格差拡大論とピケテイ理論1

頑張って功績・成果を上げた人には報奨金・恩賞(必賞必罰)が必要なことは、古代から世界中が認めて来た万古普遍の原理です。
中国現在の問題点は、巨万の富みの蓄積が太子党・・(個人努力に関係のない)生まれによる格差・・それも程度問題を越えて巨大化していることから、世界中が眉をひそめているのです。
巨大な不正が生じている中国への批判を一切しないで、格差の殆どない我が国で格差ばかり強調するマスコミ論調は、主張とは別の思惑がある・・額面どおりに受け止める人が少ないのではないでしょうか?
中国に限らずアメリカの場合、既に強欲資本主義の弊害が出ているので修正の必要があるかも知れませんが、日本の場合、むしろ頑張った人への報酬が少な過ぎる弊害に関する議論が始まろうとしている段階です。
青色発光ダイオードを発明した中村氏に対する報奨金が少な過ぎた例がそれを示しています。
ちなみに、世界一の自動車産業トップトヨタ社長と日産のゴーン社長の年俸比較すると以下のとおりです。(2015年3月15日現在のコピーです)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150130-00059303-toyo-bus_all
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初公開! 「役員報酬が多い」500社ランキング
東洋経済オンライン 1月30日(金)5時30分配信

「日本企業の高額報酬で有名なのは日産自動車のカルロス・ゴーンCEOだろう。その日産役員の報酬は平均すると2億1300万円で6位だ。カルロス・ゴーンCEOの報酬は9億9500万円。ゴーンCEOを含め、5人が1億円以上の報酬を得ている。一方、世界トップクラスの自動車メーカーであるトヨタ自動車の平均役員年収は8194万円で、ランキングでは46位となっている。豊田章男氏の報酬額は2億3000万円だった。」

世界トップ企業トヨタの役員に成っても、平均年収8000万ちょっと(・・社長報酬を含めた平均ですから、並みの役員の年俸は5〜6千万円まで行くか行かないかでしょう。)これから約50%前後の所得税等公的控除を引かれると定年間近に数年程度役員に成ったくらいでは、とても富豪の仲間入りは出来ません。
この程度の社会の現実を見ないで、アメリカの例を引いて格差社会批判を訴えても、実態を反映していない・・文化人が欧米基準を持ち出すのが好きなことを繰り返し書いて来ましたが、未だにこんなことをやっているのです・・・。
これでは、これまでの能力主義批判の焼き直しではないかと思うひとが多いでしょう。
人権派が折角飛びついた格差論に殆どの国民が反応しないので、困っていたところにピケテイ氏が格差論を発表したので、革新系文化人は大変な応援団が来たとばかりにこれを有り難がっています。
ピケテイ理論は日本の統計的実態を全く見ていない・・日本の歴史推移を対象に入れていない点を直ぐに専門家によって反論されている点に気が付かないか、敢えて無視している論法です。
大分前に読んだので正確な内容は直ぐに忘れてしまいましたが、(たまたま3月16日日経新聞朝刊23ページの左下の時事解析欄にピケティ説は日本に当てはまっていないと言う解説と実証的研究者の名前が出ていました。
以前読んだのは、ここに紹介されている学者だったかも知れません。
折角関心して読んだのに、高齢化すると誰の意見だったかもすぐに忘れてしまうのが難点です。
理論分析は別としても、実感的にそんなに格差のない社会であると思う人の方が多いでしょう。
日本は古代から名誉や信用を重んじる国民性ですから、強欲の方に走ったのでは、肝腎の名誉が毀損されてしまいます。
発光ダイオードの中村氏も我欲のために裁判したのではなく、後進研究者のために一定の報償が必要と言う道を切り開くために頑張ったと言う立場でしょうし、(実際この事件を契機にルールが整備されて行きました)ノーベル賞金の一部を世話になった徳島大学へ寄付したり名誉回復に熱心です。
アメリカで被害を受けた服部君の事件であれ何の事件であれ、自分の利得目的で裁判や政治運動するのではなく、今後同じような被害者を出さないように・・と言う動き方がほぼ全ての社会です。
日本では、目先の金よりも名誉・信用を何故重視するかと言えば、繰り返し書いているように、子々孫々に影響する長期的人間関係を重んじるからです。
日本人は強欲資本主義の仲間入りしない・・世界標準とは違う国民性ですが、これは自慢して良いモラルですから、この優れたモラル基準を世界に広めれば良いのです。
トヨタ社長は一定の生活水準が満たされれば、あとは自分の取り分・収入が世界何番だと自慢するよりは、日本社会に貢献している名誉を重視していることになります。
日本人は世界長者番付何番の何人がいると自慢するよりは、長者番付けが低くともトヨタ社長のような経営者がいる方が誇りです。
ゴーン氏や孫正義氏は、使い切れないほどの収入があってもさらに収入を得てその大きさの誇示こそが重要と言う(日本人から見れば子供じみた)価値観なのでしょう。
日本独自標準・・資本収益・配当率の低さに対する欧米資本家の不満を代弁して、ROE重視経営(資本家への還元を増やせ)をすべきだとマスコミが繰り返しています。

