大晦日(塞翁が馬)

今日は遂に大晦日です。
去る歳を振り返ってみますと、実に政治的関心の高まった1年であったと思われます。
いわゆるアベノミクスという経済改革路線が大胆に打ち出され、他方で戦後レジームからの転換を打ち出していたのでこれらに注目の集まった一年でした。
経済面では、今のところ金融緩和→円安による以上の政策効果が見えませんが、ともかく国民みんなが前向きに動き始めた一年だったように思えます。
政治というものは運も必要ですので、世界情勢が日本に有利に動いていたことや巨額貿易赤字による必然的円安効果もあって運が良かったことも安倍氏の業績に含めても良いのでしょう。
アメリカがリーマンショック後一応体力回復し、円安を容認せざるをえない国際環境になっていたことなど環境要因が大きかったのです。
円安が日本の国際競争力維持発展に有利であることは論を俟ちませんので、この辺は民主党政権であれ、自民党政権であれ政策目標に違いがあった訳ではありません。
リーマンショックでは日本だけが被害軽微でしたので、リーマンショックによって痛んだアメリカ経済立ち直りのための対応策としての無茶苦茶な金融緩和(QE3まで)→ドル安政策=円高政策に日本は反対出来ず協力するしかなかったのです。
前回の安倍→麻生政権では、リーマンショック後のアメリカの体力恢復策・・ドル安政策を台無しにするかのように日本がアメリカのドル安政策に張り合って円安政策をとることは、不可能でした。
リーマンショックで大損していない日本が黙って受入れるしかない国際環境だったのであって、当時の日銀や安倍〜麻生政権→民主党政権の政策ミス・責任ではありません。
時流に反したことをしようとすると大失敗しますので大政治家とは言われません。
時流の底に潜む客観条件を読み抜いて、果敢に実行するから大政治家と言われ(ポンド売りを仕掛けたジョージソロスのように)大投資家と言われるのです。
韓国経済は世界景気変動に対して脆弱である・アメリカ同様に痛んでいて日本が巨額スワップで保障してやって漸く破綻を免れた状態でした・・そのうえ小国であるから世界経済に与える影響が軽微・・ウオン安によって日本のシェアーを奪っていただけですから欧米は痛みを感じません・・なために、自由にウオン安政策を取れたので、この間輸出競争で有利になってリーマンショック後競合する日本だけが苦しめられていたのです。
禍福あざなえる縄のごとしと言いますが、大負けした方が勝ち組に転換し易いし(大震災被害の東北地方は景気が良くて人手不足です)被害軽微だった方が手足を縛られて遠慮させられる仕組みで・それ自体は正義と言えるでしょう。
今回は逆に日本が大負け状態だから、円安政策に対して世界中が黙っていてくれる面があります。
アメリカがドル安の進行や(今では中国と賃金が変わらなくなったと言われていて米企業の米本土回帰が進んでいます)シェールガスの恩恵等で経済が立ち直って来たことと、他方で日本は長年の円高で経済が疲弊して限界に来たところで、大震災の打撃を受け恒常的貿易赤字になっている・・大負け状態である以上は、円安になるのは理の当然ですし、アメリカや欧州が反対する理由がなくなりました。
政治面から見ると、折しも中国が露骨にも太平洋を二分しようと言う虫の良い提案をして来たことで、米中の覇権争いが表面化してきました。
中国の故事で言えば、楚の莊王(楚は王の国ではないので「王」は僭称です・・以下の漢文で「楚子」とあるのは子爵の国だったからです・・)が「鼎の軽重」を周王室に聞いた(紀元前606年)ことを想起する人が多いでしょう。
中国人はこの時代から自分がちょっと強くなると露骨に面と向かって相手を馬鹿にしたり、言ったりしたくなる習性があるのでしょう。

定王使王孫滿勞楚子。楚子問鼎之大小輕重焉。對曰、在德不在鼎。(中略)今周德雖衰、天命未改。鼎之輕重、未可問也。

訓読文
定王、王孫滿をして楚子を勞わらしむ。楚子鼎之大小輕重を問ふ。對へて曰く、「德にありて、鼎にあらず。(中略)今周德衰へたりといへども、天命未だ改まず。鼎之輕重、未だ問ふべからず」と。

