北アメリカ居住者のルーツ・・・何系民族かの調査研究をする意味があるのは民族としての共通体験から、一定の共通気質が導き出される傾向があるからです。
民族意識・価値観の過去からの継続性があってこそ、その民族の歴史を知る・学ぶ意味があります。
我が国の場合、縄文時代(1万1000年〜紀元前7000年前の縄文早期)からの研究に意味があるのは、その頃の日本列島人の生活習慣・・考え方が今の日本人の気質と繋がっているからです。
我が国の場合、日本列島での縄文時代の研究が進んで来て食べ物に関してみれば、既に煮炊きもの中心の文化・・今に繋がる根菜類重視の文化が見えます。
(だからこそ必需品としての縄文土器がまず発達したのです)
話がそれますが、根菜類のうまい所は土の良いところが多いのですが、日本列島は他の国と比べて土が肥えていたからでしょう。
あるいは、昔から知られていることですが、犬や身近な動物を自分たちと同じ生き物として大事にする価値観・文化が縄文時代の遺跡から数多く出てきます。
千葉にあるシーワールドの本家であるアメリカのシーワールドの映像をユーチューブで最近見ていたところ、気質の違いに驚きます。
アメリカでは飽くまで人間の演技が主役で、シャチやイルカはその合間に人間の手助け役として出演する趣向です。
スターらしき演技者が高所からつり下げられるロープやリングなど使ってプール上でサーカス的演技を繰り返した上で、彼らが水中にはいるとロープ等の動力の代わりにシャチが水中の推進力となってスピードを出して人間が猛スピードで移動し(あたかも水上スキーの動物版の印象です)、あるいはシャチのジャンプの推進力によってより高くジャンプするだけです。
あるいはどこか別のシーワールドを見るとコミック役者が出て来ていろいろ笑わせるのが主で、いつアシカが出てくるのかと待っているとちょこっとワンポイント出て来るだけです。
日本の場合、20年ほど前まであった行川アイランドのフラミンゴショー・行進であれ、鴨川シーワールドのアシカのショーであれ、べルーガであれ、シャチであれ、ペリカンの行進であれ、北海道の旭山動物園のペンギンの行進であれ、すべて動物が主役です。
「彼らもこんなことが出来るよ!」と観客が賛嘆するための行動展示であって、関与する人間はそのお世話係でしかありません。
この気質差が1万年も前から続いている我が国・・日本列島住民の特質です。
中国や朝鮮では最近のオリンピックで初めて猫や犬を食べるのを「みっともない」となって禁止したばかりですし、欧米の動物愛護運動と言っても、元々人間を特別なものとして動物を見下した上で根の浅い頭でっかちな運動に過ぎません。
(だからこそ捕鯨反対などの過激運動にも繋がるのでしょう。)
欧米の動物愛護運動は、飽くまで金持ちが貧しい人へ施しを与えるような上から目線です。
民主主義運動や革命をする必要のある西洋や中国等の社会と我が国のように民主主義などとことさらに主張しなくとも自然にボトムアップしかない社会(逆にリーダーシップがないと批判されます)とは基本構造が違うのと同じです。
日本人はずっと列島に住み続けて来て異民族と入れ替わったことがないので、欧米人あるいはその他世界中の人々と日本人の違いが今に始まるのではなく、縄文の昔(1万年以上も前から)から違っていたことが分ります。
要するに我が国こそ1万年前からの古い歴史を研究するに足る国・民族なのです。
北アメリカ大陸の発掘で1万年前どころか500年前の状態が分っても、今のアメリカ(USA)人やカナダ人の気質を理解出来ません。
古代ローマ帝国はゴート人の侵入によって崩壊したので、今のイタリア半島に居住する民族と同じはありません。
中国の場合も異民族が順次侵入しては交代的に支配して来たので、夏や殷や周の頃の気質が今の中国人の気質と同じではありません。
支配者が次々と入れ替わっても漢民族が続いて来たかの如き宣伝をしていますが、所謂漢民族とは黄河上流域・・中原に居住していたホンの僅かな数の種族に過ぎません。
漢族が異民族支配を受ける度に、異民族と混淆して来たミックス状態を言うに過ぎず、本来の漢民族は今で言えば数千人〜数万人いるかいないかでしょう。
そんなことを言い出したら古代ローマ人もゴート族の侵入によっても全員どこかへ行ってしまったのではなく、少しはローマに居残って来た筈ですから、イタリアは今も古代ローマから同じ民族であるということになります。
(ただし、ベネツィア人は、この侵入に抵抗して海上の砂州に逃れた人たちですから、ローマ時代人の生き残りです・・今のイタリア人とは人種が違います)
アメリカインディアンが少しばかりアメリカ合衆国に今も残っていますし、オーストラリアに原住民が今も少しいるからと言って、現在のアメリカ人やオーストラリア人の先祖であるとか同族とは言いません。
歴史上国名?を「漢」と称した王朝である劉邦自身・中原・漢民族から見れば異民族であった楚の支配地域・沛(現在の江蘇省徐州市沛県)の県令になったことから身を起こし(史記では沛公と書かれています)たもので、元は地元の侠客・ならず者でした。
我が国では項羽と沛公の覇権争いを「漢楚の興亡」として、あたかも「漢民族」が勝ったかのように何故か言われますが、異民族である楚地域の出身者同士の覇権争いだったことになります。
我が国では、古代からの先進国としての憧れがあったからか、漢民族を美化し誇大化し過ぎる傾向があります。
遣唐使を通じて唐詩など文献だけが入って来ていて、(これに憧れていたのですが・・・私もその一人です)中国地域の具体的な歴史がよく分っていなかったことにもよるでもあるでしょう。