先の分散12」までのコラムで書きました。
そのときには円が暴落していますが、下がった相場×下がった円で受け取る外国人保有者が大損するだけで、売り浴びせに参加しない・下がり切ったところで上がったドルを円に換金して買う愛国心の強い日本人は何の損もないでしょう。
ちなみに、国際収支赤字の連続→円安になれば、日本人全体の保有資産(殆どが円建てです)がドル表示で目減りしますので大損となります。
マスコミは何故か円安期待論(ばかりの紹介)ですが、外貨建債券をかなり持っている人でさえも自宅・各種会員権を含めて9割方以上の資産は国内にあるのが普通・円建てですから、円安になって得する人は皆無に近い・・大損する結果となります。
日本人のための日本経済について心配すべきは円の下落・・暴落を防ぐこと・・・貿易黒字→経常収支黒字をどうやって長期的に維持するかの問題です。
国際収支が黒字である限り社会保障費等を寄付や国債で賄うか税で賄うかの問題は,国民が心配するべきほどの問題ではありません。
逆に国債収支が長期的に赤字連続であれば、100%税で賄っていても日本経済は立ち行かなくなります。
国民の生活水準をどの辺におくかは,国際収支トントンを基準に考えるべきであって,これを無視して税で取りさえすればいくら生活保障を引き上げても良いとはなりません。
財政赤字かどうかはコップの中の嵐同様で、国際収支赤字になるか黒字になるかには関係がありません。
一家で言えば息子や娘から生活費として月額各5万円強制的に徴収する分を徴収しないで貸してくれと言って受け取った合計10万円と親の収入30万円の合計40万円で生活している場合、その家計の健全性は、一家の総収入と総支出にかかっていて合計支出40万円以内ならば健全ですし、40万円を超えて50万円ならば赤字です。
子供に対する同額の強制徴収(税)に切り替えても、毎月50万円の支出のままだと赤字の累積になってその内に危機が来る点は同じです。
現在の財政赤字を心配する論議は,子供達から強制徴収するか、借りたことにして生活費を出させるかのコップ内の議論に過ぎず日本経済の健全性には何の関係もない議論です。

国債空売り1(円相場下落)

国債の場合満期まで償還する必要がないので、いくら空売りがあっても政府自体は1つも困りませんが、期中の売り浴びせは国債の市場相場を下げる=金利上昇をもたらすので国内金利市場での影響が生じます。
ただし国内資金あまり状態下で空売りをやっても、少しでも(債券相場が下がり)金利が上がれば資金の持って行き場のない国内勢の余剰資金での買いが入りますので、空売りは失敗に終わります。
空売りが成功するのは資金不足状態・・長期的国際収支赤字が続いている結果対外純債務国に転落している場合に限られます。
国債破綻問題・・心配があるとすれば長期的国際収支次第であって、国債の残高の多寡に関係がないと繰り返し書いている所以です。
長期的国際収支赤字継続の結果、もしも国内資金不足状態に陥ると、政府にとっては満期償還資金を手当てするための借換債を発行したくとも、その引き受けが滞る・・あるいは額面を大幅に割り込まないと引き受け手がなくなる・・金利負担が高まる心配がありますが、この場合でもその分を日銀引き受けにすれば解決します。
日銀直接引き受けの場合、その紙幣が政府に入り、政府が満期の来た国債の支払に回すので結果的に同額の紙幣が市中に多く出回ります。
これが従来理論では紙幣大量発行は紙幣価値を下げ(インフレ化)ますが、我が国の場合、消費成熟国ですので紙幣が多く出回っても物価が上がらず、再び銀行へ還流して行くか海外流出して行くだけです。