アメリカはリビヤ騒乱では大した貢献が出来ず、エジプト軍事クーデターでも曖昧ですし、シリア問題処理に至っては文字どおり「鼎の軽重を問われる」事態に直面しています。
そんな状態下で日中で尖閣諸島問題が防空識別圏設定まで進むなど中国の挑戦が尖鋭化し、モロに中国からアメリカの対処能力と心構えを試される事態がおきました。
アメリカとしては自力対応能力の減退は明らかですから、補完・協力国の日本に元気になってもらうしかない・・日本叩きをやっている政治的余裕がなくなりました・・。
他方日本と競合する韓国が中国寄りの姿勢を鮮明にし始めたので、見せしめのためにも韓国経済に配慮する必要性が減少しています。
そんなこんなで政治・経済環境が日本の円安政策(多分靖国参拝も・・)をとがめ立て出来ない環境になっていたのですから、安倍政権は運が良かったとも言えば言えるし、運気を利用して果敢に政策を進めることこそ、実力のうちとも言えます。
ただし韓国がウオン安で輸出が増えても世界規模では大したことがないし、元々日本のシェアーを奪って来ただけでしたので欧米では気になっていませんでしたが、日本の場合図体が大きいので、あまり輸出拡大が続くと欧米で問題化するのが早いでしょうから、来年後半以降も続けられるかは別です。
個人でも企業でも将軍でも外的条件をうまく時宜に適して利用出来た人が、経営の神様であり、創業者や中興の祖になり名将軍となれるのです。
個人の人生で見ても、運の良い人と悪い人がいるようですが、よく見ると誰にもチャンスがあるのにこれを(チャンスと気が付かなかったり気が付いても逆の決断をしたり、決断力がなくて見逃し三振になったり・・)活かせる人と活かせない人がいる結果によるのが普通です。
以上のとおり運を利用してでも成功すれば、それが政治の成功ですからこの1年間は我が国にとって(人によっては批判的な意見もあるでしょうが)上昇気流に乗り始めることが出来た良い歳であったと私は実感しています。
私個人の1年を振り返るとただ1年分余計に歳をとったというだけで特に変わったこともなく・・クリスマス直前ころに食欲が落ちていたのは軽い風邪ひきだったらしく最近は元に戻りました・・今後は高齢化の割に少しの縮小程度・・ほぼ今まで通りやって来られればそれが幸せだったと考える年齢にさしかかってきました。
明日からは、また新しい年が始まります。
新しい歳は、今年の結果が出る歳でもあり、(健康であれ政治であれ、今年やった結果が来年以降に出ます)同時に政治家・企業家・個々人それぞれが出て来た結果・変化に臨機応変に対応する能力如何によって来年1年の吉凶が決まります。
我が国及び皆様にとって来る年は良き1年になりますように、祈念して今年のブログの書き納めとします。

高級住宅街としての日本4(同胞意識と公害防止1)

