政府と国民の違い(中国人との付き合い方)1

ここで、がらっと方向性の違った意見を書きます。
年金赤字のテーマを始めた4〜5日前まで、中韓等の民族性を政府と一体のもの・・政府より個人は劣ることを前提にして書いてきました。
2012年10月25日の終わりに少し書いていたことですが、(その続きのつもりで書いていたのですが、間にいろんな意見コラムが入ってしまいました)政府と国民とは違うのではないかという疑問について、忘れてしまいそうなのでここから書いて行きます。
戦後中国の日本批判は、日本国民が悪いのではなく、日本軍国主義が悪かったのだと使い分けてきました。
日本に関しては、同胞意識が強いのでこの分断作戦はあたっていませんので軋轢が生じていることをMarch 12, 2012「構造変化と格差30(苦しいときこそ結束を!)」その他で書いてきました。
しかし米中韓あるいは世界中の国々では、国家と国民は全く別人格ではないかという疑問があったので10月25日に少しだけ書いていたのですが、その辺に十分触れないままここまで来てしまったので、この辺でまとめて検討しておきます。
中韓両国では異民族支配が多かったし専制君主制でしたので、政府というものを全く信用していないし政府も国民を大事にする気持ちがハナからありません。
しかし、米中韓に住んでいるそれぞれの国民はあるときにイキナリ湧いて生まれて来た訳ではなく、ホモサピエンスとして日本人同様に何千年、万年の歴史経験がある点は同じです。
他方で、彼らの構成する政府は、政府としての歴史が浅く人類史の発展段階から見れば乳幼児期段階にあって何かあると乳幼児的短絡対応しか出来ない・・マトモに冷静対応が出来ない・このために大人の対応が出来ないだけではないかという疑問です。
政府レベルを基準に民族の資質を論じるのは間違っていないかという疑問を抱きになりながら、話題がドンドンずれてしまいました。
人間個々人にとってはそれぞれどこの国に住んでいる人でも何万、何千年の歴史経験がある点は同じです。
(数百年前にイキナリ湧いて来た人はいないでしょう)
民族としてどのような歴史経過を経て来たかの違いはありますが、国家という組織の歴史経験とは違うという視点です。
歴史の浅いと言われるアメリカ合衆国のアメリカ人も、2百数十年前に初めて湧いて来たのではなく同じくホモサピエンスの始まりから生まれ変わり生まれ変わりして遺伝子が続いて来た点は日本人も中国人も皆同じです。
このように個々人としての歴史経験の古さは世界中どこの人も実際には同じで、個々人の経験が違うだけです。
誰もが同じように古くから繋がっているし、経験年数も同じですから、民族の歴史経験によってはしっかりしているし信義を重んじる重要性も知っている筈ですが、組織の歴史・政府経営経験となると成立後歴史が浅い国ではイキナリ幼児っぽくなってしまうのではないでしょうか?
政府になると短絡的に暴力に走ったり見え透いた嘘をついたり、大人・・紳士なら言わないような悪態をついたりするのは、政府樹立の歴史が浅く発展段階的に見れば幼児段階にあるからではないかと言う疑問です。
このコラムの書き始めの頃(約10年前)から日本とアメリカでは千年単位の知能・社会経験差があるのではないかと何回もあちこちに書いてきましたが、政府の成立時間差で見ればまさにそれくらいの比例差があります。
日本は壬申の乱以降(それ以前のことははっきりしたことが分らないとしても少なくとも・・)連綿と万世一系の天皇政府が続いているのに対し、中華人民共和国 は1949年建国、大韓民国は1948年成立、アメリカ合衆国建国宣言は1776年ですから、おおむね彼らの行動の短絡的行動レベルは政府存続期間の長さに比例していると考えられます。

