第三者委員会の役割2(朝日新聞慰安婦報道1)

慰安婦報道と池上氏コラム掲載拒否問題については、別の第三者委員会の検証対象になっています。
以下第三者委員会見解の紹介です。
この委員会では慰安婦強連行に関する吉田氏の著書や講演が虚偽であったこと自体については後に吉田氏自身が認めていることなどから、委員会意見は(最高裁判決で言えば法廷意見?)約30年間も訂正・取り消ししなかったことの是非に焦点が当たっています。
発表当初に裏付け取材を一切しないまま発表した経緯とその後修正・取り消しが遅れた経緯・・トップの責任追及的視点・・その後の処理対応が悪い点に力点を置いていて、(どうせやめるに決まっている人に責任を取らせる図式です)国民が知りたい朝日の基本的体質・・日本民族非難目的的報道体質そのものの掘り下げは緩い感じを否めません。
原発吉田調書同様に、事実経過報告とどめて主観的意図の判断は、読者に委ねると言う姿勢でしょうか。
事実羅列の中で注目すべきことは、報道前に吉田氏に面会したところ、慰安婦連行に関する吉田清治氏から根拠になる資料すら「焼却した」などと言う、如何にも怪しい応答されているのに、疑いもせずに独自取材せずに真実であるかのように大規模報道していたことが分りました。
こんな大事件報道をするのに言い出しっぺの調査研究発表者・吉田清治氏が取材時点で取材資料を既に焼却してしまっていることなどあり得ないことですから、検証委員会にはこの点をもっとツッコンで追及して欲しかったと突っ込み不足に不満を抱く人が多いでしょう。
しかし、仮に突っ込んでも「そのころはそう言う判断でした」と言う答えしか却って来ないと言うことも十分想定されます。
以下のとおり重大記事の最初の執筆者さえ分らないと言うこと自体、怪しい朝日新聞の対応ですが、委員会が家捜しすることも出来ないので、これも読者判断と言うことでしょうか。(怪しいと思うかは読者の判断に委ねるのも1方法です)
以下原文からの引用です。

(1)1982年9月2日付記事

(1)吉田証言について
朝日新聞は、同社記者が執筆した1982年9月2日付朝刊紙面に「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の見出しの記事において、同社 として初めて、吉田証言を紹介した。
同記事は、前日の1日に大阪市内で行われた集会において吉田氏が述べた内容を紹介す る。当初この記事の執筆者と目された清田治史は記事掲載の時点では韓国に語学留学中で あって執筆は不可能であることが判明し、当委員会において調査を尽くしたが、執筆者は 判明せず、執筆意図や講演内容の裏付け取材の有無は判明しなかった。
(2)1983年10月19日、同年11月10日及び同年12月24日付記事
これらの記事は、大阪社会部デスクの意向で、ソウル支局ではなく当時大阪社会部管内 の岸和田通信局長をしていた清田により強制連行の全体像を意識した企画として進められた。清田は、吉田氏宅を訪問し数時間にわたりインタビューをした。裏付け資料の有無を 尋ねたが焼却したとのことで確認できなかった。吉田氏の経歴等についても十分な裏付け 取材をせず、証言内容が生々しく詳細であったことから、これを事実と判断し記事を書いた。」

科学発明発表の記者会見で、実験データを全て焼却したので再現出来ないと言う説明をした場合、その論文の価値を認める人が一人もいないでしょう。
こんなずさんな説明で第三者(検証)委員会が「あ、そうですか」と安易に?矛を収めているのでは、何のための検証かと疑問を抱く人が多いのではないでしょうか?
第三者委員会の認定事実によれば、朝日新聞は、「焼却してしまった」と言う吉田氏の不思議な説明で裏付けをとったことにして?日韓関係を揺るがし世界に日本の蛮行を大宣伝する大記事にしたことになります。
これに対する意見書の評価は以下のとおりです。

