国民主権と護憲論の矛盾5

憲法に明記されている国民主権尊重の観点から言えば、日本の国民にとって不都合な部分があれば日本国民が自由に議論してその結果、仮に現行規定が不都合だとなれば、改廃することをアメリカが表向き反対出来ないことになります。
(政治的リアクションの考慮の必要性・汚職リークやマスコミ動員による影響力行使を考慮すべきは別ですが・・)
左翼・文化人の護憲論は、「内容を議論せずに問答無用式に現憲法を守れ」と言うこととすれば、国民主権論と矛盾しますが、今でも日本の支配権力がアメリカにあるべきだ・アメリカ支配意思の守護者・・悪く言えば手先と言う立場なら一貫します。
他民族支配継続を前提にする憲法擁護論は、日本民族のための議論とは言えません。
護憲論は議論自体許さない性質のものですから、アメリカの非合法な力をバックにした非論理的主張・・言わば言論暴力そのものです。
アメリカでさえ正面から改正手続きを憲法に書き込むことに反対出来なかった→手続き法の制定にも反対出来なかったものを、日本人と言う理由だけで、正面から反対運動をしている・・国民主権論と矛盾行為をしていることを誰も問題にしない・・出来ない程アメリカの陰に怯えているからでしょう。
アメリカは直接暴力を振るえないのですが、マスコミから干される暴力を言論人や政治家が恐れているのです。
あるいはマスコミをアメリカが支配しているので、真っ当な意見があってもマスコミに現れないだけかも知れません。
日本独立後アメリカが直接支配出来ないので、日本人の皮をかぶった文化人やマスコミを利用してアメリカの権益を代弁させています。
日本人だから国民主権と矛盾する主張しても良いとなれば、彼らは(日本人ではあるが)日本国内での民族意思の抑圧者=民主主義否定論者となります。
彼らはアメリカの言う民主主義は尊重し、しょっ中アメリカではどうだとか、国連の人権勧告がどうだと言いますが、日本国内の民主主義・・国民のための議論は抑止すべきだと言う矛盾した主張をしています。
外国の手先と言うのはいつもどこの国でもそう言う性質のものです。
自分たちは前衛で意識が進んでいるが国民が愚昧であるから、その意見などマトモニ聞いていられないと言う立場かも知れません。
私が弁護士になったばかりの頃には、共産党関係者のこの種の話をイヤっと言うほど聞かされていました。
後進国では民度が低いから開発独裁が良いと言う政治スタイルをそのまま日本に持ち込んで(自分はエリートだから理解出来るが・・と言う特権意識を前提にしています)いることになります。
今でも韓国や中国関係者の話では、「先生のように良く理解されている人の場合は良いのですが、一般ではそうではないので、・・」と言うエリート意識をくすぐる方法が流行しています。
先進国アメリカの作った政治手法・・憲法を、愚昧な日本国民がいじらない方が良いということでしょう。
高名デザイナーが設計した店舗の陳列や、自宅の間取りを勝手にいじるとぐちゃぐちゃになってしまうと言うのと同じ発想です。
左翼進歩派?の主張が独裁国家の旧ソ連や中国の代弁者とすれば一貫していますが、日本で文化人と称して民意尊重・庶民の味方と称して人権擁護運動をしているのですから、矛盾行為(・・・日本人の皮をかぶって入るが内容は外国人)ではないでしょうか?
こういう矛盾行為が許されていて誰も批判出来なかったのは、これを利用する背後勢力(アメリカに限らず中韓も利用勢力です)が大きすぎるからです。
日本が非武装のままであれば、利益のあるのは半永久的属国状態を期待しているアメリカはもちろんのこと、中韓両国にとって利益があって、非武装論は彼らの応援を受けているからではないでしょうか?
外国にとって利益で日本にも利益と言う関係もありますが、周辺国が軍事力の増強一本槍の状態下にあるのに、我が国だけ非武装のママにしておくのは、逆から言えば、日本民族にとっては不利益と言うことになりませんか?
軍縮は望ましいものですが、相互削減してこそウインウインの関係ですが、一方が軍備増強を続けているのにその敵国視化されている国が一方的に非武装化→一種の武装解除して行くのでは、合理的ではありません。
言論の自由とは言っても、相手国が軍備増強中に自国だけ削減して行くどころか非武装化して行くのが良いと言う意見を支持する意見・・実際に実行して来た国や民族は、国際的(同じ時間軸)または歴史的(縦の時間軸)に全く存在しないのではないでしょうか?
もしも中韓両国政府や文化人あるいはアメリカ人がこれを支持している・・正しいことだと言うならば、先ず自国軍の非武装化から始めるべきであって、日本の方だけ先に非武装化するのが正しいと言うのでは矛盾していることになります。