次世代と年金赤字5

運営責任から目をそらすために世代間扶養だったと言い出せば、後に続く現役の納付者数と納付額次第になりますから、解決策としては現役納付者を増やす・あるいは納付期間を長くするしかないので必然的に高齢者雇用延長政策にシフトして行かざるを得ません。
若者は非正規雇用が多いので就労機会を増やしても社会保険加入率が低い上に掛け金額が少ないのに対し、高齢者雇用延長は大企業中心の政策ですから、ほぼ正規雇用中心に労働者が増えますから年金納付者・額が増えるメリットを狙ったことになります。
しかし、雇用期間延長=納付期間長期化すればその分高齢者への年金支給額を増やさないと延長納付者が納得しない(加入者は掛け金を多く掛けた分支給が増えるのが楽しみです)でしょうから、却って支給総額が膨らみます。
我が国では世代間ワークシェアーこそが最重要課題なのに、年金運営ミスを棚上げにして納付者数不足に原因を求める=少子高齢化に原因を求める政策では、却って若者の職場が縮小してしまうことについても、これまで定年延長問題その他のテーマで01/08/03「ゆとり生活 2」01/07/10「終身雇用制2→若者就職難2」何回も書きました。
繰り返しになりますが、仮に年間100万人ずつ定年退職し100万人ずつ新卒が参入し(総労働人口一定・出入り均衡)且つ労働需要が前年比変化のない超安定社会を前提にすると、55定年を60歳に延長するために毎年1歳ずつ退職年齢を繰り下げて行くと、新卒が毎年100万人・100%就職し損なう計算になります。
わが国で実際に新卒が100%就職不能にならなかったのは、企業の定年延長が60歳定年に到達するまで5年間ではなく20年ほどかかったことと、ある程度雇用拡大があったこととマダラに定年延長が進んで来たことによります。
労働需要が一定・労働人口も一定の場合を仮定すると、定年5年延長を20年かけて完成した場合、毎年新卒の4分の1ずつ就職し損なう計算になります。
経済成長中ならば職場はいくらでも拡大しますが、今のように海外展開加速によって職場が減少中の場合、既得権者の定年延長政策をとると若者・新規参入者にとってはダブルで就職難が発生します。
2月1日の日経新聞夕刊には、総務省2月1日付き発表による記事が出ていますが、(製造業の海外展開の進行により)、製造業従事者は12年12月の就業者は前年同月比35万人も減少し、1000万人(998万人)割れになったと報道されています。
1992年10月の1603万人がピークで、以降一貫して減少し続けてついに1000万人を割ったとのことです。
建設労働者も14万人減となりサービス業などの比重が上がっています。
総就業者数を見ますと前年同月比38万人減の6228万人ということです。
製造業が減っているだけではなく、サービス業を含めて総数でも減って来ているということでしょう。
雇用数が一定でも定年退職時期を60歳から65歳に伸ばして行くと、若者の新規参入枠がその同数分少なくなるのに、職場減少局面ではなおさら大問題です。
年金の運営責任回避のためにへりくつをこね回しているうちに、窮余の策として定年延長を画策しているのですが、却って若者を腐らせてしまう政策になっています。
筋の通らないことをやる・・「無理が通れば道理が引っ込む」と言いますが、年金政策のミスを認めないで付け回ししているから弱者の若者が行き場をなくしてしまうリスク・・日本の将来へのリスクを広げることになってしまいました。
物事は責任逃れのために、嘘で塗り固めるとロクな結果にならない・・矛盾がドンドン拡大して行くばかりであるといつも書いているとおりです。
社会保険や年金赤字は、運用責任を明らかにして、どこに原因があったのかはっきりさせた上で別途抜本的に解決すべきです。
関係のない少子高齢化・・更には年金赤字(高齢者は原則として一杯資産を持っているので心配してやる必要がありません・資産のない人だけ考えれば良いことです)などにかまけて誤摩化している暇はありません。
ともかく今の緊急課題は次世代を元気にすること・・年金資金不足は、年金制度内で責任を取るべきは取って解決することが必要で、責任問題をうやむやにするために若者の職場を減らす方向での解決を図るべきではありません。
雇用問題を年金の後始末に使わないで労働問題はその範囲内で考えることが必要です。
以前から書いていますが、仮に一定数の失業が必須とした場合、若者を失業させるのと高齢者を失業させるのとどちらが社会の発展性にプラスになるか大きなマイナスになるかの視点で考えるべきです。

