賃貸借契約の真意

貸金に関する本音の約束と文書に書いた約束文言との違いに似た話は賃貸借にもあります。
契約期間2年と文書に書いてあってもそば屋に貸した場合、正当事由がない限り満期が来ただけで出て行ってくれというのは許されないと説明します。

借地借家法
(平成三年十月四日法律第九十号)
借地権の存続期間)
第三条  借地権の存続期間は、三十年とする。ただし、契約でこれより長い期間を定めたときは、その期間とする。
(強行規定)
第九条  この節の規定に反する特約で借地権者に不利なものは、無効とする。
(建物賃貸借の期間)
(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)
第二十八条  建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。
第二十九条  期間を一年未満とする建物の賃貸借は、期間の定めがない建物の賃貸借とみなす。

相談者は
「きちんと2年と期間を書いてあっても約束を守らない方が正しいのですか?』「これでは何を信用して良いのか分らなくなる・・道徳は地に堕ちた・・そんなことを法で強制しているのは納得出来ない」
と言わんばかりの質問をして来る人がいます。
そもそも、そば屋でも喫茶店でも魚屋でも「そこで商売を始める以上は、2年で店を畳むつもりで借りる人はいないでしょう」と説明します。
2年でやめるのは商売に失敗したときだけで、誰だって失敗するつもりで始める人はいないので、順調にいけば行くほどそこから動きたくないのが普通です。
(実際2年ごとに動いていたのでは客を失うし、設備投資も無駄になりますから、本気で2年で出て行くつもりで借りる人は皆無でしょう)
2年の契約は契約書に印刷していてこれが普通だと言うから仕方なしに署名しているだけでしかなく、本音は商売に失敗しない限り半永久的に借りていたいというものですし、合理的に解釈すれば、せいぜい家賃の見直し期間くらいの意味でしかなくて「あなたも本当に2年で出て行ってもらう予定で貸した訳ではないでしょう。」と説明します。
何か気に入らないことがあったときだけ大家が2年契約の文字をたてに主張するのは、大家の方こそ本当の約束を守っていないことになります。
本当の気持ちを裁判で認定して行くのは大変なので法律で「正当な事由がない限り自動更新して行く」と決めたのであって、決して契約を守らなくとも良い・・道徳はどうなるのかということにはなりません。
と、地主や家主さんには説明してきました。
金貸しも同様で、
「困っている人に仏様のように手を合わせて頼まれたならば、最後まで仏様のままでいれば一貫したね」というのが私の意見です。
そう言われると
「先生の言うことも分りますが、それでは我々は食って行けませんよ〜!」
という金貸しが普通です。
金儲けのための投資資金の融通と違い、お金でも何でも、ものがなくて困っている人に貸すのは金儲けのためではなく、慈善事業と思うしかないでしょうと説明しています。
個人の金持ちが貸した場合・・こう言う会話の結果、「仕方がないか!」と諦めることが多かった経験です。
こんな風にお笑い話でやりながら交渉して行くのですから弁護士って結構面白い商売?でした。
ここ20年ばかりの間に個人的サラ金は淘汰されて行き、今では大手企業ばかりになってマニュアル式交渉になって来たので、こうした面白み・・個人の個性で交渉する仕事がなくなってきました。
個人関係で言えば、誰かに道具類を預けるとその間に使って傷んだりするのが普通・・お金の場合で言えば、誰かに預けておけば預けたお金を少ししか使い込まれなければ良い・・8〜9割も戻れば「あぁよかった」と思うのが普通ではないでしょうか?
今後先進国では投資機会が少ない・・あっても投資すれば、投資金の何倍になって戻って来るような高成長機会は滅多にありません。
(何時の時代にもアップルやユニクロのように部分的に急成長する企業はありますが、私の書いているのは国全体レベルで成長企業より沈滞企業の方が多くなる状態です)

マイナス利回り4(消費信用3)