国民主権と護憲論の矛盾4

どんなに国民に不都合な憲法でも占領軍の都合で作った武装解除の憲法支配に耐えるべきだ・・内容について是非の議論をせずに現憲法を守れと言う護憲論は、自分に100%都合の良いように作ったアメリカにとって都合の良いものです。
左翼文化人やマスコミの主張は、本来冷戦相手の中ソを有利にするための議論だと分っていても、アメリカもその宣伝に乗るしかない状態・・自縄自縛が続いてきました。
冷戦構造に日本を組み込むにはホンの少し不都合でしたが、当時アメリカは強大でしたので観念的協力体制さえ作れれば良かったからでしょう。
国内反対勢力が大きくても一応自衛隊を発足させて日米安保条約を締結したし、反対論を利用してこの勢力を温存させておけば、将来アメリカ離れが起きたときにアメリカに抵抗するほどの自主的軍備をさせないためのタガ・ブレーキ役としては有効でした。
このために一見アメリカ批判をしているかのように見える左翼育成策が変更されないまま、戦後教育界支配を通じてずっとやってきました。
アメリカはアフガンやシリアその他の例で分るように、いつも国内反対勢力に餌を撒き国内分裂を誘うのがイギリス植民地政策以来のアングロアメリカンの伝統的政策です。
ソ連侵攻に対抗する勢力への支援がアルカイダを育て、シリアの反政府勢力支援が今の過激なイスラム国に育つなど、自分のまいた種の成長によって、今になって苦しんでいます。
民主国家を標榜するアメリカは日本に憲法を強制して作らせたとは言えないので、憲法は国民が主体的に作ったと表向き主張するしかない立場です。
主体的に憲法を作った以上は、憲法改正権も一体化しているのが法の原理です。

憲法
前文
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

第九章 改正
第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
○2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

国民が主体的に作ったと言う以上は、主体的に変えられると書くしかないので、上記のとおり改正手続きも憲法に書いてあります。
アメリカとしては実際には事実上の占領継続目指して憲法制定したので、日本の自主性によるかのように作らせた憲法を、日本人の意向で自由に改正させたくないのが本音ですから、事実上改正手続き法制定の機運そのものを背後で牽制していました。
自主憲法制定論の動き自体が起きればその強力な主張者をアメリカに対する反逆行為・・戦後秩序反抗勢力と見なせば容赦なく、汚職等の名目で政界から抹殺をしてきました。
強力なスパイ網を利用してアメリカは政治家の弱点をつかんでいましたので、(つかむだけではなく将来の有力者になりそうな人物には)積極的に汚職の水を向けておいて汚職させておいて、いうことを聞かないとなればそれをばらすぞ!と脅すやり方です。
脅しの利かない人物にはモロにあることないことの情報をマスコミに流すなどして、政界から抹殺する方法をやって来ました。慰安婦問題のでっち上げ報道同様にマスコミに大々的に流されると、個人で報道の虚偽性と戦うことは殆ど不可能な上に、仮に何十年後に虚偽を証明してもその間に政治生命が絶たれてしまいます。
このようにしてアメリカの国益に反する人物が出るとマスコミによる集中砲火を浴びさせて、次々とヤミに葬ることを繰り返してきました。
マスコミは日本独立後のアメリカの日本支配の手先になって来たのです。