GDP競争の無意味さに深入りしましたが、2013/12/22の続きに戻ります。
公害防止・省エネ/排ガス規制等のために日本が世界一努力して来たので、その分生産コストが上がっていますが、結果的に世界一きれいな空気や水の恩恵を受けています。
これ自体が重要なインフラ負担です。
公害防止・省エネ/排ガス規制等のために日本が世界一努力して来たのは、言わば自分だけ金儲けすれば良いという価値観ではなく、遠くに住む自分の企業に関係のない人・・民族みんなが安心・快適な生活が出来るようにしたいと言う同胞意識の結果です。
高級住宅街とスラム街という画然とした区割りのない社会で、路地裏でもどこでも安全で清潔です。
国民全体の利益のために自分の儲け(GDP)が少し減っても、公害防止・ゴミ排出削減に協力する・・身近なところでは自宅前の掃除に励むのが日本人の心です。
広い意味での安全配慮の結果、生産コストが上がっていますが、結果的に近代工業国家としては世界一きれいな空気や水・安全の恩恵を受けています。
これ自体が信号機の設置等によって交通安全が守られているのと同様の重要なインフラ負担です。
廃棄物や汚水垂れ流しでコストを掛けないで安く物を作った儲けで、日本に遊びに来て綺麗な空気や水が安いと豪遊されるのは、(日本の無料に近い安全な水道水や綺麗な空気は高価な税やコスト投入の結果ですから、)日本にとって迷惑ではないでしょうか?
廃棄物垂れ流しで儲けた人は、自分のもたらした汚い空気や水・ゴミだらけの中で生活すべきであって、「きれいな水や空気維持のためにコストを掛けている日本に来てタダで空気を吸うな!」と言うべきです。
国内企業で言えば、公害垂れ流しの工場経営者が、公害規制がきつくて公害のない風上・上流30kmほど離れた都市のホテルに家族を住まわせ経営者自身もそこから通っているとしたらどうでしょう。
その経営者は公害規制の負担を全くしていない・・ホテルでは住民税も何も払っていません・・できれいな空気や水などの受益だけ受けることになります。
公害規制している都市・国の企業は高コストですが、公害規制のない自治体・国で操業している彼らは脱硫装置など公害規制コストを負担しない分、公害規制国の企業に対して低コスト競争を仕掛けられて勝ち組になって行きます。
その儲けで日本へ遊びに来る・・企業競争に負けた日本人は彼らのサーバントなってルームサービス・ベッドメーキングやタクシー運転手などに精出すことになります。
中国の「裸官」はまさにそれをアメリカで実行しています。
しかし天の罰があるもので、公害リスクを無視して目先の金儲けに励んで来た中国が、取り返しがつかないほど汚い空気や汚い水の社会になっています。
裸官・・家族さえ逃せば良いのではなく、これを押し進める張本人・政府高官自身が公害から逃れられなくなってきました。
日本の場合、自分だけではなく遠くに住む同胞が困らないようにしたい・・自分が生きているときだけではなく、子々孫々にまで綺麗な風土を残したいという長期的信頼社会・・同胞を守る意識が強い結果、公害は発生すればこれに驚いて必死にきれいな空気や水の維持回復に励んできました。
日本ではイタイイタイ病や四日市喘息等の公害は、結果が出てこれに気が付くと、自分や家族さえ工場地帯に住まなければ良いという発想ではなく、国を挙げて必死に対応して来ました。
その結果世界一綺麗な都市や農村が残って来たのです。
中国では4〜5十年前の日本の公害の経験を知っているのに全くこれを無視して、公害発生に無頓着に(コスト負担を嫌って・・)低コスト生産増強に励んで来た結果、特定工業地帯だけではなく全土でマトモに息も出来ないほどの公害社会を出現させてしまいました。
これでは政府高官も自分だけが安全地帯とは行かない・・家族は外国へ逃がせても自分自身の逃げ場がないでしょう。
中国では上から下まで相互信頼関係がない・・都合が悪くなれば海外に逃げればいいという裸官が発達していますが、信頼関係がないから目先の現金収入にしか価値をおかない社会になってしまい、ひいては金儲けのためならば周りに迷惑を掛けようと何をしても良いという社会になってしまったのです。
(自分が強ければ道理を無視しても良いという価値観・・軍拡一点張りで独善的行動が目立つのも根っこが同じです)

