民意に基づく政治2(大統領制と議院内閣制1)

日本を除く世界中では、トップは兎も角命令するものであって、下々は命令の妥当性など何も考えずに黙々と従うしかないと言う意識で何千年もやって来た点はどこの国でも殆ど同じです。
アメリカだって、大統領を選ぶことが出来るだけであって選んだ後はフォーローザ・リーダー・・・・政治に口出しせずに、決めたことは守って行くだけです。
日本を除く世界中で騒乱状態にならず何とかなっている国は西欧のいくつかを除けばすべからく大統領制・・任せたら後は強力な権力を与えて自由度を高める外、任期も長くしているのが普通です。
韓国の例を見ても分るように任期終了間際の1年から半年前くらいから、政権運営能力が揺らいでどうにもならなくなって、最後(李大統領は半年から1年前には支持率20%と言われていました)には失脚する形で終わるのが普通であることを参考にしても良いでしょう。
もしも日本のようにしょっ中政権の信任を問われる仕組みですと、韓国のように我欲の主張の激しい社会では数ヶ月ごとに政権交代になってしまう・・その都度方針転換では大混乱社会になってしまう可能性があったでしょう。
その点で、韓国人の民度を前提にして、任期5年制にしてこの間一々民意に従わなくて良いと決めたのは合理的です。
韓国では長期・5年の任期制によって、この間だけ強制的に権力の安定が保たれているに過ぎません。
任期が長いと言うことは、その間(極論すれば)民意を無視して政治が出来る保障を与えているということですから、大統領の考える思い切った改革(反対派の意向など無視・軽視して)が直ぐに実行出来ます。
任期制の上に何回でも再選可能な制度にすると、事実上終身制みたいになって硬直性が極まっても民意の反映が出来ないので不満が発火点に達してしまうリスクがあり、騒乱による政権転覆・・革命のリスクが生じます。
革命が起きること自体が政治体制・・民度の未熟さの現れですから、革命の成果を自慢するのは恥ずかしいことです。
大体世の中で自慢することほど・・見方を変えればみっともないことが多いこともあって・・恥ずかしいことはありません。
韓国では大権一任の結果、かなり多数(例えば反対論が4割も会っても)を占める意見でも、全く無視して果断に政策実行出来る代わりに・・農業の思い切った自由化や大企業優遇策等々で勤労者が疲弊するなどで切り捨てられた勢力の大きな不満を抱えています。
大統領再選がないので、任期が事実上の終身制ではありませんが(専制制しか知らない結果、たった5年間しかない任期中の支持さえ維持出来ないほど民意を汲み取るのが苦手な国民性です・・)運営が拙劣ですから、再選の危険を心配するどころではありません。
国民の気持ちが移ろうのに対して長過ぎる任期によって政権が守られている矛盾が吹き出るので、政権末期ころには支持率急低下・低迷となることの繰り返しでした。
この繰り返しを見ると、制度的には任期が長過ぎることに問題があることが分ります。
大統領大権と固定任期制は表裏の関係になります。
アメリカの場合には二回限りの再選があるので、任期中は一任されているので大権行使出来るとしても、再選を意識して民意を無視ないし軽視した思い切った政策実施が出来ないブレーキが働くことになります。
韓国だって、与党が連続して政権を握るためには与党不利な政策を採用出来ない筈ですが、極端な政治をしてしまうのは、権力を握れば何をしても良いという長い歴史経験とこの裏返しですが民意を汲み取る能力の欠如に尽きるでしょう。
与野党どちらが政権を取ってもいつも直ぐに支持率急落になるのは、元々専制政治制で人民を家畜のように扱って来た歴史から、民意を汲み取る能力が欠如していることによります。

