TPP16とアメリカ支配8(参加国と本社機能争奪3)

ちなみにTPP交渉参加国名等は、3月25日現在のウイキペデイアによると以下のとおりです。 

「環太平洋戦略的経済連携協定(かんたいへいようせんりゃくてきけいざいれんけいきょうてい、英語: Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement または単に Trans-Pacific Partnership, TPP,環太平洋経済協定、環太平洋連携協定、環太平洋経済連携協定、環太平洋パートナーシップ協定[1])は、環太平洋地域の国々による経済の自由化を目的とした多角的な経済連携協定 (EPA) である[2]。
2005年6月3日にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4か国間で調印し、2006年5月28日に発効した。2011年現在、アメリカ、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、ペルーが加盟交渉国として、原加盟国との拡大交渉会合に加わっている。
2012年11月12日の会合からカナダとメキシコが正式な加盟交渉国に加わった。」

となっています。
幼稚園児の集まりに、イキナリ大男のアメリカが参加してどっかり座り込んでいるような進展です。
これではみんなアメリカの鼻息を窺うしかなくなるのは当然です。
しかし、アメリカは図体が大きいからと言って、中国のようにイキナリ威張る必要がありません。
3月18日に書いたように、参加国の企業にドシドシ頑張ってアメリカに進出してもらっても構わないのです。
アメリカ政府にとっては本社機能や生産機能が事実上アメリカに移ってくれば、どの企業が勝とうと国内企業同士の競争の結果と殆ど変わりがありませんし、雇用も変わりません。
トヨタがアメリカ国内で売れる分を現地生産し、事実上本社機能をアメリカに移してくれば(将来法的本社も移るでしょうし)アメリカ人の本社部門雇用も増える(ソニーの社長がアメリカ人になっていました)し、アメリカ政府にとっては企業の発祥地がどこかなど詮索する必要がありません。
当面フォードなど在来企業が反発するでしょうが、アメリカ政府にとってはアメリカ国内でどこの出身企業が売上を伸ばそうと同じことで、むしろ、より強い企業が生産やサービスを伸ばす方が国益に合致します。
日本の例で言えば、統一国家になった以上は、青森や沖縄発の企業でも大阪、九州発の企業でも、より良い商品・サービス提供して全国ブランドになるのを拒む理由がないのと同じです。
国家間の障壁を低くして行く世界の潮流・各種ルールの世界共通化については、ハーグ条約や金融規制・会計基準の統一化等の例で書いたように、TPPに参加しなくとも拒み切れない大潮流のように思います。
(この点についても論者によっては、そもそもいろんな分野で世界共通化自体必要がないという人もいますので、これを前提にすれば一概に言えませんが・・。)
TPP参加の経済的側面については、個別品目別に論じるデータもないし私の能力に余りますが、(交渉次第の面もあって分り難い)個別品目/産業がTPP参加後もアメリカに対して勝ち残れるかどうかの議論よりも、結果として重要なのは、地域・都市間競争・・本社機能や生産拠点の争奪競争に勝ち残れるか否かにあるように考えられます。

TPP15(開国と守るべき固有文化3)

