最先端社会に生きる1

この辺から正月元旦〜2日のコラム続きに戻ります。
日本はキャッチアップ社会ではないので、他所の技術を導入して簡単に成長して行く過去の成功モデルは最早通用しません。
「輝かしい未来」が待っているような正月元旦の目出たいイメージ新聞がなくなって久しいですが、これからも最先端で苦闘しながら(外形上モタモタするしかない)やって行くのは(他所の技術導入で高成長するよりは)日本にとって名誉なことです。
円高・・ハンデイが大きくなればなるほど国際競争は苦しいですが、ハンデイが高いのは本来名誉なことです。
数日前に置き碁の例を書きましたが、置き石をドンドン減らして勝っていても実質的実力が下がっているのに、表面上勝っていて、景気が良さそうに見えるので気がつかないだけです。
円安で楽をしようとするのでは、企業体力がなまってしまいます。
円安時に甘やかされて基礎的競争力が弱っているところで、投機筋の標的になって円高になると日本経済がひとたまりもなく参ってしまいます。
ここ4〜5年破格のウオン安で良い思いをして来た韓国経済が、今回は投機筋の標的になってウオン高になって来るとひとたまりもない状態が懸念されているのが参考になるでしょう。
日本も囲碁の例で言えば、置き石を4個から3に減らす程度で良いのに調子に乗って5から1に減らすと実力以上の円安ですから、企業は楽して儲けられますが、その代わり筋肉質でなくなったころに投機の対象になって急激な円高(本来の実力相応レベル)に戻るとメタメタになってしまいます。
相撲で言えば大関がまだ関脇の実力があるのに、あえて幕尻〜十両に下がって相撲を取れば(大関の待遇を受けられない代わりに)連続勝ち星を挙げられて景気の良い話になりますが、弱いものばかり相手では実力が却って下がってまうでしょう。
苦闘の将来が待っているのは誰のせいでもない・・課長〜部長〜役員と昇進すればランクアップに応じて大変なのは当然ですが、そのうちに新たな地位に適応出来るのが普通です。
円高=ランクアップに応じてその直後は適応に苦しむのは当たり前で(政治家の責任にしても始まりません)最先端水準に到達した日本民族みんなの試練・宿命です。
前を行く選手を追うのは楽ですが、先頭ランナーが辛いのはどこの世界・分野でも同じです。
日本は栄誉ある地位を得た以上は、その苦労を苦労と思わずに輝かしい1歩の始まりと思って民族みんなで背負って新たな地位に挑戦して行くべきです。
他人の後を追って高度成長したい人が今でもいますが、そう言う人は新興国に引っ越せば(高速道や鉄道も港湾も何もかもそろっていない社会では、毎日のようにインフラの充足劇を見られて)高度成長が実感出来ます。
円安期待とは、せっかく部長に昇進したのに「課長に戻れば楽で良いなあ!と言っている負け組の発想です。
(課長の実力しかないのに官打ちにあったと言うなら別です・・安倍政権の円安政策は日本の実力はもっと低い・・荷が勝ち過ぎるという意思表示になります)
我が国は経済だけではなく道徳的にも最先端社会を構築した以上は、簡単に先が見えないのは当然ですから、成長率だけを基準にこれを「失われた20年」などと閉塞感を強調して批判するのは誤りです。
前人未到の領域に入った以上は、傑出した指導者など滅多に出る訳がないので何をするにも暗中模索・モタモタするしかないのは当然です。
モタモタが20年続いているのは誰の責任でもない・・政治家の責任ではないので、政治家を非難しても始まりません。
政治家や誰かに安直に解決してもらおうとしても、誰も経験のないことですから日本の歩む方向は試行錯誤しかないのは当然です。
これを従来の高度成長期のように、どこか先進国の経験の真似をしたら良いとい安直な期待で政治家に期待すると、どこにも真似をする事例がないのでどの政党が政権をとっても国民が期待したようにはうまく行かず、政権が安定しないことになります。
日本の政権が短期で交代する・・国民の期待はずれに終わるのは、過去の高成長期待を煽るマスコミ(ネットを含めた)・学者の姿勢に問題があります。