民意に基づく政治1

June 6, 2013「モラール破壊11(根っからの民主政体の国・日本)」や2013/07/03「反日教育3(親日意識2)」で少し書き始めていたテーマに戻ります。
ボトムアップ政治に慣れていない国・・庶民が家畜のように何千年単位で扱われて来た社会では、庶民が政治に参加した経験・能力がないのでイキナリ民意に基づく政治と言い出しても民主主義的政治運営が難しいのが当然です。
小学生や中学生が親に反発して家を飛び出してもうまく行かないのと同じです。
この場合、もがいているうちに不良になってしまう・・国で言えばテロ国家になって収拾のつかなくなる例・・もいますが、大方は周りが面倒見たりしているうちに一定年数で大人になって行くので何とかなりますが、民族としての経験不足の場合、5年や10年でどうなるものではありません。
韓国や中国は、この苦しみの最中なので政権維持のために対外的に(言い易い日本相手に)無茶苦茶を主張しているしかない状態であると理解出来ます。
自由恋愛も同様ですが、身分その他の格式に縛られた結婚形式の殻を破って自由な恋愛をしたい自由人が増えて来て、我が国では花街を舞台にした(義理人情の板挟み・近松の浄瑠璃がそもそもこの種のテーマでしたし、しかも庶民が対象・・・、シェークスピアも王侯貴族が主人公ですからかなり早い展開です)歌舞伎のテーマになり、西欧では近代文学の大テーマになりました。
しかし、実際に自由に恋愛出来るほどの主体的人格を確立出来る人は滅多にいないのが現実です。
親や周囲が紹介する仕組み・・お見合い結婚がなくなって、「自由恋愛でどうぞ」と言われてもその能力のない人が大多数です。
夢のような恋愛結婚をしたいと夢見る人が増えると、大多数の女性は現実の結婚に不満を抱くようになります。
その結果、離婚も増えるし晩婚化・独身化が進むと言えるでしょうか?
アラブ諸国では民主化を夢見て騒乱を起こして政権を倒すまでは良いのですが、実際には古代から一方的に命令されるだけで衆議でやって来た経験がない・・運営能力のない民族が殆どですから、自由な意見を言い出したら収拾がつかなくなり、待っているのは混沌しかありません。
何十年か混沌を繰り返して、結果的に強力な指導者待望・・強権的に命令されて動く社会・・独裁政権に戻る民族の方が多いのかも知れません。
これまで中韓両国では専制制の政治しか知らないので、人民には自前の道徳律が身に付かなかったと書いてきました。
自前の道徳律のない社会では、公正な意見を戦わすことは不可能です。
この辺は政治経験の有無という意味でも同じで、ボトムアップ政治の経験のない国としてはアラブや中南米諸国等と共通の問題点かも知れません。
あまりにも抑圧されて来た民族では自分の意見を言えるとなれば、正しい線を乗り越えてその何倍でも言えるだけ言ってみるという声を大にして言うことしか知りません。
これでは単に百家争鳴状態にしかならないので、政治がまとまる訳がありません。
中南米で軍事政権が続いたのは、公正な意見を言う習慣がない・・民族の経験不足によるものでしたし、ロシア革命や中共の一党独裁もこの面から見れば皆同じです。
政治に関して意見を言った経験がないから能力が身に付かなかっただけではなく、元々公正な意見を言う道徳律の低い・・ない社会では、意見を聞いていると我欲を主張するばかりで収拾がつかない・・無理だったから、下々の意見を聞く習慣が生まれなかったのかも知れません。
家庭で言えば、訳の分らない幼児の意見を聞いていろんな生活上の決定をしていられないのと同じです。
民主主義の手本のように言われるフランスでも、市民革命・・政治参加権を有産階級に制限していたにもかかわらず、革命以降ジャコバンの恐怖政治とナポレオン帝政〜第二帝政とその間の混乱の繰り返しでしたし、戦後も20年前後不安定政治の繰り返しでしたが、ド・ゴール将軍の強力な権力(民主的に選ばれた一種の軍政)の下で、所謂第五共和制(結果的に大統領任期の長期化・権限の大幅拡大)になって漸く落ち着いたに過ぎませんでした。
ド・ゴールの登場とフランス政局安定については、10年以上も前の12/10/02「民主主義とは、2」で書きました。
ドイツは鉄血宰相と言われたビスマルクが統治し、第一次世界大戦敗戦後ワイマール憲法によって世界一の民主主義制度を導入し法的には民主化しましたが、結局はまとまらずナチスなど強力な指導者を必要とする社会が続いていました。

民族意識3(敵前逃亡)

