次世代の生き方2

社会全体を一人の人間の生き方に縮小してみれば、日本その他先進国は
「既に家も建てたし道路や公園も綺麗になったし、(美術館・娯楽施設等も充実している)貯蓄もあるし後は年金で収支トントンのゆったりした生活さえ出来れば良い」
「一定の貯蓄もあるし良い年をしてそんなにがつがつ働かなくても良いんじゃないか!」
という状態です。
社会全体が個人の一生で言えば高齢者になったような状態ですが、社会の場合、一人一人で見れば高齢者だけではなく、若い人も一杯いるので彼らとしては達観していられないのが苦しいところです。
高齢化社会の生き方論は、現に高齢化している人にとっては古来から言われる「晴耕雨読」・・趣味の充実もう一度大学へ行き直すなどすべて余裕のある良い話です。
しかし、若い人にとっては仕事に役に立たない趣味のための勉強と言ってもピンと来ないし、親の家もあるし自分が食うだけ(結婚すらしない場合、文字どおり自分の食うだけです)稼げば良いのだから「小遣い程度稼いで後は遊んでればいいよ」と言われても困ります。
余程ハイレベルの趣味に生きられる一部人材を除いては、体力を持てあますし・・枯れた葉っぱ(老人)は腐葉土になるが、青い葉っぱは積み上げておけば腐るだけという現実があります。
社会インフラの充実した後の社会では、生産力の向上を目指す高度化・従来路線の延長ではなく、低成長時代に適合した若者の生き方の工夫が望まれます。
平和の配当・・新都市建設需要で湧いた江戸幕府草創期(江戸の城下町形成に限らず、各地の立派なお城は戦国時代終了後に作られたものです)とこれが一段落した後に行われた新たな人生設計の工夫に学ぶ必要があります。
江戸時代に発達した文楽・俳諧・狂歌・錦絵・浮世絵・歌舞伎・茶道、生け花、箏曲三弦尺八等の音楽(虚無僧の古曲に限らず六段の調べ等多くは江戸時代に作曲されたものです)、落語・我が国が世界に誇る京都の庭園その他我が国伝統文化の基礎がほぼこの頃に出来上がったことを見ても、安定成長期こそ落ち着いて新たな文化創造をするべきチャンスです。
(我が国最初の安定期であった平安時代には源氏物語を始めとする王朝文化が花開きました。)
その意味では伝統文化・静謐さなどを更に磨くのも良し、あらたなアニメ漫画類あるいは各種「お宅文化」の発達は、注目すべき若者の智恵の発露と言うべきです。
人間の生き方を(がむしゃらに働いた)前の世代と同じでなければならないという発想に拘るから大変な時代なのであって、世代ごとに時代環境に合わせて違った生き方を工夫して行くべきです。
(僅か1年の間で考えても、春夏秋冬の季節に応じた違った生活があるのと同様で、いつでも同じ人生設計・生活方式である必要がありません。)
ガムシャラに働くしかない時代には、落ち着いて文化を楽しむゆとりのない時代でしたから、中底辺労働向きの社会でした。
ガムシャラ労働(猛烈社員)がもてはやされる時代は、(中底辺労働需要が多いので)人口の多さが価値でしたが、これからは江戸時代の徘徊やきれいな庭園造りのような洒落た方向に行くしかないとすれば、人口さえ多ければ良いことにはなりません。
粋・洒落で生きて行く時代には、社会全体としては人口減小に向かうのが合理的な方向ですし、出生数が多すぎると(中底辺層が増えて)ミスマッチで困ったことになります。
間違って?生まれてしまった次世代にとっては、生まれてしまった以上はハイレベルな能力がないと言ってボヤーッとしてもいられないので、親世代も子供が困らないように必死になって教養を付けさせようとして、手っ取り早い高学歴志向となりますが学歴だけあれば粋・洒落の精神が身に付く訳ではありません。

