技術修得の成果(発明対価)

日本人にとっては、(営業マンの技術もあれば商売上のテクニックや上に立つ場合の心構えを含めた)技術を身につけるのは自分自身の向上のためという意識が基本ですから、働くときには残業時間など気にしないで骨身を惜しまずに一生懸命働きます。
これが働き過ぎになり易い原因にもなってます。
自分のために技術修得する意識で頑張ると、技術(精神)が身に付くと今度は自分の利益のためにどう使おうと勝手とならないで、技術(精神)を身につけさせてくれた企業や先輩への恩義の方を重視する体質です。
日本人は働くときには貴重な経験が自分のためになる・・有り難いと言う意識で陰ひなたなく働きますし、その技術を活かすときになると、会社や先輩の御陰で身に付いたので会社に恩返ししたいと言う(日本的に言えば心がけの良い)意識が濃厚です。
どんなことでも、尻尾を振って大喜びする犬みたいな精神で生きています。
ノーベル賞を受賞した田中さんは鼻を高くして会社を出ようとは考えていないように思われますし、(これが日本人の基礎意識ですから)大多数の企業発明について関係者が相応の報奨金支給してくれて名誉さえ与えてくれれば、それ以上に個人利益を声高に主張することはありません。
こうした精神土壌が終身雇用制度を支えているし、優秀な外部人材の入り難さをもたらしてるのでマイナスだと主張する意見も多くあります。
外国人も共同体の一員になる・・骨を埋める覚悟で参加して来るならば、日本企業も拒まないのですから、要は技術が身に付けば転職してしまう気持ちかどうかの気持ちを試しているだけではないでしょうか?
地震があるとみんなで頑張るよりは直ぐに中国に帰ってしまう中国人が多いのを見て、外国人ってそんなもだとがっかりした人が多かったと思います。
明治の御雇外国人制度も、一時のお雇い(助っ人)と言う精神を明白に示しています。
20年ほど前に三重県だったと思いますが、子供を預かってくれていたお友達の母親を訴えて世間を騒がせたことがありました。
具体的事案にもよるので実態を知らない私が責任あるコメントを出来ませんが・・実態によっては法的主張したければ主張して構わないのですが・・一般的には当事者間では法的権利までは行使しないという暗黙の約束があるように思います。
もめ事は全て法的問題と言えば言えますが、親しい間柄では法的権利行使まではしない・・気にいらなければ今後つき合わない程度が、限度と心得ている人が多いのではないでしょうか?
子供が亡くなった事件だったか?我慢の限度を超えていると思って裁判になったのでしょうが・・・。
その裁判には勝ったかも知れませんが、周りでは引いてしまってマトモな付き合い関係が難しくなっているのではないでしょうか?
「裁判を受ける権利があるので、どんなことでも争いがあれば裁判したければすれば良いのであって、裁判したことを批判するのはおかしい」と批判するのは御尤もというしかありませんが、(ココは弁護士としてではなく、日本人の同胞意識の強さを書いています)それと仲間意識の亀裂とは別問題です。
青色発光ダイオードの発明対価問題も裁判になりましたが、金額が大きいので、組織内での一体感維持の限度を超えたと思って裁判したのでしょうが、結果は8億あまりの和解で終わりました。
日本人としてみると、会社から一定の報奨金をもらって(少なくとも一生ある程度裕福な生活が出来る程度はくれるでしょうから)裁判までしないで、会社の功労者として定年まであるいは定年後も大事にされて顕彰されて全うするのと、8億のために世話になった、あるいは長年一緒に働いた同僚・先輩と訣別する選択が正しかったのか難しい判断です。
たった8億のために大恩のある会社相手に裁判するの?と言う人もいるでしょうし、8億は大金だから故郷に帰れなくとも良いと言う人もいるでしょう。
結果的に彼は、カリフォルニアの大学へ行きっぱなしのようです。
個人的に帰国するのは勝手ですが、日本では受入れる大手企業や研究機関・・がないのかな?せっかくの才能を活かす場がなくなってしまったようにみえます。
「正当な権利主張すれば社会から村八分になるのはおかしい」という法律家的意見も勿論正当ですが、ココでは共同体利益優先意識が根強いことを書いています。
発明発見の才能発揮は、大方一回きりですから次はあまり期待出来ませんが、日本にいれば相応の名誉あるいろんな地位が次々と用意されていたでしょう。
ノーベル賞受賞者も同じで、日本の一体感意識・同胞に留まっていた人には相応の名誉ある地位が用意されていますが、アメリカ国籍を取ってしまった人には・・・?となっているのではないでしょうか?
話題がドンドンそれて行きますが、行動・価値基準が、目先の自己利益中心の中韓両国人に信義を期待するのは無理がある点を、この後続いて書いて行くことにして、一旦中国の外資流入減と留学熱低下の問題に次から戻ります。