欧米の過去の事例を学ぶのに秀でた学者の意見で政治をすれば楽ですが、そんな社会・・低レベルな二番手〜三番手社会にわざわざ落伍して生活する必要はありません。
前向きに一歩でも二歩でも進もうとすれば、モタモタするしかないのですから、これまでの日本の愚直とも言える歩み方は正しい選択であったように思います。
マスコミの煽動に応じる・・ポピュリズム的政治を志すには一旦大関・関脇クラスから、幕尻クラスにランクを落とすのが早道です。
安倍政権は円安にする=一旦ランクを落として高度成長のような気分に国民を踊らせようとしていますが(ランクを落とすのは誰でも出来るし実現可能です)、長期的な体力・国力を弱めることにならないかを心配しています。
アニメの普及を通して日本庶民の生き方が世界に浸透し始めていることをDecember 20, 2012「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」のコラムで書いたことがありますが、我が国の国民生活レベル全般(信義を守るなど道徳意識を含めて)が今や世界の模範になりつつあります。
鼓腹撃壌の故事を持ち出すまでもなく、政治の要諦・・目標は国民の福利にあります。
世界で一番犯罪率が低い・財布など落とし物をすれば直ぐに交番に届けられている・・こんな理想社会が日本以外にありますか?
街にゴミが散らかっておらず隅々まで清潔・・町並みも綺麗な状態で騒音も少ない・川には澄み切った水が流れている・・子供や動物など弱者に対するまなざしが暖かいし、みんなお互いにいがみ合っていない・・信頼性の高い理想郷を実現しているのが現在日本社会です。
スラム街がないのも日本の特徴です。
日本にも一見貧しそうな木密住宅街がありますが、そこでも路地の隅々まで綺麗に掃除が行き届き、狭い空間に草花を育てるなど暖かい風情があって、諸外国の荒れ果て・荒んだスラム街とは全く違います。

公約から実務能力へ4

話が為替政策にずれてしまったので、公約の意義に戻ります。
安倍自民党の円安政策発言がそのまま実現しているように見えるのは、わが国にとって不幸なことに貿易収支赤字の定着傾向とタマタマタイミングがあったに過ぎません。
まさか安倍氏が我が国の貿易赤字を実現した・・安倍氏の功績だとその取り巻きも言うつもりはないでしょう。
とすれば公約とは関係なく、大震災以降我が国のファンダメンタルズが悪化して来た結果・・その効果・・貿易赤字恒常化の傾向が統計上も出て来て・・「さすがに日本も参って来たか!」という国際認識の結果、円が安くなったことを誰もが認めるしかない筈です。
円安とは、国力低下に応じて市場がハンデイを下げてくれたに過ぎず、決して目出たいことではありません。
1月10日に書いたように為替介入は短期的には行き過ぎた相場の是正作用はありますが、その程度の効果では、企業が海外進出するか、国内で増産するかどうかの長期判断には関係しません。
長期的な為替相場は貿易の長期的トレンド・国力評価によるものですから、政治家が公約として円安にするとか円高にすると主張するのは太陽の運行を早くする・あるいは来年は猛暑にするというのと同じで政治で決められることではないので公約には馴染みません。
安倍自民党は本来公約になり得ないものを掲げてあたかも自分の手柄のようにしていますが、貿易赤字が定着しつつある昨年秋ころからは、赤字傾向になって来たので円が安くなるしかない地合でこれを先取りしたに過ぎません。
公約の意義に戻りますが、国民政党時代に社会が来ている以上は、結果的に矛盾した国民の要望をどのように取り込んで決断し、実現して行くかしかありません。
本来的意味での公約が無理だとすれば、公約としては「貿易立国」や「国民の生活第一」みたいに抽象的にしておくと政党を選ぶ基準がなくなります。
結局は人格者に委ねる・・あるいは実務能力が必要になったと時代と言えるのかも知れません。
公約があまりにも総花的になって意味をなさなくなったので、人格+実務能力時代に戻ったのでしょうか?