ところで経済成長時に都会に出て行って過疎化を進めた人たちと、自然災害に恐れをなして故郷を棄てた人々の間にどのような差があるのでしょうか?
結果は似ていますが、一方は故郷の人から養い切れないから都会に出て就職するように追い出されたような人々・・・残ったのは農家の跡取りであって出て行ったのは言うならば弱者であって故郷から押し出された方でした。
だからこそイザとなれば故郷に帰る権利が戦前にあったし、満州等へ出て行った人たちも戻るべき故郷があったのです。
戦後も同じように二三男は集団就職で都会に押し出されたのですが、超高度成長が続いた結果、実は追い出してみたら地元に残って有利だった筈の長男の方が成長から取り残されてしまったという逆の結果が生じたに過ぎません。
今回の災害で(非難命令にしたがって已むなく出た人は別ですが)率先して逃げ出した人たちは、郷土の苦難に対して力を合わせて立ち向かおうとするときに、これに協力しないで自分だけ安全圏に逃げ出す行為ですから、蒙古襲来に対して真っ先に故郷を棄てて逃げ出したような行為になります。
蒙古軍を撃退してから「やれやれ良かったね」と戻って来たら、残って戦っていた人たちがどう思うかと言うことです。
(それぞれに子供を抱えて心配だから・・などいろいろ言い分がありますが・・ここでは結果を書いているだけです)
歌舞伎役者の海老蔵がペットボトルを買い占めたりして福岡まで逃げていたというニュースがありましたが、かれは元々暴力事件の被害者になったり素行的にレベルの低い話題の多い人ですが、国民的スターになろうかと言う人間が真っ先に逃げ出しているなどは、取り返しのつかない汚点をまた1つ着けてしまいました。
彼は暴力を振るわれたチンピラ相手に「俺は黙っていても一定の年になれば、人間国宝になれる家柄だ」と威張っていたそうですが、何十年か後に具体的選考時になれば、今回逃げ回っていたことが大きなマイナス点になるでしょう。
こんなのがこれからの歌舞伎界のスターというのでは、何となくイヤになりますが、数日後には、東京高裁の事件のついでに新装なった歌舞伎座に歌舞伎を見に行く予定ですが、彼の芝居を観に行く訳ではありません。
元民主党党首の小沢氏が、大震災時には実は遠くに逃げていて地元に寄り付かなかったと妻からの離縁状の暴露形式でネットニュースを賑わしていましたが、その後妻からの追加発言もないし、離婚事件に発展しているというニュースも流れないところを見ると単なる怪文書だったのかも知れません。
それにしても地元の苦難を放置して自分が真っ先に逃げていたというニュースのインパクトは甚大なものがありました。
このニュースあるいは怪文書の御陰で、彼の政治生命は100分の1くらいに縮まったのではないでしょうか?
彼がどんなに選挙運動をしようとも、どんな立派な政策を掲げようとも先ずこのとき自分はどこにいてどのように地元復興に尽力していたかを説明出来ない限り、地元民の一旦離れた心は戻らないでしょう。
政治は政策次第とは言うものの、その前提として民族愛・・自分は命を棄てても民族を守ると言う気構えがないと話にならないのが我が国の心です。
この心構えはリーダー一人ではなく兵士の末まで徹底していますので日本の兵は強い・・劣勢になっても絶対に総崩れせずに最後まで戦う気力を失わないのです。
末端の兵士まで、銃後の家族・・ひいては民族を守る意識で敗戦になる直前まで逃亡せずに特攻に志願して死んで行ったのです。
こう言う国柄で政治家たらんとする者・・昔で言えば大将・部隊長になるべき者が真っ先に敵前で逃げるようでは大将が勤まる訳がありません。
6月9日ころに原発事故で命を張って頑張った吉田昌郎元所長が食道がんのためになくなったと報じられていました。
彼の訃報に対して国民の関心が強いのは、彼が民族を守るために身命を賭して現場で頑張ってくれた(・・当然その下で一緒に戦った多くの無名の部下もいますが・・)その心意気に対する民族としての感謝の心です。
日本では自己保身のために政治・・外国批判をやっていると見られたら最後、政治生命が終わりになる国ですから、中韓・北朝鮮政治家のレベルの低さに驚くのですが、あちらとこちらでは政治家になるべき基準が違うのですから仕方がありません。
我欲の強い人が政治家になったり経営者になる社会では、成功すれば成功を誇示するために大きな屋敷を構えて敷地内に信号機を着けるようなことをして自己満足する社会になります。
日本では世の中の人とためになりたいという信念でないと企業活動に成功しても誰も尊敬しません。

