高飛車に出た中韓の誤算2

中韓にとっては、日本マスコミを事実上支配し、韓流賞讃報道の氾濫・・その他で中韓讃美報道ばかりしていたので、準備万全と過信し・・そこへ東北大震災が襲ったので天佑と思って反日行動を同時に始めたと思われます。
世界中多くの国では困窮すると略奪等の自己中心行動→分裂・利敵行動をするのが普通ですが、日本人は逆に国難に遭遇すると一致団結する愛国心の固まりであると言う精神構造も中韓の自国基準では理解出来なかったと思われます。
大震災や原発事故等で日本が困っているときに中韓一緒に、しかもロシア(は高官の北方領土視察を同時に実行しました)まで誘って、共同威迫をすれば国内で利敵行為を働く勢力が増大すると誤解していたようです。
反日マスコミは、ネットの発達によって情報独占・・足下が崩れつつあることを中韓両国が理解していなかったことも、中韓両国の誤算だったように見えます。
中韓露3国によるそろい踏み強迫すれば驚いて、分裂行動するだろうと言う彼らの想定に反して、日本国民に強烈ナショナリズムを覚醒させてしまい、選挙直前まで劣勢であった安倍晋三氏が、自民党総裁選で地滑り的勝利を収めてしまいました。
韓国大統領の竹島上陸や中国の尖閣諸島等の攻勢がなければ、安倍政権が生まれなかったと言う見方が国民大方の意見でしょう。
続く年末の総選挙では(その他政策失敗もありますが・・)軟弱外交の民主党政権は大敗しました。
ネットの発達によって情報源をマスコミが独占出来なくなっていることから、
「日本は大戦中両国に大変な迷惑をかけた・・何回謝っても償いきれるものではない」「中韓の言うとおりにしないとアジアで孤立する」
と宣伝する左翼文化人やマスコミの宣伝は、
「何回謝らせるつもりだ!」「孤立するのは中韓2国だろう」と言う強烈な国民批判に曝されるようになってしまいました。
今では民主党や共産党でさえ、正面から中韓の応援主張・・日本が世界で孤立していると言うお決まりの主張が出来なくなっています。
レア・アース禁輸に始まり中国は打つ手打つ手が対日戦略では誤算続きですし、日本では嫌韓・嫌中意識が高まってしまい、内外呼応して脅せば有利な交渉・・投資促進出来るどころか、却って対中韓投資が急減してしまっている有様です。
2015年1月17日、日経新聞朝刊7ページには、14年の対中投資が前年度比38、8%減と報道されています。
ところで、対中投資計画は、計画策定から現地調査・設計打ち合わせ〜許認可手続など経て実際に投資が始まるのがその翌年となることから、12年夏から騒動の始まりで翌13年が4・3%しか減らなかったのに比べて、丸1年経過後である14年に投資大幅減少の効果が出て来たらしいです。
引っ込みがつかない中国・韓国は妥協することを知らない民族(政権基盤の正統性がないか弱いので妥協することが表向き出来ない)ですから、共同して世界中への反日宣伝・・南京大虐殺等の国内外宣伝教育を始めました。
従来中韓両国が政権の内情を懇願して「表向き顔を立ててくれ」と言って来ると日本は可哀相だ「武士の情け」として応じてきましたが、今回は国民が怒ってしまっているので、そのやり方は通用しません。
日本が謝らない限り正常な交渉しないと言う強き一点張りでは、どこまで行っても平行線です。
日本国民の多くは頼まれもしないのに技術移転してやる必要はないので、どうぞ百年でもそう言っていて下さいと言う気持ちになっています。
中韓両国は威勢良く振り上げた拳のやり場に困ってしまいましたが、表向き強気で押すしかないので、数ヶ月前には小笠原海域で違法に珊瑚礁を破壊して帰りました。
ただ中国の方が少しばかり柔軟で、(韓国よりは政治能力が高い?)福田元総理を何かのフォーラム議長にしてパイプを繋ごうとして必死です。
韓国による世界中への慰安婦宣伝資金は裏で中国が出していると言うのがもっぱらの噂です。
中国は実力行使をしているのでどぎつい面がありますが、朴大統領のように明白な発言をしていないので、実力行使をなし崩しに縮小していけば良いだけですが、宣伝や発言ではっきり対日批判をしてしまっている韓国は変更が難しいのです。
ロシアは一回行動したきりですぐに親日へ舵を切り替えていますので、韓国だけ取り残されそうな雰囲気です。
中韓べったりが際立っていたフジテレビと朝日新聞が苦い教訓を得たので、その他マスコミも今では真正面から中韓の応援を出来なくなりました。
しかし、内部に巣食っている人脈はそのままですから、何とか中韓有利に決着させたい思惑がありありのこまめな情報操作に励んでいるように見えます。

