中国は単純作業・模倣社会から抜け出せるか?6(歴史に学ぶ4)

中韓両国は日本とマトモな交際したいならば、内政上の失策で自分が困れば、日本を攻撃して何かをせしめようとする山賊のような・・ヤクザのような従来の行動形態をやめて、援助を受けたいならば謙虚な姿勢に改めることが先決です。
千年単位で真摯に努力することをしないで、人の物(知財)を盗んで我が物にすれば良いと安易な考え・・努力や向上心で負ければ相手を誹謗中傷・・これをやめて欲しければ協力しろと言う・心がけが悪くなる方にばかりに意を注いできたからこうなってしまったのです。
中韓両政府ともに正直に日本にはまだ遠く及ばないことを正面から認めた上で、近隣にありながら、何故こんなに大きく道徳心の違いが生じたかを謙虚に学ぶ必要があるでしょう。
違いが本当に心から分ったら兄貴分には兄貴分としての礼儀で接する・・恩を受けたらそのまま国民に知らせて国民教育の手本にする・・日本の成功の秘訣を謙虚に学ぼうとする国内教育の再編成・方向転換が必要です。
この反省をしないで国民には嘘を教えていると、国民が先進国文化を学ぶ必要性を認識出来ず、模倣や盗めば良いという意識のママではいつまで経っても本当の成長が出来ません。
・・日本にとっては取るに足りない競争相手のママで楽ですが・・・その分しょっ中ヤクザの脅しのようなこ言いがかりや脅しをされるのは不愉快きわまりないことです。
中韓両国政府に始まって両国民の末まで「嘘でも何でも言い通せば良い」「不正でも何でも強い者の言うとおりすれば良い」(これが賄賂政治にも繋がります)という千年単位の行動ルールが、民族のマトモな発展性を狂わせたのでしょう。
この辺の道理が分らないままですと、何をしても曲がったひねくれた方向へ行くしかありません。
道義心のない国や国民をいくら手助けしても、発展すればしたでその力を悪い方に働かせて将来悪事を働くばかりで世の中のためにはなりません。
中韓両国で道義心を再編成しない限り、日本は中韓両国の発展の手助けするのを差し控えるのが国益・世界中の人類のために資するように思えます。
ただし、企業としては今儲ければ良い・・元々商売は、数年単位で潮目が変わって行くものだと言う諦観があるでしょう。
リスクを取りながら(3年先〜5年先に皆殺しになるようなリスクが仮にあってもその前に稼いでしまえば良いというのも1つの意見です)果敢に挑戦して行くのが企業家ですので、中韓両国への投資をどの程度・どの時期までするかの判断は、企業家のリスク管理に任せておけばいいことで、政治家や右翼がどうこう言う分野ではありません。
企業家はいつ潮目が代わっても損がないように・・最後には損しても良いという覚悟で厳密なリスク管理しながら自己責任で進出投資して行けば良いことです。
ただ、危険は危険としてありのまま情報提供することが必要で、マスコミが誤った情報で(中国政府発表のみを鵜呑みにして)必要以上に中国や韓国への投資意欲を誘導しないようにすればいいのです。
中国政府は本心では外資流入の停滞あるいは減少が怖い・・まだ自立軌道に乗っていないからこそ、虚偽統計の発表にこだわっている・・企業で言えば粉飾決算を続けているしし、中国びいきの大手マスコミは輝かしい中国の未来を賞賛してやまないし、やめられないのではないでしょうか?
もしも中国には将来的に自前技術を育てる能力がない、・いつまでたっても新技術導入・・ローエンド製品製造工程参加の繰り返ししかないとすれば、ベトナム等の挑戦によって職場が減少して行き個人所得は現状維持さえ困難で低迷したままになります。
将来の発展・所得水準の向上が期待出来ないとなれば、消費市場としての投資魅力も薄れて行きます。
生産基地としての魅力が薄れて生産系投資が減って行くと、その代わりということで最近では消費市場への投資を奨励するようになって、これに呼応した多くの消費系企業の投資が続いています。
いつまでもローエンド製品しか作れないとすれば、所得増加の見通しがない・・頭打ちになると、消費市場への投資も一定程度行き渡れば、その内頭打ちになって減速して行きます。
外資の流入で贅沢出来ている中国経済は(消費も減速して)海外からの投資資金を流用出来ていた分余計消費出来ていたメッキがはがれ、失速してしまう危険があります。
食うや食わずだった中国人が解放後最低単純労働参加によって所得が10倍になったとした場合、その所得向上に応じた消費が遅れて発達するので当面に限れば遅れていた消費増加めがけてスーパー・コンビ二・おむつ等その他消費系企業が投資して行くのは合理的です。