民族意識2

現在の中共政府も韓国大統領府もこれまで書いて来たように民族を守る意識が元々なくて、自己保身が最大目的ですから、日本と事を構えることが国民生活にどのように影響するかは目先で大きな問題ではありません。
どの政権にとっても、中長期的に国民経済が豊かになるのが良いに決まっていますが・・その政策がうまく行かないので、中長期的に国家にとってマイナスの選択でも政権に対する目先の不満をそらせることが先決になります。
そこで目先の自己保身のためには、不満を日本に向けさせるのが簡単なので、これの採用に走り勝ちです。
国内政治では、何か新たなことをすれば必ず損するグループがいて、何かする都度政敵が生まれますが、外国批判の方は誰も表向き反対出来ないから政治家にとってはすごく楽なオプションです。
外国批判でも相手によって反対論もあり得ますが、(フランスよりはアメリカと仲良くした方が良いとか)中韓にとっては反日と言えば、誰も反対出来ない雰囲気造りに成功しているので安心です。
言わば、いじめられっ子が一旦決まれば、安心してイジメられるようになるので,イジメがエスカレートし易いし,イジメラレッ子が固定して行くのと同じです。
日本の場合は昔から城主が腹を切って城兵全部の助命と引き換えにするような敗戦処理が普通ですから、自己保身のために民族の運命を売り飛ばすような政治をすればそれ自体で政権が吹っ飛びます。
民族意識に戻りますと、明治維新のときには民族単位で興亡を繰り返す時代に入っていたのでナポレオンよりも早くから成立していた日本の強固な民族意識はプラスに作用しました。
今後国際交流・グローバル化が進んで行き、民族意識にこだわるのは誤りだという風潮が広まると、千年以上も前からの強固な民族意識・同胞意識にこだわっている日本は、今度は時代遅れで不利な状態になるかも知れません。
トヨタのように飽くまで国内雇用を守る努力は、適地生産の原理に反して経済的に非合理かも知れません。
その代わり最後まで民族意識・・同胞を守る連帯意識を強烈に維持して行くことが日本・・ひいては日本人の強みになります。
・・せっかくトヨタが国民を守るために努力してくれる限り、国民もこれに応えてガンバルしかないので、そこから苦境を打開して行く智恵が沸いて来るでしょう。
その地域が駄目になればその土地を棄ててどこかへ引っ越せば良いという安易な(アメリカや中国等大方の国はそうです)思想が地球環境を荒廃させて来たし、これでは安易過ぎて工夫が育ちません。
大震災でも同じですが、安易に故郷を捨てないで自然の猛威に併せて生き抜く努力があってこそ、いろんな技術の基礎となって実を結ぶのです。
日本人は5000年前後も以前の縄文時代の古代から、都合が悪くなると居住地を捨てるようなことをせずに、何とか努力してその地で作物を作り続ける努力・・循環型社会を築いてきました。
原発事故があってもそこから逃げるのではなく、正面から向き合って原発事故によるマイナス面の解消に日夜努力しています。
この努力は無駄ではない・・きっと世界で到達していない何らかの先端技術の開発成功に行き着く筈です。
地震や津波・原発事故があると、たまに故郷を棄てて逃げる人もいますが、大方は郷土を死守する意識・努力が強固で健在です。
蒙古襲来のときに真っ先に上陸予定の海岸から逃げたか、松浦党・・竹崎季長のように正面から向かって行ったか否かがその地での子孫の評価に繋がる社会です。
マスコミはあまり報道しませんが、震災等のときに真っ先に故郷を棄てて逃げた人は、何十年〜百年単位でその土地での信用を失った筈・・多分帰れないでしょう。

国家と国民4(民族意識1)

