外資流入によって支えられる中国経済2

6月8日に紹介した勝又氏の紹介記事は中国政府公式発表を前提にしたものですが、中国政府発表数字はすべて信用出来ないのが今では世界中の共通認識になっているので、この数字自体元々操作した怪しい数字です。
外資流入が減ってくれば、外見を繕うために外資流入減を少なく見せるために今度は多めに発表する・・比喩的に言えば1〜2割外資流入が減れば、従来実際より2〜3割少なめに発表していたのを1〜2割少なめ程度の操作にとどめるなどの操作で発表すると表向きの流入規模が変わらないこといなります。
世界中から虚偽でデータではないか?との批判の大きかった貿易黒字額を5月収支分から実態に少し合わせたことを昨日(6月8日)紹介しました。
この裏側として今まで分っていたのにあえて統計に乗せていなかったヤミ流入資金を5月からイキナリ表に出すことになりますから、貿易黒字額が虚偽データでないかと言う世界中からの批判をかわすついでに、外資流入分合計にこのヤミ資金摘発分を上乗せ出来るので「外資流入に頼っていた中国経済は流入減が始まってもう駄目だ」という世評を阻止する・・一石二鳥の効果を狙ったことになります。
中国の貿易黒字発表が相手国の収支とまるで合わないと世界中の大手マスコミが取り上げ始めてから、1ヶ月もしない短期間で直ぐにヤミ流入分を貿易黒字から除外出来るのは・・実は前から分っていながら黙認していて統計に乗せていなかったからこそ、その分を貿易黒字から直ぐに減らすことが出来たのでしょう。
実際の流入増減の統計発表自体あまりあてにならないのですが、その上に流入減を誤摩化すには、ヤミ摘発数字を多くすれば良いのですから、当面どうにでもなる数字ですから中国政府の発表を基準に議論しても始まらないところがあります。
正確性は別として勝又氏の引用する記事によれば、ここ数年は公式発表でも11000億ドル以上の外資流入が続いていたことが分ります。
中国では,巨額外資継続流入の御陰で言わば貿易赤字が約1100億ドル(約11兆円)以下の場合でも、外資流入の方が多いので中国の外貨準備が増え続ける計算です。
もしも公式発表どおりに巨額貿易黒字があるのならば、僅か3、7%の流入減が昨年始まっただけでは、本来大したことはありません。
中国の通貨高トレンドと言っても、内実は絶えざる外資流入によって均衡以上の為替相場を維持していた・支えられていたに過ぎないとすれば、外資引き揚げがなくとも流入が細るだけで大変な事態になり兼ねません。
あるいはチャイナマネーでアフリカやベトナム、ミャンマーなど世界中に投資していたその元手は、中国の貿易黒字によるのではなく、日本などの外資流入金の転用ですから日本等がこれをが支えて・・応援していたことになります。
上記記事でも分りますが、中国からアフリカ等への対外投資が最近増えていると言っても流入した外資の一部流用しかしていません。
最近何かの記事で見ましたが中国の最近何年間かのアフリカ向け巨額投資になっていると言っても、この間の累積金は、この間の日本による対中ODA総額とほぼ同額らしいです。
(自前資金による対外投資が出来ていないどころか、日本からの援助資金をそのままアフリカ援助に振り向けていて、援助してもらっている日本には何のお礼も言わないどころか敵対しているのです)
日本攻撃を公言して領海侵犯を繰り返し、日本批判を繰り返す中国に対して、中国の味方を増やすための世界工作資金として、何故日本が経済援助を続けているのか不思議ですが・・。
ところで、本来中国が公的発表どおりに巨額貿易黒字が累積していれば,外資流入が減ったくらいで(現状は追加流入が減ったと言うだけで、なお今でも1117億ドルもの巨額流入超になっていれば何の問題もないことになるでしょう。
資金流入と土地成金の関係を「専制君主制と虚偽データ2」 May 25, 2013で書きましたが、中国は外資流入の御陰で資金流入の続いていた日本の都市近郊農家のように資金あまりで大判振る舞い出来ていた面があること・・これが減少に転じるとこれまでのような経済運営が出来なくなるリスクを軽視出来ません。