中韓両政府のいじめっ子外交(歴史に学ぶ3)

日本政府・企業トップ等と接する中国の学者や政府要人(企業首脳)は、実際には自己分析が良く出来ている(遅れていることを良く知っているからこそ政府が率先して泥棒行為をしているのです)ことから低姿勢で礼を失するようなことは滅多にありません。
ただ国内的あるいは対外的には大きなことを言わないとどうにもならないと言う立場で接してくる(沽券やメンツにこだわる文化とはそう言うものです)ので、つい日本人は「交渉相手が可哀想だ・・相手の顔を立ててやるしかない・・」となって、譲ってしまう傾向があります。
韓国関係者も対日交渉では、ほぼ100%中国同様のスタンスで現在に至っています。
この結果「日本は譲り過ぎ」というフラストレーションが国民にたまりこれを背景に右翼から嫌韓嫌中批判や行動が起きるのですが、悪く言えば中韓要人の二枚舌外交に我が国は翻弄されて来たとも言えます。
中韓両政府にとって対日関連では内外使い分けが必要になったのは、歴代政権が政治能力の拙劣さを覆い隠すために国内で反日教育・・自国の歴史を直視しない・・虚偽歴史教育をして来たからであって、それをやめれば済むことです。
反日教育や虚偽歴史教育を前提に「国内向けに持たないから協力してくれ・・」という二枚舌外交は元々普段からの嘘つき教育を前提にしたものですから発想が狡いのです。
中韓両政府による内外使い分け外交(虚偽教育・・これが中韓両国人民の道義心を麻痺させて全ての分野で嘘が多くて世界的に信用されなくなっている根源です)に限度が来たのが、最近の日中韓関係です。
トラの威を借りれば何をしても良い・・一種のいじめっ子の論理ですが、専制君主制・・正義かどうかの基準よりも強い者に従う原理に古代からずっと馴染んで来た中韓両政府とその人民の行動原理としてもピッタリだったのでしょう。
アメリカは自分の方こそ道義に反した戦争をした負い目から、極東軍事裁判というでっち上げ裁判を敢行し、その後も日本は道義的に許せない戦争をしたというでっち上げ宣伝をして来たことから、中韓両政府は自国の無茶な要求を通したくなるとその都度アメリカの姿勢に便乗して言いたい放題のでっち上げの日本攻撃をしてきました。
日本は敗戦国の弱みで、隠忍自重していることを良いことにして、中韓両政府はトラの威を借りていじめっ子に徹して来たのです。
今でも何かあるとすぐに「日本は極東軍事裁判を否定するようなことを言っていいのか」とアメリカに盛んに訴える政治姿勢からも中韓両政府のトラの威を借る姿勢は明らかです。
昨夏の竹島上陸・天皇謝罪要求発言当時の韓国大統領の
 「日本の国力が落ちたから・・」
と言う言い訳発言が、余計日本国民を怒らせましたが、その本音は嘆き節だったのでしょう。
日本には相手の大統領が困っているなら何でも聞いてやる・・二枚舌外交につき合う大国の余裕がなくなった・討論会等で議論に負けそうになると、「日本人には愛がない」と絶叫するので、日本人学者が苦笑して黙ってしまうと議論に勝ったような気持ちになる韓国学者(こう言うのを学者と言うかな?)と同じです。
第二次世界大戦後70年近くも経って、アメリカ自身も自己保身のために台頭して来た対中国を気にするようになって来たの中韓の言う都度一緒になって日本叩きばかりしていられなくなったし、周囲(東南アジア等第三者も力を持ってきました・・極東軍事裁判では正論を言えたのはインド人判事一人でしたが・・それもまだイギリス植民地だったかな?)の目もあって、日本叩きなら何でも(どんな理不尽な虚偽でっち上げでも)応援するという時代ではなくなっています。
今や日本企業の世界進出によって、(企業人こそが最も優れた外交官と言うべきです)日本民族の誠実さ・正義感の強さ・心底からの優しさが世界的に草の根で承認されて来たので、むやみに日本叩きに賛同する雰囲気ではなくなって来た面も大きいでしょう。
戦後約70年かかって漸く日本の正義・動植物まで慈しむ価値観・道徳観が草の根で認められ始めたのは、正義は歴史が証明してくれると信じて黙々と刻苦勉励して来た成果です。
日本民族は正しいことは100〜500年後になっても分れば良い、そのときまで隠忍自重するという精神構造ですし、中韓はその場その場で嘘でも何でも言いツノル・・声が大きければ勝ちだという精神構造で来きました。
この違いは日本列島始まって以来の歴史・万年単位で一カ所に住み続ける信頼関係を基礎に、後世の子孫に恥を残さないという精神構造を育んで来た・・中韓はこう言う信頼関係の歴史がないことを「信義を守る世界8(名誉の重要性2)」Published December 10, 2012前後で連載したことがあります。
中韓両政府は戦後直後のアメリカによる不当な誹謗に乗っかって行けば良いと言う意識のママで日本批判さえでっち上げれば、アメリカが文句なしに味方し、ひいては世界中がこれに追随すると思って浅はかな行動に出たのが昨年来の失敗の元です。
今後日本は虚偽でっち上げばかり主張する中韓両国とは疎遠にして行く・・子どもっぽっく反論して罵りあう必要はないですが・・・態度を改めない限り頼まれても応援しないと言う姿勢に徹するべきです。

