中国式世界秩序?3(正統性理論があるか?)

コミンテルンの影響を受けた戦後思想家は、北朝鮮は理想の国・地上の天国だと煽った結果多くの日本人妻も同行しましたし、ソ連や中国の5カ年計画は素晴らしい成果を上げていると宣伝し・・文化大革命や毛沢東語録を賞讃していました。
これを信用して多くの若者が毛沢東語録を読んでいました。
実際には何千万という餓死者が出ていて大変な状態であったことが今では認められているところですが、その当時の思想をそのまま大事にしているグループが今でもまだいるとすれば、可哀相に見果てぬ夢を追っていることになります。
実態が違うのではないかと気が付いて信用しなくなった当時の若者・・今の我々世代は、最早今更中国が地上の楽園と言われても誰も信用しません。
今でも中国を理想の国と信じている人は、これを信用しなくなった人を変節者呼ばわりするのでしょうが、実態が変われば考えを変更するのは変節ではありません。
冬になっても夏の薄着のママでいるのが正しいと主張する人が節操正しい立派な人だとは誰も思わないでしょう。
中国支配の脅威(寒風)を受入れるべきだと言うならば別ですが、日本侵略を否定するならば、アメリカの警察力の御陰で夏に薄着でいた人が(警察力が弱まって)寒風から守ってくれなくなった冬になっているのに、何故厚着して身を守らなくて良いかの説明をすべきです。
寒風(中国の侵略)を防ぐ洋服が足りなければ近所から借りる・・近所で足りない人がいたら貸してやることが、必要ではないでしょうか?
警察力が弱まっても自衛権行使に関する解釈変更自体が許されない・・非武装(薄着のままで良い)が正しい・・何の議論も不要という主張は、侵略国の為すがママに委ねるべき・・放置しておけば良いということに帰着します。
結局は中国の侵略を受入れるべきだという(コミンテルン時代への懐旧の心)基礎的思想があるのでしょう。
論者は、戦後何十年間も中国の改革開放によって実態が明らかになるまで共産圏を賞讃していたように、今でも中国にすり寄るべきだと言うならばその根拠・・現在中国社会が如何に素晴らしいかその素晴らしい国に侵略される方が幸せだという根拠(コミンテルン思想に変わる何か)をきちんと説明すべきです。
外は冷たい風が吹いているのかどうかと言う国際情勢の実態分析をしないし、中国のどこが素晴らしいかの主張もしないで、内閣が「解釈変更するのを許さない」という抽象的な批判論に終始している反対声明等を読むと、社会実態の変化を検証してこれにどう対応するかの議論をすると負けてしまうのが分っているので、この議論からあえて逃げているのではないかの疑いを持たざるを得ません。
今日あるところで待ち時間があっておいてあった読売新聞朝刊を見ると、同社の世論調査では安倍総理の挙げている具体的事例について調査したところ、いろんな事例に対して概ね80%弱の賛成という結果が出たと報じられていました。
解説記事では、解釈変更の賛否を2択で問う毎日や朝日新聞の質問形式では反対論がわずかに多く、解釈変更是非の設問の中間に具体的事例を質問する分野のある3択形式による調査形式を採用しているその他マスコミ調査では総合的に賛成者が8割近くになるという質問形式による傾向の現れ方も紹介されていました。
世論調査は、数日前に質問の仕方にもよると5月26日の「中国の膨張策と集団自衛権3」で書きましたが、中国のやっている現実の蛮行から如何に目をそらさせるかによって、これだけの差が出るのですから、中国にやりたい放題やらせたい勢力にとっては、解釈変更反対だけをテーマにすれば勝算があると践んでいるのは戦略的には正しいことになります。
具体論ではなく、空中戦に終始している点では、特定秘密保護法反対論の論建てと同根で、何故世界各国にある実定法との比較をした反対論がないのかの疑問を「特定秘密保護法10(実証的議論の必要性)」2014/03/12前後で書いたことがあります。
反対論者は、何故か世界中のどこの国に同様の法制度があって、その国ではどう言う弊害が生じているとか、あるいは米英等ではこう言う歯止めの規定があるが日本の法にはこれがないから危険であるとか、法律・・条文の具体的比較をした上での優劣の議論を一切していません。
集団自衛権反対論者が中国が腕力で周辺諸国への膨張して行く実態について、一切議論をしたくない・・触れたがらない姿勢と相通じるものがあります。
共通項は観念論の言いっぱなしと「戦争をする国にするのか!等の感情に訴える戦略と言えるでしょうか?
主張の仕方が共通していると書いていて気が付いたのですが、秘密保護法と集団自衛権論争の反対論者の構成員はほぼ100%共通しているのではないでしょうか?

