健全財政論8(中央銀行の存在意義2)

話題を貨幣価値維持に戻します。
武士上がりの経済官僚の使命感は前回(8月13日に)書いたとおり、弓鉄砲で侵略して来る外敵から郷土の妻子・一族を守ることから、貨幣増発・悪改鋳による生活苦から領民を守ることに変わって行ったのです。
徳川政府は武士に支えられながら、武士の中の武士・言わば正義の士は、武士でありながら悪改鋳・・インフレにしたがる徳川政府=主君に対抗すべき勢力に変わって行ったことになります。
どんな政権でも対外競争の関係で有能な人材が欲しいので、外国帰りの学者等を政権内に抱え込む・・あるいは国力の底上げを図るためには一般人の外国留学を奨励するしかないのですが、有能な人材ほど政権批判能力が高くなるジレンマがある点は、専制君主制あるいは中国共産党一党支配の国でも同じです。
政権が有能な人材を抱え込みたければ、民主化・・国民のための政治にしない限り矛盾に苦しむことになります。
貨幣価値を守るために存在する中央銀行の役割に戻します。
現在の先進国では、グローバル化以降新興国からの低価格品の洪水的輸入によって恒常的デフレ状態に陥っていて、インフレを心配するどころかデフレ克服すら出来ない状態に陥っています。
(貨幣をじゃぶじゃぶ供給しても、物価は上がらず輸入品が増えるだけでせいぜい輸入に馴染まない不動産バブルが起きるくらいです)
デフレは国民にとって(ミクロでみれば)良いこと尽くめですが、他方で全体のパイが縮小・「角を矯めて牛を殺し」たのでは何にもならないので、パイを大きくする経済成長も欲しいところです。
デフレ(低価格品の輸入攻勢)に悩む先進国では積極経済政策をどのようにしたらGDP上昇効果が出るかの智恵比べですが、景気過熱・物価上昇を押さえ込むDNAに特化している中央銀行官僚にはこの方面での能力適性がありません。
日本の官僚は元々武士上がりで「勤倹」には慣れていますが、「一所懸命」の語源でも分るように、愛する郷土を死守する「城を枕に討ち死に」とか「玉砕」など現状を守ることが武士の本領であって、積極的に投資して儲ける才覚がありません。
中央銀行を「物価の番人」とは言いますが、経済政策官庁とは言いません。
前向きな政治をやるには、郷土の守りに強い武士のDNA過剰体質から、積極的才覚のある人材に官僚を入れ替えて行く必要があります。
かと言ってアメリカのようにユダヤ系人材に頼って金融方向ばかりでは困りますので、物造り兼商才のある(積極性のある海洋民族系の混じった)人材と言う欲張った方向性が必要です。
こうした人材はパラパラといるのですが、偶然に頼ると官僚世界の内部で孤立して浮き上がってしまい能力発揮が出来ないので、高級官僚の採用制度から根本的に変えて行く必要があります。
江戸時代以降学校で習う・・賞賛される3大改革はすべて、質素倹約政策ばかりで積極財政派はいつも賄賂ばかりが強調されて悪役扱いでした。
積極財政を頭から悪と決めつける全体の雰囲気・・教育からして変えて行く必要があります。
積極財政には相応の不純物も副産物として生じますが、だからと言ってマイナス面ばかり強調するのでは経済が成長して行きません。
車が危険であれば、ブレーキを付けたり免許制にすれば良いように、積極財政の副作用についても制御の工夫を怠っているだけです。
こうした視点で考えると、静的チェック能力を求められる司法官と動的考察が求められる行政官僚とでは制度目的が違うのですから、国家公務員採用試験科目が司法試験の焼き直しみたいでは、おかしいのであって試験科目からして変更して行く必要があると思われます。
厳格な科挙制(丸暗記中心)によっていた中国や李氏朝鮮では発展性がなく、江戸時代の日本の発展に大きく水を開けられたのが明治以降の格差が生じた原因です。
司法試験や国家公務員試験は科挙ほどではないにしても、科挙の流れを汲んでいてアメリカ型ケースメソッド方式とは大きく違う暗記を主体にする方式である点は否めないでしょう。
大恐慌以降の中央銀行の独立制度は、経済政策・GDP向上策と物価の番人役を兼ねていた明治までの経済官僚を積極政策をする大蔵省と番人(ブレーキ)役(中央銀行)に分離したとも言えます。
(大蔵省の外局として途中で経済企画庁が出来ましたが・・平成に入って金融行政の金融庁と財務省に分離しました)