中国は単純作業・模倣社会から抜け出せるか?5(歴史に学ぶ2)

そこに住んでいる人々とそこの政府とは別人格である・・例えば古代ローマの地にイタリアがあるからと言って、今のイタリア人の歴史ではない・・その土地の歴史でしかありません。
アメリカ合衆国の歴史として、アメリカインデイアンの歴史勉強しても今のアメリカ人の行動パターンを勉強したことにはなりません。
同じ場所で異民族が入れ替わり立ち替わり入って来た土地では、今ある政府・人民と古代からの人々は必ずしも一致していません。
こうした視点でOctober 20, 2012「中国に歴史があるか3(民族の断絶性2」前後の連載や2013/02/08「政府と国民の違い(中国人との付き合い方)1」以下で、現在中国のある地域では歴代王朝が前王朝の全否定を繰り返し毎回断絶して来たことを紹介しました。
現在中国の存在する地域では、王朝が変わる都度前の時代の全面否定でやって来たこと・・各王朝ごとの連続性がないことからすると、現在の中華人民共和国と大唐国との間にはいくつもの王朝(異民族支配が繰り返されて)が興亡していますので、現政権(中華人民共和国)には何の関連性もないので、自分の歴史ではないから学ぶ必要もないと粗末に扱っているのかも知れません。
それにも拘らず都合のいいところだけつまみ食いして中国人が輝かしい何千年(の国家)の歴史と自慢すれば
 国家としては「連続性がないでしょう」「別の国のことでしょう」
とは言えるものの、この地域に住んでいる人たちの長年の経験・・民族性としては概ね一致しています。
現在中国地域では異民族流入の歴史があるものの、ローマのようにまるで民族が入れ替わってしまったのではありません。
企業個性や大学のカラーで説明したことがありますが、一定期間経過で構成員が入れ替わって行っても、先輩と一緒にいる期間があるので、大学や企業精神が順次継承されて行くものです。
中国地域の民族はそっくりいなくなったことがなく混交を繰り返して来ただけですので、民族の個性としては連続性を概ね保っていると見るべきです。
人間の肉体を構成する細胞は日々入れ替わっていて10年前の自分ではないのですが、それでも自分の経験は活かせます。
とすれば、自らの民族性・思考傾向・生き方としては、先人の体験/歴史に学ぶ必要があるでしょう。
虚偽歴史教育をしていると国民の道義心もなくなると言う意見を5月2日に書きましたが、歴史ねつ造をして自己満足に耽っていると過去に学ぶチャンスを失い、その効果は自分に戻って来ます。
現在中国政府自身は(一応学者もいますし、愛国心に鼓吹されてその気になっている庶民とは違い)まだまだ自前でマトモな物を作れないことやその原因も良く知っています。
中国のアメリカに対するサイバー攻撃・情報収集の酷さについては最近連日報道されていますが、5月7日現在新聞の報道では(従来言われていた兵器産業関連だけではなく)主として先端技術情報への違法接近・収集を国家ぐるみで違法集団に応援して行なっているという米政府の発表でした。
中国は国を挙げて先進国で泥棒しているとアメリカに公式発表されているようなものです。
日本は中国に遠慮しているのかそう言う発表や報道が一切ありませんが、企業秘密の収集・・技術情報の盗み取りはアメリカに比べてガードの弱い日本に対してはもっと遠慮なく行なわれている筈です。
政府自身が、自分で考えたり製品を創作するより盗んだ方が効率がよいと認めて実践して国民にお手本を示している国が、中国です。
上が上なら下も下ということで、国民の道徳心は地に堕ち、知財剽窃や泥棒に邁進し、古くは毒入りミルクここ数日では、食品偽装のオンパレードが報道されていますが、基礎的道義心がなくなるのは仕方がないでしょう。
このような恥ずかしい国民性や政府態度は、1朝1夕に出来たのではなく、民族の歴史が作って来たことを直視し、これを改める努力をしないと何もマトモになれない・・中進国の入り口で終わる可能性があります。