実務能力重視と言えば、地方首長が副知事や助役経験者ばかりだったころを思い出しますが、その頃の説明では、地方自治体では革新だ保守だと言ってもやれる範囲が狭いので関係がない、むしろ実務能力こそ重要だということでした。
言わば国政も冷戦構造が終わって、保守革新の区別が意味をなさなくなると、地方自治体のような関係になります。
今後は国際経済競争にどうやって勝ち抜いて行くか、どの辺で折り合いを付けて行くかの競争です。
保守革新の区別ではなく、予めどうすると公約していた事態ではなく、原発事故のような個別事案が起きるたびにその処理能力、官僚掌握術・結局は人格の高潔さ・懐の大きさが勝負になってきました。
アジア通貨危機やバブル処理でも実証されましたが、アメリカのエリート学者の集まりであるIMFの言うとおりしないで、一見もたもたしていた我が国のやり方が正解でした。
最先端・・世界でどこも経験のしたこともない難しいことは、じっくり時間をかけて日本流の総意・・ボトムアップ方式で進めて行くのが良い結果に繋がります。
指導者不足と嘆くマスコミ論調が多いのですが、日本人は一人一人のレベルが高いので、少数のエリートに一任する諸外国のやり方・アメリカの真似をしたがるのは却って危険です。
日本社会はこれからも前人未到の最先端社会を切り開いて行くしかないのですから、お勉強・・いつも書きますが過去の経験を学ぶのに秀でた人たち・・単純回路中心のハーバード流(プリンストン大学でも同じですが・・)学者の言うとおりしていてもうまく行きません。
誰もどこも経験したことのない最先端事象を解決して行くには、国民の総意を総合して行くしかない・・もたもたしているように見えても、これが1番副作用の少ない良い結果を生み出します。
幸い我が国の国民一人一人のレベルが高いので、一握りのエリートに委ねるのではなくみんなで智恵を出し合って行けば、必ず良い解決が生まれる筈です。
強力な指導者による号令一下突進するのではないので時間がかかりますが、愚直にモタモタしながら、国民みんなで努力し、もがきながら良い(GDPのことではなく国民生活の高レベル維持)結果を出せればいいのです。

公約3

個人の場合、映画が好き、本を読むのも好き、旅行も野球も好きというのは勝手ですが、二者択一の場合どうするかの質問・・あるいは優先順位付けこそ公約には重要です。
輸出産業の苦境打開、TPP、農家保護、増税反対、財政再建、福祉充実等々それぞれが矛盾している場合があるので、政党としての優先順位こそ公約で書くべきです。
例えば拉致被害者奪回、靖国参拝の実行・竹島記念日の国家行事化、慰安婦問題の政府意見の見直し、あるいは尖閣諸島に常駐するという自民党の公約でしたが、一見選挙運動段階ではこれによる不都合を全く無視して実行するかのような公約でした。
ところが政権を取ってみると「そんな子供みたいなことは出来ないでしょう・・」とばかりに竹島記念日の国家行事化実施をさっさと見送りを決めて、逆に中韓両国に対して真っ先に関係修復のための特使派遣発表となりました。
それならそうと公約段階で言うべきではないでしょうか?