中国式世界秩序?2

集団自衛権=相互助け合いを阻止すベキ・・侵略行為に抵抗する必要がないので、現状放置すべしと言う意見を基礎にする勢力は、結果的に何を意図しているのでしょうか?
学校のテストとは違い、政治運動である以上はそれなりの結果目的がある筈です。
中国の侵略行為が着々と進みつつある中で、この現状を検証して議論する必要がないと言う立場の目指すところは、中国の好きなようにさせておく・・放置するべきだという意見の別表現と見るべきでしょう。
解釈変更を許さないという入り口論は、中国的支配社会の実現が理想の実現であるとまでは、積極的に(コミンテルン礼賛のような)主張を出来ないまでも、結果的に中国にやりたい放題させておくべきだという思想を基礎にしているように見えます。
いわゆる日本の文化人は(コミンテルン→世界全体の共産化を目指したソ連時代のように)中国による侵略行為の正当化・・・・支配下に入った異民族に対する過酷な弾圧の容認・・正当化の主張がいまのところ出来ていません。
鉄のカーテンも竹のカーテンもなくなり、ソ連や中国に招かれた特殊左翼文化人だけしかソ連や中国社会を知ることが出来ない時代が終わると、あちらは天国のような社会だと嘘の報告をできなくなりました。
呼吸すら思うように出来ない中国の酷い公害の現状(これが全ての中国的正義の象徴でしょう)が、日本国民一般に直接知られるようになったからです。
中国が理想の国で正義だという主張が出来なくなったからか、中国支持者が現状検証の議論に入るの拒み、解釈変更が許されないという入り口の観念論で勝負していると推測されます。
4〜5日前の国会での集団自衛権に関する安倍総理の演説や質疑に関連して5月29日日経新聞朝刊3ページでは政党別分類表が掲載されていました。
これによると、集団自衛権行使自体に反対しているのは共産党や社民党だけで、その他政党は慎重論の政党(公明党や民主党、結いの党)でも、内容の吟味に入っている・・現行で許される実際の幅を広げたら足りるのか、解釈変更が必要かなど全て行使すべき内容次第・・即ち現状の検証が前提になります・・という政党ばかりです。
解釈変更自体が違憲であるかのような入口論調ばかり(私の周辺にそう言う人多いというだけでした)見ていたので、「変な社会になっているなあ!と心配していましたが、こう言う観念論に固執している政党が限定されていて、政治家の多くが現実直視していることを知って安心しました。
解釈変更自体が許されないから、現状認識や集団自衛権の内容・程度に関する議論をする必要がないと言う意見を主張する人々は、中国による日本を含めた周辺国侵略を座視すべきだと言う結果に繋がります。
彼らの思想的基礎は非武装国家論でしょうが、これは一時期超大国アメリカの庇護下にあったから可能であったに過ぎず、どんな状況でも妥当する論理ではありません。
(アメリカの庇護下で)夏にオーバーが不要であったとしても、冬になっても(アメリカの警察力が低下した場合)何故オーバーや外套を(自衛)着る必要がないかの説明がありません。
非武装でよい、世界に冠たる平和憲法を守れと言う論理は、アメリカの警察力が低下した現在「尖閣諸島を中国が欲しいならばどうぞ」と言う姿勢になりますが、これでは次々と中国の要求が広がり侵略範囲が広がることは、目に見えています。
・・日本が中国にドンドン侵略されても放置していて抵抗しなくて良いし、周辺国が困っても放置すれば良いという意見は、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」)にしがみついていることになります。
中国が憲法の予定する公正で信義の国だというのが解釈変更違憲論者の基礎意識になるのでしょうが、中国のやり方が信義を守り公正な国だと開けっ放しで寝てると、目が覚めたら自分の家が強盗集団に占拠されている・・日本人が全部中国支配下に入ることを甘受すべきだということになるのでしょうか?
現在中国支配下に入っているウイグル族のような目に遭う・・直ぐではないとしても徐々に日本語が禁止されて漢語を話せないと就職出来ない社会が理想ということになり兼ねません。
集団自衛権の議論自体許さないという意見は、周辺国と助け合わなくとも良いと言う結果になりますから、周辺国が中国支配下に入るのを放置することになるのでしょう。
犯罪から身を守るには近隣との助け合いが必要ですが、国の存立も同じで、日本を守るには周辺国との助け合いが重要です。