アメリカ主導による交渉決着を恐れて初めっから交渉参加することすら反対しているのでは、お台場に砲台を築いてその実行を求めていた幕末の攘夷論者と同じで国の進路を誤ります。
幕府は一方で攘夷論に配慮してお台場を築きながらも、他方で兵庫等の部分開港を約束したり日米和親条約も結びました。
その当時のわが国の実力では如何に国防に力を注いでも、到底欧米列強に太刀打ち出来ない現実を踏まえる必要がありました。
今の日本も同じですが兵器を自前で作れない相手(今はアメリカ))から買っている状態でいくら右翼が息巻いても相手と戦うのは無理があります。
大分前に書きましたが、日本がいろんな軍需品を自己製造出来るように徐々に国産率を上げて行きましたが、自前で戦艦をまるまる作れるようになったのは第一次大戦後太平洋戦争前がやっとで、それでもまだまだ高級部品は欧米から調達するしかない状態で開戦になったのです。
幕末に本気で武力抵抗して欧米との戦争になると幼児と大人の喧嘩みたいでしたから、直ぐにも完敗してしまい、植民地にされかねない現実を無視出来なかったからです。
実際に薩摩や長州はそれぞれ攘夷を実行して完敗していますが、幸い国全体の戦争でなかったので部分敗北・賠償金支払でケリを付けることが出来ました。
薩英戦争や長州の四国連合艦隊との戦争を契機に薩摩/長州共に実力差に目覚めてそれから開国方針に変わって行きます。
当時は幕府に限らず誰がやっても我が国の実力相応に不平等条約でも結ぶしなかったのですが、この屈辱的条約を平等なものして行くには、右翼が息巻いてさえいればどうなるものでもなく国力増強を背景にして、徐々に不平等条約を修正努力して行くしかなかったのですから、当時の不平等条約締結が失敗だったとは言えません。
(部分開港の取り決めも現実的対応でした。)
攘夷論者による兵庫等の開港約束に対する憤激→安政の大獄→桜田門外の変があたかも英雄行為のように描かれていますが、・・実態は時代錯誤な主張・行動でした。
もしも彼らの言うとおり攘夷実行をやっていたら、日本は取り返しのつかない選択をしてしまったところでした。
右翼は視野の狭い短絡的・勇ましい発言や行動が多いのですが、彼らの言うとおりしていると国を滅ぼしてしまいます。
右翼の勇ましい発言・・青年将校による2・2・6事件その他の彼らの影響に従ってしまった結果が第二次世界大戦での無条件降伏でした。
幕末に欧米列強の連合艦隊を相手に戦った挙げ句に無条件降伏していたら、日本は欧米列強から分割支配されて植民地にされていた・・今の日本国は存在すらしなかった可能性があります。
TPPは個別条約交渉を越えて包括的解放交渉・・今の開国であるとしたら、今風の和魂洋才で乗り切って行くしたたかな智恵こそが必要です。
徹底抗戦論は勇ましいですが、最後は無条件降伏しかないとすればあまりにも無責任過ぎます。
「民族の醇風美俗を守れ」という右翼の主張は、外来文化を取り入れて進歩するべきチャンス・・個性の修正変化・成長?を怖がっているだけではないでしょうか?
北朝鮮のように変化を拒み、どこともつき合わずに孤立していれば、独自の正義感・・将軍様崇拝の民族意識(と言えるのかな?)は守れるでしょう。
条約を結んで、内政干渉されるのはイヤだと言う主張は・・・極論すれば、どこともいろんな国際条約を結ばず(マトモな交際をせず)孤立している北朝鮮の独善意識と同じような結果となります。

個性と成長4(守るべき固有文化2)

TPP参加したときにのリスクの1つとして皆保険制度の変容が恐れられていましたが、我が国の皆保険制度は、我が国の強固な同胞意識に裏付けられて成立しているものです。
我が国が守るべきは強い同胞意識・一体感こそが核心であって、保険制度や医療制度そのものではありません。
いろんな制度自体は固有の文化さえ守れれば、時代の進展に応じていろんな制度に衣か替えしても良いことです。
米食や魚文化も同じことで、同胞一体意識と米食魚文化とは必ずしも一致しません。
パンヤ麺、あるいは牛肉や豚や鶏肉を食べるようになったからと言って、国民の意識がそう変わるものではないでしょう。
TPP参加すれば、民族の琴線に触れることまでアメリカが要求して来ることを右翼が心配していますが、古代から勝ちさえすればどんな残虐なことも露骨なことも許されるという野蛮な対応しか経験のない中国とは、アメリカは大分違うと思います。
アメリカは曲がりなりにも文明国の顔を持っています。
元USTR代表であったヒルズ氏の「私の履歴書」が現在日経朝刊で連載中ですが、スーパー301条適用対象国指定に関する日米構造協議の言い訳?・・(日本向け回顧録ですから当然そう言うに決まっていますが・・日本固有の文化に口出しをしたことがないと言う意見が18〜19日ころに書かれていました。
米軍占領政治下にあったときでさえ、マッカーサーは、事実上支配権力を行使していたとは言え形の上では日本の顔を立てながら政治をしていたし、占領軍押しつけと言われる現憲法も日本人の総意による形式を重んじていました。
そのときよりも力を就けている日本に対し正面から日本の内政に口出しするような要求をすることが出来る訳がない・・出来るとしたら余程交渉担当者が腰抜けとしか考えられません。
今回も保険制度自体の変更を直接要求することはあり得ないと思われます。
むしろ、医療産業の進出等の要求が直接的な要求になるでしょうが、これにどう対応するか、国際競争から隔離されて来て過保護になっている我が国の医療産業のあり方を考えて行くことの方が重要です。
医師会等医療関係者が自分の競争力不足を言えずに、保険制度が危ないと問題をすり替えているような気がしますが如何でしょうか?
我が国は公的医療機関中心で本来の競争原理が働いていないところから、コストが割高になっていて保険財政が大赤字になっているのですが、国際競争・・水準に立ち遅れている面を否めません。
最近国際的患者の争奪戦が始まっていますが、何十年も対アジアで先進国である筈の我が国がこれに負けていることが憂慮されている状態です。
この方面の国際競争に対応出来るような医療業界の強化策こそが重要な感じがしています。
コストパフォーマンスの悪い医療業界が米系資本の進出により、競争に曝されるのを嫌がっているとしたらとんでもないことです。
とは言え、いろんな国際約束の結果、回り回って日本固有文化の根底に影響を及ぼしかねない面がないとは言えません。
文化に直接関係のないように見える個別産業界ベースの交渉が中心になることから分ることは、文化に直接関係しない各種経済交渉では、これが日本固有文化にどのような影響を及ぼすかに関する深い思慮のある政治家・・固有文化に波及しないようにうまく回避する交渉力のある政治家が必要なことはそのとおりです。