外資流入によって支えられる中国経済1

話題がそれましたが、虚偽データ社会に戻しますと、研究者・エコノミストは、5月26日まで書いて来た中国の虚偽に満ちたデータの性質を理解すれば、中国政府発表数字だけで議論していられない筈です。
ところで、このコラムがデータねつ造問題から少し遠ざかっている僅か10日間ほどの間に大手マスコミでも中国のデータの虚偽性を堂々と論じるようになって来て、この種の記事が遠慮なく出るようになってきました。
昔とは違い、今では実際に多くの人が中国に出入りしているので、そこで受ける実感・・製品在庫の山等の目撃情報を無視出来ません。
実感では経済は成長どころかマイナス成長イメージなのに、大手マスコミだけが中国政府発表どおりに、毎年7〜8%も成長している・・景気が良いから早く進出しないと損だと煽り続けるのは無理になって来たからでしょう。
マスコミやエコノミストは世界主要国の対中投資額や貿易収支の合計と中国発表額の突き合わせ、その他の努力を(外貨準備額であれ何であれ・・)すべきでしょう。
私のような弁護士の仕事の合間にコラムを思いつきで書いているアマチュアには、諸外国データと突き合わせる作業は難しいですが、エコノミストは経済分析を専門にして生活して(収入を得て)いる以上は、その程度の労力を惜しむべきではありません。
中国の外資流入額に関しては2013/05/24「外資流入減5(虚偽データ1)」のコラムで外資流入額推移に関するグラフを紹介しましたが、何故か2010年以降のグラフがネット上ではまだ出ません。
上記グラフは政府統計ですからそれ自体怪しい(信憑性が乏しい)のですが、その上に権力による実需に反した規制があれば、やみ取り引き・資金流入が規制の強さに比例して多くなるのが原則です。
最近中国の貿易黒字が相手国の発表に比べて大きすぎるという世界批判・・従来は日本のネトウヨがネットで批判している程度でしたが、・・今はこれが世界世論になって来て無視出来なくなったのでこれに答える形で、輸出代金受取に仮装したヤミ短期資金の流入があると公式に認めるようになってきました。
政府が貿易収支を操作して発表していると認めたくないので、こうした形で言い訳を始めた・・一部事実でしょうから一応の言い訳になっています・・。
この結果、中国政府としては格好のつく形で貿易収支大幅黒字の修正に動き始めたので、4月までの毎月の貿易黒字14〜5%増から一転して5月の収支は僅か1%増という発表になりました。
中国政府の言い訳どおり(統計を操作していたのではなく投機資金が紛れていただけ)としても、いずれにせよ貿易黒字は見かけより少なく、実際の外資流入は上記グラフ以上にあったことになります。
最近の数字については以下の意見が参考になります。
http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/entry-11471030607.html
勝又壽良氏の経済時評2013-02-20 04:13:00によれば以下のとおりです。

「資本流入に異変起こる」
『ブルームバーグ』(1月17日付け)は、次のように伝えている。
①「中国商務省が発表した2012年の海外から中国への直接投資は前年比3.7%減の1117億ドル(約9兆8500億円)となり、2009年以降で初の減少となった。
景気減速に加え、製造業者がより労働力の安価な市場に拠点を移したことが響いた。一方、中国から海外への直接投資(金融除く)は28.6%増の772億ドルと過去最高を記録した」。

上記紹介した勝又氏の記事によれば、外資流入が減り始めたことは分りますが、前年比3、7%減っても1117億ドルの流入があったと言うのですから、2011年には(公式発表だけでも)1159,9億ドルの流入があったことになります。

 モラール破壊12(司法秩序の内外1)