「吉田証言は、戦時中の朝鮮における行動に関するものであり、取材時点で少なくとも35年以上が経過していたことを考えると、裏付け調査が容易ではない分野におけるものである。すると、吉田氏の講演や韓国における石碑建立という吉田氏の 言動に対応しての報道と見る余地のある1980年代の記事については、その時点では吉田氏の言動のみによって信用性判断を行ったとしてもやむを得ない面もある。
しかし、韓国事情に精通した記者を中心にそのような証言事実はあり得るとの先入観がまず存在し、その先入観が裏付け調査を怠ったことに影響を与えたとすれば、 テーマの重要性に鑑みると、問題である。
そして、吉田証言に関する記事は、事件事故報道ほどの速報性は要求されないこと、裏付け調査がないまま相応の紙面を割いた記事が繰り返し紙面に掲載され、執筆者も複数にわたることを考え合わせると、後年の記事になればなるほど裏付け調 査を怠ったことを指摘せざるを得ない。特に、1991年5月22日及び同年10 月10日付の「女たちの太平洋戦争」の一連の記事は、時期的にも後に位置し、慰安婦問題が社会の関心事となってきている状況下の報道で、朝日新聞自身が「調査 報道」(1994年1月25日付記事参照)と位置付けているにもかかわらず、吉田氏へのインタビュー以外に裏付け調査が行われた事実あるいは行おうとした事実がうかがえないことは、問題である。

上記によれば、当時としては焼却したと言われてそのまま信用して、裏付け取材しなくとも(その後の対応が悪いだけで)「やむを得ない面もある。」と言い切っているのですが、35年前のことではっきりしないならば「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の大見出しで書かなければ良いことです。
新聞記事と言うのは根拠があってこそ書くべきですし、ましてや国家の命運に関わるよう大問題を「根拠が不明だから書いても仕方が無い」と言うのでは、マトモな論理的説明になっていません。
朝日新聞のように世界中に拠点を持たない1個人が現地取材して事実がないと言う報告をしていることから見ても、韓国内の拠点・ソール支局もある大組織の朝日が何故簡単な現地調査をしたり、吉田氏の経歴調査・・主張の時期に主張する職にあったのか、その当時の職ム内容など公式記録にあたるなど、するべきことが一杯あった筈ですが、(委員会も認定しているように急いで発表する必要がないのでゆっくり事実調査してから記事にして良かったことですが)全く調査する気もなかったのを不思議に思うのが普通の国民感情ではないでしょうか?
(これだけ慰安婦報道が大問題になっているサナカの2014年5月20日に発表された原発吉田所長調書事件も肝腎の東電職員一人にも取材しないままの大スクープ?記事でしたが、急ぐ必要もないのに、取材しないで想像で書くのが朝日の基本的体質でしょうか?)
次の段以降の「しかし」付きとは言え、先ず前段で「やむを得ない面もある。」とまで言い切るのは、根拠のない正当化ではないでしょうか?
「やむを得ないかどうか」の検証のために第三者委員会が選任されたと国民は期待していた筈なのに、委員会は35年経過していることだけを根拠に「やむを得ない面もある」と断言しているのでは多くの国民は驚いたのではないでしょうか?
「面もある」と言う半端な表現ではありますが、基本姿勢としては朝日の行動を肯定したことになるのでしょう。
後の文章はその後の行動に力点を置いていて、取材なしでセンセーショナルな記事発表した当初の姿勢に関する国民の疑問に答えていません。

朝日新聞吉田調書3(見出しの重要性)