留学目的3(自己利益実現)

今では、経済環境変化のスピードが速いために、これに対する対応能力を磨くためには、(ついて行けない人を切り捨てるには?)再就職し易い社会にしないと切り捨てだけする訳には行きません。
そこで、我が国も人材流動性を高める必要性が出て来たと言う論理が幅を利かして、(この論理については異議がありますがこれについては後で書きます)他社でも通用するような資格制度が徐々に発達しています。
それでも日本企業は自己責任を徹底(これだと親の資金力の有無に比例してしまいます)せずに、奨学金を出してでも社内人材育成に励む傾向があるのは、資格を得たら他社に転職するような不義理な人はいないという信頼・・これも長い歴史・民族の一体感を反映しています。
人手不足の介護現場では介護資格をとるための補助金を出しているところが大分前からザラでしたし、最近では薬剤師不足に対応するために薬剤師試験の補助金まで出すところが多くなっている現状が6月14日の日経朝刊に出ています。
(こういうことはマスコミが取り上げる前から、我々弁護士が実務上関係するいろんな企業では普通でした)
ところで、資格社会化と言っても、いずれかと言えば末端的人材が中心で・・整備士やタマ掛け工や溶接工、ボイラーマン等々・・現場系(看護師や薬剤師やパイロット不足も給与が高いだけで、結局は現場人材不足です)の流動性が求められているに過ぎません。
総合判断を必要とする上級職務では、企業内で職務に必要な金融取引方面や経理方面の資格を有していても、少しばかり役に立つ程度に過ぎません。
職務が高級化すると社内での応用力が求められるので、経理部長が税理士資格を取得し、部長クラスがアメリカのMBA資格を取得したからと言うだけでは、給与アップ要因ですらないことがあります。
アメリカ流経営では資格重視の例としてMBAが幅を利かしていましたが、(MBA資格があれば車の運転免許のようにどこの企業でも経営者として通用する?)日本では大学で「畳の上の水練」のような経営学を習っただけで企業経営を直ぐにできるなど誰も考える人がいないのに、アメリカや中国などでは、まだMBA資格を持ってさえいれば直ぐに経営者になれないまでも重宝される社会です。
(社会構造が単純だから大学で教えたやり方で経営すれば、直ぐに成功するということでしょうか?)
中国等新興国では、急速な近代化に当たってアメリカで成功した運営モデルを学んで自国でそのまま運営すれば、直ぐに成功できる時期がいっときあったのかも知れません。
近代的経営がある程度定着した後は、大学で子供相手に教える程度の経営モデルを学んだ資格(修了書)が、そのまま社会で通用する筈がありません。
アメリカでもMBA資格は、一定のレベル(弁護士資格を取得した駆け出しが直ぐに役に立たないのと同様に)の理解力があるというだけで実際の経営トップになるには、実務での成功履歴等に基づいて階段を駆け上り、その実績に基づいてあちこちスカウトされて移動する社会になっています。
それにしても経営トップだった人がライバル企業トップにさえ転職することがあるのですから、日本では想像を絶した(日本的価値観からすればアンチ)モラル社会です。
中国人のように技術を教え込むとその技術を持って有利な転職先を見つけ転職してしまうような人材相手では、社内教育制度はなりたちません。
日本人の場合、アメリカによる焦土作戦で国土が荒廃していて住む家もなく、国民が飢えに苦しんでいる国家存亡の敗戦のときに、帰っても苦難が待ち受けているの知っていても、満州その他海外から陸続と帰国して来て、飢えて待っている妻子と苦難をともにしようとする人ばかりだった・・国を棄てるようなことをした人は皆無に近かったことが重要です。
日本人では自国発展願望が留学・先端技術取得等の主たる動機で、より良い就職目的の自己利益目的中心の中国人や、国外脱出願望手段としての韓国人留学生とは留学の成り立ちが違います。
国民性・・愛国心(もついでにあるでしょうが)より、利己的な目先利益中心の他国国民性との違いです。
中国現地企業で一生懸命中国人に技術を教えるとその技術を持って転職してしまうとも言われていますが、彼らが技術を学ぶのは企業のためではない・・自己利益実現中心だからであって、この辺に基礎的な違いがあります。