個性と成長3(開国の意義2)

我が国では明治開国以降焦眉の急であった民族防衛のために軍近代化を取り入れるしかなかったとしても、朱に交われば赤くなる面がありますので、武士道精神の元でこれを取り入れる和魂洋才が基本でした。
野蛮な気風を理解して行く・・こちらも武力向上・・そのためにはさしあたり支配地の拡大を図るしかないと欧米のやり方の真似したのが、明治以来の富国強兵政策で、行き着いたところが太平洋戦争での完敗でした。
これに懲りた我が国では憲法前文で諸外国が崇高な理念に従って信義を守ってくれることを信じて生きて行く・・旧来の平和志向に方向転換したことを December 9, 2012「信義を守る世界7(名誉の重要性1)」前後で紹介しました。

憲法前文抜粋

「・・・日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。・・」

これが憲法第9条の交戦権放棄や非武装条文に連なっているのですが、戦後70年近くも経過すると秩序維持能力のあったアメリカの軍事力にかげりが出て来ました。
他方でこれに挑戦する中国軍の台頭(まだ実態は大したことがないですが、勝手に自信を持ってしまっているのが厄介です)があって、そうも行かない状態になって来たのが昨今の軍事・治安情勢です。
中国は西洋列強の卒業した19〜20世紀型武力万能思想・・ほぼ山賊や海賊の論理でごり押しして来る上に、韓国、中国は公然と日本征服意欲を隠さないで常々表明していますし、仕返しと称して日本人を奴隷化したい欲望を隠さない状態です。
こう言う野蛮な隣国に囲まれている以上は、諸外国の信義だけに頼っていると日本人は中国軍の奴隷にされかねない恐怖が生じて来ました。
やはり、相手が相手・・獰猛過ぎるならば、ある程度自衛のための武力保持が必要になって来ました。
大正から昭和に掛けて我が国が西洋列強から孤立して行った轍を踏まないように、世界を味方に付ける智恵こそが発揮されるべきでしょう。
ショールーム等で来客がマナーを守れば、こちらからそろそろ帰って下さいとかマナーをうるさく言う必要がありませんが、相手がいくらでも居座るようなら一定時間でお帰り下さいというしかないし、次の訪問を断りする必要が出てきます。
企業がクレーマーなどで4〜5時間居座られることが繰り返されれば、警察に予め相談する・・警察が来るのが遅ければ警備会社と契約するどの自衛策が必要になります。
信義を信じると言っても治安状況次第です。
相手が人道上のルールを守らず武力万能思想を持っている上に、かれらに占領された場合、チベット民族やウイグル族に対するやり方を見れば分るように、相手民族の尊厳などはまるで頓着しない思想の国家です。
中国地域の歴史では征服したり勝った場合、相手の民族を何十万単位で皆殺しにしたり、敗者の將に対して、その親の肉を無理に食べさせたりするような人道以前のやり方をして来た歴史が連綿と続いています。
だからこそ前王朝の文物が殆ど残っていない・・先人に学ぶ意味の歴史が存在しない地域・・民族だと書いてきましたが、こう言う残忍・露骨な傾向だけはDNAとして受け継いでいます。
自分達が残忍なことから、日本軍も似たようなことをしただろうという虚偽宣伝に努めていることについては繰り替えし書いてきましたが、中国が仮にも日本に対する勝者になると恐るべき事態が待っています。
こう言う国が目前で実力行使を始めようとしてデモンストレーションを始めている状態で、自衛のためのガードマン不要論・平和を唱えていれば平和を維持出来るという意見は現実的ではなくなりました。
尖閣諸島の一件以来我が国では、国土を守るための準備をする必要があると言う意見・・憲法9条改正論が主流になりつつあるように見えます。
中韓両政府は日本右傾化を主張して批判していますが、中韓の実力行使やデモンストレーションがこれを後押ししているのですから、彼らこそが日本の軍備増強を後押していることになります。
中韓政府は膨大な資金を使って政府やマスコミに対し様々な形で思想浸透を図り、日本の軍備弱体化を狙って宣伝してきた結果、民主党政権が誕生してその効果が最高潮に達しました。
いよいよ日本が弱体化した見るや(韓国大統領公式発言では「日本が弱体化しているので・・(このチャンスに)・・」と言うほど)脅迫を繰り返すようになったので、彼らの推奨する非武装中立・日本右傾化反対論・・マスコミ論調の真意がどこにあったのかが誰の目にも明らかになってきました。
今では中韓政府に都合の良い意見ばかり流し続けるマスコミ・言論人の意見を信じる人が、殆どいなくなってしまったでしょう。
テレビ番組の不調・新聞の売れ行き減が言われていますが、インターネット関連発達によるばかりではなく、中韓好みに日本の歴史上の人物を卑しく汚らしく描いたり、如何にも日本が過去に悪いことばかりして来たかのように描くドラマが多くなって来たなど内容に大きな原因があるように思えます。