次世代の生き方1

戦前あるいは戦後昭和40〜50年代ころまでに亡くなった世代と今の中高齢者を比べれば、現在の中高齢者の残してくれる公的・私的遺産(次世代への学歴付与を含めて)の大きさは誰の目にも明らかでしょう。
どう言う根拠で今の若者が前の世代に比べて損をしているとの風説をマスコミがまき散らし宣伝しているのか、理解に苦しむ妄言です。
(増税したい官僚の御機嫌取りをしているのでしょうか)
我々世代は焼け野が原あるいはその直後のバラっクから始まったので自分の住むところから道路港湾すべてを作るために膨大なエネルギーを取られてきました。
一般サラリーマンでも、収入の中からかなりの貯蓄をする必要がありましたがそれはすべて将来のマイホーム取得のための貯蓄でしたし、一定額まで溜まってからマイホームを取得すると今度は住宅ローン支払におわれ、子供の教育費(戦後世代の育った頃に比べて中卒が高卒になり、高卒が大卒〜院卒になるなどワンランク以上アップしています)に追われている生活でした。
言わば我々世代は自分の消費する分はホンの僅かで、自宅取得資金や次世代教育費に大方使って来たのです。
国や自治体にとっても同様で、予算の大部分は道路整備・美術館博物館その他の公的資産の充実や教育予算に使ってきました。
先進国の若者は親世代の残してくれた膨大なインフラの御陰で、自分の日々消費する衣料と食費・サービス受益分だけ稼げば(自宅やインフラ新規形成分の稼ぎがなくとも補修費程度の負担さえすれば)ハイレベルの生活が出来る恵まれた状態になっています。
若者はこの恵まれた状態・遺産の承継・無償使用が原因で、就職難に遭遇しているパラドックスになっているのでは気の毒・可哀想という外ありません。
現在やるべき公共工事もあらかた終わっているし、自宅も大方の人は持っている・・しかも戦後直ぐのように安普請でなく恒久的な(100年住宅)建物を多くの人が取得していて次世代はそのまま住める家が多くなっています。
新しく作らねばならない道路や団地もなければ、高校、大学の教室も住家も足りていますから当然そのための建築土木工事・・これらに供給すべき原材料の生産その他の仕事も激減です。
この大きなプラス遺産が皮肉にも彼らのするべき仕事をなくしているので、その分だけ仕事場が減っている・・就職難になるのは当然です。
次世代が損しているから苦しいのではなく生まれつき得しているから、するべき仕事がなくて苦しいというパラドックスに陥っているのです。
海外進出パターンでも同じで、草創期にはいろんな人が出張して足場固めに奔走しますが、海外進出に成功している会社でも安定期になると現地スタッフに徐々に権限委譲して行くしかありません。
草創期の人が
「俺たちはペットボトルもなくて現地の水で腹を壊しながら歩き回って顧客開拓に汗を流して頑張ったのに比べて、今の社員はちょっと出張してくれば良いだけで楽だよなあ」
という図式ですが、楽していて仕事が間に合うのに比例して若手社員の仕事場・・するべきことは減って行きます。
アメリカ軍の空襲で全国殆どで住む家さえ燃えてしまって、何もかも再建・復興しなければならなかった時代と違って来たのですから、今の若者が何もかもなくなってしまった復興時代の人生モデルを踏襲しようとして仕事がないと困っていること自体、智恵の足りない話です。
同時代であっても大震災の復興需要・・主として土木建築・その骨材建材等需要・その方面の労働需要)のある東北地方と、震災の災害を受けていないその他地方とでは需要が違い、これに合わせてやるべきことも違って来ることから見ても明らかでしょう。