文化受容力と国民レベル4

江戸時代に文楽や歌舞伎、浮き世絵が盛んになり俳句が盛んになって、端唄小唄の師匠でさえこれを職業として食って行け、相撲興行や落語寄席等が維持出来たのはそれを維持するに足るファンがそこにいたことの証拠です。
オリンピックやサッカーのワールドカップ、ディズニーランド等の運営を順調にやっていけるのは、真に豊かな国に限られるのは、外国からの少数の客よりは地元民の大量集客・リピーター確保の成否に左右されるからです。
中国の新幹線もリピーターがいないと維持出来ないので、一時的にサクラに切符を配って乗客を確保する国威発揚形式では続きません。
その地の人・民衆がどれだけ自発的に集まって各種の興業・イベントを(自分の金で)支えているかが、その国の民度レベルを計るには重要です。
奥の細道を支えたのは、行く先々で芭蕉を宗匠として迎え入れて歓待し、(勿論相応の謝礼を支払います)句会を催すに足る・文化人が多くいて、しかも財力があったことを表しています。
現代でも有名美術展等は大都会でしか開催出来ませんが、奥の細道のすごさは、華やかな都会だけを歩いたのではなく、農村(田舎)から農村(田舎)への旅でありながら、農村地帯でも相応のファンや財力があって、点と点を繋いだ旅が出来たことにあります。
古代の孔子孟子の旅は、各地君主が顧客でしたし、言わばコンサル業者でした。
中国歴代の漢詩文は科挙制度と結びついて成り立っていただけで日本のように万葉集の時代から庶民が文化を受容して下支えして来たものではありません。
文化人がひとたび官界から浪人してしまえば杜甫のように食いはぐれの人生しかなく、これの受入れ下地がなかったのです。
日本の大老酒井家の次男酒井抱一が絵師になっても食って行けたし、芭蕉も武士をやめて俳人で独立しています。
西洋の芸術家・・ミケランジェロその他の芸術家は王侯貴族のパトロンがあって成り立っていたのですが、日本の絵師・茶道・華道や踊りその他芸術家は特定パトロンがなくとも民間需要で家業としてやってやって行けた社会です。
平賀源内や剣術家も独立して道場主で食って行くなど、世間・懐が大きかったのです.
江戸時代日本のすごさは、庶民大衆(江戸の豪商・中間層だけではなく)が各種文化を楽しんでいた・・担い手であったことにあります。
浮世絵や錦絵その他が、木版画によって大量に印刷が出来たことは、それだけ購買層が広く需要が盛んであったことになります。
今浮世絵の展覧会が盛んであることと、浮世絵が今の社会で支持されているかは別問題ですし、各地のお祭りが盛んでもその経済基盤が観光収入(他地域から来た)によるのであれば、その地域の力ではありません。
中国の韓愈など有名人の碑文などを見に行く観光客が多くいても、その碑のあるところの今の民衆が漢詩文に優れている訳でもありません。
これに比べて我が国では、今でも俳句や川柳人口が多いのは、ご同慶の至りです。
過去の遺物が多くあれば良いのではなく、その遺物・・貴重な歴史経験を活かして現在人がどれだけ文化的なレベルを維持しているかこそが重要です。
我が国では古くからの絵巻物や絵草紙類・・浮世絵その他の普及が今のアニメや漫画・コミックの隆盛に繋がっていることが明らかです。
江戸時代の細工物の優秀さが、現在の精密工業の隆盛に繋がっていますし、江戸時代の洗練された美意識が現在の洗練された日本人に繋がっています。
そのまた基礎には美しい自然があるでしょう。
東京のように現在進行形の文化最先端事象を見たくて来る人・・あるいは現在最先端社会の基礎となる過去の歴史を知りたくて来る人が多いのは意味があります・・。
トヨタ自動車等の現役世界企業の工場見学も意味がありますが、現在とあまり繋がらない過去の遺跡だけを売り物・見せ物にしても意味がありません。
いわゆるお上りさんが来る町は意味があるし健全ですが、過去の栄光だけを見に来る人にぶら下がって生きて行く社会は不健全です。
南米の遺跡やピラミッド見物などはマサにその典型ですし、中国地域の長い歴史も王朝交代の都度断絶して来たので、石碑があっても歴史文化が民衆に共同体験されていないために現在人と無関係にペルーの遺跡同様に遺物として存在しているだけです。