この辺の理は、2012/03/30「日銀の国債引き受けとインフレ3」2012/03/31「日銀の国債引き受けとインフレ4」前後、最近では2012/06/19「新興国の将来11(バブルとインフレ1)」のコラムで書きました。
国際収支赤字継続の場合,その赤字分だけ紙幣が足りなくなるので貿易決済に使われて、これがひいては円安に連鎖して行きます。
貿易黒字下では紙幣が還流した銀行では、低成長経済のために投資先がない・・使い道がないので会亜害で資金不足で困ってるところへ貸し付けるか(我が国は最低金利ですから海外勢は日本で借りて高金利の海外で運用すれば儲かります)国債を買うしかないので、次からは国債引き受け資金不足が起きません。
18日に書いているように中央銀行の金利政策は結果の追認または先取りでしかなく、今では金融政策と言えるのは、量的緩和くらいしかない状態です。
しかし、量的緩和の一環として発行済国債を市中から買い上げる日銀のいわゆる買いオペはしばしば札割れ・・応札不足になっているのは、資金余剰のために市中では国債を日銀に買って貰って資金を獲得する必要がない状態を表しています。
タマタマ今日の日経朝刊15面には,札割れが解消しつつあることを紹介していますが、これは日経新聞の解説・・日銀の応札条件変更によるだけではなく,ここ1年程度貿易赤字が続いている結果,我が国の資金余剰が緩んで来た(余っている資金が減って来た)経済状態を表しているのかも知れません。
これまで日本は国内不況とは言え,長期に及ぶ国債収支黒字の継続の結果,民間では資金余剰で困っているのに量的緩和をしても余計だぶつくだけで意味がなかったことを表しています。
以上が長年資金余剰であった我が国の現状ですが、もしも今後長期的国際収支赤字が続いた場合、輸入代金決済資金不足状態に陥りますから、国内企業が輸入代金決済のために銀行から借りる需要が継続的に発生します。
貿易収支赤字分だけ紙幣が戻って来ない・・市場に出たままになり、この円でドルを買うので円相場がそれだけ下がります。
国際収支赤字によって円相場の下がった分に比例して輸入代金が上がるので、結果的に輸入インフレになります。
マスコミでは頻りにデフレ脱却が必要・・インフレ目標設定が必要などと騒いでいますが、グローバル化時代では1国だけの金利政策で出来るものではありません。
国際収支が黒字である限り円は上がり続けるしかなく、ひいては輸入品は下がり続けますので、国際収支赤字にならない限り輸入物価が上がらない仕組みです。
デフレ脱却期待論・・最近では緩やかなインフレ目標論は、国際収支の赤字定着期待論・一種の亡国期待論と結果が同じになります。

国債相場2(金利決定)

国際収支赤字が続く国では資金不足になるので決済資金のために外資が必要となり外資導入のためには金利が上がる(為替相場は下落する)しかないし、黒字国は資金が溜まるばかりで使い道がないので金利が下がるしかありません。
世界一の資金余剰国である日本が世界最低金利でここ20年ばかりやって来たのは、日銀によるゼロ金利策の結果ではなく実勢の追認でしかなかったことになります。
(余った資金の運用のために高金利国に資金が循環して行く・・これが長年アメリカ財務省証券へ還流していた仕組みです)
金利は実勢(需給)に従うしかないとすれば、日銀が基準金利を上げたり下げたりしているのは、シビアーに言えば自己満足的なお遊びみたいなものに過ぎません。
従来「公定歩合」と言っていたのを10数年前に「基準金利」(相場はこんなものという発表程度)と改めたのはこれを表しているのかも知れません。
この1週間ほどロンドンのライボー(LIBOR)指標が不正操作されていたことが明るみに出て騒ぎになっていますが、実際の銀行間取引がいくつもあってその結果報告をさせて、ライボーはその結果報告を加重平均して指標にしていたに過ぎません。
言わば日銀・中央銀行の決定する金利は市場での資金の需給を感覚的に受け止めて(報告させているのでしょうが・・)指標化しているのと似ています・・中央銀行の機能は今ではその程度の効能に過ぎないと見ることが可能です。
インフレになると引き締めのために中央銀行が金利を上げると言いますが、好景気=資金需要が盛んですから、放っておいても実勢金利が上がってくるのですからその追認または先導をしているに過ぎません。
景気対策として金利下げをするのも同じで、不景気になって資金需要がなくなってくると市場金利が先に下がって来るので放っておいても同じと言えば同じです。
ただし、需給によって自然に上下するのを待っていると金利はいつも後追いになるので下降局面では資金繰りが苦しくなるし、上昇局県では金利上げが後追いになるので過熱し過ぎます。
このために中央銀行が早め早めに調節している面があります。
天気予報が実際の天気より早いからと言って、気象庁が雨を降らしたり風を興しているのではありません。
もしも実勢と乖離した金利決定をしたら、市場からブーイングが起きるでしょうから日銀や各国中央銀行には実は裁量権が殆どない・・少し市場の動きを先取りすることが出来るくらいしかないのです。
株式の場合は公開市場での売買ですので操作余地がありませんが、為替取引や銀行間取引は、個々の銀行間での相対取引の集合ですから、銀行が日々の取引結果を虚偽報告していたら実勢と乖離してきます。
これが中央銀行の示唆(誘導)で行われていたとしたら、・・・と言うのが、今回のライボーを巡る大騒動・・大きな関心を持たれている理由です。
元々中央銀行は実勢そのものの発表だけでは存在意義がないので高め低め誘導するくらいしか機能・役割がないのですから、正々堂々と誘導していると言えば問題がないのですが、その代わりライボー相場金利が信用出来なくなり誰も使わなくなるでしょう。
株式相場が真実の取引価格ではなく当局の都合で潤色されて発表されているとしたら、大変なことになりますが、ライボー疑惑もそう言う問題です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。