マスコミ各社の反日報道責任2(中韓の誤算1)

右翼は反日的慰安婦報道を怒っていますが、首脳会談は貿易その他国益ギリギリの重要な交渉の最終決着をするために行なうものですから、最後の詰めを行なうべき環境が日本政府批判大合唱下・・日韓首脳会談が日本側が8回も謝りながらの交渉では、不利に展開し不利な交渉結果になるのが普通です。
日韓関係は投書は資金導入でしたが、高度成長後は日本からの技術移転を如何に進めてもらうかが韓国にとっての焦点でしたから・・この微妙なやり取りが政治決着に委ねられるとその内容は目に見えない微妙な分野です(領土や関税率交渉のように結果が外部に見える交渉ではありません)から、今でも藪の中ですが・・この交渉で韓国は大きな成果を上げたと推定されます。
この決着がその後約20年韓国企業躍進・日本企業が食われる一方に展開して行った下地になって行ったこと推測されますが、この点はヤミに葬られたままです。
このように見て行くと朝日新聞の慰安婦報道に焦点を当てるよりは、日本の国際交渉能力低下に焦点を合わせたマスコミ界全体の反日姿勢こそ糾弾すべきかも知れません。
既に決まっていた宮沢訪韓に照準を合わせて、マスコミ各社は当時約1年かけて日本の対韓交渉能力をどうやって低下させるかに知恵を絞っていた・・、日々日本政府批判を繰り返した挙げ句に、訪韓直前に狙い澄ましたかのように強制連行の証拠があったかのような虚偽?または誤解を招く報道を打ち上げて韓国世論の沸騰を誘導した意図は何だったのかこそ問われるべきです。
朝日に限らずマスコミ各社の猛省が必要でしょう・・社内では反日キャンペイン成功例として社史に刻まれるべきとする逆の意識が普通なのかも知れませんが、そう言うマスコミは淘汰されて行くべきです。
韓国はこれで味を占めたでしょうし、19992年宮沢訪韓から20年経過の2010年ころになって来ると20年前にうまく取り込んだ日本技術の賞味期限が切れ初めて来た・・日本はその間にもっと前に進んでしまったことから、より高度な技術移転が必要になって来ていました。
日韓関係緊張によって更なる技術移転が滞り始めると、今やサムスンの惆楽は目に見えてきました。
以下に書くように中国投資を減らして東南アジアに投資するようになったのと同様に、技術も韓国へ移転しないでアップルや中国の小米(シャミオ)に高度製品をおろすようになったからです。
もう一度うまく技術移転を取り込もうとして、韓国が、日本の民主党政権成立と2011年東北大震災・原発事故で困った日本をこのチャンスとばかりに、農海産物の輸入禁止をすることから始めて竹島〜慰安婦騒動への発展させたとみることが可能です。
マスコミは、最初日本が困っているときに韓国と事を構えるのは良くない・・アジアで孤立すると言う従来型宣伝でした。
そのころはサムスンの大躍進・・日本企業はもう駄目だと言う宣伝もしょっ中行なわれていました。
中国も低賃金に頼る工業発展形態では限界が見えて来たので、2010年ころから、韓国同様に日本からもう一段レベルアップした技術移転が必要になっていた点では92年当時の韓国と同じです。
中韓両国の対日攻勢が同時にイキナリ激しくなって来たのは、1992年に韓国がうまくやった経験学習によって今度も報道宣伝戦によって、日本政府を窮地に追い込んで日本国内反日勢力の呼応を待てば、うまく行くと思って始めたものと推理出来ます。
そのために?長年かけて中韓両国は、日本マスコミ界への浸透に力を尽くして来たことが今になると分って来ています。
中韓両国共同して慰安婦と南京虐殺の大々的宣伝活動を始め、他方で中国国内反日暴動を起こし、レアアース禁輸や尖閣諸島への軍事威嚇など多角的反日活動を始めれば、既に国内浸透成功している日本国内反日勢力の呼応をしてくれると期待していたと思われます。
この間20年間繰り返されていた反日宣伝の結果、中韓は充分に自国主張が浸透している・・うまく行っていると思っていたでしょうが、日本国民は長年にわたる中韓贔屓のマスコミ報道にうんざりしていたことを知らなかったようです。
日本マスコミ界自身もフジテレビのように開き直ってみた結果、大損をするまで国民のうんざりしていた持ちに気が付かなかったのですから、日本マスコミ界とツーカー関係の中韓が誤解したのは当然です。
「敵を欺くには先ず味方から・・」と言いますが、日本人は騙す気がなく本気で日本が孤立すると思っていた・・善意の人が多いので、却って相手が騙されてしまいます。