農業改革と競争否定論

平和を守るには自主防衛が必要か非武装かと言う論争は、平和を守るための手段論争であるのに、平和主義=非武装論しかない・・対中防衛準備論は直ちに戦争論者・反平和主義者のようなレッテル張りが革新系の論理ですが、思考回路が単純過ぎて国民大方の支持を受けられなくなっています。
法律相談に来た人に状況不利を説明すると「私に死ねと言うのか」と飛躍した反応をする人がいます。
あなたのやって来たことは間違いであり、状況は不利だがその対策が何種類もあると説明していると、勝手に何段階も飛ばした結論を決めつけて興奮してしまい、相談にならない人がいますが、革新系論者はそのたぐいです。   
輸入規制を緩めると「農業をやめろ」「食糧自給不要」と言うのか!と息巻く人は、論理が乱暴過ぎます。
農業を守るにはどの程度の競争状態に置くと自発的努力がどの程度可能か、などが争点であって、農業を産業として守るには輸入禁止しかないとは、限りません。
今のように守りの姿勢だけでは、ジリ貧が進行するばかりで却って食糧自給を守れません。
食糧自給率向上のためにも競争力を磨いて欲しいものです。
繊維→炭素繊維、電化製品→電子部品等、全ての産業が時流にあわせて変化してこそ生き残って来たのです。
テレビ等の輸入制限をして保護していたら業界が壊滅していたでしょう。
国民等しく競争社会=能力主義で生きているのに、農業だけ競争から超然として補助金や輸入禁止に頼っていることに、殆どの人が理解を示さなくなっているのではないでしょうか?
農家自身が従来の競争阻害政策を支持していない事は・・将来性がないとして、農業従事人口の長期的大幅減少(自分の子供に後を継がせない・・後継者不足・他産業への脱出)に現れています。
農協は目先の政治闘争にうつつを抜かしていて、農家の長期的展望・利益を代弁していないことになります。
共産・社会主義系は生産増よりは結果の分配に力点をく思想ですから、発展に対する意欲が弱くなります。
自分が発展競争に負ける引け目があるからか、革新系・進歩的文化人の主張・行動は、何かの新技術が出て来るとその普及に対する批判から出発しています。
反日運動目的で凝り固まっているので、日本の発展しそうな芽が出ると先ず叩いて妨害する目的があると言う意見もありますが、それは穿ち過ぎでしょう。
反日目的も少しあるかも知れませんが、思想的体質が変化反対に親和性があるからではないではないでしょうか?
新技術には必ず何かの副作用があるのは当然ですから、警鐘を鳴らし、用心するのはある程度必要ですが・・反対運動ばかりに先ず目が行く繰り返しの結果、社会の進行変化に対する抵抗勢力としか見られなくなって来ました。
テレビが出て来た時には目が悪くなる、子供が外に遊びに行かなくなる、自分で考える習慣がなくなり受け身になると批判し、マンションが普及し始めたときに外で遊ばない子が増えると頻りに批判されていました。
最近では、中韓や米国の手先として日本の発展を阻害し、世界の歩みから如何に遅らせるかに熱を上げて来たのではないかとさえ言われるようになってきました。
ここ10〜20年ばかりは、新技術導入反対ばかりでは国民が相手にしなくなったことから、自然保護(開発反対運動の裏返し)や競争結果による格差発生に対する批判、弱者救済→競争から落ちこぼれた人に対する優しさの主張に転換しています。
新技術の開発奨励・競争社会を認める以上は、一方で競争に敗れた人や自然破壊をどうするかを考える必要がありますから、それはそれで良いことです・・。
競争を認める以上は勝者・最新技術開発に成功した人が相応の恩賞を受けるべきですから、敗者に対するケアーの必要性を越えて結果による差が出ること・そのものを否定的に主張することは、結果的に新技術開発競争否定論の焼き直しになります。
言わば、最近の左翼系文化人の主張は、競争反対の前線から一歩下がった体制(城外に討って出て戦う体制から、外堀〜内堀に戦線を)後退しているに過ぎず、競争反対を基礎的前提としていることになります。
鄧小平が「黒い猫でも白い猫でもネズミを捕る猫は良い猫だ」と言ったとかで、先ず稼ぐことを奨励したことから、中国の発展が始まりました。