昨日書いたように、報道と人権委員会「見解」の書きぶりに対して基本的に良く出来ていると評価していますが、気になる書き方がありますので一部だけ紹介しておきます。
大見出し等はそのままでも?記事内容に書いてあれば、印象は和らいだろうと言う趣旨の期待的意見が書かれている点です。
(この部分は本音と言うよりは、厳しく事実認定したので朝日に対するリップサービス程度の意味かも知れませんが、念のため批判しておきます)
26年12月30日「マスコミの情報操作1(羊頭狗肉)」以来書いているように、大見出しは何を書いていても内容で矛盾していることさえ書いておけば(は言わないまでも?悪質性が軽減出来たと言う程度か?)良かったかのように誤解しかねない部分です。
確かにないよりは少しは良かったと言う見方も出来るでしょうが、海外向け英字報道の大見出しに「所員の9割が命令に(公然と)拒否して逃亡」と出されていた場合、先ずその見出しのコピーが大量に出回るのが普通ですから、記事内容にややこしいやり取りを記載さえすれば良かった・・と言うのでは、意図的な「角度をつけた」報道がはびこる一方です。
まして今回は「見解」によれば、「A4版400ページ」に及ぶ専門用語中心の難解で膨大な資料と言うのです。
前後の記載を羅列的に記載しただけでは、表題記事と矛盾する可能性があることが読者に分った可能性があると言ってもちょっと斜め読みして理解するのは容易ではありません。(ほぼ不可能でしょう)
「見解」によれば、専門用語が多くて専門家でないとわかり難いことを理由に原発取材プロの朝日の記者2名だけが読み込んで記事にしたと言う認定ですが、関連資料を1読して素人が「表題と違って職員の9割が逃げた訳ではない」と分るくらい単純ものならば、そのプロが何故読み間違ったと言えるのか・・朝日の主張と明白に矛盾するでしょう。
・・99%の素人は、仕事や家事その他で忙しいので、ニュースがあってもその都度資料まで読み込む時間もないので、見出し等で判断するのが普通です。
私もニュースの見出し程度しか見る暇がないのが日常ですが、今回は正月休みがあったので、「見解」原文に当たる時間がありましたが、多くの人はニュースで「こう言う見解」が出たらしいと言う誰かのまとめ記事くらいしか読まないでしょう。
(余談ですが、長距離電車通勤をしていないので駅頭などで週刊誌を買って読む暇もないので、新聞に掲載されている週刊誌の広告を見て、こういうことが今の話題になっているのか?程度の情報収集が普通になっています・・詳細に読み比べるプロと違って、一般人に対する影響力としては、このように「見出し」の書きぶりが大部分を決めていると言うべきでしょう)
委員会見解(3)では、原発取材資料の専門性の結果・社内で「専門的知識を持つ人材でも2〜3日は必要」と認定しています。
まして私のような部外者は、仕事に出る前や寝る前に新聞やネットの見出し程度読むのがやっとであって400ページもの資料自体を1週間もかけて読んでいられません。
以下は報道と人権委員会(PRC)の見解全文(2)の一部引用です。

 (1)本件記事には「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しに関わる吉田氏の証言のうち、割愛された部分がある。前述の「伝言ゲーム」について述べた部分(〈1〉)と、「よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思った」と述べた部分(〈2〉)である。
 これらについて、取材記者たちと担当次長らは、意図的に掲載しなかったわけではないとし、連動していた朝日新聞デジタルには、いずれの部分も載っていると説明している。
 (2)仮に掲載していれば、それだけ読者の判断材料も増え、記事の印象も随分、違ったものになっていただろう。「所長命令に違反 原発撤退」との主見出しに対しても、組み日当日、社内で疑問が広がった可能性もある。

以下は「見解」(3)の文書です。
「専門的な知識、用語の多いテーマであることから、記事内容や見出しの適否を検討するには、担当記者以外の専門的知識を有する記者にも、2、3日の余裕を持って閲覧させるべきであり、部長、担当次長もそのように指示すべきであった。少なくとも、初報記事の関連部分は開示すべきであった。
さらに、特報部が科学医療部、政治部と打ち合わせた18日の会議には、朝日新聞デジタルの特集サイト用のプロローグ部分の予定原稿及び2本目の「フクシマ・フィフティーの真相」の予定原稿が示されていた。後者には、その後に引用されなかったことが問題となる証言部分が載っていた。しかし、19日当日の紙面作りの過程において、デジタル紙面の予定原稿は編集者や他の記者たちに示されなかった。20日付紙面に対応する吉田調書の記載部分やデジタルの2本目の予定原稿が社内で一定程度、共有されていたら、見出しと記事内容は異なったものとなった可能性がある。朝日新聞デジタルでは4月ごろから複数のスタッフも加わって、予定原稿づくりの作業が進められていた。しかし、本紙の編集センターでは、組み込み日当日になっても秘密保持を理由として情報の共有がなされていなかった。行き過ぎというほかない。」
第2に、19日時点でも、見出しや記事内容について多くの疑義が社内の各方面から出されていた。しかし、これらの問題提起はほとんど取り上げられることなく終わった。担当次長は、大阪本社からのデスク会前後での指摘は認識しているが、他からの指摘は認識していないと述べている。紙面の最終責任者はGEであり、当日の責任者は当番編集長だが、これら責任者には伝わっていない。なぜなのか、その原因を点検する必要がある。」