04/10/05「不平等条約改正に対する日本政府と清朝の違い(漢承秦制の思想と社会の停滞)」のコラムで中国人学者の書いた論文を紹介したことがありますが、秦帝国成立前の貴重な諸子百家の思想のうち、専制政治に都合の良い限度でしか思想の自由を認めない=本当の正義が何かの議論すら許さない・・「権力の決めたとおり生きてれば良い」と言う体制で二千数百年も経過しました。
(孟子の立派な思想も日本に輸出して終わりになり、中国人には君主に都合の良い言説しか知られていないのでしょう・・善悪に関する思想に限らず、美術工芸品も見るべきものがないのは、自由な発送が許されず型通りのものを造るしかない時代だったからです)
専制君主制しか知らない中国や韓国では、正義と不正義・犯罪処罰の基準が人倫の道に照らして正しいかどうかで決まるのではなく、権力者の意向・・それもその時々の政治権力に都合が良いかどうかで決まる社会でしたから、真っ当な正義感が育たないどころか逆に阻害されます。
中韓では正義の物差しがはなく、権力の決めた命令に従うことが第一でその次に権力の決めた基準に反しない限度で当面自分の利益になるかどうか・・この行動をするのには、嘘でも何でも主張してでも権力の気に入るような目的達成すれば良いという社会になってしまいました。
(いつ理不尽な首チョッパー・失脚があるか分らないので、いつでも遠くへ逃げられるように頼りになるのはお金だけという心情が生まれ、現在では権力の及ばない海外でのお金の蓄積に励みます・・これが家族まで海外に逃がしておく裸官がはびこる基礎思考です)
権力すり寄りが第一の基準ですから、今の「世界強国のアメリカに迎合して日本批判して何かを要求すれば良い」価値観で行動しているのが彼らです。
そしてアメリカの判断基準は、超法規的価値基準がなく、自国の利益になるかどうかであり、その判断を左右するのは資金力・・ロビー活動次第になっています。
こうして作り上げたルールも国内向けだけで対外的にはどんな卑劣な手段を弄しても許される・・国を挙げて世界に向けて事実に反した虚偽宣伝していると、これを見て育つ国民もそうなるのは当然で、国内道義が乱れて亡国の道を歩むことになります。
ところで、独裁政権の中国でも今では一応事前に決めた権力者の決めた法があり、その基準に合うかどうかを判定する裁判所がある以上、事前に制定された法・基準による生活さえしていれば良い筈ですが、共産党の利害に関連すれば・・司法秩序外の超法規運用・弾圧がまかり通っています。
明治憲法で「臣民の分際に反しない限度での基本的人権」という論争がありましたが、今の中国は「共産党支配」を侵害しない限度という枠内で法治国家になっているに過ぎません。
共産党の命令による拘束の場合・(天皇制否定のような明白な基準すらなく)超法規的に拘束されると共に、司法手続きから除外されてしまい、党内規律違反という意味不明の基準でヤミからヤミに葬られます。
共産党の何の規律に反したかさえ明らかではなく、共産党の命令ならば、何ら基準も要らないよう・・外部公表されない結果、仮に基準があったとしてもないのと同様です。
・・法輪功の訴えでは、どこかへイキナリ連行されると生きたまま、内蔵摘出されてヤミ市場で売買されている状態と言われています。
(法輪功関係者の主張の受け売りですから真偽不明です・・ただし、正式な臓器提供数と実際の手術数がまるで均衡していないことは事実のようですから、法輪功に限らずヤミで処罰された人の臓器や人身売買による臓器が市場に出回っていることは確かなようです。) 
今回の薄煕来事件自体その後ヤミに入ったままで、彼が生きているのかどうかすらまるで分っていません。
(対外的に検挙したことにして、実際にはどこかで優雅に暮らしてるのかもしれず、逆に今頃は誰かの内蔵に化けているのかも知れない不気味さです。)
妻の谷開来氏の事件は、イギリス人が被害者であることから公開裁判があったようです。
アメリカの場合、法治国家であると主張していますが、テロリストであれば司法秩序外で処理されても仕方ない仕組みになって来たようですし、(グァンタナモ基地での拷問が無制限・自由に行なわれて来たことは周知のとおりです)対外的行為・・アフガン等では戦闘員がテロリストと見れば自由に殺していて彼らに法の保護はありません・・こう言う非人道的なことばかりしてるからアラブ諸国ではアメリカに対する憎悪が蔓延しているのです。
古代ローマでは市民権があったのは市民だけであるように、アメリカで法の保護を受けられるのは、(当初黒人が除かれていましたが)アメリカ市民権を持つ人のみであり、今では諸外国(主として非白人)が埒外です。
このようなご都合主義的な二重基準(背信性)が、2013-5-31「強者の論理3とモラール破壊5」で書いたように、国民の価値観を分裂させないでは置かないでしょう。
我が国では外国人と同居したいと思う人は少ないものの、具体的生活での人種差別はありません。
欧米では法や思想面だけ人種差別反対で、日常生活ではもの凄い差別意識で生活している・・言わば虚言・偽善社会です。
この偽善道徳に自分が縛られてしまい、アラブやアフリカ諸国の移民をドンドン受入れるものの本音ではもの凄い差別意識があるので、結果的に移民が不満を持って人種騒動を起こす原因なっています。
我が国では、学校教育で「万物の霊長」という西洋の思想を知って先ず天地がひっくり返るほど驚きますが、人種差別以前にどんな動植物も我が子のように大切にする社会です。
私などは、自宅の花壇の植え替え時期が来るとまだけなげに咲いている花を引き抜くのにためらいがあって、何日も迷います。
しかし,植え替え用に購入した次の苗を放っておけず、アハレと思いつつ遂に全部引き抜くことになります。