中国式世界秩序1(泥棒の開き直り)

領土を武力で奪い取ってはいけないと言う法理は、アメリカが勝手に作ったのではなく、両次の世界大戦を経て人類(国家間において)の智恵として形成されて来た普遍的な法理です。
元々個人間でも腕力で他人のもの奪い取って良いという道徳教育している国は古来からどこにもありません。
個人間の普遍的原理を国家間にも及ぼすべきだというようになっただけです。
中国はまだ国としては未成熟で子供のような段階(ギャングエイジ)ですから、この法理を理解出来ないで腕力に任せて世界秩序に挑戦しようとしているようにみえます。
中国の世界秩序破りは新たな価値観を主張しているのではなく、子供で言えばいじめっ子、大人の世界で言えば警察力の低下に乗じて山賊・海賊・ヤクザ集団が町中でのさばっているような状態です。
人の作った知財を剽窃しても気にしない価値観の中国は、(法律上は禁止していますが実際には守る気がないのですから・・)単的に言えば泥棒(に限らず汚職蔓延→各種規制潜脱・・例えば知財であれ公害規制であれ、一応あるもののお目こぼしが多いので殆ど守られないなど・・)が許される意識が蔓延している社会です。
これらを放置し事実上奨励しているうちに国民が違法行為に自信を持って来て・・泥棒がこそこそしなくても良くなって徒党を組むようになって、強盗集団化=軍事行動化して・・国外にのさばるようになってきたことになります。
大気汚染・公害も周辺国に流出し始めました。
現在の周辺国侵略行為は公害輸出同様に泥棒グループが強盗集団=国家に転化して、国家としての強奪行為を堂々と始めた状態と言えるでしょう。
国民を専制支配したり、弾圧してはいけないという原理・民主制・人道主義の原理も、欧米が勝手に作った不当な秩序ではなく、個人間で言えば至極当然の法理を国家規模に引き上げたに過ぎません。
中国は古来からの専制支配が中国的価値観であり、これが正しいと自信を持っているのか?腕力に任せて、人類の到達した普遍的原理に対して挑戦しようとしています。
知財は剽窃し放題・・・領土は侵略し放題・・少数民族や国民の反抗に対する過酷な弾圧をする社会・・このような価値観の中国が自国並みの専制支配地域を広げようとすることが、正義の観念に合致するのか・・中華帝国の栄光の復活というスローガンを掲げるのみで、正義の根拠を示せていません。
ウイグル族に対する支配強化・一種の人種浄化・・漢語を話さないと就職出来ないように仕向けて次世代からウイグル語を駆逐しようとして長い期間が経過しています。
これに対する反抗に対して容赦ない弾圧政策を実行しています。
漢民族にのみ都合の良い専制政治が出来る空間を世界中に広げようとするのが、中華帝国の栄光復活?政策です。
ソ連の場合コミンテルンという組織を通じて、国内の相次ぐ粛清や世界支配の野望を(真実は正しくないとしても一応)正当化していましたし、日本の知識人・文化人はこれを信奉して北朝鮮を含めて共産主義社会が如何に素晴らしい理想の社会を実現しているかを宣伝していました。
大躍進政策の大成功の宣伝や文化大革命が如何に偉大で素晴らしいものであるか、毛沢東語録が如何に素晴らしいかを若者に宣伝教育していたので、これに乗ってしまった純真な若者(被害者)が多くいたように思います。
旧ソ連が根拠としていたコミンテルン思想とは違い、解放後の中国の場合、国内異民族や周辺国に対して露骨な圧迫をすることに対する正義の根拠を、日本の左翼文化人に対しても示せていないらしく、トンと中国礼賛論を聞かなくなりました。
中国が現在国際秩序に取って代わるべき新たな正義感を何ら提示できないまま、強引に周辺国への侵略を開始しつつある以上は強盗の論理で理解するしかないでしょう。
中国支持者は、中国の内政での異民族弾圧や対外的侵略行為について正当化する議論が出来ないために、これを直視する議論が不要であるとして、集団自衛権に関する解釈変更自体が違憲で許されないという入り口論に固執しているようです。
現在の中国膨張主義の実行に対して、何の議論もいらないし行動指針の変更も不要という立場は、結果的に現状(中国の侵略行為)を放置すべきだという政治的立場の意思表示に外なりません。