話題をマイナス金利に戻します。
全く劣化しないように思われる金貨の保管でも、その管理費・・警備その他に年間1%コストがかかるならば、金貨の価値が年1%ずつ(経費として金貨をカジって行くしかないので)目減りして行くべき筋合いです。
ウラン等放射性物質も半減期が長いのですが、その間の保管・管理コストが莫大です。
(結果的に原子力発電は安くないじゃないの?と言う疑問が噴出しています)
種モミのように生産に利用しない限り万物は時間の経過で価値が目減りするのが原則です。
元々お金でも何(家)でも本でも道具でも貸すのは、お願いされて「貸してやる」と言い、「お貸し下さい」と言うように、消費目的の場合目減りを前提としているので貸すのは本来的に「恩恵関係であって」金儲け目的ではあり得ません。
建物に関しては高度成長期以降、ビジネス(商)としての賃貸ビル等が発達しましたが、それまでは、家作と言って余裕のある人が恩恵的に貸してやる(民法の人間)関係でした。
大正から昭和に掛けて出来た借地法や借家法では、借り手を弱者として保護する法律になっているのはこうした現実を前提にしています。
他方で、平成に出来た借地借家法では、恩恵ではなく業として経営する人が増えて来たので、借りる方が顧客として強い場合があることを前提に定期借地権や定期借家制度が創設されました。
スーパーやファミレス等の出店にあたって、1000坪単位の土地を借りる場合、恩恵ではなく、投資資金の運用として土地購入資金としてまとまったお金を使うよりは借りる方が得だからか借りるに過ぎず、企業にとっては一種の投資行動になります。
生活必需品としての土地貸借・消費から投資になって来た分野も出てきました。
農地で言えば企業参入の必要性が出て来て、小作制度復活阻止至上命題の農地法(戦後直後はこれで良かったのですが・・)とは違ったコンセプトに切り替える必要が出て来たのと同じです。
貸金と金融の違いを見ると、消費目的に貸すのが貸金であり、投資資金として貸すのが融資(資本の融通)という棲み分けでしょうか。
種モミの供給のように何かを生み出す資本の融通ならば、元金プラス利回り回収を期待するのが当然ですが、消費目的の貸金は恩恵・・消費してしまう目的である以上、元金回収や利息を期待するのは無理があります。
この無理を通すために親族を連帯保証人にしたり、(黙っていると返せる訳がないので)自ずから取り立てが厳しくなるので余計金貸しは嫌われます。
金貸しが忌み嫌われるのは、消費目的で貸した以上は元本でさえ回収を期待するのは不合理である・・恩恵で(元本の何割かが帰ってくれば上出来)しかないのを承知で貸しておきながら、これを金儲けにしようとしているところに無理があるからです。
返す当てがないからこそ懇願されて貸すのですから、返せないことを知りながら恩を着せて貸しておきながら、満期が来たら鬼に変わって、厳しく取り立てるのでは一種の詐欺みたいなものです。
金貸し(あるいは個人の小金持)に言わせれば「あれだけ毎晩のように来て泣いて頼んだから貸してやったのに・・」返すときになって返さないのは詐欺じゃないかと言い募るのですが、上記のとおり元々返せっこないのが分っていて貸しておいて、満期が来たら約束とおり返せ」という方が、だまし討ちみたいなものです。
僅かの貸金で返さないなら家を渡せなどと強欲な要求する例が増えたので、これらは民法90条の公序良俗違反として無効にする判例が昭和30年代に出そろいました。
その後(無効にするだけでは借金と不動産価格のバランスが極端に違うときだけしか救済されないために、判例による解決には限界があるので)50年代に入って仮登記担保法が出来て不動産を取るときには無効まで行かないときでも借金と清算をしなければならないことが法で決められました。
(この法律は不動産価格がうなぎ上りに上がっているときに意味がありましたが、平成に入って下がる傾向になって来たことと、殆どの人が先順位で住宅ローンによる抵当権が設定されていて超過債務状態が増えたので実際的意味を失っています。)

仮登記担保契約に関する法律
(昭和五十三年六月二十日法律第七十八号)