モラール破壊11(根っからの民主政体の国・日本)

道義が衰退してお互い性悪説に凝り固まっている社会・・頼るべき価値観のないことから、目先の金儲け優先・拝金社会で、しかも金儲けのルールすらないのが中国ですから、金にさえなればミルクに毒を入れてでも金儲けしたいという行動が頻発する社会になります。
勿論他人のため・・そのまたずっと外側にある町を綺麗にしたりどう言う因果関係があるのか簡単に分らない空気や水を綺麗にし樹木を育てる(よりは、金になると思えば日本の援助で植えた樹木を切ってしまう)・・環境にお金を使うなどは、毛頭考えられません。
中国では政府幹部からして環境が破壊されれば・空気が汚くなれば自分は大金を持っているので、綺麗なところに率先して逃げ出せば良いという価値観・・「裸官」が普通で公徳心などまるでない状態です。
政府首脳陣とこれを支える階層からして国のために政治をしているのではなく、私益のため政治をしていることがこの動きからだけでも分ります。
アメリカもその土地に用がなくなれば住んでいた町を気楽に棄てて行く・・ゴーストタウンにすれば良いというのが基本的生き方ですから、その土地にしがみついて飽くまでその土地を良くして行こうとする価値観がありません。
ガソリンがぶ飲みの大型車を好み、環境負荷に対する認識が低い・・広大なアメリカ大陸の環境を破壊し尽くして来た歴史を見ても、アメリカ人の意識は中国と似ています。
環境破壊を何とも思わない社会とは,畢竟するに社会・公共に対する責任感が育たない社会であり→犯罪者が増えるのは当然です。
日本社会では、全ての仕事やスポーツ・儀式が掃除に始まり掃除で終わるのとは大違いです。
ちなみに我が国では、王朝時代と言われる平安時代も合議制・・下から順次意見を吸い上げる仕組みでしたし、鎌倉幕府〜江戸時代(たまに大老政治がありましたが・・)も、即断即決を尊ぶ戦国武将の軍議でさえ原則合議制でした。
昨日のコラムでも書いたように縄文の昔から、あるいは卑弥呼の時代から国家に似た組織が出来始めた昔から、上からの一方的押しつけではない我が国のボトムアップ方式は、日本民族の髄まで染み通った精神ですので、この方式を変えられません。
以前から書いていますが、我が国の民意くみ上げ型社会は西欧の民主革命以前の古代からもっと進んだ民主的社会でした・・・西欧の市民革命などが必要な社会はわが国よりは2〜3周回遅れの社会であって、自慢するようなものではありません。
西洋の国民主権というのは選任手続きに民意を反映するだけであって、一種の擬制・フィクションであって、権力さえ握れば、エリート=権力者が上から一方的に指導する社会本質である点が変わりません。
我が国では古代から現在に至るまで文字どおり民意で行う政治・・政治家は世話役であって国民を偉そうに指導するものではありません。
西欧かぶれのマスコミは、トップダウン方式の諸外国に比べて我が国企業の意思決定が遅いと批判する原因でもありますが、2〜3周回遅れの西洋方式を学ぶのは一見進んでいるように見えるだけであって遅れた制度を間違って習うことになります。
私は時間をかけて総意を形成してみんな納得してから実行して行く、日本の方式で良いと思っています。
信長が一時独裁政権を作ろうとしましたが・・本能寺で倒れましたし、我が国では、古代から専制君主制あるいは独裁制になったことは一度もありません。
こうした民族固有の歴史から、大統領制に馴染まない・・内閣制になっていることを06/05/05「イギリスとフランス革命の違い2(大統領制と議院内閣制1)」前後のコラムで書いてきました。
韓国は内閣制の日本統治下にあったのに、独立後直ぐに大統領制を採用しているのはこうした専制君主制しか知らない・・歴史の違いです。
台湾は日本支配以前にはどこの統治下にも入った歴史がなく、専制君主制の歴史がないのですが、日本から独立と同時に総統制になったままですが、これは専制君主制しか知らない中華民国軍(国府軍)が入れ替わりに占領したらそうなったものです。
ただ国府軍占領まで専制君主制の歴史がないことから、台湾人は中国本土のように何でも政府の言いなりになることはありません。
歴史の違いでしょうし、実質異民族支配ですから国府軍も現地人に対して遠慮のある点が影響しているのでしょう。