留学目的2(日本の場合)

鑑真和上が日本へ布教のために難破リスクにめげずに遂に日本に渡った不屈の精神が有名ですが、その前提として彼が命がけで日本へ渡航しようとする決意をさせるに足る日本人がいたことを忘れてはなりません。
招請の任に当たったのは栄叡と普照と言う人物ですが、彼らを主人公とした物語(多分存在しないでしょう)を知らないので具体的メージが沸きませんが、彼らの不撓不屈の精神・・鑑真和上を説得して日本へ行く決意させるに足る傑物・魅力のある人物であったことが推定されます。
彼らは自己利益実現のために難破による命がけリスクを冒しながら渡航したのではなく、優れた人材を祖国に招請して祖国?のレベルを引き上げたいという一心で海外渡航して人生の大半を費やしたのです。
(当時今で言うところの民族国家意識はなかったでしょうし、祖国という概念もなかったでしょうが、このコラムで何回も書いていますが、白村江の敗戦後日本だけが、西欧に約1500年も先駆けて民族的意識が誕生していた結果でしょう。
世界中で万里の波涛をわたり、愛郷心に基づいて留学して先進知識を自国に持ち帰ろうと努力した民族は世界中殆どいなかった筈です。
(危険性に関しては、空海の渡航時でいえば、4隻の内2隻が難破しています(・・空海・最澄の乗った船が難破して死亡していれば真言宗の成立も天台宗もなかった可能性があります・・遣唐使船の難破率=死亡率がとても高かったことが知られています)
ただし、玄奘三蔵法師の天竺への留学が知られていますが、国家派遣ではありません。
こう言う制度(国をあげて派遣する制度)を創設すること自体、派遣者への信頼・・得た知識を持ち帰らず海外で安逸に暮らすなどの事態を全く想定しない信頼関係が確立していたことが窺えます。
このように書いていると、数年前だったかノーベル賞受賞者の一人がアメリカ在住・アメリカ国籍者と聞いてがっかりした人が多いのはこうした古代からの長い歴史・・暗黙の了解に反するからです。
この歴史・信頼感が現在の企業派遣留学制度にも繋がっているのでしょう。
もっと遡ればこの信頼がなければ、企業が莫大な費用を掛けて人材育成する制度自体も成り立ちません。
このように考えると、親が子供ためにお金を出して私費留学させるやり方・・語学留学や海外での就職や活動を有利にするための留学は、長い日本の歴史から見ると亜流・イレギュラーであったことが分ります。
アメリカなどでは資格制度が発達し、資格は個人が大学や専門学校等に行って取得するものですから、親の財力次第で次世代の生活水準が決まって行きます。
自己責任と言えば聞こえが良いですが、集団への帰属意識の薄さであり、弱い者はどこまでも弱くなる(・次の世代も・・)社会です。
公的援助制度は革命や反乱を起こすか、民主国家では野党が要求してやっと成立する国で、日本のように組織内で解決して行く仕組みになっていません。
日本の場合、素質がありそうであれば就職してから素質にあわせて教育してくれるので、アメリカほど地位の世襲性がありません。
空海の話題が出たついでに彼を例にすれば、最澄は当初からエリートとして遣唐使に入っていましたが、空海はその直前は何の身分もないいわゆる私度僧でしたが急遽抜擢されたものです。
資格制度と言えば聞こえが良いですが、企業に入る前に既に一定の仕事ができるようになった人材だけ雇用する制度ですから、自己投資できる階層が有利な世代繰り返しになります。
資格制度が発達した社会では、労働者も資格で動けばどこへ行っても仕事ができるので、転職に抵抗がありません。
日本では企業が資格を取らせてくれるので、資格を取ったからと言って恩に感じて転職しませんが、世界中と?真逆であるのは、相互信頼・・一体感社会の日本と信頼関係のない社会との違いです。
労働組合制度もアメリカでは企業別組合ではなく業種(資格)別組合が原則であり、ひいては人材の流動性が高いのは、こうした歴史意識・経験の違いです。