原子力政策推進官庁と安全を監視する役所の分離と同じ発想ですから、そもそも日銀に経済活性化のための協力を求める今の政治は、元々の機能分離体制が今でも正しいとすれば間違っています。
日銀が政府の言うとおりやるならば、推進派から協力を求められて、何でも安全と(津波の心配が既に指摘されていたのに、そんな100年に1回の津波まで心配していたら何も出来ないよ・・と)お墨付きを与えていた原子力保安院のようなものになります。
ただし、一国閉鎖社会と違う現在では日銀だけで物価を安定出来ないし、日銀の金利上下や量的緩和だけでは経済をインフレにもデフレにもしようがないので、行政府の積極財政に協力する量的緩和くらいしか出来ない時代です。
・・貨幣価値を守るべき日銀制度自体不要ではないかという意見を2012/03/30「日銀の国債引き受けとインフレ3」2012/03/31「日銀の国債引き受けとインフレ4」前後、最近では2012/06/19「新興国の将来11(バブルとインフレ1)」のコラムで書きました。
経済のグローバル化が進んでいる現在では、1国だけでの金融調節による経済運営機能が低下あるいは消滅する一方で、積極施策・財政出動・・これの基盤となる量的緩和に関しては、日銀には歴史的に経験がないので政府の言いなりになるしかないとすれば、日銀の存在意義がなくなっているのではないかと言う意見をこれまで書いてきました。
国民の生活を守るには貨幣価値を守ることが重要ですが、対外的にみれば貨幣価値は国民経済の実力(国際収支)の反映であって、官僚や中央銀行が観念的な気概さえあれば守れるものではありません。
為替の変動相場制が普通になって来ると、今ではある国の貨幣価値はその国の経済力(国際収支黒字または赤字のトレンド)によって日々決まるのであって、官僚の気概や日銀の金融政策(紙幣発行量や金利)とは殆ど関係がなくなったことも明らかです。
(仮に為替介入しても効果は一時的です)
貨幣価値=為替相場は市場原理(国際収支黒字または赤字による貨幣需給)によることについては、ポンド防衛の歴史のテーマ(連載中に横へそれたままでまだ途中で完結していません)でも連載してきました。
金利を下げて紙幣量を増やすと消費が活発になる傾向があるので、(金あまりの日本では大方が預金に回るとしても少しは消費拡大になるので)輸入量が増えて貿易黒字が縮小しあるいは赤字になり易い・・その結果円が高くなる速度を緩めたり安く出来るかも知れません。
しかし、これも国産化率が高い(エコカー補助金の恩恵を受けたのは国産車が大部分だったでしょう)とその関係が低くなるなど、間接的な関係しかありません。
(ただし、エコカー補助で売れたのが国産車中心でも、内需が増えればその原材料輸入が増えるのですが、風が吹けば桶屋が儲かる式の間接的関係です)

健全財政論7(武士の生い立ち)

「国民生活をインフレから守るベシ」との経済官僚の古くからの気概(DNA)は、大恐慌によって金兌換制が廃止された以降中央銀行と言う組織に委ねられるようになりました。
ちなみにインフレは消費者である国民にとっては収入が目減りするので損であり(他方で必ず得するもの=供給側企業)、デフレはこれと反対で消費者が得する関係であることについては、5月18日その他のコラムで書いています。
経済官僚(元は武士です)にとっては、貨幣の質低下→インフレ=国民生活混乱阻止に対する強固なDNAの歴史があるので、中央銀行はインフレにはすごく敏感ですが、デフレに対しては鈍感なのは、中央銀行制度成立の歴史によるものです。
ここで少し話題がそれますが、武士が国民生活を守るのに何故敏感であるかということについて書いておきます。
武士と我が国以外の多くで採用されて来た専制君主制の兵士との違いが大きいと思われます。
2012/08/09「貨幣維持1」でちょっと書きましたが、専制君主制の兵士とは違い我が国の武士は、地元血族集団・領民保護のために戦うべく自然発生して来たものであって君主のために徴兵されたものではありません。
戦闘集団として効率的に戦うためにその時々にもっとも有利なグループリーダーを推戴しているうちに、一時的に推戴された指導者の立場が強くなって行ったに過ぎません。