中国は単純作業・模倣社会から抜け出せるか?4(歴史に学ぶ1)

大唐国からペルシャ人がいなくなってからの唐三彩〜陶器技術に限らないその他の文化の全般的衰退の例を見て分るように、一見自分で出来るようになったように見えても、その実、本当の技術が定着していないことがあります。
5月5日紹介した日経掲載論文で見たように、中国は歴史的に部品・デザイン等の張り合わせに特化し易い民族性があるので既存知識の張り合わせで少し先端的製品開発に成功すると、既に先進文化を生み出す力を得たかのように錯覚し勝ちです。
現状の最先端部品を組み合わせたり真似して作れるようになるだけではなく、・・日々発展するその先の研究開発能力がないとジリ貧になります。
・・デザインも模倣や組み合わせだけではなく、新たなものを作り出して行けないと直ぐに陳腐化します。
唐王朝以降約千年間中国地域の歴代王朝〜現在に至るまで社会制度や文化面で殆ど発展性がなかった理由がそこにあります。
(日本のように社会構造が順次発展して行かなかった不思議さについては、繰り返しこのコラムで書いてきました)
お金の方は土地成金の例を見れば分るように、土地を売ったお金は自分のお金になるのですから、(外資導入と言っても結局は現地の工場用地購入や資材設備設置費用に化け→現地人の懐に全額入ります)その資金がある限度で羽振りよく生活出来るのは当然です。
日本のマスコミは、日本等の外資が持ち込んだ資金で羽振りがよくなっただけの中国経済を今後も上昇し続けるかのように持ち上げ過ぎている・・幻想を振りまき過ぎていると思われます。
資金流入が細ったときにどうなるかこそが重要です。
外資・技術流入の勢いが途切れるときまでに中国が基礎部品製造の技術を身につければいいのですが、愚直に製品の高度化工夫するよりは既成品の組合わせで安直な金儲けに走る傾向があることから、何十年もかけて1つの製品を良くしようと工夫するのは難しい民族性です。
韓国では未だに基幹部品を日本から輸入しないとやって行けないと言われている(あるいは絶えず日本企業の退職者のスカウトが必要な)のは、ヤンパン重視→職人を大事にし、尊敬する文化がないからではないでしょうか?
技術力が定着しない内にベトナム等に最終組み立て工程が奪われるようになると中国は中進国(中進国まで行くのかな?)の罠にはまってしまいます。
韓国もサムスン1強でその他が駄目ですが、そのサムスンもローエンド製品については海外展開加速のために、国内雇用は悲惨な状態にあることはご承知のとおりです。
ササン朝ペルシャの文化が入って来て、その指示とおりのデザイン等で唐三彩を作っているうちは大唐文化の最盛期でした。
自分で作れるようになったと自信を持ったからペルシャ人迫害に走ったのか、その原因について当時のことは知る由もありませんが、約10万人と言われるペルシャ人大虐殺・・ペルシャ人が中国の地からいなくなってからは、中国の文化が停滞どころかその後約千年間もあらゆる分野で衰退を続けたまま近代から現在に至っている歴史を現在中国は謙虚に学ぶ必要があるでしょう。
大唐の絢爛たる文化は、ペルシャからの文化・技術導入によるものでしたから、ペルシャ人を虐殺等で追い出した結果、それ以上の文化を創れなかった・・模倣でしかなかったことがその後レベルが下がる一方になった原因です。
日本では鎖国化すると平安文化〜江戸文化のように内部で独自発展を遂げますが、中国の場合は社会組織や製造技術が時代とともに発展しなかっただけではなく、中国の誇る漢詩文も唐直後の宋時代はまだ余韻で何とかなっていましたが・・その後それ以上のものが生まれていません。
日本では「詩歌」の系統だけで見ても、万葉集から古今和歌集〜連歌から俳諧・俳句〜明治の新体詩など順次の文化発展があります)
日本社会では古代から社会制度(階層分化とその繰り上がりの連続性)に始まってあらゆる分野で順次の着実な発展がありますが、中国には大唐以来外来文化流入がなくなると停滞しかない・・専制国家の繰り返しになっている点については、09/03/05「中国の発展形態の異常性4(ペルシャの影響4)までのコラムで連載しました・・。
中韓両政府・人民は、自民族が何故時間をかけて創作して行く能力に欠けているのかについて、歴史捏造に血道を上げていると謙虚に反省するチャンスを得られません。