政党支持層の変化3

政党は経済合理性で一致するならば、政治姿勢が共通な勢力と連立を組む方が良いのが当たり前です。
日本維新の党が、公明党と支持基盤が競合する大阪でどれだけ勢力を伸ばせるかにかかっているように思われていましたが、昨年末の総選挙では維新の党は伸び悩んだので、政局が様子見状態になっています。
公明党はこの辺の底流を読んでいるのか、このところかなり軌道修正していて、最近平和・防衛関連では自民党への歩み寄りが目立ちます。
外国人参政権付与を強調していると、親韓派のレッテル張りが始まって日本人有権者離れのリスクを感じ始めたので、この辺の特徴を隠そうとしているのでしょう。
自公連立以降、争点によっては、自民党は農民票の取りこぼしで地方の県知事選などで負けるようになって行きますが、負けたことが問題ではなくむしろ負けた分、改革に反対する農民票離れを始めている前向きな現れと国民が評価するべきでしょう。
自民党は改革に協力する農民と反対の農民を分けて行く・・いつまでも農民票全部を当てにしていて改革が出来ないと、日本農業が駄目になってしまう・・むしろ少しくらいの痛み・・得票率減を怖がらずに自民党は農民の中で改革反対の農民票を切り離すくらいの覚悟を示すべきです。
どんな分野でも改革には痛みが伴う・・切り捨てられる分野が生じるものですが、(企業で言えば不採算部門の切り捨てなど)農業に痛みを強いる以上は自民党も支持層の一部切り捨て・・票田の一部を失う覚悟をする必要があります。
昨日書いたように地方自治体選挙でいくつ勝ったかなど問題にしない覚悟と、地方選は地方のニーズによる選挙であり、国政に関する意見ではないと言う意識変化・・地方選を重視するマスコミの間違った意見を是正して行く準備が必要です。
農民票の内、競争反対を基礎票にするのは野党勢力に任せておかないと、日本全体が沈没してしまう危険があります。
政党支持基盤は、今はまだマダラ模様で進んでいます。
この踏み絵になるのが今度のTPP交渉で、(都会人から言えば当たり前のことですが・・農民に痛みを強いる)この妥結が大きな節目になって行くでしょう。
オバマ政権の迷走もあってまだはっきりしていませんが、今後この関係がいよいよ明瞭になって行き、革新系?が改革反対運動の農民を支持し、都会人が改革派の自民党を支持する方向へはっきり変わって行くべきだと思われます。
明治維新の原動力は地方から起き、しかも農民参加の奇兵隊が活躍したように農民自身が保守的ではありません。