第三者委員会の役割1(朝日新聞吉田調書2)

報告(見解)を見ると、発表前の内部チェック体制不備や吉田調書の誤報が分った以後における対応の不手際解明が中心ですが、国民が知りたかったのは、事実報道に見せかけながら、偏った一定方向へ誘導していたマスコミ全般の日常的体質そのものではなかったでしょうか?
朝日新聞はその特化程度が激しいので、批判を浴び易いだけです。
組織暴力団事件も末端殺し屋が動いて、トップが知らなかったでは済まないのが昨今の風潮(少なくとも民事賠償事件では)です。
いつも一定方向にしか発言出来ない状態で運営している社風の場合、問題点は社内決済システム不備ではなく日頃からの社風・体質のあらわれであって、個々の決定にトップが関与する必要すらなくなっている・・、どうせやめる予定のトップ責任ばかり検証しても仕方がないように思えます。
第三者委員会が2つになっているのでややこしいですが、両見解を読むと吉田調書事件では部門任せだった社内総合評価システムの不備を指摘しながら、慰安婦事件の第三者委員会では社長ら上層部が池上彰氏掲載記事に介入した点を強く批判しているなど、ちぐはぐな印象です。
ただ結果から見ると、吉田調書では総合関与がなかった点を批判し、池上報道では上層部意見が通った点を批判しているので、それぞれの委員会では結論から見解を出していることになるようです。
社の基本思想にあえば、わずかに現場記者2人しか資料を読み込まないままニッッポン民族の大汚点・・世界ニュースになるような記事をそのまま出せる仕組み・・暴走出来るし(大社会問題になってからでも広報部が資料すら見ないで弱い個人相手に法的手続すると脅かしています)、社風にあわないとなれば社長まで乗り出して池上記事を没にする決断をする・・この一貫した体質こそが暴かれるべきです。
そうとすれば後に紹介する第三者委員会の岡田個人意見のように委員会全体見解でもストレートに「角度に重きを置く」社風を指摘するのが王道だったように見えますが、政治的配慮から公式意見としてそこまで踏み込めなかった(本音は個人意見で理解して欲しい)と言うことでしょうか?
近年流行の第三者委員会設置の役割ついて、ここで少し見ておきましょう。
朝日新聞で言えば、国民は連続虚偽?誤報道が何故起きたのか?個人が思いつきで出来ることではないので、その体質に疑惑を持たれて世論が沸騰していました。
その大きな疑惑を放置出来ないために第三者委員会を設置するから、個々の質問に答えられないと称して、社長自身に対する厳しい質問等をさせない・・釈明をしないでうやむやにしたものでした。
その結果厳しかった世論の熱がサメた頃になって、出て来たのは「今後内部統制システムをしっかりする」と言う国民の関心とは直接的な関係のない結果公表で幕引きの印象・・肩すかしを食ったような印象を受けた人も多いでしょう。
これをどう読むかですが、淡々と事実経過を書くことにとどめて、読者による冷静な解釈判断に委ねる・・朝日新聞自身に対しても反省するチャンスを与えるのは手堅い方法です。
一定の立場に肩入れするような特定評価をしない・・・国内の感情的対立をあおるようなことを慎むのも大人の処方箋です。
煽るだけ煽って韓国のように感情的熱狂のウズに巻き込むのは、民族の一体的発展のために得策ではありません。
正月休み中で時間があったので慰安婦・池上氏関係に関する第三者委員会と原発吉田調書に関する「報道と人権委員会」の双方意見書を読む時間がありましたので一部紹介しながら書いてい来ます。
以下「報道と人権委員会」報告(11月12日)(朝日新聞社「吉田調書」報道「報道と人権委員会(PRC)の見解全文」)から見て行きます。
同見解では、原発吉田調書については事実関係・読み方そのものに争いがあったので、事実関係を克明に記載・検証しているのは当然ですが、結果的に内部チェック体制を見るために時間をかけた印象で、韓国でセウオール号事件報道(乗組員が乗客を放置して逃げた)政府非難が過熱している最中に、この発表をぶっつけた政治的意図については何ら触れるところもありません。
元々このセウオール号事件で過熱していた政府非難を冷ます目的と日本民族を貶める両目的があったのじゃないか?と言う疑惑から、大政治問題に発展して第三者検証が必要になった出発点に触れない点に不満を持つ人も多いでしょう。
しかし、淡々とした時系列的記述(調査結果)自体から問題性を読み取りたい人は読み取れば良いと言うのも1つの見識です。
関係者が原資料を読みもしないで「法的措置をとる」ような文書を発行している事実を淡々と公表することから、1月6日に私が書いたように読むことも可能ですし、そこから何を読み取るかは読者の自由です。
また記事発表前の緊迫した状況が克明に記載されていますが、元々3年以上前に発生した事故対応として「東電職員の9割が逃げたかどうか」を発表するのに、社内関係者が2〜3日かけて議論する時間的余裕がなかったとは思えません。
同見解で
「 専門的な知識、用語の多いテーマであることから、記事内容や見出しの適否を検討するには、担当記者以外の専門的知識を有する記者にも、2、3日の余裕を持って閲覧させるべきであり、部長、担当次長もそのように指示すべきであった。少なくとも、初報記事の関連部分は開示すべきであった。」