植村記者問題7(マスコミ各社の反日報道責任1)

仮に強制連行と記事に書いていなかったとしても、昨日まで書いたように時間軸によって誤解を招く記事であった外に、挺身隊の表現をしたことと、逆に重要な履歴であるキーセン学校生であったことを書かなかったことが批判されています。
この辺がねつ造記者の烙印を押されている原因と思われます(名誉毀損で訴えられた著者がどのように書いているか不明ですから推測です)が、上記のとおり植村記者は故意か不用意にか不明ですが、日本の新聞に挺身隊と書いてしまいました。
「見解」の認定によれば、植村記者は縁戚を利用したのではなく、ソウル支局長から、わざわざ呼び出されて取材したと言うのが彼の主張となっています。
(このような認定が必要になった背景には、彼が韓国人女性と結婚していて、彼女の母親は韓国で日本政府相手の裁判をする慰安婦等募集団体の代表だと言うネット批判に対応する認定のようです。)
ソウル支局長から突如出現した?慰安婦取材のためにわざわざ呼び出される以上は、その道のプロと社内で認識されていたと思われます。
そうとすれば、当時韓国では日本のように慰安婦と言わずに「挺身隊」と言われていたことを知り尽くしていたにも拘らず、この記事で「挺身隊として連行された」(日本語で書くトキは慰安婦に翻訳すべきだったでしょう)と書いた疑いが生じます。
日本では、挺身隊と言えば、勤労動員的理解が普通ですが、韓国ではこれを慰安婦の韓国的表現だったことが事態悪化を拡大させる大きな原因になったようです。
同じ漢字を使っていても国によって意味が違うことが多いのですが、悪意で言えば(色眼鏡でミレバ)この違いを知りながら大問題に発展するように巧妙に悪用したと言う右翼の憤激を買ったのでしょう。
挺身隊と慰安婦の区別が分らなかったと言う説明がマスコミに多いので、「そんなこと当時の日本人なら(20年以上前には戦前の人が一杯生きていたし、・・私の母は明治生まれですが、4〜5年前死亡までボケていませんでした・・・・私だって戦時中生まれですからホンのちょっと年長者・・経験者が周辺に一杯ました。)誰でも知っていることじゃないか」と思っている人が多いでしょう。
委員会見解を読んで分ったのは、日本では全く別の単語であったのに、韓国では混同していると言う情報が一般人に行き渡っていなかったことが分りました。
しかし、植村記者は、慰安婦問題取材のプロとして韓国では慰安婦を挺身隊と表現しているのを十分知っていたとすれば、韓国語を日本語に翻訳して記事にしているのに、この単語に限って、翻訳しないで何故日本語で「挺身隊」とそのまま書いたのかが問題のようです。
植村記者が日本語で「挺身隊」と書いたことによって、国内で勢いをつけた人権家グループが、(日本の人権グループは日本での挺身隊と慰安婦とは違うのを知っている筈ですが・・)挺身隊員ならば何十万単位になると主張し始め、韓国が日本マスコミがそう言っているのだから・・とこれを援用して、挺身隊で連行されたのは何十万人だと大騒ぎにしていったようです。
韓国マスコミも、日本の報道は勤労奉仕の人数なのにその点を隠して韓国内の誤解をそのまま利用して火を大きくしたようです。
日本の女子挺身隊は勤労奉仕であると言う違いを紹介しないで、韓国国民が挺身隊=慰安婦の理解を悪用して、日本では、挺身隊は子供を含む//それなら韓国では、少女まで連行されたのかと言う反日に都合の良いつまみ食いをする韓国内の煽り現象が起きて、感情的爆発が宮沢訪韓に向けて起きました。
1昨日紹介した朝日の連載記事に限らず、宮沢総理訪韓に向けて(日韓の認識の違いを指摘する日本のマスコミはなく、)韓国世論の沸騰を利用して逆に「政府は関与を謝罪すべき」と言う韓国応援の大合唱をしていただけです。
日本と韓国で違った解釈をしているのを一般国民が知らなかったとしても、韓国の報道をみれば誤解の連鎖になっていることがすぐに分った筈です。
まして慰安婦問題のプロが日本にゴロゴロいて、・・この記事を書くのは各社その道のプロが担当していた筈なのに、何故その違いを指摘せずに、そのまま国内過激報道競争・・にして行ったのか疑問です。
「挺身隊と慰安婦は違うでしょう・・」という意見をマスコミが1社も書かなかったのか不思議ですが、「当社だけではなかった」と朝日が弁明しているように、そのころのマスコミは反日報道をする方向で一致していたような印象です。
(数年前にフジテレビがこの批判を受けて視聴率急低落になりましたが、同社に限りません)
この結果、宮沢総理は、訪韓首脳会談中に8回も謝罪発言を余儀なくされたと言われています・・。