農民と言えば保守的なもの・適応能力のないものと決めつける人が多いですが、農民自身保守的なのではなく、農協組織運営が保守的・と言うか社会主義的組織だったから70年の経過で硬直的・受け身になってしまったことによります。
元気な農民は農協離れを起こし始めています・・農協の指導を待っていて政府の施策に反対する頑迷なグループを切り離して、元気印の農民こそを積極的に応援すべきです。
社会主義的組織はすべからく「何々を守れと言う」ばかりで内容的に発展して行く仕組みが乏しいですから、基本が保守的になります。
公害反対も空港設置反対も高速道路反対も総べてそうした運動でしたが、その内日本経済に役立ったのは公害反対だけでした。
公害反対が日本社会の発展に寄与したと言っても、そのときの反対目的であった製鉄所やコンビナート設置反対運動が日本社会に貢献したのではなく、反対運動に鍛えられた企業が公害被害軽減努力したので、日本社会に貢献出来たのです。
新技術が出ると、直ぐに子供がネット浸りで困ったと言うマイナス報道ばかりですが、ネット利用やビッグデータの活用や防犯カメラもそれをやめろと言うのではなく、被害軽減努力の提案こそが重要です。
新薬が出来れば副作用が一定量あるのが原則ですが、新薬の研究開発禁止が先にあるのでは前に進みませんので、研究は研究として進めながら軽減努力の問題でしょうが、この按配が難しいのです。
新規創業でも同じでやってみて失敗する方が多いのですが、これを心配してはいては、新産業は育ちません。
都会票は日々の競争に揉まれている勤労者や経営者が中心ですから、イキオイ「◯◯を守れ・補助金を投入しろ」と言うばかりの主張よりは、「持続的変化によって、世界競争に負けないように頑張りましょう」と主張する政党の方に票が集まります。
ここ数十年以上の経験では、「農業発展のために改革案を立案指導すべき全国農協とその中央組織が、超保守勢力として逆に発展阻害勢力として政治力を行使している」と言う国民理解が一般的になっているのではないでしょうか?
こう言う認識が普通になって来ると、何が何でも(他産業を犠牲にしてでも)「食糧輸入禁止して農業を守れ」と言う主張を応援するのは、革新と言う名の超保守政党しかなくなって行くと思います。
ここ数十年来革新?政党が農業票を当てにするようになって来たことが、この傾向を表していますし、逆から言えば農協組織の内農業部門が広範な国民支持から離れつつあることを示しています。
農業者でも、改革に邁進する業者もいますので、日本農業を再生するに、こうした勢力と頑迷な農協勢力を切り分けして行く必要があるように思います。