留学目的と外資流入減1

グローバル化以降の方が、それ以前よりも(企業派遣で)海外体験する若者が多くなっている筈ですから、これらを含めて考える必要があります。
高齢化の進む日本では、各世代ごとに三割増程度づつ成熟にかける時間を間伸びさせていますから、今の高卒年齢の成熟度は私たち世代の中卒程度のイメージです。
高卒段階の20歳前後ではまだ少年の域にとどまり若者の域に達しておらず、彼らの留学率低下をあげつらっても意味がありません。
今では3〜40歳くらいまでを日本の将来を背負って行くベキ若者と措定して彼らの海外体験の増減が日本の将来どのように影響するかを論じるべきです。
中国の場合、May 3, 2014「日中の制裁合戦4(バブル崩壊1)」で紹介したように、大卒就職率の低下によって、国内就職活動に留学経験が有利に働かなくなって来た結果、留学熱が下火になりつつあるようです。
国内不景気と留学数増減が連動する理由は、日本と違って中国の経済発展は外資導入によるところが大ですので、就職条件の良いところ→概ね外資系企業に就職しようとすると留学経験が大きなウエートになっていることによります。
日系企業で言えば、現地人採用するにしても日本留学経験がある学生を優先的に採用したくなる心理・・これは欧米系企業も同じでしょうから、これを中国の留学者は利用しています。
日本企業がドンドン進出して規模拡大しているときは就職できるので、日本企業に人気が集まり、中国国内での日本語学習者が増えるし・・と言う関係で至極分りよい動きをする国民性です。
日本の場合、外資系に就職するのは二〜三流の人材と言う意識の国柄でしたので、欧米が憧れの的であった戦後直後でさえも、あるいは明治の開国時まで遡っても外資系に就職したくて英語を習ったり留学する人は誰もいなかったと言っても良いでしょう。
(そんな統計はないでしょうが実感を書いています)
幕末のカラユキさんや唐人お吉が今でも記憶に新しい・・繰り返し演じられるように、日本人にとって外国人に仕えるなどということは遊女でさえも、押し付けあい・・誰も希望しなかったことが分ります。
古代の遣唐使以来現在までの欧米留学熱は留学して先進地域の国民として仲間入りしたいとか、外資に就職するためではなく、先進知識を獲得して国内に持ち帰りこれを国内に普及させて日本国をより発展させたいという熱意がその基礎にあったことが間違いありません。
幕末長州出身の村田蔵六・大村益次郎は幕府の昌平黌教授職を棄てて、長州の寒村の医師になって戻って来ていますし、新井白石時代の雨森芳洲なども地元・対馬にいたままでした。
各地を旅行すれば分りますが、殆どの地域で郷土をレベルアップするために郷土で頑張った偉人の顕彰碑や展示品等を見ることが出来ます。
明治以降列島一体化が進んでからは、能力のある人が中央に出っぱなしで地元に戻らなくなったことが地方の疲弊に繋がるようになったのです。
最近でもフランスやイタリアの料理等いろんな分野でトップクラスになると、そこでの名声に安住せずに日本に帰って来て、国内レベル向上に努力するのが普通です。
古代遣唐使時代を振り返っても、そこで相応のトップレベルに上り詰めても格段に社会格差のある日本へ命がけでみんな帰って来ています。
折角唐で一定の尊敬を受けるようになっていても、(空海は唐でトップの阿闍梨位だったか?の灌頂を受けています)その地位をかなぐり捨てて格段に社会格差のある日本へ命がけでみんな帰って来ています。
阿倍仲麻呂は帰国を試みますが、難破して遂に帰国を諦めたことで有名ですが、日本人は古代から愛郷精神が強く自分の栄達を目的とするための留学ではありません。
(語学留学・・遣唐使が漢語を学んで来ても国内で良い就職が来た訳ではありません)
阿倍仲麻呂の故事は「天の原フリサケミレバ春日なる三笠の山にイデシ月かも!」と詠んでいるので、私のような庶民レベルにまで名を知られている訳ですが、この前提として、当時の唐・長安では満月になれば、今と違って公害もなく月が煌煌と照らしていたのでしょう。
いま左遷されたサラリーマンが望郷の念にかられて、阿倍仲麻呂の真似をして北京で月を見ようとしてもPM2・5の結果、おぼろにも見えないのではないでしょうか?
やはり時代にあわせて、別の風物を詠むしかないでしょう。

海外留学熱鎮静論6(社会人留学)