異民族との同居コスト1(アフリカ等独立国)

部族・民族に独立せずに国内にいろんな部族が併存している結果、アフリカ諸国では、今でも国内の部族間紛争が中心で、隣国との戦争というパターンは仮にあっても例外です。
国内部族間戦争の結果、正式戦争でない結果、捕虜や非戦闘員に対する戦時条約の適用もないし、(コソボ等の戦乱もそうでしたが・・)却って大量虐殺に発展しがちです。
そもそも異民族がグループで同居し、且つ家計(財政)を1つにするのは、無理があるでしょう。
特に後進国では、資源のある地域に住む部族と、資源の恩恵を受けない地域の部族間で紛争が絶えないのは財政(ふところ)が1つであることによります。
クルド族問題やウイグル族などの紛争が絶えないのも、豊富な資源があるのに、中央政府に収奪される点に問題があります。
ウクライナの分離問題も東側の独立を求める地域は工業化が進んでいて西ウクライナと発展形態が違う点に基礎的な問題がありそうです。
スーダン内戦もつまるところ資源争いだったような面があります。
違う部族や宗派のグループが入り組んだ形の独立をさせたのは、よくある陰謀論によれば、アフリカの発展を長期的に阻害するために欧米が仕組んだ罠と言えるかも知れません。
アフリカに限らず多民族混在の結果、長年バルカン半島が欧州の火薬庫と言われてきましたし、最近(と言っても10数年経ちましたか・・?)でもセルビア・モンテネグロ・クロアチア・コソボなどの(今では別の国になったので)内戦と言うか大紛争があったばかりです。
ドイツがEU内で一人勝ちの勢いに乗って南欧諸国から大量に移民(異民族)を受入れていますが、いつか景気が落ち始めた時点で異民族大量流入のマイナス効果(二代目の教育コスト・治安など)が出て来るので、そのときには不景気との二重苦になりかねません。
日本ではアベノミクスの効果で労働力不足が喧伝されていますが、働きたい国民がみんな働けるのは良いことでこれほど幸せなことはありません。
人手不足だから外国人を入れろと言いますが、国民のために政治をしている筈ですし、企業も国民を食わせるためにあるのですから、国民がみんな働ければそれで良いじゃないですか?
好景気の後は一定期間経過で必ず不景気が来ますので、この後不景気が来たときに失業者が増えるよりはいま我慢しておけば、不景気が来ても失業者が多くなりません。
経世済民・・経済政策は、民を豊かにするためにあるのですから、国民が目一杯働いても労働力が足りないほど職場が一杯あるのは目出たいことです。
企業が国民の福利のためではなく、異民族を使ってでももっと儲けたいならば、海外展開してそこで現地人=異民族を使えば良いのではないでしょうか?
国内に異民族を引き入れて国内生産すれば、見かけの国内総生産は増えますが、国内労働者にとっては何のメリットもありません・・。
関係があるとすれば、水増しが入って来ることによって賃金上昇が抑えられるなど労働条件が低い方に引き寄せられる可能性があるくらいでしょう。
導入論は賃上げが進めば、困るという立場の主張でしょうが、賃上げが困るならば省力化の工夫が進むメリットがありますし、その他労働条件改善の工夫(女性や障碍者が働き易い環境にする工夫を凝らすなど)も生まれてきます。
これが面倒だから、海外脱出が進むという危惧があるでしょうが、そうなっても人手不足・・失業者がいないならば国民はそれで困りません。
タマタマ今朝の日経朝刊の27Pの経済教室には、日頃から私が書いているのと同様の意見が、学者らしくまとまって紹介されています。
人手不足とは言ってもまだ200万人も失業者がいるのに人手不足(例えば介護現場)になっているのは、待遇改善努力が足りない・・これを放置して劣悪待遇でも働きたい外国人を入れようとするのでは解決にならない・・その他いろいろ、普段から私がこのコラムで書いている意見(おこがましいとは思いますが・・)同様です。
私の意見よりまとまっていますので詳細は上記記事をお読み下さい。

集団自衛権4(予測の複雑さ)