国民主権と護憲論の矛盾3

非武装平和論者(左翼系文化人を主体とするものです)が憲法制定権と一体化している筈の改正手続き法整備すら何故反対するのでしょうか?
左翼の好きな「国家と人民は対立するもの・・搾取したりされたりする敵対的関係論」によれば、憲法は為政者=支配者のためにあるものですから、国民にどんなに不都合があっても人民はこれに耐えるしかない・・支配者(日本の場合は占領軍)に便利に作った以上、人民の不都合があるかどうかは元々関係がない・・不都合かどうかの議論自体許さない護憲一本槍となります。
占領軍が・・「元々日本民族に不都合な制約を掛けるために作ったものであるから、今さら何を言っているのだ」と言うことになるのでしょうか?
元々米軍占領初期の目的は永久的に日本の独立を認めないものでしたから、将来占領軍が撤退した後にも武装解除したままにして属国のママにしておくための遠大な計画のために、憲法に再軍備禁止精神を盛り込んで置き土産にしたものです。
アメリカの属国化を続けるための置き土産装置を思考停止したまま有り難がって必死に守る日本人が何故いるのでしょうか?
置き土産だろうとなかろうと日本人にとって良いかどうかと言う単純な基準で決めれば良いことです。
ところで、米軍は半永久的日本属国化の装置を日本国憲法に組み込んで置き土産にしましたが、如何にアメリカの都合で押し付けたとは言え、まさか強制したとは書けないので、明文(表向き)では「国民主権の原理で憲法を作った」と明記するしかなかったのでしょう。

憲法
前文
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

米軍の都合に合わせて作ったと書いていない以上は・・すなわち日本人の自主憲法であるならば、日本人の都合に合わせて改正して何が悪いのでしょうか?
改正して良いならばその前に堂々と議論しても良いことになります。
護憲論と言う自主憲法否定運動自体が、主権国家で成り立っていること自体が不可思議です。
護憲論者=左翼文化人=何かと言うと国連や世界の趨勢はどうだと言う人権擁護論者が多いのですが、彼らの日頃の民主主義・人権擁護論と国民による憲法制定権妨害〜否定論は正面から矛盾しています。
彼らの日頃の主張と矛盾する不合理な主張=実質的国民主権否定行為が一定の勢力を保っているのは、背後にアメリカの意向・・アメリカの作った戦後秩序維持期待に迎合しているからではないでしょうか?
左翼系は中韓の代弁者と思う人が多いでしょうが、実は彼らはアメリカの政策に正面から反対しながら、巧みにアメリカの後ろ盾・・権威を利用している関係でした。
朝鮮戦争に始まる冷戦時代の再軍備反対論も、安保条約反対論もアメリカが自分の置き土産・・日本を永久的に無力化するために作った戦後秩序を大事にしようとする勢力であると言われれば、これを無下に否定することが出来ません。
アメリカが日本の隷属化の真意を隠して、日本占領を世界平和のためにと言う建前を正面に出しているために、左翼系文化人はこれを巧妙に利用して「再軍備〜軍備強化は平和に反する」と主張してアメリカが正面から反対出来ない構図に持ち込んでいるのです。
アメリカは日本の再軍備を阻止するための憲法を作ったばかりか、イザというときのために備えて世界中に日本が孤立化するため日本に対する悪宣伝をバラまいてきました。
中韓両国は日本左翼文化人のやり方を真似て、(あるいは指導を受けて)アメリカの宣伝を更に拡大する方向で、日本がどんなに悪逆非道行為をしていたかをでっち上げては日本批判を過激化して行きました。
その背後には常にアメリカの陰があるので日本は反論すら出来ないので、どんなにエスカレートが進んでも切歯扼腕しているしかありませんでした。