ところで、大学を出ただけでは(今の若者は未熟過ぎて)実社会では役に立たないので、企業は入社後の実務兼教育(ジョブトレーニング)に力を入れています。
大学の教育力が下がったという視点で議論されていますが、長寿化による成熟段階の間延びによって世上言われているように名目年齢に7割がけぐらいしか成熟していない実態を前提に資すれば、同年齢でも昔の基準の学力・思索力を期待するのは無理です。
大学は言わば中学生か高校生レベルの未成熟な学生相手に高尚なことを教えようとしているのですから、空回りにならざるを得ませんし、企業に入ったころから昔の大学生レベルの思考力になるのですから、企業はそのつもりで社員教育しています。
今でも一定水準のエリートは、従来どおり大学院レベルあるいは一定に研究者レベルに到達してから交換留学などを行なっている外に、企業派遣その他の理由で有名私立大学等に一定数留学し続けています。
我々弁護士の分野で言えば、大手法律事務所に就職して一定年限実務経験を経てから、アメリカなど留学してアメリカ(ニューヨーク州など州別資格)の弁護士資格を取得するのが普通ですし、いろんな分野の企業派遣留学者も一定の実務修練を経てから行なっていると思われます。
就職後30代前後の若いうちに現地事務所に派遣して現地社会の実態を体感させる試みを留学とは言わないのでしょうが、こうした数は、グローバル化に比例してマスコミの宣伝とは逆に増え続けている筈です。
話題が変わりますが、グローバル化対応とは単なる国内企業が国内に留まったままでの輸出企業に留まらず、現地経企業進出するということですが、現地進出とは日本企業の方が優れていることが前提です。
国外進出は強い方から弱い方へするものです。
現地進出して成功するには、日本企業のやり方を現地で指導定着させる必要があります。
指導者としては、一定の修練を経た中堅とその直前ころの若者の現地派遣が必要ですが、未成熟な20代前半の若者では役に立ちません。
先進国への旧来型留学形式の場合でも、基礎学力もない子供(夏目漱石の描く「三四郎」のような成熟した高校生は今ではいません)が留学・・学部留学しても、まだ一人前に成熟していないので、進路すらも定まっていないし、大したことになりません。
私の世界・・弁護士で言えば一定の水準・・弁護士資格取得直後ですらなく、一定期間国内弁護士実務を経験した後のアメリカや欧州諸国へ留学してアメリカ等の弁護士資格を取得させる方が・効率的・合理的です。
(まして司法試験すら受かっていない基礎レベルで学部留学しても何を学べるか?と言うことですし、高卒段階で留学しても海のものとも山のものとも分らないでしょう。)
医師で言えば、医学部に入ってもその時点では進路が定まっていないし、数十年前の例で言えば、心臓手術の先端技術を学ぶ留学経験が有名でした。
この例で言えば、医師資格を取らない高校卒でアメリカの医学部に入るよりは、日本で医師資格を取り多様な医学分野の中で心臓外科に進んだ医師の中で、一定の手術修練を経て適性があると分ってから、更に最先端技術修得するために先端手術をしている海外病院等へ留学をした方が合理的です。
今では、内視鏡手術が主流ですが、これは日本の方が器具その他で進んでいると思われますので、留学するどころか日本の医師が教える立場に逆転しています。
これを学びに来る外国人医師は、高卒学生→学部留学ではないので日本への留学者数にはカウントされていないのでしょう。
産業技術研究等になると、海外へ留学するどころか新日鉄やトヨタや東レの例を出すまでもなく、日本からの各分野での高度技術流出リスク管理・・秘密保護法制定の方に関心が移っています。
今朝の日経新聞朝刊には中国によるサイバー攻撃被害がアメリカ企業で激増していて、我慢できなくなって来たので、国防白書に明記するほどになって来たとのことです。
アメリカほど明白に発表しないものの、我が国も企業秘密流出被害はかなり深刻になっている筈ですから、技術防衛力強化の一環としての「国防特定」だけではない「一般」秘密保護法制の充実・強化が急務になっています。
話題を戻しますと各種研究分野でも高卒現役の学部生の留学では、海のものとも山のものともまだ分らない・・先が遠過ぎますので、今では一定の研究者レベルに達してからの留学の方が合理的ですし、これが主流になっている筈です。
スタップ細胞で世間を騒がせた小保方氏も大卒後の留学経歴です。
近年では社会人・・一定レベルに達した後の留学・社員の現地派遣(必然的に年齢も上がりますが・・今は若者の成熟が遅れている面もあってちょうど良いのではないでしょうか?)に比重が移っています。
マスコミや文化人は長寿化による成熟の遅れを見ないで(高卒現役)若者・・学部留学生数(私費が1割減ると全体では大幅減です・・と公費の分類すらしないで)総量減少を見て、若者が内向き志向になっているが、これで良いのかと大騒ぎしているように見えます。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。