公約を実行するかどうかは、「万般の諸要素次第であって、直ぐにやる訳ではない」ということですから、公約は何の意味もなかったことになります。
(予算が許せば、という条件付きで)政権を取れば生活保護費を10倍に引き上げます、大学まで授業料全額免除します。国民全員に世界旅行券を配ります、税を半減します。・・・と言う公約をしたとすれば、意味がないでしょう。
自民党の勇ましい公約と中韓両国との関係正常化とどのように折り合いを付けるのか、どのようなタイミングでやるのか、何を何に優先させるのかが政権獲得後の今でさえまるで分っていません。
政党や政治家の公約は(自民党に限らず)国民の多くが支持しそうな項目別に迎合して意見を言っているだけで各項目を同時に実施したら矛盾関係になることが多いのですが、最終的にその政治家や政党がどちらを選ぶのかはまるで分っていないのが現状です。
状況に応じていつかやりたいというだけならば、(個人の願望でしかなく)公約とは言えないでしょう。
安倍自民党は具体的な金融緩和・円安政策論を選挙で全面に押し出しましたが、これは現状・・貿易赤字定着によって円安に振れる状況下で、現状に併せて言ったに過ぎず、本来政治で決められる性質のものではありません。
為替相場や金利動向などは4年間の任期中に経済ファンダメンタルズ次第でくるくると変わるべきものですから、前もって政治で決めて行けません。
円相場に関して言えば、長期的には経常収支の赤字が続くか黒字が続くかによって決まって来るのであって、政治家の公約や決断だけでどうなるものでもありません。
やる気にさえなれば出来ることは、(ランクを上げるのではなく下げる・無駄遣いして赤字にするのは怠けて贅沢していれば良いので努力しなくとも誰でも出来ますから)、長期的に貿易赤字を続けることくらいです。
成績10番の生徒が来年4番に上げるというのは努力目標に過ぎず、実現出来るかどうかは分りませんが、10番の子が来年ビリになるのは怠けていれば良いので簡単に実現出来ます。
円安=貿易赤字の長期化政策は、国民が国際競争に邁進せずに怠けていてドンドン消費拡大していれば良いだけですから、簡単に実行出来ますから、本気で政治の力で長期的円安を実現しようとしているとしたら、国民に怠けてお金を使え言っているとしか考えられません。
実際無制限な財政出動や日銀紙幣増刷っぽいことも主張しているのですが、これは言い換えれば国民の働き以上の支出をするべしと言う主張ですから、働き以上の支出をすれば貿易赤字になるのは決まっていますし(家計でも企業でも収入以上の経費をかければ赤字になりますし、その企業の株式相場も下がります)、結果的に国力低下=円安になるのは必然ですから、この点は公約どおり実現可能なのでしょう。
国民の働き以上の生活をさせて貿易赤字が定着するのを政治目標・国家経営を主張するのって、正気の沙汰でしょうか?
為替相場というものは市場の需給で決まるので、短期的には政治力・為替介入で行き過ぎ調整は出来ますが、(囲碁の例で言えば置き石の数が実力以上に多いとなれば市場反応を待たずに先取りでハンデイを下げる程度)経常的に赤字の垂れ流し国が一時的に為替市場で買い支えをしても長続きはしませんし、逆に長期的な黒字国でドンドン外貨が流入している国で、為替介入をしても一時的にはサヤ稼ぎのプロがこれに驚いて買い進みが一服する程度であって、長期的相場を押し下げることは出来ません。
貿易黒字のママで円が安くなればこんなうまい話はありませんが、それは一時的な介入効果にとどまり1〜2週間もすれば元に戻ってしまうのが普通です。
1〜2週間程度の短期的円安ですと、輸出業者にとっては今現在の取引の決済は何ヶ月か先の納品後が普通ですので、何の意味もないことです。
安倍政権の公約であった円安効果定着を本当に意のままに実現するには、貿易赤字にとどまらず経常収支でも長期的に赤字継続しなければならない・・ずっと怠けて贅沢しているしかない・・言わば亡国を期待する論理に外なりません。
インフレ・円安期待論は、亡国期待論に他ならないことについては、February 21, 2012「為替相場と物価変動2(金融政策の限界1)」前後とAugust 17, 2012「健全財政論11(貨幣価値の維持5)」で書きました。
しかも半年以上円安が続くと輸入物資・原材料費/コストが同じ比率で上昇する効果が出て来るので企業にとって差し引き貿易上の有利性は左程変わらなくなるので、結局は消費者物価の上昇分だけ国民生活を窮乏に陥れる結果になっておしまいです。
それでは困るので更なる円安を求めるとすれば、半年後には更なる消費者物価上昇になって国民生活の窮乏化が更に進みます。
韓国がウオン安策によって企業は儲かっているものの、韓国国民の窮乏化が進んでいるのはこの結果です。
このように自国通貨安は経済原理上自国の国力低下に比例して起きるものであることから、結果的に国民が窮乏化するのが一般的です。
こうした効果を期待するのって、一国の指導者のするべきことでしょうか?