最終改正:平成一六年一二月三日法律第一五二号

(趣旨)
第一条  この法律は、金銭債務を担保するため、その不履行があるときは債権者に債務者又は第三者に属する所有権その他の権利の移転等をすることを目的としてされた代物弁済の予約、停止条件付代物弁済契約その他の契約で、その契約による権利について仮登記又は仮登録のできるもの(以下「仮登記担保契約」という。)の効力等に関し、特別の定めをするものとする。
(清算金)
第三条  債権者は、清算期間が経過した時の土地等の価額がその時の債権等の額を超えるときは、その超える額に相当する金銭(以下「清算金」という。)を債務者等に支払わなければならない。

マイナス利回り3(消費信用2)

消費信用(南欧の資金手当問題は昨日書いたとおり、借り換えに使う資金ですから一種の消費信用に変質しています)と金利問題に戻しますと、市場原理に委ねれば、苦しいところには資金が流れ難くなって高金利となり、お金が余っている豊かな国に安全を求めて資金が流入するので、豊かな国は更に低金利で資金運用出来て益々有利になります。
ちなみに日本の企業は円高その他で6重苦などとマスコミが宣伝していますが、物ごとには裏表が必ずあります。
日本の円独歩高とは(貿易黒字あるいは投機資金流入によるものであれ、いずれにせよ)資金流入超過ということですから、資金流入→その分資金余剰で低金利になり、国内企業は資金調達が世界一有利になっています。
この話は何回も書いていますが、ある国で同じく数百億ドルの投資をするのに高金利国の企業は例えば5〜6%の金利負担で工場を新設するしかないのに、日本企業は1%前後の超低金利で資金調達して新規工場稼働出来ます。
仕入れ価格を約5%安く仕入れて競争相手と競争しているようなもの(仕入れも多くは銀行融資や保障でしていますので、金利負担の差が大きい)ですから、もの凄く有利な競争をしています。
その上仮に1割円高になると現地貨幣への両替に際しても、従来5000億円必要だったのが4500億円で済むのですから、現地への投資資金元本自体が1割少なくて済み、現地企業よりも当初から競争も同率で有利になります。
ちなみに今朝の日経朝刊11面真ん中囲み記事には、「トヨタの普通社債の発行金利が0・186%と記載されています。
大手企業のお多くは0.2%以下で資金調達していることが報じられています。
その他書き出せばキリがないですが、円高は消費者にとって有利なだけではなく企業にとっても悪いことばかりではありません。
バブルで高額の土地を買って損した人がいれば、その対極に吊り上がった高値で売り抜けて得した人がいるし、国債が1000兆円があればその対極にほぼ同額の国債保有者が国内にいて、更には国債によって形成した資産(公共工事によって出来上がった資産・・学校用地の買収など)があるのに、これを報道しないで債務ばかり報道しているのを批判してきましたがこれと同じです。
物事には裏表・バランスシート的に双方の事象があるのにマスコミはいつも一方ばかり強調する傾向があって、国民の判断材料提供者としては問題があります。
話がそれてしまいましたが、生産向けの投資資金融資の場合利潤を生むのでその分け前としての金利を期待するのは合理的ですが、低成長社会では成長率に合わせた低金利にするしかないし、・・消費者向け融資には利潤を生む余地がないのでプラス金利は合理的ではありません。
生活に困っている人に対する消費者向け融資は、本来元本の何割か返せれば上出来と言うマイナス金利であるべきです。
市場原理主義・新自由主義批判論者は、消費信用分野では正しいことを言っていることになります。
生活に困って借りたとすれば「御陰さまで、これだけ残りましたありがとう御座いました」と借りたお金の何割かだけ返せば上出来という経済原理ですから、本来消費者信用は社会保障分野の問題で市場原理を働かせては行けない分野です。
約10年前、06/04/02「社会システムの大型化と細やかなサービス4」前後で「サラ金は生活保護の一変形である」(社会保障システムの不備がサラ金禍を招いている)と言う意見を連載したことがありますので参照して下さい。
(2002年〜2010年8月31日までの旧バージョンコラムの検索は、この表紙の写真の下についている「このサイトについて」というところをクリックすると以前の方式によるコラムのアドレスが出ますのでクリックしていただければ検索できます)
サラ金問題は社会保障分野であると書いたのは上記のとおり約10年前の意見ですが、その後(私の意見が浸透したのかどうか不明ですが・・)サラ金に頼る生活苦は社会保障分野であるという認識が広がった結果、最近では(地元市会議員の配布して来たデータによると千葉市で言えば約1、8%)生活保護受給者が増え過ぎて困るほどになってきました。
私は、サラ金苦問題はその殆どが社会保障分野の問題であると書きましたが、だからと言って直ちに生活保護需給に走れと主張したのではありません。
その解決策としては06/07/02「社会の大型化と細やかなサービス7(公営住宅家賃未払いと貸し付け制度)」前後のコラムで社会保障の一環としての貸し付け制度の創設が合理的であると提案して来ました。
貸付金を社会保障の一環として考えれば、全額回収出来なくとも8割でも5割でもあるいは3割でも・・少しでも回収出来れば上出来です。
消費信用・・使ってしまう資金の場合、マイナス金利(元本割れ)で良いのじゃないかと言う応用編です。
病気高齢・障害等に入らないいわゆる「その他受給者(健康な若者がタマタマ職がないだけ)」の場合、生活保護だと一旦受給者になってしまうとそこで安住してしまうリスクがありますが、社会保障的貸付金の場合、何とか返そうと努力する人が多いので社会復帰が期待出来ます。
元金全部と利息を付けて返せと言われたら、消費信用の借り手は夜逃げか破産または生活保護に逃げるしかありません。
利息を付けて返すか破産するか、あるいは生活保護に逃げ込むかという二者択一ではなく、返せる限度で返せば良いという(これはそのとき考えついた一例に過ぎず、外にも似たような解決案があるだろうという意味で)06/07/02「社会の大型化と細やかなサービス7」を提唱していました。
私の提唱した(パソコン利用が出来るようになってコラムに書いたのは約10年前ですが、こうした意見は昭和50年代から事件処理の度に関係者に言ってました)消費信用は社会保障分野の問題であるという意識が社会一般(法律家)に一般に根付いたのは有り難いですが、苦しければ生活保護しかないという短絡的方向へ進んでしまったのは、国民や行政・関係者の工夫不足ではないでしょうか?