世代対立を煽る愚3

マスコミ推奨の「次世代が損をしている論」の誤りは誰でも知っているから「黙って笑っていれば良い」というのが我が国の大人の智恵でしょう。
まじめに反論を書くのは子供っぽいかも知れませんが・・・その点私はまだまだ精神が若い?・・以下書き足して行きます。
我々世代は戦争で丸焼けで何も残っていない・・親の遺産としては、受け継ぐべきものが殆どないところから、ここまで各自の個人自宅だけではなく、世界に冠たる公共資産・港湾その他のインフラを築き上げて来ました。
我々学生時代には舗装道路が殆どなくてどろんこ道を歩いていたので、雨が降れば長靴をはくのが普通でした(ハネが上がるのがいつも困ったことでしたが、今では「ハネが上がる」などという言葉は死語になっているでしょう)が、今では舗装道路どころか石張りの綺麗な道路があちこちにあります。
身近なところでは各地でバラック同様であった国鉄(現JR)、私鉄の駅舎や地方自治体の建物や校舎が立派になったのを見ても分ります・・・空襲で焼失して応急的に復元していた東京駅でさえ、今年漸く復元出来る運びになっています・・戦後こうしたことに営々とお金をつぎ込んで来ました。
(地方ではお城の天守閣の復元が象徴的です)
各地美術館、博物館やその所蔵品の充実を上げても良いでしょうし、これに比例して鑑賞者も増えています。
一般家庭でも室内に観葉植物を配置したり、美術品を飾るなどレベルアップしています。
その分、金融資産が減るのは当然です。
(いつまでもお金・貯蓄ばかりにこだわって花も何も飾らない・・美術・音楽鑑賞もしない方がおかしいでしょう)
昭和40年代ころに数千万円のお金が貯まっているのにケチに徹して飢え死にした人が何件か報道されたことがありましたが、金融資産が一定以上になれば自宅改装や文化に投資するなど貯蓄一辺倒から変化して行くのが賢い生き方です。
マスコミ報道は国の全体資産がどうなっているかの視点がなく、金融資産=現金持ち高の収支だけに注目して財政赤字が巨額だとして騒いでいるのですから、守銭奴的価値観・・先ずは現金を稼ぐのに必死だった昭和40年ころまでの価値観を引きずっていることになります。
我々世代がゼロから始めてこれだけの投資(自宅を立派にして公共資産も充実させて)をして来てもなお、個人金融資産が1500兆円を残しているのは大したもの・・バランスの取れた資産の使い方です。
何故「次世代が損だ」とバカみたいに(次世代・教育学者まで)不満を言うのかということですが、マスコミが誤った方向で煽動しているからに過ぎません。
(1500兆円の個人金融資産を2倍の3000兆円にしてその代わり、個人の家はバラックのまま、どろんこ道を歩いている社会では仕方がないでしょう。)
個人資産を比喩的に言えば、バラックの家を相続して本建築の(今では100年住宅とも言われる耐久性です)家を次世代に相続させるようになった人が今の高齢者の普通の姿です。
都営・県営・市営住宅など公営住宅あるいは公立高校の校舎なども、昭和30年代の木造の貧弱なものに比べれば、(私の出た都立高校は当時木造2階建てで廊下教室などの床にはコールタールを撒いていたものでした)4〜50年代にみんな鉄筋コンクリート造りになり、最近ではなお綺麗に建て替えが進んでいるなど)格段に良くなっています。
橋梁も今では巨大で立派なものが普通ですが、私の子供の頃には、田舎では大川にまだ木造の橋が架かっていた時代で、台風が来て洪水になると橋の一部が流されて残骸が残っているのを見て育ちました。(そんな時代でした)

マスコミによる世論誘導の害4(世代対立を煽る愚2)