どこの国でもその国の通貨価値の相場・トレンドはその国の国力の上下動に長期的には比例していますし、この経済原理から逃れることは出来ません。
長期的円安を期待するグループは、日本の長期的国力低下・国際的地位低下を期待しているとしか考えられません。
囲碁でも相手よりも強いから置き石で対戦し、将棋で言えば飛車角や桂馬落ちで勝負したりしますし、若者が入学試験の難しいところを受けたがるのは、より向上したい意欲があるからです。
置き石の数を5〜4〜3個と順次減らして、相手に勝ってみて・これが楽だと安住しているのでは実力が下がる一方です。
ただ実力以上の置き石で負け続けているならば実力相応に置き石を減らすことが臨時に必要ですが、それ以上の為替政策は論理的ではあり得ません。
入学試験のレベルの低い所に合格して楽勝だと威張っていても将来性が知れています。
出世したら大変だから昇進したくないと、グータラを決めているようでは将来が案じられます。
実力以上の円安誘導をして輸出競争に勝って貿易黒字が復活出来れば、その比率に応じて円が再び上がるしかないのですから、円安になって1年経っても2年経っても円安で楽だからと努力しないで更に競争で負け続けて貿易黒字転換を避け続ける=貿易赤字を期待しているのでは、最後は今のギリシャのようになるのを期待しているのと同じです。
レベルの低い学校に入ったらその分頑張って成績上位者になろう(貿易黒字を復活)とするのではなく、低位校にいれば勉強が楽だから、そこでもさぼって中位者のままの安住を夢見ているようなものです。

政権担当能力4(公約1)

アメリカの対日基本スタンスは、戦後一貫していて日本を支配下に置く・・支配下におけないまでもその弱体化が究極の目的だったと思われます。
周辺諸国もこれに同調しているので、日本は米中韓による悪意の包囲網下にあると考えていいでしょう。
極東だけで見れば中韓の言うとおりに、日本は戦後ずっと孤立して来ました。
・・最近は東南アジアやインドなどが強くなって来たので大分日本に有利な局面になってきましたが、米中韓包囲網から抜け出す気配のある日本に対して、米中韓が焦り始めたのが最近の日中・日韓緊張激化の根本原因かも知れません。
米中韓の包囲網からすれば日本の「政治の迷走は思う壷」ということで、能力のありそうな政治家に対してはアラ探しをしてこの対応に終始させて、他方で残った小者に対しては政権担当能力のなさをマスコミ・進歩的?学者を通じて煽って来たように思われます。
民主主義国家においては政策によって競うべきであって、政権担当実務能力をマスコミが煽ること自体、(野党には実務経験がないのは当然ですからこんな基準が幅を利かすと政権交代が出来ません)選挙による政権交代を前提とする民主主義政体をぶちこわす行為です。
実務能力基準と言い出したら20年前ころまで普通だった地方自治体首長が助役や副知事上がりの時代に戻り・選挙は儀式でしかなくなります。
石原前都知事が殆ど登庁しなくとも成り立っていたのは、(有能な副知事がいたとも言えますが・・)本来政治家は大所高所からの方向を決めれば良いのであって実務は官僚に委ねるべきでしょう。
実務能力を言い出したら官僚上がりが一番ですから、政治家不要論・民主政体が成立しません。
民主政体が良いと言う以上は政治家が決める方針に併せて官僚機構が責任を持って準備して、且つフォローして行くべきでしょう。