個性と成長2(開国の意義1)

鎖国とは一切の交流を塞ぐのではなく政府や特定商人だけに窓口を開くものですが、幅広い国民同士の全般的な交流に広く開かないと、民族間の細かなヒダの違いまでは分りません。
世界中と庶民に至るまで幅広く交際して世界の進運に乗り遅れないためには、開国・幅広い交際が必要であったことは、今から考えても間違いではなかったでしょう。
以前にも紹介しましたが、もう一度明治憲法前文の一部を紹介しておきましょう。

明治憲法
告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆・・省略

上記のとおり、開国の必要性について明治憲法でも「・・顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ・・」と明記されています。
明治維新当時の西洋列強のあくどい戦略や、今の中韓のやり方があくどいからと言って交際しないのは間違いです。
弁護士の場合、いろんな悪い事例を事件を通じて知っているので、防衛策を助言出来るのですが、そのことと弁護士自身が悪いことをしたり悪い方法を教える必要がないのと同じです。
日本人は中国人や韓国人の悪辣な手法を理解して真似るのではなく、あるいはユダヤ資本のやり口を知っていても、あるいは経営者の巨額報酬の取り方をそのまま身につける必要がありません。
日本の経営者・政治家は、これらを知った上で日本流の正しいやり方で、したたかに対応する能力を身に付ければ良いのです。
数年前にアメリカで謂われなきトヨタタ叩きがありましたが、トヨタはこれに正面から反論したり、虚偽申告していた人を刑事告訴・民事賠償請求すらしていません。
(レーダー照射事件も毒餃子事件に対する反応でも同じですが、韓国や中国の場合アメリカ流に先ずそんなことはないと反撃していたでしょう)
ソフトな日本流やり方が、今ではアメリカでの信頼獲得に貢献しているようです。
アヘン戦争という大義のない戦争・占領に驚いた我が国では、野蛮で、猛獣のような西洋列強を批判しても相手には道義心がないのですから意味がありませんでした。
幕末攘夷論・・ひいてはこれに連なる現在右翼のTPP反対論は「こんな悪い輩とは一切付き合わない」という分り良い意見ですが、それでは世界情勢・科学技術の進運に取り残されてしまったでしょう。
明治政府以降現在に至る開国方針は、正しかったと思います。
開国を決めた明治政府は先ずは自衛力の向上に力を入れると共に列強の気風を学んで、これを取り入れて行く必要性を理解していたものの、どの分野でどの程度受入れて行くかのサジ加減は、本当に難しいところでした。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。