July 16, 2012 「マスコミによる世論誘導の害3(不毛な財政赤字論2)」から話題がそれていましたのでその続きに戻ります。
上記で書きましたが、国家予算は単年度の現金収支主義ですから、当座決済資金としての意味もあります。
しかし、これは飽くまで当座の決済可能性・資金手当を吟味すれば足りるのであって、黒字企業が黒字の大部分を再投資に回してしまい、決済資金として手持ち現金を少なくしていて、その代わりにイザというときのために、銀行と一定額までの融資協定を結んでいる場合や、借入金で当座決済を賄っていても何も問題がありません。
長期的視点・・「次世代に負債を残すのか」という視点で将来の安全性を論ずるならば、その他資産内容を見ないで当座の借金額(他にそれ以上の資産があるかを見ないで)だけを取り上げて「大変なことになる」と不安を煽っているのは論理のすり替えです。
長期的視点では総合収支が赤字なのか黒字なのかが重要であって、目先の決済資金・当座性資金が多いか少ないか、それが借金によって賄っているによって優良か不良かの区別にはなりません。
次世代に負担を残すかどうか(将来)を論じながら、目先の当座決済資金源が国債という借金によることを過大に論じて不安を煽るのは、長期視点を論じるのに短期データを利用しているのであって、論者が都合よく資料をごっちゃにしていることになります。
次世代論=将来を論ずるならば、国家の資産内容を総合把握してから議論すべき事柄であるのに、これを全くしないまま目先・当座の決済資金としての金融資産の出所だけの収支(借りているか自己資金か)を議論しても意味がありません。
マスコミは、総合資産表を問題にしない単年度の財政赤字議論をしているのですが、金融資産だけを見て(当座資金の出所だけを見て)赤字か黒字か・・・、そもそも当座決済資金だけの資金出所で赤字か黒字かを論じること自体がナンセンスであることが分ります。
学校用地・公園用地や資材置き場を買収し、駅前広場を整備しあるいはロケット打ち上げ基地の買収等でその分巨額支出して赤字が増えても、同額の資産が残っているのであって、人件費に使ったのとは意味が違います。
ロケットや海底資源探査の例で言えば、有形資産だけはなく長期にわたる研究実験成果や教育投資も次世代に残すべき重要な遺産です。
当面決済に必要な現金勘定の資金源ばかり俎上に載せて「大赤字だ・大変なことになる」と騒いで「次世代は損だ」と宣伝しているマスコミの姿勢は、こんな(教育・研究その他長期的に形成するべき資産)ものにお金を使うよりは現金さえ残してやれば良いかのようなおかしな議論と言えるのではないでしょうか?
(以前にも書きましたが、私のマスコミ批判はマスコミが直接社説等で主張していると言うのではなく、マスコミの意に副う意見を中心に紹介して国民にじわじわと浸透させて行く報道のあり方/マインドコントロールが問題という視点で書いていますので誤解のないようにお願いします)
多くの親は子供に残す遺産として現金を数百万円減らしても、高校進学させたりさらに巨額を使っても(ある程度借金してでも・・この場合借金が残される次世代が可哀想だとなるのでしょうか)子供のためには大学進学させたいのが一般的価値観ではないでしょうか?
(子供が中卒で遺産数百万あるのと遺産ゼロでも高卒、大卒になるのとどちらが良いかの価値判断です)
経済成長期以降現在まで蓄積された公共資産も巨大ですが、みんなこれらを次世代に相続して行くのであってその分現金遺産が減るのですが、次世代が損をするどころではありません。
世代間対立を煽る愚については、2012/05/05「海外収益還流持続性1(労働収入の減少1)」2012/05/06「労働収入の減少2(世代間扶養1)」2012/05/07「世代間扶養2(恩愛の情)」まで書いてきました。
格差や世代間対立を煽るのは愚策ですが、それと実際に苦しくなっている次世代への思いやりや格差が生じている現実への注意とその対策を考えるのは必要です。
私はこれを無視して放置するべしというのではなく、取るべき対策は取るべきで、研究すべきはすべきですが、世代間対立を煽っても仕方がない・・むしろマイナスだという意見で書いています。

国際収支3(原発停止)