 お祭りと観光資源

ちなみにウインブルドン大会やカンヌ映画祭・バイロイト音楽祭が盛況だからと言って、現在その地の文化・スポーツ受容能力・・市民レベルとは関係がありません。
これらは過去の栄光や仕掛けの成功等で域外から多く人が集まるだけであって、カンヌの人が多くの映画を見、バイロイトに住む人々が今でもみんな音楽祭の切符を買ってこれを支えていることにはなりません。
ハイレベルの音楽を楽しむために国外から多くの金持ちが集まり、(高額切符を買い高級ホテルに泊まるでしょうが・・)他方地元の人たちはホンの数%も入場しておらず、ホテルの従業員やハンバーガーを売ったり切符キリをしているだけかも知れません。
そうとすれば、その外形的繁栄・・高級ホテルやレストランが満員になりあちこちで華やかなパーテイが開かれていても、地元民は宴会場の掃除夫やウエーターやウエートレスやタクシー運転手ばかりでは地元民にとって空疎なものと言うべきでしょう。
やはりパーテイに参加出来る身分でいたいものです。
日本でも伝統行事復活を町起こしなどとマスコミが推奨してほめる記事が何十年も続いていて、これを批判する報道は皆無ですが、極論すればエジプトがピラミッドで食っているのと同じことをしようとしているに過ぎません。
東北のチャグチャグ馬っ子や竿燈祭り、ねぶたや流鏑馬など、それぞれに生活背景があって過去に存在したことに関して歴史上意味がありますが、生活の場から馬がいなくなったり祭りを支えていた生活習慣・必要性がなくなっているのですから、今では懐旧の情に浸り、あわせてこれを観光資源として重宝しているだけではないでしょうか。
伝統行事を維持すること自体に水をさすつもりはありませんし、私も古くから続く伝統行事や遺跡・芸術品を見るの好きですし感動しています。
自分の家に国宝・名品があるのは家門の誉れですしこれを維持し子孫に残して行き時々自分で鑑賞し味わったり誰かに見せてやるのは良いですが、これを他人に見せることを仕事(生活費・収入源)にすると問題が違ってきます。
立派な家屋敷/庭園を楽しむのではなく、これを入場料を取ってみせる・・自分が受付や庭やトイレの掃除・草むしりにいそしむようになるとどちらが上か分らなくなります。
ココでは伝統行事・芸術品の宣伝・・観光客誘致を期待する報道・・経済的意味から書いています。
各地のお祭りの維持継続には無形文化財的担い手が必要・技術伝承という点が、エジプトやギリシャ等の遺跡保存とは違っていますが、これも国宝の刀剣や彫刻を磨く職人が必要なように過去の遺物を動的再現している違いがあるだけです。
これを収入源にして行こうとする以上はエジプトやギリシャがピラミッドなどの遺跡を維持してその前でハガキなどを売っている・・・観光客を呼び込んで食って行こうとしているのと本質が変わりません。
現在の生活がそのお祭りに結びついていて、生活に息づいている・その生活習慣が何かの勉強になるとして違った生活方式の勉強のために他国の人が見学するのならば、それも意味があるでしょう。
他国の人が今の東京や日本の田舎の生活を体験する・いわゆるホームステイなどがそれです。
海外で現在使ってもいない民族衣装をまとった集団の踊りなどを見ても、それは時代劇等を見ているのと同じ・・単なる見せ物に過ぎません。
北海道のアイヌ部落でのいろんな見せ物を見たことがありますが、同じ日本人だからか、却って痛々しい感じがしたのは私だけでしょうか?
日本各地のお祭り・・特に小さな神社仏閣の宗教行事は維持しなければ・・という熱意だけで観客など関係なしに維持して来た行事が基本ですし、それなりに意味があるでしょう。
各種行事が本来の目的を離れて観客(収入)を目当てにして行くようになると、生活からにじみ出した精神や宗教本来の精神が失われ、外国人から見ればそう言う(見せ物的)位置づけになってしまうのではないでしょうか?
ウインブルドン現象と言いますが、元はテニス大会が盛んなほど地元でテニスが盛んな場所であったのでしょう。
今では海外から人が押し寄せる人やテレビ等の放映権収入に頼って開催しているのであって、地元のテニス人口の入場料でその大会を維持出来ているほどテニスが盛んな訳ではありません。
大会で集まる外国報道陣や関係者の落とすお金を有り難がっている・・観光資源になっています。