次世代と年金赤字4

我々世代の人はみんな知っていますが、結婚した頃には高度成長期=高金利時代でしたので信託銀行に5年預けると1、5倍、10年でちょうど2倍になって満期が来る時代が続いていました。
巨人長島選手の最盛期のころに、奥様がしっかりしていていて直ぐに信託銀行に預けてしまうという噂がニュースになっていた時代です。
30年も40年も年金を支払って来て受け取る時期が来たら、掛けた額と同額・・元金しか返って来ないのが正しい(2倍も受け取るのが狡い・・)と政府や学者が言うならば、今後掛け続ける人が殆どいなくなるでしょう・・元金以下なら自分で貯蓄している方が自由度があって良いに決まっています。
マスコミを通じて学者は高齢者は掛けた額の2倍も受け取るのが不当だと宣伝していますが、我々世代から言えば約40年もかけて来て2倍程度しか受け取れないのでは「予定より大幅に少ない・・話が違うじゃない!」と言いたいくらいです。
高金利時代が終わって20年もたつ(と言っても今70代の人にとっては低金利になったのは最後の50歳くらいから60歳までの10年くらいしかありません)のである程度仕方がないか?と損をしたつもりの人の方が多いのではないでしょうか?
年金は個人の貯蓄とは違い助け合いだという反論が直ぐに飛んできそうですが、助け合いとは言え物事はあまりにも大きな損する話ではおかしいのです。
生命保険とは違い(掛け金全額返らない代わりに何かあれば自分も掛けた何倍もの保険金をもらえる相互性があります。)年金は困っても規定額以上くれる訳ではないのですから、生命保険や火災保険と同視する議論は間違いです。
年金は相互扶助的要素を持っていますが、生保や交通事故の保険等とは違い画一的金額の長期分割払いが特徴ですから、掛け金合計以下になる可能性のある制度設計自体に無理があります。
世代間扶養説は掛け金以上の給付が保障されないことを基礎としているのでこれを予め説明したら誰も掛けなくなる・・・・制度としてあり得ない設計ですから、責任を逃れるために考え出した後付けの誤摩化し説に外なりません。
何人かの個人責任追及を免れるために、世代間扶養などと言う壮大な嘘を始めたことによって制度自体の信用をなくしてしまい、年金制度を無茶苦茶にしてしまった責任が重いと言うべきです。
嘘の上塗りをしていると、より悪い結果が生じるものです。
年金は飽くまで国を通してやっている積み立てに過ぎませんから、元金に相当な運用益をプラス・・積み立て合計期間運用益をプラスするのが本質です。
この運用ミスを誤摩化そうとしているから、年金問題をいつまでも解決出来ないのです。
民間で言えば保険金を掛けた以上は後の加入者が少ないからと言う理由でイザとなれば保険金を払わくても良いのでは、契約する人がいないでしょうし、掛け金以上に払わないと言えば、だれも払う気にならないでしょう。
こんな馬鹿な主張・説明を政府やマスコミ、経済学者がしていて、誰も反対しないから成功していると思っているのでしょうが、その代わり国民の静かな反抗・・年金支払者が減ってしまうのです。
政府は強制出来るので契約ではないとしても、国民が納得しない制度設計を一生懸命にマスコミ等が宣伝していても、制度自体が成り立ちませんから、強制出来るとは言っても契約(同意)の原理を無視した制度自体あり得ないことです。
信長の時代でも今でも同じで政治というのは民意(法律さえ出来れば強制出来ると思う頭のいい人がいるのでしょうが、法が実行出来るには国民の納得が必要です)に反したことをやれば結果的に失敗します。
運営責任を誤摩化すために世代間扶養(・・結果的に掛け金分の支払い保証をやめる)などと言い出したから、年金不信が火を噴いて来ました。
自分の賭けたお金の合計以上払ってもらえる期待が出来ないとすれば、掛け金を払う気持ちにならない人が多くなるのは当然です。