政党支持層の変化2

中小零細業者は、日々の競争が激しいので日々の革新に遅れると生き残れない厳しい環境に身を置いていますから、環境変化適応に敏感です。
ラーメン屋などは業界トップの指導を待っているよりは、同業者との違いを如何に出すかが勝負です。
ただ、「◯◯を守れ」・「◯◯改悪反対」とデモしていれば、解決する立場ではありません。
自分で厳しい競争に勝ち抜いて行かないと、生き残れない零細事業者が公明党の支持基盤です。
自公連立は、公明党支持基盤で言えば、発展性のない農民票とは、違った合理性・支持母体の共通性がありますから、自社連立に比べれば余程の合理性があります。
経済合理性で連立を組むか、政治姿勢の違いで連立を組むかが次の課題ですが、維新の党も大阪を中心にした非労組の都会票を基礎にしている点では公明党と同様です。
維新の党は元々政治団体から始まっていますから支持基盤は有権者中心ですが、公明党は衆生救済・・・宗教団体の創価学会が母体になっていることから創価学会の会員構成は有権者に限りません。
公明党は創価学会に実質支配されているとは言えないかもしれませんが、影響力が強力である点は世上一致しているところと思われます。
旧社会党や民主党が総評や連合の意見を無視しきれないのと同様です。
創価学会では、在日朝鮮人等の非有権者・・パチンコや風俗、サービス業が多い点で有権者以外に基盤が広がっている可能性がある点が、他の政党とは、違っています。
これが、公明党が在日朝鮮人に対する選挙権付与運動や地方公務員採用拡大に熱心な理由となっている可能性があります。(勿論推測です)
政党が外国人から政治献金を禁止されていることからすれば、創価学会と言う受け皿を介して事実上外国人の意向を代弁する政党は実質的に違法な感じがしますが如何でしょうか?
違法かどうかは別としても、日本の国政を決めるのに外国人のために主張する政党が存在すること自体異例なことです。
日本国をよくするための政党ではなく韓国にとって良いように動く政党が与党に入っているのはおかしなことです。
民主党岡田党首とドイツ首相との会見内容が大問題になっていますが、メルケル氏が慰安婦問題への謝罪を要求したかどうかではなく、そう言う発言を引き出そうと努力する民主党の姿勢が問題です。
政府首脳が他国訪問するのは訪問国と喧嘩するために来ることは滅多にありません・・親善目的が普通ですから、メルケル氏は他国間問題で敢えて訪問国の気に触るようなこと言いたくないのは当然の姿勢ですから、誘導的に、あるいはシツコク聞かれて脇が甘くてしゃべってしまったとしても、何故岡田氏は日本に不利なことに触れたがらない外国要人に無理に言わせたかったかこそが重要です。
野党とは言え日本をよくする方策の違いで与党と戦っている筈ですから、「慰安婦問題で日本が謝り続けるべきだ」と言う意見を、言いたがらない外国要人に敢えて言わせようと仕向ける姿勢が理解出来ません。
革新系はいつも世界がこうだ・アジアで孤立すると言う言い方で自己主張を展開してきましたが、その癖が今でも抜けないのでしょう。
「国連などの◯◯委員会で日本の◯◯は問題にされている」と言う主張が多いのですが、内容を見ると日本の人権派と称する人がシツコク質問して答弁を引き出している例が多いような印象です。
朝日新聞の慰安婦虚偽報道も、朝日がそれを求めていたから、真実性の検証を一切せずに大喜びで飛びついた朝日の基本姿勢に国民は怒っているのです。
正しいことは自分の意見として堂々と言えばいいことです。
結局メルケル氏が本当に言ったかどうかよりは、岡田氏(民主党)がそう言う持論(・韓国政府と同じ)を持っているから、人の口を借りて、主張したいことが証明されたことが政治的に重要です。
相談に来た人が「みんな言っている」などと説明する人がいますが、自分の意見を他人が言ってると言う形にすり替えているに過ぎません。
オバマ氏が韓国訪問時に慰安婦問題に言及したのは、オバマ氏が進んで言いたくていったのではなく、朴大統領がシツコク求めたから答えざるを得なかったと言うのが普通の解釈です。
昔から謀反や主君や上司の悪口を言う話の場所に同席していただけで、処分されるのが普通です。
人の悪口を聞きたいひとがいて、気を許して話すのが普通だからです。