古くは源氏についたり平家についたり、鎌倉末期には北条についたり足利についたり、室町期には南朝についたり北朝についたり、戦国時代には各地土豪がその時々のリーダーの元に離合集散を繰り返して次第に越後の国や甲斐の国あるいは尾張の国などの国内統一になって行ったことは周知のとおりです。
最後の離合集散が、関ヶ原だったと言えます。
関ヶ原以降は圧倒的な武力を背景に徳川氏が、中国の思想を借りて来て専制君主のような主張(忠孝を強調)して勝手に専制君主に変質しようとしていた(最後まで成功しません)に過ぎません。
いくら借り物の儒教道徳を教え込んでも、草の根から興った武士の本質を変えられませんから、地元民(先祖代々の一族の集まり)を守るためには中国からの輸入概念であるニワカ主君の命に反することが武士にとっては本来の正義であり、謀反でもなんでもありません。
これが大塩平八郎の乱の思想的背景ですし、彼が謀反を起こした極悪人ではなく、「義士」として歴史評価されている所以でしょう。
この意味では応仁の乱以降下克上の時代と頻りに学校で習いますが、学校教育は江戸時代以降のかっちりした主従関係を前提にした誤解であって、一族・・その背後にいる郷土の親類縁者を守るにはどちらについたら生き残れるかの瀬戸際の判断でそれまで従っていた有力者から別の有力者に乗り換えるのは、謀反でも何でもありません。
下克上に関するこの種の意見を02/24/04「与力 (寄り騎)6(主従とは?2)」、09/22/04「源氏でなければ武家の棟梁になれない」の不文律はあったのか?3」に書いたことがあります。

健全財政論6(中央銀行の存在意義1)

我が国で言えば、大恐慌から高度成長期ころまでは国民は生活水準向上・・量的消費に飢えている時代でしたので、お金さえあれば三種の神器・・次々と提供される家電製品等を買いたい・作れば量が売れる状態でした。
ところが、今では飽食の時代ですので給与が2倍になっても嬉しくてビールや牛乳やアイスクリームを今までの2倍消費する人は滅多にいません。
(余程貧しい人だけでしょう)
量が満たされれば消費の方向性が質に転化する・・レベルアップして行くことになります・・従来型産業が国内では飽和状態になって行くので、成長が止まり不景気だと大騒ぎになりますが、国民のレベルアップに合わせて国内産業も業種転換あるいは磨きをかけて行くしかないのに、この転換に遅れを取っている嘆きと言うべきです。
この辺の意見(消費が高級化すれば供給サイドに関与するべき国民・労働者のレベルアップの必要性・・これは遅れて発達するので当初ブランド品輸入が席巻するのは当然ですが、この適応問題は別の機会に書きます。
話題を戻しますと紙幣を仮に10倍増にしても大方の国民はその殆どを預貯金するだけでこれまでの2倍、3倍もビールを飲むことはないでしょうし、仮にこれまで思うように飲めなかった国民の何%かがビールを2〜3倍飲むだけです。
車でもテレビでもビールでもスマホでも売れるならばいくらでも増産出来るので、仮に2倍売れたとしても車やテレビ、パソコンの値段が2倍になることはありません。
昨年テレビが無茶苦茶に売れましたが、値段は上がらず販売競争激化のために実質値段が下がっているのが現状です。
日銀がいくら金利下げや紙幣の量的緩和をしても、暖衣飽食(ものの行き渡った先進国)の国民は金利が下がったくらいでは買い物出動しないし、生産力超過の現在、仮に売れ行きが伸びても在庫品の減少が進み、休止中の設備が動き出す程度で物価が上がることはないことをこれまでのコラムで何回も書いてきました。
加えて現在は1国閉鎖社会と違って、国内で供給が足りなかったり値上がりすればすかさず輸入品が押し寄せて来るので、供給不足による物価上昇があり得ない構造になっています。
我が国では長期にわたる国際収支黒字の累積で資金余剰が際立っているので、金利をいくら下げても借り手・・健全な資金需要が起きません。
赤字で資金繰りに困っている企業は少しでも下がったら有り難いでしょうが、トヨタ等世界企業は(内部留保が厚く手元資金が余剰気味です)金利の上下によって新規工場建設等を決めるパターンではなく新規投資戦略が先にあってその戦略次第で資金需要が起きる仕組みです。