モラール破壊10(性善説の消滅)

我が国では形式的な「律」があるかどうかではなく正義の観念に裏打ちされた「法」でなければ支持されない文化であったことが、わが国では中国伝来の「律」を重視しなかった理由であることを01/18/06「法と律と格の違い2(民法148)(悪法は法か?1)」で書いてきました。
明治維新では王政復古と称していたので、最初は新律綱領など「律」という名称の法規を造っていたことを07/29/05「明治以降の刑事関係法の歴史3(清律3)」のコラムなどで紹介しましたが、その内に内容の妥当性にかかわらず強制する性質のある「律」は国民性に合わないことから、「法」と名称を変えていきました。
この名称の変更は内容がどうであっても専制君主の命令・律に盲目的に従うべきという中国伝来の律の思想を否定したことに意味があります。
我が国では古来から「悪法は法で」であったことはないのです。
その基礎には、日本列島では一度も絶対君主や専制君主に支配されたことがなく、その結果理不尽な命令に従う必要のない社会があった・・歴史があるからではないでしょうか?
日本列島の政治は、卑弥呼の時代から江戸時代末までずっと諸豪族の連合体の運営形態ですから、筋の通らない主張はどんな比較強者でも強制することが出来ない社会のママ明治維新まで来ました。
英米法で言う「法の支配」は、権力者とその側近の恣意によるのではなく、議会による制定手続きが整備されていることが専制君主の命令とは違いますが、そこには内容の当否をチェックする仕組みがなく、手続きが整備されている点が違うだけです。
(憲法に反しない限りの制約はありますが・・憲法自体多数の力で決まるものです)強者の意向を受けた多数派の意向どおり何でもルールが決まって行く=いつも強者=多数派に都合の良いことが正義になって押し付けばかりでは、弱者が浮かばれません。
「正しいものは正しい」(権力者が命じても駄目なものは駄目」とする我が国の古代からの価値観が強固なままです。
・・そのときの圧倒的多数に支持されている権力の力(法的には憲法改正も可能でしょうが・・)を持ってしても「侵すべからざる人倫の道がある」・・からすれば、中国等専制君主制を基本とする国や英米流強者の論理は、いつか否定される時代が来る筈です。
こう言う基準で見ると,アメリカに押し付けられたとは言え、日本国憲法前文は日本古来の価値観が織り込まれて結構良いことを書いています。

日本国憲法
前 文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

憲法前文は英米の狡猾な弱肉強食の価値観を否定して、正しいことのためには「千万人といえどもわれ行かん」の精神の闡明です。
ついでにこの出典を紹介しておきましょう。
孟子
公孫丑章句 上に公孫丑から真の勇者について聞かれたときの問答に以下のようなやり取りがあります。
いろいろな事例を書いた後に
「昔者曾子謂子襄曰、(昔曾子が子襄に謂いて曰く)子好勇乎(子勇を好むか)、吾嘗聞大勇於夫子矣(吾かつて孔子に大勇を聞く)、
「自反自不縮、雖褐寛博、吾不惴焉、自反而縮、雖千萬人吾往矣、」
 後半部分が有名です。   
   自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖も、吾往かん
※自分で内省して正しくないと判断したならば、褐寛博(よれよれの緩い衣服を来た貧民)の輩に挑発されても余は進まない(勇気を奮わない)。
自分で内省して正しいと判断したならば、相手が千人万人であろうとも、余は(勇気を持って)進む。
孟施舎守之氣、又不如曾子之守約也、
(孟施舎は「気」をよく保って勇敢ではあったが、曾子が心に正義を基礎にした勇敢にはかなわない。・・この問答の対照的な人物例として出していた2人の比較です)
中国にも孟子(紀元前372年? – 紀元前289年)のような立派な思想の人々がいましたが、孟子は秦帝国成立前で、自由な思想を戦わせていた諸子百家の時代の人で、秦の始皇帝(紀元前259年 〜紀元前210年)による専制君主制成立後こうした思想はなくなってしまい、日本でだけ大事にされて来たのでしょうか?
孟子と言えば、性善説が有名ですが、今の中国ではとっくに廃れて性悪説・・相手を信じていては駄目という情けない風潮がはびこっています。
何もかも良いものは(美術品だけではありません・・心さえも)日本に逃れた以外は全て棄ててしまったのが、中国の歴史のようです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。