政党支持層の変化1

13日に見たように農業は地方自治体の人材供給面でも中核を占める場合が多く、農家をつかねる農協制度は、結果的に地方行政組織を事実上牛耳る制度設計でした。
地方政治家あるいは地方出身国会議員はすべからく農業票=農協を支持基盤にしないと当選出来ない仕組みでした。
長く政権党であった自民党が農協と蜜月関係にならざるを得なかった所以ですが、指導待ちを基本とする農協組織とは「自由」民主主義とは本質的に矛盾がありました。
(本来共産主義的地方政治制度は、社会主義系の政党に有利になる筈だった関係です。)
この無理を是正する動きが選挙制度の改正でした。
労組・あるいは共産主義者を支持基盤とする革新系と称する(実質超保守)政党は、都会票の重みが少な過ぎると言って、一票の格差是正を連年訴えて来ました。
この運動は、実は(もっとも社会主義的組織に組み込まれて保守化していて革新系政党と気のあう)農民票の重みを切り崩す政策でした。
高度成長期以降、選挙法改正が行なわれる都度、都会票の比率が上がって来ると、中央から指令に頼る硬直的・・発展阻害勢力である農協票に自民党が頼る必要性が薄れてきます。
本来過酷な競争生活をしている都会人は、競争社会を前提とする自民党支持層になって行くべき本質的関係があらわになって来たのが平成に入ってからの動きです。
この地滑り的変化が社会党の事実上の消滅をもたらした原因でしょう。
革新系は社会党から社民党に名称を変えても新技術導入や競争反対を前提にする以上は、上からの指示を待って停滞こそ安心と言う基礎的態度になっている農民を支持層に切り替えて行くしかないでしょう。
他方自民党は、都市票が大きくなって来たことから、言わば超保守の農協票に頼る比率が大幅に減少しています。
都市と農村の経済格差拡大の実態に照らせば、格差論の好きな革新系政党が、都市票を基礎にするよりは農村票を基礎にした方が主張にもあっています。
アベノミクスは地方経済に及んでいないと言う批判論法も同様で農村票目当てにすれば一貫します。
ところで、アベノミクスの恩恵が地方に及び難い点に付いては、経済活動が活性化しても、公立校の教員の給与収入がすぐに上がらない・景気が悪くても給与が下がらないことを見れば分るように、経済の活性化策と農業振興は別次元のような・・農業が補助金中心で公務員のように聖域化していて、経済活動の原理に「我関せずの関係になっている以上は」経済の動き・・よくなっても、農業や公共工事中心の地方経済に影響が及ばない(不景気でもあまり関係がない・・公共工事は不景気対策で打つものですから、景気が良くなると逆に減るのかな?)のは当然の帰結です。
経済活動と連動しない農業・公共工事中心経済の地方に行けば行くほど、好景気の恩恵が明らかに実感出来ないのは当たり前のことです。
地方にも好景気の恩恵を速やかに及ぼしたいならば、農業も産業である以上は、好不況の経済活動と連動するようにして・経営者の自覚を持つように流動化して行くべきです。
まだ農村票が自民党に流れていますが、自民党は都市票取り込みに成功しているので、自助努力反対の農民票をある程度切り捨てても国政としては困らない筈ですが、憲法改正したいことや票は多い方が良いから表面からそんなことを言わないだけではないでしょうか?
ただし、地方選挙で首長や議会をどれだけ抑えるかと言う数字では、過疎地域も1つの自治体である以上は農民票を無視出来ません。
地方の人口減が激しいので、地方選挙の結果は国政に関連しない時代が来ているのに、マスコミや識者の意識が遅れていて・・あるいは敢えて矛盾主張しているのか?未だに地方選が国政支持率の動向を占う指標と誤解している点がややこしくしています。
マスコミや革新勢力は、一方で1票の格差是正を(地方自治体の数でなく人口比に忠実にせよと)主張して、(憲法違反の疑いのある選挙による政権として)政権の正当性を崩すべく大々的に主張しながら、一方で自治体の数で勝敗を報道して「国民の声を謙虚に聞くべし」と国政選挙の効果を否定するようなマスコミの主張・解説は矛盾していることになります。
支持基盤を都市票と農村票として分類すると、公明票は単独宗教を基礎にしている点で異質政党ですが、この点を別にすれば、都会に基礎を置き、労組よりは中小零細事業者に基礎を置く点で保革の区別で言えば、中道勢力です。
(親中韓系かどうかはまた別の基準ですので、ここでは触れません)
こう言う視点で言えば、自民党が軸足を農民票から、公明票に切り替えた・連立したのは、自主性・自発的発展勢力尊重と言う意味では合理的選択に見えます。
自公連立成立(2003年(平成15年)11月)こそが、保革のねじれ(世上衆参のねじれを言いますが、私の場合支持層のねじれを書いています)解消の第一歩だったことになります。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。