個人は個人で多くの国民はお金を使い切れなくて1500兆円も個人が預貯金している状態で、飽食の金融版になっていますので借りてくれるマトモな客がいない(借りに来るのは貸したら焦げ付く人ばかり)銀行は0、何%の国債を買うしかない状態です。(商品を仕入れても売れない状態)
日銀が世界最低の金利にしても投資用に借りに来る企業の需要がなく、外国人投資家が日本の銀行で借り入れて円キャリー取引に使うくらいで、(日本の銀行は世界最低金利で仕入れられるので、国際貸し出し競争に有利となって、日本の銀行はこれで潤っています)言わば国内銀行救済・国際競争上銀行に対する補助金的効果になっている程度です。
このように今や中央銀行が貨幣政策・金利政策で経済を動かすことは不可能な時代が来ているのに、未だに政府は自分で行うべき財政政策を怠って日銀の金利調節や量的緩和に頼っていますが、言わば日銀の存在は無駄な存在であるばかりかむしろマイナスです。
(私は以前から、こう言う実態を紹介して現在社会では日銀不要になっていると書いています)
この現象はここ20年来の日本だけの現象ではなく、グローバル化以降先進国ではどこでも現れ始めて来たと言えます。
恐慌以降何十年も前から金利や量的緩和は刺激効果があることが分っているのに、今でも経済学者の集まりであるIMFでは、(バカの一つ覚えのように)アジア危機・ギリシャその他何かあると緊縮経済の実行を迫るのが常です。
確かに野放図に赤字財政を繰り返すのは困りものですが、緊縮強制一点張りでは智恵が足りない印象が拭えません。
これまた繰り返し書いていますが、学者というのは過去の経験を大学等で勉強をして修得する能力の高い人材・・秀才が多く、これに反比例して現実に進行している実態に新機軸で対応する応用能力が低いことによるのでしょう。
大恐慌あるいは不景気対策としては緊急避難的に気付薬的に麻薬使用・・紙幣大量発行も許されるというのが、実務から生まれた経験的智恵です。
実際日本では大恐慌の際にこの方式でデフレ脱却に先に成功していて、これを真似して大規模にやったのがアメリカのニューデイール政策だったと言われています。
大恐慌時に戻りますと、兌換制度が停止ないし廃止されてしまうと貨幣・紙幣の信用維持をどうするかとなって来ますが、官僚個人の「貨幣価値を守る」と言う気概に頼るのでは無理が出てきます。
そこで中央銀行の独立性等の制度的保障でこれを守って行くことになったことを、07年1月16日「不換紙幣と中央銀行の独立性1」以下のコラムや08年1月17日の「国債と非兌換紙幣の違い」で紹介しました。

健全財政論5(貨幣価値の維持3)

国際経済化が進んだ明治以降でみれば、貨幣価値の維持は自国の紙幣が海外との貿易に使えるための保障が必要ですので、これを担保する制度が金兌換制度でした。
世界経済は金1オンスに対して1円と定めていて、ドルも1オンス1ドルであれば等価ですし、2円で1オンスであれば1ドル=2円となりますから交換率は簡単です。
金の裏付けの範囲しか紙幣発行出来ないことで結果的に国内通貨でも無制限発行に対する歯止めの役割を果たしていました。
各大名家で発行していた藩札は、徳川家の発行する貨幣との両替を前提にしていましたから、明治以降の国際的金兌換紙幣制度の国内版みたいなものだったことになります。(・・領内で紙幣のように流通していたかどうかによりますが、流通の程度によっては今の地方債に似ていたかも知れませんが、ここでは深入りしません・・藩札についてはMarch 25, 2012税の歴史6(商業税3)のコラムで少し書きました。)
ところが第一次世界大戦後の昭和大恐慌の進展で、金兌換制度維持が困難になって来た結果、世界各国で次々と金兌換制の廃止・停止が続きます。
要するに緊縮一本槍・・国内生産力内での均衡経済・・貨幣発行抑制政策ばかりでは、スパイラル状に経済悪化が進行するときにはどうにもならないことが実態経済で証明されます。
逆から言えば貨幣発行増はインフレ・物価上昇になるばかりでなく、経済活性化効果もあることが実践的に分って来つつあったと言えるでしょう。