と指摘されているように2〜3日どころか、ホンの短時間の会議でさえ、そこで原調書を見せられていない関係者から、いろんな指摘や危惧が示されていたことも認定されていますが、調書を関係者誰にも見せないで短時間でこれを押しきって強行したのは、異常な進行ぶりです。
緊急速報性のない記事について社内関係者に十分な読み込み検討する時間を与えず急いで発表・・記事にしたのか・・緊急発表の必要性をだれが何の目的で決めたのかも疑問ですが、こう言うことには全く触れずに、時系列中心記述にとどめて読者の読み解き次第に委ねる姿勢といえます。
委員会が韓国スウオール号事件にぶっつける緊急性があったのか?と質問してもまともに答える筈がないから無駄ですし、委員会は国内対立を煽るのが目的ではありません。
事実検証の結果、国内向けには「撤退」と報道していたのに、海外向け英語表記では反抗して逃亡とどぎつく表現していたことが分りました。

「本件5月20日付記事の見出しを「90% of TEPCO workers defied orders, fled Fukushima plant」にして、20日夕方に発信した。直訳すれば、「東電の所員の9割は命令を無視して、福島原発から逃げた」との表現となった。公然と反抗するなどを意味する「defy」の過去形を使った。」

国民としては「命令に反して撤退」(「反して」の場合陰で言うことを聞かない場合を含みます)だけでも怒りの抗議が殺到していたのですが、海外向けには何故「反して」ではなく、強固な目の前で反抗を意味する「defy」にしたのか、「撤退」を「逃亡」に強調したのか知りたいところです。
これも国民の受け取り方に委ねると言うことでしょう。
(国民には反発を受けないように優しく表現して海外に誇張宣伝するのが元々の主たる目的だったのではないかという穿った解釈も成り立つでしょう。)
報道と人権委員会の「見解」は、全体として事実を丹念に拾っていることが評価出来ますし、丹念な事実認定の結果、無理に踏み込んだ見解を書かなくとも、明らかにした事実を基に国民の健全な判断に委ねる収め方は、法律家的手堅い「見解」と評価出来ます。

「報道と人権委員会」(朝日新聞吉田調書1)