マイナス利回り2(消費信用1)

食費等の純然たる消費信用では借りた資金から利潤・メリットを生み出さないのですから、(種モミを貸せば秋には何倍もの収穫が期待出来ますが、その日その日に食べてしまう食糧として、食用米を貸しても秋に米粒が増えて戻ることはありません)使ってしまった物を満額返すのさえ大変ですから、さらに金利を上乗せして回収するのは無理になります。
投資資金ではなく消費目的の資金を貸す方から見れば、信用のない・・元々返すのには無理のある人に貸すので焦げ付きリスクが高くなることから、市場原理からすればリスクの高い分金利を高くしないとペイしません。
スペインやギリシャ国債の値下がり=金利高騰を見ても分るように、資金の必要に迫られているところは苦しいので高金利を払うどころではないのに、苦しいところに限って高金利になります。
南欧諸国の資金需要は(付加価値を生み出す)新規投資資金需要ではなく、借換債のための資金需要ですから消費信用化していることによります。
消費信用として貸す以上はリターンを求めるのではなく、万物は無価値化するという原理に戻って、社会保障・恩恵的運用・・「元本の何割かだけでも返してくれたら良いですよ」と言う運用が必要です。
市場原理と万物の価値が減少する自然界の原理とは、本質的に矛盾関係になります。
ここ10年近く新自由主義経済悪玉論(負け組を作るな!と言うアッピール)が盛んですが、この主張者の多くは旧社会党系人権運動家に多いことから見ても、弱者の空間に市場原理を持ち込む領域の広がりに危機感を抱いているからかも知れません。
弁護士で言えば消費者系運動家がこの範疇に入るのは、こうした分類をすれば理解可能です。
現在社会は資本主義的利潤追求システムと個人間の情義に基づく(原則無償)システムが共存する社会ですから、どちらに比重をおくか・・その境界移動の激しさに対する反発とも言えます。
里山が荒廃して行き・山奥まで人が進出して熊などの生息域が荒らされ、動物のすみかがなくなりつつあることに対する危機感と似ています。
1994年のアニメ映画「平成狸合戦ポンポコ」を見たことがありますが、人権活動家と里山保全・自然を守れ関連活動家と心情的にかなり重なっているように見えるのは偶然の一致でしょうか?
法の世界ではご存知のように個人間の利潤追求を目的としない社会関係を律するのが民法で、飽くなき利潤追求・・商的世界(会社関連条文が商法から独立して6〜7年前に独立の会社法になりましたが、本籍は商の世界です)を律するのが商法世界です。
民法では委任でも貸金でも特約がない限り無償(無利息)が原則ですが、商の世界では以下に紹介するように特約がなくとも、何かをすれば必ず報酬請求権があり、お金を借りれば金利がつくことが法で決められている、まさに市場経済を前提としています。