何事も両刃の剣・表裏の効果があると言われますが、貨幣発行が始まってから明治時代までは、実物経済よりも貨幣発行量が多すぎると物価が上昇・・国民生活破壊の害・マイナスばかりが気になる歴史でしたが、経済を活性化するカンフル剤の役割もあることが分って来ます。
ただ、薬も使い方を誤れば毒になるたとえのとおり、その処方は難しく、ずさんな使い方をするとギリシャ危機のようになります。
ここで貨幣量と物価の関係をみておきますと、産業革命効果が浸透するまでの約1世紀間は第一次産品中心経済で、生産量に限界があったので、生産力に関係なく紙幣を増刷すると物価が上がる関係でした。
こう言う時代に何のために政府が増刷したがるかと言えば、政府が収入以上にお金を使いたいというモラルハザードがその動機でした。
だからこそ経済官僚が、命を賭けてでも紙幣増刷・悪改鋳に反対する歴史になっていたし、悪性インフレに対抗して大塩平八郎が兵を挙げるほどになっていたのです。
他方で産業革命効果が浸透して来ると、景気波動による余剰生産力が不景気の原因になって来ると、紙幣増刷は政府がもっとお金を使いたいという邪悪な動機(これがなくなった訳ではないですが・・)ばかりではなく、国内需要喚起によって、過剰生産力の受け皿になる・・景気下支えまたは景気刺激策になることが分って来ます。
昔は、国民は常に飢えていたので、お金さえ2倍あれば喜んで牛乳など週1回飲むのを2回にし、卵も週1回を2回食べるなど消費が収入に比例して伸びましたが、他方で消費品の中心は大根や人参・卵など1次産品中心の社会でしたから、これらは2倍売れるからと言ってイキナリ生産を2倍に出来ないので、紙幣量=消費量増加に比例して物価が上がりました。
この場合生産増に比例しない貨幣大量発行は弊害だけが大きくなりますが、産業革命浸透以降の不景気は過剰生産力によるものですから、生産力超過状態・不景気下で消費が伸びれば在庫調整になるし、足りなければいくらでも増産出来ますから、インフレになる弊害がなく・・程度を超えれば金利高め誘導でブレーキをかけられます・・経済活性化効果が期待されます。
しかも消費が伸びること=民生がその分豊かになるメリットもあります。
このように貨幣調節は貨幣価値維持目的であったそれまでの発行増抑制一点張りの片面的政策要請(単純なもの)から、発行増による積極的効果・・両面の効果を期待出来る複雑な関係になったので、中央銀行の役割が強化された・・黄金時代が到来したと言えます。
その代わり実物経済・生産力と貨幣の量のバランスが均衡しているかどうかだけ注意していて、均衡を破れば、君主の命令でも断固反対する硬骨漢であれば良かった時代からみれば、前向き判断も必要になって難しくなりました。
消費が増えれば民生が豊かになることは確かだとしても、際限なく紙幣発行を増やして行くと対外的に赤字累積になり最後はギリシャのような危機になり兼ねません。
国内生産力と均衡しない紙幣発行増は不足分の輸入増大に結びつくので、国内生産力以上に内需拡大しても輸入が増えるばかりで国内景気はそれ以上に上向かないので、景気対策としての意味がなくなります。
また国内生産力範囲内でも原材料の多くを海外からの輸入に頼っている場合、国内消費を推進すると原材料等の輸入増になって対外的赤字が膨らんでしまいます。
(最近の例で言えば火力発電所増設によって、発電能力に余力があってもドンドン電気を使うと貿易赤字になる場合を考えれば分りよいでしょう)
国債発行の限度額の問題として書いているように、結局は国際収支均衡の範囲(単年度収支だけではなく累積の視点の重要です)を超えて消費を煽ってはいけないということに帰します。
国際収支均衡の範囲を一家の家計で言えば、一家構成員総収入範囲内(過去の蓄積があれば1年〜短期間限りの赤字は許されます)の生活を守るのが健全なのと同じです。
このように大恐慌以降の貨幣政策は発行量抑制さえしていれば良い単線思考ではなく、複雑な国際競争力(我が国だけ金利を上げると国内企業は競争上不利になります)その他経済構造を理解して積極的に操作する必要のある時代に突入して来ました。
こうなると裁判官のような役割ではなく、行政官の役割になりますので政府から独立した中央銀行の存在意義が問われるようになります。
(存在意義を問うているのは当面私だけですが・・・最近ではJuly 18, 2012「国債相場2(金利決定)」その他でぱらぱら書いています)