政治家は官僚のようには実務経験がないのが当然ですから、民主政体を選択している以上は、実務処理能力を基準に議論する最近のマスコミ傾向は間違っています。
防衛大臣で言えばシビリアンコントロール・軍事のプロではありません・・に矛盾することが明らかでしょう。
実務処理能力不足問題は、与野党が変わったときに官僚が充分に下準備して補佐すべきことです。
ただし、 官僚機構がいくら準備しても出来ないことは出来ませんから、公約発表には与野党を問わずに実際に可能かどうかの官僚機構との事前擦り合わせが必要です。
野党が法案提出するには、条文にするにはどうするか、他の条文との整合性はどうかなど専門家とのすり合わせが必要なのと同じやり方です。
ただし、Dec 1, 2012「民主主義と正義9(選出母体の支持獲得1)」に書いたように、現在では国民政党化している・・支持母体が錯綜しているので、どの政党も公約に責任を持つとすれば、独自色・特色を出せずに「よりよい日本を作る」「日本を元気に」という程度の抽象的公約しか出せません。
国内企業立地が国際競争上不利になっても良いという意見は、労働者であれ資本家であれ誰もいないでしょうから、争点はもっと具体的な企業保護政策・逆から見ればどこかがその分しわ寄せを受けるかに論点が下がっていますが、これは裾野が広過ぎて公約には書き切れません。
書けるとすれば、政策選択基準を開放経済中心で行くのか国内企業保護で行くのか、農家保護中心で後はおかまいなしか企業保護中心か労働者中心に軸足をおくのか、高齢者中心か若者中心か程度は自分の立ち位置を明らかにすべきでしょう。
ところが、上記12月11日に書いたようにどの政党も労働者からも企業からも農民票も高齢者票も若者からも総体からの票が欲しい・八方美人のために政党色が表面に出ていません。
当選したら何をするのからない状態での投票勧誘・公約ですから、困ったものです。
農家保護子供手当その他諸々細かい項目ごとの賛否を公開質問しているのですが、これらを見ると個別項目と他の項目が相容れない場合が多くあります。
どちらを優先するかの質問がないから、どの項目にも賛成の大そうな選挙に有利になりそうな回答を選んで気楽に答えているのでしょう。
たとえば国際競争力の維持向上政策の必要性は誰も反対しませんが、それと原発維持拡大しあるいは縮小とどのように整合性をつけるのかの立ち入った質問も回答もありません。
都市政策に関して何回も書いていますが、旧市街地街の再開発と郊外の新市街地開発とは高度成長期には両立していたので政治家は気楽に主張していました。
今はどちらかをやめないで両方に投資して行くのでは、財政が持たないし人口減少地域は無理があります。
原発即時廃棄と燃料輸入増による電力料金の値上がりや貿易赤字をどうするのか、福祉充実と増税反対など、いろんな矛盾項目(実際には2項対立どころかもっと複雑です)をセットで考える必要があります。
一人の人間・・政党は同時にいろんなことを決めなければらないのですから、優先順位を付けて質問をし、回答を求めないと意味がありません。

 政権担当能力3

参院選挙後なお安倍政権がアメリカに譲る気配がない・・意外に手強いとなれば、再び政権担当能力批判の展開・・他所のヤクザ・・中国をけしかけて領海侵犯をエスカレートさせるなどして揺さぶり、他方でマスコミに安倍氏の無能ぶりを大々的に報道させて再び政権転覆を仕掛けるのでしょうか?