民族国家意識が世界で持てはやされるようになったのは、ナポレオン戦争時に戦争遂行便宜のために生まれたに過ぎません。
韓国や中国で国外脱出熱が高いのは意識が先に進んでいるのではなく、1周回遅れでまだ民族意識が定着すらしていない結果です。
元々漢民族と周辺諸民族の混交が古代から絶え間なく問題なく進んだのは、民族意識という強固なものが古代から存在しなかったことによります。
バルカン諸国等で民族雑居が進んでいるのも同じで、元々民族単位で争う習慣がないから長い年月の間に混交が進んだのです。
バルカン諸国が今世界中の火種になっているのは、元々民族対抗意識が希薄であったからこそ雑居が進んでいた地域だったのです。
ドイツでユダヤ人がナチス迫害を受けたのは、ドイツが西欧諸国内で一番ユダヤ人迫害の少ない地域・・住み易いからこそ多くのユダヤ人がいたことがマイナス効果を及ぼしたのと同じで、何が幸になるか不幸になるかは前もって分りません。
争うべき利害対立もないのに(同じ地域に混在している限り資源の奪い合いその他地域対立の合理的争点はあり得ません)西欧の民族感情を煽る意識が伝染して意識だけ先行して、民族自決の流行に遅れまいとして喧嘩するための喧嘩をしているような感じです。
民族意識は上記のとおりナポレオンがフランス革命後に介入して来た周辺諸候をはねのけるために徴兵の便宜のために言い出したに過ぎない・・元々排外的意識効果を生み出す元祖みたいなものです。
民族意識が高揚すると周辺国からの侵略を防ぐには効果の高い思想ですが、元々仲良く混在していてその地域の利害を共有している民族同士が内部でいがみ合うために、これを使うのは本末転倒と言うか誤用です。
千年単位で仲良くして来た民族同士が、外敵撃退のためではなく、内紛のために西洋の思想にかぶれて(格好いいと思うのか?)喧嘩する必要がないのです。
多分西欧列強が植民地支配するのに現地の民族対立を煽る方が統治し易い(繰り返し書いて来た離間の策です)ので、世界中に民族意識や宗教意識を植え付けて教育して行ったものと思われます。
ナポレオンの言い出した民族意識にまだ染まっていなかった清朝支配下や李氏朝鮮では、身近に起きたアヘン戦争の結果に対して、政権維持に関する(権威喪失による)危機意識しかなくて、民族としての危機意識が殆どありませんでした。
これに対して、前回書いたように日本では古代から列島防衛のための民族意識が強固に育まれてきましたので、アヘン戦争のあった場所からとおく離れた日本では政権維持よりは民族の危機到来にどう対処するか・・北辺の国土防衛などに対する関心が国民の支配的意識であったこととの大きな違いでした。
民族存亡の危機に対応するために必要となれば政権交代・・維新が起きたし、目的が民族の独立維持でしたから、列強の介入を招く大規模内戦をやりませんでした。
応援を求められると期待していたフランス軍の応援を幕府及び旧幕府軍(彰義隊や榎本武揚あるいは奥羽列藩同盟軍)が頼まなかったのは当然です。
これに対して今の北朝鮮も同じですが、民族の生活水準アップよりは現政権維持が出来るかどうかこそが最大・主要関心事です。
現体制維持のために国民がどんなに苦しもうと関係ないのが北朝鮮政体です。
朝鮮戦争では南北共に外国軍に応援してもらって、双方の外国から来た大軍に自民族を蹂躙させていたのですから、日本では想像もできないバカな話です。
清朝末期では西洋列強に対峙するために必要とした、いわゆる変法自疆運動も清朝支配維持にマイナスとなれば弾圧されてしまいました。
元々異民族支配の長かった中国地域では、他民族の支配下にはいること・・そのときそのときにより強い勢力が支配する・・イギリス支配でも結果は同じですから、それ自体大した問題にはならなかったのは当然です。
香港などはイギリス支配だからと言って住民が逃げ出すのではなく、逆にドンドン人が集まって人口が増える一方だったことを、08/30/05「都市の成り立ち9(異民族支配)」で書いたことがあります。
清朝自体が満州族によるその他民族を支配するものでしたから、西欧列強進出・領土割譲に対して我が国のように民族存亡の危機感などが生じる余地がなかったのです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。