植村記者問題6(組織内行動の責任)

第三者委員会見解に引用されている植村記者の書いた記事(記事そのものコピーは資料に出ていません)内容は以下のとおりです。
※要約すると不正確となるので、昨日から煩をかえりみずに「見解」記載のまま引用しています。
以下にあるように見解指摘事実だけみても、「でっち上げ・ねつ造」と評価されるかどうか別としても一定方向へ向けた意図的な不正確記事を書いた印象を受けます。
即ち、単なるミスとしては、強制性を印象づける効果を狙った方向への不正確記載(強制を印象づける方向へは「連行」と書き過ぎていて、連行に矛盾するキーセン関係は書き漏れ?ている・その他問題になっている挺身隊記載など)ですから、意図的→ねつ造と言う主張も成り立つような気がします。
名誉毀損になるかどうかは表現次第ですから、書き過ぎになるかどうかは損害賠償請求された著者がどのような表現をしていたかにもよるでしょうが、「見解」の認定事実によると読者を欺く意図がかなり濃厚な印象をうけます。
記者がソウルから送信したものを本社で文字構成したとすれば、(彼の送信文章全文から編集部で取捨選択して記事にしているとすれば・・)裁判では記者自身がこの記事全部に関与していたか構成・完成まで関与していたかについても、問題になるでしょう。
最後まで関与していなくとも署名入記事にした以上は、彼の責任ではないかと言う別の議論もあり得ます。
以下は第三者委員会「見解」(植村記者関係)の一部引用です。

イ 吉田証言に関する記事以外の状況
a 名乗り出た慰安婦に関する1991年8月11日付記事
1991年8月11日、朝刊(大阪本社版)社会面(27面)に「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」、「思い出すと今も涙」、「韓国の団体聞き取り」 の見出しのもとに、「従軍慰安婦だった女性の録音テープを聞く尹代表(右)ら= 10日、ソウル市で植村隆写す」と説明された写真の付された記事が掲載された。
同記事は、当時大阪社会部に所属していた植村のソウル市からの署名入り記事 で、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を 強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存していること がわかり」、同女性の聞き取り作業を行った挺対協が録音したテープを朝日新聞記者に公開したとして、「女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた」などその内容を紹介するものである。植村は、上記(1) イのとおり、韓国での取材経験から、朝鮮で女性が慰安婦とされた経緯について、 「強制連行」されたという話は聞いていなかった。