政策批判ではなく政権担当能力批判で良いとなれば、言わば揚げ足取りをしていれば良いのでマスコミにとって政権転覆操作は簡単です。
マスコミにとってはゴシップ探しも要らない・・無数にある映像の中で歪んだ口周辺の露出・前後の文脈を無視して一部だけ取り出して報道するなど、頼りなさそうに演出することはいとも簡単です。
(今回は今のところ笑顔の良い顔ばかり報道されていますが、麻生元総理の場合は当時ことさらに口周辺が歪んだ映像ばかり報道されていました・・このようにマスコミの方向性次第でいろんなイメージが簡単に作り上げられます)
本当は国民に人気がなくても韓流が如何にも良いものかのように大々的に演出した場合・・例えば事実に反して視聴率8割と虚偽報道しても、身近な多くの知り合いが誰も見ていないと化けの皮が直ぐにはがれますが、総理や大臣の頼りないイメージ作出の場合、国民は彼らを直接知らないのでいろんな表情や言い回しの中でそう言う写真や音声ばかり切り取って報道し続ければマスコミのイメージ造りが簡単に一人歩きします。
政策ではなく、担当能力と言うイメージで政権批判する風潮は困ったものです。
尖閣諸島の挑発が続いてもアメリカの応援が期待出来ないとなると、日本では米軍基地の存在を意味がないと思う人が増えるでしょうが、アメリカとしては日米同盟を破棄して戦前のように孤立化に走る勇気がないと見越しての米中の連携プレー的な嫌がらせです。
安倍さんの年来の主張・戦後体制・・極東軍事裁判の虚構性の見直しなどとても出来る情勢ではありません。
安倍政権が本気で国益を守るつもりならば、アメリカの意向によって動くマスコミとの対決を辞さない覚悟・備えがいります。
これをしないで密室で大幅譲歩して・国民の犠牲で政権維持するようでは、国民が困ります。
マスコミ批判が強くなれば、安倍氏が意外に対米交渉で頑張っていることになり、政権維持のために密室交渉で赫々たる成果を得たと報道される場合、逆に裏で大きな譲歩をした可能性が高まります。
アメリカと仲良くやるのは良いのですが、正々堂々とアメリカの要求とこれに従うときに我が国の損失・・その犠牲を払っても同盟を強化して尖閣諸島を維持する必要があるかどうかを国民に開示して国民議論でこれを決めるべきです。
重要なことに限って民意を問わずに選挙後にやる・・密室で政治家個人の利益と引き換えに取り決めるのは民主主義の原理に反します。
アメリカの嫌がらせが続けばいくら鈍い日本人でも、アメリカの言うとおりにしないと大変なことになると気がつく・・口惜しいかどうかの次元ではありません・・何かを譲るしかない・・そこまで言うなら中国側に着いた方がマシかという国民判断が出てきます。
アメリカからの脅迫と中国からの脅迫があって、どちらに屈した方が得かの国策判断です。
ところで、安倍政権は選挙の争点にはしないで、選挙後にTPPの決断をすると今から匂わせています。
何の決断もしないでズルズル行けば自然消滅ですから、敢えて参加しない決断をしなくとも良いのですから、参院選挙後に決断をするということは参加表明すると言う意味でしょうか?
野田政権の消費税増税に始まり重要な政治決断は国民の信を問わなくても良いという政治スタイルが定着して行くと、いよいよ政治不信が高まるのが心配です。
そもそもTPPが日本にとって項目別に何が有利で何が不利かの一覧表を何故かマスコミが提示しないので、どの項目にどう言う理由で反対していてどの項目にどの理由で賛成する人がいるのか国民にはまるで分りません。
最近ネットで少し出るようになってきましたが、それも一方的なので聞いているとおかしいなと思う主張が多くあっても、それに対する反論→再反論がないままですから、十分納得出来ない半端な状態です。
これも繰り返すうちにもっと説明が緻密になって行くのでしょうが、今のところ何故双方が必死になっているのかがはっきりしません。
双方共に具体化しないママ争っているのを見ると、実は選挙後に野田政権のやった消費税増税のようにイキナリ参加表明したら、そのとき反対していたことを忘れたフリして支持する思惑があるのでしょうか?
安倍政権支持層に連なる論客の多くは、昨年末の総選挙直前ころから「増税では産業が萎縮するだけだから、それよりは財政出動・景気対策だ」と口を揃えて言っていましたが、じゃ、消費税増税法案のときに何故反対しなかった(党議に反対しなかった)のか(それどころか推進していたのか)について口を拭って知らん顔です。
消費税増税法案に反対して民主党が大きく割れたのは僅か数カ月前のことですが、自民党で今の政権中枢に入った人々・誰一人として造反していたとは聞きません。
こんなに短期間で著名な政治家や経済評論家が党利党略で真反対に豹変しています。
消費税法案に関する与野党合意は民主党を分裂させるための罠だったとしか考えられません。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。