商法
(報酬請求権)
第五百十二条  商人がその営業の範囲内において他人のために行為をしたときは、相当な報酬を請求することができる。
(利息請求権)
第五百十三条  商人間において金銭の消費貸借をしたときは、貸主は、法定利息(次条の法定利率による利息をいう。以下同じ。)を請求することができる。
2  商人がその営業の範囲内において他人のために金銭の立替えをしたときは、その立替えの日以後の法定利息を請求することができる。

最近は何もかも商的分野(親子で解決していた介護でさえ他人に頼んで対価を支払う形式が主流です・・介護自体が商行為という意味ではなく対価形式になったという意味で商「的」と書いています)が増えて来て無償行為が減ってきました。
まさに民と商の精神境界・領域が大きく変わりつつあり、民(無償行為)の分野が浸食されて大幅に減りつつある社会と言えます。
平和な江戸時代に商人層が発達しましたが、彼らが最下位で遇されていたように、利潤目的の行為は近代社会になって生まれて来た新たな行動パターンで、我が国の過去の何千年の道徳規準にはない価値観ですので冷遇されていたことになります。
明治以降列強に伍して行くために国家自体が貿易の主体となって(しかも儲けない限り赤字では大変です)行くしかなかったのですから、商(儲け追及)を(幕府もお金の重要性を知っていましたが、飽くまで表向きは重視しない態度でした)正面から重視する価値観に転換されたことになります。
その後150年近くもたっているのに、商・利潤追求行為を蔑む根強い気風があることは今でも変わりません。
我が国では、未だに物造りに対する価値・ウエートの強いことと関連があるかも知れません。
愛情をもっとも期待している介護についてまで対価関係になって来ると(道徳観の違いだけではなく)心に隙間が出来るので、無償のボランティアが発達して来たのはその穴埋め作用でしょう。
東北大震災で無償の助け合い活動が多くの感銘を呼んだのは、失われつつある無償行為への挽歌かも知れません。
今後交際相手のない独身が増えて来て、兄弟姉妹もいない中高年者が増えると完全無償の人間関係が激減して行きます。
ペットを中心にした疑似愛情関係・・人間同士の新たな関係が増えて来るのでしょうが、こればかりはボランティア頼りというわけには行きません。