吉田氏生前に密着取材していたノンフィクション作家門田氏から、内容が違うのではないかの批判を受けて、逆に「・・楯突くとジャーナリストの世界から抹殺するぞ!」と言わんかのような威圧をしていたことも知られています。
これも世論を刺激した要点でした。
あまりにも酷い態度に非公開文書の内容を知っている政府が動いて、公開を決めた途端に、公開日に間に合うように急いで謝罪会見するようになった顛末自体が、如何にイカサマ承知で報道していたかと推測されていました。
原発吉田調書関係についての「報道と人権委員会」結論が11月12日に、慰安婦でっち上げ?報道関係については第三者委員会の結論が12月22日に出ました。
以下「報道と人権委員会」見解の一部引用です。
(1)抗議書
6月上旬、週刊誌から相次いで取材申し込みがあった。担当次長、広報部長、編集部門で危機管理を担当するゼネラルマネジャー(以下「GM」)の部下であるゼネラルマネジャー補佐(以下「GM補佐」)らの集まる会議が開かれ、対策を協議した。担当次長は「少なくとも外形的には命令違反の行為があったことは間違いない」と主張し、この論理で対処していくこととなった。
朝日新聞社は、前記週刊誌2誌に対し、広報部長名で訂正と謝罪記事の掲載を求め、「誠実な対応をとらない場合は、法的措置をとることも検討します」とする「抗議書」を送り、10日付と11日付朝刊にそのことを伝える記事を掲載した。
また、8月、産経新聞と同紙に寄稿した門田氏に対しても、同趣旨の抗議書を送った。
(4)9月紙面計画
 朝日新聞は8月5、6日と、いわゆる慰安婦問題の特集記事を掲載した。7月はその準備に追われたが、掲載後も他メディアからの批判も含めて反響は多く、編集担当も含めた危機管理担当の役員たちと編集幹部はその対応にも追われた。
8月18日、前記のとおり産経新聞が吉田調書を入手したと報道したことを重く受け止め、編集担当やGEの指示で8月21日、GM補佐が初めて、吉田調書の開示を受け、読み込んだ。また、事態は深刻であると考え、編成局長補佐の1人を吉田調書報道の担当補佐(以下「担当補佐」)とした。」

上記によれば、産経が調書全文を取得したと報道したのであわてて読んだ・・関係者が調書自体を全く読まないで「法的手続をする」と脅かしていたことが分りました。
誰も調書を入出来ないから・・と(噓でも何でも)強き一方で推して行くこうと、高をくくっていたことがこれで分ります。
積極的な法的文書を出す場合には、法的判断・吟味をしてから文書化するものですが、(大企業が法的手続きをすると言う文書を出す以上は、弁護団の意見を求めている筈ですし、弁護士は肝腎の文書すら見ないで、朝日の解釈が正当だと言う意見を書く筈もないのですが、(書いていれば大弁護過誤事件です)が「見解」には委員会がこの調査をしたのかしないのかすら記載されていません)それすらしていないのは、非公開だから相手が証拠を出せる訳がないと言う判断が先行していた・・庶民の推測が正しかったことが証明されました。
記事内容の決定は、相手が反論資料を入手出来るかどうかを基準にしてどこまで噓を書いて良いかではなく、自社の報道が事実に合っているか否かこそ大前提・・事実報道こそが使命ですが、資料も読まないで反論するなどと言う荒唐無稽な行動をしていたと主張するのを見れば、朝日新聞社全体で事実を無視していたことが明らかになりました。
(ただし、「記者2名だけ責任をかぶれば良いので、上司や広報部等は誰も読んでいなかったことにしよう」と言う申し合わせによる調査結果であるかまでは分りません。)
データ改ざんまでしない・・正しい事実を紹介しながらでも、巧妙に偏ったイメージ報道するやり方を1月2日以来、批判して来ましたが、これを一歩踏み越えた事件です。
従来から頻発しているやらせ記事を(プライバシー保護と称して、実名を出さないので実在するかどうかの証明すらありません)一歩踏み越えた領域と言えないこともありません。
東電職員には、やらせに協力する人が一人も出なかった点が朝日新聞の誤算だったでしょう。
一般やらせ事件は、(巷間言われている慰安婦事件を含めて)何億人のうち、誰でも買収や日当を支払ってやらせ演技者に仕立て上げることが可能ですが、今回は非正規を含めた東電職員に限定されていたので「命令無視して逃げた」とか「指示を聞いた」と言う職員取材に)失敗したのではないでしょうか?
当然「見解」は「取材に協力得られなかった」と書いているだけで、やらせに協力する人はいなかったと書いていませんので、以上は小人による根拠のない憶測です。