中国経済の動向5(単純作業・模倣社会から抜け出せるか?3)

5月5日に紹介した日経論文(5月3日付)のように共通市場化が進めば進むほど開かれた社会になって良いことではありますが、共通市場に出回る部品・商材は誰でも入手可能ということですから、これの組み合わせの工夫程度ではローエンド製品に限定されることと、既存部品の組み合わせの新規工夫による新製品創作の効果は多寡が知れています。
(思いつき程度ですから、陳腐化が早く持続的発展には不向きです)
社会の発展にとって実際に価値があるのは、従来の部品では不可能であったことが部品の小型化や耐久性の強化あるいは高機能化等の研究によって、全く別のものが作れたり新技術が創出され、新たな分野に応用出来るようになることによるものです。
電気自動車や太陽光発電・医療技術等々全て部品改良・新製品開発の積み重ねで新たな内視鏡手術・放射線・レーザー治療・ハイブリッド車・・ユニクロのヒートテック等が出来るようになったものであって、既存の汎用部品を組み込めば出来るという発想では新たな製品は生まれてきません。
一時期、今後電気自動車になれば装置が簡単になるので誰でも簡単に参入出来るという報道が充満していて、実際中国でどこかの企業が参入しましたが、失敗に終わっています。
電気自動車と言っても電池その他各種部品を改良に改良を重ねないとやって行けない(・・しかもそれは企業秘密であって共通部品市場に出回るのはかなり遅れてからです)実態は、今やだれでも知っているとおりです。
(日本の最も得意とする分野です)
・・市場に出回っている既存部品組み合わせという当時のマスコミの発想自体・・5月3日の日経新聞掲載論文も同じですが、社会発展の実態を理解しない議論だったことになります。
既存部品の組み合わせ等による新商品企画では、本質的に模倣の域を出ませんから、外国から新部品の絶えざる導入がない限り・・自前では作れない社会のままということですから将来性がないでしょう。
(ココ数日ネットを賑わしている・・反日教育に邁進している筈の韓国の教科書の表紙の幸せそうな家族写真が、実は日本人家族の写真であった・・その写真家は誰だ→日本人写真家→了解を得ずに使っていたという事実が次々と明るみに出ていますし、中国の北京5輪でもテーマ音楽が日本人大分前の作曲だと分ったことがありましたが、このようにあるものを継ぎ合わせる文化では剽窃が当たり前になります)
この点はいろんな産業の盛衰に共通しています。
低賃金による海外生産開始・・海外展開による新発想で新機軸を出して一時日の出の勢いだった企業がいくつかありますが、誰よりも先に着手したり先鞭を付けるだけでは、他社が真似をし始めたら優位性がなくなります。
最初にラーメンにトウモロコシやキクラゲを入れたりして目新しさで販売を伸ばしても、周囲が真似したらおしまいです。
(他社が真似出来ない秘伝の具を入れるなら別ですが、どこでも売っているような具材を入れるアイデアだけならば・・共通部品市場に頼るということは汎用品に頼るという意味です)
結局は味の良い方に負けてしまいますし、トヨタは海外展開が他社よりも遅いことが多いのですが、結局は海外でも最後に勝つのは元々の技術力・開発力の違いです。
いろんな業態でも一番乗りの企業は当初は有利ですが、直ぐに同業態に進出した同業者との技術力・販売力等の差になります。
スーパーダイエーは草分けとして意味がありましたが、販売実力が弱いので結局は後発のスーパーに負けてしまいました。
日経新聞掲載の上記論文は中国の発展性を書いたつもりでしょうが、商業民族である中国人はそもそも既成品の組合わせしか関心がない民族性・・汎用品すらも自分で作れないし、作る気持ちが元々ないと言う私の中国に関する歴史認識を証明する結果になっています。
これでは、ローエンド製品の末端組み立て産業社会からぬけ出すのは困難でベトナム等の後発低賃金国に投資が逃げて行くしかなく将来は暗いでしょう。
既製品の組み合わせ(中には写真の切り貼りや楽曲の挿入等剽窃も簡単に入り込みます)で安易に金儲け出来るので、如何にも自前の技術が身に付いたかのような錯覚にとらわて見誤ります。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。