次世代と年金赤字3

イタリアでは地震学者が有罪判決を受けたことが大ニュースになっていましたが、単なる笑い話として受け取るのではなく、我が国に置き換えるとよく分ります。
原発施設の場合は地震予知のように学問的に不明な事柄ではなく、備えをどこまでしておくべきだったか否かと言う初歩的ミス・・問題点が分っていたのに費用を惜しんで敢えて準備しなかった疑いが濃厚ですから、まさに刑事面から厳格な捜査をするべき分野です。
刑事面に限らず政治責任を含めて責任問題をどうするかを論じる気配すら全くないまま、再稼働準備・新基準のテーマに絞ってしまうのでは、消化不良のママ先送りになった印象になります。
原発事故当時の緊急対応に局限した事故調査ではなく、むしろ事故前の基準作りに責任がなかったのかミスがなかったのかこそ、長期的視点で検証することが重要でしょう。
事故当時の対応のミスばかりあげつらって肝腎の事前にあるべき安全基準策定ミスの有無を問題にしないはおかしな議論です。
原発事故後の対応を見ていると、交通事故や火災や爆発事故が起きたときに駆けつけた消防車や救急車の対応ばかり議論していて、交通事故や火災の原因究明・調査・責任者処罰等を放置しているやり方です。
原発事故のまじめな総括から入って再稼働の是非を決めて行く(きちっと検証して不備な点を明らかにした上で、今度はどうするという議論が必要というだけで必ず責任者を出せという意味ではありません)のが筋ですが、これをしないまま貿易赤字が大変だからという理由で、うやむやに決着すると将来に禍根を残すでしょう。
年金資金不足(喪失)に戻りますと、信託銀行に預けておけば5年で1、5倍、10年で2倍になる時代に預けていたのに何故40年もたって2倍にしかならないのか、その資金・元金自体どこへ消えてしまったのか等々について政府がきちっと説明する必要があります。
財投に使ったり、高齢者不要に使ったり、住宅ローン用に低金利で貸したために運用益が悪かったとかいろいろあると思いますが、正々堂々と主張して国民の理解を得るのが筋でしょう。

自信がないためか、資金の使い道の説明を全くせずにれに、世代間扶養・・「掛け金の合計と支払額は関係ない制度だった」と言い張り始めたのですが、・・これを裏返せばこれから掛ける人(次世代)に対しても「あなたの掛けた以上払うとは限りませんよ」と宣伝しているのと同じです。
それどころか4日に紹介したように、「これから掛ける若い人は払った以下しか受けられない」と学者を動員してしょっ中大宣伝しています。
自分の掛け金総額以上に払ってくれる可能性が低いのでは誰でも納付するのはいやでしょう・・払ってくれるかどうか当てにならないのでは、無理して掛ける気持ちにならない・・年金不信が起きて来るのは当然です。
その結果、公的年金不信になって(公的年金を積むのをやめて)民間年金契約をする人が増えているのは理の当然です。
民間では、次世代の加入者数に関係なく約束した年金を払うのが当然で、まさか後続の加入者次第ですと言えません。
現在の世代間扶養説の流布・マスコミを通じた洗脳は、後の加入者次第でいくら払えるか分りませんという結論ですから、行き着くところ国民に公的年金を掛ける気持ちをなくさせる・・納付意欲減退作戦・目的と同視出来ます。
政府はこのような宣伝を通じて何を達成しようとしているのか疑問ですが、公的年金を縮小廃止して民間移行を奨励しようと考えている・・ひいては年金制度の維持をまじめに考えていないとしか考えられません。
年金問題を解決するためなら「安心確実」がセールストークなのに、逆に「次世代次第で払うかどうか分らない制度だった」→「これからもそうだ」と主張し始めたのでは話になりません。
この論法では「これから公的年金掛けたら損する」と政府が宣伝しているのと同じですが、同時に民間年金契約の普及が始まりましたので、生命保険の加入者減に見舞われている生保業界からの働きかけ・・救済を始めたのでしょうか?