マイナス利回り1

ちなみに、年金運用利回りは長期で考えればマイナスを予定するくらいが正当・運用としては手堅いところでしょう・・。
明治維新以降ホンの100年あまりほど投資用資金不足時代が続いたのでプラス金利がつくのが原則になっていますが、元々物を貯蔵保存すれば劣化するのが原則です。
明治まではお金持ちは金貨で貯蔵しておく(幕府の御金蔵という言葉がありますが・・)のが普通で、金利など気にしてませんでしたし、欧州ではまだ金志向が強いと言われています。
(食料品の劣化は言うまでもなく、ウランやセシュウムでさえ半減期がありますし、岩石でさえ割れたり欠けたりします。)
貨幣は物を価値化した抽象的なものですから、貨幣に変換された途端に物の価値が増え続ける訳ではありません。
物は置いておいても(減ったり腐ったりすることがあっても)増え続けないのに、物と価値が同一である筈の貨幣だけが利殖(増殖)を続けるとバランスが崩れてきます。
一定周期で貨幣価値を下げてバランスをとる回復運動が、インフレ現象と理解出来ます。
日本や中国が貿易黒字で儲けた分をせっせとアメリカ国債に投資していますが、アメリカは、これを国内インフレの亢進=時々ドルの下落(目減り)で調整しています。
どんなものでも長期保存すれば何割か目減りするくらいの覚悟がいるのが本来で、食料品に限らず工業製品でも、殆どの製品が10年〜20年すれば劣化する・・巨大建造物・・橋梁等も一定期間経過による劣化が問題になる点は変わりません。
その資金利用で新たな生産・・価値を生み出し続ける場合だけ、プラス金利が整合していたに過ぎません。
資金利用で新たな価値を生み出さない場合、物が化体したに過ぎない貨幣価値も物の劣化に合わせてマイナスになるべきです。
置いておけば増え続けること・・利回りがプラスになることを期待するのが普通だったのは、産業革命以降投資資金次第で生産力上昇が期待出来た・・投資資金不足時代が続いた例外現象だったことになります。
新興国ではまだ投資してくれさえすれば、経済が浮上出来る・・これから産業革命が始まるので資金需要が旺盛で・・ベトナムその他が日本からの投資を期待しているのはその例ですし、中国では今でも日本からの投資がなくなると大変なので、強面の一方で日本に対して神経を使っているのはそのせいです。
先進国では既にインフラその他の成熟の結果、投資による生産性上昇余地が乏しくなっていて投資資金が有り余っている・・資金重要が下がっているので、利回りは低下して行くしかなくなっています。
利息については、税の歴史で出挙に関連して02/23/06「出挙から租税と貸し金業(銀行とは?9)」以下で少し書きました。
稲モミが約1年(当時は今の夏を中心とする半年間を1年と言っていたようであることを以前書きました)で何倍にもなるので増えた子の一部を返すという意味から始まったものです。
利子を払うのは上記のとおり生産活動に利用してこそ、生産増加分の分配として意味があります。
消費信用の場合、そのお金は消費するだけですから、満期が来ても借りたお金が増える理由がありません。
何も増えないところに貸せば目減りしかない(物はすべて時間の経過で目減りして行く)筈ですが、逆に金利を付加して返してもらうのは自然の原理に反して無理があります。
このために金利を払うための借り換えの繰り返しで、借金が雪だるま状になって結果的に金利を付加する矛盾が明らかに・・先送りの限界が来たときに踏み倒し・破綻となります。
資金あまり状態の先進国では生産投資向け需要が少なくなってきて、資金需要は不健全な借り手・・すなわち資金繰り(借り換え)目当てや消費信用が中心になって来たのは必然です。
今朝の日経朝刊を第1面トップにトヨタ(今年の収益の中で金融収益が3割・・昨年では車の売上減で8割)その他の自動車業界が収益の何割も金融事業で占めている実態が出ています。
本来の金融機関の融資先が細って国債にシフトしている中で、車販売のローンを手がける業界で大もうけしている様子です。
車の場合、純然たる消費信用と投資資金融資の中間的金融に位置するから儲かっているのでしょう。
生活費の借金と違って、車ローンの場合、事業用もあれば、個人が買う場合でもその分タクシー代やバス・電車賃が節約出来るなどメリット分もあるから金利を付加する意味があります。
住宅ローンもその間それまで払っていた家賃が要らなくなるなどのメリット抱き合わせですから、一定の金利を支払う合理性があります。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。