私は外国人観光客は膨大なインフラを無償利用し、安い交通費、公衆便所・公的施設など無償で利用して行くばかりで却って損だという「観光立国」に反対の意見を何回も書いていますが、観光客には入国税を課してこれらの負担金を徴収するならば反対しません。
例えば観光客誘致用に地元政府が(税金や市債で)100億円かけて大規模な施設を作ったとした場合、その前で土産物を売る店や飲食店を外国人が開店して儲けている場合を想定すれば、100億円の分担をしている地元民からすれば納得出来ないことが直ぐに分ります。
マラソンや花火大会その他は地域の楽しみとしての意味があるが、地域経済とては実際は持ち出しではないかと言う観光立国反対論を何回も書いて来ました。
最近では、November 3, 2011「ギリシャ危機と観光亡国4」October 31, 観光2011「国際競争力低下7と観光亡国1」などで書いています。
新興国が近代産業に参入して来た(所謂グローバル化)以降には正当な労働対価が新興国相場に引き寄せられるので賃金が下がる一方となります。
先進国だけが近代産業化の恩恵を受けて来た時代には高賃金も適正な対価だったでしょうが、新興国の台頭によって適正賃金が下落して行くと日本を含めた先進国が高賃金を前提に到達していた文化的な生活が出来ない人が増えてきます。
新興国との競争によって賃金相場が下がったならば、連動して貧しくなれば良いと言って放置出来ないのが政治です。
これまでの膨大な蓄積があるので、その取り崩しによってソフトランデイングしようとしているのが現在先進国社会の姿です。
イギリスが戦後「ゆりかごから墓場まで」という有名な標語で社会保障して来たのは、ドイツやアメリカの台頭によって(戦後は植民地も殆ど失ったこともあって)イギリスが過去の栄光に寄りかかった高賃金に堪えれなくなったことによるものですから、今の日本がここ20年ばかり置かれている状況と似ています。
この結果イギリスは次第に国際収支の赤字が広がって、ポンド防衛が戦後世界経済の大きなテーマになり続けて来たのです。
ビートルズが出現したころのイギリスの風景としては、仕事がなく所在なげな若者が街路にたむろする光景ばかり報道されていたものでした。
その後、所謂サッチャーリズムで漸く長い低迷を脱して息を吹き返しましたが・・・これも金融に偏っているようで、(アメリカも同様)その咎めが出て世界経済を揺るがすようになっています。
日本も諸外国との賃金格差差額分を社会保障資金で賄い続けていると、行く行くは戦後のイギリス同様に国際収支赤字になるリスクがあることは10月6日に書いたとおりです。
社会保障の資金が、過去の蓄積による以上は過去の蓄積に関与して来た民族国家の構成員だけに保障する方が合理的・・外国人労働者問題はこの段階で区別すべきだと考えます。
適正な賃金は内外平等とし、社会保障は別とすることは許されるでしょう。
社会保障部分を殺ぎ落として賃金が新興国・後進国と同じ対価になれば、能力以上の高額賃金を求めて、出稼ぎに来る単純労働向け外国人はいなくなります。
民族の混在は決していい結果を生まないことは歴史が証明しているところです。
例えば中国深圳での工場労働者の月給が約2〜3万円であるとすれば、(これが正しい数字とすれば)国際的な人権問題となれば日本国内の賃金も同じであるべきで、これでは現在日本で一般的な文化的な生活が出来ない分は社会保障分野の問題です。
現在は社会保障分まで賃金に含ませて2〜30万円以上も払っているので外国人が出稼ぎに来るメリットがあることになり・・この差額分を企業・国民が払わされていることになります。
外国人出稼ぎ労働者には差額分の保障がなく中国で働くのと同じ給与水準しか払ってくれないとなれば、日本にわざわざ出稼ぎに来ても旨味がなくなるでしょう。
社会保障分まで給与名目で払うから外国人労働者が世界中の先進国に溢れ、文化摩擦を起こしているのです。
過去の蓄積利用で一定の保障をする理は企業社会にも通用する原理で、儲けの蓄積のある会社とない会社では赤字になったときの対応が違う・・ストレートに整理解雇あるいは労働条件の低下になるか少しの赤字は企業が補填しながら様子を見るかなど対応が違って来ます。
その差は過去の蓄積によるのであって過去の蓄積に貢献したか否かによることですから、企業間格差をなくすことは出来ません。
南欧危機・・EU内の格差は、まさに過去の蓄積の格差によるところが大きいのです。
過去の蓄積に何ら貢献をしていない他所から来たばかりの人(外国人)にまで、過去の蓄積を取り崩してあるいは対外負債を増やして彼らの働き以上の社会保障をするのは不合理です。