健全財政論4(貨幣価値の維持2)

江戸時代に入って自前で貨幣鋳造するようになると借金しなくとも、徳川家に限っては国内的には現在の基軸通貨アメリカドルのように(貨幣でも金の含有比率を変えれば)いくらでも貨幣を造れるようになりました。
(ご存知のように古くは和同開珎などがありますが、実際には戦国時代までは日本では一般的に流通する自前貨幣をもっていませんでした・・永楽銭などを輸入して流通させていたのです)
その代わり「悪貨は良貨を駆逐する」原理で、江戸時代でも貨幣の改鋳は内容を薄めると直ぐに物価上昇・国民生活悪化の原因になってしまうので慎重に行われていました。
元禄時代に金の含有量を減らして悪改鋳をしていたのを、儒家であり理論家である新井白石が良貨に改鋳しなおしたものとして有名です。
新井白石の理論は誠に清廉潔白で正しいのですが、幕府財政赤字を貨幣改鋳で誤摩化せなくなった分だけ財政は逼迫してしまうので、8月8日に書いたように次に登場する吉宗の享保の改革(政府収入増加・米の増産政策)に連なったのです。
行政府・王様は昔からどこの国でも軍事・景気対策その他支出をより多くしたい傾向がありますが、政府の自制心だけに頼っていたのでは、紙幣・貨幣大量発行によって物価上昇ひいては経済(経世済民=国民生活)が破滅的になりかねません。
そこで、君主・首長の意向に反してでも命がけで、貨幣の悪改鋳を阻止するくらいの気概(武士の魂みたいなもの?)が経済官僚には求められて来た歴史があります。
実際徳川政権内では勘定奉行系はエリートの集まりで、彼らは役人中の役人、武士中の武士という気概があったと思われます。
ちなみに8月9日に紹介した大塩平八郎は、大阪町奉行所与力ですが、彼は陽明学の私塾を開いていてその経世済民の主義主張の赴く所その勢いで決起になったと思われます。
当時(1837年5月1日(天保8年3月27日)既に、主人のために(君主の命令が正しいことであろうがあるまいが)どんなことであれ盲目的に突進して君主のために命を落とすことが武士の美学ではなくなっていて、君主に逆らっても自分が正義と思うところに命を掛けることこそ武士の本懐という思想が成立していたことになります。
大塩平八郎の乱は彼一人が起こしたのではなく当然多くの門弟が賛同して命をかけて参加して起こしたものですから、大したものです。
正義のために命を落とす・・その正義とは何か、国民生活を守ること・・経世済民に変化していたことが分ります。
歴史上いろんな乱を通観してみると、古代の壬申の乱に始まって最後の不平士族の乱・西南の役までありますが、大塩平八郎の乱を除けば私の知る限り自分1党の権力欲のためや私利私欲のための乱が全部です。
これに対して大塩平八郎は、窮民を救うために自分の地位を捨て子供まで参加させて立ち上がったのですから偉大です。
(何回も紹介していますが、忠臣蔵はお家再興・自分たちの求職活動の失敗から決起したものですし、西郷隆盛には私欲がなかったとしても彼を担いだ運動体そのものは不平士族の集まり・・政治をどうしたいと言う政治理念を持たないままの暴発ですから、(熊本城を仮に落とせたとしてもその先何をしたかったか分りません。)結果的に私欲反乱軍となるでしょう)
貨幣制度が始まるとその発行量の調節が経済(国民生活)に及ぼす威力が甚大なものであることを、どこの国でも知るようになります。
その結果、貨幣発行量を決める官僚はその使命の重大さにおののくとともに、おろそかな運用は出来ないと言う使命感が醸成されて来るのは当然です。
洋の東西を問わず昔から貨幣価値を守ることが経済官僚の使命であるとする思想が強くなったのはこうした結果でしょう。
死刑判決を書く裁判官がいい加減な判断を出来ないのと同様に、素人でも裁判員になるとその精神的重みが大変だというのも同じ精神構造です。
近代の経済学においても「貨幣発行調節は慎重(当時は経済刺激策を知りませんので量の拡大は危険という片面的意識だけです)」にと言う精神は、当然の使命として経済官僚に受け継がれて来たものです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。