国民主権と護憲論の矛盾2

憲法は武装を認めていないと言う解釈が正しいかどうかの議論もありますが、仮に認めていないとした場合、武装するなら憲法を先に変えるべきだと言う論法自体はその立場によれば正しいことでしょう。
しかし、その立場でも、武装した方が良いか否か、その議論の結果によっては憲法を変える必要があるかもしれないのですから、憲法改正する前にどちらが良いかの議論すら出来ないと言うのは、憲法解釈のどの立場に立っても意味不明です。
非武装平和論者の議論を討論会等で聞いていると、憲法改正の必要があるかどうかの議論すら許さない=「憲法に書いてあるじゃないですか!」と言って内容の妥当性優劣の議論を拒む傾向・思考停止を要求することが多いことには驚くばかりです。
非武装平和論者と重なる左翼系が例外なく護憲運動を重視しているのが、この論法と一致しています。
護憲論とは現行条文変更阻止の意見ですから、憲法をどうするかの議論自体があるのは自分の立場の外堀を埋めることになるのでこれに反対することになるのでしょう。
「9条を考える会」と言ってもパンフを見ると改憲の動きが今どうなっているとか、その動きをどうやって阻止するかと言うテーマばかりで、何故非武装が良いかの本来の議論を見たことがありません。
現状に不都合があるかどうかの議論を封殺する意見は、変更可能性自体を拒否する・・不都合かどうかの議論を一切しないで何が何でも頭から「護憲」と言う立場を貫徹すると、憲法は誰のためにあるのかと言う疑問が湧いて来ます。
議論することを拒まない・・「国民のために何が良いかを多いに議論しましょう」と言うならば、「護憲運動」と言う表題からして不要ではないでしょうか?
時代が変わって憲法の条文がどんなに国民にとって不都合になっても憲法を守るべきだと言う論理は、憲法制定権が国民にないことを前提にした論理のように思えますので、以下吟味して行きます。
憲法は国民のために役立つように制定された筈ですし、そうであれば国民のために不都合があるかないかをオープンに議論してその結果によっては変更を求めることも国民の権利です。
憲法改正は思いつき的に半年や1年の議論でイキナリ出来るような性質のものではなく、普段から時間をかけて多方面で議論を尽くしていてこそ安定した改正案が熟成出来るのです。
憲法が現実社会に合わなくなっているのか否かの議論すら許さない主張は、国民には憲法制定権がない・・国民主権と言うのは名ばかりであることを前提にするのでしょうか?
輸入自由化合意後も、輸入手続きをする税関の人員増をサボタージュして税関で半年も1年も貨物を滞留させれば実質的に輸入拡大合意前と同じ量しか輸入出来ません。
普通選挙権を憲法で認めても、そのための選挙手続き法がないと選挙出来ないのですから、その手続き法制定に反対し、あるいは少しでも先送りしようとしている勢力があれば、その勢力は隠れた普通選挙制度反対論者となります。
憲法25条の文化的生存権の保障は、生活保護法制定があって初めて権利として具体化されます。
・・およそ全ての権利はそれを実現するための具体的な法や手続き法等が整備されない限り絵に描いた餅であって、実質的権利保障が無いに等しくなります。
国民が法律制定権者であれば、その改正権者でもあるべきですし、任命権者がすなわち罷免権者でもないと実質的権利を行使出来ません。
国民主権による憲法であるとするならば、改正も国民が自由に出来ないと本当の国民主権国家とは言えません。
内容如何にかかわらず、先ず憲法改正手続き法制定反対〜妨害論者は、国民主権=国民の意思による憲法改正権の実質的否定論者=国民主権否定論者となるように思えませんか?