過去にあった社会現象ならば認識が簡単かと言うと、慰安婦問題、太平洋戦争の原因は何かなど過去の歴史事実だっていろんな意見があるので簡単ではないと言えます。
ただ、歴史論争は、過去にあった大量の資料のうちどれを重視するかの問題ですが、将来の事象になると現存する客観資料の取捨選択だけではなく、将来が到来するまでの間に、相手方も日本の防衛準備を見て変更余地がある分、不確実性が増します)
一般に予測というものには、客観事実を前提にその先を予測するもの・・たとえば東京駅で何時何分発新幹線に乗れば大阪に何時に着くという予測は、いろんな人間の営みに支えられているとは言え関係者の自由意志によって遅れるようなことは滅多にないので、言わば自然現象の予測に似ています。
雨が降りそうだからと傘を持って出たら、雨雲が人間がカサを持っているから雨を降らすのやめようと変更しません。
ところが政治や経済現象の将来予測は、その間に自由な人間の意思力によって相手の出方によって途中の方向転換が可能なので、どんな風にも変わってしまいます。
選挙で優勢の予想が出れば支持者が安心してしまって運動エネルギーが弱まる外、双方から頼まれていた人は絶対優勢の方は大丈夫だろうからきわどい人に投票しようとなって最下位予想の人がトップ当選し、絶対優勢を予想された方が落選するようなことが起きます。
自衛力を充実すれば、相手は方向転換して日本より弱そうなところに勢力を伸ばそうとします。
その他の国も充実すると、どこにも攻めて行けずに平和国家のフリ(養光韜晦)に戻るかも知れません。
日本に攻めて来ずフィリッピン等にも攻めて行かなかったから、無駄な自衛力だったと言えるかと言う議論になります。
集団自衛権の是非の議論に戻りますと、国防に関しては、非嫡出子判例のように過去のある時点の社会実態調査ではなく、現時点の判断である分だけ(情報が充分に行き渡る期間がない結果、前提事実なしの「解釈変更は是か否かという単純質問の場合、)意見も分かれるし難しいところがあります。
国防に関しては、具体的危機が迫ってからの世論変化→与党内擦り合わせに半年〜1年→法改正→同盟国との協議開始→実戦配備の訓練等をやっていたのでは間に合いませんので、5〜10年先の動向を見据えて今から議論しておく必要があります。
そこで10年先の動向を踏まえた現状がどうかですが、2014/04/18「無防備平和論と周辺国の実情2」前後で書きましたが、今やアメリカに頼って無防備のままではどうにもならないほど危険な国際情勢になっています。
今朝の日経朝刊では、多数の中国漁船(多分漁船を偽装した軍関係者でしょう)がベトナム漁船を取り囲んで体当たりを繰り返した結果、ついにベトナム漁船が沈没した(別のベトナム漁船に救助された)と報じられています。
相手が抵抗できないとなればどこまでもエスカレートして行くのが中国のやり方です。
同じく日本の哨戒機の何十メートル近くまで中国戦闘機が接近したと1昨日から報道されていますが、日本の抗議に対して「撃墜されなかっただけ有り難いと思え」というのが中国の反応です。
現在〜近い将来はアメリカ一国による安全保障の提供では物足りなくなって来たことが背景にあって、「弱小国同士が相互に助け合いましょう」となって来たのは当然の議論です。
圧倒的武力をもっている国や組織が治安維持してくれるときには、個々人は丸腰・非武装でも安全です。
戦後アメリカが警察官役を果たして来たので、我が国に限らず東南アジア諸国・・フィリッピンあるいは島嶼諸国は、元々国境観念が少なく国単位で隣国と大規模に紛争して興亡した経験がなかったこともあって、国防意識が希薄だった結果外敵の侵攻に対する備えが足りない・・準備不足である分、余計に助け合いが必要になっています。
アフリカの国境線は植民地支配国の勢力範囲の線で決まったものであって、民族や部族の生活圏とは一致していないことが有名ですが、インドネシアやフリッピンも植民地支配の範囲を1つの国にしたと言う点では変わりません。
多数の島々が植民地になる前から一体感を持って行動して来たことがありません。
インドネシアでは島ごとに言語が違って大変だったらしいですが、日本支配のときに日本得意の教育制度を取り入れたことで急速に言語の統一化が進んだと言われています。
ただし、ウイグル人等に対して漢語を強制する中国のように日本語を強制したのではなく、日本のばあい、台湾やフィリッピン、インドネシア等では、現地の多数言語の教育システムを構築しただけです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。