マスコミの情報操作5

輸入が徐々に減って国内雇用が増える恩恵(菱木雇用が増え失業率低下)が始まっており、これが自国通貨安の狙いですから、日本のために良いことがあると(中韓は損する関係?)いつも都合の悪いところばかりマスコミがとりだして 強調するのはおかしな姿勢です。
ただし、どんな政策でも恩恵を受けない少数者が必ず発生するものですから、その方への目配り・指摘することも必要です。
消費税に対して生活必需品を除く・・車が出来れば事故が起きますので、安全対策や事故被害者救済政策の必要など、負の側面解消の指摘までは合理的ですが、さらに車や工業生産拡大そのものに反対するのは論理飛躍です。
同じく円安の負の側面も指摘する必要は分りますが、トータルとしての経済政策の是非・・円安批判・・マイナスイメージ刷り込みまでをメデイアの役割として必要か、妥当かとは別問題です。
(後記のとおり、論理的意見の開陳は許されるがイメージ宣伝する不当性をここでは書いています)
円安の恩恵にこぼれる階層があるとしても、(車に乗らないで被害に遭うだけの人、道路を造れば立ち退く人もいるし、自宅改築すれば、その間生活が不便(時間軸の誤差)でしょう)恩恵の及ばないひとが皆無・万人に好都合な政治はあり得ません。
恩恵の及ばない人や被害を最小限にとどめながら最大多数の幸福を狙うのが政治ですから、個別の弱者救済論に留まらず、政策批判する場合には、受益者数と、恩恵の及ばないグループとの公平な比較・・相対的優劣を論じるべきでしょう。
公平な意見を述べた上で恩恵の及ばない少数者に光を当てるのも必要ですが、論理を書かないでムード的にマイナスばかり強調する・・イメージ刷り込みを続けるのでは、政策全般に対する批判・・政策が悪いかのようなミスリード記事になります。
(論理建てしない・イメージ報道を繰り返すのは、反論を許さないやり方・広告宣伝のたぐいであって、そもそも言論と言えるか疑問があります。)
マスコミは高齢者就労率増加や女性新規就労記事もぽつぽつと書いているから偏向していない・・違法ではないと言う価値観を持っているようです。
12月30日に名誉毀損記事の裁判例で紹介したように、大見出しでは「格差拡大」や恩恵を受けていない人の特集記事が氾濫している一方で、あちこちの別の見出し記事の中に「モノゴトは順を追って進む」意味の記事を目立たないように書いているので結果として偏っていないことになるのでしょうか。
マスコミは、「違法で」なければ良いのではなく、自社の期待する政治立場へ(論理を明らかにしないムードの刷り込みで)情報操作してよいとは思われません。
マスコミは中立である可シと言うコンセンサスがあるすれば、見出しも公平に作るべきでしょう。
円安関連報道を見ると景気拡大の恩恵を受けている人の方が少ない・少数派を多数派であるかのようなイメージ造りに励んでいる印象です。
真逆の報道をそのまま信じている頭でっかちの政党が、これが多数だと誤解して?公約に掲げて頑張るからわずかしか当選出来なくなったように見えます。
韓国政府が自分の意のままに報道してくれる朝日の慰安婦報道を利用して暴走してしまい、今や困っているのと同じです。
左翼系も中韓政府も日本マスコミ支配しているつもりで、(真逆の報道を長年続けて来た張本人が、この効果を過信し、自分タチの作ってきた虚偽記事が日本世論実態であると過信して)失敗している構図です。
比喩的に言えば、裸の王様がこれを賞讃する国民全部に(本心と誤解して)これを着せてやろうとして、寒さに震える国民に抵抗されたような状態です。
以下、事実報道よりもマスコミ各社の政治方針・色づけが先行している事例として、昨年発覚した朝日新聞の連続誤報・虚報事件を参考事例にして行きます。
朝日新聞による原発吉田所長の調書の曲解記事報道は、職員が命令に反して逃走・職場放棄したとは読めない資料なのに、これをそのように発表してしまったと言われています。
余程偏った読み方をしても客観状況とあわせてそのように読めない資料だったらしいですから、(事前手配したバスに乗って整然と移動して、次の指示で整然と戻っている・・指示系統が乱れていないこと)朝日新聞では事実報道よりも先に「こう言う報道したい」と言う結論(偏った立場?第三者委員個人意見によれば「角度」)が先にあったことが原因と見るの普通でしょう。
朝日新聞の悪質性批判の中心は、吉田調書が非公開と決まっていたこと・・誰もねつ造虚偽報道の批判が出来ないことを良いことにして、逆の意味にすり替えて公表したのではないかと言う疑問です。 
そうとすれば確信的虚偽報道行為です。
こうした国民世論沸騰によって謝罪に追い込まれ、第三者委員会の出番となったのです。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。