次世代と年金赤字2

年金支給資金不足問題は、本来積立て基金運営者の責任問題・・住宅ローンなどで多かった低金利の年金融資もその一つですが、高金利時代にバカ安い金利で流用して来た結果穴があいているのではないでしょうか?・・これの妥当性の検証が必要です。
これに対する正面からの議論を避けて、少子高齢化に責任転嫁しているから出口のない議論になっています。
2月2日にどこかの学者が、今の高齢者は(一定年齢合計かモデル個人の数字か、単位も億単位かの単位を聞き漏らしましたが・・)3500くらい積んで6000くらい貰うから不当に利得していて、若者は逆に掛けるより貰う方が少ないから損だと如何にもワケ知り顔で解説していました。
しかしこの論法は一見尤もそうですし、大分前から一般に流布している議論ですが、実はおかしな議論です。
高度成長期に原因する高金利時代であった30年も40年も前から積み立てた結果、(私たちが結婚した頃には高金利時代で、信託銀行に預けると複利計算の結果10年でほぼ2倍になって返って来る時代でした)元金以上に(それも一度ではなく2〜30年かけてちびちびと)貰うのが何故不当なのですか?と言う子供っぽい視点での議論の必要性です。
仮に期中金利を考えなかったとしても、前記の約2倍貰うという数字の意味が(自分の給与天引きされた分の2倍という意味か企業負担分を含めて2倍なのか)はっきりしませんが、厚生年金の場合、企業負担がほぼ同額ですから、給与天引き分のちょうど2倍貰っても貰い過ぎではありません。
企業負担は従業員が働いてこそ負担してくれるものですから、一種の労賃の変形であって次世代から貰っているものではありません。
3〜40年後になって積み立てた合計と運が良くて同額(悪くするとそれ以下)しか貰えないと始めっから説明されていれば、苦しい中を積み立てる人は殆どいなかったでしょう。
殆どの人がマスコミの洗脳によって意識が曇らされていますが、これを取り除いて素直に子どもの心で考えれば、高金利時代に長期積み立てをしていて2倍程度しかくれないのでは少なすぎる・・「誰か使い込んだのか運用ミスをしたのか責任をはっきりして欲しい」くらいの感覚の人の方がむしろ多いのではないでしょうか。
関係者の責任をはっきりさせるべきはさせた上で
1 「払えないものは仕方ない・・今後はちゃんと運用するシステムを整備してくれたら良い」
ことにするか、
2(厳しい新基準を策定している原発最稼働の可否の議論のように)「新運用基準で今度こそまじめにやる」と言っても、最早信用出来ないから政府には任せられない・・。
となるかどちらかです。
今更「今後まじめにやります」と言っても再び結果が出るのは3〜40年先の受給時ですから、おいそれとは信用出来ないでしょうから、自分で民間契約で自衛する方向へ行く人が増えています。 
どうせ何をやっても政府年金を信用してもらう見込みがないのだから責任をとる人を出すような議論をしても仕方がないという開き直りが政府の方針でしょうか。
話が飛びますが、原発事故では、あれだけの大事故大損害を国民に与えておきながら、これまで安全だと言い張って推進して来た政府や関係者の誰も責任を取らないままです。
工場やビルのちょっとした爆発等の事故でも警察や検察の捜査がつきものですし、金融システム等を揺るがす大事件では殆どの場合経営者が起訴されています。
今回は桁違いに大きな被害が生じているのに、検察・警察の動き調査すらする気がないのが不思議です。
このところ検察の捜査ではポカが続き過ぎていて、マトモに大きな事件をやる能力が低下しているのではないでしょうか?
一人二人殺せば殺人犯だが戦場で多数を殺せば英雄になるという格言に従って、検察は巨悪を見逃す方針にしたのでしょうか?

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。