国民主権と護憲論の矛盾1

中国による武力(大量の海艦と言う公船による領海侵犯の繰り返しによる事実上の実力行使)を正面に押し出しての領土領海の拡張行動が日常化すると、日本としては領海侵犯を放置している訳に行かないので、これに対応するためにそれまではたまに巡回する程度だった巡視艇を連日常駐〜派遣体制にならざるを得ません。
そうなると交代要員や船が不足しますので、巡視艇の増加・保安庁の人員増の必要性が起きてきます。
昨日紹介したように中国では対日戦争開始準備命令を発動した結果、国民が危険を感じて海軍や海艦への希望者が激減して要員確保に支障を来している・・已むなく精神障害者でも可とするところまで追いつめられています。
逆に日本では緊急事態が起きても親中韓派文化人が反対するので、領海を守るようなことはとても出来ないと言う事前情報と違い、我が国では危機感を感じた若者による海上保安庁への応募者が急増している実態が報道されています。
親中韓派文化人やマスコミが、戦後の平和ボケで日本は柔弱になっているのでとても戦える訳がないと宣伝していた事態と逆の結果が出ています。
江戸時代300年の泰平の世を謳歌して来て骨抜きになっていた筈の日本人が、幕末の危急時に勇敢に戦えなかったかと言うとそうではありませんでした。
幕府御家人はふぬけになっていましたが、草莽からいくらでも愛国の志士が沸いて出て来たのが幕末です。
僅か60〜70年そこらで国民がふぬけになる訳がありません。
非武装平和論は、海上警備活動や自衛力強化反対どころか、そもそも警備や自衛力自体を不要とする論ですが、その理由とするところは、軍備や警備するから小競り合いが起きる→それが大きな戦争になると言う意見になるように思えます。
ただし、私はスローガンやパンフくらいしか見たり聞いたことがないので、緻密な非武装平和論の論理を知りませんから、以上は推測です。
他の立場からすれば軍事刺激したから中韓が来たのではなく、敗戦後何の軍備もない武装解除時に韓国は竹島を占領したし、今回も日本は中国に対して何ら領海侵犯や軍事挑発をしていないし、何の争いもないときにいきなり相手から仕掛けて来たじゃあないか・・日本が断固対応したら領海侵犯行為が下火になった・・だから泥棒が入らないように警備活動が必要だと言うことになります。
警備したり戸締まりするから泥棒や強盗が入るのか、警備しないで戸締まりしないで寝ていた方が泥棒が来ないのか?と言う論争のようです。
この論争はそんなに難しいデータもいらないし、複雑な議論でもないので、充分に議論すればすぐに勝負のつくテーマだと思いますが、非武装論者は実質的内容の優劣に関する論争から何故か逃げてしまっている感じです。
平和をどうやって実現するかの議論をしていると直ぐに「憲法前文に諸外国の公正と信義を信頼する・・」「憲法9条で戦力保持しない」と書いていることから、論争自体が許されない・・憲法に書いてあるじゃないか・・憲法違反は許されないと言うテーマのすり替えを言い出して議論にらない状態・・結局そこで討論会が終わってしまう・・思考停止を要求する論法が目立ちます。
   
憲法
第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

非武装平和論の論理の建て方は、「憲法に書いてあるじゃないか」と言う論法で議論を遮ってしまい、議論すること自体を拒否してしまうのですから、彼らの基本的立場は唯我独尊・・問答無用式議論が多いことになります。
左翼・護憲派・非武装論者の主張は平和維持のためにどうするのが正しいかどうかの議論をすること自体許さない・・どちらが正しいか議論すること自体が憲法違反だと言う論法のようです。
みんなが望んでいるのは憲法解釈論ではなく、どうすれば日本のためになるかの議論です。
議論を尽くした結果望ましい意見が、仮に憲法解釈に合わないならば憲法を改正するほどの必要性があるかどうかなどの次の議論に移ればいいことであって、議論の前に憲法解釈に合うかどうかで意見をシャットアウトする必要はありません。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。