b 名乗り出た慰安婦に関する1991年12月25日付記事 金氏を含む元慰安婦、元軍人・軍属やその遺族らは、1991年12月6日、日本政府に対し、戦後補償を求める訴訟を東京地裁に提起した。 1991年12月25日、朝刊(5面)に「かえらぬ青春 恨の半生」、「日本政府を提訴した元従軍慰安婦・金学順さん」、「ウソは許せない 私が生き証人」、 「関与の事実を認めて謝罪を」の見出しのもとに、「弁護士に対して、慰安所での 体験を語る金学順さん=11月25日、ソウル市内で」との説明のある金氏の写真が付された記事が掲載された。
植村は、金氏への面会取材は、写真が撮影された1991年11月25日の一 度だけであり、その際の弁護団による聞き取りの要旨にも金氏がキーセン学校に 通っていたことについては記載がなかったが、上記記事作成時点においては、訴状に記載があったことなどから了知していたという。しかし、植村は、キーセン 学校へ通ったからといって必ず慰安婦になるとは限らず、キーセン学校に通っていたことはさほど重要な事実ではないと考え、特に触れることなく聞き取りの内容をそのまま記載したと言う。」

「見解」要約文書では、以下のとおり記載されています。

「植村は、記事で取り上げる女性は「だまされた」事例であることをテープ聴取により明確に理解していたにもかかわらず、同記事の前文に、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場 に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人が ソウル市内に生存していることがわかり」と記載した。これは、事実は本人が女子挺身隊 の名で連行されたのではないのに、「女子挺身隊」と「連行」という言葉の持つ一般的なイ メージから、強制的に連行されたという印象を与えるもので、安易かつ不用意な記載であ り、読者の誤解を招くものである。」
以下は見解全文からの引用です。

「なお、1991年8月15日付ハンギョレ新聞等は、金氏がキーセン学校の出身であり、 養父に中国まで連れて行かれたことを報道していた。1991年12月25日付記事が掲 載されたのは、既に元慰安婦などによる日本政府を相手取った訴訟が提起されていた時期 であり、その訴状には本人がキーセン学校に通っていたことが記載されていたことから、 植村も上記記事作成時点までにこれを知っていた。キーセン学校に通っていたからといっ て、金氏が自ら進んで慰安婦になったとか、だまされて慰安婦にされても仕方がなかった とはいえないが、この記事が慰安婦となった経緯に触れていながらキーセン学校のことを 書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。」

上記によれば、「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され、・・・」とあるように「連行」と言う文言が使われているうえに、昨日紹介した一連の記事の日付と比較して頂ければ分るように、植村記事の掲載された1991年夏から年末にかけては朝日新聞がまだ吉田証言(軍による慰安婦狩り)が正しい前提で、政府による謝罪を繰り返し求めている最中だったことが分ります。
植村記事は、吉田証言が事実であるかのように大々的に朝日が報道していた最中に(これを補強する効果を狙った)現地報道記事だったことになります。
詐欺や恐喝グループで言えば、先行者が強迫や欺罔行為をした後でこの情を知っている紳士然とした人が次にやって来て先行者による強迫や欺罔によって畏怖や誤信させられた状態を利用して取引をしても全体として、恐喝や詐欺になるのが一般的法解釈です。
植村記者は朝日の社員ですから、一連の演出効果を期待する作為の一員に入っているとみるのが普通であって彼が「自分は関係ない」とは言えないでしょう。

植村記者問題5(記事掲載前後の状況)

弁護団が12月に国家賠償訴訟提起したキジも植村記者が書いていますから、8月報道は強制連行を前提にした記事であることが明らかです。
訴状をみていませんが、任意売春婦であれば(誰かに騙されたならば騙した人を訴えるのがスジです)国家賠償など請求出来る筈がないのですから・・。
政府は、政府関与を否定し続ける中で宮沢訪韓に向けて朝日による執拗な報道構攻勢が以下のように続いていました。
この一連の報道攻勢に屈した宮沢総理が訪韓中何回も謝罪を言い続けなければならなかった経緯が「見解」で認定されています。
この大きな流れのなかで決定的役割を果たしたのが、植村記者の慰安婦出現報道記事のようです。
委員会見解に認定されている19991年8月に始まる植村記事前後における強制連行関連に関する朝日新聞記事・主張?状況を見ておきましょう。