所得再分配資金についても同じで、政府がどの水準まで国民に生活保障すれば国際収支が均衡し、それ以上ならどれだけの赤字になると言う試算表が公表されるべきです。
学者も政府のお先棒ばかり担いでいないで、こうした国民が本当に知りたがっている研究発表を自発的にするくらいでないと存在価値がありません。
仮に生活水準が現状で国際収支トントン、今の1割アップで2割の赤字ならば、これ以上社会保障水準を引き上げないことが肝要であって、水準を1割引き上げてその資金源として国債を減らして増税しても収入以上の生活をしていれば、対外的な赤字は減りません。
日本経済にとって重要なのは生活水準をどの辺に置くかの議論であるべきであって、国債によるか税収によるかは全く関係がないことを、April 6, 2012「財政収支と国際収支1〜2」で国債が悪で税が善とする意見が誤りであることを連載しました。
現在での具体的な例で言えば、原発停止による燃料費の支出増でイキナリ貿易赤字体質に転落していますが、これに比例して電力消費減・節約が叫ばれているのは上記理論の無意識な応用です。
もしも現状の生活水準を維持したままで従来通り電力を使えば、貿易赤字が恒常的になるとすれば(その他輸出が以前よりも増えなければ)、第1の原因である電力消費を先ず減らすこと・・それでも足りなければ第2にその他の支出も減ら(結局は生活水準低下)して行かないと巨額貿易赤字が定着してしまいます。
これまでの生活水準は原発依存で成り立っていたのですから、これをやめる以上は、コストアップした分・・高価な電力利用・家計負担増加・・ひいては値段に応じた消費削減を求めるのは仕方のないことです。
(原発の方が火力・水力よりも総体的にコストが安いと主張しているのではありません。
原発の方が事故があったときの損害倍賠償や廃炉コストなど加えればトータルでは高いかも知れませんが、これまでこうしたコストを織り込まないでやっていたので外見上安く見えていたに過ぎませんが、外見上の安さに比べて高くなるということになるでしょうか?)
もしもこのままの電力利用の場合、対外収支としてはやって行けなくなる(巨額赤字が継続する)とすれば、家計負担を嫌がって国家で(補助金・・原資は国債もあれば税もありますが)負担しても、国際収支赤字そのものが減る訳ではありません。
以上の次第で、我が国の国債が資金ショートするとしたら稼ぎ以上の生活をすること・国際収支の赤字継続→外貨準備・対外純債権の枯渇が前提であって、国債発行残高の増減には全く関係がありません。
原油や天然ガス輸入拡大によるここ1年間の貿易巨額赤字が恒常化するか否か私には不明ですが、もしも恒常化するとすすれば赤字がなくなる程度まで生活水準を落とさない限り、日本は将来的にギリシャ危機のようなことになります。
具体期には、原発をやめることによってその比率・・仮に原発依存度30%だったとすれば国民が30%電力消費を削減出来れば、原発をやめることによる原油等原燃料の輸入拡大は起きません。
しかし、一律に30%削減すれば、生産活動も同率30%縮小する(画期的な省エネ技術の開発がない限り国内総生産は電力消費量にほぼ比例するのが現状です)ので国内総生産が30%縮小・・従来の輸出用生産が大幅減になりますので、結果的に従来通りの国際収支にはなりません。
と言うことは家庭消費用の電力を8〜90%削減して、生産用電力削減を10〜20%減(国内総生産も1〜2割減)程度にしなければ、経済が成り立たなくなる理屈です。
家庭用とは言え、8〜9割も削減したのでは文明生活とは言えませんので、結局その他の支出(果物その他嗜好品の輸入を抑えてでも原油等の輸入を増やすしかない)電気の方は最大でも従来の10〜15割減くらいにしたいものです。
(これでもかなりの不自由・生活レベルが落ちますよ!)
原発全面停止による原油等の輸入拡大分が仮に昨年1年間6兆円であったとした場合、それを元に戻せない・・仮に最大節約(風力・太陽熱等代替電力の開発・省エネその他で)努力しても半分(3兆円)しか減らせないとすれば、残り3兆円分の赤字を原油以外のどの部分の輸入をどの程度減らして収支を事故前の国際収支に戻すべきかを(いろんな)パターンに分けて(原発依存度をイキナリゼロにするのではなく徐々に軽減するパターンも含めて)研究しておく必要があります。
(原発事故前よりも車や精密工業品などの輸出を増やして原燃料の輸入増の穴埋め出来れば言うことがないですが、海外展開や韓国等の追い上げを受けて国内生産が縮小して行く速度を緩めるのがやっとで・・輸出増をこれ以上期待するのは無理でしょう)
赤字国債を税に切り替えても国債収支の改善には何の解決にもならない・役人の自由度をどれだけ増やすかの議論が政治の主要テーマになっていますが、今はそんなことよりは、原発をやめる・あるいは徐々に縮小して行くとしたら、どの程度まで生活水準低下を国民が受入れられるか、輸出増努力と生活水準低下で穴埋めし切れないで残る貿易赤字をどうするかの研究・・活発な議論が必要とされているのではないでしょうか?

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。