文化受容力と国民レベル(GDP)3

企業の決算とは違い中国の公式統計の場合、国家のGDPは地方政府のデータの積み上げですから、これが地方幹部の成績判定材料と合致しているので成果上乗せ報告・・粉飾への誘惑が強くなります。
彼らが自分の懐から税を払う関係ではないので、出来るだけ多めに申告したい誘惑のみが強く、これを抑止するべき制度がありません。
(虚偽報告罪などがあるでしょうが・・政敵となって狙われて粛清の対象となった時に機能するだけで平時には多分機能していないでしょう)
中国のGDP発表が電力消費量の推移と合致していないと指摘があると、次から電力消費量推移統計の発表がなくなったり、政府発表のGDP成長率に合わせて発表するようになる・・今年で言えば、相手国の対中国輸入が減少しているのに中国発表ではその10倍の単位で輸出が増えているなどの矛盾を指摘されていましたが、これに対して今年の5〜6月ころには、輸出代金に偽装した違法外資流入があると(・・政府が嘘の発表しているのではないと言い訳)発表されていました。
要するに中国の貿易黒字というのはまるで当てにならないことを、理由は別として政府自身が認めたのです。
今年に入って貨物輸送量の推移が前年比零%〜マイナスなのに、何故7%も成長しているの?というのが最近の指摘がされていますが、そうなると次から貨物輸送量の統計も変えて来たり発表しなくなるでしょう。
このように中国政府統計はどこかの統計との矛盾を指摘すると次ぎからその統計も変えて来るので、いたちごっこと言うか際限がありません。
GDPや輸出入統計の発表は虚偽でもその国に対する制裁がないので、やりたい放題です。
中国では、このように毎年実態以上に高成長の数字を積み上げて行って(嘘の上塗りを一回やると収拾がつかなくなるのはどこでも同じです)⒉0年にはアメリカを追い越すと豪語して喜んでいるのですから、手に負えません。
実際には中国の経済規模はまだせいぜいまだ日本の6〜8割程度ではないでしょうか?
虚偽データの発表ですから、毎年全て計画どおりに達成して行くのでしょうが、嘘の上塗りをやめられない・・一旦豪語してしまった以上は国民が期待しているので大変です。
防空識別圏設定や領土紛争は、対外的にまだ弱いのに強硬態度をとらないと国内的に持たないのでいろんな無理な発言をするしかなくて、世界中から総スカンを食らっている状態です。
虚偽の景気の良い発表が続いているので、(国民はその気になっているし・・)実態との乖離に耐えられなくなって、いつ経済破綻→政権崩壊するかと言うところに関心が移ってきました。
企業トップに見栄えが良いように下部組織から上がって来る=加工されているデータだけに頼らずに、経営者がくまなく工場や店舗などの現場を見て回るのはこのためです。
政治家も現地調査や視察の重要性は(視察にあわせて綺麗に掃除したりいろんな準備をするでしょうが、それでもにじみ出る実態・雰囲気を隠し切れないものです・・)昔も今も変わりません。
国際国力比較には政府データの流用によらずに、庶民レベルがどの水準にあるか・・裏道を歩き庶民の生活実態の比較によって、本当の国の水準が分ります。
社会の道徳レベルを見るには、トップレベル道徳家の意見の優劣を競ってもどちらも立派なことを言うに決まっていますので殆ど意味がありません。
庶民の道義心レベルが、どこにあるか庶民レベルこそが重要です。
国の表玄関だけならば、北朝鮮のような貧窮国でも立派にし掃除することが出来ます。
庶民の住んでいる裏どおりがどうなっているかこそ、国のレベルを表すのです。
この意味で、Published February 14, 2013にでトップ競争よりは「最低レベル競争の有用性5(民族のDNA2)」のテーマで書いたことがあります。
裏道・庶民の生活水準が比較対象になるからと言っても、国内くまなく裏道まで綺麗にするにはお金がかかり過ぎます。
国威発揚のためには本気で庶民レルマで豊かにするしかない・・テスト問題だけ特訓するような狡いことは出来ないでしょう。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。