(1)1990年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
1990年6月19日、朝刊(大阪本社版)社会面(26面)に「名簿を私は焼 いた」、「知事の命令で証拠隠滅」、「元動員部長証言」との見出しのもとに、吉田氏 の顔写真が付された記事が掲載された。
同記事は、吉田氏について「戦前、山口県労務報国会下関支部動員部長として、『徴 用』名目で多数の朝鮮人を強制連行した」と紹介し、吉田氏が朝鮮人の徴用に関す る書類を焼却したことを報道するものであり、その前提としての強制連行について は、「地元警察署員らが集落を包囲した後、吉田さんらが家の中や畑で作業中の朝鮮 人男性を強引に引きずり出し、次々に護送車に乗せた。抵抗すれば木刀で殴り倒し た」、「『同じやり方で多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります』」と記載する。
同記事は、書類焼却の点など他の取り消された記事にない部分があり、吉田氏の 発言をカギ括弧で引用していること等から、吉田氏を直接取材して作成したものと 認められるが、執筆者は不明であり、取材の詳細も判明しない。
イ 吉田証言に関する記事以外の状況 韓国では、1990年1月に、尹氏による慰安婦に関する「挺身隊取材記」がハンギョレ新聞に4回にわたり掲載された。
2)1991年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1991年5月22日付記事 1991年5月22日、朝刊(5面)に「木剣ふるい無理やり動員」、「加害者側の証言記録必要と執筆」などの見出しのもとに、吉田氏の顔写真の付された記事が掲載された。
記事前段省略「・・・・朝鮮に おける行動の詳細が記載されている。例えば、「私たち実行者が十人か十五人、山 口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察 官五十人か百人を動員します。(略)殴る蹴(け)るの暴力によってトラックに詰 め込み、村中がパニックとなっている中を、一つの村から三人、五人あるいは十 人と連行していきます。(略)十万とも二十万ともいわれる従軍慰安婦は、敗戦後、 解放されてから郷里に一人もお帰りになってないのです」とする。
b 1991年10月10日付記事
1991年10月10日、朝刊(5面)に前記「女たちの太平洋戦争」の一つ として「従軍慰安婦 加害者側から再び証言」、「乳飲み子から母引き裂いた『実 際、既婚者が多かった』」、「日本は今こそ謝罪を」の見出しのもとに、「『私はもう 年。遺言のつもりで記録しておいてほしい』と語る吉田清治さん=東京都内で」 との説明のある吉田氏の写真が付された記事が掲載された。
筆者は、記事中に3時間余り吉田氏を取材したとの記載があるが上記aの記事 の取材と同様にあまり記憶がない、記事左下の関連記事も自分が書いたとは思う と言う」

今回のテーマとは少しずれますが、1月9日に書いたように上記認定は委員会の故意的突っ込み不足顕著な印象です。
取材した場合、記事にしても基礎になるメモや録音を廃棄するのではなく、取材メモや録音・写真等を記録として残す筈ですから、その記録を何故見ないか、もし残っていないとしたら、何故なくなったかの検証こそが委員会に期待されているのではないでしょうか?

(3)1992年の報道状況等
ア 吉田証言に関する記事
a 1992年5月24日付記事及び同年8月13日付記事
1992年5月24日、朝刊第2社会面(30面)に「慰安婦問題 今こそ自 ら謝りたい」、「連行の証言者、7月訪韓」の見出しのもとに、吉田氏の顔写真が 付された記事が掲載された。
同記事は、「『私が慰安婦たちを朝鮮半島から強制連行した』と証言している千 葉県在住の吉田清治さん(七八)が七月、韓国に『謝罪の旅』に出る。」

以下省略
上記は朝日が取り消した記事の記載だけですが、その外に「窓」と言う欄で吉田氏証言を前提にした記事が・・「論説委員会室から」と言う名称で1992年1月23日と3月3日夕刊に掲載されていることが、資料として公開されている新聞コピーで明らかになっています。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。